2020年6月12日金曜日

【時習26回3−7の会 0815】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から〔第33回/第311句~320句〕」「06月06日:名都美術館『山口華楊、中路融人、岩倉壽~自然のぬくもりを描く~』展→鞍ヶ池アートサロン『日本近代洋画のあゆみ』展を見て」「06月07日:豊橋市伊古部町『ささゆりの里』を訪ねて」「松尾芭蕉『奥の細道』~松尾芭蕉の『奥の細道』の〔第1回【序】〕~」「旧行秘書室時代の想い出から『1993年03月24日:中日ドラゴンズ激励会に参加して』」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0815】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第33回/第311句~320句〕」をご紹介する。

311(さき)ぶねの親(おや)もかまはぬ鵜舟(うぶね)(かな)  大津 淳兒(1)
 
【意】鵜飼の仕事は、月の出迄の短時間に、親のこと等構っている暇も無く只管(ひたすら)鮎を追い回す作業だ / 鵜舟は「殺生」と「親不孝」を行う罪深いものだ
【解説】季語:鵜舟=三夏  
(1)淳児(じゅんじ):近江国大津の人 / 人物について詳細不明
 
312 曲江(きょくかう)(1)にかがりの見()えぬうぶねかな  梅餌(2)
 
【意】鵜舟が湾曲した所を曲がり篝火すら見えなくなった / 中国長安の曲江池に鵜舟を入れたら、きっと此の様に篝火は見えないだろう(‥と、想像した句)
【解説】季語:うぶね=三夏 
(1)曲江:中国の漢の武帝が都・長安(現・中国陝西省西安)に作った池 / 水流が屈曲していたので此の名がある / 杜甫「曲江 二首」が著名 /
(2)梅餌(ばいじ(生没年不詳)):美濃国岐阜の人 /『あら野』に2句入句
 
313 (かも)の巣()の見えたりあるはかくれたり  路通(1)
 
【意】鴨等水鳥は葦や蒲等の間に巣を作るが、其の際、巣の片端を茎に固定して水量の増減で巣は上下する / 鴨の巣が、波間に浮遊上下して見え隠れしているヨ
【解説】季語:鴨の巣=三夏 / 此の句は、そんな鴨の巣が増水した湖の波の間に間に浮かんでいる様を詠んだ
(1)八十村路通(やそむら ろつう)(?-1738)(享年90)):八十村氏 / 別称:露通 / 近江大津の人 / 三井寺に生まれ、古典や仏典に精通 / 放浪行脚の乞食僧侶で詩人でもあった / 後年に還俗 / 貞亨2年春に蕉門に入門 / 貞亨5年頃より深川芭蕉庵近くに居住したらしい /『奥の細道』 では、当初芭蕉の同行者の予定であったが、曾良に変更されたが、理由は不明 / 代わりに、路通は敦賀で芭蕉を出迎え大垣まで同道、その後も芭蕉に同行を続け、元禄313日迄、京・大坂で生活を共にする / 芭蕉は陸奥へ旅立つ路通に「草枕まことの華見しても来よ」と説教をした餞の句を詠んでいる
 
314 松笠(まつかさ)の緑(みどり)を見たる夏野(なつの)(かな)  卜枝(1)
 
【意】松笠は、茶褐色になったもを普通見かけるが、夏季にまだ新しい緑色の松笠を見たヨ / 水らしい其れを見たという新鮮な気持ちを詠んだ
【解説】季語:夏野=三夏 
(1)卜枝(ぼくし(生没年不詳)):近江国の人 / 後に尾張国津島の蓮花寺に寓居していた伝わる / 貞門に入門後、蕉門に / 俳号は遠方とも /『あら野』などに入句
 
315 (にじ)の根()をかくす野中(のなか)の樗(あふち)(1)(かな)  鈍可(2)
 
【意】大空に虹がかかっている / 其の虹の根本の一方が、樗(オウチ)の緑樹に隠れている /「夏の大空」「虹の橋」「樗の緑色の大樹」と雄大で清々しい光景を描写した句
【解説】季語:樗(の花)=仲夏 
(1)あふち(おうち=樗):センダンとも言う /「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」でいの栴檀は白檀(ビャクダン)のことで此の「樗」とは異なる
(2)鈍可(どんか(生没年不詳)):尾張国の人 /『あら野』等に複数句入句
 
316 ()の花や泥(どろ)によごるゝ宵(よひ)の雨  同
 
【意】藺草の小さな白い花が、夕立に遭い泥はねを受けて汚れている /「泥に汚るる」とあり乍ら其の描写には不思議と不潔感がない句‥
【解説】季語:藺()の花=仲夏 
(1)藺:藺草(イグサ)のこと
 
317 撫子(なでしこ)や蒔繪(まきゑ)(かく)(ひと)をうらむらん  越人(1)
 
【意】清少納言「枕草子・百十二段」に「絵にかきおとりする物、なでしこ、さうぶ、さくら」とあるから、きっと撫子は蒔絵絵師を恨んでいることだろう / 上手に自分の姿を描いて貰えないから‥
【解説】季語:撫子(ナデシコ)=初秋 
(1)越智越人(おち えつじん(1656(明暦02)-1739(元文04(?)):江戸時代前期の俳諧師 / 別号:槿花翁(きんかおう) / 越後に生まれ、尾張国名古屋にて紺屋(こうや・こんや=染物屋)を営む / 1684(貞享元)年 芭蕉に会い蕉門に入門 / 尾張蕉門の重鎮で蕉門十哲の一人 / 1688(貞享05)年「更科紀行」の旅に同行 / 名古屋に縁のある越人の墓所は、浄土真宗本願寺派「転輪山長円寺(名古屋市中区栄二丁目4-23)」/ 墓石には「負山氏越人叟之墓」とある
 
318 (すさま)じや灯(ともしび)のこる夏(なつ)のあさ  藤羅(1)
 
【意】夏の夜は短い / いつも通りの量給油して置いたのだが、宵の内に灯した常夜灯の灯りが夜が明けても灯り続けている / 如何にも暑苦しく不快なことだ
【解説】季語:夏のあさ=三夏 
(1)藤羅(とうら(生没年不詳)):美濃国岐阜の人 /『あら野』に複数入句
 
319 夏の夜()やたき火に簾(すだれ)見ゆる里(さと)  且藁
 
【意】此の夏の夜に、篝火(かがりび)焚かれ、其の光に照らし出された辺りには、此の里には珍しい簾が見える / どうやら高貴な人が一晩仮泊に、警備の篝火の様だ
【解説】季語:夏の夜=三夏 
(1)杉田旦藁(すぎた たんこう(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 名古屋海老屋町にて商号「ゑびや」で菓子商を営む /『春の日』『あら野』『猿蓑』に入句
 
  庵の留主に
 
320 すびつ(1)さへすごきに夏の炭俵(すみだわら)  其角(2)
 
【意】貴兄の留守中の庵を訪ねたら、炭俵が積んであったを見つけた / 夏に炭櫃(すびつ=いろり)を見るだけでも凄いのに、炭俵迄積んであるとは‥「枕草子・二十二段」に「すさまじきもの、〔中略〕火おこさぬ炭櫃、地火炉((=)くゎろ=料理用いろり)。〔中略〕いとすさまじ(【意】興醒めするものに〔中略〕火が起こらない炭櫃や囲炉裏〔中略〕とても興醒めだ)」とあるが、其れより凄いヨ!
【解説】季語:夏=三夏 
(1)すびつ:炭櫃(すみびつ)のこと
(2)宝井其角(たからい きかく(寛文元年0717(1661.08.11)~宝永040229(1707.02.29))):江戸下町堀江町(=お玉が池説あり)に、近江国膳所藩御殿医者竹下東順の長男として生まれる / 医者を志す傍ら、文芸・四書五経等にも精通 / 延宝年間(1673-81)の初めの頃、父の紹介で蕉門に入門 / 長ずるに及び、蕉門第一の門弟となる / 早くから華街に足を踏み入れて、蕉門きっての放蕩児でもあった /「赤穂事件」では、浪士側に立って彼等を支援 / 芭蕉(1644-94)との関係も、ambivalentな面が多く、尊敬し合う関係と同時にrivalとしての感情も強く持ち合わせていた /「古池」の句の考案中、芭蕉は「蛙飛び込む水の音」と中七・座五は出来たが上五に苦心していた時、其れを其角に話すと、其角は即座に「山吹や」と付けたと言う芭蕉と其角の芸風の相違を良く表す逸話が残っている / 近江国出身の父親の影響もあり、其角は上方文化にも精通 / 屡々関西を訪問、其の際知り合った向井去来(1651-1704)を蕉門に誘うこともした / 上方旅行中に芭蕉の危篤を知り、江戸蕉門の中で唯一芭蕉の死に立ち会った / 彼自身も47歳の若さで早逝
 
【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第34回/第321句~330句〕をご紹介する。お楽しみに!
 
■続いては、0606()に、3箇月ぶりに名古屋へ歯科健診に行って来たついでに展覧を再開した美術館2つ、名都美術館と鞍ヶ池アートサロンの企画展も見て来たのでお伝えする。
 いつもの通り、今日の行動を時系列にご紹介していく。
 
0505分 起床→腹筋2000
0615 2.5kg木刀素振り60
0730分 入浴→朝食
0831分 拙宅発→一般道75 38km
0945分 浜松駅前の補聴器センターで補聴器のメンテ〔← 3密にならないように、面接場所は shield 越しに、互いにマスク着用〕
1005分 同所発→一般道3時間05 130/168㎞→
1310分 らあめん専門店『陣屋』着
 
【らあめん専門店『陣屋』】
 
[01]らあめん専門店『陣屋』 店の前にて

[02]同 店内入った所に置いてある alcohol 消毒液
                  
 ↑↑ counter table 席に座れない人は、店外で待つ=店内に入ると直ぐに着席出来、注文済のラーメンが23分で出て来る
[03]同 いつもの小生の超定番「味噌チャーシュー麵」!

[04]食後『陣屋』のあるオズモール界隈をbackに撮影
                  
 ↑↑閑散としたオズモール界隈
 
1340分 らあめん専門店『陣屋』発→一般道5 1.5km/169.5km
1400 N歯科医院にて歯科健診〔←入館する際に石鹸をつけての手洗いの後、検温(35.9C)を経て受診へ / 更に、診療台で「パルスオキシメータの check(95 : OK)(1)を受けて診療開始(← 検温、Pulse Oximeter の操作時間はいずれも12) / 院長以下全職員が face shield を着用〕
(1)【パルスオキシメーター(Pulse Oximeter)のコロナウィルス感染症への有効性】
 Silent Pneumonia(音なし肺炎)」の別名がある新型コロナウイルス感染症の場合、本人の自覚症状が然程ないのに急速に肺炎が進行する場合がある / 其の病状把握に、世界中で Pulse Oximeter の有効性が再認識されている。
 具体的には、急速な肺炎による「息苦しさ」は、動脈血中の酸素飽和度(SpO2)の低下が一因で、SpO2 Pulse Oximeter に拠り数値で客観的に評価可能 / 即ち、SpO2が【93%未満】をPCR検査の受診やトリアージ( Triage(= 患者の重症度に基づき、治療優先度を決定し選別すること))の一つの目安とされ、WHOでも数値93%を重症化懸念への指標としている。
(2)SpO2」は「O2= oxygen( 酸素 )」の「saturation( 飽和度 )」を「percutaneous( 経皮的 )」に測定する」という意味 / 日本語では「経皮的動脈血酸素飽和度」と言う
 
1430分 同所発→一般道30 13km/182.5km
 
【名都美術館『山口華楊、中路融人、岩倉壽/自然のぬくもりを描く』展】
 
[05]名都美術館 入口にて

↑↑写真撮影の際は、マスクを外すが、入館後はマスク着用にて観覧!/入館に際しては、alcohol 消毒と検温(36.3Cだった)も実施
[06]同 コロナウィルス感染症防疫
                  
↑↑シールド設置の受付・マスク着用して~全武装の受付の女性の皆さん
 ↑↑勿論、撮影の了解を頂いた上で撮影

[07]同 腰掛けには全て「ソーシャルディスタンス 2m⇔」の案内板が置いてある

[08]今回企画展『山口華楊、中路融人、岩倉壽/自然のぬくもりを描く』展leaflet
                  

 名都美術館は、0602()より、企画展を再開した。
 本企画展は、京都画壇で活躍した、山口華楊(やまぐちかよう(1899-1984))、中路融人(なかじ ゆうじん(1933-2017))、岩倉壽(いわくら ひさし(1936-2018))の芸術世界を紹介する展覧会。
 花と鳥、動物を題材に生命力あふれる作品を創出し、近代日本画に大きな軌跡を残した華楊。
 彼の愛弟子として精神を受け継ぎ乍ら近年相次いで他界した中路、岩倉の作品も併せて展示する。〔以上、本企画展leafletより引用〕
 
[09]山口華楊(やまぐち かよう(1899-1984))

 ↑↑1899年 京都の 友禅染職人の家に生まれる/1911年 西村五雲門下に/1916年 京都市立絵画専門学校別科入学/同年秋 第10回文展初入選/1919年 竹内栖鳳の画塾竹杖会へ/1942年 母校京都市立絵画専門学校教授/1971年 日本芸術院会員/1986年 文化勲章受賞/1984年 逝去
 
[10]中路融人(なかじ ゆうじん(1933-2017))
                  
 ↑↑1933年 京都生まれ(母の故郷 現・東近江市五箇荘木流(きながせ)町を幼少時よりよく訪れ、其の心象風景等が中路芸術の礎に)1962年 第5回新日展で『郷』が特選・白寿賞/爾来、日展、晨鳥社を核に受賞を重ねる/1997年 日本芸術院賞受賞、日展理事、晨鳥社会長就任/2001年 日本芸術院会員/2002年 日展常務理事/2012年 文化功労者/2017年 逝去
 
[11]岩倉壽(いわくら ひさし(1933-2017))

 ↑↑1936年 香川県三豊郡(現・三豊市)山本町生まれ/1955年 京都市立美術(現・京都市立芸術)大学美術学部日本画科入学/1958年 大学在学中、第1回新日展に『芭蕉』で初入選/1959年 大学卒業後、山口華楊の晨鳥社入塾、山口華楊門下に/1962年 母校京都市立美術(現・京都市立芸術)大学助手(‥になり、2002年 同大学教授を以て退官)1972&1976年日展特選/2006年 日本芸術院会員/2007年 日展常務理事/2018年 逝去
 
【山口華楊・中路融人・岩倉壽】
 
[12]山口華楊『制空』1944
                  
[13]同『仔鹿』1976

[14]同【仔馬】1978
                  
[15]同『原生』1981年〔名都美術館蔵〕


【小生comment
 小生、山口華楊の作品は、確かな技量に裏打ちされた美しい写実性に、動物の肌の温もりが伝わって来る作品が多く大好きだ。


 本企画展では、華楊の愛弟子二人の作品を纏めて紹介してくれているが、中路、岩倉二人の作品を纏めて見るのは今回が初めてだ。
 
[16]中路融人『湖東の夕映え』2007
                  
 ↑↑小生、本企画展の作品中、本作品が一番気に入った

[17]同『朝霧の川』2004

[18]同『新緑の山門』2007
                  
[19]岩倉壽『里』1978

[20]同『林間』1980
                  
[21]同『湿地』2009年頃


1540分 名都美術館発→44 23.5km/205km
1624分 鞍ヶ池アートサロン着
 
【鞍ヶ池アートサロン『日本近代洋画のあゆみ』展】
 
[22]トヨタ鞍ヶ池記念館前の鞍ヶ池アートサロン企画展leaflet前にて
                  
[23]鞍ヶ池アートサロン入口前にて

[24]鞍ヶ池アートサロン 本企画展leaflet
                  
[25]岡田三郎助『花の咲く風景』1920

[26]中村彝(つね)『卓上の花瓶』1923年頃
                  
[27]和田英作『カーネーション』1939

[28]「トヨダAA型乗用車」
                  
[29]「トヨペットクラウン(RS)
 

 鞍ヶ池アートサロンも、名都美術館と同様に0602日より企画展を再開した。
 そして、当初の本企画展開催期間0208()0524()が、~0628()迄延長されていた。
 当アートサロンも、まず、トヨタ鞍ヶ池記念館に入館すると、alcohol 消毒をする様になっていた。
 そして、鞍ヶ池アートサロンに入館すると、入口入った直ぐの所に受付嬢の席がある。
 其処は、四方が透明アクリル板の shield で囲われて、コロナウィルス感染症対策が為されていた。
 そして、いつもは、アンケートを記入すると、本企画展に展示されている作品から2品を present してくれていたのだが、今回はアンケートなしに入館者全員に本企画展2品に加え、「トヨペットクラウン(RS)」「トヨダAA型乗用車」の postcards 2枚も present してくれた。
 
1640分 トヨタ鞍ヶ池記念館発→一般道48 57km/262
1828分 帰宅〔走行距離計262km()
 
■翌0607日は、NHK朝の連続テレビ小説『エール』の舞台になった伊古部海岸傍にある「ささゆりの里」に行って来た。
 今が、ささゆりの満開の季節だからだ。
 しかし、ささゆり満開の season 且つ日曜日の昼下がりにも拘らず、満員だった昨年とは様変わりで来場者は34人と少なく実に閑散とした園内だった。
 
1504分 拙宅発→一般道29 16km
1533分 ささゆりの里着
 
【豊橋市伊古部町/ささゆりの里】
 
[30]「ささゆりの里」入口にて
                  
[31]園内にあった「潮騒の丘のささゆり 咲き満てりり/青涛」の句

[32]ささゆりの傍にて1
                  
[33]ささゆり1

[34]ささゆりの傍にて2
                  
[35]群生するささゆり

[36]「ささゆりの里」から伊古部海岸と太平洋を望む
                  
[37]「震災、鎮めの石碑」

[38]「同上」解説板
                  
 ↑↑1854(安政元)1104日と同月05日両日に亘る大地震は、magnitude 8.4 で、云い伝えによれば、津波の高さは29mに達したと云う。

[39]ささゆり2

[40]ささゆりの傍にて3
                  
[41]ささゆり3

[42]ささゆりの傍にて4
                  
[43]ささゆり4

[44]同上5
                  
[45]同上6
 

1556分「ささゆりの里」発→一般道36 15.5km
1632分 帰宅〔走行距離計 31.5km
 
【前書】「ささゆりの里」と言うと、今から3年前の20170609日に Facebook のお友達の S. Kimura さんが up した「笹百合の 細きうなじに 君をみる / 松代」の句(添付写真[43])に触発されて作った拙句が‥
 
  笹百合の 薄紅色に 君浮かぶ  悟空
 
[46]Facebookお友達が撮影したささゆりの里~「笹百合の 細きうなじに 君をみる / 松代」の句

[47]上記「松代」の句に触発されつくった拙句


■続いての話題は、松尾芭蕉『奥の細道』~松尾芭蕉の『奥の細道』の〔第1回【序】〕~をお届けする。
 今から19ヶ月程前の20180317()に『深川芭蕉庵関連史跡数か所と6つの美術館・企画展を見て来たうち、今回お届けするのは、以下の全行程のうちの【 】の処で撮影した写真4枚を1枚に纏めたものである。
 1. 森下駅→八名川公園→「深川神明宮」→「霊巌寺」→尾車部屋→「萬年橋」→ 「【深川・芭蕉庵跡】=芭蕉稲荷神社」→「正木稲荷神社」→「【芭蕉庵史跡展望公園】」→「江東区芭蕉記念館」
 
 [48]深川・芭蕉庵跡他にて
                  
 ↑↑[左上]芭蕉稲荷神社本殿横の「史跡/芭蕉庵跡」石碑前にて
 ↑↑[右上]深川芭蕉庵旧地の由来看板
 ↑↑[右下]芭蕉庵史跡展望庭園 の階段を登り 松尾芭蕉像 に会って満足している小生
 ↑↑[左下]奥の細道旅立参百年記念碑横にて
 
 さて今日 main の話題は、松尾芭蕉の『奥の細道』の〔第1回〕である。
 今から331年前の元禄二年三月二十七日(新暦16890516)から同年九月五日にかけて、松尾芭蕉は5歳下の門人 河合曾良と共に江戸を出立して奥羽・北陸を経て大垣に至る大旅行を行った。所要期間は実に5箇月余り。
 今年は、今回から芭蕉が大垣に到着した9月上旬迄の同じ期間をかけて、彼の代表作である『奥の細道』を時系列にご紹介しつつ、Facebook の皆さんと共に名句と旅情を楽しんでみたい。
 
【 松尾芭蕉の「奥のほそ道」の『序』】
 
 では、松尾芭蕉の「奥のほそ道」の『序』からご紹介したい。
 
《原文》

 【序】
 月日は百代(はくたい)の過客にして、行き交ふ年も又旅人なり。
 舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老(おい)をむかふる物(=者)は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
 古人も多く旅に死せるあり。
 予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(こうじょう)の破屋(はおく)に蜘(くも)の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立(たて)る霞の空に、白川(=白河)の関こえんと、そゞろ神(がみ)の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取(とる)もの手につかず、もゝ引(ひき)の破(やぶ)れをつゞり、笠の緒()(つけ)かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先(まず)心にかゝりて、住(すめ)る方(かた)は人に譲り、杉風(さんぷう=杉山三風)が別墅(べっしょ)に移るに、
 
  草の戸も 住替(すみかは)る代()ぞ ひなの家
 
 面(おもて)八句を庵の柱に懸置(かけおく)
 
《現代語訳》

 月日は永遠の旅客であり、道で行き交う人々もまた旅人である。
 舟の上に生涯を送る者も、馬の轡(くつわ)を取り老境に至る者も、毎日が旅であり、旅を住まいとしている。
 古人(いにしえびと)で旅先で亡くなった者も多い。
 私(=芭蕉)も、いつの年からか、ちぎれ雲の様に風に任せて彷徨(さまよ)い歩きたい思いが留まらず、先年は海辺の地方を流離(さまよ)ったし、去秋には隅田川河畔の茅屋(ぼうおく=あばら家)に帰り、蜘蛛の古巣を払っ(‥て暫く其処に落ち着い‥)た。漸く年も暮れて、春になって霞の立つ白河の関を越えようと、理由もなく神に取り憑かれ(‥た様に‥)狂おしく、道祖神の招きを受けている様で落ち着かず何も手につかない。其処で股引(ももひき)の破れを繕(つくろ)い、笠の紐を付け替えて、三里((さんり)=膝頭の下訳3寸の処にある灸点の一つ)にお灸をしたりして、旅支度に取り掛かっているうちに、松島の月はどんなんだろうと気に掛かって、住み家の庵(=茅屋)は人に譲り、杉山三風の別荘に移ったので(‥句を一つ‥)
 
 住んで棄てた草庵も、新しい人の代になって、〔‥今は弥生「桃の節句」の月であるから‥〕きっと華やかなるお雛様を飾っていることだろうよ
 
 この句を発句とした「表(おもて)八句」をつくり、庵の柱に懸けて置いた。
 
【後記】旧行秘書室時代の想い出から『19930324日:中日ドラゴンズ激励会に参加して』の写真をご紹介して今日は締め括ることとする。
 前《会報》にてお伝えした仙台支店時代から10年後、名古屋本部の秘書室時代での snap shots をご紹介する。
 写真は、19930324日 名古屋市内のホテルにて開催された、高木守道監督率いる中日ドラゴンズ激励会に旧行役員室の使いとして参加した時の模様。

[49] 19930324日:中日ドラゴンズ激励会に参加して

 ↑↑上の写真が、今回新たにご紹介する上の写真。左端が小生。其のすぐ右隣が【川又米利選手】、川又選手の右隣が【立浪和義選手】。但し、右端の人物が思い出せない‥()??
 ↑↑下の2枚のうち、高木監督と小生との two shot は、既に今年1月に高木守道氏が逝去された直後に Facebook に想い出として up したものである。

 此れ等のことも【今は昔の物語】‥‥忘却の彼方にあったのですが、昨日昔の album の中から偶然見つけました。
 
 では、また‥〔了〕

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