2020年3月30日月曜日

【時習26回3−7の会 0803】~「03月27日:【時習26回/四人会】開催報告」「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から〔第21回/第191句~200句〕」「03月20日:『長男の36歳の誕生日祝い』&03月21日:『孫たちとののんほいパーク』&03月22日:『孫たちとサンテパルクたはら』にて」「杜牧『江南春』・杜甫『曲江』~二首~其二」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0803】号をお届けします。
 今日最初の話題は、0327日に開催した【時習26回/四人会】についてである。
 其の日は、仕事を終え、一度帰宅した後、駅前の居酒屋にて【時習26回の四人会】を開催した。
 コロナ禍を意識したが、「逆説的にきっと来客数も少ないだろう」と思った通り、来客数は我々四人以外は、隣の女性四人組と男性一人だった。
 だから安心して楽しい同期生との二時間を過ごすことが出来た。
 花金でこんなに少ない客入りだから、飲食店は大変だろうなぁ‥
 
[01]林さん【3-7】と宮下君【3-4

[02]中嶋君【3-2】と小生
                  
[03]四人で乾杯1

[04]同上2
                  
[05]がらんとした居酒屋の店内

[06]閉会時に4人で店内にて記念撮影1
                  
[07]同上2

■続いての話題は、毎回お送りしている松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第21回/第191句~200句〕」をご紹介する。

191 さし柳(やなぎ)(1)たゞ直(すぐ)なるもおもしろし  一笑(2)

【意】柳の枝を一本地面に挿して挿し木をしている / 此の挿し木の柳は、嫋(たお)やかな柳と違い、無骨に突っ立っているだけだ / 其れが逆説的で面白い
【解説】季語:=柳=晩春 /
(1)さし柳:挿木の柳のこと
(2)小杉一笑(こすぎ いっしょう(1652-88.12.28(元禄01.12.06(享年36))):加賀国金沢の人 / 小杉味頼 / 通称:茶屋新七 / 貞門から1687(貞亨04)年頃より蕉門に入門 /『奥の細道』の途次、芭蕉は一笑の死を知り、金沢で追善句会を開催し、「塚も動け我が泣く声は秋の風」と彼の死を悼んだ

192 (しゃく)ばかりはやたは(=)みぬる(1)(やなぎ)(かな)  小春(2)

【意】柳が小枝を伸ばして、一尺ばかりになると、早くも撓(たわ)んでいる / 流石、柳は嫋(たお)やかだ
【解説】季語:柳=晩春 /
(1)たはみぬる:正しくは「撓(たわ)みぬる」/ 撓(たわ)んでいる
(2)亀田小春(かめだ しょうしゅん(?-元文05(1740)0204)):加賀国金沢の蕉門 / 薬種商人・宮竹屋 亀田伊右衛門 /『奥の細道』の旅で金沢を通過した折、芭蕉の門人となる

193 すがれすがれ柳(やなぎ)は風にとりつかむ  一笑

【意】さぁ、柳の枝にすがりついてみよう / そうすれば、其の儘風を掴まえることが出来るぞ
【解説】季語:柳=晩春 /

194 とりつきて筏(いかだ)をとむる柳(やなぎ)哉  昌碧(1)

【意】枝葉を沢山付けた柳の木が、其の枝先を水面すれすれ迄垂れている / 此れでは、川上から下って来た筏(いかだ)が水路の視界を遮(さえぎ)られた為止めざるを得ない / 恰も柳の枝葉が筏に纏い付いて筏を止めて仕舞ったかの様だ
【解説】季語:柳=晩春 /
(1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 貞享0411月『笈の小文』の旅の折、蕉門に入門 /『あら野』等に入句

195 (さは)れども髪(かみ)のゆがまぬ柳(やなぎ)哉  杏雨(1)

【意】柳の枝葉先が、そよ風に吹かれて軽やかに揺れている / 其の柳の枝葉先は柔いので、結ったばかりの女性の髪に触っても、其の髪形を壊すことはない
【解説】季語:柳=晩春 / 柳の枝は女性の髪に譬えられる
(1)杏雨(きょうう):美濃国岐阜の人 / 生没年不詳 /「あら野」に入句

196 みじかくて垣(かき)にのがるゝ柳(やなぎ)哉  此橋(1)

【意】路傍の垣の向こう側にある柳の木の枝葉が、垣根越しに道路側へ垂れている / 其の枝を一枝を折り取ろうと手を伸ばしたら、柳枝の丈が少し短いので、風に靡(なび)いて垣根の内側に入って仕舞った
【解説】季語:柳=晩春 /
(1)此橋(しきょう):詳細不詳

197 ふくかぜに牛(うし)のわきむく柳(やなぎ)哉  杏雨

【意】一陣の風に柳の枝が揺れて、柳の木の下にいる(or柳の木の下を歩いてゆく)牛の顔を撫()でる / 牛は鬱陶しそうに顔を背(そむ)けた
【解説】季語:柳=晩春 /「わきむく」という言葉に牛の鈍重さが感じられる

198 (ふく)風に鷹(たか)かたよするやなぎ哉  松芳(1)

【意】柳の下に繋(つな)がれた鷹か、柳の下にいる人(=鷹匠(?))の腕で羽を休めている鷹だろうか / さっと風が吹き、柳の枝が鷹の近くを横切ろうとするや否や、鷹はキッと身構えた / 流石に鷹だ、其の俊敏なこと!
【解説】季語:やなぎ=晩春 / 前句の牛の鈍重さとの対照性を強調して並べた
(1)松芳(しょうほう(生没年不詳)):尾張国の人 /『阿羅野』に7句入句

199 かぜふかぬ日()はわがなりの柳(やなぎ)哉  挍遊(1)

【意】風のない穏やかな春の日 / 柳は枝を垂れて微動だにしない / 風が吹くと融通無碍に風の吹かれる儘に枝を靡(なび)かせる時の柳の木とのギャップの大きさを、改めて感じた
【解説】季語:柳=晩春 /
(1)挍遊:詳細不詳

200 いそがしき野鍛冶(のかじ)をしらぬ柳(やなぎ)哉  荷兮(1)

【意】三国時代の魏の文人で、竹林の七賢人の一人、嵆康(けいこう(224-62(63))は、夏には柳の木陰で鍛治をしたと云う / 此の(句に登場する)田舎鍛冶屋は、そんな故事は知るまいが、柳の下で忙しそうに野鍛治をしている / 柳も、男の忙しさ等素知らぬ顔で悠然と風に揺れている
【解説】季語:柳=晩春 /
(1)山本荷兮(やまもと かけい((?)-1716.10.10(享保01.08.25(享年69))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 貞亨元(1684)年以来の尾張名古屋の蕉門の重鎮 / 後年、芭蕉と(とくに「軽み」等で)意見会わず蕉門から離れた / 元禄06(1693)11月出版の『曠野後集』で荷兮は、其の序文に幽斎・宗因等貞門俳諧を賞賛のcommentを掲載し、蕉門理論派・去来等から此れを強く非難されてもいる / 彼の蕉門時代の足跡に、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集編纂がある

【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第22回/第201句~210句〕をご紹介する。お楽しみに!

■続いての話題である。
 0320()は、一宮市に住んでいる長男家族と横浜市緑区長津田に住んでいる長女家族が遊びに遣って来て、長男36歳の誕生日を祝った。
 残念乍ら、次男坊は仕事の都合で来れなかった。

[08]拙宅での家族写真
                  
[09]長男の嫁と長男の次男坊

 翌0321()は、長男家族・長女家族と一緒に、豊橋市二川にあるのんほパークに行って来た。

[10]のんほいパークにて1
                  
[11]同上2

[12]同上3
                  
[13]0321()拙宅にて:長女の処の2人の孫

[14]同上 長男の次男1
                  
[15]同上2

 翌々日0322()は、同じく長男家族・長女家族と、田原市にあるサンテパルクたはらに行って来た

[16]田原市/白谷海浜公園にて:長女の長男()と次男坊を抱く長男()
                  
[17]サンテパルクたはら monumentにて

[18]同上 長男夫婦と孫たち(長女の長女も一緒に‥)
                  
[19]花壇をbackに・長女の長女

[20]花壇をbackに・小生
                  
[21]美しい花壇の花々1

[22]同上2
                  
[23]同上3

【小生 comment
 長男は一宮市、長女は横浜市に住んでいるので、なかなか会えないので、5人の孫の相手は大変だったが、ジィジの役目は果たせたかな?()

【後記】今日は、春に因んだ唐詩を二句ご紹介して締め括ることにする。

【杜牧『江南春』】

 此の処、前号で杜牧の『清明』、李白の『黄鶴楼送孟浩然之広陵』と唐詩の傑作をご紹介している。
 今日も、同じ杜牧の傑作『江南春』をご紹介する。
 この詩は、先日お伝えした通り、李白の『黄鶴楼送孟浩然之広陵』と共に高校の漢詩の授業で習った。

[24]杜牧『江南春』を image した画像
                  
(01)起句前半「千里鶯啼‥」を image した画像
(02)起句後半「‥緑映紅」&承句前半「水村山郭‥」を image した画像
(03)承句後半「‥酒旗風」を image した画像
(04)転句「南朝四百八十寺」を image した画像
(05)結句「多少楼台煙雨中」を image した画像
  ↑↑(01)から時計回りに(02)(03)(04)(05)の順

  江南春   杜牧(803-852)

 千里鶯啼緑映紅
 水村山郭酒旗風
 南朝四百八十寺
 多少楼台煙雨中

 千里鶯啼いて 緑 紅に映ず
 水村山郭 酒旗の風
 南朝 四百八十寺(はっしんじ)
 多少の楼台 煙雨の中(うち)

【意】
 広々と連なる平野を遥かに見渡すと、あちこちから鶯の啼き声が聞こえ、草木の新緑は紅の花に映える
 水辺の村や山沿いの村には酒屋の幟(のぼり)が春風に揺れている
 かつて栄えた南朝の古都である此処 金陵 には多くの寺院が建ち並んでいた
 今も残るその楼台が煙る様に降る春雨の中に霞んで見える

【杜甫(712-70)『曲江(1)』~二首~其二】

 杜甫の詩「曲江二首」より其二をお送りする

  曲江     二首 / 其二

 朝囘日日典春衣 / 毎日江頭尽醉帰
 酒債尋常行處有 / 人生七十【古】来【稀】
 穿花蛺蝶深深見 / 點水蜻蜓款款飛
 傳語風光共流轉 / 暫時相賞莫相違

[25]杜甫『曲江』を image した画像

(01)「毎日江頭尽醉帰」を image した画像
(02)「人生七十古来稀」を image した画像
(03)「穿花蛺蝶深深見」を image した画像
(04)「點水蜻蜓款款飛」を image した画像
(05)「傳語風光共流轉」を image した画像
   ↑↑写真は、左上[01]から時計回りに(02)(03)(04)(05)の順

 朝(2)より回(かえ)りて日日(ひび)春衣(しゅんい)を典(てん)(3)し / 毎日 江頭(こうとう)(4)に酔(よい)を尽(つく)して帰る
 酒債(しゅさい)(5)は尋常(じんじょう) ()く処(ところ)に有り / 人生(じんせい)七十(しちじゅう)古来(こらい)(まれ)なり
 花を穿(うが)(6)蛺蝶(きょうちょう)(7) 深深(しんしん)(9)として見()え / 水に点ずる蜻蜓(せいてい) (10) 款款(かんかん) (11)として飛ぶ
 伝語(でんご)す 風光 共に流転(るてん)して / 暫時 相賞(あいしょう)して相違(あいたが)うこと莫(なか)れと

《意》
 朝廷の勤めを終えると毎日/\春の衣服を質に入れ / 曲江の畔の酒屋で酔ってから帰る
 酒代のツケは、普段行く処、あちこちの店に溜まっている / どうせ昔から七十歳迄生きた者はめったにいないのだ
 花の蜜を吸うアゲハ蝶は奥深い処に見え / 水面に尾をつけているトンボは緩(ゆる)やか飛んでいる
 移い行く此の風景に言づけよう、私と共に流れて行こうと!/ 暫くの間お互いに賞して、互いに背き合うことがないように、と

《語句》
(1)曲江:長安市中にある池 / (2)朝:朝廷 / (3)典:質入れする
(4)江頭:曲江の畔(ほとり) (5)酒債:酒代のツケ
(6)花を穿(うが)つ:花の間に入り込む / (7)蛺蝶(きょうちょう):アゲハ蝶
(8)水に点ずる:水に尾をつける / (9)深深:奥深い様
(10)蜻蜓(せいてい):トンボ / (11)款款(かんかん):ゆるやかな様子

【小生 comment
 758(乾元元)年 杜甫47歳の作 / 左拾遺(さしゅうい:唐代に於いて、位は高くないが、皇帝に直言して失政を諫める職掌)だった杜甫は、皇帝粛宗を諫言した房琯(ぼうかん)を弁護した為、粛宗から疎まれ、此の詩を作った後暫くして左遷された / 其の後、杜甫は成都に落ち着く迄の数年間、流浪の旅に出ることになる。
 杜甫は、此の詩を作成した時は、粛宗に諫言した後で、皇帝から疎まれ、鬱々とした毎日を酒で癒し、「どうせ70歳迄は生きられない人生だ」と decadence な雰囲気であったことが読み取れる。
 頸聯の2句「穿花蛺蝶深深見 / 點水蜻蜓款款飛」は、晩春の情景が深い味わいを醸し出していて、とてもいい。
 「深々と花の間に体を埋め蜜を吸うアゲハチョウ」と「ゆるやかに飛びゆく蜻蛉(トンボ)」は、「時の流れの表象」である。
 だから杜甫は、「風光共流轉(私と共に流れて行こう)」と呼び掛けているのだ。
 因みに、【古稀】の語は、此の「人生七十【古】来【稀】〔人生七十 古来 稀(まれ)なり〕」に由来することは皆さんもよくご存知だと思う。

 では、また‥〔了〕
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