2019年2月25日月曜日

【時習26回3-7の会 0745】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『猿蓑』を終えて次回の紹介」「02月09日:『有楽苑・如庵』→『犬山城』→『針綱神社』→一宮市三岸節子記念美術館『培広庵collection展/美人画』→名都美術館『所蔵品展/色いろいろ―日本画材の魅力にせまる―&小山硬―潜伏キリシタンを描く―』展→鞍ヶ池アートサロン『色彩と情熱の美~フォーヴィスムと日本近代洋画』展を巡って」「02月15日:【2637の会】峯田君と【628】西野君とのミニミニ同期会開催報告」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さて、今日も【時習26回3-7の会 0745】号をお届けします。
 昨日・一昨日の土日は所用が重なり、本《会報》を配信出来なかったので今日配信します。
 今回は、次号の《会報》からお届けする松尾芭蕉「俳諧七部集」の『猿蓑』続く作品について予告をお伝えする。
 松尾芭蕉の「俳諧七部集」とは、佐久間長利(柳居(1686-1748))1732(享保17)年頃に蕉門の代表的な撰集七部十二冊を編集したもの。
 七部とは以下のものを言う。
 
 第一集『冬の日(ふゆのひ)』俳諧の撰集〔1684(貞享元)年刊〕/
 尾張国名古屋:芭蕉・荷兮(かけい)・岡田野水(やすい)・加藤重五・坪井杜国・正平に拠る歌仙5巻と追加の表6句収録
 第二集『春の日(はるのひ)』同上〔1686(貞享03)年刊〕尾張のひとを連中とする『冬の日』の続編:/
 重五が庵・野水亭等に於ける歌仙、58句を修める / 中に芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」他2句を含む
 第三集『曠野(あらの)』同上〔1689(元禄享02)年刊〕/       
 蕉門:宗鑑・其角・杉風・去来・越人・荷兮・素堂他の発句735句 /
 芭蕉・荷兮・嵐雪・越人そ他の歌仙10巻を収録 / 発句は82冊、歌仙は員外と題した別冊に収録
 第四集『ひさご』同上〔1690(元禄享03)年刊〕浜田珍碩編の連句180句集
 第五集『猿蓑(さるみの)』同上〔1691(元禄享04)年刊〕/
 向井去来・野沢凡兆編の発句・連句集〔前《会報》迄でご紹介済〕
 第六集『続猿蓑』同上〔1698(元禄享11)年刊〕/
 沾圃(せんぽ)が撰したものに芭蕉と支考が加筆したとされる蕉門の連句・発句集
 第七集『炭俵(すみだわら)』同上〔1694(元禄享07)年刊〕/
 志太野坡・小泉孤屋・池田利牛編の共編に拠る発句・連句集
 
【小生comment
 次回からは、まず制作年代順に一番初期の『冬の日』から其の第1回をご紹介する。
 お楽しみに!
 
■続いての話題は、0209日に巡って来た史跡と美術館巡りについてである。
 其の日からの三連休は、家人が横浜に住む娘と孫2人に会いに行って来るということで、朝0610分に家を出て豊橋駅迄送って行った。
 小生、此の時間を有効に活用して、今日一日「犬山城天守閣」→「一宮市三岸節子記念美術館『美人画の雪月花』展&常設展『春を祝う』展」→「陣屋~昼食」→「名都美術館『所蔵品展/色のいろいろ』展&『小山硬-潜伏キリシタンを描く-』展」トヨタ鞍ヶ池記念館「鞍ヶ池アートサロン『色彩と情熱の美~フォーヴィスムと日本近代洋画~』展」を見て来たので、順次ご紹介する。
 
0613府 拙宅発一般道 111
0905分 有楽苑着

[01]有楽苑 案内看板

[02]有楽苑 入口にて
                  
[03]元庵 前にて1

[04]同上2
                  
[05]同上3

[06]元庵 解説
                  
[07]同上 情景1

[08]同上2
                  
[09]同上3

[10]待合 前にて
                  

 織田有楽斎(1547-1621)は、織田信長の実弟で、茶の湯の創成期に尾張国が生んだ大茶匠。
 彼は、晩年 京都 建仁寺の正伝院を隠棲の地としたが、其の境内に1618(元和04)年頃建てた茶室が『如庵』。
『如庵』は、大山崎妙喜庵『待庵』、大徳寺龍光院『密庵(みったん)』と並ぶ現存する【国宝】三庵の一つ。

[11]萱門

[12]【国宝】如庵
                  
[13]如庵前にて

[14]如庵内部1
                  
[15]同上2

[16]同上3
                  
[17]如庵 解説

[18]如庵 国宝指定書
                  
[19]【重文】旧正伝院書院 前にて

[20]同上にて
                  

0940分 如庵から徒歩で犬山城へ
0944分 路上に赤い椿が落ちていた
 
【前書】路上に落ちていた赤い椿を見て、河東碧梧桐 (1873-1937)の有名な「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」の句が浮かび、続いて次の拙句が浮かんだ
 因みに、赤い椿花の花言葉は「控えめな素晴らしさ」「謙虚な美徳」だそうだ。
 
  赤い椿に 君の気高さ 見つけたり    悟空

[21]路上の赤い椿花

[22]三光稲荷神社入口にて
                  
[23]猿田彦神社前にて1

[24]同上2
                  

0955分 犬山城天主閣着

 犬山城主の成瀬氏は、尾張国徳川家の御付家老(おつけがろう)五家の一つで3万石→35千石を領した。
 因みに、御付家老には、江戸幕府初期、御三家等の連枝(=一族)を大名とした際、将軍直命に拠り家老となった家臣で、尾張徳川藩の平岩・成瀬・竹腰・渡辺、石河(いしこ)や、紀伊徳川藩の安藤・水野・三浦・久野、水戸徳川藩の水野・中山の各家がある。
 明治維新後の188477日 華族令に拠り、公・侯・伯・子・男の5階級の貴族が、旧大名家は石高に拠り定められた。
 明治維新政府の成立母体藩主筋の島津・毛利、旧将軍家の徳川、其れに島津久光と徳川慶喜等が最高位の公爵、20万石超の尾張徳川家・紀伊徳川家・細川・黒田・池田・浅野・土佐山内・蜂須賀・越前松平等は侯爵、10万石以上は伯爵、1万石以上の旧大名家は子爵に叙せられた。
 余談だが、水戸徳川家も明治維新後 侯爵に叙爵されたが、同家第13代当主 徳川圀順(くにゆき(1886-1969))は、1929年 徳川光圀以来編纂を続けていた歴史書『大日本史』を完成させた功に拠り公爵に陞爵している。
 石高は1万石以上有した大藩の家老は、陪臣に当たる為、華族になれなかったが、旧江戸幕府の御付家老家は、例外的に男爵として華族に列した。
 成瀬氏は、明治維新後、男爵となり、1891年には子爵に陞爵している。
 犬山城は、国の史跡に指定され、現存する国の【重文】に指定されている12天守閣の1つで、姫路・松本・彦根・松江と共に5つある【国宝】天守閣でもある。
 又、犬山城は、2004年迄成瀬氏が個人所有していた城としでも有名である。

[25]犬山城天主閣をback

[26]犬山城天主閣
                  
[27]犬山城の歴史 解説板

[28]同上にて
                  
[29]犬山城内部1

[30]同上2
                  
[31]同上3

[32]天主閣最上階にて1
                  
[33]同上2

[34]針綱神社参道にあった子授守・安産の謂れ解説
                  
[35]針綱神社拝殿前にて1

[36]同上2
                  
[37]針綱神社 御守


1029分 有楽苑発一般道 27km 1時間
1128分 一宮市三岸節子記念美術館着
 
【『美人画の雪月花』展】
 本企画展では、日本有数の美人画 collection である培広庵(ばいこうあん) collection 70点が展示されている。
 人気の 上村松園 (1875-1949)、鏑木清方 (1878-1972)、伊東深水 (1898-1972)、伊藤小坡 (1877-1968)は勿論、梶原緋佐子(1896-1988)、勝田哲 (1896/1980)、菊池契月(1879-1955)、島成園(1892-1970)、寺島紫明(1892-1975)等、美人画展では常連の著名画家達の作品も当然あった。
 小生、本展で、鏑木清方門下で伊東深水の弟弟子の小早川清(1899-1948)、同じく昭和10年 伊東深水門下となった横尾芳月(1897-1990)の作品(添付写真[53]小早川清『名妓市丸』& [54]横尾芳月『立茶手前(屏風))はとても気に入った。
 本展は、日本の旧来の美人画に留まらず、近代美人画の逸品も紹介してくれていて面白く鑑賞させて貰った。

[38]一宮市三岸節子記念美術館 前にて1
                  
[39]同上2

[40]同美術館内 本企画展案内前にて
                  
[41]日本画家 作家の系譜

[42]本企画展 leaflet / 右側の絵は 山川秀峰(1898-1944)『素踊(屏風)1931
                  
[43]島 成園『つれづれ』昭和20年代

[44]上村松園『桜狩の図』昭和10年頃
                  
[45]勝田 哲『雨』昭和40年代

[46]寺島紫明『甲南夫人』昭和25年頃
                  
[47]島 成園『つづみ』大正03年頃

[48]同『化粧』大正04年頃
                  
[49]梶原緋佐子『待つ間』昭和40年代

[50]伊東小坡『観楓(かんぷう)美人の図』大正後期
                  
[51]鏑木清方『初雪』明治45年頃

[52]伊東深水『積雪』昭和15年頃
                  
[53]小早川清『名妓市丸』昭和08

[54]横尾芳月『立茶手前(屏風)』昭和10年頃
                  
[55]紺谷光俊『更衣』大正後期


【常設展『春を祝う』展】
 三岸節子は、横山大観(1868-1958)、竹内栖鳳(竹内栖鳳 (1864-1942)、藤島武二 (1867-1943)と共に昭和12年 第1回 文化勲章を受章した岡田三郎助 (1869-1939)に弟子入りしている。
 添付写真[55]岡田三郎助『三岸節子肖像』は三岸節子(1905.01.03-1999.04.18)がまだうら若き18歳の時、師の岡田の model になった作品だ。
 同じく添付写真[56]三岸節子『自画像』は彼女が20歳の時の作品だが、同[61]三岸節子1 をご覧の通り 彼女は当時かなりの美貌の持主だった。
 [57]三岸節子『自画像』は、いつも当美術館常設展 corner 正面に展示されていて来館者を迎えてくれる。
 小生、来館の度 此の絵を見ると不思議と癒される。
 其の可憐な女性画家である彼女が後年大胆な筆遣いで具象と抽象を見事に balance させて数多の傑作を創り出したことに不思議な gap を感じる。
 小生、彼女の作品は大好きで、当美術館にはもう十数回訪れている。
 
[56]岡田三郎助『三岸節子肖像』1923
                  
[57]三岸節子『自画像』1925

[58]同『花と魚』1952
                  
[59]同『貝谷八重子氏肖像画』1957

[60]同『飛ぶ鳥(火の山にて)1962
                  
[61]同『さいたさいたさくらがさいた』1998

[62]三岸節子1
                  
[63]同上2 1960年頃

[64]同上3
                  

1220分 一宮市三岸節子記念美術館発一般道 32 58
1318分 らあめん 陣屋 着
 
[65]らあめん 陣屋 入口にて

[66]定番 味噌チャーシュー麺
                  

1400分 らあめん 陣屋発一般道 700m 2
1405 N歯科医院 歯科健診
1435分 同医院発一般道14km 40
1515分 名都美術館着
 
[67]名都美術館入口にて

[68]本企画展leaflet
                  

 名都美術館『所蔵品展/色のいろいろ~日本画材の魅力に迫る~』『同時開催/小山硬~潜伏キリシタンを描く~』展

【所蔵品展/色のいろいろ~日本画材の魅力に迫る~】
 ご紹介した5人の名画は皆素晴らしい。
 小生、中でも[70]横山操『朱富士』が気に入っている。
 
[69]伊東深水『積雪』1945年頃

[70]横山操『朱富士』1965年頃
                  
[71]平山郁夫『高原の秋』1971

[72]同『永平寺の森』1972
                  
[73]加山又造『牡丹』1979

[74]田渕俊夫『越中冬景』1980
                  

【同時開催/小山硬~潜伏キリシタンを描く~】
 日本美術院の同人で、監事を務めている小山硬(おやま かたし(1934.11.02- ))氏は、小生、大好きな日本画家である。
 とてもいい企画展だった!!

[75]小山硬『天草(崎津協教会)1978

[76]同『慈光』1975
                  
[77]同『天草四郎時貞』1991

[78]同『おたあジュリア』1993
                  

1554分 名都美術館発一般道猿投グリーンロード東海環状→20 25
1620分 トヨタ鞍ヶ池記念館・鞍ヶ池アートサロン着
 
[79]トヨタ鞍ヶ池記念館(鞍ヶ池アートサロン)back

[80]同上内部にて
                  
[81]鞍ヶ池アートサロン入口にて

[82]本企画展leaflet
                  
[83]佐伯雄三(1898-1928)『洗濯屋』1925

[84]Maurice de Vlaminck(1876-1958)『花瓶の花』1930
                  
[85]Raoul Dufy(1877-1953)『パドック』1931

[86]鬼頭鍋三郎(1899-1982)『長春花』1960年代
                  

1648分 鞍ヶ池アートサロン発一般道 54 1時間50
1638分 帰宅〔了〕
 
■今日最後にお届けするのは、【2637の会】membersの峯田君からお誘いがあり去る0215()に【2-8】の classmate だった西野君【3-9】と3人で浜松駅近くの河豚屋『かん八』で一杯やった。
 気のおけない仲間達とのひとときは最高ですネッ‼️

[87]会場の「かん八」

[88]「かん八」入口にて峯田君
                  
[89]同上 小生

[90]しらうおのお通し
                  
[91]蛍烏賊の刺身

[92]河豚刺し
                  
[93]鰭酒

[94]河豚の寿司
                  
[95]峯田君と西野君と3人で1

[96]同上2
                  
[97]峯田君との two shot


 【後記】米国出身の日本文学者・日本学者 Donald Lawrence Keene (キーン ドナルド 鬼 怒鳴門(1922.06.18-2019.02.24)氏の訃報に接した。
 日本人以上に日本を愛し日本のことを知っている尊敬する方だった。

 彼の比較的近著 渡辺崋山 でもドナルド・キーンさんの凄い碩学ぶりを実感した。
 又一昔以上前に、彼がラジオ「まだ20代の若い時、マリア・カラス(Maria Callas(1923-1977))が歌う Bellini の歌劇『Norma』の アリア 「清き女神」を聴いて感動した!」と話されたことを聴いて小生強い共感を覚えたことを思い出した。
 心より哀悼の意を表したい〔合掌〕。

 マリア・カラスの歌うアリア 「清き女神」 YouTube で実際に聴いてみて下さい
 いい曲ですヨ( 135秒目からだと直ぐアリア 「清き女神」が聞けます )
 https://www.youtube.com/watch?v=ddTO1i9Rt6o此処をclickして下さい
 
[98]在りし日のドナルド・キーン氏
                  
[99]ドナルド・キーン著『渡辺崋山』

[100]往年のマリア・カラス
                  
[101]Bellini歌劇『ノルマ』のマリア・カラス


 では、また‥〔了〕

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