2019年7月26日金曜日

【時習26回3−7の会 0767】~『★【時習26回3-7の会】クラス会2019~開催のご案内 〔経過報告〕★ 関連』「松尾芭蕉:俳諧七部集『春の日』から〔第5回〕」「06月29日:小石川『伝通院』→上野『寛永寺・根本中堂』→『東京都美術館』→『国立新美術館』→『山種美術館』→『ザ・ミュージアム』→『宮本三郎記念美術館』→『損保ジャパン日本興亜美術館』→『中村屋サロン美術館』を巡ってから〔第4回〕」「07月21日:瀬戸市美術館『北川民次』展→『ポリャンスキー指揮/ロシア国立交響楽団演奏会』を聴いて」

★【時習26回3-7の会】クラス会2019~開催のご案内 ★
 前《会報》にて【2637の会】members の皆さん宛に、今夏のクラス会のご案内をしたら、金子君からmailを頂戴しましたのでご紹介します。

 2019/07/19 13:51
 今泉様
 ご無沙汰しています。
 相変わらず精力的に活動されていることに感服しています。
 また第三の社会人生活を開始されたとの事、おめでとうございます。
 
 さてクラス会の件ですが、8/7() 8/10()まで中国出張の予定で残念ながら参加できません。
 
 皆さんによろしくお伝えください。

   ※  ※  ※  ※  ※

 クラス会開催要領を前《会報》に以下に続き掲載します
       記
《 開催要領 》
1.開催日時:8月10日()18時30分~
2.開催場所:トライアゲイン
    住所:豊橋市駅前大通2丁目33-1 開発ビル地下1階
3.会費:4000円
4.連絡先:今泉悟の携帯電話 090########
5.参加の可否
  ・参加する ・不参加 ←いずれかを抹消してください
               以上

    ※  ※  ※  ※  ※

■皆さん、お変わりありませんか?  今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0767】号をお届けします。
 先ず最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第二集『春の日』から〔第5回/49句〜60句〕をお届けする。
 
49 旅衣あたまばかりを蚊()やかりて  羽笠
 
【意】夏の夜の粗末な旅宿の後継 / 旅人は衣服を着た儘、一つ借りた蚊帳に頭を差し入れて寝る /
【解説】初裏七 / 季語:蚊や=夏 / 前句を踏まえ、一つの蚊帳の中で一緒に寝る旅人の誰かの言葉に自分と同じ国訛りを聞く
 
50  萩(はぎ)ふみたを(=)す万日(まんにち)(1)のはら  野水
 
【意】野原の臨時の会場で万日回向が行われる / 混雑で萩野原も無残に踏み倒されている
【解説】初裏八 / 季語:萩=秋 / 前句の混雑を仏事の群衆とした
(1)万日:万日供養のことで、一日参詣すれば万日の功徳にあたると称して行ふ仏事の会式
 
51 里人(さとびと)に薦(こも)(1)を施(ほどこ)す秋の雨  越人
 
【意】(前句を受け)万日参詣の人々ににわか雨が降るかかる / 慌てて萩も踏み倒して騒ぐ里人に対して、此の里の信心深き有徳の人が、雨除けの薦(こも)を施し与える
【解説】初裏九 / 季語:秋の雨=秋 /
(1)(こも):イネ科マコモ属の多年草「マコモ(真菰(=別名:ハナガツミ))」で作る筵(むしろ)
 
[01]マコモ

52  月なき浪(なみ)に重石(おもし)(=)く橋  羽笠
 
【意】月も見えない暗夜 / 濁流が音を立てて流れる / 水嵩が増し橋が流される危険が迫ったので、村人総出で重石(おもし)の石を運ぶ /
【解説】初裏十 / 季語:月=秋 / 前句の「施す薦」は、急ぎ駆けつけて来た人々に村役が薦等を与える様子と見た
 
53 ころびたる木()の根()に花の鮎(あゆ)(1)とらん  野水
 
【意】岸辺にころがっている流木の根の辺りに若鮎がいそうだ /
【解説】初裏十一 / 季語:花の鮎=春 / 前句を出水に備えている橋と見て、以前の大水で流されて来たものであろうか、と木の根を出した
(1)花の鮎:若鮎のこと
 
54  諷(うたひ)(つく)せる春の湯の山  旦藁
 
【意】春先の山中の湯治場 / 長い逗留で大概の遊びには飽き果てて仕舞った /
【解説】初裏十二 / 季語:春=春 / 前句を散策の途中で見た川岸で、釣に良さそうな場所と思いついたとみて、付けた / 春の永日(えいじつ)の無聊(ぶりょう(=退屈(たいくつ)))さ、と付けた
 
55 のどけしや筑紫(つくし)の袂(たもと)伊勢の帯(おび)  越人
 
【意】人々の装いも、色々様々(=筑紫産の着物や伊勢の帯等、各地のモノをつけているの)である / 彼等は夫々に長閑(のどか)な春の一日を楽しんでいる /
【解説】名残表一 / 季語:のどけし=春 / 前句を絃歌(げんか(琵琶・琴・三味線等の弦楽器を弾き乍ら歌うこと))の賑わいとみて、其れに対して目に見える人々の華やかさ、として付けた
 
56  内侍(ないし)のえらぶ代々(よよ)の眉(まゆ)の図()  荷兮
 
【意】いざ婚儀となれば、化粧の仕方一つにも、古来の作法に従わねばならず、一々女官の指図を仰ぐのだ
【解説】名残表二 / 雑 / 恋 (眉の図) / 前句を禁中に入内を控えて、各地の衣装を様々に取り揃えたものとみる /
 
57 (もの)おもふ軍(いくさ)の中(うち)は片(かた)わきに  羽笠
 
【意】軍陣にあっては、男どもの側に近づくことも出来ず、事情は知らない乍らも、あれこれ物思いに小さな胸を痛めている /
【解説】名残表三 / 雑 / 恋 (物おもふ) / 高貴な殿方の戦陣に随従した姫宮等の面影として詠んだ
 
58  名をかち栗(ぐり)とぢゞ申(もうし)(あげ)  野水
 
【意】若い主君からは「ぢゞ」と呼ばれる男が、「此れは勝ちに繋がる『搗栗(かちぐり)』でござります」と側から言上して軍評定の一座を引き立てようとする /
【解説】名残表四 / 雑 / 前句を兎角意気の上がらない戦陣の様子と見て、其の折(おり)も側(そば)にじっと控えている老臣が、若い主君を補佐する様子を付けた /
 
59 大年(おほどし)は念仏(ねぶつ)となふる恵美酒(えびす)(だな)  旦藁
 
【意】商家の大晦日 / 前句は準備された正月の蓬莱飾り(1)の一々を、家に古くから仕える老番頭が若主人にまめまめしく丁寧に説明教えている様として詠んだ /
 付句は一年の無事を謝して、商い神 恵比寿様に対して唱えられた念仏を思わず唱える /
【解説】名残表五 / 季語:大年(おほどし)=冬 / 幸田露伴は「評釈 春の日」で次の様に述べている
「恵比寿棚は福神を祀る棚で、恵比寿はもとより商売繁盛を守る神で、毎年1020日は恵比寿講といって盛んに神をもてなし、大取引が行われることを擬して、賑やかに行うことが当時の商家の習いであった / 其の恵比寿棚に向かっても、万事がせわしない年越しの時にあたっては、10月の華やかさもなくなって、一寸念仏を唱えるだけになる / 念仏は物の終わりに唱えることが老人の癖にもある筈で、「あぁ、有り難い / 無難に年を迎えることが出来ました / 南無阿弥陀仏」等ということから此の句がある」
(1)蓬莱(ほうらい)飾り:新年の祝儀の一つ /
 三方(さんぽう)の盤の上に白米を盛り、熨斗鮑(のしあわび)、搗栗(かちぐり)、昆布、野老(ところ)(2)、馬尾藻(ほんだわら)、橙(だいだい)、海老(えび)等を飾ったもの /
 江戸では「食い積み」と言った
(2)野老(ところ):ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属の蔓性多年草の一群
 
60  ものごと無我(むが)によき隣(となり)(なり)  越人
 
【意】我家の隣人は、何事につけても私心のない人で、誠に得難い人物だ /
【解説】名残表六 / 雑 / 前句を念仏三昧の信心深い人とみて、其の様な隣人を得た吾が身の有り難さを思う /
 
【小生comment
 次回は、俳諧七部集『春の日』から〔第6回〕第61句~72句をご紹介する。お楽しみに!
 
■続いての話題は、「0629日:小石川『伝通院』→上野『寛永寺・根本中堂』→『東京都美術館』→『国立新美術館』→『山種美術館』→『ザ・ミュージアム』→『宮本三郎記念美術館』→『損保ジャパン日本興亜美術館』→『中村屋サロン美術館』を巡ってから〔第4回〕」の「渋谷『Bunkamura ザ・ミュージアム/《印象派への道/海運王の夢》〔バレル・コレクション〕展』→世田谷区美術館文館 宮本三郎記念美術館『花々と、女たちと』展」についてお伝えする。

【渋谷『Bunkamura ザ・ミュージアム/《印象派への道/海運王の夢》〔バレル・コレクション〕展』】
 此の企画展は、英国 Scotland Glasgow 出身で船舶売買で大成功し「海運王」と称されたウィリアム・バレル(William Burrell(1861-1958))が、1890年代~1920年代にかけて主に画商・アレクサンダー・リード(1854-1928)から作品を購入。
 1944年、Burrell collection のうち何千点もの作品を Glasgow 市に寄付。
 1983年「The Burrell collection」が開館。
 今回は、Glasgow Burrel collection の改装に伴い実現した希少な企画展である。

[02]Bunkamura 内 ザ・ミュージアムの本企画展案内の前にて
                  
[03]ザ・ミュージアム 本企画展 leaflet

  ザ・ミュージアムも、写真撮影可能な corner が沢山あった
 
[04]ウジェーヌ・ブーダン(1828.07.12-98.08.08)『ブリュッセルの船着場』1871
                  
[05]ウィリアム・マクタガート『満潮』2873

[06]ギュスターヴ・クールベ (:Gustave Courbet 1819.06.10-1877.12.31)『マドモアゼル・オーヴ・ラ・オルド』
                  
[07]ブーダン『トゥルーヴィルの海岸の皇后ウジェニー』1863

[08]ヤーコブ・マリス『ドルドレヒトの思い出』
                  
[09]ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(仏:Jean-Baptiste Camille Corot 1796.07.17-1875.02.22)『船舶(ル・アーヴルor オン・フルール)1830-40年頃

[10]ブーダン『トゥルーヴィル、干潮時の埠頭』1885-1890年頃
                  
[11]ブーダン『ドゥーヴィル、波止場』1891

[12]アンリ・シダネル(1862.08.07-1939.07.16)『月明かりの入江』1928
                  
[13]The Burrell Collection の解説

[14]William Burrell
                  
[15]ブーダン『トゥルーヴィルの海岸の皇后ヴジェニー』1863

[16]コロー『フォンテーヌブローの農家』1865-73年頃
                  
[17]ドービニー『ガイヤール城』1870-74年頃

[18]クールベ『リンゴ、洋ナシ、オレンジ』1871-72年頃
                  
[19]ドガ『リハーサル』1874年頃

[20]アンリ・ファンタン=ラトゥール『桃』1875
                  
[21]セザンヌ『倒れた果物籠』1877年頃

[22]アンリ・ファンタン=ラトゥール『春の花』1878
                  
[23]セザンヌ『エトワール山稜とビロン・デュ・ロワ峰』1878-79

[24]マネ『シャンパングラスの薔薇』1882
                  
[25]ブーダン『ドーヴィル・波止場』1891

[26]サミュエル・ジョン・ペブロー『薔薇』1900-05年頃
                  
[27]ルノワール『静物―コーヒーカップとみかん』1908

[28]アンリ・ル・シダネル『月明かりの入江』1928
                  
[29]Bunkamura から世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館迄の経路図1

[30]東急東横線へ通じる「渋谷駅」入口
                  
[31]Bunkamura から世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館迄の経路図2

[32]同上3
                  
【小生 comment
 矢張り印象派の絵画は素晴らしい。
 14時過ぎに「渋谷」駅から東急電鉄東横線に乗り「自由が丘」駅へ向かった。
 
1420分 自由が丘駅着→徒歩15分→
1437分 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館着
 
【世田谷区美術館文館/宮本三郎記念美術館『花々と、女たちと』展】
 本企画展は、leaflet に「宮本三郎が生涯を通じて追及した theme である"花々と、女たち"は、いずれも儚い命の光り輝く瞬間をとらえており、生命への讃歌が謳われています」と上手に表現されていた。
 洋画家・宮本三郎(1905.05.23-74.10.13)は、生涯に193810月~3909月と195205月~5303月の二度渡欧している。
 又、軍部からの命令で、194009月~の3か月間、194204月~の3か月間、194307月~と3回戦地に赴いている。
 
[33]宮本三郎記念美術館入口にて

[34]同館 本企画展 leaflet
                  
[35]宮本三郎『花と女』1932

[36]同『編み物』1945-48
                  
[37]同『青い背景』1960年頃

[38]同『イソベル』1963
                  
[39]同『歌手』1964年頃

[40]同『芥子と立藤』1967
                  
[41]同『画室の裸婦』1967年頃

[42]同『婦人像』1969
                  
[43]同『かいう』1967-71年頃

[44]同『生』1974
                  
【追補】
[45]同『山下、パーシバル両司令官会見図』1942

 昔、宮本三郎を初めて知ったのは、太平洋戦争初期、日本軍がシンガポールの英国軍を破り、山下奉文大将がパーシバル中将と会見した時を描いた絵だ。
 此の絵の制作について、「宮本三郎の仕事/その眼差しと時代」〔世田谷美術館刊〕に次ぎの様に記されている。
 因みに、山下・パーシバル両司令官の会見場所は、シンガポールのプキテマ叉路北方2㎞のフォード自動車工場。
 「19420215日に同地で行われた停戦会談『山下、パーシバル両司令官会見図』(1942)の制作も命じられ、其の取材の為にSingaporeにも40日間滞在している。
 宮本は、会見場のあったブキテマ高知のフォード自動車工場を取材し、更に山下奉文中将をはじめ、英国東洋最高司令官パーシバル中将、通訳ワイルド少佐等と面談し、其の姿をsketchしている」

1517分 宮本三郎記念美術館発→
1526分 「自由が丘」駅着
 
[46]東急東横線「自由が丘」駅入口
                  
[47]同上プラットホーム


1531分 自由が丘駅→東急東横線→渋谷駅→JR山手線→
1553分 JR新宿駅着→徒歩
1610分 損保ジャパンビル着
 
【小生 comment
 渋谷『Bunkamura ザ・ミュージアム/《印象派への道/海運王の夢》〔バレル・コレクション〕展も、世田谷区美術館文館/宮本三郎記念美術館『花々と、女たちと』展のいずれも大変いい企画展だった。

️0721()は、午後0100分から愛知県芸術劇場コンサートホールにて開催されたポリャンスキー指揮ロシア国立交響楽団演奏会があったので、折角だから‥と、其の前に瀬戸市美術館で開催中の『北川民次』展を見て来た。
 其の日の行程は以下通り。

0415分〜0600  腹筋2,000回、2.5kg木刀素振り60
0600  入浴と朝食
0715  参議院選挙投票へ
0730  拙宅発→一般道 68km 105分→
0915  瀬戸市美術館着
 
[48]瀬戸市美術館入口近くにて
                  
[49]同館内にて

[50]『没後30年 市民が愛した北川民次』展leaflet
                  
[51]北川民次『知識の勝利』1970

[52]同『勉学』1970
                  
[53]同『無知と英知』1970

[54]同『哺育』1965
                  
[55]同『二人の女の顔』1965

[56]同『シュプリぺディウム』1965
                  
[57]同『グロキシニア』1965


0955  瀬戸市美術館駐車場発→
 
 出発しようとした其の時 trouble に見舞われた。
 車の battery があがって仕舞い engine がかからないのだ。
 直ぐに車を買った豊橋の dealer の担当者に電話して、名古屋市名東区上社にある最寄りの dealer battery 交換の手筈を整えて貰うと共に、JAFに電話して battery 充電用の車を手配して貰った。
 JAFに電話したら、30分程で車を向かわせるとのことだったが、予告時間通りに来てくれて、充電の為の費用は「会員は無料」というのには驚きと共に感心した。
 今回JAFへは初めて電話したのだが、JAFの電話受付担当者の方の対応も丁寧で親切だった。
 JAF card は美術館の割引によく利用するので常備しているので助かった。
 会員番号を伝えたら、「JAF card を長年ご利用頂きましてありがとうございます」の言葉を貰った。
 小生、会員になって40年、年会費4,000円を払い続けて此れ迄一回も権利行使して来なかったが、受付担当の女性の方の此の一言に救われた気分になった。

1110  JAF到着→充電→
1130  瀬戸市美術館駐車場発→一般道11km 40分→


1210  名古屋市名東区上社の dealer
 
 Battery 交換の為に、預けた車を夕方に取りに来ることを約束して、今日の main event が開催される愛知県芸術劇場コンサートホールへ向かった。
 
1216  上社駅→地下鉄東山線→栄駅へ
1240  愛知県芸術劇場コンサートホール着
 
【ポリャンスキー指揮ロシア国立交響楽団演奏会】
 
[58]愛知県芸術劇場コンサートホール入口にて
                  
[59]本演奏会 leaflet

[60]本演奏会 program 表紙
                  
[61]同上 日本 tour schedule

[62]演奏会前の concert 会場1
                  
[63]演奏会後の concert 会場2

[64]本演奏会の Encore 曲目
                  

 演奏曲目のショスタコーヴィッチの交響曲第 5番「革命」とチャイコフスキーの交響曲第 6番「悲愴」の 2曲は名曲中の名曲だ。
 今日のポリャンスキーとロシア国立交響楽団の演奏はホント素晴らしかった。
 此れ等 2曲の後に演奏された Encore 曲 チャイコフスキー「四季」〜「10月 秋の歌」の Orchestra 編曲版も素晴らしい演奏だった。
 今日の演奏曲目全 3曲のいずれに対しても演奏終了後に指揮者ポリャンスキーと楽団員に送られた拍手はいつまでも鳴り止まなかった。
 ショスタコーヴィッチの交響曲第 5番の終(4)楽章の凄まじいばかりの高揚感と、チャイコフスキーの交響曲第 6番「悲愴」の第 3楽章の此れも気分が高鳴る climax と其れに続くまさしく悲愴な重々しくも美しい調べに魅せられ、最高にいい気分を満喫したひとときだった。
 
                   
 
 今日も雨が降りそうだったが、晴れ男の小生、降られずに済んだ。
 今日も感動的な演奏を聴くことが出来た素晴らしい matinée だった!
 
[65]愛知県芸術文化センター前にて

[66]オアシス21とテレビ塔を back に〔了〕
                  

【後記】次回の東京の美術館巡りの模様は、最終回の〔第5回〕『損保ジャパン日本興亜美術館』→『中村屋サロン美術館』についてお伝えする。
 お楽しみに!
  では、また‥〔了〕

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