今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第08回/第61句~70句〕」をご紹介する。
61 名月やとしに十二は有(あり)ながら 文鱗(注1)
【意】満月は、一年に12回はあるけれど、矢張り中秋の名月こそ最高だ
【解説】季語:名月=秋 /
(注1)鳥居文鱗(とりい ぶんりん(生没年不詳)):和泉国 堺の人 / 別号:虚無斎 /『続の原句会』・『あら野』・『初懐紙評註』等に入句 / 1682(天和02)年暮に芭蕉庵が焼失し、甲斐の谷村に寄寓した後、翌1683(天和03)年夏に再興された芭蕉庵に戻った / 文鱗は、其の頃、出山の釈迦像を芭蕉に贈った / 芭蕉は此れを大いに喜び、大坂御堂で臨終の際、弟子の「支考に与える」と遺書に認めた程大切にしていたepisodeが遺っている
62 名月やかいつきたてゝつなぐ舟 昌碧(注1)
【意】湖水に舟を出して名月を楽しむ / 櫂を水底に突き立て其れに舟を繋ぎ、此処らで確り月を眺めよう
【解説】季語:名月=秋 /
(注1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 1687年12月(貞亨04年11月)『笈の小文』の旅の折、蕉門に入門 /『あら野』等に入句
63
めいげつや はだしでありく草の中 傘下(注1)
【意】名月の夜、草原を素足で歩く / 素足の裏から伝わって来る冷たい草の感触が月光と何処か通じるものを感じる
【解説】季語:めいげつ=秋 /
(注1)加藤傘下(かとう さんか(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』・『曠野後集』等に入句
64 名月や鼓(つづみ)の聲(こゑ)と犬のこゑ 二水(注1)
【意】何処かで名月の宴を開いているのだろう / 皷の音が聞こえる / 其れに犬の声も聞こえて来る
【解説】季語:名月=秋 /
(注1)二水(にすい(生没年不詳):詳細不詳
65 見るものと覚えて人の月見(つきみ)哉 野水(注1)
【意】「『中秋の名月は見るものだ』と決められているのだ」とばかりに、無風流な人迄が見に出て来るヨ
【解説】季語:月見=秋 /
(注1)岡田野水(おかだ やすい(?-1743)(~寛保03年03月22日)):尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 /通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 別号:埜水 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した際(1684年)の『冬の日』同人 / 其の頃、野水は27歳前後 /『阿羅野』に多く採られ、湖南の蕉門や去来等上方蕉門との交流も盛んであった
名月の心いそぎ(注1)に
(注1)心いそぎ:気ぜわしさ
66 むつかしと 月を見る日は 火も焼(た)かじ 荷兮(注1)
【意】名月のことだけを考えていたいので、其の他一切が気忙しく感じられる / こういう日は何もしないに限る / 火なども燃やさずに!
【解説】季語:月=秋 /
(注1)山本荷兮(やまもと かけい(?-1716年10月10日)(?~享保元年08月25日(享年69歳))):尾張国名古屋の医者 /本名:山本周知 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 /1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋の蕉門の重鎮 / のち内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮の考え方は、芭蕉が唱導する俳諧革新、特に「軽み」に理解を示さず、1693(元禄06)年11月『曠野後集』出版に際し、其の序文に「幽斎・宗因など貞門俳諧を賞賛、「ただ いにしへ こそ こひ したはれる」とまで書き、蕉門の去来等の理論派から非難された / 離反する以前、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂
67 いつの月もあとを忘れて哀(あはれ)也 同
【意】毎年、名月を賞するが、今年の月が最高だ / 以前見たことは一切忘れ、ただ眼前の月に酔いしれる
【解説】季語:月=秋 /
68 名月や海もおもはず山も見ず 去来(注1)
【意】名月は素晴らしい / 古来より海や山等様々な背景を取り合わせて名月の美しさを表現して来たが、今はただただ此の美しさを賞味するだけだ
【解説】季語:名月=秋 /
(注1)向井去来(むかい きょらい(1651-1704)(慶安04年-宝永元年):肥前国長崎の儒医向井玄升の次男 / 本名:向井平次郎 / 父は当時著名な医学者で、宮中儒医も務めた / 当初去来も医者を志す / 兄元端も宮中の儒医 / 1684(貞享元)年、去来は其角の紹介に撚り芭蕉と出会った /
嵯峨野に別邸「落柿舎」を所有 / 芭蕉は此処で『嵯峨日記』を執筆 / 『猿蓑』同人 /『去来抄』を執筆
69 めいげつや下戸(げこ)と下戸(げこ)とのむつまじき 胡及(注1)
【意】名月は素晴らしい / 酒を飲めぬ者たちでも月の美しさに魅了されて互いに話が弾むものだ
【解説】季語:めいげつ=秋 /
(注1)胡及(こきゅう(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 /『あら野』等に入句
70 めいげつは ありきもたらぬ林かな 釣雪(注1)
【意】名月を賞して、林間にこぼれる名月を眺めて歩いているが、飽きることがない / だからいつ迄も歩き足りない気持ちにかられているのだ
【解説】季語:めいげつ=秋 /「林間月」「林中月」は和歌題
(注1)大橋釣雪(おおはし ちょうせつ(生年不詳)):尾張国名古屋の人 / 通称:大橋左衛門 /『あら野』等に入句
【小生 comment 】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第09 回/第71句~80句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題は、「12月14日(土)~15日(日):賢人会旅行『西国三十三所観音巡礼 第2弾:《二日目》「根来寺」→「第4番札所:槇尾山 施福寺」を巡って』」についてお伝えする。
12月15日(日)‥【二日目】‥
09時05分 根来温泉国分屋発→一般道600m 2分/累計370.2km→
【新義真言宗総本山 根来寺】
根来寺駐車場着〔拝観料:@500円/累計18,920円/拝観時間09時10分~/駐車場:無料【会計残高:23,200円】〕
岩出市民族資料館から道を挟んだ西隣に大駐車場あり
根来寺 URL:https://www.negoroji.org/
住所:岩出市根来2286 / 根来寺 電話:0736-62-1144
根来寺に於ける「御朱印代」は各自自己負担
[01]根来寺 参道入口
東山天皇(1675-1710)より覚鑁(かくばん)上人(注)に「興教大師」の大師号が下賜された。
(注)覚鑁(かくばん(1095.07.21(嘉保2年6月17日)-1144.01.18(康治2年12月12日))は、平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。
【小生comment】
根来寺の大塔は、高野山の大塔に匹敵する正に大きな塔であり圧巻だった。
根来寺は、秀吉に拠って灰燼に帰したが、紀州徳川家の庇護で往時の大伽藍を復活した。
小生、根来寺は二度目の訪問だったが、初回時、同道した青木さんが「根来寺の大塔は立派だ!」と言われた言葉を今もよく覚えている。今回再び大塔を見て「其の通りだ!」と改めて思った。
10時25分 根来寺駐車場発→一般道33.2km 50分/累計403.4km→
11時11分 施福寺駐車場着〔駐車料金:無料=70~80台収容〕
11時15分 施福寺へ上る山門前着
施福寺駐車場 URL:https://www.its-mo.com/detail/PPK_ZPOI-00000000000000556089/
同駐車場 口コミ:https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1023525-d1407175-r184957503-Mt_Makio_Sefukuji_Temple-Izumi_Osaka_Prefecture_Kinki.html
【★西国三番札所:槇尾山 施福寺】
[06]槇尾山観光センターから施福寺を目指すことになる
11時48分 ★西国三番札所:施福寺 本堂着〔拝観料:無料/御朱印代:@300円+100円(菊ご紋章代)/累計20,320円【会計残高:17,600円】〕住所:和泉市槇尾山町136 / 電話:0725-92-2332
南北朝時代成立の寺史『槇尾山大縁起』(1360年書写)に、「施福寺は欽明天皇の時代、播磨国加古郡の行満上人が創建した」とある。
江戸時代、徳川家の援助もあって、寛永年間頃に真言宗から天台宗に改宗して現在に至る。
[12]本堂脇の「西国第四番 槇尾寺」石碑前にて
【意】名月の夜、草原を素足で歩く / 素足の裏から伝わって来る冷たい草の感触が月光と何処か通じるものを感じる
【解説】季語:めいげつ=秋 /
(注1)加藤傘下(かとう さんか(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』・『曠野後集』等に入句
64 名月や鼓(つづみ)の聲(こゑ)と犬のこゑ 二水(注1)
【意】何処かで名月の宴を開いているのだろう / 皷の音が聞こえる / 其れに犬の声も聞こえて来る
【解説】季語:名月=秋 /
(注1)二水(にすい(生没年不詳):詳細不詳
65 見るものと覚えて人の月見(つきみ)哉 野水(注1)
【意】「『中秋の名月は見るものだ』と決められているのだ」とばかりに、無風流な人迄が見に出て来るヨ
【解説】季語:月見=秋 /
(注1)岡田野水(おかだ やすい(?-1743)(~寛保03年03月22日)):尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 /通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 別号:埜水 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した際(1684年)の『冬の日』同人 / 其の頃、野水は27歳前後 /『阿羅野』に多く採られ、湖南の蕉門や去来等上方蕉門との交流も盛んであった
名月の心いそぎ(注1)に
(注1)心いそぎ:気ぜわしさ
66 むつかしと 月を見る日は 火も焼(た)かじ 荷兮(注1)
【意】名月のことだけを考えていたいので、其の他一切が気忙しく感じられる / こういう日は何もしないに限る / 火なども燃やさずに!
【解説】季語:月=秋 /
(注1)山本荷兮(やまもと かけい(?-1716年10月10日)(?~享保元年08月25日(享年69歳))):尾張国名古屋の医者 /本名:山本周知 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 /1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋の蕉門の重鎮 / のち内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮の考え方は、芭蕉が唱導する俳諧革新、特に「軽み」に理解を示さず、1693(元禄06)年11月『曠野後集』出版に際し、其の序文に「幽斎・宗因など貞門俳諧を賞賛、「ただ いにしへ こそ こひ したはれる」とまで書き、蕉門の去来等の理論派から非難された / 離反する以前、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂
67 いつの月もあとを忘れて哀(あはれ)也 同
【意】毎年、名月を賞するが、今年の月が最高だ / 以前見たことは一切忘れ、ただ眼前の月に酔いしれる
【解説】季語:月=秋 /
68 名月や海もおもはず山も見ず 去来(注1)
【意】名月は素晴らしい / 古来より海や山等様々な背景を取り合わせて名月の美しさを表現して来たが、今はただただ此の美しさを賞味するだけだ
【解説】季語:名月=秋 /
(注1)向井去来(むかい きょらい(1651-1704)(慶安04年-宝永元年):肥前国長崎の儒医向井玄升の次男 / 本名:向井平次郎 / 父は当時著名な医学者で、宮中儒医も務めた / 当初去来も医者を志す / 兄元端も宮中の儒医 / 1684(貞享元)年、去来は其角の紹介に撚り芭蕉と出会った /
嵯峨野に別邸「落柿舎」を所有 / 芭蕉は此処で『嵯峨日記』を執筆 / 『猿蓑』同人 /『去来抄』を執筆
69 めいげつや下戸(げこ)と下戸(げこ)とのむつまじき 胡及(注1)
【意】名月は素晴らしい / 酒を飲めぬ者たちでも月の美しさに魅了されて互いに話が弾むものだ
【解説】季語:めいげつ=秋 /
(注1)胡及(こきゅう(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 /『あら野』等に入句
70 めいげつは ありきもたらぬ林かな 釣雪(注1)
【意】名月を賞して、林間にこぼれる名月を眺めて歩いているが、飽きることがない / だからいつ迄も歩き足りない気持ちにかられているのだ
【解説】季語:めいげつ=秋 /「林間月」「林中月」は和歌題
(注1)大橋釣雪(おおはし ちょうせつ(生年不詳)):尾張国名古屋の人 / 通称:大橋左衛門 /『あら野』等に入句
【小生 comment 】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第09 回/第71句~80句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題は、「12月14日(土)~15日(日):賢人会旅行『西国三十三所観音巡礼 第2弾:《二日目》「根来寺」→「第4番札所:槇尾山 施福寺」を巡って』」についてお伝えする。
12月15日(日)‥【二日目】‥
09時05分 根来温泉国分屋発→一般道600m 2分/累計370.2km→
【新義真言宗総本山 根来寺】
根来寺駐車場着〔拝観料:@500円/累計18,920円/拝観時間09時10分~/駐車場:無料【会計残高:23,200円】〕
岩出市民族資料館から道を挟んだ西隣に大駐車場あり
根来寺 URL:https://www.negoroji.org/
住所:岩出市根来2286 / 根来寺 電話:0736-62-1144
根来寺に於ける「御朱印代」は各自自己負担
[01]根来寺 参道入口
[02]同 大塔前にて
[03]同 大傳法堂前にて
[04]同 光明殿の廊下に飾ってあった日本画家後藤純男の根来寺大塔を描いた作品
[05]同 光明殿の名勝庭園の一部
根来寺は、1185(天正13)年 秀吉軍に撚り、大師堂、大塔など数棟を残して寺は焼失。
江戸時代、紀州徳川家の庇護の許、主要な伽藍が復興された。東山天皇(1675-1710)より覚鑁(かくばん)上人(注)に「興教大師」の大師号が下賜された。
(注)覚鑁(かくばん(1095.07.21(嘉保2年6月17日)-1144.01.18(康治2年12月12日))は、平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。
【小生comment】
根来寺の大塔は、高野山の大塔に匹敵する正に大きな塔であり圧巻だった。
根来寺は、秀吉に拠って灰燼に帰したが、紀州徳川家の庇護で往時の大伽藍を復活した。
小生、根来寺は二度目の訪問だったが、初回時、同道した青木さんが「根来寺の大塔は立派だ!」と言われた言葉を今もよく覚えている。今回再び大塔を見て「其の通りだ!」と改めて思った。
10時25分 根来寺駐車場発→一般道33.2km 50分/累計403.4km→
11時11分 施福寺駐車場着〔駐車料金:無料=70~80台収容〕
11時15分 施福寺へ上る山門前着
施福寺駐車場 URL:https://www.its-mo.com/detail/PPK_ZPOI-00000000000000556089/
同駐車場 口コミ:https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1023525-d1407175-r184957503-Mt_Makio_Sefukuji_Temple-Izumi_Osaka_Prefecture_Kinki.html
12時40分 同駐車場→徒歩20~30分→
【★西国三番札所:槇尾山 施福寺】
[06]槇尾山観光センターから施福寺を目指すことになる
[07]先ず山門を目指してだらだら坂を上っていく
[08]一汗かいて山門に到着
[09]山門脇で一休憩〔小生以外の3人は登山用に杖を調達〕
[10]こんな坂が1.2km以上続く
[11]本堂手前にある『愛染堂』=「弘法大師御剃髪所跡」前にて
11時48分 ★西国三番札所:施福寺 本堂着〔拝観料:無料/御朱印代:@300円+100円(菊ご紋章代)/累計20,320円【会計残高:17,600円】〕住所:和泉市槇尾山町136 / 電話:0725-92-2332
西国三十三所の中でも、最もきつい参道がある寺として知られているだけあって、急峻な参道を30分余り歩き続けて漸く本堂に到着した。
本尊は弥勒菩薩、両脇に千手観音と文殊菩薩を安置。うち【千手観音】が西国三十三所の札所本尊である。
【創建伝承】
施福寺は、槇尾山寺と呼ばれた山岳寺院
/ 葛城修験系の寺院として創建されたと伝わる。南北朝時代成立の寺史『槇尾山大縁起』(1360年書写)に、「施福寺は欽明天皇の時代、播磨国加古郡の行満上人が創建した」とある。
江戸時代、徳川家の援助もあって、寛永年間頃に真言宗から天台宗に改宗して現在に至る。
[12]本堂脇の「西国第四番 槇尾寺」石碑前にて
[13]左から「千手観音」「弥勒菩薩」「文殊菩薩」
[14]西国三十三所の札所本尊「千手観世音菩薩像」
[15]方違大観音像1
日本唯一と言われる「方違大観音」は、悪い方角を良い方角に変えてくれるという観音である。
転宅・転勤・結婚・家の新築・旅行等を吉方に導いてくれるという。
[16]同上2
[17]施福寺 本堂内朱印帳受付にて谷山君
[18]西国三十三観音霊場 第4番札所
施福寺 朱印帳
[19]同 本堂の軒下に飾ってある御詠歌
深山路や 檜原松原 わけゆけば 巻の尾寺に 駒ぞいさめる
[20]釈迦涅槃像に傍らにて
【小生comment】
評判通りのきつい施福寺へ至る参道だった。
本草の脇侍の「十一面観音像」が西国三十三所観世音菩薩像だとは訪問する迄知らなかった。
初めてみた方違大観音像は、小生の心願成就を叶えてくれそうな大きな存在感があった。
【本家さぬきや和泉福瀬店】
[25]本家さぬきや和泉福瀬店1
12時55分 施福寺駐車場発→一般道 6.8km 15分 410.2km→
13時10分 本家さぬきや和泉福瀬店着〔 lunch代 各自支払‥/駐車場:有(=無料)=38台/営業時間:11時00分~【会計残高:17,600円】〕
本家さぬきや和泉福瀬店 URL:https://tabelog.com/osaka/A2708/A270802/27045769/
住所:大阪府和泉市福瀬町386-3 / 電話:0725-92-0108
14時15分 本家さぬきや和泉福瀬店発→260.2km 3時間32分+1時間〔トイレ休憩&夕食(←SAにて)〕=4時間35分/累計670.4km/高速道路料金6,070円≒6,040円(@1,510円→3人分 4,530円を中嶋君へ‥②)
一般道→岸和田和泉IC→阪和自→松原JCT→近畿自→門真JCT→第二京阪→久御山JCT→京滋バイパス→瀬田東→名神→草津→新名神→四日市JCT→伊勢湾岸→豊田JCT→東名→音羽蒲郡IC→
19時00分 奈良天理ラーメン〔夕食〕
19時45分 同所発→一般道→
20時05分 谷山宅着→一般道9.6km 20分/累計680km→
20時25分 今泉宅着【了】→一般道1.7km 4分/累計681.7km→
20時30分 青木宅着→一般道11.3km 30分/693km→
20時55分 中嶋宅着【走行距離計 693km】〔了〕
※ ガソリン代分担計算表 ※
・燃費:10km/L ・(ハイオク)ガソリン単価:150円/L ・走行距離計:693km≒690km
∴690km÷10km/L=【 69L 】←ガソリン消費量
150円/L×69L=10,350円(÷4人≒@2,590円(/※※累計22,810円※※)×3人分 7,770円を中嶋君へ‥③)
①高速道路料金(往路)+②同(復路)+③(ハイオク)ガソリン代
=5,160円+4,530円+7,770円
=17,460円‥(①+②+③)を帰りのSAにて手交する
会費予算額:22,810円‥→23,000円を初日朝、最初のSA夕食&トイレ休憩時に会計担当谷山君に預ける
其の清算時点で、会計の手許には【17,600円】残っている予定
其処から、中嶋君立替分の高速道路料金&ガソリン代計【17,460円】を彼に手交すると、残額は140円
140円÷4人=35円‥此れを4人への返戻して清算完了だが、現金些少なので、全額運転手の中嶋君へ
■続いての話題は、「12月21日:豊橋市美術館『豊橋市民展』を見て→名大生協 フレンドリー南部『名大弓道部女子部/七帝戦【優勝】&インカレ【準優勝】祝賀会』に参加して」についてである。
其の日の前日は、お酒を飲んでいい気分で帰宅したので今朝はゆっくり起きた。
そして今日は、久し振りに拙宅で庭木の剪定をしてから豊橋市美術博物館に【豊橋市民展「絵画・彫刻・デザイン」】を見に行って来た。
07時30分 起床→腹筋2,000回
08時30分 2.5kg木刀素振り80分
09時50分 入浴→brunch→
11時00分 拙宅の庭木の剪定2時間30分
13時30分 入浴
14時00分 拙宅発→車2.6km→
14時15分 豊橋市美術博物館着
【第69回 豊橋市民展】
[29]豊橋市美術博物館『第69回 豊橋市民展』看板横にて
美術博物館に入館したら、表彰式をやっていた
[30]同館『第69回 豊橋市民展』表彰式の模様
大賞の一人の 田中絵里加さんに会場で会った。
小生が田中さんに「先生、大賞受賞おめでとうございます!」と言って声をかけたら、吃驚した顔をされた後にっこりされ「ありがとうございます」と返礼された。
彼女の作品『Circus』をご覧頂けないのが残念だが、Pastel調で幻想的である様で、細部迄精緻に描かれていたのが印象的でとても素晴らしい絵だった。
田中絵里加さんは、小生が現在勤務している福祉施設の絵画教室の先生で、施設で利用者に絵を教えて頂いているので毎週お会いしている方だ。
※ ※ ※
其の日は、続いて18時00分から母校の名古屋大学弓道部の女子部が、今年「全国七大学総合体育大会」にて【優勝】、「インカレ」にて【準優勝】を果たした【祝賀会】を、名古屋大学生協 フレンドリィ南部で開催されたので名大弓道部OBとして参加させて頂いた。
【名古屋大学弓道部女子部祝賀会】
[37]名古屋大学弓道場入口にて
【小生comment】
暫し、45〜41年前の18〜22歳だった弓道部時代に time slip した〔了〕
【後記】日付は一寸逆戻りするが、12月20日(金)に前職役員で親しい仲間たちと、前に一緒に過ごした開発ビルにて一献傾けた。
旧行時代の後輩で小生前職後任の伊藤君(中)と、大学法学部の2年後輩で県庁出身の鈴木氏(右)とのとっても楽しい2時間だった。
[56]伊東君(中)と鈴木氏(右)
[57]同上2
此処からは、余談!
3人の出身高校は、皆愛知県立高校で、伊藤君が津島、小生が時習館、鈴木君が瑞陵、旧制ナンバー中学で言うと、伊藤君が愛知三中、小生が愛知四中、鈴木君が愛知五中。
愛知県には、ナンバー中学が旧制高校と同様に、No.1〜No.8迄あって、上記3つの他は、愛知一中(旭丘)、愛知二中(岡崎)、愛知六中(一宮)、愛知七中(半田)、愛知八中(刈谷)があった。
更に余談をもう一つ!
伊藤君のお嬢さんは、最高学府 東京大学医学部を卒業して、現在、N社病院の研修医3年目だそうだ。
最後に、10年来お付き合いしたTry Againも今月28日(土)に閉店だ。
*
ブログへは【0626】号迄のback numberはURL:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog←此処をclickして下さい
[20]釈迦涅槃像に傍らにて
[21]本堂内にあった「西国三十三所観世音菩薩像」
[22]施福寺本堂前にて
[23]山門脇の「施福寺」石碑
[24]参道から施福寺山門を振り返って
【小生comment】
評判通りのきつい施福寺へ至る参道だった。
本草の脇侍の「十一面観音像」が西国三十三所観世音菩薩像だとは訪問する迄知らなかった。
初めてみた方違大観音像は、小生の心願成就を叶えてくれそうな大きな存在感があった。
【本家さぬきや和泉福瀬店】
[25]本家さぬきや和泉福瀬店1
[26]同上2
[27]同店内にて
[28]小生の昼食
12時55分 施福寺駐車場発→一般道 6.8km 15分 410.2km→
13時10分 本家さぬきや和泉福瀬店着〔 lunch代 各自支払‥/駐車場:有(=無料)=38台/営業時間:11時00分~【会計残高:17,600円】〕
本家さぬきや和泉福瀬店 URL:https://tabelog.com/osaka/A2708/A270802/27045769/
住所:大阪府和泉市福瀬町386-3 / 電話:0725-92-0108
14時15分 本家さぬきや和泉福瀬店発→260.2km 3時間32分+1時間〔トイレ休憩&夕食(←SAにて)〕=4時間35分/累計670.4km/高速道路料金6,070円≒6,040円(@1,510円→3人分 4,530円を中嶋君へ‥②)
一般道→岸和田和泉IC→阪和自→松原JCT→近畿自→門真JCT→第二京阪→久御山JCT→京滋バイパス→瀬田東→名神→草津→新名神→四日市JCT→伊勢湾岸→豊田JCT→東名→音羽蒲郡IC→
19時00分 奈良天理ラーメン〔夕食〕
19時45分 同所発→一般道→
20時05分 谷山宅着→一般道9.6km 20分/累計680km→
20時25分 今泉宅着【了】→一般道1.7km 4分/累計681.7km→
20時30分 青木宅着→一般道11.3km 30分/693km→
20時55分 中嶋宅着【走行距離計 693km】〔了〕
※ ガソリン代分担計算表 ※
・燃費:10km/L ・(ハイオク)ガソリン単価:150円/L ・走行距離計:693km≒690km
∴690km÷10km/L=【 69L 】←ガソリン消費量
150円/L×69L=10,350円(÷4人≒@2,590円(/※※累計22,810円※※)×3人分 7,770円を中嶋君へ‥③)
①高速道路料金(往路)+②同(復路)+③(ハイオク)ガソリン代
=5,160円+4,530円+7,770円
=17,460円‥(①+②+③)を帰りのSAにて手交する
会費予算額:22,810円‥→23,000円を初日朝、最初のSA夕食&トイレ休憩時に会計担当谷山君に預ける
其の清算時点で、会計の手許には【17,600円】残っている予定
其処から、中嶋君立替分の高速道路料金&ガソリン代計【17,460円】を彼に手交すると、残額は140円
140円÷4人=35円‥此れを4人への返戻して清算完了だが、現金些少なので、全額運転手の中嶋君へ
■続いての話題は、「12月21日:豊橋市美術館『豊橋市民展』を見て→名大生協 フレンドリー南部『名大弓道部女子部/七帝戦【優勝】&インカレ【準優勝】祝賀会』に参加して」についてである。
其の日の前日は、お酒を飲んでいい気分で帰宅したので今朝はゆっくり起きた。
そして今日は、久し振りに拙宅で庭木の剪定をしてから豊橋市美術博物館に【豊橋市民展「絵画・彫刻・デザイン」】を見に行って来た。
07時30分 起床→腹筋2,000回
08時30分 2.5kg木刀素振り80分
09時50分 入浴→brunch→
11時00分 拙宅の庭木の剪定2時間30分
13時30分 入浴
14時00分 拙宅発→車2.6km→
14時15分 豊橋市美術博物館着
【第69回 豊橋市民展】
[29]豊橋市美術博物館『第69回 豊橋市民展』看板横にて
美術博物館に入館したら、表彰式をやっていた
[30]同館『第69回 豊橋市民展』表彰式の模様
[31]同館『第69回
豊橋市民展』会場入口の本展leaflet
[32]同館『第69回
豊橋市民展』会場入口にて
[33]同館『第69回
豊橋市民展』banner前にて
[34]本展展示作品一覧 表紙
[35]同上 洋画の部一覧
[36]同上 同上 大賞3名ほか
大賞の一人の 田中絵里加さんに会場で会った。
小生が田中さんに「先生、大賞受賞おめでとうございます!」と言って声をかけたら、吃驚した顔をされた後にっこりされ「ありがとうございます」と返礼された。
彼女の作品『Circus』をご覧頂けないのが残念だが、Pastel調で幻想的である様で、細部迄精緻に描かれていたのが印象的でとても素晴らしい絵だった。
田中絵里加さんは、小生が現在勤務している福祉施設の絵画教室の先生で、施設で利用者に絵を教えて頂いているので毎週お会いしている方だ。
※ ※ ※
其の日は、続いて18時00分から母校の名古屋大学弓道部の女子部が、今年「全国七大学総合体育大会」にて【優勝】、「インカレ」にて【準優勝】を果たした【祝賀会】を、名古屋大学生協 フレンドリィ南部で開催されたので名大弓道部OBとして参加させて頂いた。
【名古屋大学弓道部女子部祝賀会】
[37]名古屋大学弓道場入口にて
[38]河西先輩〔第3代N大学弓道部師範 医学部卒〕のご挨拶
[39]弓道部長の薩摩君〔名古屋大学教授〕に拠る乾杯
女子部の試合は、三人立ち
[40]其の3人のうちの
二人と
[41]同上 一人と
[42]現幹部の 石川主将(中) と
[43]現役の学生諸君と1
[44]同上2
[45]同上3
[46]同上4
[47]大活躍した前女子部代表
[48]河出先輩と
[49]河西先輩(中)・森部OB会幹事(右)と
[50]現役の学生諸君と5
[51]同上6
[52]名古屋大学弓道部全体写真1
[53]同上2
[54]同上3
[55]名古屋大学駅前近くにある案内看板
2001年にノーベル化学賞を受賞した野依良治(1938.09.03- )学術交流館の案内が見える。
【小生comment】
暫し、45〜41年前の18〜22歳だった弓道部時代に time slip した〔了〕
【後記】日付は一寸逆戻りするが、12月20日(金)に前職役員で親しい仲間たちと、前に一緒に過ごした開発ビルにて一献傾けた。
旧行時代の後輩で小生前職後任の伊藤君(中)と、大学法学部の2年後輩で県庁出身の鈴木氏(右)とのとっても楽しい2時間だった。
[56]伊東君(中)と鈴木氏(右)
[57]同上2
此処からは、余談!
3人の出身高校は、皆愛知県立高校で、伊藤君が津島、小生が時習館、鈴木君が瑞陵、旧制ナンバー中学で言うと、伊藤君が愛知三中、小生が愛知四中、鈴木君が愛知五中。
愛知県には、ナンバー中学が旧制高校と同様に、No.1〜No.8迄あって、上記3つの他は、愛知一中(旭丘)、愛知二中(岡崎)、愛知六中(一宮)、愛知七中(半田)、愛知八中(刈谷)があった。
更に余談をもう一つ!
伊藤君のお嬢さんは、最高学府 東京大学医学部を卒業して、現在、N社病院の研修医3年目だそうだ。
最後に、10年来お付き合いしたTry Againも今月28日(土)に閉店だ。
*
ブログへは【0626】号迄のback numberはURL:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog←此処をclickして下さい
*
0 件のコメント:
コメントを投稿