今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第28回/第261句~270句〕」をご紹介する。
曠野集 巻之三
初夏
261ころもがへ(注1)や白(しろ)きは物(もの)に手(て)のつかず 路通(注2)
【意】陰暦四月朔日は衣更え /衣更えで白い袷(あわせ)に着替えるのだが、汚れないかと気にかかったり、何につけても落ち着かないものである
【解説】季語:ころもがへ=初夏 /
(注1)ころもがへ:旧暦04月01日(朔日)に、綿入れから袷衣(あわせぎぬ)に替えること
(注2)八十村路通(やそむら ろつう)(?-1738)(享年90歳)):八十村氏 / 別称:露通 / 近江大津の人 / 三井寺に生まれ、古典や仏典に精通 / 放浪行脚の乞食僧侶で詩人でもあった / 後年に還俗 / 貞亨2年春に蕉門に入門 / 貞亨5年頃より深川芭蕉庵近くに居住したらしい /『奥の細道』 では、当初芭蕉の同行者の予定であったが、曾良に変更されたが、理由は不明 / 代わりに、路通は敦賀で芭蕉を出迎え大垣まで同道、その後も芭蕉に同行を続け、元禄3年1月3日迄、京・大坂で生活を共にする / 芭蕉は陸奥へ旅立つ路通に「草枕まことの華見しても来よ」と説教をした餞の句を詠んでいる
262 更衣(ころもがへ)襟(えり)もお(=を)らずやだゞくさ(注1)に 傘下(注2)
【意】衣更えというのは、新しい袷(あわせ)を着るという世間の習慣に従っいるだけだから、そそくさと襟元も整わずただ着たばかりで誠に粗雑な次第である
【解説】季語:更衣(ころもがへ)=初夏 /
(注1)だだくさ:無造作の意
(注2)加藤傘下(かとう さんか)(生没年不詳):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
263 ころもがへ刀(かたな)もさして見(み)たき哉(かな) 釋鼠彈(注1)
【意】衣更えとなると「初夏」の気分で、一寸とした開放感もある / そうなると、刀を一本差してみたくなった /
【解説】季語:ころもがへ=初夏 / 僧侶の鼠弾が「刀を差したい気分」という処が俳諧の妙
(注1)鼠弾(そだん(生没年不詳)):尾張国名古屋浄土寺の僧侶 /『あら野』・『あら野後集』・『其袋』等に入句
肖柏(せうはく)老人(注1)のもちたまひしあらし山(やま)といふ香(かう)を、馬(うま)のはなむけ(注2)に文鱗(ぶんりん)(注3)がくれけるとて、
雪の朝(あさ)越人(ゑつじん)が持(もち)きたるを忘れがたく、明(あく)るわか葉(ば)の比(ころ)、文鱗に申つかはしける
(注1)肖柏老人:肖柏(しょうはく(1443-1527.05.04(嘉吉03年-大永07年04月04日)))は、室町時代中期の連歌師、歌人 / 准大臣中院通淳の子 / 号:夢庵・牡丹花(ぼたんげ)・弄花軒(ろうかけん)等 / 宗祇(1421-1502)から伝授された「古今和歌集」、「源氏物語」の秘伝を、池田領主池田一門、晩年移住した堺の町衆に伝え、堺では古今伝授の一流派・堺伝授及び奈良伝授の祖となった〔Wikipedia 拠り引用〕
(注2)馬のはなむけ:餞別
(注3)鳥居文鱗(とりい ぶんりん(生没年不詳)):和泉国堺の人 / 虚無斎とも /『続の原句会』・『あら野』・『初懐紙評註』等に入句 / 文鱗は、天和3年、芭蕉が第二次芭蕉庵に入った頃に、出山の釈迦像を贈った / 芭蕉は此れを大事に手許に置き、大坂で死ぬ時には、此れを各務支考(1665-1731)に与えると遺書に書き留める程であった
(注4)明るわか葉の比:1689(元禄02)年初夏
264 髭(ひげ)に焼(たく)香(かう)もあるべしころもがえ 荷兮(注1)
【意】肖柏老人の師である宗祇は香をこよなく愛して髯にまで香を焚(た)いたという / 昨冬、越人は、肖柏老人所縁の名香「嵐山」を文鱗から貰ったと言って焚いて見せてくれた / (荷兮は、衣更えの日に一句を越人に贈ったことを踏まえ‥)宗祇先生のように髯に焚く名香を貴殿(=文鱗)は持っていて髭に焚いていらっしゃることでしょう
【解説】季語:ころもがへ=初夏 /
(注1)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保01.08.25(享年69歳))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 貞亨元(1684)年以来の尾張名古屋の蕉門の重鎮 / 後年、芭蕉と(とくに「軽み」等で)意見会わず蕉門から離れた / 元禄06(1693)年11月出版の『曠野後集』で荷兮は、其の序文に幽斎・宗因等貞門俳諧を賞賛のcommentを掲載し、蕉門理論派・去来等から此れを強く非難されてもいる / 彼の蕉門時代の足跡に、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集編纂がある
山路(やまぢ)にて
265なつ来(き)てもたゞひとつ葉(ば)(注1)の一(ひと)つ哉(かな) 芭蕉
【意】一つ葉だけは年中木の葉一葉の儘である / 芭蕉も又独り / 一つ葉が悠然と揺れている
【解説】季語:なつ=夏 /1688(元禄元)年 芭蕉45歳の作 /『笈の小文』の旅の帰路美濃国岐阜付近の山中にて〔真蹟懐紙 / 笈日記〕
(注1)ひとつ葉(ば):ウラボシ科の常緑シダ植物 / 本州南部以南に分布 / 硬くて長い根茎から柄の長い葉を一枚ずつまばらに出す / 葉長20-30cmの披針形で革質 / 裏面に白色の星状毛を密生する
266 いちはつ(注1)はおとこなるらんかきつばた(注2) 一井(注3)
[01]イチハツの花
【意】イチハツ「一八」は男の名前であろう
/ かきつばたは、「かほ(お)よ花」という位だから女に違いない
【解説】季語:いちはつ、かきつばた=仲夏
/ 花の名称に興じた句(注1)いちはつ:アヤメ科の多年草 / 中国原産 / 高さ約30~60cm / 葉は剣形で淡緑色 / 五月頃花茎を出し、紫・白の花をつける / 火災を防ぐという俗信から、時に藁屋根の棟に植えられる
(注2)かきつばた:アヤメ科の多年草 / イチハツに似ている / 湿地に生える / ハナショウブに似るが葉は幅が広く、中脈は発達しない / 高さ70㎝程 / 初夏、茎頂の苞の間に三個内外の濃青色・白色・斑入りなどの花を開く / 別名:かいつばた。かおよばな
(注3)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国名古屋の門人 / 芭蕉は、1688.01.11(貞亨04年12月9日)、『笈の小文』の旅の途中、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の門人等と七吟半歌仙【熱田三歌仙】を巻いた
267 柿の木のいたり過(すぎ)たる(注1)若葉(わかば)哉(かな) 越人(注2)
【意】柿の木は、勢いよく若葉を一気に広げる / 其の柿の葉の下に立つと精気を受けると云われている / 此の雰囲気を「いたり過ぎたる」と表現した
【解説】季語:若葉=初夏 /
(注1)いたり過ぎたる:行き届いて粋なことをいう
(注2)越智越人(おち えつじん(1656(明暦02)-1739(元文04(?)):江戸時代前期の俳諧師 / 別号:槿花翁(きんかおう) / 越後に生まれ、尾張国名古屋にて紺屋(こうや・こんや=染物屋)を営む / 1684(貞享元)年 芭蕉に会い蕉門に入門 / 尾張蕉門の重鎮で蕉門十哲の一人 / 1688(貞享05)年「更科紀行」の旅に同行 / 名古屋に縁のある越人の墓所は、浄土真宗本願寺派「転輪山長円寺(名古屋市中区栄二丁目4-23)」/ 墓石には「負山氏越人叟之墓」とある
268 切(きり)かぶのわか葉(ば)を見れば櫻(さくら)哉(かな) 岐阜 不交(注1)
【意】切り株から若葉が芽を出している / を見ると桜の木だ / こんな大樹の桜を誰が何故切って仕舞ったのだ?
【解説】季語:わか葉=初夏 /
(注1)不交(ふこう(生没年不詳)):美濃国の人 /『あら野』に入句
269 若葉(わかば)からすぐにながめの冬木(ふゆき)哉(かな) 同 藤羅(注1)
【意】(落葉樹は季節毎装いを変えるが、)常緑樹は、四季を通じて其の装いは変わらないので、若葉の時から既に冬の季節の装いをしている
【解説】季語:若葉=初夏 /
(注1)藤羅(とうら(生没年不詳)):美濃国岐阜の人 /『あら野』に入句
270わけもなくその木その木の若葉(わかば)哉(かな) 亀洞(注1)
【意】木々の若葉の姿は、実に様々な姿をしている / 其の理由はある訳もないのだが‥
【解説】季語:若葉=初夏 /
(注1)武井亀洞(たけい きどう)(?)-1687(貞亨04)年11月)):尾張国名古屋の人 /『春の日』に初出 / 越人の弟子と云われる / 『あら野』・『庭竈集』等に数多く入句
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第29回/第271句~280句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いては、05月02日(土)の『葦毛湿原・利兵池』への逍遥」についてお伝えする。
今日から本格的なGWであるが、今年はコロナウィルス禍で様相が一変。
3密を避けて原則自宅待機の連休である。
05時00分 起床 腹筋2.000回
06時15分 2.5kg木刀素振り75分
07時30分 入浴
11時25分 拙宅発→徒歩→
11時31分 豊丘高等学校着
【愛知県立豊丘高等学校】
[02]「拙宅~葦毛湿原へのMap」(左)と豊丘高等学校の誰もいない校庭(右上)と南門(右下)
11時39分 豊岡中学校着
【豊橋市立豊岡中学校】
[03]豊岡中学校の門と誰もいない校庭
12時14分 東陽中学校着
【豊橋市立東陽中学校】
[04]路傍の花(左上)・柿若葉(左下)・葦毛湿原への道(右上)・東陽中学校(右中)・]同 誰もいない校庭(右下)
12時28分葦毛湿原入口着
【葦毛湿原入口】
今日は、「入場・入山中止勧告」に従って、葦毛湿原への入場は断念した。
[05]「葦毛湿原入口」案内看板にて1
[06]「葦毛湿原」入口にあった入場・入山中止勧告板
[07]「葦毛湿原」入口にて
13時08分 利兵池着
【利兵池】
[08]利兵池を back に
[09]「利兵池畔に咲く野菊」2枚と「利兵池を back に」3枚の写真を一枚の写真に
[10]「利兵池畔にて(上:左右)」
↑↑「利兵池での航空MAP(左下)」「利兵池畔の野菊(中下)・鴉豌豆とイヌフグリ(右下)」
13時28分 利兵池発→徒歩→
[11]路傍の花々1
[12]同上2
14時41分 帰宅〔歩行距離11.1km 14,452歩〕〔了〕
■続いては、翌05月03日(日)に『普門寺への逍遥』をして来たことについてお伝えする。
其の日の夕方から翌日にかけて雨天の予想だったので、2日連続になるが、walking することにした。
三密を避ける為、豊橋市の東端、雲谷(うのや)町にある「普門寺」迄の往復23km余りを選んだ。
06時30分 起床 腹筋2.000回
06時45分 2.5kg木刀素振り75分
08時00分 入浴→朝食→
09時30分 拙宅発→徒歩→
[13]拙宅玄関前の門(右上)・同左にて(左上)
↑↑拙宅~普門寺への経路(航空MAP)(左下)・路傍の花々(中下・右下)
10時10分 飯村(いむれ)公園着
10時13分 飯村(いむれ)小学校着
[14]飯村公園(左上)・同左にて(右上)
↑↑飯村小学校(左下)・誰もいない飯村小学校校庭(中下)・路傍の花(右下)
10時56分 JR二川駅着
[15]路傍の花々(左上・左下・右下)・JR二川駅前にて(右上)
11時17分 二川宿本陣資料館着
[16]二川宿本陣資料館駐車場(左上)・二川宿本陣(左下)
11時29分 二川八幡神社着
11時53分 雲谷(うのや)交差点着
[18]二川八幡神社 鳥居前にて
12時11分 雲谷交差点から普門寺へ至る路傍の花木・山の風景 ~12時35分
[21]路傍の花木(レッドロビン)(左上)・柿若葉(右上)
【前書】此の山、懐を見て、杉田久女(1890-1946)の名句を想ひ出し、拙句思ひ浮かびぬ
谺(こだま)して 山ほととぎす ほしいまま 杉田久女
新緑の 普門寺が里 山笑ふ 悟空
[22]路傍の花(左上・中下・右下)・路傍の花の横にて(右上・左下)
. . . . . . . . .
[23]普門寺 山門前にて
13時00分 普門寺 本堂発→徒歩(下山)→
[26]普門寺 朱印
15時48分 帰宅
[29]走行距離計23.2kmと歩数30,292歩
【小生 comment】
昨日 11.1km 14,452歩、今日 23.2km 30,292歩と歩いたが、予想のほか疲れなかった。
毎日の腹筋2,000回と、2.5kg木刀素振り60分を十年来続けている成果だと思料する。
【後記】05月05日から二十四節気でいう『立夏』。
其の日の夕方も伊古部海岸に行って来た。
今回は、NHK朝の連ドラ『エール』の伊古部海岸ロケと同じ場所で撮影した。
日没30分余り前だったが、明後日の満月を控えた月が綺麗だった。
因みに、今日の月は月齢12。今月は、満月の月齢が14なので、満月の二日前だが十三夜ではない。
【前書】けふより『立夏』。美しき自然多く残りし豊橋は良き街と想ひ拙句を一句‥
朝ドラの 気分満喫 夏は来ぬ 悟空
[31]2020年05月01日放送『エール』伊興部海岸ロケscene(左上)
一日も早いコロナウィルス禍の終息を祈る。
では、また‥〔了〕
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[15]路傍の花々(左上・左下・右下)・JR二川駅前にて(右上)
↑↑同駅近くの二川宿案内板横にて(右中)
11時17分 二川宿本陣資料館着
[16]二川宿本陣資料館駐車場(左上)・二川宿本陣(左下)
↑↑二川宿脇本陣(右上)・二川宿案内板(右中)・二川宿商家「駒屋」前にて(右下)
[17]二川宿商家「駒屋」(左上・中下・右上)
↑↑同「駒屋」前にて(左下)・二川宿~普門寺への経路MAP(右下)
11時29分 二川八幡神社着
11時53分 雲谷(うのや)交差点着
[18]二川八幡神社 鳥居前にて
[19]同 案内板
[20]同 本殿前にて(左上)・路傍の花々(右上・中下)
↑↑路傍の柿若葉(左下)・普門寺への分岐点「雲谷(うのや)」交差点
12時11分 雲谷交差点から普門寺へ至る路傍の花木・山の風景 ~12時35分
[21]路傍の花木(レッドロビン)(左上)・柿若葉(右上)
↑↑「新緑で絶景の山」(左下)・「同左 をbackに」(中下)・路傍の花(右下)
【前書】此の山、懐を見て、杉田久女(1890-1946)の名句を想ひ出し、拙句思ひ浮かびぬ
谺(こだま)して 山ほととぎす ほしいまま 杉田久女
新緑の 普門寺が里 山笑ふ 悟空
[22]路傍の花(左上・中下・右下)・路傍の花の横にて(右上・左下)
12時44分 普門寺
山門着
[23]普門寺 山門前にて
[24]同 本堂前にて
[25]同 本堂手前にある大杉
13時00分 普門寺 本堂発→徒歩(下山)→
[26]普門寺 朱印
[27]同 山門周辺の風景(上:左右)と帰途に見つけた路傍の花々(下:左中右)
[28]路傍の花々
15時48分 帰宅
[29]走行距離計23.2kmと歩数30,292歩
[30]「拙宅⇔普門寺」往復踏破経路図
【小生 comment】
昨日 11.1km 14,452歩、今日 23.2km 30,292歩と歩いたが、予想のほか疲れなかった。
毎日の腹筋2,000回と、2.5kg木刀素振り60分を十年来続けている成果だと思料する。
【後記】05月05日から二十四節気でいう『立夏』。
其の日の夕方も伊古部海岸に行って来た。
今回は、NHK朝の連ドラ『エール』の伊古部海岸ロケと同じ場所で撮影した。
日没30分余り前だったが、明後日の満月を控えた月が綺麗だった。
因みに、今日の月は月齢12。今月は、満月の月齢が14なので、満月の二日前だが十三夜ではない。
【前書】けふより『立夏』。美しき自然多く残りし豊橋は良き街と想ひ拙句を一句‥
朝ドラの 気分満喫 夏は来ぬ 悟空
[31]2020年05月01日放送『エール』伊興部海岸ロケscene(左上)
↑↑伊古部海岸にて(右上)・満月を二日後に控えた宵の月(下:左右)
一日も早いコロナウィルス禍の終息を祈る。
では、また‥〔了〕
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