今日最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集『春の日』から〔最終(第19)回/冬~ 1句 &「芭蕉翁を宿し侍りて」4句 &「芭蕉翁をおくりてかへる時」1句 &「隠士にかりなる室をもうけて」1句~〕をご紹介したい。
冬
01(166)
馬(うま)はぬれ牛(うし)ハ夕日(ゆふひ)の村(むら)しぐれ 杜國(注1)
【意】急ぎ足で駆けていく時雨
/ 馬は早足である為雨足と同じ速度で走っていくことから確り濡れて仕舞うが、牛は歩みが遅い為に雨足に追い越されるのであまり濡れずにすむ / 其の牛は、時雨が止んだ夕映えの中をゆうゆうと進んでいく
【解説】季語:村しぐれ=初冬
/ ―(注1)杜國:坪井杜國((?)-1690.04.26(元禄03年03月20日)/本名:坪井庄兵衛 / 尾張国名古屋の蕉門有力者の一人 / 芭蕉が特に目を掛けた門人の一人で、杜國と師 芭蕉には男色説がある / 杜國は名古屋御薗町町代を務め、米穀商の豪商であったが、幕府禁止の空米売買の詐欺罪(=延取引)に問われ、1685(貞亨02)年8月 領国追放となり三河国渥美郡畠村に流刑となり、以後晩年迄の数年を同じく渥美郡保美村に隠棲 / 同地では、南彦左衛門、俳号野人又は野仁と称し、此処にいた時、芭蕉と共に『笈の小文』の旅をした /
一説では、杜国は以前作った、「蓬莱や御国のかざり檜木山(ひのきやま)」の句が、尾張藩を讃えていると、2代藩主徳川光友の記憶にあった為、死罪から罪一等減じられ領国追放になったと云われる / 杜國は、元禄03年02月20日、34歳の若さで保美にて死去 / 田原市福江町隣江山・潮音寺に墓がある
芭蕉翁(ばせうをう)を宿(やど)し侍(はべ)りて
02(167)
霜(しも)寒(さむ)き旅寝(たびに)に蚊屋(かや)を着(き)せ申(まうし) 大垣住 如行(注1)
【意】(芭蕉翁を迎えて‥)、霜の降りて寒い此の冬の夜、せめて寒さを防ぐ為に布団をかけて差し上げたいが、貧家故に其れも叶わず、夏の蚊帳を掛けて差し上げる位が精一杯でございます
/
【解説】季語:霜寒き=三冬
/ 1684(貞享元)年冬、芭蕉が大垣の如行亭に泊した際に如行が詠んだ句/芭蕉は此れに「古人かやうの夜のこがらし」と脇句を付けて応えた / 此の【意】は「『宗祇の蚊帳』と云われている様に、古来旅する文人所縁の蚊帳だから、木枯しの風を聞き乍ら故人の心を偲びましょうか」/
(注1)如行:大垣の蕉門の最初の門人で、重鎮 / 通称:源大夫 / 芭蕉は、『奥の細道』で終着の大垣の如行の邸を目指した / 如行宅には、『野ざらし紀行』の際にも立ち寄っている / 芭蕉は、如行宅で「琵琶行の夜や三味線の音霰」と詠んだ
03(168)
雪(ゆき)のはら蕣(あさがほ)の子(こ)の薄(すすき)かな 昌碧(注1)
【意】雪の原
/ 薄(ススキ)に雪が付いて、其れが秋の朝顔の子供になる様だ
【解釈】季語:雪のはら=冬
/「今よりはつぎて降らなむわが宿の薄(すすき)おしなみ降れる白雪」(古今集)や、「枯れ果つるかやが上葉にふる雪はさらに尾花の心地こそすれ」(西行)等、「枯尾花=枯薄」に雪が降る景は多く歌に詠まれた / 此の句は、其の様(さま)を「蕣(あさがほ)の子(こ)」で何かに見立てたのだが、意味不明である(注1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 貞享04年11月『笈の小文』の旅の折、蕉門に入門 /『あら野』等に入句
04(169)
馬(うま)をさへながむる雪のあした哉(かな) 芭蕉
【意】予期せぬ雪の朝、辺り一面白銀の世界だ
/ いつもは見慣れた光景でさえ新鮮で、馬の過ぎ行く姿さえもが新鮮なものとして感じられる
【解説】季語:雪のあした=冬
/ ―
05(169)
行燈(あんどん)の煤(すす)けぞ寒(さむ)き雪(ゆき)のくれ 越人
【意】日暮に向けて、雪が降りしきる
/ 暗闇が一段と早く迫って来る / 行燈の光は、煤(する)に汚れにより弱まり暗さと寒さは一層深まる
【解説】季語:雪のくれ=冬
/ ―
芭蕉翁(はせうをう)をおくりてかへる時(とき)
06(170)
この比(ごろ)の氷(こほり)ふみわる名残(なごり)かな 杜國
【意】芭蕉翁を見送り分かれた後は寒々とした気分だ
/ 正に此の頃の寒さの中で、氷を踏み割った時の寒々とした感じと同じだ
【解説】季語:氷=晩冬
/ ―
隠士(いんじ)にかりなる室(むろ)をもうけて
07(171)
あたらしき茶袋(ちゃぶくろ)ひとつ冬籠(ふゆごもり) 荷兮
【意】一冬過ごそうという隠士の為に、一室を提供して差し上げる
/ 当方も行き届かないだろうが、せめてもの心尽くしに、新調の茶袋を一つ進ぜよう /
【解説】「茶袋」とは、葉茶を此れに入れて湯釜に投じて茶を煎じる為のもの
/
貞亨三(ぢゃうきゃうさん)丙匀(へいいん)年(ねん)仲秋(ちゅうしう)下浣(げくわん)
寺田重徳板
■続いての話題は、10月25日(金) デジーレ・ランカトーレ(S)&トリエステ・ヴェルディ歌劇場/ヴェルディ『椿姫』を見て聴いて来たことについてお伝えする。
其の日は、仕事を終えて、愛知県芸術劇場大ホールにて18時30分から開演するオペラ公演を見に聴きに来ている演題は、トリエステ・ヴェルディ歌劇場に拠る、ヴェルディの歌劇「椿姫」
主な配役は、主人公のヴィオレッタに美貌のデジレ・ランカトーレ(S)を配したなかなかの布陣。
今回は、6月に同所にて開催されたヴェルディの歌劇「リゴレット」に続けて、ランカトーレの素晴らしい美貌と美声を拝聴出来るものと凄く期待している!
[01]愛知県芸術劇場大ホール入口にて1
[02]同上2
[03]総監督アントニオ・タスカ氏
[04]同ホールホワイエにて総監督のアントニオ・タスカさんと
[05]開演前の会場の様子
[06]佐藤君と1
[07]同上2
[08]出演者一覧
[09]ホアイエにて
[10]Program上のアントニオ・タスカ総監督
[11]ヴィオレッタ : デジレ・ランカトーレ(S)
[12]アルフレード : ジュリオ・ペッリグラ(T)
[13]ジェルモン : ドメニコ・バルツァーニ(Br)
【小生 comment 】
席がいつもの最前列から三列目でなく、2階席の其れも 9列目だったので、迫力があまりなかった様に聞こえたが、主役の3人の歌唱力は素晴らしく、満足出来た演奏会だった。そして、今日大変 lucky で不思議だったのは、アントニオ・タスカ総監督に演奏会前にホワイエで遭遇し、小生、氏に “Picgure OK?” と尋ねたら、”OK!”‥で、一緒に写真に収まったことに加え、演奏会終了直後も、今度は小生の2階席の近くでも又偶然会い、”Thank you!” と申し上げたら、タスカ氏も“Thank you!” と答礼してくれてお互い挨拶をして別れたことだ。
又、今日も旧行時代の同期 佐藤君と一緒出来たことも嬉しかった。
更に又、大学弓道部時代の後輩で病院院長の小嶋君や、前職時代、関連会社の社外役員としてご一緒した蒲郡商工会議所 Top のKさんご夫妻にもお会いした。世の中狭いものである。
■続いての話題である。翌10月26日(土)に「名都美術館」→「長久手古戦場公園」→「古川美術館」と巡って来たことについてお伝えする。
其の日は、昨夜の帰宅が23時05分と遅く、深夜01時10分就寝だったので、ちと起床が遅くなって仕舞った。
05時20分 起床→腹筋2000回→
06時10分 2.5kg木刀素振り60分→07時15分 入浴→朝食
08時01分 拙宅発→一般道78km 1時間57分→
09時58分 名都美術館駐車場着
10時00分 名都美術館開館と同時に入館
【名都美術館『鏑木清方【前期】展』】
[14]名都美術館入口にて
[15]本企画展leaflet
[16]鏑木清方(1878-1972)『雛市』1901年
[17]同『教誨(きょうかい)』1905年
[18]同『曲亭馬琴』1907年
[19]同『薫風』1919年
[20]同『襟白粉(えりおしろい)』1924年
[21]同『富士額(ふじびたい)』制作年不詳
[22]同『洋燈』1947年
[23]同『春宵怨』1951年
[24]同『築地明石町』1927年
本作品は、名都美術館ではなく、東京国立近代美術館【特別展】『鏑木清方~清くあり、潔くあり、うるはしくあれ』にて、11月01日より12月15日迄、公開展示される
【小生 comment 】
此の名都美術館『鏑木清方』展は、内容が実に充実していた。引き続き11月12日~12月15日に【後期】展が、展示品総入替えであるので、是非又見に来たいと思う。
名都美術館責任者の小塩さんは、大学弓道部時代の一年先輩で、小生、色々と各所の美術館企画展について suggestion を頂戴している。
本企画展【後期】展でも傑作が目白押しで必見であることを教えて頂いた。
又、添付写真[24]鏑木清方『築地明石町』1927年作 をご覧頂きたい。
本作品は、44年ぶりに発見され、東京国立近代美術館にて 11月01日~12月15日迄 公開展示される必見の名作である旨教えて頂いた。
其処で小生、11月08日(金)の夜行バス「ほの国号」で翌09日(土)終日を使って、去る6月以来久しぶりに上京する。
そして、東京都心部の7つの美術館( 1. 東京都美術館『コート―ルド美術館』展→ 2. 国立西洋美術館『ハプスブルク展』→ 3. 上野の森美術館『ゴッホ』展→ 4. Panasonic Museum『ラウル・デュフィ』展→ 5.【東京国立近代美術館『特別公開/鏑木清方『築地明石町』等3点新収蔵公開』】→ 6. 郷さくら美術館東京『空-模様』日本画展→ 7. 中村屋サロン美術館『荻原守衛/彫刻家への道』展)巡りをして来る予定で、今から大変楽しみにしている。
10時34分 名都美術館駐車場発→一般道 3.1km 14分→
10時48分 長久手古戦場公園着
【長久手古戦場「勝入塚」】
[25]古戦場公園入口にある案内
[26]史跡「長久手古戦場」石碑にて1
[27]同上2
[28]国史跡 長久手古戦場「勝入塚」にて1
[29]同上2
[30]「勝入塚」解説板
[31]同所にて
【小生 comment 】
池田恒興(1536-84)は、織田信長の家臣で、柴田勝家(1522-1583)、羽柴秀吉(1537-1598)、丹羽長秀(1535-85)と、天正10年06月27日(1582年07月16日)開催の清須会議に出席した織田家重臣4人のうちの一人。小牧長久手の合戦の際、徳川軍に拠り、此の地で打ち取られた。
因みに、恒興は1580(天正08)年に入道し、勝入斎と名乗った。此の塚は、恒興の此の法名に由来する。
恒興の長男庄九郎元助((もとすけ)1559-84)は、恒興と共にこの地で討死している。
恒興の次男が池田輝政(1565-1613)である。此の戦の際、別の陣地に居て父と兄の死を知った。
輝政は、小牧長久手の戦後、恒興の家督を継ぎ、美濃国大垣13万石(1584-85)→岐阜13万石(1585-90)→三河国吉田15万2千石(1590-1600)→播磨国姫路52万石(1600-13(死去)へと栄進して行った。
さて、恒興の話に戻す。
清須会議に出席した当時の4人は、60歳の柴田勝家以外は、丹羽長秀47歳、池田恒興46歳、羽柴秀吉45歳という分別盛り。
そして、4人の享年は、池田恒興48歳、丹羽長秀50歳、羽柴秀吉と柴田勝家が61歳、みんな当時は早死にだと、改めて思った。
11時06分 長久手古戦場公園発→一般道 10.9km→
11時36分 古川美術館駐車場着11時39分 古川美術館着
【古川美術館『高山辰雄・平松礼二・松村公嗣~文藝春秋表紙絵とその芸術』】
月間雑誌『文藝春秋』の表紙絵を、高山辰雄(1912-2007)1987年01月~1999年12月(13年間156点)、平松礼二(1941- )2000年01月~2010年12月(11年間132点)、松村公嗣(1948-
)(2011年01月~現在進行中:2019年10月現在で106点)と3人が担当
其の作品展が本企画展である
[32]古川美術館入口にて
[33]同館内玄関にて
[34]本企画展leaflet
[35]高山辰雄『青衣の少女』1984年
[36]同『緑風』(文藝春秋表紙絵1995年06月号)
[37]平松礼二『ゴッホが写した江戸の梅(1)』1998年
[38]同『春山水・ジャポン』2003年
[39]松村公嗣『サマルカンドの人』(文藝春秋表紙絵2018年10月号)
[40]同『蘭陵王』(文藝春秋表紙絵2018年12月号)
【小生 comment 】
高山辰雄、平松礼二、松村公嗣の画風は、同じ日本画家でも夫々個性的で異なっている。だからこそ、3人いずれの作品も生き生きしていて大変素晴らしい。
今回ご紹介した6作品は、いずれも傑作だと思うが、「1枚だけ選べ」と言われたら、さぁ、どれを取ろうか?
12時11分 古川美術館駐車場発→一般道5.6km 21分→
12時32分 らあめん 陣屋着〔昼食〕
[41]小生の超定番「味噌チャーシュー麵」
[42]らあめん陣屋入口にて
13時38分 らあめん陣屋発→一般道 1km 5分→
13時45分 N歯科医院着14時00分 N歯科医院〔歯科健診〕
14時39分 同院発→一般道84㎞ 1時間57分→
16時26分 帰宅〔了〕
■さて、今日最後の話題は、「俳人『四T』~中村汀女」についてお伝えする。
此れ迄、ホトトギス同人の著名俳人、飯田蛇笏、川端茅舎に始まり、続いて「四S(しえす)」と呼ばれた同じくホトトギス同人 阿波野青畝、高野素十、水原秋櫻子、山口誓子と、更には高野、水原、山口と同じ東大俳句会の members で我等が母校時習館高校の大先輩になる同じくホトトギス 同人 富安風生をご紹介して来た。本号からは、「四S」とよく似た言葉「四T」をご紹介させて頂く。
俳人 森澄雄は、著書『俳句への旅』~〔八 女流俳句の興隆〕に次の様に紹介している。
昭和に入って女流俳人が多くなったが、中でも、男性の「四S」に対して、所謂「四T」――星野立子(ほしのたつこ=高濱虚子の次女)、中村汀女(なかむら ていじょ)、三橋鷹女(みつはし
たかじょ)、橋本多佳子(はしもと たかこ)――の女流作家がことに活躍した。大正時代の長谷川かな女、阿部みどり女らのしとやかで家庭的な作品に比べて、いっそう自由に、感覚も繊細に、しかも大胆になっているのが特色といえる。〔後略〕
又、「四T」について、村山古郷・山下一海編『俳句用語の基礎知識』(角川選書)は以下の様似説明している。
「四T」は(文芸評論家の)山本健吉(1907-88)の命名による。『昭和俳句』(角川新書)に掲載された「女流俳句について」の項に「私は『四S』という呼称に倣って、女流俳人の『四T』と呼んだことがあります」と述べている。昭和33年に刊行されたものである。しかし、『四S』程には一般化されていない。〔中略〕
昭和02年頃より「ホトトギス」婦人句会が成長、進出し始めたが、「主婦として家庭的な日常茶飯事の中に抒情の憩いを見出すといった境地である。そしてこの抒情の日常性を突き進めて、そこに清新繊細な女の感性を滲み出させたのが、星野立子(1903-84)と中村汀女(1900-88))とである」と述べている。((小生注)山本健吉は星野立子を‥)「(高濱)虚子(1874-1959)の娘であり、客観写生の立場を代表し、作風はナイーブである」と、(そして中村汀女を‥)「女流俳句の第一人者であろう」と紹介している。〔中略〕
(橋本多佳子(1899-1963)は‥)「杉田久女についで、山口誓子についたが、誓子の知的・構成的な作風の跡を追っている様であったが、次第に脱却して、独自の個性をはっきり示すに至った」と述べ、〔中略〕(三橋鷹女(1899-1972)については‥)「小野蕪子(おの ぶし(1888-1943))の「鶏頭陣」の中にあって始めから個性的であった。‥‥女性としての意識を強く句の中に持ち込み、かなり大胆に官能的なものを持ち、杉田久女(1890-1946)の句の一面をさらに近代的に発展させている」とした。
それでは、「四T」の作品を一人ずつ順に紹介して行きたい。
第1回目は、中村汀女についてである。山本健吉は、著書『定本/現代俳句』の中村汀女の項で、彼女について次の様に紹介している。
『ホトトギス』にはもと「婦人十句集」という欄があって、長谷川かな女(1887-1969)や高浜家の縁者の集まりがあり、長く続いてその中から阿部みどり女(1886-1980)、『ホトトギス』同人
本田あふひ(1875-1939)、杉田久女等が輩出した。昭和02年頃から『ホトトギス』婦人句会となり、それが基盤となって星野立子の『玉藻』が生まれ、汀女・立子という二人の女流俳人の名が浮かび上がってきた。〔中略〕所謂「台所俳句」の境地〔中略〕その様な雰囲気の中から抜きん出て女らしさの俳句の典型を示したのが汀女・立子の二人である。〔中略〕「秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸(マッチ)かな」「蜩(ひぐらし)や暗しと思ふ厨(くりや)ごと」「春暁や水ほとばしり瓦斯燃ゆる」等、気の利いた表現の典型的な「主婦俳句」であり、「台所俳句」である。だがこの様な凡人性の中に、細(こま)やかで清新な女の感性が沁み透っていることにおいて、彼女に如(し)く者はない。
以下、「自選自解/中村汀女句集」(白凰社)から3句ご紹介したい。
第1句目は‥
丸の内三時の陰り秋の風 中村汀女
昭和10年作『汀女句集』所載
[43]「丸の内三時の陰り」を
image した東京丸の内界隈の景
丸の内の高層建築の前通り、秋はもう、この三時、争えない日の衰えを見せていた。きびきびとした仕事の中心地。何か心だのみにしているような丸の内。まだまだと思うこの時刻に、はや秋風と思うものを感じるのはなんとも寂しかった。でも、これなども、偶々の外出の、やはり家を離れて来ている、なんとなしに郷愁に似たものかも知れない。
【小生 comment 】
陽が短くなった夕暮れ前のビジネス街丸の内の風景が目に浮かぶ写実的であり、抒情的でもある、中村汀女の品格をも感じさせる名句だ。
第2句目は‥
秋雨(あきさめ)の瓦斯(ガス)が飛びつく燐寸(マッチ)かな 中村汀女
昭和10年作『汀女句集』所載
[44]「瓦斯が飛びつく燐寸(マッチ)」を image した画像
【小生 comment 】
典型的な「台所俳句」である。だが、上五の「秋雨の」が、此の句全体に「秋の日の哀愁感」を齎して、此の「台所俳句」に芸術的な輝きを与えている。ガスコンロとマッチの話を芸術作品に迄高めた汀女の手腕は流石である。
第3句は‥
外(と)にも出(で)よ触(ふ)るるばかりに春の月 中村汀女
昭和21年作『花影』所載
[45]「触るるばかりに春の月」を image した画像
【小生 comment 】
山本健吉は、「四T」の中で、中村汀女と星野立子の二人が飛び抜けているが、「中村汀女が女流俳句の第一人者であろう」と述べている。小生も其の通りに思う。今回ご紹介した3句いずれもが、芸術性を兼ね備えて気品を感じさせる。
中でも、3句目の作品は、写実性に抒情性が加味して高い芸術性を感じさせる傑作と言える。
小生、中村汀女と言えば此の名句を思い出す程大好きな作品である。〔了〕
では、また‥〔了〕
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