■皆さん、お変わりありませんか?
今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0805】号をお届けします。
今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第23回/第211句~220句〕」をご紹介する。211つばきまで折(をり)そへらるゝさくらかな 越人(注1)
【意】綺麗なので桜を一枝所望した処、椿も一枝添えてくれた / 桜花と椿花、趣の異なる花だと改めて感じた
【解説】季語:さくら=晩春 /
(注1)越智越人(おち えつじん(1656(明暦02)-1739(元文04(?)):江戸時代前期の俳諧師 / 別号:槿花翁(きんかおう) / 越後に生まれ、尾張国名古屋にて紺屋(こうや・こんや=染物屋)を営む / 1684(貞享元)年 芭蕉に会い蕉門に入門 / 尾張蕉門の重鎮で蕉門十哲の一人 / 1688(貞享05)年「更科紀行」の旅に同行 / 名古屋に縁のある越人の墓所は、浄土真宗本願寺派「転輪山長円寺(名古屋市中区栄二丁目4-23)」/ 墓石には「負山氏越人叟之墓」とある
212 広庭(ひろには)に一本(ひともと)植(うゑ)しさくら哉(かな) 笑艸(注1)
【意】広い庭に一本だけが桜の木が植えられている / 此の桜木を愛する此の屋敷の主人の心意気がよく解る
【解説】季語:さくら=晩春 /
(注1)笑艸(しょうそう):人物について詳細不詳
213
ときどきは蓑(みの)干(ほ)すさくら咲(さき)にけり 除風(注1)
【意】雨上がりに濡れた蓑等を干すのに利用する等、日々慣れ親しんでいる桜の木に見事な花が咲いた / 普段、其の桜木に対してぞんざいな扱いをしていることを後ろめたく思った
【解説】季語:さくら=晩春 /
(注1)如風(じょふう(1626(?)-1705(宝永02)年09月21日(享年80歳)):尾張国鳴海の如意寺住職 / 文英和尚/ 名古屋蕉門の一人 /『冬の日』同人
214 手(て)のとヾくほどはお(=を)らるゝ桜(さくら)哉 一橋(注1)
【意】道端に綺麗な桜花が咲いている / 誰もが一枝欲しいと折り持ち去って仕舞い、既に人の手の届く高さの桜花は無くなっている
【解説】季語:桜=晩春 /
(注1)一橋(いっきょう(生没年不詳)):出羽国人 / 小生不詳
215 うしろより見られぬ岨(そば(=そは))(注1)の桜(さくら)哉 冬松(注2)
【意】谷を隔てて向こう側の崖では、桜が満開の花を咲かせている / 絶壁なので、其の桜木の満開の桜花を向こう側から見ることは不可能なのだが、きっと綺麗なことであろうナ
216 すごすごと山(やま)やくれけむ遅(おそ)ざくら 一髪(注1)
【意】遅桜の満開の桜花が、迫り来る暮色に一際(ひときわ)美しく浮かび上がる / しかし、ふと思う / もし此の桜花が無かったら、此の山は味わいのないものだったろう
【解説】季語:遅ざくら=晩春 /
(注1)一髪(いっぱつ(生没年不詳)):美濃国の人 /『あら野』等に多数入句しているが、人物について詳細不明
217 はる風(かぜ)にちからくらぶる雲雀(ひばり)哉(かな) 野水(注1)
【意】春風が吹く天空を雲雀が声高く囀っている / 恰も春風と力比べをしている様に元気だ
【解説】季語:雲雀=三春 /
(注1)岡田野水(おかだ やすい((?)-1743.04.16(寛保03.03.22):埜水とも / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した(1684年)際の『冬の日』同人 / 其の頃、野水は27歳の男盛り / 又、彼は近江蕉門や向井去来等上方の門人との親交も厚かった
218 あふのき(注1)に寝(ね)てみむ野邊(のべ)の雲雀(ひばり)哉 除風(注2)
【意】天空で雲雀が声高らかに囀る様を見上げて眺めていると首が疲れて仕舞う / だから、春の野辺に寝そべって見ることにしよう
【解説】季語:雲雀=三春 /
(注1)あふのき(=仰き):読み方おうのき / 仰向(あおむ)くこと
(注2)如風(じょふう(1626(?)-1705(宝永02)年09月21日(享年80歳)):尾張国鳴海の如意寺住職 / 文英和尚/ 名古屋蕉門の一人 /『冬の日』同人
219 高声(たかごゑ)につらをあかむる雉子(きぎす)かな 一雪(注1)
【意】雉の顔が赤いのは、力んで鳴くからああなったのだ
【解説】季語:雉子((=雉)きぎす)=三春 /
(注1)椋梨一雪(むくなし いっせつ(生没年不詳)):山城国京の人 / 江戸や阿波にも住んだ / 通称:三郎兵衛 / 別号:牛露軒 / 貞徳門下 /『あら野』に入句
220 行(ゆき)かゝり輪縄(わな)(注1)解(とき)てやる雉子(きぎす)哉(かな) 塩車(注2)
【意】通りがかりに罠に捕らえられた雉を見つけ、可愛そうなのではずして逃がしてやった /「焼け野の雉子(きぎす) 夜の鶴」(注3)の格言を思い出したのだろう
【解説】季語:雉子((=雉(きじ))きぎす)=三春 /
(注1)輪縄(わな):罠(わな)のこと。
(注2)塩車(えんしゃ(生没年不詳)):人物については詳細不明 /『あら野』に入句
(注3)焼け野の雉子 夜の鶴:巣のある野を焼かれた雉は身の危険を忘れて子を救い、寒い夜、巣籠る鶴は自分の翼で子を覆う / 子を思う親の情けが深い譬え
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第24回/第221句~230句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題である。
04月04日(土)と05日(日)は、久しぶりに自宅でゆっくりと過ごした。
昨日は、去る03月14日に東京の6つの美術館巡りの予備日として、新幹線を利用して日帰りで美術館巡りをして来る予定だった。
しかし、一昨日からコロナウィルスの新規感染者が100人を超える忌々しい事態になった為断念。
昨日・今日は、夫々午前中は、腹筋と2.5kg木刀の素振りを毎日の量の2倍ずつ行い、体力増強に努めた。
今日は、14時00分〜15時45分の1時間45分、拙宅から3㎞東の多米町迄 walkingした。
【岩田運動公園/水神池】
[01]水神池にて1
若葉がとても綺麗だ!
【琴平神社】
[04]琴平神社 鳥居前にて1
本社は、1627(寛永04)年 吉田藩主 松平(深溝)忠利(1582-1632)の命により当地田尻村の開発が行われた際、僧 法印善が1630(同07)年 此のの地に源立寺を開創、寺内北隣に金毘羅神を鎮守として祀ったことに始まる。
【岩田八幡宮】
[09]岩田八幡宮 鳥居前にて
1647(正保04)年 吉田藩主 小笠原忠知(1599-1663)の旨により、吉田城内天王社の八幡社を此の地に奉遷し産土神(うぶすながみ)として祀った。
【小生 comment 】
我が故郷の街、豊橋はいい街だ。
自然が豊富で、社寺仏閣も其処此処に点在し、散策(Walking)には最適である。
【後記】今日も、『春に因んだ送別の唐詩』の傑作を二句ご紹介して締め括ることにする。
此の二句は、七言絶句と五言絶句の大傑作で、小生、諳んじることも出来る程大好きだ!
【 送元二使安西 / 王維】
送元二(注1)使安西(注1) 王維
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人
元二の安西に使ひするを送る
君に勧(すす)む 更に尽(くつ)せ一杯の酒
西のかた 陽関(ようかん)を出(い)づれば 故人(こじん)無からん
《意》
渭城の街に振る朝の雨は、黄土の軽い土塵(つちぼこり)をしっとりと潤(うるお)している
旅館の傍にある柳の木々は、雨に洗われて目に沁みる様な青々とした瑞々しさだ
(元二)君に勧めよう、もう一杯飲んでくれ
西の関所の陽関を出たら、もう一緒に酒を酌み交わす友人もいないだろうから
《語句》
(注1)元二:王維の友人で元という姓の人 / 誰を言うのか不明 / 元二の「二」は一族のうちで年長順で二番目の男子のこと
(注5)陽関:中国敦煌の近くにある、中国本国と西域を区切る関所
(注6)故人:親しい友
[14]王維『送元二使安西』を image した画像
(02)「客舎青青柳色新」を image した画像
(03)「勧君更尽一杯酒」を image した画像
(04)「西出陽関無故人」を image した画像
【小生 comment 】
此の句は、古来、最も名高い送別の詩。
王維と彼の友人、元(何某)との別れを詠んだ句である。
王維と元(何某)の二人は、旅立ちの前日の夜から渭城の旅館で酒を酌み交わして出発の朝となった。
別れが愈々名残惜しく思った王維は、「元(何某)君よ、最後にもう一杯飲んで別れとしよう」告げる。
親友二人の別れの scene が眼前に活き活きと浮かんで来る名詩である。
【 勧酒 / 于武陵 】
勧酒 于武陵(810-(?))
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
君に勧(すすむ) 金屈卮(きんくつし)(注1)
満酌(まんしゃく)(注2)辞(じ)するを須(もち)いず(注3)
花(はな)発(ひら)けば風雨(ふうう)多し
人生 別離(べつり)足(た)る
《意》
君にに勧めよう、此の金の杯(さかずき)を
なみなみと注がれた酒の杯を辞退しないでくれよ
花が咲く時節は、風が吹き雨が降る日がが多くなる様に
人生は、別離が多いものなのだ
《語句》
(注1)金屈卮(きんくつし):曲がった柄がついた黄金杯
(注2)満酌(まんしゃく):盃になみなみと注がれた酒
(注3)不須:「~もちいず」と読む /「~する必要はない」の意
(注4)花発(はなひらく):「花が咲く」の意味
(注5)足(たる):「多い」の意
[15]于武陵『勧酒』を image した画像
(03)「花発多風雨」を image した画像
(04)「人生足別離」を image した画像
【小生 comment 】
此の名詩は、井伏鱒二の『厄除(やくよ)け詩集』に収められている訳詩が有名なのでご紹介したい。
「 コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニハアラシノタオヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ 」
【前書】〔川柳〕人生、「会ふは別れの始め」也。
「家族」「友人」「最愛のひと」とも必ず「別レノ日」は来る
会者定離(えしゃじょうり)を 世の習いとはよく言ふた 悟空〔了〕
【後記】【春爛漫!満開のソメイヨシノ/北春日公園にて】
04月07日(火)は、18時20分に仕事先から帰宅した。
拙宅から至近の食品スーパー・サンヨネに beer を買いに行った帰り路、北春日公園の桜花が満開だったので自撮りした。
拙宅から直ぐの所に隠れた桜の名所があるのは嬉しい。
殆ど休業しないサンヨネが「明日臨時休業します」と announce していたのにはチョット吃驚!
時節柄、「コロナウィルス禍の影響か?」と勘繰って仕舞った。
【前書】春爛漫! 北春日公園の桜花に魅せられて詠める
そして、一日も早いコロナウィルス禍のない日の到来を祈る!
櫻咲く 北春日にて 吾憩ふ 悟空
【意】雨上がりに濡れた蓑等を干すのに利用する等、日々慣れ親しんでいる桜の木に見事な花が咲いた / 普段、其の桜木に対してぞんざいな扱いをしていることを後ろめたく思った
【解説】季語:さくら=晩春 /
(注1)如風(じょふう(1626(?)-1705(宝永02)年09月21日(享年80歳)):尾張国鳴海の如意寺住職 / 文英和尚/ 名古屋蕉門の一人 /『冬の日』同人
214 手(て)のとヾくほどはお(=を)らるゝ桜(さくら)哉 一橋(注1)
【意】道端に綺麗な桜花が咲いている / 誰もが一枝欲しいと折り持ち去って仕舞い、既に人の手の届く高さの桜花は無くなっている
【解説】季語:桜=晩春 /
(注1)一橋(いっきょう(生没年不詳)):出羽国人 / 小生不詳
215 うしろより見られぬ岨(そば(=そは))(注1)の桜(さくら)哉 冬松(注2)
【意】谷を隔てて向こう側の崖では、桜が満開の花を咲かせている / 絶壁なので、其の桜木の満開の桜花を向こう側から見ることは不可能なのだが、きっと綺麗なことであろうナ
【解説】季語:桜=晩春
/
(注1)岨(そば(←古語ではそは(発音:そわ))):崖・絶壁のこと
(注2)冬松(とうしょう(生没年不詳)):人物について詳細不明
/『あら野』等に入句216 すごすごと山(やま)やくれけむ遅(おそ)ざくら 一髪(注1)
【意】遅桜の満開の桜花が、迫り来る暮色に一際(ひときわ)美しく浮かび上がる / しかし、ふと思う / もし此の桜花が無かったら、此の山は味わいのないものだったろう
【解説】季語:遅ざくら=晩春 /
(注1)一髪(いっぱつ(生没年不詳)):美濃国の人 /『あら野』等に多数入句しているが、人物について詳細不明
217 はる風(かぜ)にちからくらぶる雲雀(ひばり)哉(かな) 野水(注1)
【意】春風が吹く天空を雲雀が声高く囀っている / 恰も春風と力比べをしている様に元気だ
【解説】季語:雲雀=三春 /
(注1)岡田野水(おかだ やすい((?)-1743.04.16(寛保03.03.22):埜水とも / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した(1684年)際の『冬の日』同人 / 其の頃、野水は27歳の男盛り / 又、彼は近江蕉門や向井去来等上方の門人との親交も厚かった
218 あふのき(注1)に寝(ね)てみむ野邊(のべ)の雲雀(ひばり)哉 除風(注2)
【意】天空で雲雀が声高らかに囀る様を見上げて眺めていると首が疲れて仕舞う / だから、春の野辺に寝そべって見ることにしよう
【解説】季語:雲雀=三春 /
(注1)あふのき(=仰き):読み方おうのき / 仰向(あおむ)くこと
(注2)如風(じょふう(1626(?)-1705(宝永02)年09月21日(享年80歳)):尾張国鳴海の如意寺住職 / 文英和尚/ 名古屋蕉門の一人 /『冬の日』同人
219 高声(たかごゑ)につらをあかむる雉子(きぎす)かな 一雪(注1)
【意】雉の顔が赤いのは、力んで鳴くからああなったのだ
【解説】季語:雉子((=雉)きぎす)=三春 /
(注1)椋梨一雪(むくなし いっせつ(生没年不詳)):山城国京の人 / 江戸や阿波にも住んだ / 通称:三郎兵衛 / 別号:牛露軒 / 貞徳門下 /『あら野』に入句
220 行(ゆき)かゝり輪縄(わな)(注1)解(とき)てやる雉子(きぎす)哉(かな) 塩車(注2)
【意】通りがかりに罠に捕らえられた雉を見つけ、可愛そうなのではずして逃がしてやった /「焼け野の雉子(きぎす) 夜の鶴」(注3)の格言を思い出したのだろう
【解説】季語:雉子((=雉(きじ))きぎす)=三春 /
(注1)輪縄(わな):罠(わな)のこと。
(注2)塩車(えんしゃ(生没年不詳)):人物については詳細不明 /『あら野』に入句
(注3)焼け野の雉子 夜の鶴:巣のある野を焼かれた雉は身の危険を忘れて子を救い、寒い夜、巣籠る鶴は自分の翼で子を覆う / 子を思う親の情けが深い譬え
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第24回/第221句~230句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題である。
04月04日(土)と05日(日)は、久しぶりに自宅でゆっくりと過ごした。
昨日は、去る03月14日に東京の6つの美術館巡りの予備日として、新幹線を利用して日帰りで美術館巡りをして来る予定だった。
しかし、一昨日からコロナウィルスの新規感染者が100人を超える忌々しい事態になった為断念。
昨日・今日は、夫々午前中は、腹筋と2.5kg木刀の素振りを毎日の量の2倍ずつ行い、体力増強に努めた。
今日は、14時00分〜15時45分の1時間45分、拙宅から3㎞東の多米町迄 walkingした。
【岩田運動公園/水神池】
[01]水神池にて1
[02]同上2
[03]岩田運動公園近くの柿畑
若葉がとても綺麗だ!
【琴平神社】
[04]琴平神社 鳥居前にて1
[05]同 同上2
[06]同 本殿前にて1
[07]同 同上2
[08]同 同上3
本社は、1627(寛永04)年 吉田藩主 松平(深溝)忠利(1582-1632)の命により当地田尻村の開発が行われた際、僧 法印善が1630(同07)年 此のの地に源立寺を開創、寺内北隣に金毘羅神を鎮守として祀ったことに始まる。
【岩田八幡宮】
[09]岩田八幡宮 鳥居前にて
[10]同 本殿前にて
[11]同 解説石碑にて
[12]同 解説石碑
[13]Walking
集計表: 5.8km 7,537歩
1660年(万治03)年 宝殿、1700(元禄13)年 拝殿を造営、明和(1768年)・文政(1818年)の改修を経て、1872(明治05)年05月村社となった。1948(昭和23)年10月
社地を豊岡中学校建設用地に提供、一時、琴平神社へ合祀されたが、1961(昭和36)年9月 境内西方地(現護国神社)に遷座、独立の社殿を建立。1964(昭和39)年02月13日 八幡社を八幡宮に改称、1986(同61)年10月 社殿を現在地に改築、社名を岩田八幡宮と改称し今日に至る。
【小生 comment 】
我が故郷の街、豊橋はいい街だ。
自然が豊富で、社寺仏閣も其処此処に点在し、散策(Walking)には最適である。
【後記】今日も、『春に因んだ送別の唐詩』の傑作を二句ご紹介して締め括ることにする。
此の二句は、七言絶句と五言絶句の大傑作で、小生、諳んじることも出来る程大好きだ!
【 送元二使安西 / 王維】
送元二(注1)使安西(注1) 王維
渭城朝雨浥軽塵
客舎青青柳色新勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人
元二の安西に使ひするを送る
渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう) 軽塵(けいじん)を浥(うるほ)し
客舎(かくしゃ)青青(せいせい)柳色(りゅうしょく)新(あらた)なり君に勧(すす)む 更に尽(くつ)せ一杯の酒
西のかた 陽関(ようかん)を出(い)づれば 故人(こじん)無からん
《意》
渭城の街に振る朝の雨は、黄土の軽い土塵(つちぼこり)をしっとりと潤(うるお)している
旅館の傍にある柳の木々は、雨に洗われて目に沁みる様な青々とした瑞々しさだ
(元二)君に勧めよう、もう一杯飲んでくれ
西の関所の陽関を出たら、もう一緒に酒を酌み交わす友人もいないだろうから
《語句》
(注1)元二:王維の友人で元という姓の人 / 誰を言うのか不明 / 元二の「二」は一族のうちで年長順で二番目の男子のこと
(注2)安西:唐代、西州(現・トルファン市)及び亀茲(現・クチャ)に置かれた行政区 / タリム盆地を中心に東西トルキスタンを管轄した
(注3)渭城:長安の西北で渭水の北側にある街
/ 別名:咸陽 / 当時西方に旅立つ人を此処迄同道し見送る習慣があった
(注4)柳色:柳の葉の色
/ 当時、中国では古来、旅立つ人に、柳の枝を折り輪にして餞別として持たせる習慣があった(注5)陽関:中国敦煌の近くにある、中国本国と西域を区切る関所
(注6)故人:親しい友
[14]王維『送元二使安西』を image した画像
↑↑上記添付写真は、左上(01)から時計回りに(02)(03)(04)の順
(01)「渭城朝雨浥軽塵」を
image した画像(02)「客舎青青柳色新」を image した画像
(03)「勧君更尽一杯酒」を image した画像
(04)「西出陽関無故人」を image した画像
【小生 comment 】
此の句は、古来、最も名高い送別の詩。
王維と彼の友人、元(何某)との別れを詠んだ句である。
王維と元(何某)の二人は、旅立ちの前日の夜から渭城の旅館で酒を酌み交わして出発の朝となった。
別れが愈々名残惜しく思った王維は、「元(何某)君よ、最後にもう一杯飲んで別れとしよう」告げる。
親友二人の別れの scene が眼前に活き活きと浮かんで来る名詩である。
【 勧酒 / 于武陵 】
勧酒 于武陵(810-(?))
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
君に勧(すすむ) 金屈卮(きんくつし)(注1)
満酌(まんしゃく)(注2)辞(じ)するを須(もち)いず(注3)
花(はな)発(ひら)けば風雨(ふうう)多し
人生 別離(べつり)足(た)る
《意》
君にに勧めよう、此の金の杯(さかずき)を
なみなみと注がれた酒の杯を辞退しないでくれよ
花が咲く時節は、風が吹き雨が降る日がが多くなる様に
人生は、別離が多いものなのだ
《語句》
(注1)金屈卮(きんくつし):曲がった柄がついた黄金杯
(注2)満酌(まんしゃく):盃になみなみと注がれた酒
(注3)不須:「~もちいず」と読む /「~する必要はない」の意
(注4)花発(はなひらく):「花が咲く」の意味
(注5)足(たる):「多い」の意
[15]于武陵『勧酒』を image した画像
↑↑上記添付写真は、左上(01)から時計回りに(02)(03)(04)の順
(01)「勧君金屈卮」を
image した画像
(02)「満酌不須辞」を
image した画像(03)「花発多風雨」を image した画像
(04)「人生足別離」を image した画像
【小生 comment 】
此の名詩は、井伏鱒二の『厄除(やくよ)け詩集』に収められている訳詩が有名なのでご紹介したい。
「 コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニハアラシノタオヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ 」
【前書】〔川柳〕人生、「会ふは別れの始め」也。
「家族」「友人」「最愛のひと」とも必ず「別レノ日」は来る
会者定離(えしゃじょうり)を 世の習いとはよく言ふた 悟空〔了〕
【後記】【春爛漫!満開のソメイヨシノ/北春日公園にて】
04月07日(火)は、18時20分に仕事先から帰宅した。
拙宅から至近の食品スーパー・サンヨネに beer を買いに行った帰り路、北春日公園の桜花が満開だったので自撮りした。
拙宅から直ぐの所に隠れた桜の名所があるのは嬉しい。
殆ど休業しないサンヨネが「明日臨時休業します」と announce していたのにはチョット吃驚!
時節柄、「コロナウィルス禍の影響か?」と勘繰って仕舞った。
【前書】春爛漫! 北春日公園の桜花に魅せられて詠める
そして、一日も早いコロナウィルス禍のない日の到来を祈る!
櫻咲く 北春日にて 吾憩ふ 悟空
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