2020年11月18日水曜日

【時習26回3−7の会 0838】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から巻之七〔第56回/第541句~550句〕」「11月01日:旧東海道五十三次~JR「新所原」駅「白須賀宿」「二川宿」JR「新所原駅」walking」「2007/12/02『湖東三山~西明寺』・永源寺・延暦寺・日吉大社・滋賀院門跡の想い出」「11月06日:旧東海道五十三次~「名電赤坂」駅「豊橋」駅 JR「二川」駅「二川宿」「吉田宿」「御油宿」「赤坂宿」「名電赤坂駅」walking」「11月08日:旧東海道五十三次一里塚~『舞坂』『新居』『白須賀』『一里山』『飯村』『下地』『伊奈』『御油』巡り」「11月11日:旧東海道五十三次~「藤川」駅「名電赤坂」駅「赤坂宿」「長沢一里塚」「藤川一里塚」「藤川宿」巡り」

 

■皆さん、お変わりありませんか?
 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0838】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第56回/巻之~第541句~550句〕」をご紹介する。

541 五月雨(さみだれ)にかくれぬものや瀬田(せた)の橋(はし)  芭蕉

 

【意降り続く五月雨に琵琶湖が増水し満々と水を湛え、瀬田川へ流れ出る / 河口の瀬田の橋は、濁流にかろうじて水面上に見えている

【解説】季語:五月雨仲夏 / 1688(貞亨05)年夏 /『笈の小文』の旅中、大津での嘱目吟 /

 

542 (みづうみ)の水(みづ)まさりけり五月雨(さつきあめ)  去来(注1)

 

【意】五月雨が降り続き、琵琶湖水嵩が嵩み満々と水を湛えている / 大湖の琵琶湖の水嵩増すとは五月雨の雨量の多さに改めて驚かされる

【解説】季語:五月雨(さつきあめ)仲夏 /

(注1)向井去来:肥前長崎に儒医向井玄升の次男として誕生 / 本名向井平次郎 / 去来と芭蕉の出会いは、貞亨元年、上方旅行の途中に仲立ちする人 (京都生まれの江戸俳人和田蚊足<ぶんそく>)があって去来と其角がまず出会い、その其角の紹介で始まったとされている / 嵯峨野に別邸落柿舎を持ち、芭蕉は此処で『嵯峨日記』を執筆 /『猿蓑』同人

 

543 (うし)もなし鳥羽(とば)(1)のあたりの五月雨(さつきあめ)  一髪(注2)

 

【意】「駒とめて袖うちはらうかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」(『新古今集』)と詠まれている通り、降り続く五月雨に難渋したので鳥羽街道沿いにある車借で借りて乗るべき牛馬が出払って一頭もいないヨ / 

【解説】季語:五月雨仲夏 /

(注1)鳥羽:京都南郊 / 鳥羽街道があり、車借等があった

(注2)一髪(いっぱつ(年不詳))美濃の人 /『あら野』に多数入句 / 人物について詳細不明

 

角田川(注1)

 

(注1)角田川(すみだがわ(=隅田川)):武蔵国下総両国の境界をなす歌枕 「名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(伊勢物語九段)による句づくり

 

544 いざのぼれ嵯峨(さが)の鮎(あゆ)(く)ひに都鳥(みやこどり)  貞室(注1)

 

【意】「名にしおはばいざ言問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(『伊勢物語』九段を踏まえ、貞室が江戸の友人を京都に招いた句 /嵯峨の鮎は大堰川を上る鮎のこと / 都鳥よ、折角都と名前がついているのだから、落成嵯峨の大堰川の鮎を食べに上洛しないか?

【解説】季語:鮎=三夏 

(注1)安原貞室(やすはら ていしつ(1610-73(寛文13年).02.07(享年64歳))江戸前期の俳人名は正章(まさあきら) / 一嚢軒・腐俳子など / 山城国京都の人で紙商 / 松永貞徳の高弟 / 松江重頼との論争は有名

 

545 みよしのはいかに秋立(あきたつ)(かひ)の音(おと)  破笠(注1)

 

【意】立秋の今日、法螺貝の音を聞く / 山伏達の吉野大峯への峰入りは七月七日 /「みよしのの山の秋風さよふけて」と歌われる吉野の地は、早くも来る秋に山の寂しさを深めているだろうか?

【解説】季語:秋立初秋 /

(注1)小川破笠(おがわ はりつ(1663-1747(延享04年06月3日(享年85歳))))伊勢の人 / 通称平助 /夢中庵・笠翁などは破笠の別号 / 漆芸家 /『あら野』・『続猿蓑』に入句

 

546 いざよひもまださらしなの郡(こほり)(かな)  芭蕉

 

【意】十六夜の今日もまだせめて郡の名だけでも同じ所に留まっている‥

【解説】季語:いざよひ仲秋 /1688年(貞享05年08月16日)信濃国更科にて中秋の名月を楽しんだ / 芭蕉は十六夜、立待の月と三夜連続で信濃の月を愛でていた様だ /「さらしな」には去らないの意が掛詞になっている説あり

 

547 夕月(ゆふづき)や杖(つゑ)に水(みづ)なぶる角田川(すみだがは)  越人(注1)

 

【意】流れの緩やかな隅田川に写る月を見ている本物の月と勘違いしそうだ / 杖で水面を叩月が揺れるのを見て改めて水に写った月だと分かる

【解説】季語:夕月仲秋 /越人は、『更科紀行』の旅を芭蕉と共にしてそのまま江戸に滞在して十三夜を迎えている

(注1)北越の人 / 越智十蔵 / 別号負山子、槿花翁など /『春の日』の連衆の一人、尾張蕉門の重鎮 /『更科紀行』に同行、其の儘江戸まで同道 / 一月後の作品『芭蕉庵十三夜』にも登場『鵲尾冠』・『猫の耳』等 / 芭蕉、越人に対して実に好感を持っていた /『笈の小文』で伊良子岬に隠れている杜国を尋ねた時にも越人が同行している

 

九月十三夜

 

548 唐土(からつち)に富士(ふじ)あらばけふの月(つき)もみよ  素堂(注1)

 

【意】もし中国に富士山があるのなら(九月)十三夜の月も有るだろうから、今日の名月を見て欲しい

【解説】季語:三秋 / 八月十五夜は中国渡来の文化だが、九月十三夜は日本が originalで、宇多天皇の時代に起源があると伝わる

(注1) 山口素堂(やまぐち そどう(寛永19年(1642)0505-享保元年(1716)08月15日(享年75歳)

 甲州白州巨摩郡教来石山口(現山梨県北杜市白州町の人と云われる / 甲府魚町で家業の酒造業を営んでいたが、向学心に燃え家督を弟に譲り江戸に出て、漢学を林春斎に学ぶ / 芭蕉とは2歳ほど年上だが、相互に兄弟の様な親交を結んだ / 儒学・書道・漢詩・能楽・和歌にも通じた 当時稀有な教養人

 

549 鴫突(しぎつき)(注1)の馬(うま)やり過(すご)鳥羽田(とばた)(注2)(かな)  胡及(注3)

 

【意】鳥羽田辺り街道でもあったから、馬の足音に騒ぎ出す鴫がいる / 猟師たちは馬をやり過ごしておいて水鳥の群れが静まるのを待って猟に入る

【解説】季語:鴫突三秋 /

(注1)鴫突(しぎつき):鴫猟をする猟師

(注2)鳥羽田(とばた)京田辺市にあった歌枕 / 此の辺りは湿地で鴫猟が盛んに行われた

(3)胡及(こきゅう(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 /『あら野』等に入句

 

550 鴫突は萱津(かやつ)(注1)のあまのむまご哉(かな)  淵支(注3)

 

【意】いま鴫突をしているあの者達は、萱津の海士達の子孫なのだろうが、代々殺生をして生きているのだ

【解説】季語:鴫突三秋 /

(注1)萱津(かやつ):尾張国(愛知県海部郡甚目寺町)の歌枕

(注2)むまご:は子孫のこと

(注3)淵支(えんし(生没年不詳))尾張の人 / 人物について詳細は不詳

 

【小生 comment

 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第57回/巻之七~第551句~560句〕をご紹介する。お楽しみに!

 

■続いては1101日()の午後、「新所原」→旧東海道「白須賀宿」→「二川宿」 walking 巡ったことについてお伝えする

 

 其の日は以下の通り行動した

 

12時30分 JR二川駅発→普通→

12時34分 JR新所原駅着→ 1時間43分 徒歩 5km→

14時17分 白須賀宿着

 

【新所原駅→白須賀宿】

 
[01][左上]JR二川駅南口にて

[左下]JR新所原駅南口にて

[右上]Google 航空 map 新所原駅→白須賀宿

[右中]道端にいた蟷螂

[右下]道端のススキ

 

【白須賀宿】

 
[02][左上]白須賀宿 夏目甕麿邸跡・加納諸平生誕地の石碑にて

[右上]白須賀宿→二川宿へのGoogle 航空 map →6km

[左下]白須賀宿風景1

[中下]同上2

[右下]白須賀宿 西端の境宿にて

 

【白須賀宿→二川宿への道にて】

 
[03][左上]白須賀宿・二川宿への標識

[右上]路傍の草

[左下]白須賀宿→二川宿への道にて

[中下]白須賀宿→二川宿への道端のセイタカアワダチソウの横にて

[右下]路傍の草花

 
[04][左上]白須賀宿→二川宿への道にて2

[左下]同上3

[右上]路傍の草2

[右中]路傍の草花2

[右下]同上3

 

[05][左上]路傍の民家の柿

[右上]路傍の草花4

 

【二川宿周辺の風景】

 

[05][左下]二川宿周辺の風景1
 [中下]同上2
 
[右下]同上3

 

【二川宿】

 

[06][左上]二川宿にて1

[右上]同上

[左下]同上

[中下]同上

[右下]同上

 

16時36分 二川宿本陣資料館着〔白須賀宿より6km 2時間19分〕

 
[07][左上]二川宿本陣資料館 案内看板

[左下]同 江戸時代の模様を模した人形

[右上]同所前にて

[右中]暮なずむ二川宿の家並

[右下]JR二川駅前にて

 

17時30分 帰宅〔了〕

 

続いての話題は、先日1017日に訪れた湖東三山「百済寺」「西明寺」「金剛輪寺」の模様について2020/11/04付《会報》【0835】にてお伝えした

 が、実は小生、今から13年前の2007年12月01-02日の二日間で、時習26回の中嶋君【3-2】と城址・社寺仏閣廻りをして来ている

 其の際折立ち寄った、「湖東三山『西明寺』『金剛輪寺』『百済寺』」と、「永源寺」「比叡山延暦寺『根本中堂』他」「日吉大社」「滋賀院門跡」、夫々の絶景の紅葉の模様をご紹介したい

 今回は、その中から「湖東三山『西明寺』」の絶景の紅葉の写真を、先日ご紹介した2020年10月17日の「湖東三山『西明寺』」の写真と一緒に交互にご高覧下さい

 

【湖東三山『西明寺』の2007年晩秋・初冬の絶景の紅葉と2020年10月17日の模様】

 

 今から13年前の「湖東三山『西明寺』『金剛輪寺』『百済寺』」はブームを迎えつつあった時だったが、ご覧の様に、掛け値なしの、此の世のものと思えないくらいの最高の美しさだった

 2007年12月01日の晩秋・初冬の『西明寺』の絶景の紅葉を心ゆくまで堪能して頂きたい !(^-^;/♪

 

[08]西明寺1


[09]同上2


[10]同上3


[11]同上4


[12]同上5


[13]同上6

 

【「『湖東三山』・永源寺・延暦寺・日吉大社・滋賀院門跡めぐり」】

 

2007年12月02日の行程は以下の通り

 

09時40分「須賀谷温泉」発 →

10時15分「八日市IC」 →

10時55分「大津IC」 → 

11時30分比叡山「延暦寺」 → 

13時05分「『旧大津京跡』記念碑」 → 

13時35分「日吉大社」 → 

14時00分「滋賀院門跡」 → 

15時50分「大津IC」 → 

18時05分「豊川IC」 → 

19時00分「帰宅」

 

 絶景の紅葉の風物詩、写真をご笑覧あれ!

 

[14]延暦寺1


[15]日吉大社の紅葉1

[16]同上2


[17]坂本「穴太衆積み」石垣と紅葉


[18]滋賀院門跡の紅葉1

[19]同上2

[20]日吉大社参道の紅葉

 

■続いての話題は、11月06日、休暇を貰い、旧東海道五十三次「二川宿」→「吉田宿」→「御油宿」→「赤坂宿」の25.6㎞を walking で踏破した模様をお伝えする

 

05時20分 起床→腹筋2,000回

06時30分 木刀の素振り60分

07時45分 入浴→朝食

08時45分 拙宅発→一般道2.5㎞→

09時05分 旧行豊橋支店にて諸届手続き

09時20分 同行駐車場発→30分 13km→

09時50分 名電赤坂駅南の駐車場着

10時12分 名電赤坂発→名鉄(普通)→

10時17分 名鉄国府駅着→乗り換え→名津特急→

10時26分 豊橋駅着

10時43分 JR豊橋駅→東海道本線(普通)→

10時48分 JR二川駅着

 

【名電赤坂→(名鉄)国府→(名鉄・JR)豊橋→(JR)二川】

 
[21][左上]名電赤坂南にて

[右上]名電赤坂駅 platformにて

[左下]名鉄・国府駅 platform

[中下]JR(名鉄)豊橋駅 platform

[右下]JR豊橋駅platform

 

【JR二川駅→吉田宿】

 

10時51分 JR二川駅発→旧東海道→徒歩 8km

11時26分 岩屋町字岩屋下2 を通過

11時57分 飯村町「飯村一里塚」着

12時11分 三ノ輪西交差点着

 此処から北東へ650m 8分で拙宅に立ち寄り、忘れていたスマホ用充電器等を手にいれた

 此処迄、JR二川駅から6.8㎞ 8,675歩 歩いて来た

12時39分 (拙宅発→)三ノ輪西交差点着

 

[22][左上]JR二川駅platform

[右上]JR二川駅北口前にて

[左下]旧東海道(岩屋町字岩屋下2)にて

[中下]飯村(いむれ)一里塚にて

[右下]路傍の花1

 

12時39分 三ノ輪西交差点発→徒歩→

12時59分 八町通五丁目交差点南着

13時07分 曲尺手門跡着

13時11分 呉服町着

13時18分 札木町50 旧東海道吉田宿本陣跡着

 

【吉田宿~東八町(八町通五丁目)交差点南→曲尺手(かねんて)→呉服町→吉田宿本陣跡(鰻屋「丸よ」)前へ】

 

 豊橋が、旧吉田藩時代城下町であったことの証である呼称の町名「鍛冶(かじ)町」「曲尺手(かねんて)町」「呉服町」「札木(ふだぎ)町(=「吉田藩本陣跡」所在地)」

 
[23][左上]豊橋市八町通五丁目交差点から鍛冶町へ

[右上]同所にて

[左下]史跡「曲尺手門跡」石碑にて

[中下] 旧東海道脇の「呉服町」の町名電柱看板

[右下] 吉田宿本陣跡(鰻屋「丸よ」前1

 

13時21分 旧東海道吉田宿本陣跡発→徒歩→

13時28分 上伝馬(かみでんま)町を通過

13時35分 上伝馬町の北、豊川南岸の「湊町」を通過

 

【吉田宿本陣跡(鰻屋「丸よ」)前→湊町へ】

 
[24][左上] 吉田宿本陣跡(鰻屋「丸よ」前2

[右上]鰻屋「丸よ」入口横に掲示されている「『べっぴん』語源発祥の地」解説板

[左下]「上伝馬町」を表記した電柱

[中下]「上伝馬町」に記された旧東海道の案内板

[右下]「上伝馬町」を北上し「湊町」に到り左折(西進)する所にて

 小生の背景に見える「旧東海道」案内 plate

 

【吉田宿本陣跡(鰻屋「丸よ」)前】

 

[25][左上] 旧東海道脇の「湊町」町名電柱看板

[右上]「湊神明社」の南、旧東海道脇の芭蕉の足跡を記す石碑1

「『松尾芭蕉吉田の宿の旅籠の記』貞享04年11月11日(1687年12月15日)芭蕉と(越智)越人が渥美の保美に杜國を訪ねる途次この地の旅籠にて夜明かした」

「『寒けれど二人旅寝ぞたのもしき』神明社」とある

[左下]同上2

「『ごを焼いて手拭(てぬぐい)あぶる寒さ哉』下地 聖眼寺」とある

[中下]同上3

 平成13年10月吉日「東海道五十三次宿駅制定400年記念」とある

[右下]旧東海道は此処「船町」交差点を右折(北進)して豊川を「とよばし」にて渡る

 

【とよばし→聖眼寺】

 

[26][左上]「とよばし」手前(南側)旧東海道脇に記された「旧東海道」看板

[右上]南岸より「とよばし」を見る

[左下]「とよばし」から北西へ「下地一里塚」を記したGoogle 航空 map

[中下]聖眼寺山門

[右下]聖眼寺山門横にある「松葉塚」

 

13時56分 聖眼寺発→

14時04分「下地一里塚着」

 

【聖眼寺→旧東海道「下地一里塚」】

 

[27][左上]聖眼寺境内にある「芭蕉句碑『こを焼て手拭あぶる寒さ哉』」

[右上]同上解説板

[左下]聖眼寺山門横にある「松葉塚」

[中下]「下地一里塚」にて

[右下]「下地一里塚」

 「江戸日本橋より74里(291km)」とある

 

14時06分「下地一里塚」発→徒歩→

 

【旧東海道「下地一里塚」→「伊奈一里塚」への道】1

 

[28][左上]旧東海道「下地一里塚」→「伊奈一里塚」への Google航空map

[右上]「下地」交差点

[左下]路傍の花2

[中下]同上3

[右下]路傍の薄とセイタカアワダチソウ1

 

15時11分「伊奈一里塚」着

15時14分 同所発

 

【旧東海道「下地一里塚」→「伊奈一里塚」への道】2

 

[29][左上]路傍の薄とセイタカアワダチソウ1

[右上]豊川放水路の風景

[左下]路傍の花4

[中下]旧東海道「伊奈一里塚」1

[右下]同上2

 

【旧東海道「伊奈一里塚」→「御油一里塚」への道】1

 

[30][左上]旧東海道「伊奈一里塚」→「御油一里塚」への Google航空map

[右上]佐奈川の畔にて

[左下]路傍の花5

[中下]同上6

[右下]路傍の小川の風景

 

16時20分 旧東海道「御油一里塚」着→

16時24分 同所発→

 

【旧東海道「伊奈一里塚」→「御油一里塚」への道】2

 

[31][左上]旧東海道「御油一里塚」傍にある→「大社神社」

[右上]「御油一里塚」にて1

[左下]同上2

[中下]「御油一里塚」→旧東海道「赤坂宿」への Google航空map

[右下]旧東海道沿いにある「イチビキ(味噌)」第一工場

 

16時45分 旧東海道「御油松並木」東端着

 

【旧東海道「御油松並木」→「関川(せきがわ)神社」】

 

[32][左上]旧東海道「御油松並木」東端にて1

[右上] 同上2

[左下] 同「同」西端にて2

[中下] 同上2

[右下]「関川神社」

 

17時05分 旧東海道「赤坂宿」着

17時22分 名電赤坂駅着

  踏破歩数33,418歩/25.6km

 

【「関川神社」→旧東海道「赤坂宿」】

 

[33][左上]関川神社「芭蕉『夏の月御油より出て赤坂や』句碑」にて

[右上]旧東海道「赤坂宿」紅里交差点

[左下]同「同」街並の図前にて1

[中下]同上2

[右下]「JR二川駅(二川宿)」→「吉田宿」→「御油宿」→「赤坂宿(名電赤坂駅)」

 

18時05分帰宅〔了〕

 

 今日も達成感ある walking だった

 帰宅してふと考えた、此れ迄3日間で「舞坂」「新居」「白須賀」「二川」「吉田」「伊奈」「御油」「赤坂」と8つの宿場を踏破したが、途中一里塚は、「舞坂」「新居」「飯村」「下地」「伊奈」「御油」を見たが、何処か足らないナ、と

 其処で調べてみたら、白須賀から下地の間の、「白須賀」「一里山(東細谷)」「二川」の一里塚を見過ごしたことに気が付いた

 折角だから、其の三つは明日車で行って着て来ることにした

 

 次の日は、以下の行程で、「舞坂〔江戸日本橋より68里〕」「新居(同69里)」「白須賀(同70里)」「一里山(東細谷) (同71里)」「二川(同72里)」「飯村(同73里)」「下地(同74里)」「伊奈(同75里)」「御油(同76里)」と漏れなく見て来た

 

10時53分 拙宅発→一般道 45分 30km→

11時38分 JR舞阪駅着

 

[34]旧東海道一里塚〔舞坂・新居・白須賀・一里山〕】

[35]【旧東海道一里塚〔飯村・下地・伊奈・御油〕】

 

14時44分 旧東海道「赤坂宿」着

 舞坂宿→赤坂宿〔自動車走行距離45㎞〕

15時15分 帰宅〔自動車走行距離計92㎞〕(了)

15時48分 名都美術館駐車場発→一般道2時間12分 78㎞/187㎞→

18時30分 帰宅〔走行距離計187㎞〕(了解)

 

■今日最後の話題である

 実は小生、65歳の年金受給資格を得た為、今月から現勤務先との雇用契約が変更となり、従来の週休二日制から週休三日制となった

 先週は11月06日(金)、今週は今日11日(水)、来週・再来週は17日(火)・27(金)が休日となった

 其処で、今日はいつもより2時間程ゆっくりと起床した

 

【名鉄「藤川」駅にて】

 

07時00分 腹筋2,000回

08時00分 2.5㎏木刀素振り60分

09時10分 入浴→朝食→

10時50分 拙宅発→一般道24㎞

11時35分 名鉄「藤川」駅駐車場着

12時01分 名鉄「藤川」駅発→普通@300円→

 

[36][左上]名鉄「藤川」駅 駅前にて1

[右上]同 同上2

[左下]同 同上3

[中下]同 platformにて

[右下]同 →「本宿」駅への Google 航空 map 

 

【名鉄「藤川」駅→「名電赤坂」駅→旧東海道「赤坂宿」】

 
[37][左上]名鉄「本宿」駅→名電「赤坂」駅への Google 航空 map

[右上]「名電赤坂駅」前にて

[左下]旧東海道「赤坂宿町並の図」にて1

[中下]同上2

[右下]名鉄「赤坂」駅→旧東海道「長沢一里塚」への Google 航空 map

 

【旧東海道「赤坂宿」→「長沢一里塚」】

 

12時53分 旧東海道「赤坂宿」発→旧東海道「長沢一里塚」へ

 

[38][左上]旧東海道「赤坂宿」→「長沢一里塚」への途上の「宮路山」案内

[右上]旧東海道「長沢一里塚」にて1

[左下]同上2

[中下]旧東海道「長沢一里塚」一里塚の裏面

[右下]同 同所→「本宿一里塚」への Google 航空 map

 

【旧東海道「長沢一里塚」→「本宿一里塚」】

 

[39][左上]旧東海道「本宿」東端の石碑にて

 [左下]同「これより西 本宿村」案内看板

 [右上]同 路傍のピラカンサ

 [右中]同「本宿の歴史と文化をたずねて」看板

 [右下]同 旧東海道と現在の国道一導線の案内石碑横にて

 

【旧東海道「本宿一里塚」】

 

[40][左上]旧東海道「本宿一里塚」一里塚にて1

 [右上]同 同上2

 [左下]同 →「藤川一里塚」への Google 航空 map

 [中下]旧東海道「本宿」「これより東 本宿村」案内看板

 [右下]同 →「藤川一里塚」途次の「山中八幡宮」案内看板の下:旧東海道(左)

 

【旧東海道「藤川宿」】1

 

[41][左上]旧東海道「藤川宿」「市場町格子造の屋並」看板

 [右上]同「市場町格子造の屋並」

 [左下]同「藤川宿」地名由来 解説板

 [中下]同「歌川豊広歌碑」解説板

 [右下]同 同所歌碑にて

 

【旧東海道「藤川宿」】1

 

[42][左上]旧東海道「藤川宿」「松尾芭蕉句碑」解説板

 [右上]同「同上」

 [左下]同「藤川宿一里塚」解説板

 [中下]同 同所にて1

 [右下]同 同上2

 

【旧東海道「赤坂宿」→「藤川宿」への walking 結果】

 

[43][]「赤坂宿」start時点での歩数と走行距離 3,500歩/2.7km

 []「赤坂宿→藤川宿」間踏破歩数 18,702歩 14.3〔∴15,202歩 11.6km〕km

 

15時44分 旧東海道「藤川宿」着〔了〕

 

では、また‥〔了〕

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