今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第27回/第251句~260句〕」をご紹介する。
251角(つの)落(おち)てやすくも見ゆる小鹿(をじか)哉(かな) 蕉笠(注1)
【意】晩春、牡鹿は角の落とす
/ 角の落ちた鹿の丸坊主になった頭の微笑ましさを詠んだ / 剃髪した人の安んじた心境を暗示しているとも言える
【解説】季語:鹿の角落(つのおとし)=落角(おとしづの)=晩春 /(注1)蕉笠(しょうりつ(生没年不詳)):美濃国岐阜の人 /『あら野』に入句
252 なら漬(づけ)に親(おや)よぶ浦(うら)の汐干(しほひ)哉(かな) 越人(注1)
【意】親等は沖の干潟で潮干狩りをしている
/ 昼飯を持ってきた子供が、「奈良漬のご飯が出来た」と大声で呼んでいる
【解説】季語:汐干=汐干狩=晩春
/(注1)越智越人(おち えつじん(1656(明暦02)-1739(元文04(?)):江戸時代前期の俳諧師 / 別号:槿花翁(きんかおう) / 越後に生まれ、尾張国名古屋にて紺屋(こうや・こんや=染物屋)を営む / 1684(貞享元)年 芭蕉に会い蕉門に入門 / 尾張蕉門の重鎮で蕉門十哲の一人 / 1688(貞享05)年「更科紀行」の旅に同行 / 名古屋に縁のある越人の墓所は、浄土真宗本願寺派「転輪山長円寺(名古屋市中区栄二丁目4-23)」/ 墓石には「負山氏越人叟之墓」とある
253 おやも子も同じ飲手(のみて)や桃(もも)の酒(さけ) 傘下(注1)
【意】三月三日の「桃の節句」では清めの桃花入りの酒を女性たちが飲む
/ 母親と娘たちが慣れない手つきで清めの酒を飲み、顔を赤くしている
【解説】季語:桃の酒=仲春
/(注1)加藤傘下(かとう さんか)(生没年不詳):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
254 人(ひと)霞(かす)む舟(ふね)と陸(くが)との汐干(しほひ)かな 三輪 友重(注1)
【意】大潮の干潟
/ 海は遥かに遠く沖合いに消え、陸から沖へ向かった人、沖から舟で遣って来た人、いずれの潮干狩りの人たちも、皆まばらに霞んで見える / 広大な干潟の風景‥
【解説】季語:汐干=晩春
/(注1)友重(ゆうじゅう):人物については詳細不詳
255 山(やま)まゆ(注1)に花(はな)咲(さき)かねる躑躅(つつじ)かな 荷兮(注2)
【意】山中の躑躅(ツツジ)が蕾の儘開花出来ずにいる / 山繭の糸が躑躅の蕾に確り巻き付いているからだ
/
【解説】季語:躑躅(つつじ)=晩春、(山繭=天蚕=晩夏) /(注1)山まゆ:天蚕(てんさん)と言い、山地に自生する蚕蛾 / 緑色や黄色の最高級の絹糸を紡ぐ蚕(カイコ)
(注2)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保01.08.25(享年69歳))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 貞亨元(1684)年以来の尾張名古屋の蕉門の重鎮 / 後年、芭蕉と(とくに「軽み」等で)意見会わず蕉門から離れた / 元禄06(1693)年11月出版の『曠野後集』で荷兮は、其の序文に幽斎・宗因等貞門俳諧を賞賛のcommentを掲載し、蕉門理論派・去来等から此れを強く非難されてもいる / 彼の蕉門時代の足跡に、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集編纂がある
256
朧夜(おぼろよ)やながくてしろき藤(ふじ)の花 兼正(注1)
【意】朧月夜 / 全てがぼんやりとした情景の中に、藤の花がくっきりと長い房を垂れているのが見える
【解説】季語:藤の花=晩春 /
(注1)兼正(けんせい):作者については詳細不詳
257 篝火(かがりび)に藤(ふじ)のすゝけぬ鵜舟(うぶね)かな 亀洞(注1)
(注1)武井亀洞(たけい きどう((?)-1687):尾張名古屋の人 /『春の日』に初出 / 越人の弟子と言われている /『あら野』・『庭竈集』などに入句
258 永(なが)き日(ひ)や鐘(かね)突(つく)跡(あと)もくれぬ也(なり) 卜枝(注1)
(注1)卜枝(ぼくし(生没年不詳)):近江国の人 / 後に尾張国津島の蓮花寺に寓居していた伝わる / 貞門に入門後、蕉門に / 俳号は遠方とも /『あら野』などに入句
259 永(なが)き日(ひ)や油(あぶら)しめ木(ぎ)のよは(=わ)る音(おと) 野水(注1)
(注1)岡田野水(おかだ やすい((?)-1743.04.16(寛保03.03.22):埜水とも / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した(1684年)際の『冬の日』同人 / 其の頃、野水は27歳の男盛り / 又、彼は近江蕉門や向井去来等上方の門人との親交も厚かった
260 行(ゆく)春(はる)のあみ(注1)塩(しほ)からを残(のこ)しけり 同
(注1)あみ:甲殻綱アミ目のエビに似た節足動物の一群の総称 / 体長1~2cm / 殆どが海産で、日本近海で約130種が知られる / 汽水・淡水に棲む種もある / 飼料や釣りの蒔き餌や、塩辛・佃煮等食用にする
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第28回/第261句~270句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いては、04月28日(火)~29日(水)&05月01日(金)に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『エール』が、3回に亘って我等が街豊橋・吉田城跡・伊興部海岸が舞台となり、story 展開も見事だったのでご紹介する。
04月28日(火)の日中、Facebook で、Facebook のお友達の 宮崎さんや、青木君【時習26回 3-4】から豊橋が舞台になっている旨教えて貰ったので、小生も勤務先から帰宅して早速『エール』(録画)を見た。
【エール】〔04月28日(火)放送分〕
4月25(土)に巡った吉田城跡、教会での二人、清純な感じが凄く感じがいい!
吉田城跡は、当時、陸軍歩兵第十八聯隊の基地だった。
以下は【余談】。
其の第十八聯隊は、1944(昭和19)年3月 テニアン島進駐を命じられ、移動中、沖大東島南方200kmの海上にて、米国海軍の潜水艦魚雷攻撃により輸送船が沈没、連隊長以下16百余名死亡するが、約18百名はサイパン島に上陸、同年5月 グアム島へ移駐 / 同年7月21日 米軍上陸開始、激戦を繰り広げるも、7月25日 師団長の許可を得て聯隊旗奉焼、其後の夜間戦闘で連隊長以下の大半が戦死し幕を閉じた。
旧陸軍の編成は、小生の記憶に間違いなければ以下の通り。
【意】朧月夜 / 全てがぼんやりとした情景の中に、藤の花がくっきりと長い房を垂れているのが見える
【解説】季語:藤の花=晩春 /
(注1)兼正(けんせい):作者については詳細不詳
257 篝火(かがりび)に藤(ふじ)のすゝけぬ鵜舟(うぶね)かな 亀洞(注1)
【意】鵜飼舟に勢いよく燃える篝火
/ 岸近くに寄せた舟上に、岸辺の樹から垂れ下がった藤の花房が篝火の光に映えて浮かび上がった / 篝火の煙に煤(すす)けもせずに、鮮やかにくっきりと
【解説】季語:藤=晩春
/(注1)武井亀洞(たけい きどう((?)-1687):尾張名古屋の人 /『春の日』に初出 / 越人の弟子と言われている /『あら野』・『庭竈集』などに入句
258 永(なが)き日(ひ)や鐘(かね)突(つく)跡(あと)もくれぬ也(なり) 卜枝(注1)
【意】春の日は長い
/ もう入相の鐘も鳴ったのに、まだ明るい
【解説】季語:永き日=三春
/『春日遅々』は和歌題にもなっている(注1)卜枝(ぼくし(生没年不詳)):近江国の人 / 後に尾張国津島の蓮花寺に寓居していた伝わる / 貞門に入門後、蕉門に / 俳号は遠方とも /『あら野』などに入句
259 永(なが)き日(ひ)や油(あぶら)しめ木(ぎ)のよは(=わ)る音(おと) 野水(注1)
【意】胡麻や菜種から油を絞り採る際、槽に入れて楔で締め付けて置くと、油が抽出された後締め木は緩む
/ 其の締め木装置全体がきしむ音をたてる / 其の音に、油が搾り採られる迄の長い、もの憂い時間が感知され、延いては其れが、春の日永の、もの憂い時間を表象している
【解説】季語:永き日=三春(注1)岡田野水(おかだ やすい((?)-1743.04.16(寛保03.03.22):埜水とも / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した(1684年)際の『冬の日』同人 / 其の頃、野水は27歳の男盛り / 又、彼は近江蕉門や向井去来等上方の門人との親交も厚かった
260 行(ゆく)春(はる)のあみ(注1)塩(しほ)からを残(のこ)しけり 同
【意】此れ迄蓄えて賞味して来たあみ塩辛と同様、春も残り少なくなった
/ 春を見送ると初夏の到来だ
【解説】季語:行春=晩春
/(注1)あみ:甲殻綱アミ目のエビに似た節足動物の一群の総称 / 体長1~2cm / 殆どが海産で、日本近海で約130種が知られる / 汽水・淡水に棲む種もある / 飼料や釣りの蒔き餌や、塩辛・佃煮等食用にする
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第28回/第261句~270句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いては、04月28日(火)~29日(水)&05月01日(金)に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『エール』が、3回に亘って我等が街豊橋・吉田城跡・伊興部海岸が舞台となり、story 展開も見事だったのでご紹介する。
04月28日(火)の日中、Facebook で、Facebook のお友達の 宮崎さんや、青木君【時習26回 3-4】から豊橋が舞台になっている旨教えて貰ったので、小生も勤務先から帰宅して早速『エール』(録画)を見た。
【エール】〔04月28日(火)放送分〕
4月25(土)に巡った吉田城跡、教会での二人、清純な感じが凄く感じがいい!
吉田城跡は、当時、陸軍歩兵第十八聯隊の基地だった。
以下は【余談】。
其の第十八聯隊は、1944(昭和19)年3月 テニアン島進駐を命じられ、移動中、沖大東島南方200kmの海上にて、米国海軍の潜水艦魚雷攻撃により輸送船が沈没、連隊長以下16百余名死亡するが、約18百名はサイパン島に上陸、同年5月 グアム島へ移駐 / 同年7月21日 米軍上陸開始、激戦を繰り広げるも、7月25日 師団長の許可を得て聯隊旗奉焼、其後の夜間戦闘で連隊長以下の大半が戦死し幕を閉じた。
旧陸軍の編成は、小生の記憶に間違いなければ以下の通り。
【分隊】分隊長 : 軍曹 構成人数60人
【小隊】小隊長 : 少尉 3個分隊 : 構成人数180人
【中隊】中隊長 : 大尉 3個小隊 : 構成人数500人
【大隊】大隊長 : 中佐 3個中隊 : 構成人数1,500人
【聯隊】聯隊長 : 大佐 3個大隊 : 構成人数5,000人
【旅団】旅団長 : 少将 2個聯隊 : 構成人数10,000人
(注)【旅団】は、支那(中華民国(当時))派遣軍隊独自の単位
【師団】師団長 : 中将 3個聯隊 : 構成人数15,000人
【軍団】軍団長 : 大将 複数師団
【小隊】小隊長 : 少尉 3個分隊 : 構成人数180人
【中隊】中隊長 : 大尉 3個小隊 : 構成人数500人
【大隊】大隊長 : 中佐 3個中隊 : 構成人数1,500人
【聯隊】聯隊長 : 大佐 3個大隊 : 構成人数5,000人
【旅団】旅団長 : 少将 2個聯隊 : 構成人数10,000人
(注)【旅団】は、支那(中華民国(当時))派遣軍隊独自の単位
【師団】師団長 : 中将 3個聯隊 : 構成人数15,000人
【軍団】軍団長 : 大将 複数師団
舊陸軍「大尉」と舊海軍「大佐」が、英語では、同じ " captain "だ。
更にまた、陸軍「大尉」は「りくぐん・【た】いい」と言う呼称だが、海軍「大尉」は「かいぐん・【だ】いい」と呼んだ。
軍歌「若鷲の歌(予科練の歌)」
https://www.youtube.com/watch?v=thPYr3c0JU0
と「ラバウル航空隊」も古関裕而の作曲に拠る。
https://www.youtube.com/watch?v=o9YT-mPjqbM
上記写真の馬上の兵士が、陸軍第十八聯隊の兵士であることに間違いはないが、古関裕而が、上記軍歌のヒットを通して、結果的に多くの若人を戦死に至らしめたことに苛まれる伏線になっている。
だからこそ、戦後は、暗い戦中を打破して、明るい未来を描こうと、甲子園の「栄冠は君に輝く」始め、名曲を次々と作曲して行ったのだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=LRiELg-AueA
此の You tube の甲子園の「栄冠は君に輝く」は最高!
[01]NHK朝の連ドラ『エール』の04月28日放送scene1
又、旧行時代の後輩で、福島出身の佐藤(T)君が Facebook で、「福島駅東口を出た目の前に、小さいですが、古関裕而がピアノを弾いてるモニュメントがあります」と教えてくれたので早速調べてみた。
[05]福島駅(上)・福島駅前の古関裕而像(下)
【エール】〔04月29日(水)放送分〕
此の日の【エール】も良かったーッ! 清純さが心に響く!
[07]NHK朝の連ドラ『エール』の04月29日放送scene1
【小生 comment 】
旧行時代同期の山田君の言葉を以下に記す。事程左様に、評判も上々!
「このプロ役者4人の演技のぶつかり合いが凄かった!画面に釘付けになったよ」
【エール】〔05日01日(金)放送分〕
更にまた、陸軍「大尉」は「りくぐん・【た】いい」と言う呼称だが、海軍「大尉」は「かいぐん・【だ】いい」と呼んだ。
軍歌「若鷲の歌(予科練の歌)」
https://www.youtube.com/watch?v=thPYr3c0JU0
と「ラバウル航空隊」も古関裕而の作曲に拠る。
https://www.youtube.com/watch?v=o9YT-mPjqbM
上記写真の馬上の兵士が、陸軍第十八聯隊の兵士であることに間違いはないが、古関裕而が、上記軍歌のヒットを通して、結果的に多くの若人を戦死に至らしめたことに苛まれる伏線になっている。
だからこそ、戦後は、暗い戦中を打破して、明るい未来を描こうと、甲子園の「栄冠は君に輝く」始め、名曲を次々と作曲して行ったのだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=LRiELg-AueA
此の You tube の甲子園の「栄冠は君に輝く」は最高!
[01]NHK朝の連ドラ『エール』の04月28日放送scene1
↑↑右中・右下は、吉田城跡本丸にて撮影されたもの
[02]同上2
↑↑此のロケ場面も、04月25日(土)にwalking で訪れた吉田城本丸跡!
[03]同上3
↑↑此の教会は、吉田城跡近くにある豊橋ハリストス正教会だと思ったが、犬山の明治村にある教会で撮影された思われると、中学校の同期生の富安君が Facebook で教えてくれた
↑↑ヒロインの二階堂ふみちゃんは、中学・高校時代の classmate みたいで、気さくな感じで親近感があっていい!
[04]同上4
↑↑此の海岸は、豊橋市の表浜の一つ「伊古部」海岸。
音ちゃんの地元豊橋が舞台の一つなので贔屓して仕舞うことも否定しないが、此のNHK朝の連ドラ『エール』はかなりヒットしそうな予感がする。又、旧行時代の後輩で、福島出身の佐藤(T)君が Facebook で、「福島駅東口を出た目の前に、小さいですが、古関裕而がピアノを弾いてるモニュメントがあります」と教えてくれたので早速調べてみた。
[05]福島駅(上)・福島駅前の古関裕而像(下)
[06]同駅前に掲示された「2020年前期:古関裕而・金子夫妻NHK朝ドラ『エール』」の横断幕(上)
↑↑上記古関裕而像の傍でアマチュア楽団演奏に拠る「栄冠は君に輝く」(左下)・同じく「高原列車は行く」(右下)
【エール】〔04月29日(水)放送分〕
此の日の【エール】も良かったーッ! 清純さが心に響く!
[07]NHK朝の連ドラ『エール』の04月29日放送scene1
[08]同上scene2
【小生 comment 】
旧行時代同期の山田君の言葉を以下に記す。事程左様に、評判も上々!
「このプロ役者4人の演技のぶつかり合いが凄かった!画面に釘付けになったよ」
【エール】〔05日01日(金)放送分〕
[09]NHK朝の連ドラ『エール』の05月01日放送scene1
[10]同上scene2
↑↑上記写真[10]の(右下)は、山田耕筰役に扮した今は亡き志村けん
此の日も、【時習26回 3-4】の同期 青木君が、彼の Facebook にて、今朝放送分NHK朝の連ドラ『エール』が伊古部海岸を放送していたことを教えてくれた。
其処で、勤務先から南へ10㎞弱と比較的近いこともあり、黄昏の伊古部海岸に立ち寄ってみることにした。
【前書】1971(昭和46)年春、我等が母校時習館高等学校1年時代の 春の遠足、伊古部海岸の 西隣「赤沢海岸」で恋心が芽生えた‥‥
青春の 赤沢海岸 恋の味 悟空
[11]05月01日 勤務先からの帰りに立ち寄った伊古部海岸にてscene1
(03)伊古部海岸航空地図 / (04)伊古部海岸にて1
[12]同上scene2
(06)伊古部海岸に咲いていた花1『浜大根(ハマダイコン)』
(07)伊古部海岸に咲いていた花2『浜豌豆(ハマエンドウ
■続いては、『春に因んだ唐詩』の張若虚(660-720)『春江花月夜』の第3回目(最終回)「第25句~36句」をお伝えする。
【 春江花月夜 / 張若虚】〔七言古詩〕
【25】此時相望不相聞 /【26】願逐月華流照君
【27】鴻雁長飛光不度 /【28】魚龍潛躍水成文
【29】昨夜閒潭夢落花 /【30】可憐春半不還家
【31】江水流春去欲盡 /【32】江潭落月復西斜
【33】斜月沈沈藏海霧 /【34】碣石瀟湘無限路
【35】不知乘月幾人歸 /【36】落月搖情滿江樹
【25】此の時 相(あひ)望めども 相(あひ)聞かず
【26】願はくは月華(げっか)(注18)を逐(お)ふて 流れて君を照らさん
【27】鴻雁(こうがん) 長飛(ちゃうひ)して 光(ひかり) 度(わた)らず
【28】魚龍(ぎょりゅう(=りょう)) 潛躍(せんやく)して 水(みづ) 文(あや(=もん))を成す
【29】昨夜 閒潭(かんたん)(注19) 落花(らくか)を夢(ゆめ)む
【30】憐(あは)れむ可(べ)し 春(はる)半(なか)ばにして家に還(かへ)らざるを
【31】江水(かうすい) 春を流して 去って盡(つ)きんと欲(ほっ)し
【32】江潭(かうたん)の落月 復(ま)た西に斜(かたむ)く
【33】斜月(しゃげつ) 沈沈(ちんちん)として 海霧(かいむ)に藏(かく)れ
【34】碣石(けっせき)(注20) 瀟湘(せうしゃう)(注21) 無限の路(みち)
【35】知らず 月に乘じて(注22) 幾人(いくにん)か歸る
【36】落月(らくげつ) 情(じゃう)を搖(ゆる)がして(注23) 江樹(かうじゅ)に滿(み)つ(注24)
《意》
【25】いま此の時、月を仰ぎ望み見て、遠い夫を慕っても、私の声は届かない
【26】出来ることならば、月の光を追いかけて其の月光と共に遠く流れて恋しいあなたを照らしたい!
【27】鴻雁(=大きな雁(かり))の群れが長く渡って飛び、月の光は遮(さえぎ)られ
【28】魚や龍は、潜み躍って水面に文様を描く
【29】昨夜、私は閑かな潭(=淵(ふち))の畔で花が散るのを夢みたが‥
【30】ああ、春も半ばになるが、故郷の家へまだ還(=帰)れない
【31】江水は、ゆく春を押し流し、春は此の儘尽きようとしている
【32】河の深い潭(=淵(ふち))に月影を落として、西空に沈もうとしている
【33】西に斜く月は、深く静かに川霧の中に消えていく
【34】(北は)碣石(けっせき)山から(南は)瀟湘(しょうしょう)迄、人の世の旅路は無限に続く
【35】月明かりに乗じて、幾人の旅人が故郷への路を急ぐのだろう?
【36】いま沈みゆく月影は、胸の思いを揺り動かし、河辺の樹々に満ち亘る〔←満ち亘るのは、月の光であると共に、私の深い旅愁なのだ‥〕
《語句》
(注18)月華(げっか):月の光
(注19)閒潭(かんたん):ひっそりとした(=閑かな)淵(=深い池)
(注20)碣石(けっせき):山の名 / 禹の時代、黄河の沿岸にあった / 現在北京の真東200km北戴河、秦皇島市の東南すぐ
(注21)瀟湘(せうしゃう):六朝迄の詩では湘水 /「清らかな湘江」の意 / (唐詩では)瀟水と湘水とが合して洞庭湖南部に注いでいる地のこと /「瀟江と湘江」の意
(注22)乘月(=月に乘じて):月明かりに乗じて
(注23)搖情(=情(じゃう)を搖(ゆる)がして):心を揺り動かす
(注24)滿江樹(=江樹(かうじゅ)に滿(み)つ):川辺の樹木に(月光が)満ちている
[13]張若虚『春江花月夜』第25句~第28句を image した画像
【26】「願逐月華流照君」を image した画像
【27】「鴻雁長飛光不度」を image した画像
【28】「魚龍潛躍水成文」を image した画像
[14]張若虚『春江花月夜』第29句~第32句を image した画像
【31】「江水流春去欲盡」を image した画像
【32】「江潭落月復西斜」を image した画像
[15]張若虚『春江花月夜』第33句~第36句を image した画像
【34】「碣石瀟湘無限路」を image した画像
【35】「不知乘月幾人歸」を image した画像
【36】「落月搖情滿江樹」を image した画像〔了〕
【小生 comment 】
今回で、春を題材にした唐詩は終了する。次回会報をご紹介する頃は、時節は二十四節気で『立夏』を迎えるので、題材も「夏」を取り上げて行きたい。乞う、ご期待!
【後記】今日のお別れは、05月02日の Facebook に up した1971(昭和46)年春、我等が母校時習館高校1年時代の春の遠足、伊古部海岸の西隣「赤沢海岸」での写真を中心にお届けして締め括りとする。
以下は、05月02日の Facebook の小生の記事からの引用である。
今日は、05月01日の Facebook にて昭和46年春の時習26回生 1年4組の春の遠足のことを話したら、【時習26回 1-4】の classmate が花井君が、「覚えとらん」というので、其の時代の話をする。
春の遠足は、間違いなく「赤沢海岸」だったヨ。
此の写真が、其の赤沢海岸での全体写真。
此れでは、小さくてよく分からないので、拡大したのが二枚目。
拡大写真の真ん中右の長髪メガネ君が花井君。
花井君の下に飯田君、以下時計回りに、石川君、(花井君の左隣から左へ)梅田君、藤川君、河崎君(故人)。
花井君の上が安形君、其の右隣が寿明君、更に右隣が. 祥夫君。
そして、花井君の右隣が、南谷君。
三枚目の写真が、【時習26回 1-4】の入学直後に撮影したクラス45人の全体写真。
当時は、時習館26回生は、450人が入学し、男子350人、女子100人丁度だった。
なので、ご覧の様に、【1-4】も男子35人、女子10人だった。
東三河には、鈴木・佐藤・田中が多く、【1-4】も鈴木姓が、孝二、俊彦(故人)、久男、祥夫と4人居て、新城市に多い今泉が、小生のほか、寿明君と文夫君の3人が居た。
全体写真の一番上の列の右から名簿順に、安形、飯田、石川、市川、今泉悟(小生)、寿明、文夫、岩瀬、岩田(故人)、梅田の順…
統計上、60歳迄に5%が鬼籍に入ると云われているが、【1-4】も、岩田、俊彦、村田、山田、の4氏が鬼籍に入っている。
4枚目が、【1-4】当時の小生、16歳になるかならないかの頃。
[16]1971年春「赤沢海岸」への遠足~「赤沢海岸」での【1-4】全体写真
では、また‥〔了〕
*
ブログへは【0626】号迄のback numberはURL:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog←此処をclickして下さい
*
[10]同上scene2
↑↑上記写真[10]の(右下)は、山田耕筰役に扮した今は亡き志村けん
此の日も、【時習26回 3-4】の同期 青木君が、彼の Facebook にて、今朝放送分NHK朝の連ドラ『エール』が伊古部海岸を放送していたことを教えてくれた。
其処で、勤務先から南へ10㎞弱と比較的近いこともあり、黄昏の伊古部海岸に立ち寄ってみることにした。
【前書】1971(昭和46)年春、我等が母校時習館高等学校1年時代の 春の遠足、伊古部海岸の 西隣「赤沢海岸」で恋心が芽生えた‥‥
青春の 赤沢海岸 恋の味 悟空
[11]05月01日 勤務先からの帰りに立ち寄った伊古部海岸にてscene1
↑↑写真左から時計回りに
(01)伊古部海岸を back に / (02)伊古部海岸遠望(03)伊古部海岸航空地図 / (04)伊古部海岸にて1
[12]同上scene2
↑↑写真左から時計回りに
(05)伊古部海岸をにて2(06)伊古部海岸に咲いていた花1『浜大根(ハマダイコン)』
(07)伊古部海岸に咲いていた花2『浜豌豆(ハマエンドウ
■続いては、『春に因んだ唐詩』の張若虚(660-720)『春江花月夜』の第3回目(最終回)「第25句~36句」をお伝えする。
【 春江花月夜 / 張若虚】〔七言古詩〕
【25】此時相望不相聞 /【26】願逐月華流照君
【27】鴻雁長飛光不度 /【28】魚龍潛躍水成文
【29】昨夜閒潭夢落花 /【30】可憐春半不還家
【31】江水流春去欲盡 /【32】江潭落月復西斜
【33】斜月沈沈藏海霧 /【34】碣石瀟湘無限路
【35】不知乘月幾人歸 /【36】落月搖情滿江樹
【25】此の時 相(あひ)望めども 相(あひ)聞かず
【26】願はくは月華(げっか)(注18)を逐(お)ふて 流れて君を照らさん
【27】鴻雁(こうがん) 長飛(ちゃうひ)して 光(ひかり) 度(わた)らず
【28】魚龍(ぎょりゅう(=りょう)) 潛躍(せんやく)して 水(みづ) 文(あや(=もん))を成す
【29】昨夜 閒潭(かんたん)(注19) 落花(らくか)を夢(ゆめ)む
【30】憐(あは)れむ可(べ)し 春(はる)半(なか)ばにして家に還(かへ)らざるを
【31】江水(かうすい) 春を流して 去って盡(つ)きんと欲(ほっ)し
【32】江潭(かうたん)の落月 復(ま)た西に斜(かたむ)く
【33】斜月(しゃげつ) 沈沈(ちんちん)として 海霧(かいむ)に藏(かく)れ
【34】碣石(けっせき)(注20) 瀟湘(せうしゃう)(注21) 無限の路(みち)
【35】知らず 月に乘じて(注22) 幾人(いくにん)か歸る
【36】落月(らくげつ) 情(じゃう)を搖(ゆる)がして(注23) 江樹(かうじゅ)に滿(み)つ(注24)
《意》
【25】いま此の時、月を仰ぎ望み見て、遠い夫を慕っても、私の声は届かない
【26】出来ることならば、月の光を追いかけて其の月光と共に遠く流れて恋しいあなたを照らしたい!
【27】鴻雁(=大きな雁(かり))の群れが長く渡って飛び、月の光は遮(さえぎ)られ
【28】魚や龍は、潜み躍って水面に文様を描く
【29】昨夜、私は閑かな潭(=淵(ふち))の畔で花が散るのを夢みたが‥
【30】ああ、春も半ばになるが、故郷の家へまだ還(=帰)れない
【31】江水は、ゆく春を押し流し、春は此の儘尽きようとしている
【32】河の深い潭(=淵(ふち))に月影を落として、西空に沈もうとしている
【33】西に斜く月は、深く静かに川霧の中に消えていく
【34】(北は)碣石(けっせき)山から(南は)瀟湘(しょうしょう)迄、人の世の旅路は無限に続く
【35】月明かりに乗じて、幾人の旅人が故郷への路を急ぐのだろう?
【36】いま沈みゆく月影は、胸の思いを揺り動かし、河辺の樹々に満ち亘る〔←満ち亘るのは、月の光であると共に、私の深い旅愁なのだ‥〕
《語句》
(注18)月華(げっか):月の光
(注19)閒潭(かんたん):ひっそりとした(=閑かな)淵(=深い池)
(注20)碣石(けっせき):山の名 / 禹の時代、黄河の沿岸にあった / 現在北京の真東200km北戴河、秦皇島市の東南すぐ
(注21)瀟湘(せうしゃう):六朝迄の詩では湘水 /「清らかな湘江」の意 / (唐詩では)瀟水と湘水とが合して洞庭湖南部に注いでいる地のこと /「瀟江と湘江」の意
(注22)乘月(=月に乘じて):月明かりに乗じて
(注23)搖情(=情(じゃう)を搖(ゆる)がして):心を揺り動かす
(注24)滿江樹(=江樹(かうじゅ)に滿(み)つ):川辺の樹木に(月光が)満ちている
[13]張若虚『春江花月夜』第25句~第28句を image した画像
↑↑上記添付写真は、左上(25)から時計回りに(26)(27)(28)の順
【25】「此時相望不相聞」を image した画像【26】「願逐月華流照君」を image した画像
【27】「鴻雁長飛光不度」を image した画像
【28】「魚龍潛躍水成文」を image した画像
[14]張若虚『春江花月夜』第29句~第32句を image した画像
↑↑上記添付写真は、左上(29)から時計回りに(30)(31)(32)の順
【29】「昨夜閒潭夢落花」を image した画像
【30】「可憐春半不還家」を image した画像【31】「江水流春去欲盡」を image した画像
【32】「江潭落月復西斜」を image した画像
[15]張若虚『春江花月夜』第33句~第36句を image した画像
↑↑上記添付写真は、左上(33)から時計回りに(34)(35)(36)の順
【33】「斜月沈沈藏海霧」を image した画像【34】「碣石瀟湘無限路」を image した画像
【35】「不知乘月幾人歸」を image した画像
【36】「落月搖情滿江樹」を image した画像〔了〕
【小生 comment 】
今回で、春を題材にした唐詩は終了する。次回会報をご紹介する頃は、時節は二十四節気で『立夏』を迎えるので、題材も「夏」を取り上げて行きたい。乞う、ご期待!
【後記】今日のお別れは、05月02日の Facebook に up した1971(昭和46)年春、我等が母校時習館高校1年時代の春の遠足、伊古部海岸の西隣「赤沢海岸」での写真を中心にお届けして締め括りとする。
以下は、05月02日の Facebook の小生の記事からの引用である。
今日は、05月01日の Facebook にて昭和46年春の時習26回生 1年4組の春の遠足のことを話したら、【時習26回 1-4】の classmate が花井君が、「覚えとらん」というので、其の時代の話をする。
春の遠足は、間違いなく「赤沢海岸」だったヨ。
此の写真が、其の赤沢海岸での全体写真。
此れでは、小さくてよく分からないので、拡大したのが二枚目。
拡大写真の真ん中右の長髪メガネ君が花井君。
花井君の下に飯田君、以下時計回りに、石川君、(花井君の左隣から左へ)梅田君、藤川君、河崎君(故人)。
花井君の上が安形君、其の右隣が寿明君、更に右隣が. 祥夫君。
そして、花井君の右隣が、南谷君。
三枚目の写真が、【時習26回 1-4】の入学直後に撮影したクラス45人の全体写真。
当時は、時習館26回生は、450人が入学し、男子350人、女子100人丁度だった。
なので、ご覧の様に、【1-4】も男子35人、女子10人だった。
東三河には、鈴木・佐藤・田中が多く、【1-4】も鈴木姓が、孝二、俊彦(故人)、久男、祥夫と4人居て、新城市に多い今泉が、小生のほか、寿明君と文夫君の3人が居た。
全体写真の一番上の列の右から名簿順に、安形、飯田、石川、市川、今泉悟(小生)、寿明、文夫、岩瀬、岩田(故人)、梅田の順…
統計上、60歳迄に5%が鬼籍に入ると云われているが、【1-4】も、岩田、俊彦、村田、山田、の4氏が鬼籍に入っている。
4枚目が、【1-4】当時の小生、16歳になるかならないかの頃。
[16]1971年春「赤沢海岸」への遠足~「赤沢海岸」での【1-4】全体写真
[17]上記[16]の拡大写真
[18]1971年4月 入学直後撮影した【1-4】45人の全体写真
[19]1971年【1-4】時代の教室での小生
では、また‥〔了〕
*
ブログへは【0626】号迄のback numberはURL:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog←此処をclickして下さい
*
0 件のコメント:
コメントを投稿