今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第58回/巻之七~第561句~570句〕」をご紹介する。
旅
561 雲雀(ひばり)より上にやすろふ(注1)峠(たうげ)かな 芭蕉
【意】先程麓から見上げた時は、雲雀の囀る声より更に高く、どっしりと控えていると見えたあの峠で、今自分は休んでいる
/ そして、雲雀の声を下に聴いている
【解説】季語:雲雀=三春 / 03月21日頃の作と推定される / 此処を通って吉野に出る / 峠から見れば雲雀が下で鳴いている
(注1)やすろふ:正しくは「やすらふ」
大和國(やまとのくに)平尾村(ひらをむら)にて
562 花(はな)の陰(かげ)謡(うたひ)に似(に)たる旅(たび)ねかな 仝
【意】時節は春 / 場所は峠から吉野へかけての道 / 今宵、一夜の宿を桜木の下に定める
/ 寝つこうとしていると、何やら「行き暮れて木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし」と詠んだあの平忠度を主人公にした謡曲が思い浮かんだ
【解説】季語:花=晩春 / 1687(貞享04)年 /『笈の小文』の旅の途次、吉野の平尾村にての作 /
猶、自筆懐紙に拠れば、「大和の国を行脚しけるに、ある農夫の家に宿りて一夜を明かす程に、主(あるじ)情け深く持て成し侍れば」と詞書がある
563 櫻(さくら)咲(さく)里(さと)を眠(ねぶ)りて通(とほ)りけり 夕楓(注1)
【意】麗らかな春の陽気についうとうとしている間に乗り物に揺られて通り過ぎたのだが、実に見事な桜花満開の里だったという
/ 見られなかったことが残念で仕方ない
【解説】季語:桜=晩春 /
(注1)夕楓(せきふう):尾張国の人 / 人物について詳細不明
564 日(ひ)の入(いり)や舟(ふね)に見(み)て行(ゆく)桃(もも)の花(はな) 一髪(注1)
【意】日暮れ時に、桃花の美しい一群を通り過した / 舟に任せているのでその無情にも其の美しい情景は後景に去って行く
【解説】季語:桃の花=晩春 /
(注1)一髪(いっぱつ(生没年不詳)):美濃国の人 /『あら野』などに多数入句しているが、人物について詳細不明
565 のどけしや湊(みなと)の晝(ひる)の生(なま)ざかな 荷兮(注1)
【意】春の日の柔らかで長閑(のどか)な港の景色 / 朝上がった生魚が未だ放置された儘になっている
【解説】季語:のどけし(長閑し)=三春 /
(注1)山本荷兮(やまもと
かけい(1648-1716.10.10(享保元年08月25日(享年69歳)))):本名:山本周知 / 名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一:・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 16838(貞亨元)年以来の尾張国名古屋の蕉門の重鎮 / のち内紛によって芭蕉と袖を分かつ
/ 荷兮は、結局保守派で、芭蕉が次々と唱導する俳諧革新、特に「軽み」にはついていくことが出来なかった / 1693年(元禄06年11月)に『曠野後集』を出版、その序文に幽斎・宗因など貞門俳諧を賞賛 / 蕉門の去来など理論派から此れを大いに非難された / 離反する以前、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂
/『更科紀行』で、奴僕を提供し芭蕉一行の旅の安全を支援した
566 ひとつ脱(ぬぎ)で後(うしろ)におひぬ衣(ころも)がへ 芭蕉
【意】世間一般の衣がへなら、綿入れを脱ぎ、夏着の袷(あわせ)に着替える処だが、旅の途次である私の場合は、此れ迄の重ね着を一枚脱ぎ背中の包みに仕舞い込むだけだ
【解説】季語:衣がへ=初夏 / 1687(貞享04)年、笈の小文の旅の途次の作
ある人の餞別に
567 ほとゝぎすなみだおさへて笑ひけり 除風(注1)
【意】「昔思ふ草の庵の夜の雨に涙な添へそ山ほととぎす」(新古今集)とある様に、時鳥は涙を誘うものだ / だが、時鳥の初音を聴くと、誰もが笑みを洩らす
/ いま、貴女との別れる哀しさは抑え切れないが、門出に涙は禁物 / 強いて笑顔でつくるのだ
【解説】季語:ほとゝぎす=三夏 /
(注1)如風(じょふう(1625-1705.11.07(宝永02年09月21日(享年80歳))):尾張国鳴海の如意寺住職 / 文英和尚 / 名古屋蕉門の一人 /『冬の日』同人
568 寐(ね)いらぬに食(めし)燒(た)く宿(やど)ぞ明(あけ)やすき 冬松(注1)
【意】夏の短夜 / 寝苦しさにまんじりともせぬうちに、此の宿の者たちは早くも朝飯の仕度にかかった
/ 短夜が益々短く感じられる
【解説】季語:明(あけ)やすき=三夏 /
(注1)冬松(とうしょう(生没年不詳)):人物について詳細不明 /『あら野』などに入句
569 蚊(か)をころすうちに夜8(よ)明(あく)る旅(たび)ね哉(かな) 昌碧(注1)
【意】蚊帳がないのでとうとう夜通し、蚊を追っているうちに朝を迎えて仕舞った
/ 夏の短夜の旅寝での一コマ
【解説】季語:蚊=三夏 /
(注1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 /
1688年(貞亨04年11月)『笈の小文』の旅の折、蕉門に入る /『あら野』などに入句
570 五月雨(さみだれ)や柱(はしら)目(め)を出(だ)す市(いち)の家(いえ) 松芳(注1)
【意】貧しい町中の家、安普請で生木を柱に使ったりするものだから、梅雨時の湿気に目を覚ましたか木の芽が出て来たヨ
【解説】季語:五月雨=仲夏 /「目」は「芽」
(注1)松芳(しょうほう(生年不詳)):尾張国の人 /『阿羅野』に入句
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第59回/巻之七~第571句~580句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いては、11月21日(土)に旧東海道「藤川宿」→「岡崎宿」8.3km他を巡って来た模様についてお伝えする
05時30分 起床→腹筋2,000回→
06時30分 2.5kg木刀素振り60分
07時40分 入浴→朝食→
08時57分 拙宅発→一般道64分 30㎞→
10時01分 名鉄東岡崎駅東700mの coin park 着
【名鉄東岡崎駅→藤川駅】
[01][左上]名鉄東岡崎駅近隣駐車場→名鉄東岡崎駅への Google 航空
map
[左下]同 platformにて1
[中下]同 同上2
[右下]名鉄藤川駅北口にて
【旧東海道藤川宿】1
[02][左上]藤川宿 案内看板
[右上]同 同=藤川宿資料館
[右中]同 同所北にある「むらさき麦栽培地」看板
[右下]同 同所全景
[03][左上]藤川宿 脇本陣 石垣1
[左下]同 脇本陣 石垣にて1
[中下]同 同上2
[右下]同 同所傍の「本陣跡」説明板にて
[04][左上]藤川宿 脇本陣傍の「本陣跡」説明板
[左下]同 同上「高札場」にて
[中下]同 脇本陣=藤川宿資料館前にて
[右下]同 同上内部にて
[05][左上]藤川宿ご案内(表)
[左下]同 脇本陣「東海道 藤川宿」石碑
[中下]同 脇本陣→藤川一里塚への Google 航空 map
[右下]同 藤川一里塚にて1
[06][左上]藤川一里塚にて2
[左下]同上 解説板
[中下]藤川一里塚→西大平藩陣屋跡への Google 航空 map
[右下]藤川松並木解説板
【旧東海道藤川松並木】
[07][左上]藤川松並木 同所にて1
[左下]藤川松並木
[中下]同上の西端の旧東海道風景1
[右下]同上2
【旧東海道藤川松並木西端→乙川への道】
[08][左上]旧東海道藤川松並木西端の街道風景3
[左下]同 同上2
[中下]同 路傍の小川
[右下]同 乙川の
Google 航空map
[09][左上]旧東海道藤川松並木から乙川へ至る道にて1
[左下]同上3
[中下]同上4
[右下]同上 乙川河畔の風景
[10][左上]旧東海道乙川河畔にて
[左下]旧東海道乙川河畔北の「大平川水神社」Google 航空 map
[中下]同 解説板
[右下]同 同所にて
【旧東海道乙川河畔→西大平藩陣屋跡】
[11][左上] 旧東海道乙川河畔→西大平藩陣屋跡への Google 航空 map
[左下]同 同上2
[中下]同 旧東海道風景1
[右下]同 同上2~西大平藩陣屋跡前
【西大平藩陣屋跡】
[12][左上]西大平藩陣屋 門前にて1
[左下]同 門前にて2
[中下]同 大岡越前守忠相 解説板
[右下]同 大岡稲荷社 解説板
【西大平藩陣屋跡→大平一里塚】
[13][左上]西大平藩陣屋跡 大岡稲荷社前にて
[右上]西大平藩陣屋跡→大平一里塚への Google 航空 map
[左下]大平一里塚 解説板
[中下]大平一里塚
[右下]同所にて
【旧東海道岡崎宿西本陣中根家跡】
[14][左上]大平一里塚近隣 旧東海道脇の花1
[左下]旧東海道岡崎宿西本陣中根家跡 Google 航空 map
[中下]同 本陣・脇本陣跡解説
[右下]同 同所にて1
【旧東海道岡崎宿西本陣中根家跡→岡崎城】
[15][左上]旧東海道岡崎宿西本陣中根家跡 同所にて2
[右上]同 西本陣前角 石碑
[右中]岡崎城 お濠1
[右下]同 同上2
【岡崎城】
[16][左上]岡崎城 お濠3
[左下]同 同所にて1
[中下]同 お濠5
[右下]同 同所にて2
[17][左上]岡崎城 天守閣前にて1
[左下]同 天守閣前「家康公遺訓」石碑
[中下]同 同上「家康公遺言」石碑
[右下]同 同所にて
[18][左上]岡崎城「東照公遺訓碑由来」
[左下]岡崎城→六所神社への Google 航空 map
[中下]旧東海道藤川宿→岡崎城への walking 歩数 18,656歩/14.3km
[右下]六所神社 御朱印
【六所神社】
[19][左上]六所神社 鳥居前にて
[左下]同 楼門前にて
[中下]同 拝殿前にて
[右下]旧東海道藤川宿→六所神社→名鉄東岡崎駅近隣駐車場迄 walking 歩数 20,796歩/15.9km
16時44分 名鉄東岡崎駅近隣駐車場発→一般道33㎞→
17時56分 帰宅〔走行距離計63㎞〕(了)
■続いての話題 / 更に11月27日(金)は、今月4回目の平日公休日で、旧東海道「岡崎宿」→「知鯉鮒宿」13.3kmを歩いて来た模様についてお伝えする
07時30分 起床→腹筋2,000回→
08時30分 2.5kg木刀素振り60分
09時40分 入浴→朝食→
10時32分 拙宅発→一般道1時間53分 57㎞→
12時25分 名鉄知立駅近隣のcoin
park着
12時47分 名鉄東岡崎駅着
【名鉄東知立駅→東岡崎駅へ】
[20][左上]名鉄知立駅 北口にて
[左下]同 12時38分発→快速特急豊橋ゆきの閑散とした車内
[中下]名鉄東岡崎駅北口を
back に
[右下]名鉄東岡崎駅→旧東海道岡崎宿
西本陣中根家跡への Google 航空 map
13時10分 旧東海道岡崎宿 西本陣中根家跡着
【旧東海道岡崎宿西本陣中根家跡石碑→矢作橋へ】
[21][左上]岡崎宿 西本陣中根家跡石碑にて
[左下]同 旧東海道から岡崎城隅櫓遠望
[中下]同 旧東海道から岡崎城天守閣遠望
[右下]同 旧東海道矢作橋から矢作一里塚への Google 航空 map
13時34分 矢作橋着
13時51分 勝蓮寺前着
【旧東海道 矢作橋→矢作一里塚へ】
[22][左上]岡崎宿 矢作橋と矢作川
[左下]同 矢作橋西端にある蜂須賀小六と日吉丸「出会之像」にて
[中下]同 矢作一里塚があったとされる勝蓮寺前にて
[右下]同 勝蓮寺前の旧東海道
【旧東海道矢作一里塚→尾崎一里塚へ】
[23][左上]矢作一里塚→尾崎一里塚への Google 航空 map
[左下]同 同上2
[中下]同 同上3にて
[右下]同 同上4にて
【旧東海道矢作一里塚→尾崎一里塚へ】2(完)
14時56分 尾崎一里塚着
[24][左上]旧東海道矢作一里塚→尾崎一里塚への旧東海道風景5
[右上]旧東海道尾崎一里塚 一里塚がある「熊野神社」鳥居から本殿を望む
[左下]同 尾崎一里塚石碑と熊野神社バス停
[中下]同 尾崎一里塚石碑にて1
[右下]同 同上2
【旧東海道尾崎一里塚→来迎寺一里塚へ】
15時17分 永安寺雲竜松着
[25][左上]尾崎一里塚→来迎寺一里塚への Google 航空 map
[左下]同上途次にある永安寺の雲竜の松
[中下]同上 解説板
[右下]同上にて
[26][左上]旧東海道尾崎一里塚→来迎寺一里塚への旧東海道風景2
[左下]同上4にて
[中下]同上5
[右下]同上6にて
16時07分 来迎寺一里塚着
[27][左上]旧東海道尾崎一里塚→来迎寺一里塚への旧東海道風景7
[左下]同上 松並木にあった「来迎寺町ご案内」看板
[中下]旧東海道来迎寺一里塚
[右下]同 同所にて1
【旧東海道来迎寺一里塚】
[28][左上]旧東海道来迎寺一里塚 一里塚にて2
[左下]同 同所にて
[中下]同 同所→知鯉鮒宿本陣跡への Google 航空 map
[右下]同 旧東海道脇〔来迎寺町〕に咲いていた「皇帝ダリア」
【旧東海道来迎寺一里塚→知鯉鮒宿本陣跡へ】
16時25分 旧東海道〔牛田町〕松並木着
[29][左上]旧東海道脇〔来迎寺町〕に咲いていた冬の花「山茶花」
[左下]同上2にて
[中下]同上3にて
[右下]同上4
【旧東海道〔牛田町の松並木〕→知鯉鮒宿本陣跡へ】
16時58分 旧東海道知鯉鮒宿本陣跡着
[30][左上]旧東海道〔牛田町〕松並木5
[左下]同 同上2にて
[中下]同 同上3にて
[右下]同 同上4 解説板
【今日の歩行距離・歩数/旧行知立支店外観】
[31][左]今日の歩行距離・歩数
17時05分 名鉄知立近隣coin
park発→一般道 1時間58分 58㎞→
19時05分 帰宅〔走行距離計115㎞/歩行距離16.3km 22,349歩〕
旧行知立支店は、入行三年目の昭和55年の得意先係時代と、平成11年の店長席時代の2回勤務した堀田支店時代に夫々店務手伝いに行ったことがある店なので懐かしさを感じる店である
【此れ迄の歩行日と歩行距離】
【第1回】2020/10/25 舞坂宿→新居宿→白須賀宿 25.9km -(新所原-白須賀5km)=20.9km+(新所原-白須賀5km)
【第2回】2020/11/01 (新所原-白須賀5km)+白須賀宿→二川宿 6km/累計 26.9km
(+ 5km×2=10km)
【第3回】2020/11/08 二川宿→吉田宿→御油宿→赤坂宿25.6km/ 52.5km (+ 5km×2=10km)
【第4回】2020/11/11 赤坂宿→藤川宿
14.3km/ 66.8km (+ 10km)
【第5回】2020/11/21 藤川宿→岡崎宿15.9km/
82.7km (+ 10km)
【第6回】2020/11/27 岡崎宿→知鯉鮒宿16.3km/
99.0km (+ 10km)
(了)
◼️今日最後の話題は、11月28日(土)、毎月一回の名古屋市東区にあるN歯科医院へ月例健診の日だったので、ついでに、松坂屋美術館『再興第105回院展』→らあめん専門店『陣屋』→メナード美術館『コレクション展1【後期】』展→N歯科医院→名都美術館『小野竹喬(1889.11.20-1979.05.10)』展【後期】と巡って来た模様についてお伝えする
04時50分 起床→腹筋2,000回→
05時50分 2.5kg木刀素振り60分
07時00分 入浴→朝食→
08時04分 拙宅発→一般道2時間16分 84㎞→
10時20分 エンゼルパーク駐車場着
10時28分 松坂屋美術館着
【松坂屋美術館『再興第105回院展』】
[32][左上]松坂屋美術館入口『再興第105回院展』看板前にて(7F会場)
[左下]【同人】小田野尚之『風止む』
[中下]【同人】清水由朗『海流』
[右下]【同人】伊藤髟耳『重なる山の向こう』
[33][左上] 【同人】清水達三『京都舞妓』
[左下] 【同人】那波多目功一『奥入瀬の秋』
[中下] 【同人】松村公嗣『牡丹群像』
[右下] 【同人】小山硬『パリの風景(カルーセル凱旋門)』
[34][左上]辻村和美『茜の帰路』
[左下]本地裕輔『雨の錦通り』
[中下]守みどり『朱夏』《無鑑査》
[右下]吉村佳洋『夜宴』《日本美術院賞(大観賞)》
11時11分 エンゼルパーク駐車場発→一般道4km 15分→
11時28分 らあめん専門店『陣屋』着
【らあめん専門店専門店『陣屋』にて昼食】
『陣屋』での根菜soup味噌チャーシュー麵は最高である!
毎月1回名古屋迄歯科健診に来ているが、此処『陣屋』のらあめんを食する為に歯科健診を口実にしているのかも‥(笑)
[35][左]『陣屋』前のオズモールmonument横にて
[右下]『陣屋』前にて
12時06分 らあめん専門店『陣屋』駐車場発→一般道 33分 12㎞/100km →
12時39分 メナード美術館駐車場着
【メナード美術館『コレクション展Ⅰ【後期】』】
[36][左上]メナード美術館入口前にて1
[右上]D.Gabriel Rossetti『肖像』1869年
此のロセッティの描いた女性像は、男性的な美しさが強烈に印象的で好きな絵だ
[左下]Marino Marini『馬と騎手(街の守護神)』1949年
[中下]Kees van Dongen『二人の裸婦と風船』1905年頃
[右下]Maurice Utrillo『教会』1913年
[37][左上]Nicolas de Stael『灯台(アンティーブ)(Lighthouse(Antibes))』1954年
[左下] Jules Pascin『バラ色のリボンの少女』1926年
[中下]横山大観『砂丘に聳ゆ』1941年
[右下]安田靫彦『富士秋霽(しゅうせい)』1972年
[38][左上]福田平八郎『筍』1960年
[左下]山本丘人『残春』1982年
[中下]吉田善彦『雪の渓流』1982年
[右下]同『斑鳩春宵』1983年
13時12分 名都美術館駐車場発→一般道40分 13km/113km→
13時52分 N歯科医院着
14時43分 同所発→一般道33分 13㎞/126km→
15時16分 名都美術館駐車場着
【名都美術館『小野竹喬【後期】』展】
小野竹喬(1889/11/20-1979/05/10)の画風は、特に晩年の高度な技量をbaseに彼独自の色彩感覚とデフォルメされた処が小生大好きだ!
以下に up した10枚の作品をご覧頂きたい
最初にご紹介する比較的写実的な『富士』を除いた9点は、小野竹喬の特徴をよく表している傑作群だと思う
2枚目にご紹介する『仲秋の月』1947年は、晩年の画風への過渡期の作品と言えるだろう
[39][左上]名都美術館入口にて
[右上]本企画展leaflet
&「小野竹喬 見どころガイド」
[左下]小野竹喬『富士』1942年〔笠岡市立竹喬美術館蔵〕
[右下]同『仲秋の月』1947年〔同館蔵〕
昭和30年以降の画風は、小生を心の奥底まで癒してくれる‥
Pastel 調の優しく穏やかな色彩と、対象物と背景を思い切ってデフォルメして「画題」を前面に押し出して来る絶妙な表現力には脱帽だ!
竹喬『春らんまん』の絵を見ていると、四季の春の桜花を愛でる大和ごころを感じさせてくれる
また、「『伊豆の海』1958年」や、「『湖』1966年」は France 印象派の絵を想起させ、其れを彼なりに日本流に洗練・昇華させている
[40][左上]小野竹喬『瀬戸の海』1955年頃〔笠岡市立竹喬美術館蔵〕
[左下]同『伊豆の海』1958年〔同館蔵〕
[右下]同『湖』1966年〔同館蔵〕
1966年制作の『海』は、一見平凡な絵に見えるが、ジッと見ていると、Ivory 色の小舟と其の船を漕ぐ船頭の姿が蒼い海原に浮かび、ゆったりと揺れる長閑な雰囲気と見事に調和して見る者を虜にする
晩年の1974年制作の『樹間の茜』と『奥の細道‥』1976年を見た瞬間、Fauvism
の画家のマティスやゴーギャンの風景画を彷彿とさせてくれる「構図」と「色彩感覚」が絶妙だ!
最晩年の『伊豆の海』1977年の作品は、小野竹喬の有終の美を飾るに相応しい、洗練された「美の極致」の傑作だ1
[41][左上] 小野竹喬『海』1971年〔笠岡市立竹喬美術館蔵〕
[右上]同『樹間の茜』1974年〔同館蔵〕
[左下]同『奥の細道句抄絵「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風』1976年〔京都国立近代美術館蔵〕
[右下]同『伊豆の海』1977年〔笠岡市立竹喬美術館蔵〕
15時50分 名都美術館駐車場→一般道 2時間25分 66 ㎞→
18時15分 帰宅〔走行距離計192㎞〕(了)
では、また‥〔了〕
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