■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0841】号をお届けします。
今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第59回/巻之七~第571句~580句〕」をご紹介する。
571 夕立(ゆふだち)にどの大名(だいみゃう)か一(ひと)しぼり 傘下(注1)
【意】何処の大名行列の一行か知らないが、俄かに降り出した夕立にびしょ濡れになっている
【解説】季語:夕立=三夏 /
(注1)加藤傘下(かとう さんか(生没年不詳)):尾張国名古屋の人
/ 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
芭蕉(ばせう)士(し)を送(おく)る
572 稲妻(いなづま)にはしりつきたる別(わかれ)かな 釣雪(注1)
【意】つい先日、漸く芭蕉翁にお逢い出来たと思いましたのにもうお別れとは、何とも名残惜しいもの です
【解説】季語:稲妻=三秋 /『更科紀行』に出発する芭蕉への餞別吟 /「以下七句同時」とある
(注1)大橋釣雪(おおはし ちょうせつ(生没年不詳)):尾張国名古屋の大橋左衛門 /『あら野』等に入句
573 なきなきて袂(たもと)にすがる秋(あき)の蝉(せみ) 一井(注1)
【意】お別れするあなたの袂に縋(すが)り乍ら私は別れを悲しんで泣いている / 恰も秋の蝉の様に
【解説】季語:秋の蝉=初秋 /
(注1)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国名古屋の門人 /芭蕉は、1688.01.11(貞亨04年12月9日)、『笈の小文』の旅の途次、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の蕉門らと七吟半歌仙(熱田三歌仙)巻いた
574 あき風(かぜ)に申(まうし)かねたるわかれ哉(かな) 野水(注1)
【意】秋風よ、愁いと寂しさを持って来る秋風よ、あなたとの別離はただ/\哀しい / 別れの言葉を探しているが、何も申し上げることも出来ない私をどうか許して下さい
【解説】季語:秋風=三秋 /
(注1)岡田野水(おかだ やすい(1658(?)-1743.04.16(寛保03年03月22日))):埜水とも / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅の途次、名古屋逗留(1684年)時の『冬の日』同人で、当時彼は27歳の男盛り / 近江蕉門や去来等、上方の門人とも親交を重ねた
575 物(もの)いはじたゞさへ秋(あき)のかなしさよ 舟泉(注1)
【意】何も言いますまい / 黙っていても、此の秋の哀しみは、ひたひたと私を浸(ひた)している / 此の上、何か一言でも言い出したら、堪えているものが一斉に溢れ出て、私は私自身を統制出来なくなり、あなたとの別離を嘆く続けるだろう
【解説】季語:秋=三秋 /
(注1)永田舟泉(ながた しゅうせん(?-1737.11.19(元文02)年10月27日(享年84歳))):三河国挙母(コロモ)(現・豊田市挙母町)生まれ
/ 尾張国名古屋の人 / 通称:六兵衛 / 1687(貞亨04)年に蕉門に入る
/『あら野』・『曠野後集』等に入句
576 霧(きり)はれよすがたを松(まつ)に見(み)えぬ迄(まで) 鼠彈(注1)
【意】霧よ、晴れてくれ / いま、行く人の後ろ姿を、心ゆく迄見送りたい / せめて、街道筋が見渡せる、あの並木の松の木の辺り迄は見送って名残を惜しみたいから‥
【解説】季語:霧=三秋 /
(注1)鼠弾(そだん(生没年不詳)):尾張国名古屋浄土寺の僧侶 /『あら野』・『あら野後集』・『其袋』等に入句
さらしなに行(ゆく)人々(ひとびと)(注1)にむかひて
(注1)さらしなに行(ゆく)人々(ひとびと):1688(貞享05)年秋、更科紀行の旅に出発した芭蕉と越智越人
577 更級(さらしな)の月(つき)は二人(ふたり)に見(み)られけり 荷兮(注1)
【意】彼の大和物語に拠れば、我が伯母を山に捨てた男は、月光に己を悔いて、「わが心なぐさめかねつ更科やをばをすて山に照る月を見て」と詠み、再び迎えに行ったのだという
/ あの二人に眺められた月は、どの様な悲愁を二人の心に与えたのだろう / 承れば、あなた方も更科へは、お「二人」で出かけらるのですネ
【解説】季語:月=三秋 / 二人とは、『更科紀行』の芭蕉と越人のこと
(注1)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保元年08月25日(享年69歳))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市
/ 別号:橿木堂・加慶 / 1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋蕉門の重鎮
/ 後年、内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮のstanceは保守的で、芭蕉の唱導した俳諧革新、中でも「軽み」には迎合出来なかった
/ 離反前は、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂 /芭蕉が『更科紀行』出立に際しては、奴僕を提供する等、旅の安全も支援している
越人(えつじn)旅立(たびだち)けるよし聞(きき)て京(きゃう)より申(まうし)つかはす
578 月(つき)に行(ゆく)脇差(わきざし)つめよ(注1)馬(うま)のうへ 野水
【意】伺えば、此の度の更科紀行の旅は、姨捨の名月を見ることだとか
/ ならば、其の長脇差は些(いささ)か不似合ですヨ / 用心の為だとは言い、馬上では脇差は短めにした方が宜しいのでは?
【解説】季語:月=三秋 /
(注1)脇差(わきざし)つめよ:「脇差」を「つめる」とは、脇差の長さを短くすること
579 おくられつおくりつはては木曾の秋 芭蕉
【意】人に送られ、自分も又人を送り、旅の途次で様々の出逢いと別れを経験して来たが、此の様にして何事にも逃れ様のない終局が訪れるのだ
/ 此の秋は、木曾の山奥で皆さんとの別れの哀しさを一入(ひとしお)味わうことになりそうだ
【解説】季語:秋=三秋 /「木曾」に「来」を掛ける
580 蜘(くも)の巣(す)の是(これ)も散行(ちりゆく)秋(あき)のいほ 路通(注1)
【意】すっかり木の葉も散り落ち、露(あら)わになった草庵の辺りには、秋風がさかんに吹き過ぎて行く / 軒端の蜘蛛の巣までが、主もなく吹き晒されて、今にも風に吹き散らされそうになる様子だ
【解説】季語:秋=三秋 /「旅」の題目に分類されている別離の句の中で、「独り寂しく取り残される送別の心境を」を詠んだものか‥
(注1)八十村路通(やそむら ろつう(1649(?)-1738(元文03年)(享年90歳))):露通とも / 近江国大津の人 / 三井寺に生まれ、古典や仏典に精通 / 蕉門の奇人と称される / 放浪行脚の乞食僧侶で詩人
/ 後に還俗 / 1685(貞亨02)年春に入門 / 1688(貞亨05)年頃より深川芭蕉庵近くに居住したと伝わる
/ 1689(元禄02)年 『奥の細道』では当初同行者だったが、曾良に変わった
/ 路通は、芭蕉に同道出来なかったが、敦賀で芭蕉を出迎え大垣まで同道 / 其の後暫く芭蕉に同行し1690.02.11(元禄03年01月03日)迄、京・大坂での生活を共にしている
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第60回/巻之七~第581句~590句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いては、12月04日(金)は今月1回目の平日公休だったので、旧東海道「知鯉鮒宿」→「鳴海宿」18.2kmを巡って来た模様についてお伝えする
【旧東海道知鯉鮒宿→鳴海宿への summary 】
[01][左上] 1.旧東海道知鯉鮒本陣跡→
[右上] 2.一ツ木、刈谷一里山一里塚→
[左下] 3.阿野一里塚→
[中下] 4.有松一里塚→
[右下] 5.旧東海道鳴海宿本陣跡を踏破した
其の日は、2020年12月最初の平日公休日で、旧東海道「知鯉鮒宿」→「鳴海宿」18.2km(うち2.2kmは余分に歩いた)を巡って来たので、其の模様についてお伝えする
05時00分 起床→腹筋2,000回→
06時00分 2.5kg木刀素振り60分
07時20分 入浴→朝食→
08時40分 拙宅発→一般道2時間44分 76㎞→
11時24分 名鉄鳴海駅近隣のcoin park着
11時36分 名鉄鳴海駅着
【名鉄鳴海駅→名鉄知立駅→旧東海道「池鯉鮒宿本陣跡」】
[02][左上]名鉄鳴海駅と其の日の最終目標「旧東海道鳴海宿本陣跡」位置関係の Google 航空 map
[右上]名鉄鳴海駅 platformにて
[左下]名鉄鳴海駅 11時46分発→名鉄本線
急行豊川稲荷ゆき→名鉄前後駅 Google 航空 map
[中下]名鉄前後駅→名鉄本線 急騰豊川稲荷ゆき→名鉄知立駅 Google 航空 map
[右下]旧東海道鳴海宿 本陣跡にて
12時24分 旧東海道池鯉鮒宿本陣跡発→徒歩→
13時27分 一ツ木、刈谷一里山一里塚
13時31分 同所発→徒歩→
【旧東海道 池鯉鮒宿本陣跡→一ツ木、刈谷一里山一里塚】
[03][左上]旧東海道一ツ木 刈谷一里山一里塚 同一里塚へ向かう途次、路傍の花1
[右上]同 同 同上2
[左下]同 同 同上を通り過ぎて戻った時の Google 航空 map
[中下]同 同 同所にて
[右下]同 同 同所の解説碑文
【旧東海道 阿野一里塚への街道筋風景】
[04][左上]旧東海道 阿野一里塚への旧東海道風景1
[右上]同上2
[左下]同上3
[中下]同上4
[右下]同上5
14時15分 境橋着
14時24分 境橋発→徒歩→
【旧東海道 阿野一里塚への途次 境川】
[05][左上]境川 境橋欄干
[右上]同 欄干脇の境橋解説
[左下]同 欄干にて
[中下]同 境橋にて1
[右下]同 同上2
14時52分 旧東海道 阿野一里塚着
【旧東海道 阿野一里塚】
[06][左上]阿野一里塚(北側)
[右上]同 同上にて1
[左下]同 同上2
[中下]同 同上解説板
[右下]同(南側)にて
15時00分 旧東海道 阿野一里塚発→徒歩→
15時44分 桶狭間着
16時16分 旧東海道 有松一里塚着
【旧東海道 有松一里塚への途次と有松一里塚】
[07][左上]旧東海道 有松一里塚への途次、路傍の花1
[右上]同 同 同上2
[左下]同 同 同上途次にある「桶狭間古戦場」案内
[中下]同 有松一里塚にて
[右下]同 同上解説板碑
【旧東海道有松一里塚→鳴海宿へ】
[08][左上]旧東海道有松一里塚→旧東海道鳴海宿へ向かう 路傍の南天の実
[左下]同 路傍の花1
[右上]同 同上2
[右中]同 街道筋風景1
[右下]同 同上2
[09][左上]旧東海道有松一里塚→鳴海宿への旧東海道風景3
[右上]同 同上にて
[左下]同 鳴海宿への旧東海道風景4
[中下]同 旧東海道鳴海宿本陣跡にて
[右下]同 同上解説板
17時00分 旧東海道鳴海発→徒歩→
17時07分 名鉄鳴海駅近隣coin park発→一般道 2時間05分71㎞→
19時12分 帰宅〔走行距離計147㎞/踏破歩数 23,846歩 18.2km〕
【此れ迄の歩行日と歩行距離】
【第1回】2020/10/25 舞坂宿→新居宿→白須賀宿 25.9km -(新所原-白須賀5km)=20.9km+(新所原-白須賀5km)
【第2回】2020/11/01 (新所原-白須賀5km)+白須賀宿→二川宿 6km/累計 26.9km (+ 5km×2=10km)
【第3回】2020/11/08 二川宿→吉田宿→御油宿→赤坂宿25.6km/ 52.5km (+
5km×2=10km)
【第4回】2020/11/11 赤坂宿→藤川宿 14.3km/ 66.8km (+10km)
【第5回】2020/11/21 藤川宿→岡崎宿15.9km/ 82.7km (+10km)
【第6回】2020/11/27 岡崎宿→知鯉鮒宿16.3km/ 99.0km (+10km)
【第7回】2020/12/04 知鯉鮒宿→鳴海宿16.0km(+2.2km)/ 115.0km
(+12.2km) (了)
■翌12月05日(土)は小生、補聴器の調整に浜松駅前迄行ったついでに、「浜松城」→「浜松市美術館」→「平野美術館」→「浜松市秋野不矩美術館」→「豊川市桜ヶ丘ミュージアム」と巡って来たので其の模様についてお伝えする
05時00分 起床→腹筋2,000回→
06時00分 2.5kg木刀素振り→
07時15分 入浴→朝食→
08時15分 拙宅発→一般道50分 37km→
09時05分 補聴器センター着
09時40分 同所発→一般道6分 2km/
39km㎞→
09時46分 浜松城公園駐車場着
【浜松城】
[10][左上]浜松城天守閣にて1
[右上]同上2
[左下]同上3
[右下]同上解説
09時52分 浜松市美術館着
【浜松市美術館『館蔵品展』】
[11][左上]浜松市美術館前にて
[右上]本企画展leaflet
[左下]岸田劉生『赤土と草〔草と赤土の道〕』1915年
[中下]仲山計介『春陽』2003年
[右下]同『兆し』2020年
10時23分 浜松城公園駐車場発→一般道3分
0.8km/ 40km→
10時26分 平野美術館着
【平野美術館『駿府博物館名品展』】
[12][左上]平野美術館前にて
[右上]同館内入口にて
[左下]同館内階段の結城素明『紅葉』1927年頃
[中下]本企画展leaflet〔絵は、伊東深水『吹雪』1946年頃〕
[右下]橋本雅邦『林間残照図』1903年
[13][左上]竹内栖鳳『秋霽』1927年
[右上]前田守一『天城トンネル』1999年
[左下]横山大観『仲秋の月』1953年頃
[右下]三木翠山『深園の月』制作年不詳
10時50分 平野美術館発→43分 21㎞/ 61km→
11時33分 浜松市秋野不矩美術館着
【浜松市秋野不矩美術館】
[14][左上]浜松市秋野不矩美術館駐車場入口の本企画展看板
[右上]浜松市秋野不矩美術館前にて1
[左下]同上2
[中下]秋野不矩『三菩薩像』1986年
[右下]同『土の家(C)』1987年
[15][左上]秋野不矩『黄土』1978年
[右上]同『土の家(A)』1987年
[左下]同『村童』1987年
[中下]同『民家(ブバネシュワール/オールドタウン)』1993年
[右下]同『ガンガー』1999年
12時18分 浜松市秋野不矩美術館発→一般道90分 54km/ 115km→
13時48分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム着
【豊川市桜ヶ丘ミュージアム『郷土の美術』展】
[16][左上]山本眞輔『街の朝』1994年にて
[右上]豊川市桜ヶ丘ミュージアム入口にて
[左下]同【郷土の美術展】入口にて
[中下]高畑郁子『夜花』
[右下]橋本博英『春の道』1992年
【豊川市桜ヶ丘ミュージアム『郷土の美術展』から】
展示作品は高畑郁子のものしかなかったが、展示された作品の作者の代表作をご紹介する
[17][左上]島田卓二『崖』1931年
[右上]星野眞吾『喪中の作品・手』1964年
[左下]石川彦男『ノートルダム・ド・アミアン』1981年
[中下]島田昭章三『富士遠望』1989年
[右下]平川敏夫『三河八景・菅生川春宵』1994年
【豊川市桜ヶ丘ミュージアム『小林昭治/ペン画の世界/憧憬のヒマラヤ 8000m峰』展】
前職場のOBでVGJ役員のKさんのご紹介で、氏の登山の師である小林さんの本企画展を見て来た
[18][左上]本企画展leaflet
[右上]本展入口にて小林さんと two shot
[左下]小林昭治『Mount Everest』8,848m
[中下]同『Rolwaling Himal Pigferago』6,620m
[右下]同『ポタラ宮殿〔Tibet Lhasa〕』
14時45分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム発→一般道 20分 12㎞→
15時05分 帰宅〔走行距離計 127km〕(了)
【後記1】12月06日(日)の午前中、小生偶然DVDで昔見た1955年制作のスペイン映画『汚れなき悪戯』の主題歌『マルセリーノ』を聴いた
名曲だ! 映画も感動的な名画だ!
見るたびに涙が出て止まらない!
こういう名画を『となりのトトロ』以来、最近見たことがない
[19] 映画『汚れなき悪戯』から
https://m.youtube.com/watch?v=1hN7AhNtzcQ
https://m.youtube.com/watch?v=bqKFXlg1h6s
https://m.youtube.com/watch?v=4WUw4gwpZto
【後記2】日付は【後記1】より3日遡った12月03日、今年も来年の年賀状の準備に取り掛かった
写真は、「10月03日『大垣城公園にて』」と「11月14日『京都当尾:岩船寺三重塔・同:圓成寺山門・奈良:白毫寺から奈良市街夕景遠望』」
なかなかいいでしょっ!
[20]2021年年賀状
【後記】
【前書】昨日(12月08日(火))の朝、勤務先駐車場脇の土手の紅葉が美しい灯台躑躅〔満天星(ドウダンツツジ)〕に目を奪われた
美しき満点星の深紅かな 悟空
Virtual real の世界で、此の拙句を arrange して愛しいひとに次の拙歌を贈る
美しき満点星の深紅さへ 虚しく霞む君の美貌に️ 悟空
[21]勤務先駐車場脇の土手の紅葉が美しい灯台躑躅〔満天星(ドウダンツツジ)〕
では、また‥〔了〕
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