2019年10月10日木曜日

【時習26回3−7の会 0778】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『春の日』から〔第16回/夏~「老耼曰知足之足常足 /全7句」&「譬喩品ノ三界無安猶如火宅といへる心を / 全1句」~〕」「10月05日:『史跡/小牧山』→メナード美術館『コレクション名作展2019』展→『らあめん専門店/陣屋』→三菱UFJ銀行貨幣資料館『浮世絵展/広重&豊国=合作/雙筆 五十三次』→トヨタ鞍ヶ池記念館『トヨタ創業展示室』&鞍ヶ池アートサロン『女流日本画たちとその周辺~美の系譜~』展」「ホトトギス派俳人・四S~水原秋櫻子」

皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0778】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第二集『春の日』から〔第16回/夏~「老耼曰知足之足常足 /7句」&「譬喩品ノ三界無安猶如火宅といへる心を / 1句」~〕をお届けする。

  老聃(←耳ヘンに  )(らうたん)(いはく)知足之(たるをしるの)足常足(たるはつねにたる)(1)

(1)老聃(=耳ヘンに  )曰知足之足常足:「老子」46章の語 /「物欲を捨て、分に安んじて貪らない(=足るを知る)ならばいつも満足して生きていける」の意       

01(148) (ゆふ)がほに雑水(ざふすい)あつき藁屋(わらや)(かな)  越人

【意】粗末な藁屋に住み、咲く庭の花も貧居に相応しい夕顔だ  夏の暑い日に、炊き立ての熱い雑炊なのだと思えば、粗食乍ら有り難く思われるのだ
【解説】季語:夕顔=晩夏  

02(149) 帚木(ははきぎ)(1)の微雨(こさめ)こぼれて鳴(なく)()(かな)  柳雨(2)

【意】帚木の葉のにいつの間にか溜まった雨水  其れが夕暮の微風に落ちる  其の滴(しずく)に一瞬蚊が微かに騒ぎ立つ
【解説】季語:帚木=晩夏、蚊=三夏  帚木(ははきぎ):歌語  遠くからは見えるが、近寄ると見えなくなる、という伝説の木  
 帚木、微雨、蚊の羽音、いずれも微細なもので夏の夕暮れ静寂を捉えている  歌語「帚木」の持つかそけき(=微かな)意味合いを活用した品格を感じさせる発句
(1)帚木(ははきぎ):ホウキギ  アカザ科の一年草  高さ約1  茎は干して庭箒(ホウキ)を作る 実は小球形で「とんぶり」と呼ばれ食用
(2)柳雨(りゅうう):詳細不明

[01]ホウキギ


03(150) はゝき木()はながむる中(うち)に昏(くれ)にけり  塵交(1)

【意】帚木の密生したか細い葉じっと眺めていたら、流石に長い夏の一日もいつの間にか暮れて仕舞った
【解説】古歌では、近寄ると見えなくなるという帚木だが、今日は夏の夕暮れの闇に見えなくなって仕舞った
(注1)塵交(じんこう):生没年不詳  尾張国の人 /「あら野」等に入句

04(151) 萱草(くわんざう)(1)は随分(ずいぶん)(あつ)き花(はな)の色(いろ)  荷兮

【意】カンゾウは忘れ草というから夏の暑さを忘れさせてくれるかと思うが、見れば赤くむしろ暑苦しく感じさせる花だ
【解説】季語:萱草=晩夏  
(1)萱草(カンゾウ):わすれ草・忘憂草  ユリ科ワスレグサ属植物の総称  日当たりの良い、やや湿った地に生える  葉は二列に叢生し広線形  夏、黄褐色・黄赤色の花を数輪咲かせる  若葉は食用になる  同種に、ノカンゾウ・ヤブカンゾウ・キスゲ・ニッコウキスゲ等がある

[02]萱草(カンゾウ)
                  

 05(152) 蓮池(はすいけ)のふかさわするゝ浮葉(うきば)かな  仝

【意】蓮田の蓮の葉が水面に浮いている  其れ等を見ていると、一瞬その下に深い水が湛(たた)えられていることを忘れて仕舞う程しっくりとその存在が決まっている
【解説】季語:蓮(=蓮池)=晩夏 

06(153) (あかつき)の夏陰(なつかげ)(1)茶屋(ちゃや)の遲(おそ)きかな  昌圭

【意】街道の木陰に店を出す出茶屋  真昼になると其の日陰の涼しさで旅人が集まり賑わうが、早朝はまだ閑散としている  だから店が始まるのは遅い
【解説】季語:夏影=夏 
(1)夏影:萬葉集の歌語 /「夏の日当らぬ影にや」(萬葉拾穂抄)

07(154) 夏川(なつかは)の音(おと)に宿(やど)かる木曾路(きそぢ)(1)(かな)  重五

【意】夕闇迫る崖路 / 響いて来る激流の音を足下深く聞いて、改めて危険を思い、早々と宿をとる  
【解説】季語:夏川=夏  歌枕「木曾路」の本意を聴覚の方面から表現したもの
(1)木曾路:歌枕  山路の難所

  譬喩品(ひゆぼん)ノ三界(さんがい)無安(むあん)猶如(いうにょ)火宅(くわたく)といへる心(こころ)(1)

(注1)法華経の比喩品にあるように、衆生の輪廻する世界は火宅のように安んずる所が無い、の意 

08(155) 六月(ろくぐわつ)の汗(あせ)ぬぐひ居()る臺(うてな)かな  越人

【意】正に、此の世は火宅だヨ  夏六月、流石に暑い  涼しい筈の高楼に居るのだが汗が出る
【解説】季語:六月=晩夏  

【小生 comment 
 次回は、俳諧七部集『春の日』から〔第17回/秋~ 1句&「貧家の玉祭 /5句」~〕をご紹介する。お楽しみに!

■続いての話題は、1005()に史跡1つと、美術館・資料館3(細かく言えば4)巡って見て来たことについてお伝えする。
  前日1004日の天気予報も「晴天」だったので、今日も My car で『史跡「小牧山」』『メナード美術館〔Collection名作展2019〕』『陣屋〔昼食〕』『三菱UFJ銀行貨幣資料館〔雙筆(そうひつ)五十三次/広重&豊国合作~風景画と人物画の東海道〕』トヨタ鞍ヶ池記念館〔トヨタ創業展示室〕&鞍ヶ池アートサロン〔女流日本画たちとその周辺~美の系譜~〕』と巡って見て来た。

‪0400 起床腹筋2,000→‬
‪0500 2.5kg木刀素振り60→‬
‪0600 入浴朝食→‬
‪0640 拙宅発一般道96 2時間20→‬
‪0900 史跡「小牧山」着徒歩→‬

【史跡『小牧山』】

[03]史跡「小牧山」総合案内板にて

[04]小牧城石垣
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[05]国指定史跡 小牧山と小牧市歴史館のご案内

[06]小牧市歴史館前にて1
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[07]同上2

[08]国指定史跡 小牧山と小牧市歴史館のご案内にて
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[09]小牧市歴史館内にて1

[10]同上2
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[11]同上4階展望室から西〔=伊吹山〕方面遠望


‪1000 小牧市歴史館駐車場発一般道1km 3→‬
‪1003 メナード美術館着

【メナード美術館『メナード美術館〔Collection名作展2019〕』】

[12]メナード美術館前の美術館石碑前にて
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[13]メナード美術館前にて

[14]同美術館入口前にて
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[15]本企画展 leaflet

[16]アンドレ・ドラン『イル==フランス風景』1904-05年頃
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 此の絵がメナード美術の最新収蔵品  色彩・構図共に秀逸な作品で、小生、早速大好きになった絵だ!
 他の作品は、此れ迄何度も見ているが、名画は何度見ても心が癒されると共に「ときめき」を感じられ素晴らしい。

[17]島田章三『人と噴水』1996

[18]島田鮎子『しなやかな葉』2002
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[19]上村松園『新秋』194045年頃

[20]奥谷博『鱪(シイラ)と針千本(ハリセンボン)1991
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[21]今井龍満(たつみつ)Peacock2017


‪1038 メナード美術館発一般道14 37→‬
‪1115 らあめん専門店『陣屋』着

【らあめん専門店『陣屋』にて昼食】

[22]藤井聡太七段関連の詰譜・色紙・写真
                   

 陣屋のカウンター奥に掲示されている「藤井聡太四段(当時二十七手詰譜」()・「藤井聡太六段(当時『飛翔』色紙」()・「陣屋店主夫妻と three shots の藤井聡太七段」(下)
『陣屋』は、藤井聡太七段が常連の店である  小生も『陣屋』の常連だ!()

[23]小生の超定番「チャーシュー麵」

[24]らあめん専門店『陣屋』前にて
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‪1143 らあめん専門店陣屋駐車場発一般道1km 6→‬
‪1149 三菱UFJ銀行貨幣資料館近くの私営駐車場着
1153 同資料館着

【三菱UFJ銀行貨幣資料館〔雙筆(そうひつ)五十三次/広重・豊国合作~風景画と人物画の東海道〕】

 風景画が得意な広重、人物画が得意な豊国、此の二人の collaboration に拠る「東海道五十三次」を初めて見たが、なかなかいい!

[25]三菱UFJ銀行貨幣資料館前にて

[26]同館入口にて
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[27]本企画展leaflet

[28]歌川広重&歌川豊国『雙筆五十三次~No.45「石薬師」』
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[29]常設展示 cornerの「天正大判」

[30]同「天正大判(沢瀉(おもだか))
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 此の天正大判が全国に現存 3枚と言われる大判

[31]同「慶長大判」


‪1224 三菱UFJ銀行貨幣資料館近くの私営駐車場発一般道33km 1時間20→‬
‪1345 トヨタ鞍ヶ池記念館着

【トヨタ鞍ヶ池記念館】

[32]トヨタ鞍ヶ池記念館前にて1
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[33]同上2

[34]同館内「トヨタ創業記念室」入口にて
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[35]同館内「トヨタ創業記念室」の風景

[36]トヨタAA型乗用車〔1936(昭和11)年〕の前にて
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[37]トヨペット クラウンRS型〔1955(昭和30)年〕


【鞍ヶ池アートサロン〔女流日本画家たちとその周辺~美の系譜~〕】

 本企画展は、小生が大好きな女流日本画家の巨匠5人を中心に、彼女らと関わった日本画家の作品を合わせて展示されていた第一級の名画揃いの企画展だ!
 上村松園(1875-1949)、小倉遊亀(1895-2000)、片岡球子(1905-2008)、秋野不矩(1908-2001)、堀文子(1918-2019)5人だ。
 彼女らに加えて、上村松園の息子 上村松篁(1902-2001)、同じく孫の 上村淳之(1933- )の花鳥図、小倉遊亀の師安田靫彦(1884-1978)、片岡球子の師 小林古径(1883-1957)、同じく片岡が勤務した愛知県立芸術大学日本画科の同僚教授 小山硬(1934- )、田渕俊夫(1941- )等の日本画の名画が花を添えた素晴らしい企画展だ。

[38]同館内「鞍ヶ池アートサロン」近くの案内看板にて
                   
[39]鞍ヶ池アートサロン入口にて1
   
[40]同上2
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[41]上村松園『つれづれ』1940

[42]小倉遊亀『牡丹』1971
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[43]片岡球子『めでたき富士』1997


 鞍ヶ池アートサロンには、10年以上拝観させて頂いているが、今回の企画展が最高の企画展だと確信する。
 小生が大好きな、小倉遊亀、堀文子の二人をはじめ、此れも大好きな上村松園、片岡球子、秋野不矩の傑作を目の当たりにして、心が癒された上で「ときめき」を感じることが出来た。
 最高に気分がいいひとときを過ごすことが出来た。
 此の企画展は、あと数回訪れてみたいと思っている!

1452  トヨタ鞍ヶ池記念館発鞍ヶ池SA→東海環状東名岡崎IC→一般道57km 1時間8
1600  帰宅〔走行距離計 203km()

今日最後にお届けするのは、ホトトギス派俳人で、四Sと称された、阿波野青畝、高野素十、山口誓子に続いて最後にお届けするのは4人目 水原秋櫻子についてである。
 水原秋櫻子(1892.10.09-1981.07.17)は、東京神田に生まれ、独逸学協会学校中学、第一高等学校を経て‥
 1914(大正03)年 東京帝国大学医学部に入学、1918年卒業
 1920(大正09)年「渋柿」社の俳句会を経て、同年10月「ホトトギス」「国民俳句」にて学ぶ
 1922(大正11)年 富安風生、山口青邨、山口誓子らと共に、東大俳句会を再興 / 以後、高浜虚子より直接手解きを受ける様になる
 1926(大正15)年 医学博士の学位取得
 1928(昭和03)年 俳句雑誌「破魔弓(はまゆみ)」同人になった水原の提案に撚り、同年 7月号より同誌を「馬酔木(あしび)」に改題
 1929(昭和04)年「ホトトギス」で「花鳥諷詠」という標語が提唱され、自然の細かい描写に専念する傾向が顕著になると、水原は此の細密描写を嫌った
 1930(昭和05)年 句集『葛飾』を馬酔木発行所から出版
 1931(昭和06)年 論文『自然の真と文芸上の真』を「馬酔木」誌上に発表し、「ホトトギス」を離脱
 1932(昭和07)念 宮内省侍医寮御用掛に就任
 1934(昭和09)年 此の頃より「馬酔木」を主宰する
 1949(昭和24)年「馬酔木」俳句会は、毎月東京で開催され、盛況を呈するに至る
 1952(昭和27)年 此の年より医業から離れ俳句に専念する / 九州・中国・紀伊を廻る長途の旅に出た / 句集『残鐘』(竹頭社)、評伝『高濱虚子』(文芸春秋新社)を出版
 1966(昭和41)年 芸術院会員に就任
 1967(昭和42)年 勲三等瑞宝章受章
 1981(昭和56)年 07月17日 東京都杉並区西荻窪の自宅にて逝去
     
 今回は、水原秋櫻子の代表作4点を作成年代順にご紹介して行きたい。
 まず、第1句目は‥
  
  葛飾や 桃の籬(まがき)も 水田(みずた)べり  水原秋櫻子
      1926(大正15)年作『葛飾』所収

 新装版「水原秋櫻子自選自解句集」(講談社)で作者自身が以下の様に述べている。
  
 真間川の堤から、市川駅辺り迄、今では人家ばかりであるが、昔は田が多く、其の間に池も湛えていた。池には蓮の花が咲いた。
 人家もなかった訳ではない。稀には別荘風の家もあって、其の門辺の溝にも浮葉が茂っていたが、たいていは農家で、田の中に点在している。
 粗末な垣を結ってあり、庭には桃の花が咲いていた。田はまだ水田であるから、その水には桃の花が映って美しい。私が真間(まま)の辺りを思い浮べると、いつも現れて来るのは此の景であった。あの辺も万葉時代は水郷だったから、其の風趣が残っていたのである。田植の頃になると、蛙がよく鳴いた。真間川では鯉も釣れるし鯰も釣れる。日曜などは釣人が透間もなく立ち並んでいる程であった。
 葛飾という地名は、相当広範に亘っている様だが、代表的な景は、矢張り此の辺りに限られていた。今では、どの辺りが最も葛飾らしい景か、私には全く解らないことである。

 以下に「葛飾や 桃の籬も水田べり」に image に近い風景がを集めてみた。

[44]向井潤吉『早春の水路』(川越市下新河岸)1982年
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[45]同『春塘』1984年
[46]Facebook に up した葛飾や 桃の籬も水田べり」の image 風景画
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 第2句目は‥
         
  春惜(おし)むおん姿こそとこしなへ  水原秋櫻子
       1927(昭和02)年作『葛飾』所収

 此の句について、「馬酔木」で秋櫻子の弟子でもあった石田波郷(1913-69)が、楠本憲吉(1921-88)との共著『昭和秀句 I 』で次の様に述べている。
 百済観音の名で親しまれている法隆寺観世音菩薩を詠んだ句。〔中略〕
 昭和02年04月、奈良博物館で此の像を見た時、作者は「驚倒せんばかりの間隙を覚え」〔中略〕どうしても俳句を詠まなければだめだ、〔中略〕と思ったという。
 此の句の優れている点は、百済観音の柔和なしなやかな円みを帯びた長身から来る感じを「春惜むおん姿」と観た点にある。作者が博物館で観音の前に佇立した時の感動は、〔中略〕消えざる image となった観音を拝し続けているうちに、天声の如く「春惜む」の語が観音の姿に結びついたのであろう。此の句は百済観音の姿体の感じを見事に捉え、気品高く、祈る様に詠み出して、作者の感動を再現し得ているのである。

[47]百済観音立像1

[48]同上2
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[49]法隆寺の春 の絵
[50]斑鳩の里の春 の絵
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[51]Facebook に up した「春惜むおん姿こそとこしなへ」の image 画像

               
 第3句は、「春惜む‥」の句と同じ年昭和02年秋の作品‥

  啄木鳥(きつつき)や落ち葉をいそぐ牧(まき)の木々  水原秋櫻子
       1927(昭和02)年作『葛飾』所収

 此の句について、石田波郷は『昭和秀句 I 』と水原秋櫻子著『自選自解句集』で夫々以下の様に述べている。          

 秋櫻子俳句は、子規の革新後の俳句をも含めて、俳句らしい風趣や手法とは異風の、作者の主観の儘に一つの美を創り出している。
 作者は、神田生まれの神田育ちで、東京的な趣味生活を体験しているが、教養的には一高・東大医学部、研究室を通じて、歌・俳句よりも小説、日本画よりも洋画と傾いて来ている。
 家の偉業を嫌って文科に学ぼうと意志したことさえある様だ。〔中略〕西洋的な明るい外光のほしいままな自然を愛する様な処がある。
 秋櫻子は現代俳句自然はの巨匠だが、其の特色は暗さがないことだ。
 此の句など落葉の句であるが、そういう句にありがちの寂寥感はない。色彩感も語感も高雅であり、広い明るさがある。〔中略〕
 昔は赤城全体が牧場の様なもので、馬柵(ませ)や放馬は到る処で見られたという。
 様々な木々を連ねた晩秋の山中、馬柵が走り風に落葉が舞う。遅い紅葉もあれば常緑樹も立ち混じっているが、山はいま落葉が急である。
 そういう木々の一幹を叩く啄木鳥がある。其のドロロという drum の音が谺(こだま)して落葉を降らし、山中の牧は愈々冬を加えてゆくのである。〔石田波郷〕

  ※  ※  ※

 翌日の正午ちかく、大洞を出発して、敷島口から下りることにした。上越線の敷島駅に達する道で、六里程ある。
 昨日と同じく麗しい日和(ひより)であった。前橋口との別れ路に近く、大きな水楢(みずなら)が立っていたので、其の樹陰に休憩した。附近の木に啄木鳥が来ていて、幹を叩く音が静かな山気(さんき)の中でよく聞こえた。
 其の時は、詠んでみる気もなく捨てて置いたのだが、翌年の夏のことと思う。ふと其れが詠みたくなって、なんの苦もなく詠みあげた。苦労がなかったので、自分でも特に気に留めていなかったが、後に色々褒めてくれる人があったので、次第に愛着を覚える様になった。明治時代の俳句と違って、明るい外光を採り入れたのが良かったのであろう。印象派風の油彩画が好きで、展覧会を見ては勉強していた効果が「桑の葉」の句や、此の句に至って現れた訳である。どこも推敲していないから、すらすら読むことが出来るのも気持ちがよい。〔水原秋櫻子〕

 此の句は、印象派の画家である、ピサロ(1830-1903)やシスレー(1839-99)の風景画が image にピッタリだ。
 石田波郷や秋櫻子自身が評している様に、明るい外光に彩られた印象派の秋の風景画を見ている様だ。
         
[52]Facebook に up した「啄木鳥の写真とピサロとシスレーの秋の風景画」
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 最後4句目は‥

  麥秋(ばくしゅう)の中(なか)なるが悲(かな)し聖廃墟(せいはいきょ)  水原秋櫻子
       1947(昭和27)年作『残鐘』所収

 此の句については、水原秋櫻子著『自選自解句集』の説明をご紹介する。
               
 午後、浦上天主堂の後に行く。原爆の爆心地でもあるし〔中略〕行き着かぬうちに身が引き締まる感じであった。
 私は、今度の旅に出る前に、何かの展覧会で、天主堂の残壁の写真を見て、厳しい印象を受けていた。
 そうして、〔中略〕此れだけは力を尽くして詠んでおかねばならぬと思った。不思議なことに、「聖廃墟」という言葉が其の写真を見つつ心に浮んだ。
 廃墟は麦秋の畑に取り囲まれていた。長崎には丘が多く、此処も直ぐ後ろが丘になっていたが、其の丘も又麦秋の畑であった。麦は意外な程に伸びて色付いている。其の代赭((たいしゃ)=代赭石に似た、赤褐色or黄褐色)に近い色と、大きく裂け残った煉瓦壁の色とが照応して、凄惨な感じで心に迫って来た。もし周囲が麦秋の畑でなかったなら、此れ程の凄惨さはなかったかも知れぬ。私は此の麦秋の色を頭に刻み付けて置き、暫く後になってから、句を纏め上げた。

[53]Facebook に up した「廃墟と化した浦上天主堂と麦秋の麦畑」

  では、また‥〔了〕 

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