今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第13回/第111句~120句〕」をご紹介する。
111 若水(わかみづ)(注1)をうちかけて見よ雪の梅(うめ) 亀洞(注2)
【意】元日、新婚の婿に水をかけて「若水の祝い」をする /「雪中の早咲きの梅は、まだ世慣れぬ婿の様な初々しさだから、水掛祝いをしてやれ」と興じたもの / そうすれば梅花も香しい香りをもっと放つことだろう
【解説】季語:若水=新年、梅=春 / 此処は(注1)(1)の水 /
(注1)若水(わかみづ):(1)正月に一家のとし男などが汲む水で、これを正月の茶や料理に用いた (2)新婚の若婿にこの水をかけたりした祝い行事
(注2)武井亀洞(たけい きどう(?-1687(貞亨04).11):尾張国名古屋の人 。『春の日』に初出 / 越智越人の弟子と云われている /『あら野』・『庭竈集』等に入句
112 伊勢浦(いせうら)や御木(みき)引(ひき)休む今朝(けさ)の春 同
【意】伊勢の式年遷宮は、2年前(1689(元禄02)年)の秋、斧始(おのはじめ)があり、木作に取り掛かる / 天下万民が休業の新春、彼の伊勢神宮の造営作業である遷宮用の木工作業の「御木引き」も休みだろう /「引」は「挽(ひき)」/
【解説】季語:今朝の春=春 / 1689(元禄02)年の秋が伊勢の遷宮儀式の年であったのは、『奥の細道』の後、芭蕉が参詣していることよく知られている /
113 ことぶきの名(な)をつけて見(み)む宿(やど)の梅 昌碧(注1)
【意】元日に咲いた我が家の梅 /【訳1】名を付けるなら「寿」と命名しよう /【訳2】新春に咲く「寿」に値する梅花の名前はないようだから、其れに相応しい名前を一つ名前を考えてみよう
【解説】季語:梅=春 /
(注1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 1687(貞亨04)年11月『笈の小文』の旅の折、蕉門に入門 /『あら野』等に入句
114 去年(こぞ)の春(はる)ちい(=ひ)さかりしが芋頭(いものかみ) 元廣(注1)
【意】去年の春、種芋として植えた芋の子が、こんなに大きく(=芋頭に)なって此の正月の雑煮に食して祝う
【解説】季語:芋頭=新年 /
(注1)元廣(げんこう):詳細不明
115 小柑子(せうかうじ)(注1)栗(くり)やひろはむまつのかど 舟泉(注2)
【意】松を立てた軒の飾りに柑子(かうじ(=こうじ))・栗等が見える / 伊勢物語に「その石の上に走りかかる水は、小柑子・栗の大きさにてこぼれ落つ」とあるが、此処は水ならぬ柑子・栗其の物を拾うこともあろうか?
【解説】季語:まつのかど=新年 /
(注1)柑子(こうじ):ミカン科ミカン属の常緑小高木で柑橘類の一種
(注2)永田舟泉(ながた しゅうせん(1654(承応03)(?)-1737.11.19(元文02年10月27日)(享年84歳))):三河国挙母(ころも(現・豊田市挙母町))生まれ / 尾張国名古屋の人 / 通称:六兵衛 / 1687(貞亨04)年 蕉門に入門 /『あら野』・『曠野後集』等に入句
116 とし男(をとこ)(注1)千秋樂(せんしうらく)(注2)をならひけり 同
【意】厄年の年男が謡曲「千秋楽」を即席で修行して、有るか無いかの出番(=披露する機会)の為に備えている
【解説】季語:とし男=新年 /
(注1)とし男(おとこ):年頭に若水を汲む等の役を務める人
(注2)千秋楽(せんしゅうらく):謡曲「高砂」の切(きり)「千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ。相生の松風、飄々の声ぞたのしむ」の部分をいう
117 山柴(やましば)にうら白(じろ)(注1)まじる竈(かまど)かな 重五(注2)
【意】正月の竈(かまど)のもとに積んだ柴(しば)に裏白(=歯朶(しだ))が混じっている / 此れは、正月飾りの材料にと、農民が柴と一緒に刈り取って来たからだろう / こんな処にも正月の季節感が感じられるヨ
【解説】季語:うら白=歯朶(しだ)=新年 / 葉の裏が白いことから「裏白」呼ばれるようになった
(注1)うら白:歯朶(しだ)のこと /
(注2)加藤重五(かとう じゅうご(1654(承応03)(?)-1717(享保02).06.13(享年64歳))):加藤善右衛門 / 尾張国名古屋の材木問屋の豪商 /『冬の日』の同人
118 松(まつ)高(たか)し引馬(ひきうま)(注1)つるゝ年(とし)お(=を)とこ 釣雪(注2)
【意】古松の聳える辺り、年賀に出る主人従い、年男(役の)者が馬を引い行く
【解説】季語:都市おとこ=新年 /「松高し」が、「晴れ上がった城郭」等品格ある場面を想像させる
(注1)引馬(ひきうま):貴人の外出に鞍覆いをかけて引いて行く馬 / 鞍覆いは緞帳風に綺麗に飾られている
(注2)大橋釣雪(おおはし ちょうせつ(生没年不詳)):尾張国名古屋の大橋左衛門 /『あら野』などに入句
119 月花(つきはな)の初(はじめ)は琵琶(びは)の木(き)どり哉(かな) 同
【意】琵琶の型に木どりをしたものが、やがてあの美しい音を奏でるようになるのであろう / 年初に此の様な物を見ると、此れから風雅の数々との出会いが予想されて心楽しい気分になる
【解説】季語:月花の初=春 /「月花」は華やかなことの象徴として使われる
120 連(つれ)てきて子(こ)にまはせけり萬歳樂(まんざいらく) 一井(注1)
【意】毎年遣って来る萬歳楽師が、今年は子供を連れて来て舞わせた / 此の子が後継者か、 実に目出度いことだ
【解説】季語:万歳楽=新年 /
(注1)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国名古屋の蕉門 / 芭蕉は、1687(貞享04)年04年12月09日、『笈の小文』の旅の途次、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田蕉門等七吟半歌仙(熱田三歌仙)を巻いた
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第14回/第121句~130句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題は、先週02月02日の昼下がり、豊橋市内多米地区にある『豊橋市民俗資料館収蔵室〔旧・多米小学校〕』→『鞍掛神社』→『赤岩山/赤岩寺』を巡って来たことについてお伝えする。
先週の02月01日(土)&02(日)は、久しぶりに拙宅で安息の二日間だった。
02月02日は、以下の通り行動した。
08時30分 起床→腹筋2,000回
09時30分 2.5kg木刀素振り60分
10時45分 入浴→brunch→
12時00分 Blog【時習26回3-7の会 0794】の作成
14時40分 拙宅発→徒歩47分 3.9km→
[01]岩田運動公園に咲いている山茶花
15時27分 豊橋市民俗資料収蔵室〔旧・豊橋市立多米小学校〕着
【豊橋市民俗資料収蔵室〔旧・豊橋市立多米小学校〕】
[02]豊橋市民俗資料収蔵室〔旧・豊橋市立多米小学校〕入口にて
[03]同上 玄関
[04]同上 廊下にて
[05]同上 教室で教師になったつもり1
[06]同上 教室で教師になったつもり2
[07]昔の思い出:昭和52年9月に受け取った「昭和53年度愛知県公立学校教員選考(高校・世界史)」第一次試験合格通知書
[08]映画「早咲きの花」の舞台になった此処「旧・多米小学校」の浅丘ルリ子
[09]豊橋市民俗資料収蔵室〔旧・豊橋市立多米小学校〕廊下にて1
[10]同上 同上2
[11]同上 同上3
[12]豊橋市民俗資料収蔵室〔旧・豊橋市立多米小学校〕旧・教室~蚕糸とよはし歴史資料室にて
[13]蚕糸とよはし移り変わり《草創期》解説〔明治初年~明治20年〕
[14]同上《隆盛期》解説〔明治20年代~大正末期〕
[15]同上《変動期》解説〔大正末期~昭和10・12年代〕
[16]同上《衰退期》解説〔第二次世界大戦中と戦後〕
[17]豊橋市民俗資料収蔵室〔旧・豊橋市立多米小学校〕旧・教室~養蚕棚の横にて
[18]柞蚕(さくさん)繭・天蚕(てんさん)繭・家蚕(かさん)繭
[19]同上 運動場にて1
[20]同上 同上2
16時02分 豊橋市民俗資料収蔵室発→徒歩16分 800m/累計4.7km→
16時19分 鞍掛神社着
【鞍掛神社】
[21]バス停「駒止(こまどめ)」
源頼朝が馬を此処の桜木に繋いだことから「駒止の桜」として知られる
[22]村社「鞍掛神社」入口にて
[23]同上 本殿前にて1
[24]同上 同上2
[25]同上 同上3
16時30分 村社「鞍掛神社」発→徒歩20分 1.1km/5.8km→
16時50分 赤岩山「赤岩寺」着【真言宗 赤岩山 赤岩寺】
[26]赤岩寺 山門前にて
[27]同上 山門(中門)と白梅
[28]同上 同上にて
[29]同上 境内にて
[30]同上 境内の白梅1
[31]同上 同上2
[32]同上 同上3
[33]Linkx
aruku「15,252歩」
Linkx aruku では、歩行距離11.7kmとなっているが、Walk Naviで調べたら9.5kmだった。
[34]同上 Walking 軌跡
Map
17時05分 赤岩寺発→徒歩47分 3.7km/累計9.5km
17時52分 帰宅
/ 歩行距離計 9.5km【小生 comment 】
今日は、少し肌寒い日だったが、天気は良く、絶好の walking 日和だった。
【前書】多米と言うと‥
(1)字の如く「米が多く採れる『美田』」で知られていた(2)此の豊橋市民俗資料収蔵室で蚕糸(注)について勉強出来た
懐かしや 多米の歴史を 学ぶ春! 悟空.
(注)明治時代以降、豊橋市は『軍都と糸の街』と称された様に、桐生市や前橋市と並び「糸の街」と言われ、蚕糸業が盛んだった。昭和に入り、製糸業は衰退したが、1951(昭和26)年 豊橋乾繭取引所が狭間公園至近に開設され、1996(平成08)年10月「豊橋乾繭取引所」は、「名古屋繊維取引所」等と合併、「中部商品取引所」となり、更に2007(平成19)年01月「中部商品取引所」は「大阪商品取引所」と合併、「中部大阪商品取引所」と変化していく過程でなくなった。
【後記】今日も、まだ肌寒い早春に因んだ唐詩をご紹介する
漢詩を嚙った人ならご存知の王之渙『涼州詞』だ[35] 王之渙『涼州詞』を image した画像5枚
左上から時計回りに‥(1)「黄河遠上白雲間」/(2)「一片孤城万仭山」/(3)「羌笛何須怨楊柳」〜【羌笛】を吹く羌族の末裔/(4) 「羌笛何須怨楊柳」〜【楊柳】/(5)「春光不度玉門関」〜【玉門関】
涼州(注1)詞(りょうしゅうし) /
王之渙(688-742)
黄河遠上白雲間
一片孤城万仭山
羌笛何須怨楊柳
春光不度玉門関
黄河 遠く上(のぼ)る 白雲の間(かん)
一片の孤城 万仭(ばんじん)の山(注2)
羌笛(きょうてき)(注3) 何ぞ須(もち)いん(注4) 楊柳(ようりゅう)を怨むを
春光度(わた)らず 玉門関
【訳】
黄河を遠く遡って遥か上流の白雲が棚引く辺りに行くと
聳り立つ山に一つポツンと砦(とりで)が建っている
折から聞こえて来る羌族の笛の音は、別れを惜しむ「折楊柳」の曲を奏で、我々の郷愁を誘い、戦意を喪失させようとしているが、意味ないヨ!
何故なら、此処西の最果ての玉門関迄は春の光は遣って来ないのだから
【脚注】
(注1)涼州 : 現在の甘粛省武威市(注2)萬仞山 : 高い山
(注3)羌笛 : 敵である羌族(チベット系民族)が吹く笛
(注4)何須 : どうして~する必要があろうか / いや、無い
(注5)楊柳 : 別れを惜しむ「折楊柳」の曲 / 昔、中国では旅人を見送る際、柳の枝を折り餞(はなむけ)にする習慣があった
(注6)怨 :「折楊柳」の悲しげな曲調を聴いて怨めしい気分になること
(注7)玉門関 : 中華人民共和国甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、漢と唐2度に渡り建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ / 現存する玉門関遺跡は唐代のもの
【小生 comment 】
此の唐詩は、漢詩を嚙った人ならご存知の人口に膾炙した傑作である。
此の詩は、七言絶句。
劇的な詩調と歯切れの良い語感が、詠む者にとっても聴く者にとっても、とても気持 ち良い気分にさせてくれる傑作で、小生大好きな作品だ。
記憶力の悪い小生だが、此の詩は諳んじることが出来る。
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