2020年12月9日水曜日

【時習26回3−7の会 0841】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から巻之七〔第59回/第571句~580句〕」「12月04日(金):旧東海道「知鯉鮒宿」→「鳴海宿」18.2kmを歩いて」「12月05日(土):「浜松城」→浜松市美術館『館蔵品』展→平野美術館『駿府博物館名品』展→浜松市秋野不矩美術館『秋野不矩 色ふる筆の後Ⅱ』展→豊川市桜ケ丘ミュージアム『郷土の美術』展&『小林昭治・ペン画の世界/憧憬のヒマラヤ8000m峰』巡って」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0841】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第59回/巻之七~第571句~580句〕」をご紹介する。

571 夕立(ゆふだち)にどの大名(だいみゃう)か一(ひと)しぼり  傘下(1)

【意】何処の大名行列の一行か知らないが、俄かに降り出した夕立にびしょ濡れになっている
【解説】季語:夕立=三夏 /
(
1)加藤傘下(かとう さんか(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句

  
芭蕉(ばせう)()を送(おく)

572 稲妻(いなづま)にはしりつきたる別(わかれ)かな  釣雪(1)

【意】つい先日、漸く芭蕉翁にお逢い出来たと思いましたのにもうお別れとは、何とも名残惜しいもの です
【解説】季語:稲妻=三秋 /『更科紀行』に出発する芭蕉への餞別吟 /「以下七句同時」とある
(1)大橋釣雪(おおはし ちょうせつ(生没年不詳)):尾張国名古屋の大橋左衛門 /『あら野』等に入句

5
73 なきなきて袂(たもと)にすがる秋(あき)の蝉(せみ)  一井(1)

【意】お別れするあなたの袂に縋(すが)り乍ら私は別れを悲しんで泣いている / 恰も秋の蝉の様に
【解説】季語:秋の蝉=初秋 /
(1)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国名古屋の門人 /芭蕉は、1688.01.11(貞亨04129)、『笈の小文』の旅の途次、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の蕉門らと七吟半歌仙(熱田三歌仙)巻いた

574 あき風(かぜ)に申(まうし)かねたるわかれ哉(かな)  野水(1)

【意】秋風よ、愁いと寂しさを持って来る秋風よ、あなたとの別離はただ/\哀しい / 別れの言葉を探しているが、何も申し上げることも出来ない私をどうか許して下さい
【解説】季語:秋風=三秋 /
(1)岡田野水(おかだ やすい(1658(?)-1743.04.16(寛保030322))):埜水とも / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅の途次、名古屋逗留(1684)時の『冬の日』同人で、当時彼は27歳の男盛り / 近江蕉門や去来等、上方の門人とも親交を重ねた

575 (もの)いはじたゞさへ秋(あき)のかなしさよ  舟泉(1)

【意】何も言いますまい / 黙っていても、此の秋の哀しみは、ひたひたと私を浸(ひた)している / 此の上、何か一言でも言い出したら、堪えているものが一斉に溢れ出て、私は私自身を統制出来なくなり、あなたとの別離を嘆く続けるだろう
【解説】季語:秋=三秋 /
(1)永田舟泉(ながた しゅうせん(?-1737.11.19(元文02)1027(享年84))):三河国挙母(コロモ)(現・豊田市挙母町)生まれ / 尾張国名古屋の人 / 通称:六兵衛 / 1687(貞亨04)年に蕉門に入る /『あら野』・『曠野後集』等に入句

576 (きり)はれよすがたを松(まつ)に見()えぬ迄(まで)  鼠彈(1)

【意】霧よ、晴れてくれ / いま、行く人の後ろ姿を、心ゆく迄見送りたい / せめて、街道筋が見渡せる、あの並木の松の木の辺り迄は見送って名残を惜しみたいから‥
【解説】季語:霧=三秋 /
(1)鼠弾(そだん(生没年不詳)):尾張国名古屋浄土寺の僧侶 /『あら野』・『あら野後集』・『其袋』等に入句

  
さらしなに行(ゆく)人々(ひとびと)(1)にむかひて

(1)さらしなに行(ゆく)人々(ひとびと)1688(貞享05)年秋、更科紀行の旅に出発した芭蕉と越智越人

577 更級(さらしな)の月(つき)は二人(ふたり)に見()られけり  荷兮(1)

【意】彼の大和物語に拠れば、我が伯母を山に捨てた男は、月光に己を悔いて、「わが心なぐさめかねつ更科やをばをすて山に照る月を見て」と詠み、再び迎えに行ったのだという / あの二人に眺められた月は、どの様な悲愁を二人の心に与えたのだろう / 承れば、あなた方も更科へは、お「二人」で出かけらるのですネ
【解説】季語:月=三秋 / 二人とは、『更科紀行』の芭蕉と越人のこと
(1)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保元年0825(享年69))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋蕉門の重鎮 / 後年、内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮のstanceは保守的で、芭蕉の唱導した俳諧革新、中でも「軽み」には迎合出来なかった / 離反前は、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂 /芭蕉が『更科紀行』出立に際しては、奴僕を提供する等、旅の安全も支援している

  
越人(えつじn)旅立(たびだち)けるよし聞(きき)て京(きゃう)より申(まうし)つかはす

578 (つき)に行(ゆく)脇差(わきざし)つめよ(1)(うま)のうへ  野水

【意】伺えば、此の度の更科紀行の旅は、姨捨の名月を見ることだとか / ならば、其の長脇差は些(いささ)か不似合ですヨ / 用心の為だとは言い、馬上では脇差は短めにした方が宜しいのでは?
【解説】季語:月=三秋 /
(1)脇差(わきざし)つめよ:「脇差」を「つめる」とは、脇差の長さを短くすること

579 おくられつおくりつはては木曾の秋  芭蕉

【意】人に送られ、自分も又人を送り、旅の途次で様々の出逢いと別れを経験して来たが、此の様にして何事にも逃れ様のない終局が訪れるのだ / 此の秋は、木曾の山奥で皆さんとの別れの哀しさを一入(ひとしお)味わうことになりそうだ
【解説】季語:秋=三秋 /「木曾」に「来」を掛ける

580 (くも)の巣()の是(これ)も散行(ちりゆく)(あき)のいほ  路通(1)

【意】すっかり木の葉も散り落ち、露(あら)わになった草庵の辺りには、秋風がさかんに吹き過ぎて行く / 軒端の蜘蛛の巣までが、主もなく吹き晒されて、今にも風に吹き散らされそうになる様子だ
【解説】季語:秋=三秋 /「旅」の題目に分類されている別離の句の中で、「独り寂しく取り残される送別の心境を」を詠んだものか‥
(1)八十村路通(やそむら ろつう(1649(?)-1738(元文03)(享年90))):露通とも / 近江国大津の人 / 三井寺に生まれ、古典や仏典に精通 / 蕉門の奇人と称される / 放浪行脚の乞食僧侶で詩人 / 後に還俗 /   1685(貞亨02)年春に入門 / 1688(貞亨05)年頃より深川芭蕉庵近くに居住したと伝わる / 1689(元禄02)年 『奥の細道』では当初同行者だったが、曾良に変わった / 路通は、芭蕉に同道出来なかったが、敦賀で芭蕉を出迎え大垣まで同道 / 其の後暫く芭蕉に同行し1690.02.11(元禄030103)迄、京・大坂での生活を共にしている

【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第60回/巻之七~第581句~590句〕をご紹介する。お楽しみに!

■続いては、1204()は今月1回目の平日公休だったので、旧東海道「知鯉鮒宿」→「鳴海宿」18.2kmを巡って来た模様についてお伝えする

【旧東海道知鯉鮒宿→鳴海宿への summary

[01][左上] 1.旧東海道知鯉鮒本陣跡→

[右上] 2.一ツ木、刈谷一里山一里塚→
[左下] 3.阿野一里塚→
[中下] 4.有松一里塚→
[右下] 5.旧東海道鳴海宿本陣跡を踏破した

 其の日は、202012月最初の平日公休日で、旧東海道「知鯉鮒宿」→「鳴海宿」18.2km(うち2.2kmは余分に歩いた)を巡って来たので、其の模様についてお伝えする

0500分 起床→腹筋2,000回→
0600 2.5kg木刀素振り60
0720分 入浴→朝食→
0840分 拙宅発→一般道2時間44 76㎞→
1124分 名鉄鳴海駅近隣のcoin park
1136分 名鉄鳴海駅着

【名鉄鳴海駅→名鉄知立駅→旧東海道「池鯉鮒宿本陣跡」】

[02][左上]名鉄鳴海駅と其の日の最終目標「旧東海道鳴海宿本陣跡」位置関係の Google 航空 map

[
右上]名鉄鳴海駅 platformにて
[左下]名鉄鳴海駅 1146分発→名鉄本線 急行豊川稲荷ゆき→名鉄前後駅 Google 航空 map
[中下]名鉄前後駅→名鉄本線 急騰豊川稲荷ゆき→名鉄知立駅 Google 航空 map
[右下]旧東海道鳴海宿 本陣跡にて

1224分 旧東海道池鯉鮒宿本陣跡発→徒歩→
1327分 一ツ木、刈谷一里山一里塚
1331分 同所発→徒歩→

【旧東海道 池鯉鮒宿本陣跡→一ツ木、刈谷一里山一里塚】

[03][左上]旧東海道一ツ木 刈谷一里山一里塚 同一里塚へ向かう途次、路傍の花1

[右上]同 同 同上2
[左下]同 同 同上を通り過ぎて戻った時の Google 航空 map
[中下]同 同 同所にて
[右下]同 同 同所の解説碑文

【旧東海道 阿野一里塚への街道筋風景】

[04][左上]旧東海道 阿野一里塚への旧東海道風景1

[右上]同上2
[左下]同上3
[中下]同上4
[右下]同上5

1415分 境橋着
1424分 境橋発→徒歩→

【旧東海道 阿野一里塚への途次 境川】

[05][左上]境川 境橋欄干

[右上]同 欄干脇の境橋解説
[左下]同 欄干にて
[中下]同 境橋にて1
[右下]同 同上2

1452分 旧東海道 阿野一里塚着

【旧東海道 阿野一里塚】

[06][左上]阿野一里塚(北側)

[
右上]同 同上にて1
[左下]同 同上2
[中下]同 同上解説板
[右下](南側)にて

1500分 旧東海道 阿野一里塚発→徒歩→
1544分 桶狭間着
1616分 旧東海道 有松一里塚着

【旧東海道 有松一里塚への途次と有松一里塚】

[07][左上]旧東海道 有松一里塚への途次、路傍の花1

[右上]同 同 同上2
[左下]同 同 同上途次にある「桶狭間古戦場」案内
[中下]同 有松一里塚にて
[右下]同 同上解説板碑

【旧東海道有松一里塚→鳴海宿へ】

[08][左上]旧東海道有松一里塚→旧東海道鳴海宿へ向かう 路傍の南天の実

[左下]同 路傍の花1
[右上]同 同上2
[右中]同 街道筋風景1
[右下]同 同上2

[09][左上]旧東海道有松一里塚→鳴海宿への旧東海道風景3

[右上]同 同上にて
[左下]同 鳴海宿への旧東海道風景4
[中下]同 旧東海道鳴海宿本陣跡にて
[右下]同 同上解説板

1700分 旧東海道鳴海発→徒歩→
1707分 名鉄鳴海駅近隣coin park発→一般道 2時間0571㎞→
1912分 帰宅〔走行距離計147㎞/踏破歩数 23,846 18.2km

【此れ迄の歩行日と歩行距離】

【第1回】2020/10/25 舞坂宿→新居宿→白須賀宿 25.9km -(新所原-白須賀5km)=20.9km+(新所原-白須賀5km)
【第2回】2020/11/01 (新所原-白須賀5km)+白須賀宿→二川宿 6km/累計 26.9km (+ 5km×2=10km)
【第3回】2020/11/08 二川宿→吉田宿→御油宿→赤坂宿25.6km/ 52.5km (+ 5km×2=10km)
【第4回】2020/11/11 赤坂宿→藤川宿 14.3km/ 66.8km (+10km)
【第5回】2020/11/21 藤川宿→岡崎宿15.9km/ 82.7km (+10km)
【第6回】2020/11/27 岡崎宿→知鯉鮒宿16.3km/ 99.0km (+10km)
【第7回】2020/12/04 知鯉鮒宿→鳴海宿16.0km(+2.2km)/ 115.0km (+12.2km) ()

■翌1205()は小生、補聴器の調整に浜松駅前迄行ったついでに、「浜松城」→「浜松市美術館」→「平野美術館」→「浜松市秋野不矩美術館」→「豊川市桜ヶ丘ミュージアム」と巡って来たので其の模様についてお伝えする

0500分 起床→腹筋2,000回→
0600 2.5kg木刀素振り→
0715分 入浴→朝食→
0815分 拙宅発→一般道50 37km
0905分 補聴器センター着
0940分 同所発→一般道6 2km/ 39km㎞→
0946分 浜松城公園駐車場着

【浜松城】

[10][左上]浜松城天守閣にて1

[右上]同上2
[左下]同上3
[右下]同上解説

0952分 浜松市美術館着

【浜松市美術館『館蔵品展』】

[11][左上]浜松市美術館前にて

[右上]本企画展leaflet
[左下]岸田劉生『赤土と草〔草と赤土の道〕』1915
[中下]仲山計介『春陽』2003
[右下]同『兆し』2020

1023分 浜松城公園駐車場発→一般道3 0.8km/ 40km
1026分 平野美術館着

【平野美術館『駿府博物館名品展』】

[12][左上]平野美術館前にて

[右上]同館内入口にて
[左下]同館内階段の結城素明『紅葉』1927年頃
[中下]本企画展leaflet〔絵は、伊東深水『吹雪』1946年頃〕
[右下]橋本雅邦『林間残照図』1903

[13][左上]竹内栖鳳『秋霽』1927

[右上]前田守一『天城トンネル』1999
[左下]横山大観『仲秋の月』1953年頃
[右下]三木翠山『深園の月』制作年不詳

1050分 平野美術館発→43 21/ 61km
1133分 浜松市秋野不矩美術館着

【浜松市秋野不矩美術館】

[14][左上]浜松市秋野不矩美術館駐車場入口の本企画展看板

[右上]浜松市秋野不矩美術館前にて1
[左下]同上2
[中下]秋野不矩『三菩薩像』1986
[右下]同『土の家(C)1987

[15][左上]秋野不矩『黄土』1978

[右上]同『土の家(A)1987
[左下]同『村童』1987
[中下]同『民家(ブバネシュワール/オールドタウン)1993
[右下]同『ガンガー』1999

1218分 浜松市秋野不矩美術館発→一般道90 54km/ 115km
1348分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム着

【豊川市桜ヶ丘ミュージアム『郷土の美術』展】

[16][左上]山本眞輔『街の朝』1994年にて

[右上]豊川市桜ヶ丘ミュージアム入口にて
[左下]同【郷土の美術展】入口にて
[中下]高畑郁子『夜花』
[右下]橋本博英『春の道』1992

【豊川市桜ヶ丘ミュージアム『郷土の美術展』から】

 展示作品は高畑郁子のものしかなかったが、展示された作品の作者の代表作をご紹介する

[17][左上]島田卓二『崖』1931

[右上]星野眞吾『喪中の作品・手』1964
[左下]石川彦男『ノートルダム・ド・アミアン』1981
[中下]島田昭章三『富士遠望』1989
[右下]平川敏夫『三河八景・菅生川春宵』1994

【豊川市桜ヶ丘ミュージアム『小林昭治/ペン画の世界/憧憬のヒマラヤ 8000m峰』展】

 前職場のOBVGJ役員のKさんのご紹介で、氏の登山の師である小林さんの本企画展を見て来た

[18][左上]本企画展leaflet

[右上]本展入口にて小林さんと two shot
[左下]小林昭治『Mount Everest8,848m
[中下]同『Rolwaling Himal Pigferago6,620m
[右下]同『ポタラ宮殿〔Tibet Lhasa〕』

1445分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム発→一般道 20 12㎞→
1505分 帰宅〔走行距離計 127km()

【後記11206()の午前中、小生偶然DVDで昔見た1955年制作のスペイン映画『汚れなき悪戯』の主題歌『マルセリーノ』を聴いた
 名曲だ! 映画も感動的な名画だ!
 見るたびに涙が出て止まらない!
 こういう名画を『となりのトトロ』以来、最近見たことがない

[19] 映画『汚れなき悪戯』から


 https://m.youtube.com/watch?v=1hN7AhNtzcQ

 https://m.youtube.com/watch?v=bqKFXlg1h6s

 https://m.youtube.com/watch?v=4WUw4gwpZto

【後記2】日付は【後記1】より3日遡った1203日、今年も来年の年賀状の準備に取り掛かった
 
写真は、「1003日『大垣城公園にて』」と「1114日『京都当尾:岩船寺三重塔・同:圓成寺山門・奈良:白毫寺から奈良市街夕景遠望』」
 なかなかいいでしょっ!

[20]2021年年賀状

 【後記】
【前書】昨日(1208())の朝、勤務先駐車場脇の土手の紅葉
が美しい灯台躑躅〔満天星(ドウダンツツジ)〕に目を奪われた

  美しき満点星の深紅かな 悟空

 Virtual real の世界で、此の拙句を arrange して愛しいひとに次の拙歌を贈る

  美しき満点星の深紅さへ  虚しく霞む君の美貌に  悟空

[21]勤務先駐車場脇の土手の紅葉が美しい灯台躑躅〔満天星(ドウダンツツジ)


 では、また‥〔了〕

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