今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第22回/第201句~210句〕」をご紹介する。
201 蝙蝠(かはほり(=かわほり)・こうもり)にみだるゝ月(つき)の柳(やなぎ)哉 仝(=荷兮)(注1)
【意】春宵、朧月(おぼろづき)の下、柳の木が立っている / 柳の枝葉は垂れ下がった儘、微動だにしない / ただ時折、蝙蝠(こうもり)が其の傍(そば)を霞める様に飛んでいく時に発生した風に煽られた時だけ、柳葉は月影に微(かす)かに揺れる
【解説】季語:柳=晩春 /
(注1)山本荷兮(やまもと かけい((?)-1716.10.10(享保01.08.25(享年69歳))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 貞亨元(1684)年以来の尾張名古屋の蕉門の重鎮 / 後年、芭蕉と(とくに「軽み」等で)意見会わず蕉門から離れた / 元禄06(1693)年11月出版の『曠野後集』で荷兮は、其の序文に幽斎・宗因等貞門俳諧を賞賛のcommentを掲載し、蕉門理論派・去来等から此れを強く非難されてもいる / 彼の蕉門時代の足跡に、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集編纂がある
202 青柳(あをやぎ)にもたれて通(とほ)す車(くるま)哉(かな) 素秋(注1)
【意】川端の堤の上の道幅が狭い一本道 / 向こうから遣って来た車と擦れ違う / その際、土手の傍らに立っている青柳に凭(もた)れ掛かっ(=身体を預け)て車が通り過ぎるのを遣り過ごす
【解説】季語:青柳=晩春 /
(注1)素秋(そしゅう(生没年不詳)):美濃国岐阜の人 /『あら野』に入句
203 引(ひく)いき(注1)に後(うしろ)へころぶ柳(やなぎ)かな 鴎歩(注2)
【意】風が吹き、一方へ靡(なび)く柳の木 / ひとしきり吹いた風に靡いた反動で、風が止むと、元に戻った処で止まらず、更に反対側迄行き過ぎる / 此れが人なら後ろへ転倒する処だ
【解説】季語:柳=晩春 /
(注1)引く『いき』:「引く『勢(いきほ)い』」のこと
(注2)鴎歩(おうほ(生没年不詳)):美濃国岐阜の人 /『あら野』に入句
204 菊(きく)の名(な)は忘(わす)れたれども植(うゑ)にけり 生林(注1)
【意】菊を植える季節だ / 処が、肝心の菊の名前を忘れて仕舞った / でも、今が植える時節だから植えたヨ
【解説】季語:菊植る=晩春 /
(注1)生林(せいりん(生没年不詳)):詳細不詳 /『あら野』に2句入句
仲春
205 麥(むぎ)葉(は)に菜(な)のはなかゝる嵐(あらし)哉(かな) 不悔(注1)
【意】春嵐の季節だ / 麦畑の畦道に植えられた菜の花が、風に吹き撓(たわ)められて、青麦の葉の上に覆い掛かっている / (‥黄色い菜の花が実に鮮やかだ‥)
【解説】季語:菜のはな=晩春 /
(注1)不悔(ふかい):人物については詳細不詳
206 菜(な)の花や杉菜(すぎな)の土手(どて)のあいあい(=あひあひ)に 長虹(注1)
【意】土手一面に杉菜が青々と茂っている / 其処に菜の花が、所々に気儘に固まって黄色い花を咲かせている
【解説】季語:菜の花=晩春、杉菜=晩春 / 春たけなわの田園風景‥
(注1)長虹(ちょうこう(生没年不詳)):尾張国名古屋、名古屋城北(名古屋市東区杉村町西杉)、杉の薬師堂住職(現・解脱寺) / 芭蕉が『笈の小文』を終え、『更科紀行』に旅立つ間名古屋に滞在した貞亨05年07月20日(1688.08.15) 此処で歌仙興行 /「粟稗にとぼしくもあらず草の庵」等を詠む
207 なの花(はな)の座敷(ざしき)にうつる日影(ひかげ)哉(かな) 傘下(注1)
【意】屋敷の南側に広がる菜の花畑 / 其処から反射した陽光が、座敷の中迄明るく照らす
【解説】季語:なの花=晩春 / 田園に向かって開かれゆったりとした広間と春真っ盛りの広々とした菜の花畑
(注1)加藤傘下(かとう さんか(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
208 菜(な)の花(はな)の畦(うね)うち残すながめ哉(かな) 清洞(注1)
【意】春の田園の眺望 / 田植えを前に、田おこしの作業が始まった / そして、菜の花畑だけは手付かずで残っている / 恐らく菜種採取の為残されているのだろうが、綺麗に咲く菜の花を惜しんでいる様にも見える
【解説】季語:菜の花=晩春 /
(注1)清洞(せいどう):人物については詳細不詳
209 うごくとも見えで畑(はた)うつ麓(ふもと)かな 去来(注1)
【意】此れも春の田園の眺望 / 小高い山から麓の畑の農作業を眺めている / 春の種蒔きの為に畑を鋤替えしているのだが、気付くと大分捗(はかど)っている / 長閑な春の時間が流れる‥
【解説】季語:畑うつ=三春 /
(注1)向井去来(むかい きょらい(1651-1704)(慶安04年-宝永元年):肥前国長崎の儒医向井玄升の次男 / 本名:向井平次郎 / 父は当時著名な医学者で、宮中儒医も務めた / 当初去来も医者を志す / 兄元端も宮中の儒医 / 1684(貞享元)年、去来は其角の紹介に撚り芭蕉と出会った / 嵯峨野に別邸「落柿舎」を所有 / 芭蕉は此処で『嵯峨日記』を執筆 /『猿蓑』同人 /『去来抄』を執筆
210 万歳(まんざい)を仕舞(しま)ふ(=う)てうてる春田(はるた)哉(かな) 昌碧(注1)
【意】三河・大和等の正月に各地へ万歳に出稼ぎに出る男たちの故郷の村でのこと‥ / 其の出稼ぎから帰って来た男たちが、田に出て田おこしの作業が始まった
【解説】季語:春田=三春 /
(注1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 貞亨04(1687)年11月『笈の小文』の旅の折、蕉門に入る /『あら野』などに入句
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第23回/第211句~220句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題である。
03月28日(土)は、月に一度名古屋市東区にあるN歯科医院での歯科健診の日だったので、ついでに古川美術館『愛知の工芸2020』展を見て来た。
05時25分 起床→腹筋2,000回
06時20分 2.5kg木刀素振り60分
07時20分 入浴→朝食
08時07分 拙宅発→一般道 1時間43分 78km→
09時50分 金山南ビル駐車場着
10時00分 クラシック名古屋・アイ♡チケット着
【クラシック名古屋・アイ♡チケット】
[01]クラシック名古屋・アイ♡チケット着が入居するれんがビル
[02]コロナ禍で払い戻しになった「20200301 エーテポリ交響楽団演奏会ticket」「2020030329 小澤征爾音楽宿『こうもり』」と今回購入した「24回スーパークラシックコンサート7公演ticket」
10時23分 クラシック名古屋・アイ♡チケット発→徒歩→金山駅→地下鉄名城線→矢場町→
10時30分 松坂屋北館3F着〔注文済のワイシャツを貰いに行く〕
[03]注文済のcasual用ワイシャツ
10時47分 松坂屋北館発→徒歩→地下鉄名城線→金山駅→金山南ビル駐車場着
11時02分 金山南ビル駐車場発→一般道29分 8km/86km→11時31分 古川美術館駐車場着
【古川美術館『愛知の工芸2020』展】
コロナ禍の中でも、古川美術館は頑張って開催していた!
本企画展は、古川美術館の粋な計らいで、「古川美術館55作品」と「為三郎記念館32作品」の全作品が撮影可であった。
とくに為三郎記念館は、Installation として工芸品が配置され、とてもいい雰囲気を醸し出していた。
以下に、撮影した諸作品を順次ご紹介する。
[04]古川美術館入口にて1
[05]同上2
[06]本企画展leaflet
[07]本企画展主催者「ご挨拶」
[08]【染色】二宮祐子『華』
[09]【革】杉山タカ子『刻の移り』
[10]【染色】上田章子『展開・群』
[11]【漆芸】丹羽清美『2019
MINATO』
[12]【染色】石上久美子『夜の浮遊』
[13]【漆芸】浅井啓介『その向こうに…。』
[14]【陶芸】梅本孝征『色絵流加彩器』
[15]【七宝】太田吉亮『蒼流』
[16]【漆芸】安藤則義『うるし絵笹図箱』
[17]【陶芸】加藤令吉『宙一光幻』
[18]古川美術館1階展示室1
[19]同上2
[20]【陶芸】梅村拓生『陶胎七宝唐草文皿』
[21]【陶芸】前田正剛『掛分釉描二稜花陶匣』
[22]【陶芸】山口真人『織部花器』
[23]【陶芸】柄澤あかり『流層文花器』
[24]【陶芸】竹内孝一郎『灰釉花器』
[25]【陶芸】鯉江 廣『あけぼの彩輪形文鉢』
[26]【陶芸】伊藤公洋『志野彩文花器』
[27]【漆芸】安藤源一郎『紙胎蒟醤翠嵐丸盆』
[28]【陶芸】屋我優人『彫文鉢―崑崙花―』
[29]【七宝】池田貴普『有線七宝器』
[30]【陶芸】森克徳『彩釉花器』
[31]【染色】多々内都子『韻像―時の行方―』
[32]【陶芸】梅本孝征『色絵流加彩花器』1
[33]【陶芸】梅本孝征『色絵流加彩花器』2
[34]古川美術館館内にて
[35]為三郎記念館入口にて
[36]為三郎記念館―情景1―
[37]【陶芸】梅田洋『春盃』
[38]【陶芸】水野真澄『連動』
[39]【陶芸】大谷昌拡『彩裏紅風舟葛文水指』
[40]為三郎記念館―情景2―
[41]田村能里子『季の嵐』
[42]【陶芸】宮下 陽『染付幾何学文花器』
[43]【陶芸】樽田裕史『光ノ雨・光芒・ゆらぎ・光芒・光ノ流』
12時25分 為三郎記念館発→一般道 20分 5㎞/91km→
【らあめん専門店『陣屋〔昼食〕』】
[44]オズモール入口にて
[45]らあめん専門店『陣屋』入口にて
[46]小生の超定番「チャーシュー麵」
[47]愚娘が3年間通った名古屋市立桜丘(さくらがおか)中学校正門にて
今は昔、2001~2002年の話。
愚娘は、桜丘中学3年と瑞陵高校1年の2年間 NHKの「中学生日記」に準主役で出演していた。
愚娘の母校、桜ヶ丘中学校は、「中学生日記」の舞台に使われていた。
更に、小生の旧行時代の社宅の玄関も、ロケに使われた〔←勿論、事前に人事部に撮影許可は貰った〕。
[48]愚息2人と愚娘1人の計3人が通った名古屋市立旭丘町学校西門
14時15分 N歯科医院
14時52分 N歯科医院発→一般道63分 41km/132km→
15時55分 トヨタ鞍ヶ池記念館(鞍ヶ池アートサロン)着〔コロナ禍にて臨時休館〕=同所発→一般道1時間35分 54㎞/186km→
[49]家に着く3㎞手前の信号機で走行距離累計60,000kmになった
17時30分 帰宅〔了〕
【小生 comment 】
東京は、今日(04月05日(日))も16時00分現在で、今日一日で新しくコロナウィルス感染者が130人を超える見込みだとニュース速報で言っていた。
だから、昨日(04月04日)は、去る03月14日に行く予定だった東京の美術館巡りの予備日として新幹線で上京する予定だったが、東京のコロナ禍の蔓延の為今回も断念した。
楽観主義者の小生、「ま、其の分、自宅でゆっくりさ」と、昼から拙宅から東方へ6㎞弱の walking をして過ごすことが出来た。
偶にはこういうのんびりした土日も良いものである。
【後記】今日も、春に因んだ唐詩を三句ご紹介して締め括ることにする。
【 杜甫(712-70)『春夜喜雨』】
春夜喜雨 杜甫
好雨知時節/当春乃発生
随風潜入夜/潤物細無声
野径雲倶黒/江船火獨明
暁看紅湿處/花重錦官城
春夜雨を喜ぶ
好雨(こうう) 時節を知り/春に当たりて乃ち発生(はっせい)(注1)す
風に随(したが)ひて潜かに夜に入り/物を潤(うるお)して細(こま)やかにして声(こゑ)無し野径(やけい) 雲 倶(とも)に黒く/江船火(こうせんひ) 独(ひと)り明らかなり
暁(注2)に紅(くれなひ)の湿(うるお)ふ処(ところ)を看(み)れば/花は錦官城(きんかんじょう)(注3)に重からん
《意》
よい雨というのは降るべき時を心得ている/春になると降り始めるのだ
「雨が万物の生育を始める」とも解釈出来る
(‥其の雨は‥)風に吹かれながら、静かに夜まで降り続き/細やかで音も立てずに全ての物を潤す
野の小道も雲も皆暗く/(‥その景色の中にある‥)川に浮かぶ船の灯だけが明るい
明け方に紅色に潤っているところを見ると/(‥しっとりと濡れた‥)花が、錦官城に重たげに咲いている
《語句》
(注1)発生(はっせい):「雨が降り始める」は、換言すれば「雨が万物の生育を始める」ことを示している
(注2)暁(あかつき):明け方
(注3)錦官城(きんかんじょう):中国四川省(当時の地名:蜀)の省都「成都」のこと
[50]杜甫(712-70)『春夜喜雨』を image した画像
↑↑上記添付写真は、左上(01)から時計回りに(02)(03)(04)の順
(01)「好雨知時節/当春乃発生」を image した画像(02)「随風潜入夜/潤物細無声」を image した画像
(03)「野径雲倶黒/江船火獨明」を image した画像
(04)「暁看紅湿處/花重錦官城」を image した画像
【小生 comment 】
本作品は、761(上元)02年 杜甫50歳の作。
杜甫は、彼の人生の中で、最も安定した数年間を、家族と共に成都郊外の浣花(かんか)草堂で過ごしている。
放浪生活の長かった厳しい彼の人生とは違う、落ち着いた雰囲気が詠み手に確りと伝わって来る。
春雨のしっとりとした感じと、成都(=錦官城)の穏やかな春の情景が目に浮かぶ傑作である。
此の名詩にあった画像を色々探したがなかなか良いsceneが見つからなかったのが少々残念である。
皆さんは、此の画像と名詩をご覧になって春の情景が浮かんで来ますでしょうか?
【 薛濤(768-831)『海棠渓』】
海棠渓(注1) 薛濤(注2)
春教風景駐仙霞
水面魚身総帯花
人世不思霊卉異
競将紅纈染軽沙
春は風景をして 仙霞(せんか)(注3)を駐(とど)まら教(し)め
水面の魚身(ぎょしん) 総(すべ)て花を帯(お)ぶ(注4)
人世(じんせい)思はず霊卉(れいき)の異(い) (注5)を
競って紅纈(こうけつ)(注6)を将(も)って軽沙(注7)を染(そ)む
《意》
辺(あた)りは春の花盛り / 造化の神が、此の地に海棠の花霞を駐(とど)めて下さった
渓谷の水面を泳ぐ魚は、海棠の花影に染まり、恰も花模様を帯びたかの様に美しい
しかし、世間の人々には、此の海棠の花の霊妙な美しさ(=異常な技(わざ))が解らない
競って河原の砂を紅(くれない)の絞(しぼり)で染めたかの様だ
《語句》
(注1)海棠渓:海棠は薔薇科の落葉樹 / 薛涛が幼少時代から過ごした蜀の地は、海棠の花の名所
(注2)薛涛(768-831(?)):長安の官僚の娘だったと云われるが、蜀(四川省)に赴任した父が任地で亡くなると、母と同地に留まり、成長して妓女となる
才媛で、書と詩文に長け、張籍(768-830(?))・元稹(779-831)・白居易(772-846)・杜牧(803-52)・劉禹錫(772-842)等と詩文で親交を結んだ
(注3)仙霞:海棠は「花の中の神仙」と云われる / 咲き乱れる海棠花が創り出す花霞のこと
(注4)花を帯ぶ:川魚の鱗に海棠の紅の花が投影して花模様をつけた様になることをいう
(注5)霊卉(れいき)の異:「卉(き)」は草木 /「霊」は霊妙(=神秘的な尊さを備え、人知で測り知れない程優れていること) / 海棠の霊妙な美しさを指している
(注6)紅纈(こうけつ):紅く染めた絞り(=絞り染めの様に色が斑(まだら)に入りまじった様子)
(注7)軽沙:河岸の砂原
[51]薛濤『海棠渓』を image した画像
↑↑上記添付写真は、左上(01)から時計回りに(02)(03)(04)の順
(01)「春教風景駐仙霞」を
image した画像(02)「水面魚身総帯花」を image した画像
(03)「人世不思霊卉異」を image した画像
(04)「競将紅纈染軽沙」を image した画像
【小生 comment 】
本作品作者の薛濤は、唐の時代では数少ない女流詩人。
昔から、小生、此の詩が大好きで、拙宅の中庭に、劉希夷「代悲白頭翁」の「洛陽城東【桃李】花」の「花桃」と「李」と共に植えたのが、此の薛涛「【海棠】渓」の「花海棠」である。
【王維(699-759(or701-761))『田園楽』】
田園楽 其六 王維
桃紅復含宿雨
柳緑更帯春煙
花落家僮未掃
鴬啼山客猶眠
桃は紅(くれない)にして 復(ま)た宿雨(しゅくう)(注1)を含み
柳は緑にして 更に春煙(しゅんえん)を帯(お)ぶ
花落ちて家僮(かどう)(注2)掃(はら)はず
鴬啼(な)きて山客(さんかく)(注3)猶(な)ほ眠る
《意》
桃の花は紅(あか)く、昨夜の雨をしっとりと含み
柳は緑に芽吹き、更に春の霞を帯びている
花弁(はなびら)がはらはらと散り庭に落ち積もっているが、まだ召使いは掃除もしない
鴬が春を謳歌して高らかに泣いているが、山に籠(こも)った隠者たる此の私はまだ眠っている
(注1)宿雨(しゅくう):昨夜からの雨
(注2)家僮(かどう):家の男の召使
(注3)山客(さんかく):隠者 / 此処では、作者「王維」を指す
[52]王維『田園楽』を image した画像
↑↑上記添付写真は、左上(01)から時計回りに(02)(03)(04)の順
(01)「桃紅復含宿雨」を
image した画像(02)「柳緑更帯春煙」を image した画像
(03)「花落家僮未掃」を image した画像
(04)「鴬啼山客猶眠」を image した画像
【小生 comment 】
此の「田園楽」は、七首連作の其六 /「六言絶句」という珍しい絶句の中では一番有名な句。
起句と承句、転句と結句の夫々の二句が対になっている、全対格(ぜんついかく)で、「六言絶句」は此の形式をとる。
起句と承句は、「桃 v.s. 柳」・「紅v.s. 緑」の色鮮やかな情景が眼前に迫って来る。
転句と結句は、「桃花が散った情景の中で、働かないのんびりとした家僮」v.s.「鶯が啼いている情景の中で、悠々と眠りを貪(むさぼ)る山客(=主人=作者自身)」の春の情景の scene。
王維(699-759(or701-761))は、聡明で21歳の若さで進士に合格。
しかし、家族には恵まれず、若くして妻を亡くした彼は、其の後終生独り身で通した。
彼は、都長安の南の藍田県の麓に別荘「輞川荘(もうせんそう)」を持ち、気の合う友人たちと交流し、「半官半隠」の閑適の暮らしを楽しんだ。
Facebookにて、一々昨日(04月02日)、
「【詞書】齢六十路半ばを迎へ、「『男と女』の縁(えにし)は宿命也」と確信す
人生は 神が定めし宿命と 六十路過ぎ其の不可思議さ知る 悟空 」
と詠み、同じく一昨夕(04月03日)は、
「【詞書】可憐なる花海棠を見、懐かしき青春時代の初恋を想ひ出し一首‥
春宵の 花海棠を 見て君の 青春の美を 吾は噛み締む 悟空 」と詠んだ。
そして、昨日(04月04日)の朝は、
一晩明けた今朝06時半少し前の拙宅中庭の『花海棠の花』も綺麗だった。
【前書】春宵の君、春暁の君、いずれも美し 悟空
春暁や 海棠の花 君恋し 悟空
[53]昨日早朝撮影した拙宅中庭に咲いている花海棠の花
0 件のコメント:
コメントを投稿