2021年1月11日月曜日

【時習26回3−7の会 0845】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から巻之七〔第63回/第611句~620句〕」「01月02日(土):佐屋街道「津島一里塚」→「津島神社」→「佐屋三里渡跡」→「木曽川、長良・揖斐川渡河」→旧東海道「桑名宿〔七里の渡跡〕」24km)を巡って」


■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0845】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第63回/巻之七~第611句~620句〕」をご紹介する。 

  
鎌倉建長寺(けんちゃうじ)(1)にまふでゝ(2)

(1)建長寺:臨済宗 / 鎌倉五山第一位
(2)まふで:正しくは「まうでゝ」

611 (おち)ばかく身()はつぶね(1)(とも)ならばやな  越人(2)

【意】建長寺境内は掃き清められ、身も心も厳粛な空気に打たれた気分だ / 今は落葉の季節 / 私も落葉かきする当寺の下僕の仕事でもさせて貰えないだろうか
【解説】季語:落ば(落葉)=三冬 /
(
1)つぶね:下僕のこと / 此処では建長寺の寺僕
(2)越智越人(1656-1739(?))北越の人 / 越智十蔵 / 別号:負山子、槿花翁など /『春の日』の連衆の一人、尾張蕉門の重鎮 /『更科紀行』に同行、其の儘江戸まで同道 / 一月後の作品『芭蕉庵十三夜』にも登場/『鵲尾冠』・『猫の耳』等 / 芭蕉は、越人に対して実に好感を持っていた /『笈の小文』で伊良子岬に隠れている杜国を尋ねた時にも越人が同行している

  
ある人(ひと)のもとより見()よやとて、落葉(おちば)を一籠(ひとかご)おくられて

612 あはれなる落葉(おちば)に焼(たく)くや島(しま)さより(1)  荷兮(2)

【意】美しい落葉の人籠をお贈り頂き有難うございます / 貴殿の地では落ち葉を焚いてそれでサヨリを焼くのですか?
【解説】季語:落葉=三冬 /
(
1)さより:ダツ目の海魚 / 全長40cm程 / 体形は細長く、下顎(あご)が長く突き出ている / 体色は背面が濃青色、腹面は銀白色 / 春先が旬で美味 / 樺太~台湾にかけて分布、汽水域にも現れる / ハリウオ / 但し、「島さより」は不明
(2)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保元年0825(享年69))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋蕉門の重鎮 / 後年、内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮のstanceは保守的で、芭蕉の唱導した俳諧革新、中でも「軽み」には迎合出来なかった / 離反前は、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂 /芭蕉が『更科紀行』出立に際しては、奴僕を提供する等、旅の安全も支援している

  古郷(こきやう)の事(こと)(おも)ひ出(いづ)る暁(あかつき)

6
13 たらちめ(1)暖甫(たんぽ)や冷(ひえ)ん鐘(かね)の聲(こゑ)  鼠彈(2)

【意】寒さ冷えむ早暁、遠くの寺から鐘の音が聞こえて来る / 故郷の母は、此の早朝をどの様に迎えていることだろう / 湯暖甫(たんぽ)もすっかり冷え込んだ此の寒い朝を‥
【解説】季語:暖甫(たんぽ)=三冬 /
(1)たらちめ(足乳女・垂乳女):生みの母親・母親
(2)鼠弾(そだん(生没年不詳)):尾張国名古屋浄土寺の僧侶 /『あら野』・『あら野後集』・『其袋』等に入句

614 (ほた)(1)の火に親子(おやこ)(あし)さす侘(わび)ね哉(かな)  去来(2)

【意】土間の囲炉裏端で親子がほたぎの燃える囲炉裏に仲良く足を差し出して眠り込んでいる / 貧しい山村の農家の一風景

【解説】季語:榾(ほた)=三冬 /
(1)(ほた):ほたぐい、ほたぎのこと / 囲炉裏などの燃料となる木の株や朽木 /
(2)向井去来:肥前国長崎に儒医向井玄升の次男として誕生 / 本名:向井平次郎 / 去来と芭蕉の出会いは、貞亨元年、上方旅行の途中に仲立ちする人 (京都生まれの江戸俳人和田蚊足<ぶんそく>)があって去来と其角がまず出会い、その其角の紹介で始まったとされている / 嵯峨野に別邸落柿舎を持ち、芭蕉は此処で『嵯峨日記』を執筆 /『猿蓑』同人 

615 ()や遠(とほ)う耳(みみ)やちかよるとしのくれ  西武(1)

【意】老境に達した年の暮 / 目は霞み遠目になる一方、耳は遠くなり何事も近寄って聴かなければ聞こえない/ 1666(寛文06)年 序俳諧洗濯物に出る句 /「丑の年を」と詞書 / 典型的な貞門俳諧
【解説】季語:としのくれ(年の暮)=暮 /
(1)山本西武(やまもと さいむ(1610(?)-1682.04.19(天和(てんな)020312(享年73))):山城国京の人 / 山本九郎左衛門 / 僧籍に入り西武を名乗る / 俳号も同一 / 別号:風外軒 /『あら野』に一句入句

616 ふるさとや臍(へそ=ほぞ)の緒()に泣(なく)(とし)の暮(くれ)  芭蕉

【意】いつものことだが、歳の暮は様々に徒(いたずら)に過ぎた月日を後悔することだ / 久しぶりに帰郷したが既に両親は亡く、自分の臍の緒だけが、両親を思い出す所縁として残っている / 改めて不孝にして無為の我が人生を恥じ入り涙するだけだ
【解説】季語:年の暮=暮 / 1687(貞享04)年暮、故郷、伊賀上野での作

617 さまざまの過(すぎ)しをおもふ年(とし)のくれ  除風(1)

【意】例年のことだが、「あんなことも、こんなこともあった」と、過ぎた月日を思い出すのが年の暮れだ
【解説】季語:年のくれ=暮 /
(1)除風(=如風(じょふう(1626(?)-1705.11.07(宝永020921(享年80))))):尾張国鳴海の如意寺住職/文英和尚 / 名古屋蕉門の一人 /『冬の日』同人

  
(おい)をまたづして鬢(びん)(さき)におとろふ

618 行年(ゆくとし)や親(おや)にしらがをかくしけり  越人

【意】まだ初老にも到らぬのに、早くも私の鬢には白髪が生えた / 両親が心配して老け込まない様に私の白髪のことは隠しておこう
【解説】季語:行年=暮 /

   恋

619 (はる)の野()に心(こころ)ある人(ひと)の素貌(すがほ)(かな)   伊勢 一有妻(1)

【意】早春の春遊びに興じる人々 / 中に素顔の美しい女性の姿もある / きっと「楊貴妃の姉、虢国(かくこく)夫人(?-756)が素貌(すがほ)の儘で天子の御前に出た」という故事を知っているからだろうか?
【解説】季語:春の野=三春 /「素貌」が恋の詞 / 此の句は、教養人である園女(そのめ)の素養の高さを窺わせる句
(1)伊勢 一有妻:園女(そのめ(1664(?)-1726.05.21(享保110420(享年63)))):女流俳人 /「一有妻」とも表記される / 一有(いちゆう)は夫の斯波一有で、渭川(いせん)の俳号を持つ医師 / 伊勢松坂の神官秦師貞の娘 / 美女で教養人の誉れが高かった / 後年大坂在住 / 1694(元禄07)年秋に芭蕉は大坂で「白菊の目に立て見る塵もなし」と詠んだ / 園女は夫の死後江戸に転居 / 剃髪し智鏡尼と称した /『菊の塵』編者 / 芭蕉は、1688(貞享05)年春、『笈の小文』の旅の途次、伊勢に立ち寄り、園女の夫一有に会い、その際、「暖簾の奥ものふかし北の梅」と詠み園女を賞賛

620 きぬぎぬ(1)や余()のことよりも時鳥(ほととぎす)  除風

【意】愛する人と一夜を明かして朝目覚めてみると、時鳥(ホトトギス)が渡ってゆく鳴き声が聞こえた / 其の時、恋をしたことをすっかり忘れ、ホトトギスの声を聞けた嬉しさに心が奪われて仕舞った自分がいた‥
【解説】季語:時鳥(ホトトギス)=三夏 /「きぬぎぬ」が恋の詞 /
(1)きぬぎぬ(衣衣・後朝):衣を重ねて共寝した男女が、翌朝、めいめいの着物を着て別れること / 又、其の朝のこと / 暁(あかつき)の別れ

【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第64回/巻之七~第621句~630句〕をご紹介する。お楽しみに!

■続いては、0102()に、佐屋街道「津島一里塚」→「津島神社」→「佐屋三里渡跡」→「木曽川、長良・揖斐川渡河」→旧東海道「桑名七里渡跡」を巡り歩いて来た模様についてお伝えする

0500分 起床→腹筋2,000回→
0545 2.5kg木刀素振り50
0635分 入浴→朝食→
0702分 拙宅発→一般道→音羽蒲郡IC→ 東名 →長島IC〔料金1,750円〕→1時間03 92㎞→
0805分 桑名七里の渡跡着
0817分 同所発→一般道700m

【桑名七里の渡跡】

[01][左上] 桑名七里の渡跡入口にて

[右上]東海道五拾三次 桑名七里の渡跡 解説板〔部分・拡大〕
[左下]同上〔全体〕
[中下]桑名七里の渡跡から水門統合管理所遠望
[右下]水門統合管理所 解説板

【水門統合管理所・桑名七里の渡跡・旧行桑名支店】

[02][左上]水門統合管理所前にて1

[右上]同上2
[左下]桑名七里の渡跡にて1
[中下]同上2
[右下]旧行桑名支店

0822分 桑名七里の渡公園駐車場着
0825分 同所発→一般道→徒歩23 1.3km
0848 JR桑名駅着
0902分 桑名→関西本線 普通・名古屋ゆき→
0910分 弥富駅着〔JR・名鉄相互乗入れ〕
0919分 弥富駅発→名鉄尾西線・豊明ゆき→

 JR桑名駅・弥富駅・名鉄津島駅】

[03][左上]JR桑名駅 駅前にて1

[右上]同 同上2
[左下] platform にて
[中下]弥富駅 platform にて
[右下]名鉄津島駅 platform にて

0930分 名鉄津島駅着
0941分 名鉄津島駅発→徒歩→
1005分 佐屋街道・津島一里塚着
1012分 同所発→徒歩→

【津島駅・旧行津島支店・津島一里塚→津島神社へ】

[04][左上]津島駅西口前の旧行津島支店をback

[左下]津島一里塚前にて1
[右上]同上2
[右中]津島一里塚→津島神社へのGoogle 航空 map
[右下]津島神社近くの民家

【津島神社】

 津島神社は、創建時の社名は「津島社」
 其の後、神仏習合の影響を受け、祭神を「牛頭天王」に改め「津島牛頭天王社」を経て、明治に神仏分離から「津島神社」に改称するも、今でも「津島の天王さま」親しまれている全国約3,000社ある「天王信仰の総本社」
 社伝に拠れば、540(欽明天皇元)年に西国対馬からの大神ご来臨が始まりとされ、其の後810(弘仁元)年に神階正一位と日本総社の号、一条天皇の正暦(990-995) 年間に天王の号を賜った
 御鎮座以来、織田信長、豊臣秀吉や尾張徳川家に庇護され現在に至る

[05][左上]津島神社参宮道石碑にて

[左下]同所の石碑と民家
 こういう昔日の日本の風景が堪らなくいい!
佐屋街道「津島一里塚」から「佐屋三里渡」へ向かう途次、「津島一里塚」から西方1.4kmに「津島神社」がある
[右上]津島神社 鳥居と楼門
[右中]同 楼門前にて1
[右下]同 同上2

1048分 津島神社着→
1102分 津島神社発→徒歩  3.5km
1155分 佐屋三里の渡跡着着

【津島神社→ 佐屋三里の渡跡へ】

[06][左上]津島神社 拝殿

[右上]同 南の鳥居にて
[左下]天王川公園水仙
[中下]天王川公園→佐屋三里の渡跡への Google 航空 map
[右下]同上 路傍の南天の実

【天王川公園→佐屋三里の渡跡】

[07][左上]佐屋三里の渡跡石碑にて1

[右上]同上2

 佐屋三里の渡跡の周辺は完全に陸地になっている
[左下]路傍の花1
[中下]同上2
[右下]同上3

【佐屋三里の渡跡→弥富へ】

[08][左上]佐屋三里の渡跡石碑1

[右上]同上2
[左下]路傍のススキ
[中下]佐屋三里の渡跡を発ち暫くして桑名七里の渡跡への Google 航空 map
[右下]路傍の水仙

1159分 佐屋三里の渡跡発→徒歩 52 6.4km
1351分 尾張大橋西詰着

【弥富→〔木曽川〕→尾張大橋西詰】

[09][左上]路傍の花

[左下]尾張大橋脇の木曽川河畔の薄の群生
[右上]尾張大橋の歩道
[右中]尾張大橋西詰の東海道石碑にて1
[右下]同上2

1357分 尾張大橋西詰発→徒歩 40 2.3km
1437分 伊勢大橋東着

【尾張大橋西詰→長良・揖斐川渡河】

[10][左上] 尾張大橋西詰の東海道石碑にて3

[右上]伊勢大橋東
[左下]伊勢大橋から伊吹山系遠望
[中下]伊勢大橋から南方の長良川河口堰遠望
[右下]伊勢大橋の上から桑名七里の渡跡迄の Google 航空 map

【伊勢大橋西詰から揖斐川河畔を南進】

[11][左上]揖斐川河畔にて 伊勢大橋を back 1

[右上]同 同上2
[左下]同 長良川河口堰を back
[中下]同 伊勢大橋
[右下]同 伊勢大橋を back 3

【揖斐川河畔にて】

[12][左上]揖斐川河畔にて1

[右上]同上2
[左下]揖斐川河畔の薄の群生
[中下]長良川河口堰
[右下]桑名七里の渡跡手前数百メートルからの  Google 航空 map

【広重『桑名七里渡口』・住吉神社・桑名七里の渡跡】

[13][左上]安藤(歌川)広重「東海道五拾三次【桑名】七里渡口」

[右上]桑名七里の渡跡手前の住吉神社にて1
[左下]同上2
[中下]住吉神社解説板
[右下]桑名七里の渡跡

【桑名七里の渡跡・總本家貝新・踏破距離&歩数】

[14][左上]桑名七里の渡跡石碑にて1

[右上]同上2
[左下]總本家貝新
[中下]總本家貝新にてお土産に買ったしぐれ蛤ほか
 桑名と言えば「焼き蛤」に代表されるが、總本家貝新の佃煮も美味しくて昔から有名だ
[右下]今日の 歩行距離 24km 同歩数 31,309

 桑名七里渡跡公園を0822分に出発して、同所に戻り車に乗ったのが16時過ぎだから、一日で小休止を含めてだが、7時間半歩いていたことになる
 多くの 初めてを見て行動出来、今日も充実した一日を過ごすことが出来た

1635分 總本家貝新発→一般道 2時間 100㎞→
1835分 帰宅〔走行距離計 194km()

【後記】今日は、歌川広重(初代)の「保永堂版 東海道五拾三次之内【桑名 七里渡口】」・同「隷書 東海道四十三【桑名】」と20210102日〔=正月二日〕に訪れた「現代の【桑名 七里の渡跡】」の今昔を見比べ、往時の桑名に思いを馳せ乍ら締め括ることにする

[15]歌川(安藤)広重(1797-1858)の【桑名】2枚の浮世絵と、今年正月二日に訪れた【桑名七里渡跡】


  今昔の 桑名の渡し けふ狗日(くじつ)() 悟空

()狗日(くじつ):正月二日のこと

 では、また‥〔了〕

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