2020年1月19日日曜日

【時習26回3−7の会 0792】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から〔第10回/第81句~90句〕」「01月17日:『旧行同期会(53の会)新年会in名古屋・金山』に参加して」「01月18日:静岡市美術館『バルセロナ』展→静岡近代美術館『荻須高徳・熊谷守一』展→掛川市二の丸美術館『東京オリンピックの時代~昭和のArtとdesign』展→資生堂アートハウス『春を詠う、春に詠う=詩歌と愉しむ美術 日本画・洋画・工芸=』展を巡って見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0792】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第10回/第81句~90句〕」をご紹介する。

81 いざ行(ゆか)む雪見(ゆきみ)にころぶ所(ところ)まで  芭蕉
 
【意】さあ雪景色の見物に出かけよう / 雪に足を取られて転ぶ所‥、ずっと先迄(雪見に行くよ)
【解説】季語:雪見=冬 / 心浮き立つ雪見の宴への期待感を楽しく詠いあげた句
 此の句は、貞亨04123(16880106) 尾張国名古屋の門人夕道(=風月堂孫助)亭での雪見の席が初案 / 芭蕉
『真蹟懐紙』では‥
「書林風月と聞きしその名もや / さしく覚えて、しばし立ち寄りて休らふほどに、雪の降り出でければ
 いざ出(いで)む雪見にころぶ所まで / 丁卯臘月初、夕道何某に贈る」とある /
これとは別に‥
  いざさらば雪見にころぶ所まで (花摘)があり、此れが決定稿となった / 離別吟である
 『笈の小文』は第2稿である
 
82 竹の雪(ゆき)(おち)て夜()るなく雀(すずめ)かな  塵交(1)
 
【意】竹の葉に積った雪が平衡を失いが落ちた反動で枝は跳ね上がり竹林が一瞬騒然となる / 其処(=竹林)を塒(ねぐら)とする雀は、夜ではあるが驚きの鳴声をあげる
【解説】季語:雪=冬 / 此れ等の一件を作者は寝床で聴いている
(1)塵交(じんこう(生没年不詳)):尾張国の人 /『あら野』『春の日』等に入句
 
83 かさなるや雪のある山(やま)(ただ)の山  京 加生(1)
 
【意】遠景の高い山は雪を頂く一方、近景には雪が無く冬枯れの木の色を見せている山が重なる様に見える
【解説】季語:雪=冬 / 極めて絵画的な句である
(1)野沢凡兆・加生(のざわ ぼんちょう・かせい)(1640(?)-1714)):加賀国金沢の出身と伝わるも詳細不祥 / 元禄元(1688)年『笈の小文』の旅を終え在京の芭蕉会い、妻とめ(後、剃髪し羽紅尼)と共に蕉門に入門 / 元禄04(1691)年 芭蕉の命で向井去来と共に『猿蓑』の共撰者に / 俳号は、はじめ加生(かせい)、元禄4年頃より凡兆を名乗る / 越智越人が「洛の凡兆は剛毅なれば」(『猪の早太』)と評する如く、自我意識強い人物だった様で、既に元禄04年頃より芭蕉と距離を置き、終には離れた / 各務支考の『削かけの返事』に拠れば、岡田野水、越智越人が、凡兆を語らって芭蕉に八十村路通を讒訴し、芭蕉の不興を買ったとされる / 此の後、凡兆は罪に問われて投獄され、零落した晩年を過ごし、正徳04(1714)年春、大坂にて没したと伝わる / 写生派俳人として、現代俳句を確立した正岡子規や「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱した高濱虚子は凡兆の俳句を高く評価している
 
84 車道(くるまみち)雪なき冬のあした(1)(かな)  加賀 小春(2)
 
【意】冬の朝景色‥ / 遠景・近景共に辺り一面真っ白な銀世界が広がるが、其の中で車道(=大街道)だけは雪がなく、真っ黒な土の色をした一筋が続く
【解説】季語:雪=冬 / 絵画的な句である /
(1)冬のあした=冬の朝のこと
(2)亀田小春(かめだ しょうしゅん(?-元文05(1740)0204)):加賀国金沢の蕉門 / 薬種商人・宮竹屋 亀田伊右衛門 /『奥の細道』の旅で金沢を通過した折、芭蕉の門人となる
 
85 はつ雪を見てから顔(かほ)を洗(あらひ)けり  越人
 
【意】雨戸を開けて外を見れば、待ちかねた初雪が眼前に広がる / 暫く見惚れて我を忘れて眺めていたが、ふと我に却り顔を洗った
【解説】季語:はつ雪=冬 / ありふれた身辺雑事を詠んだ句だが、無駄がなく俳句の妙を巧く表現している
 
86 はつ雪に戸()(あけ)ぬ留守(るす)の庵(いほり)かな  是幸(1)
 
【意】外では初雪が降ったというのに、此の庵の扉は仕舞っている / 何と勿体ことだと思ったが、きっと此の庵主は不在なのであろう
【解説】季語:はつ雪=冬 /
(1)是幸(ぜこう(生没年不詳)):詳細不明
 
87ものかげのふらぬ(1)も雪の一(ひと)つ哉  松芳(2)
 
【意】雪が降り止()んだ後の一面白銀の、草木が何一つ動かない静寂な世界(=景色)も雪の魅力の一つだ
【解説】季語:雪=冬 /
(1)ふらぬ:「振らぬ」=動かないこと
(2)松芳(しょうほう(生没年不詳)):尾張国の人 /『阿羅野』に入句
 
88 くらき夜に物陰(ものかげ)見たり雪の隈(くま)  二水(1)
 
【意】昼間見ると平板に見える雪景色も、夜暗くなってから見れば意外と凹凸が有るもので、此れぞ雪の隈(=陰翳(いんえい))
【解説】季語:雪=冬 /
(1)二水(にすい(生没年不詳)):詳細不詳
 
89 雪降(ふり)て馬屋(うまや)にはい(=)る雀かな  鳧仙(1)
 
【意】急に雪に見舞われて塒(ねぐら)に帰れなくった雀たちが馬小屋に入っていった / 一晩其処で泊まるつもりかな/
【解説】季語:雪=冬 /「降る雪におのがねぐらを頼みてや軒に入りくる雀いろどき」(後西院)を踏まえる
(1)鳧仙(ふせん(生没年不詳)):詳細不明
 
90 (よる)の雪(ゆき)おとさぬやうに枝(えだ)()らん  岐阜 除風(1)
 
【意】夜になって雪が降り出した雪を、心行く迄間近で眺めたいものだと、庭木の枝に積った雪を其の儘折って来ようとする
【解説】季語:雪=冬 /「折りてみば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたわわにおける白露」(古今和歌集)の換骨奪胎
(1)除風(じょふう(?-宝永02(1705)0921(享年80))):尾張国鳴海の如意寺住職・文英和尚 /名古屋蕉門の一人 /『冬の日』同人
 
【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第11回/第91句~100句〕をご紹介する。お楽しみに!
 
■続いての話題は、一昨日の0117日 名古屋市金山駅前近くのホテル内居酒屋にて、恒例となっている、旧行時代の同期『53の会・新年会』に参加したことについてである。
 此の日は、25人が参加して旧交を温めた。
 
[01]参加者一覧1

[02]同上2
                  
[03]同上3

[04]全体写真1
                  
[05]同上2


【小生comment
 旧行時代の同期も、そろそろ皆完全引退の歳頃になって来た。
 皆の関心は、矢張り健康と、日々の暮らし方だ。
 楽しい2時間を過ごした。
 
■続いての話題は、昨日0118日 静岡市美術館『バルセロナ』展→静岡近代美術館『荻須高徳・熊谷守一』展→掛川市二の丸美術館『東京オリンピックの時代~昭和のArtdesign』展→資生堂アートハウス『春を詠う、春に詠う=詩歌と愉しむ美術 日本画・洋画・工芸=』展と静岡市と掛川市にある4つの美術館を巡って見てことについてご報告する。
 以下の行程にて巡って来た。
 
0445分 起床→腹筋2000回→
05452.5kg木刀素振り60分→
0650分 入浴→朝食
0735分 拙宅発→一般道115km 2時間25分→09:50静岡市美術館隣接駐車場着
1000分 静岡市美術館着
 
【静岡市美術館『奇跡の芸術都市 Barcelona』展】
 
 古来、地中海貿易の要所として栄えて来たスペイン・カタルーニャ自治州の州都バルセロナ。
 18世紀以降は、新大陸との貿易や産業革命に拠り経済的に発展し、19世紀末には、art nouveau等の同時代の芸術運動や、中世の様式らから影響を受けた「ムダルニズマ」と呼ばれる芸術様式が此の街に登場。建築では、アントニ・ガウディ(1852-1926)、画家ではラモン・カザス(1866-1932)やサンティアゴ・ルシニョール(1861-1931)等が此の時代にParisBarcelonaを往来し、最新の芸術様式を取り入れ、故郷の芸術に新たな可能性を見出そうとした。
 若き日のパブロ・ピカソ(1881-1973)やジュアン・ミロ(1893-1983)、サルバドール・ダリ(1904-89)が此の時代(19世紀末)から20世紀初頭に此の地Barcelonaで過ごし、独自の表現を模索し続けた。〔以上、本企画展leafletより引用〕
 
[06]静岡近代美術館が3階に入居する葵ビル1階にて
                  
[07]静岡近代美術館入口にて

[08]同美術館入口前の本企画展看板
                  
[09]本企画展leaflet()

[10]同上()
                  
[11]ジュアン・プラネッチャ『織工の娘』1882

[12]フランセスク・マスリエラ『1882年の冬』1882年頃
                  
[13]ジアン・リモーナ『読書』1891

[14]サンティアゴ・ルシニョル『青い中庭』1892年頃
                  
[15]ルマー・リベラ『夜会の後で』1894年頃

[16]ジュアキム・ミール『魅惑の入江~マジョルカ』1901
                  
[17]ラモン・カザス『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの室内』1890-91年頃

[18]同『入浴前』1894
                  
[19]同『影絵芝居のポスター』1897

[20]同『貞奴の肖像』1902
                  

【小生comment
 19世紀末~20世紀初頭のバルセロナに起こった芸術に焦点を当てた本企画展はなかなか興味深く見ることが出来た。
 ただ、同時代にParisに栄えた印象派・ポスト印象派の芸術活動や、ウィーンに栄えたグスタフ・クリムトの描く官能的で退廃的な絵画に代表される世紀末芸術に比べると少々迫力不足は否めなかった。
 
1038分 静岡市美術館発→一般道1.5km 5/累計116km
1045分 静岡近代美術館指定の近隣駐車場着
1050分 静岡近代美術館着
 
【静岡近代美術館『荻須高徳&熊谷守一』展】
 
[21]静岡近代美術館入口にて1

[22]同上2
                  
[23]和田英作(1874-1959)『早春』1930

[24]佐竹 徳(1897-1998)『陽の海』1964
                  
[25]向井潤吉(1901-95)『杏花村(北信森)』制作年不詳

[26]梅原龍三郎(1888-1986)『薔薇図』制作年不詳
                  
[27]小磯良平(1903-88)『女の顔』1940年頃

[28]小山敬三(1897-1987)『紅浅間』制作年不詳
                  
[29]マルク・シャガール(1887-1985)『黄色い花と夫婦』1958-60


【小生comment
 本企画展は、今回で3回目であるが、いいものは何回見てもいい。
 展示作品のpostcardsから気に入ったものを7枚ご紹介する。なかなかいいでしょ!
 
1130分 静岡近代美術館発→徒歩3 200m 累計117㎞→
1135分 駿府城坤(=未申(ひつじさる))櫓前着
 
[30]駿府城坤櫓前にて1
                  
[31]駿府城坤櫓1

[32]同上2
                  
[33]駿府城坤櫓前にて2

[34]同上3
                  

1145分 駿府城坤櫓前発→一般道50km 60/累計167km
1300分 掛川城近くの駐車場着
1310分 掛川市二の丸美術館着
 
【掛川市二の丸美術館『東京オリンピックの時代 かがやく昭和のアートとデザイン!!』展】
 
 1964年に開催された東京五輪はお茶の間のテレビで応援し、休日には自家用車に乗り家族でドライブ‥〔中略〕‥大人も子供も日々の生活を謳歌し、昨日よりも今日、今日よりも明日、希望に満ちた未来を描いた時代でした。〔以上、本企画展leafletより引用〕
 
[35]掛川市二の丸美術館入口にて(‥掛川城をbackに‥)1

[36]同上(‥掛川城をbackに‥)2
                  
[37]同上3

[38]本企画展leaflet()
                  
[39]同上()

【小生comment
 昭和時代の東京五輪は、1964(昭和39)1010日~24日の15日間開催された。
 開会式会場の国立競技場には世界の93の国と地域から5千人強の選手と7万人を超える観衆が集合してアジアで初の五輪が開催された。
 今から56年、半世紀以上前の一大eventだった。小生は、当時小学三年生だった。
 
1350分 掛川市二の丸美術館発→一般道3km 10分 累計170km
1355分 資生堂アートハウス駐車場着
1405分 資生堂アートハウス着
 
【資生堂アートハウス『春を詠う 春に詠う-詩歌と愉しむ美術 日本画・洋画・工芸』展】
 
[40]資生堂アートハウス入口にて1
                  
[41]同上2

[42]同上3
                  
[43]本企画展leaflet()/絵:上村松篁(1902-2001)『春静』1978

[44]同上()
                  
[45]中川一政(1893-1991)『椿』1966

[46]奥村土牛(1889-1990)『猫』1974
                  
[47]岩橋英遠(1903-99)『早春』1974

[48]上村松篁『青麦』1985
                  
[49]稗田一穂(1920- )『春雪隅田川』1986

[50]吉田善彦(1912-2001)『霧の山湖』1988
                  
[51]稗田一穂『春の宵』1990


【小生comment
 気品あり、色彩も鮮やかな「を詠う、昼に詠う」作品が満載の洗練された粋な企画展であった。
 
1432分 資生堂アートハウス駐車場発→一般道71.5km 1時間45分 計241.5km
1558分 帰宅 走行距離計241.5km〔了〕
 
【後記】今日は、最後に盛唐の詩人高適の「人日寄杜二拾遺」についてご紹介してお別れする。

[52]柳條弄色/梅花滿枝 をimageした画像
                  

 人日寄杜二拾遺 / 高適

人日題詩寄草堂
遙憐故人思故鄕
柳條弄色不忍見
梅花滿枝空斷腸
身在南蕃無所預
心懷百憂復千慮
今年人日空相憶
明年人日知何處
一臥東山三十春
豈知書劍老風塵
龍鐘還忝二千石
愧爾東西南北人
 
人日(じんじつ)(1) 杜二(とじ)(2)拾遺(しゅうい)(3)に寄()す/ 高適(4)
 
人日 詩を題して草堂(5)に寄す
(はる)かに憐(あわ)れむ 故人(こじん)(6)の故郷を思ふ

柳条(りゅうじょう)(7) (いろ)を弄(ろう)して(8)見みるに忍びず
梅花(ばいか) 枝に満ちて空しく断腸(9)

()は南蕃(なんばん)(10)に在()りて 預(あず)かる所(ところ)無く(11)
心に懐(おも)ふ 百憂(ひゃくゆう)()た千慮(せんりょ)(12)

今年(こんねん)人日 空しく相(あい)(おも)
明年(みょうねん)人日 知()んぬ何(いず)れの処(ところ)(13)

(ひと)たび東山(とうざん)に臥()して(14)三十春(さんじっしゅん)(15)
()に知()らんや 書剣(16) 風塵(17)に老()いんとは

竜鐘(りゅうしょう)(18)()た忝(かたじけ)なくす(19)二千石(にせんせき)(20)
()ず 爾(なんじ)(21) 東西南北の人(22)
 
(1)人日 … 陰暦正月七日
(2)杜二 … 杜甫。「二」は排行【注】
【注】排行(はいこう):中国に於ける人名の呼び方の一つ / 兄弟の長幼の順序に従い付けられた番号 /字と同様、諱を直接呼ぶことを避けた通称
(3)拾遺 …天子の過ちを諫める役の官名
(4)高適(?~765):盛唐の詩人 / 滄州渤海(山東省)出身 / 岑参(715-70)と共に辺塞詩人として並称される / 杜甫が長安から成都に移り住んだ時、彼を経済的に支援したのが、其の当時成都の長官だった高適で、波乱万丈な杜甫の生涯で最も安定した数年を過ごすことが出来た
(5)草堂:杜甫が住んでいた成都の「浣花(かんか)草堂」のこと
(6)故人:古くからの友人 / 杜甫のこと
(7)柳条:柳の枝
(8)弄色(色を弄して):此処では柳枝の新芽が出始めていること
(9)断腸:非常に悲しい様子
(10)南蕃:南方の異民族の地
(11)無所預:中央の政治に関与しない
(12)百憂・千慮:多くの心配事・色々考えること
(13)知何処(知んぬ何れの処ぞ):何処に居るのやら解らない /
【知】は下に疑問の言葉が来るので「知らず」の意となる。
(14)一臥東山((ひと)たび東山(とうざん)に臥()して):晋の謝安が会稽の東山に隠棲して悠々自適の生活を送ったという故事による
(15)三十春:30
(16)書剣:書物と剣 / 転じて「学問と武芸」
(17)風塵:俗事
(18)龍鐘:老いさらばえた様子
(19)(かたじ)けなくす:過分な地位や禄高を受けていること
(20)二千石:漢代、地方長官の禄高 / 後世、刺史・太守・知県等、地方長官をこう称する様になった
(21)愧爾(()ず 爾(なんじ))):君に対して恥ずかしい
(22)東西南北人(東西南北(とうざいなんぼく)の人):定まった住居を持たず、自由に各地を流浪する人 /『礼記』檀弓(だんぐう)上篇の孔子の言葉、「今丘や、東西南北の人なり(今丘也、東西南北之人也)」を踏まえる
 
【現代語訳】
 今日、正月人日(17)の節句に、此の詩を作り成都の浣花草堂に居る貴兄に贈る
 そして、旧友が故郷を思っているだろう其の心に遥か遠くから同情を寄せよう
 
 柳のしなやかな枝が、早春の美しい浅緑色を揺れ動かしているのも、憂いに満ちた心には見るに忍びず、
 梅の花が枝一杯に咲き誇っているのも、ただ腸(はらわた)がちぎれる様に哀しく感ぜられるばかりだ
 
 我が身は今南方の蕃国にあり、中央の政治に関わることもなく、
 心に抱くのは、多くの憂いと深い考えばかりだ
 
 今年の人日は、貴兄に会えなくてただ空しく貴兄のことを思っているだけだが、
 来年の人日には、お互いにいったい何処に居ることやら見当もつかない
 
 嘗て私は晋国の謝安の様に東山で悠々自適の日々を送ったが、あれからもう30年が経つ
 あの頃は思いもしなかった、私の学問も武芸も俗世間のしがらみの中に朽ちるとは‥
 
 老いさらばえて、私はまだ地方長官の地位を頂いている
 東西南北に自由に放浪している(無位無官の)貴兄に恥ずかしく思う
 
【小生comment
 高適は、時の権臣李輔国に中央を追われた後、上元元(760)年 蜀州刺史となった。一方、杜甫は、秦州で飢饉に遭い官職を捨てた後、流浪の末丁度此の頃成都郊外の草堂に住みついた。
 杜甫(712-70)は、74433歳の時、李白(701-62)と高適(?-765)3人で会っている。3人は意気投合。以来杜甫は、高適と生涯の親交を結ぶ。
 高適が予言した通り、明日のことは解らない。杜甫は、765年高適の急死に拠り、成都での安定した暮らしも5年弱で終わり、再び東西南北の人となり、77058年の生涯に幕を閉じた。

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