2020年5月9日土曜日

【時習26回3−7の会 0810】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から〔第28回/第261句~270句〕」「05月02日:『葦毛湿原・利兵池』への逍遥」「05月03日:『普門寺』への逍遥」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0810】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第28回/第261句~270句〕」をご紹介する。

  曠野集 巻之三
 
   初夏
 
261ころもがへ(1)や白(しろ)きは物(もの)に手()のつかず  路通(2)
 
【意】陰暦四月朔日は衣更え /衣更えで白い袷(あわせ)に着替えるのだが、汚れないかと気にかかったり、何につけても落ち着かないものである
【解説】季語:ころもがへ=初夏 /
(1)ころもがへ:旧暦0401(朔日)に、綿入れから袷衣(あわせぎぬ)に替えること
(2)八十村路通(やそむら ろつう)(?-1738)(享年90)):八十村氏 / 別称:露通 / 近江大津の人 / 三井寺に生まれ、古典や仏典に精通 / 放浪行脚の乞食僧侶で詩人でもあった / 後年に還俗 / 貞亨2年春に蕉門に入門 / 貞亨5年頃より深川芭蕉庵近くに居住したらしい /『奥の細道』 では、当初芭蕉の同行者の予定であったが、曾良に変更されたが、理由は不明 / 代わりに、路通は敦賀で芭蕉を出迎え大垣まで同道、その後も芭蕉に同行を続け、元禄313日迄、京・大坂で生活を共にする / 芭蕉は陸奥へ旅立つ路通に「草枕まことの華見しても来よ」と説教をした餞の句を詠んでいる
 
262 更衣(ころもがへ)(えり)もお(=)らずやだゞくさ(1)に  傘下(2)
 
【意】衣更えというのは、新しい袷(あわせ)を着るという世間の習慣に従っいるだけだから、そそくさと襟元も整わずただ着たばかりで誠に粗雑な次第である
【解説】季語:更衣(ころもがへ)=初夏 /
(1)だだくさ:無造作の意
(2)加藤傘下(かとう さんか)(生没年不詳):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
 
263 ころもがへ刀(かたな)もさして見()たき哉(かな)  釋鼠彈(1)
 
【意】衣更えとなると「初夏」の気分で、一寸とした開放感もある / そうなると、刀を一本差してみたくなった /
【解説】季語:ころもがへ=初夏 / 僧侶の鼠弾が「刀を差したい気分」という処が俳諧の妙
(1)鼠弾(そだん(生没年不詳)):尾張国名古屋浄土寺の僧侶 /『あら野』・『あら野後集』・『其袋』等に入句
 
 肖柏(せうはく)老人(1)のもちたまひしあらし山(やま)といふ香(かう)を、馬(うま)のはなむけ(2)に文鱗(ぶんりん)(3)がくれけるとて、
 雪の朝(あさ)越人(ゑつじん)が持(もち)きたるを忘れがたく、明(あく)るわか葉()の比(ころ)、文鱗に申つかはしける

(1)肖柏老人:肖柏(しょうはく(1443-1527.05.04(嘉吉03-大永070404)))は、室町時代中期の連歌師、歌人 / 准大臣中院通淳の子 / 号:夢庵・牡丹花(ぼたんげ)・弄花軒(ろうかけん)等 / 宗祇(1421-1502)から伝授された「古今和歌集」、「源氏物語」の秘伝を、池田領主池田一門、晩年移住した堺の町衆に伝え、堺では古今伝授の一流派・堺伝授及び奈良伝授の祖となった〔Wikipedia 拠り引用〕
(2)馬のはなむけ:餞別
(3)鳥居文鱗(とりい ぶんりん(生没年不詳)):和泉国堺の人 / 虚無斎とも /『続の原句会』・『あら野』・『初懐紙評註』等に入句 / 文鱗は、天和3年、芭蕉が第二次芭蕉庵に入った頃に、出山の釈迦像を贈った / 芭蕉は此れを大事に手許に置き、大坂で死ぬ時には、此れを各務支考(1665-1731)に与えると遺書に書き留める程であった
(4)明るわか葉の比:1689(元禄02)年初夏

264 (ひげ)に焼(たく)(かう)もあるべしころもがえ  荷兮(1)
 
【意】肖柏老人の師である宗祇は香をこよなく愛して髯にまで香を焚()いたという / 昨冬、越人は、肖柏老人所縁の名香「嵐山」を文鱗から貰ったと言って焚いて見せてくれた / (荷兮は、衣更えの日に一句を越人に贈ったことを踏まえ‥)宗祇先生のように髯に焚く名香を貴殿(=文鱗)は持っていて髭に焚いていらっしゃることでしょう
【解説】季語:ころもがへ=初夏 /
(1)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保01.08.25(享年69))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 貞亨元(1684)年以来の尾張名古屋の蕉門の重鎮 / 後年、芭蕉と(とくに「軽み」等で)意見会わず蕉門から離れた / 元禄06(1693)11月出版の『曠野後集』で荷兮は、其の序文に幽斎・宗因等貞門俳諧を賞賛のcommentを掲載し、蕉門理論派・去来等から此れを強く非難されてもいる / 彼の蕉門時代の足跡に、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集編纂がある
 
   山路(やまぢ)にて
 
265なつ来()てもたゞひとつ葉()(1)の一(ひと)つ哉(かな)  芭蕉
 
【意】一つ葉だけは年中木の葉一葉の儘である / 芭蕉も又独り / 一つ葉が悠然と揺れている
【解説】季語:なつ=夏 /1688(元禄元)年 芭蕉45歳の作 /『笈の小文』の旅の帰路美濃国岐阜付近の山中にて〔真蹟懐紙 / 笈日記〕
(1)ひとつ葉():ウラボシ科の常緑シダ植物 / 本州南部以南に分布 / 硬くて長い根茎から柄の長い葉を一枚ずつまばらに出す / 葉長20-30cmの披針形で革質 / 裏面に白色の星状毛を密生する
 
266 いちはつ(1)はおとこなるらんかきつばた(2)  一井(3)
 
[01]イチハツの花


【意】イチハツ「一八」は男の名前であろう / かきつばたは、「かほ()よ花」という位だから女に違いない
【解説】季語:いちはつ、かきつばた=仲夏 / 花の名称に興じた句
(1)いちはつ:アヤメ科の多年草 / 中国原産 / 高さ約3060cm / 葉は剣形で淡緑色 / 五月頃花茎を出し、紫・白の花をつける / 火災を防ぐという俗信から、時に藁屋根の棟に植えられる
(2)かきつばた:アヤメ科の多年草 / イチハツに似ている / 湿地に生える / ハナショウブに似るが葉は幅が広く、中脈は発達しない / 高さ70㎝程 / 初夏、茎頂の苞の間に三個内外の濃青色・白色・斑入りなどの花を開く / 別名:かいつばた。かおよばな
(3)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国名古屋の門人 / 芭蕉は、1688.01.11(貞亨04129)、『笈の小文』の旅の途中、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の門人等と七吟半歌仙【熱田三歌仙】を巻いた
 
267 柿の木のいたり過(すぎ)たる(1)若葉(わかば)(かな)  越人(2)
 
【意】柿の木は、勢いよく若葉を一気に広げる / 其の柿の葉の下に立つと精気を受けると云われている / 此の雰囲気を「いたり過ぎたる」と表現した
【解説】季語:若葉=初夏 /
(1)いたり過ぎたる:行き届いて粋なことをいう
(2)越智越人(おち えつじん(1656(明暦02)-1739(元文04(?)):江戸時代前期の俳諧師 / 別号:槿花翁(きんかおう) / 越後に生まれ、尾張国名古屋にて紺屋(こうや・こんや=染物屋)を営む / 1684(貞享元)年 芭蕉に会い蕉門に入門 / 尾張蕉門の重鎮で蕉門十哲の一人 / 1688(貞享05)年「更科紀行」の旅に同行 / 名古屋に縁のある越人の墓所は、浄土真宗本願寺派「転輪山長円寺(名古屋市中区栄二丁目4-23)」/ 墓石には「負山氏越人叟之墓」とある
 
268 (きり)かぶのわか葉()を見れば櫻(さくら)(かな)  岐阜 不交(1)
 
【意】切り株から若葉が芽を出している / を見ると桜の木だ / こんな大樹の桜を誰が何故切って仕舞ったのだ?
【解説】季語:わか葉=初夏 /
(1)不交(ふこう(生没年不詳)):美濃国の人 /『あら野』に入句
 
269 若葉(わかば)からすぐにながめの冬木(ふゆき)(かな)  同 藤羅(1)
 
【意】(落葉樹は季節毎装いを変えるが、)常緑樹は、四季を通じて其の装いは変わらないので、若葉の時から既に冬の季節の装いをしている
【解説】季語:若葉=初夏 /
(1)藤羅(とうら(生没年不詳)):美濃国岐阜の人 /『あら野』に入句
 
270わけもなくその木その木の若葉(わかば)(かな)  亀洞(1)
 
【意】木々の若葉の姿は、実に様々な姿をしている / 其の理由はある訳もないのだが‥
【解説】季語:若葉=初夏 /
(1)武井亀洞(たけい きどう)(?)-1687(貞亨04)11)):尾張国名古屋の人 /『春の日』に初出 / 越人の弟子と云われる / 『あら野』・『庭竈集』等に数多く入句
 
【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第29回/第271句~280句〕をご紹介する。お楽しみに!
 
■続いては、0502()『葦毛湿原・利兵池』への逍遥」についてお伝えする。
 今日から本格的なGWであるが、今年はコロナウィルス禍で様相が一変。
 3密を避けて原則自宅待機の連休である。
 
0500分 起床 腹筋2.000
0615 2.5kg木刀素振り75
0730分 入浴
1125分 拙宅発→徒歩→
1131分 豊丘高等学校着
 
【愛知県立豊丘高等学校】
 
[02]「拙宅~葦毛湿原へのMap()と豊丘高等学校の誰もいない校庭(右上)と南門(右下)
                  

1139分 豊岡中学校着
 
【豊橋市立豊岡中学校】
 
[03]豊岡中学校の門と誰もいない校庭


1214分 東陽中学校着
 
【豊橋市立東陽中学校】
 
[04]路傍の花(左上)・柿若葉(左下)・葦毛湿原への道(右上)・東陽中学校(右中)]同 誰もいない校庭(右下)
 . . . . . . . . .

1228分葦毛湿原入口着
 
【葦毛湿原入口】
 
 今日は、「入場・入山中止勧告」に従って、葦毛湿原への入場は断念した。
 
[05]「葦毛湿原入口」案内看板にて1

[06]「葦毛湿原」入口にあった入場・入山中止勧告板
                  
[07]「葦毛湿原」入口にて


1308分 利兵池着
 
【利兵池】
 
[08]利兵池を back
                  
[09]「利兵池畔に咲く野菊」2枚と「利兵池を back に」3枚の写真を一枚の写真に

[10]「利兵池畔にて(上:左右)
                  
↑↑「利兵池での航空MAP(左下)」「利兵池畔の野菊(中下)・鴉豌豆とイヌフグリ(右下)
 
1328分 利兵池発→徒歩→
 
[11]路傍の花々1

[12]同上2
                  

1441分 帰宅〔歩行距離11.1km 14,452歩〕〔了〕
 
■続いては、翌0503()に『普門寺への逍遥』をして来たことについてお伝えする。
 其の日の夕方から翌日にかけて雨天の予想だったので、2日連続になるが、walking することにした。
 三密を避ける為、豊橋市の東端、雲谷(うのや)町にある「普門寺」迄の往復23km余りを選んだ。
 
0630分 起床 腹筋2.000
0645 2.5kg木刀素振り75
0800分 入浴→朝食→
0930分 拙宅発→徒歩→
 
[13]拙宅玄関前の門(右上)・同左にて(左上)

↑↑拙宅~普門寺への経路(航空MAP)(左下)・路傍の花々(中下・右下)
 
1010分 飯村(いむれ)公園着
1013分 飯村(いむれ)小学校着
 
[14]飯村公園(左上)・同左にて(右上)
                  
↑↑飯村小学校(左下)・誰もいない飯村小学校校庭(中下)・路傍の花(右下)

1056 JR二川駅着

[15]路傍の花々(左上・左下・右下)JR二川駅前にて(右上)

↑↑同駅近くの二川宿案内板横にて(右中)
 
1117分 二川宿本陣資料館着
 
[16]二川宿本陣資料館駐車場(左上)・二川宿本陣(左下)
                  
↑↑二川宿脇本陣(右上)・二川宿案内板(右中)・二川宿商家「駒屋」前にて(右下)

[17]二川宿商家「駒屋」(左上・中下・右上)

↑↑同「駒屋」前にて(左下)・二川宿~普門寺への経路MAP(右下)
 
1129分 二川八幡神社着
1153分 雲谷(うのや)交差点着
 
[18]二川八幡神社 鳥居前にて
                  
[19]同 案内板

[20]同 本殿前にて(左上)・路傍の花々(右上・中下)
                  
↑↑路傍の柿若葉(左下)・普門寺への分岐点「雲谷(うのや)」交差点
 
1211分 雲谷交差点から普門寺へ至る路傍の花木・山の風景 ~1235
 
[21]路傍の花木(レッドロビン)(左上)・柿若葉(右上)

↑↑「新緑で絶景の山」(左下)・「同左 をbackに」(中下)・路傍の花(右下)
 
【前書】此の山、懐を見て、杉田久女(1890-1946)の名句を想ひ出し、拙句思ひ浮かびぬ
 
  谺(こだま)して 山ほととぎす ほしいまま  杉田久女
 
  新緑の 普門寺が里 山笑ふ  悟空
 
[22]路傍の花(左上・中下・右下)・路傍の花の横にて(右上・左下)
. . . . . . . . . 

1244分 普門寺 山門着
 
[23]普門寺 山門前にて

[24]同 本堂前にて
                  
[25]同 本堂手前にある大杉


1300分 普門寺 本堂発→徒歩(下山)
 
[26]普門寺 朱印
                  
[27]同 山門周辺の風景(:左右)と帰途に見つけた路傍の花々(:左中右)

[28]路傍の花々
                  

1548分 帰宅
 
[29]走行距離計23.2kmと歩数30,292

[30]「拙宅⇔普門寺」往復踏破経路図
                  

【小生 comment
 昨日 11.1km 14,452歩、今日 23.2km 30,292歩と歩いたが、予想のほか疲れなかった。
 毎日の腹筋2,000回と、2.5kg木刀素振り60分を十年来続けている成果だと思料する。
 
【後記】0505日から二十四節気でいう『立夏』。
 其の日の夕方も伊古部海岸に行って来た。
 今回は、NHK朝の連ドラ『エール』の伊古部海岸ロケと同じ場所で撮影した。
 日没30分余り前だったが、明後日の満月を控えた月が綺麗だった。
 因みに、今日の月は月齢12。今月は、満月の月齢が14なので、満月の二日前だが十三夜ではない。
 
 【前書】けふより『立夏』。美しき自然多く残りし豊橋は良き街と想ひ拙句を一句‥
 
  朝ドラの 気分満喫 夏は来ぬ  悟空
 
[31]20200501日放送『エール』伊興部海岸ロケscene(左上)

↑↑伊古部海岸にて(右上)・満月を二日後に控えた宵の月(:左右)
 
 一日も早いコロナウィルス禍の終息を祈る。
では、また‥〔了〕

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