2024年9月16日月曜日

【時習26回3−7の会 1017】〜2024/05/12「時習26回生卒業50周年祝賀会から」29〜31 / 2024/09/09-11【今泉美術館の所蔵作品から‥】/ 2024/09/10 【亡祖父母と亡両親の墓に供花】/ 2024/09/10 & 2024/09/15 【亡祖父母と亡両親の墓に供花】/2024/09/14「松尾大社」→「車折神社」→「広隆寺」を巡って / 2024/09/10【毎朝拝む崇敬する十佛 & 毎朝晩読経している「魔訶般若波羅蜜多心経」「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」「舎利礼門」】

◼️我等時習26回生の卒業40周年記念祝賀会(2024/5/12)が終わって早いもので4ヵ月が経ちました . 今日は、其の祝賀会のクライマックス、参加者全員に拠る「校歌『わが時習館』」を動画(3分16秒)を撮り、LINE【時習26不老会】に upした中から、30枚の snap shots を新たに撮影し、9牧×2+12=30枚をご紹介するのでご高覧下さい .
【我等時習26回生の卒業40周年記念祝賀会〜校歌「わが時習館高」斉唱】1-2-3
.
【今泉美術館〔追補01-1〕】
[01][左上]瀬戸内の風景
[右上]東慶寺
[左下]フランスの地方の港
[右下]ベニスの堀裏
.
【今泉美術館〔追補01-2〕】
[02][左上]小学校校舎
[右上]静物画
[左下]ヴェネツィア風景
[右下]パリの街風景
.
. 上記8点のうち、絵画が趣味だった小生の亡父の作品が1点ある‥どの作品か分かりますか?
.
【今泉美術館〔追補01-3〕】
[03][左上]フィレンツェ近郊教会風景
[右上]中欧「国境の街」
[左下]静物画
[右下]『麦秋』収穫前風景
. ウクライナの国旗の様で感慨深く美しい❣️
.
◼️此の日(2024/09/11)からは、拙宅の【今泉美術館】〔追補〕2〜5を静物画を中心にご紹介する
.
【今泉美術館】〔追補2〕
[01][左上]山崎翠祥『薔薇図』
[右上]渡辺直人『林檎図』
[左下]三岸節子(1905.01.03-1999.04.18)『花』lithograph
[右下]堀文子 (1918.07.02-2019.02.05 )『名もない草たち』lithograph
.
【今泉美術館】〔追補3〕
[02][左上]バートン『花瓶の花』
[右上]伝 小倉遊亀『花に鳥』
[左下]中村登美『無窺花』
[右下]静物『柿』
.
【今泉美術館】〔追補4〕
[03][左上]宮川『椿花』
[右上]鈴木其一『花』木版画
[左下]岡島吉郎『花』1975年
[右下]池田秀郎『果物とランプ』
.
【今泉美術館】〔追補5〕
[04][左上]山口華楊 (1899.10.03-1984.03.16)『薔薇図』木版画
[右上]『ヴェネツィア』風景
[左下]『スペインの街』風景
[右下]加藤信子『信濃』
.
【今泉美術館】〔追補6〕
[05][左上]土屋光一『四ツ谷荒木横町』木版画
[右上]同『牛込神楽坂』木版画
[左下]川瀬巴水 (1883.05.18-1957.11.07)『時雨後』木版画
[右下]森緑翠『俤や姥ひとり泣く月の友』日本画
.
【今泉美術館】〔追補7〕
[06][左上]浜井慎吾『瀞峡』
[右上]相川昭二『奥入瀬の秋』
[左下]鈴木立海『尾道』
[右下]中西和雅『里の渡り鳥』2004年
.
【今泉美術館】〔追補8〕
[07][左上]黒沢久『河畔の街』
[右上]田辺栄次郎『ボーヌの町角』水彩画
[左下]日下部寛『フィレンツェ』
[右下]黒沢久『街角の風景』
.
◼️2024/09/14「松尾大社」→「車折神社」→「広隆寺」を巡って来たことについてご紹介する
.「広隆寺」は既に2回程訪れたことがあるが、「松尾大社」と「車折(くるまざき)神社」は、司馬遼太郎『街道をゆく26~嵯峨散歩、仙台石巻』を読んで知ってはいたが、未だ訪れたことがなかったので訪れてみた
.
03:45 起床→腹筋2,000回
04:30 2.5kg木刀素振り40分
05:10 入浴→支度
05:25 出発→マイカー→
05:47 JR豊橋駅駅発→東海道本線新快速大垣行き→
.
【JR豊橋駅→ JR大垣へ】
[01][左上]JR豊橋駅 platform にて
[右上]今日の旅行 の動機となった司馬遼太郎『街道をゆく嵯峨散歩、仙台・石巻』〜「松尾の大神」「車折神社」
[左下]今日使う切符「青空フリー切符(JR豊橋↔︎ JR米原)」「JR米原↔︎ JR京都」
[中下]今日の豊橋市と京都市の天候
. 今日も暑くなるなぁ
[右下]新調した「Rucksack」「日傘用折りたたみ雨傘」と今日使う御朱印帳
.
【JR大垣駅→ JR米原駅→ JR京都駅】
[02][左上]JR大垣駅 platform にて
[右上]JR米原駅 platform にて
[左下]JR米原駅→松尾大社迄の時刻表
[中下]Google 航空 map:松尾大社→渡月橋→車折神社への経路図
[右下]JR京都駅 platform にて
.
09:32 烏丸駅発→ 阪急京都本線特急大阪梅田ゆき→
.
【京都市営烏丸線 京都駅→ 同線 四条駅→阪急京都本線 烏丸駅→桂駅】
[03][左上]京都市営烏丸線 京都駅 platform にて
[右上]同線 四条駅 platform にて
[左下]阪急京都本線烏丸駅 platform にて
[中下]同線 桂駅 platform にて
[右下]阪急:嵐山線 桂駅 platform にて
.
09:46 松尾大社駅着
09:54 松尾大社着
.
【松尾大社】1
[04][左上]松尾大社駅 platform にて
[右上]松尾大社 一之鳥居 同所にて
[左下]同 本殿への道標
[中下]同 参道脇の水路風景
[右下]同 赤鳥居1
.
【松尾大社】2
[05][左上]松尾大社 赤鳥居2 同前にて
[右上]同「松尾大社全景」図
[左下]同「神幸祭神輿 川渡しの御船 駕輿丁船」解説板
[中下]同 楼門 同前1にて
[右下]同 同上2
.
【松尾大社】3
[06][左上]お酒の資料館 入口
[右上]同 入口を入った所にて
[左下]同「松尾の神はお酒の神様」
[中下]同「神様に捧げるお酒」
[右下]同「お酒の文化」~「角樽」「御神酒」
.
【松尾大社】4
[07][左上]松尾大社「松尾大社」解説板
[右上]同 拝殿1
[左下]同 同上2 同所を back に
[中下]同 同上3
[右下]同 神輿庫前に積まれた酒樽
. 松尾大社は、醸造「酒」の神様だけはある!「酒樽の山!」
.
【松尾大社】5
[08][左上]松尾大社 拝殿横から本殿を望む1
[右上]同 同上2 同所にて
[左下]同 相生の松1 同所を back に
[中下]同 同上2
[右下]同 同上3 同所にて
.
【松尾大社】6
[09][左上]松尾大社「松尾大社のカギカズラ野生地」解説板
[右上]同 本殿前風景1
[左下]同 同上2
[中下]同 本殿を望む
[右下]同 本殿前風景3
.
【松尾大社】7
[10][左上]松尾大社 神輿庫の酒樽の山1 同所を back に1
[右上]同 同上2
[左下]同 同上3 同所を back に2
[中下]同 入手した「白虎神籤」「恋みくじ」「神盃」「勝守」「松尾大社 leaflet」
[右下]同 白虎神籤と松尾大社 leaflet を手に
.
【松尾大社】8(完)
[11][左上]松尾大社「御朱印」「松尾大社 leaflet」
[右上]同 土産屋で購入した高級梅干し「楽梅」@248円×2個+奈良漬
[左下]同 同「お酒『花いちりん』「からし漬」「賀茂なすしば漬」
[中下]Google 航空 map:松尾大社→渡月橋への経路図
[右下]松尾大社 境内から赤鳥居を望む
. 「六世紀初頭における京都盆地の秦氏の力は、大和朝廷が援助を乞いたくなるまでに成熟していたと考えていい。」 . 「伝承によると、右の都里が、松尾山を神体山のままにとどめず、はじめて社殿を営んだ。
. 大宝元(七〇一)年のことだという。
. それから九十三年後、都がこの山城の地にうつってきた。
. 平安京、いまの京都が成立する。
. この遷都については秦氏の援助が大きかったといわれる。
. なにしろ秦氏の田園の上に都が建てられるのである。
. その上、建設の最高責任者(造宮大夫)の藤原小黒麻呂は、当時の秦氏の首長とおもわれる秦島麻呂の娘を妻にしていた。
. ときに桓武天皇の朝廷は財政が窮迫していたから、「秦サン、ヨロシク頼ムヨ」という、地元へのいわば依っかかりの姿勢が、桓武の朝廷にあったはずである。
. 長官の小黒麻呂と秦氏の娘を結婚させたのも、桓武天皇だったかもしれない。
. やがて京ができ、平安時代がはじまるのだが、その後、秦氏の存在は微々として顕れなくなる。吸いとられたとしかいいようがない。
. 遷都にあたり、朝廷は、秦氏の準氏神ともいうべき北の賀茂(上賀茂・下鴨神社)と西の松尾を平安京の守護神とした。考えてみると、いま秦氏の名残りといえばこれらのほかに、太秦の広隆寺と伏見の稲荷大社がある程度ではないか。」
—『街道をゆく26』司馬遼太郎著
.
11:39 渡月橋着
.
【渡月橋】1
[12][左上]路傍風景
. 民家の前を綺麗な水路の水が流れている‥
. 司馬遼太郎も、街道をゆく「嵯峨散歩~松尾の大神(松尾大社)」で以下の様に述べている‥
.「松ノ尾という山である。いまは松尾という。
. 山城国(京都盆地)と丹波国のさかいに大きな山塊がもりあがっていて、峰々が起伏している。
. この山塊を仮りに「愛宕山塊」とよんでもさしつかえあるまい。
. 北から南へ峰々がならび、北の愛宕山がもっとも高くて九二四メートル、小倉山が二九三メートル、嵐山が三八二メートル、さらに南にむかってひくくなり、わずかに降起する峰が、松尾山になっている。
. 山塊も松尾山までくれば、もはや里の山といっていい。
. 山のまわりの野は、秦氏によってもっともふるい時期から耕されていた。山のありがたさは、水をよく保つことにある。
.「山は、水だ」と、当時の農民はおもっていたにちがいない。
. げんに、松尾山は豊富に水を出す。谷々に湧水も多く、それらがまわりの水田をうるおしていた。
. もっとも、中世以後、松尾山の水を汲んで酒をつくるということが一般化して、意外にも酒の神になった。
. ここで、仮りに、「六世紀初期」という時間を設けたい。 . そのころは、松尾山はひたすら水田をうるおしつづけてくれる神であったであろう。
. 山が水を出すという機能のみでその山を神としたのか、となると、必ずしもそれのみではない。
. 山が神になるには、「かんなび(かむなび)やま」としての優美さをそなえていなければならない。
. この古語には漢字があてられて、神名備とか神南備、甘南備などと書く。
. 大和の三輪山や近江の三上山などの姿が、神であることにふさわしい。
. またその山容が、野からじかに見えなければならない。
. それらの条件に、大和の三輪山や山城の松尾山は典型といっていいほどに適っている。」
—『街道をゆく26』司馬遼太郎著
.
[右上]渡月橋付近から上流を望む1
[左下]同上2 同所にて
[中下]渡月橋 欄干にて
[右下]同 橋の中程から上流を望む
.
【渡月橋】2(完)
[13][左上]渡月橋 解説板
[右上]同「史蹟及名勝嵐山」石碑前にて
[左下]同「桂川」看板前にて
[中下]Google 航空 map:渡月橋→車折神社への経路図1
[右下]同:同上2
.
12:00 車折神社着
.
【車折神社】1
[14][左上]車折神社 社号柱前にて
[右上]同 水神社
.「「車折神社にでも行きますか」 と、編集部の藤谷宏樹氏にいったのは、この嵯峨散歩の最後をすこしあでやかに終りたいとおもったからである。
. 同時に、お好(たか)はんをおもいだしてもいた。
. お好はんは車折神社を「掛(か)け取(と)り」の神にしてしまっていたが、この神社はべつに遊芸のひとびとが信仰していて、板の玉垣なども朱色に塗られており、三味線の音でもきこえてきそうな感じがある。」
—『街道をゆく26』司馬遼太郎著
[左下]同 稲荷神社
[中下]同 解説板
[右下]同 芸能神社
.
【車折神社】2
[15][左上]車折神社 大鳥居超しに本殿を望む
[右上]同 大鳥居前の「お奨めの参拝手順」看板
[左下]同 大鳥居前の狛犬1
[中下]同 同上2
[右下]同 本殿1
.「祭神は平安後期の大学者清原頼業なのである。
. このあたりが、神道の奇抜さといえる。
. 平安時代は、いうまでもなく貴族の世襲の時代である。
. 学問についてもそれを受けもつべく義務づけられている下級公家の家が二軒あって、一軒が清原氏であり、他の一軒が中原氏だった。
. ただし中原氏はのち衰微し、清原氏だけが無難に学問の〝保管〟をつづけた。
. 朝廷の漢籍の保管をする役目でもあったから、図書館長をも兼ねた家でもあった。
. この家系で有名なのは平安初期の歌人で三十六歌仙に入っている清原元輔とその娘の清少納言である。
. その歴世のなかで学問がもっともよくできたのは、前記の清原頼業であった。かれは朝廷の文章局長ともいうべき大外記になり、また明経博士にもなった。」
—『街道をゆく26』司馬遼太郎著
.
《小生補足》清少納言の父で、三十六歌仙の清原元輔(908-990)と言えば、小倉百人一首「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」【意】誓い合ったよネ、互いの涙で濡れた袖を絞り乍ら‥。心変わりすれば波が越すという『末の松山』を波が越さない様に、私達の愛も決して変わりはしないと」を思い出す‥小生の「愛」も不変だ!
.
【車折神社】3
[16][左上]車折神社 本殿2
[右上]同 同上3
[左下]同 本殿前の「祈念神石」解説板
[中下]同 本殿を振り返って
[右下]同 御朱印と御守
.
【車折神社】4
[17][左上]車折神社 手水舎
[右上]同 境内風景
[左下]同 芸能神社を望む1
[中下]同 同上2
[右下]同 芸能神社 本殿1
.
13:17 広隆寺着
.
【車折神社5(完)→広隆寺1】
[18][左上]車折神社 芸能神社付近の御神籤舎
[右上]Google 航空 map:車折神社→広隆寺への経路図
[左下]広隆寺 参道脇の苔むした土塀
[中下]同「御朱印」「弥勒菩薩半跏思惟像(postcard)」「広隆寺 leaflet」
[右下]同「弥勒菩薩半跏思惟像(postcards)」
.
【広隆寺】2
[19][左上]同「弥勒菩薩半跏思惟像(postcards)」
[右上]同「広隆寺 leaflet」
[左下]同 境内の風景1 蓮
[中下]同 同上2
[右下]同 同上3 百日紅の花
.
【広隆寺】3(完)
[20][左上]Google 広隆寺→京福電気鉄道嵐山本線「太秦広隆寺」駅への経路図
[右上]広隆寺 楼門1 同前にて1
[左下]同 同上2 同上2
[中下]同 同上3
[右下]京福電気鉄道嵐山本線「太秦広隆寺」駅 platform
.
【京福電気鉄道「太秦広隆寺」駅の麵処「京富」】
[21][左上]京福電気鉄道「太秦広隆寺」駅の西側一郭にある「京富」1 同所にて注文した「冷やし狐蕎麦」
[右上]同 同上2 同所にて注文した「冷やし狐蕎麦」を食する
[左下]同 同上3 同所前にて
[中下]同 同上4
[右下]Google 航空 map:車折神社→広隆寺→太秦広隆寺駅→嵐電天神川駅への経路図
. 徒歩にて京福電気鉄道「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅前を経由して広隆寺、そして太秦広隆寺駅から嵐電天神川駅へ
.
【太秦広隆寺駅→JR山科駅】
[22][左上]京福電気鉄道「太秦広隆寺」駅へ入線して来た嵐山本線の電車
[右上]同「嵐電天神川」駅 platform にて
[左下]京都市営地下鉄「太秦天神川」駅 platform にて
[中下]JR山科駅 同駅前にて
[右下]同 同駅 platform にて
.
19:40 帰宅(了)
.
【JR山科駅→JR米原駅→JR豊橋駅】
[23][左上]JR山科駅→JR豊橋駅迄の時刻表
. 山科駅で、米原方面の新快速に乗る予定が数分前の近江舞子行きの新快速に誤って乗車し、次駅JR大津経駅でJR山科駅へ引き返して帰宅したため、30分ロスした
[右上]JR琵琶湖線「米原」駅 platform にて
[左下]JR東海道本線「米原」駅 platform にて
ss="separator" style="clear: both;">
[中下]JR豊橋駅 platform にて
[右下]此の日の 歩行距離 10.7km / 歩行歩数 13,927歩
.
【後記1】
. 此の日(2024/09/10)は、先週に続き金曜日から振り替えた週一回の平日公休日
. 先週4(水)と同様、光生会病院へ
. 先週の大腸癌経過検診に続き今日は年に一度の誕生月に行っている生活習慣病予防健診に行って来た
. 此の健診は、此の病院で前々勤務先時代から行なっているもので、丁度10年前の健診で大腸癌が見つかり、高校時代の同窓同期の金子君立ち合いで手術して現在も幸い癌の再発は見つかっていない
. 此の健診も、バリウムを飲むX線検査から、胃カメラに切り替えた
. 3年前の内視鏡検査は喉から飲み込んだが、昨年から鼻からにして楽になった
. 今回の胃の内視鏡検査も、10年前に大腸 polyp 検査で対応してくれた先生で、検車直後の講評の際、先生の方から、「もう10年が経つんですんネェ‥」そして、「胃の内部はとても綺麗で、これなら胃癌にはならないですネ。お酒が好きだと聞いていたので喉から食堂を確り見ましたが綺麗です。」と、喉から胃にかけては大丈夫のお墨付きを頂き安堵した
. 健診終了後、食品スーパー・サンヨネの花屋さんに立ち寄り生花を買い、祖父母と亡両親の墓前に備えた
.
2024/09/10【亡祖父母と亡両親の墓に供花】1
[01][左]亡祖父母と亡両親の墓に供花 同前にて
[右上]亡祖父母の墓前
[右下]亡両親の墓前
.
2024/09/15【亡祖父母と亡両親の墓に供花】1
[02][左]亡祖父母と亡両親の墓に供花
[右上]亡両親の墓前
[右下] 亡祖父母の墓前
.
【後記2】
.
【毎朝拝む崇敬する十一佛 & 毎朝晩読経している「魔訶般若波羅蜜多心経」「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」「舎利礼門」】
. 毎朝、崇敬し拝む十佛と「魔訶般若波羅蜜多心経」「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」「舎利礼門」
[03][左] 毎朝拝む、崇敬する十佛「談山神社『談峰如意輪観音像』」「泉涌寺『楊貴妃観音像』」「興福寺【国宝】『阿修羅像』」「向源寺【国宝】『十一面観世音像』」「安倍文殊院『文殊菩薩像』」「興福寺南円堂【国宝】『不空羂索観音像』」「円成寺【国宝】『大日如来像』」「中宮寺【国宝】『菩薩半跏像』」「飛鳥寺【重文】『釈迦如来坐像』」「醍醐寺【重文】「如意輪観音坐像』」「広隆寺【国宝】『弥勒菩薩半跏思惟像』」‥上から右から左へ
. 此の日(2024/09/15)から、広隆寺【国宝】『弥勒菩薩半跏思惟像』が加わり十一佛となった
[右上]「魔訶般若波羅蜜多心経」
[右中]「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」
[右下]「舎利礼門」
.
【小生 comment 】
. 今日(2024/09/15)は、一宮市に住む長男の孫(満5歳)が、LINEで敬老の日の祝いをしてくれた
.
.
【詞書】孫からの祝いを貰ひ詠る
.
. 孫からの敬老の日の祝いみて 改めて知る 老いの早さを 悟空(了)
.

0 件のコメント:

コメントを投稿