今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第06回/第41句~50句〕」をご紹介する。
41
三聲(みこゑ)ほど跡(あと)のお(=を)かしや郭公(ほととぎす) 同
【意】ホトトギスの声は「一声」と言うが今回「三声」も聞こえた
/ 予想外の展開に笑いがこみ上げて来た
【解説】季語:郭公(ほととぎす)= 初夏 /
淀(よど)(注1)にて
(注1)淀(よど):桂川・木津川・宇治川の三川の合流地点 / 城下町で、舟運の中継地でもあった /「歌枕」/「いづ方に鳴きて行くらむ時鳥 よどのわたりのまだ夜ふかきに」(「拾遺集」)
42
ほとゝぎす十日(とをか)(注1)もはやき夜舟(よぶね)(注2)哉(かな) 風泉(注3)
【意】あの「歌枕」淀で、乗合の夜船に乗ったらホトトギスが渡る声を聴いた
/
古歌には「夜ふかきに」とあるが、私が実際に聞いたのは、十日の月の夜、始発時間の未だ宵の内だった【解説】季語:ほとゝぎす=初夏 /
(注1)十日:月齢十日
(注2)夜舟:伏見から淀を経て大阪に至る夜行の乗合舟 / 始発時間は夜8時頃
(注3)風泉(ふうせん):生没年不詳
43
嬉(うれ)しさや寝入(ねい)らぬ先(さき)のほとゝぎす 岐阜杏雨(注1)
【意】嬉しいことだ
/ 今夜はぐっすり寝込まぬうちにホトトギスの渡る声を聴けたのだから‥
【解説】季語:ほとゝぎす=初夏
/(注1)杏雨(きょうう):美濃国岐阜の人 / 生没年不詳 /「あら野」に入句
44
あぶなしや今(いま)起(おき)て聞(きく)郭公(ほとゝぎす) 傘下(注1)
【意】あぶない処だった
/ 今起きてホトトギスの声を聞けた / もう少し朝寝坊していたら聴き損ねる処だったヨ
【解説】季語:郭公(ほとゝぎす)=初夏 / 此の大げさな表現の処が「俳諧」の妙(注1)加藤傘下(かとう さんか)(生没年不詳):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
45
くらがりや力(ちから)がましきほとゝぎす 同
【意】闇夜にホトトギスが渡る声を聞いた
/ 何も見えないので、ホトトギスの力動感迄が伝わって来る様に、却って鮮やかに聞こえた
【解説】季語:ほとゝぎす=初夏
/
46
馬(うま)と馬よばりあひけり郭公(ほとゝぎす) 鈍可(注1)
【意】ホトトギスが鳴き乍ら過ぎていった
/ ‥と、馬が一頭、「鳴き声を聞いたか?」と尋ねる様に嘶(いなな)いた
/ すると更にもう一頭が「うん、聞いたぞ」と呼び合う様に嘶いた
【解説】季語:郭公(ほとゝぎす)=初夏 /(注1)鈍可(どんか)(生没年不詳):尾張国尾張の人 /『あら野』などに入句
たゞありあけの月ぞのこれる(注1)と吟(ぎん)じられしに
(注1)たゞありあけの月ぞのこれる:小倉百人一首の「ほととぎす鳴きつるかたをながむればたゞありあけの月ぞのこれる」後徳大寺左大臣の歌のこと
47
歌がるた(注1)にくき人かなほとゝぎす 大津智月(注2)
【意】小倉百人一首に出て来る後徳大寺左大臣の「ほととぎす鳴きつるかたをながむればただありあけの月ぞのこれる」の歌以上のものは思い浮かばない
/ 全く心憎い作者だ、後徳大寺左大臣は!
【解説】季語:ほとゝぎす=初夏
/(注1)歌があるた:百人一首のカルタは近世初期より流行した
(注2)智月(ちげつ)(?~1718(享保03).03):大津膳所蕉門 / 膳所藩士 伝馬役 川井佐左衛門(すけざえもん)の妻 /智月の実弟が乙州 / 彼女に実子なく乙州が養嗣子となった
智月は、膳所滞在中の芭蕉の身辺の世話をし面倒を見た / 芭蕉が湖南での生活を好んだ理由の一つに彼女の存在があると思料する / 智月を訪ねて詠んだ句「少将の尼の話や志賀の雪」(芭蕉)がある
48
うつかりとうつぶきゐたり時鳥(ほとゝぎす) 李桃(注1)
【意】ホトトギスの声がしたのでそちらを見上げたが、時既に遅く見損なってしまった
【解説】季語:時鳥(ほとゝぎす)=初夏 / 前句の引用歌を踏まえた句である為、此処に配列したか‥(注1)李桃(りとう):美濃国岐阜の人 /『あら野』等に入句
49
うつかりと春の心ぞほとゝぎす 市山(注1)
【意】夏の鳥、ホトトギスの声がしたかと思ったが、ぼんやりと春の気分でいたものだから確認出来なかった
【解説】季語:ほとゝぎす=初夏
/(注1)市山(しざん):尾張国の人
月 三十句
50
かるがると笹(ささ)のうへゆく月夜(つきよ)哉(かな) 十二歳(注1)梅舌(注2)
【意】秋の夜空にある月が熊笹の葉を照らしている
/ 其の笹葉が風が吹く度に揺れる為、恰も月が笹の林の上を滑って行く様に見える
【解説】季語:月夜=秋
/(注1)十二歳:「花」:「杜宇」では、「安原貞室(1610-73)」「北村季吟(1624-1705)」の俳諧史上重要な人物を句の先頭に出したのに対し、此処では少年の句を持って来た
(注2)梅舌(ばいぜつ):尾張国の人 /『あら野』等に入句
【小生 comment 】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第07回/第51句~60句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題は、「11月09日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【最終(第5)回】Bunkamuraザ・ミュージアム『 Liechtenstein侯爵家の至宝』展→中村屋サロン美術館『荻原守衛』展を巡って・見て」をお届けする。
16時57分 Bunkamuraザ・ミュージアム着
【Bunkamuraザ・ミュージアム『 Liechtenstein侯爵家の至宝』】
[01]Bunkamura入口にて
[02]同上 ザ・ミュージアム入口にて
[03]本企画展leaflet
静物画のcornerの絵画群は、写真撮影可能であったので確り撮影させて貰った。
[04] Jan
van Huysum(ヤン・ファン・ハイスム)『花の静物』18世紀前半
本作品は、ロココ様式を反映している
/ 1950年代に侯国の財政難から売却されたが、ハンス=アダム2世に撚り買い戻された
[05]Ferdinand
Georg Waldmuller(ヴァルトミュラー)『磁器の花瓶の花、燭台、銀器』1839年
作者は、19世紀前半Austriaの最重要な画家 / 当初、背景は絵が1枚飾られた室内風景だったが、作者自身が黒く塗り潰している
[06]同『赤と白の葡萄と銀器』1841年
[07]Ferdinand
Kuss(キュス)『薔薇と杏子のある静物』1826-50年
[08]Franz
Xaver Petter(クサ―ヴァ―・ペター)『アオボウシインコのいる花と果物の静物』1830年
[09]同『ヨウムのいる花と果物の静物』1830年〔硬質磁器、エナメルの上絵付〕
[10]ウィーン窯・帝国磁器製作所/Joseph Nigg(ヨーゼフ・ニッグ)『黒葡萄のある花の静物』1838年
[11]同『白葡萄のある花の静物』1838年〔硬質磁器、エナメルの上絵付〕
[12]ウィーン窯・帝国磁器製作所/アントン・デーリング/イグナ―ツ・ヴィルトマン『金地花文ティーセット』1815年
硬質磁器、金地、線刻、一部研磨、エナメルの上絵付、赤のモロッコ革の収納ケース付
[13]ティッシュバイン周辺の画家『Liechtenstein侯女レオポルディ―ネ・あーデルグンデ』制作年不詳
[14]ノイゲバウアー『Liechtenstein侯フランツ1世、8歳の肖像』1861年
[15]ルーカス・クラーナハ(父)『聖バルバラ』1520年以降
[16]グイド・レーニ『マグダラのマリア』1615-16年
[17]ルーカス・ファン・ファルケンボルフ『滝と水車のある山岳風景』1595年
[18]フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー『イシュル近くのヒュッテンエック高原からのハルシュタット湖の眺望』1840年
[19]同『磁器の花瓶の花、燭台、銀器』1839年
18時00分 渋谷→JR山手線→新宿→
18時17分 新宿中村屋ビル着
【小生comment】
Liechtenstein侯国の至宝の数々を目の当たりに見ることが出来て嬉しかった。或る意味、こんな贅沢が出来る日本人に生まれて本当に良かったと思う。
【中村屋サロン美術館『荻原守衛』展】
[20]新宿中村屋ビル地下1階入口にて
[21]中村屋サロン美術館入口にて
[22]本企画展leaflet
[23]『女』製作中の荻原守衛
[24]荻原守衛『女』1978年鋳造
[25]長尾杢太郎『亀戸風景』
[26]中村不折『根津神社唐門』1890年
[27]荻原守衛『波止場』留学期
[28]柳敬助『人体デッサン』1904-09年
[29]荻原守衛『人体デッサン』ニューヨーク時代
31歳という若さで亡くなった荻原守衛だが、彼の作品はこうして現在も生きている。
23時55分 バスタ新宿発→ほのくに号→
【11月10日】
05時20分 豊橋駅前着
06時00分 帰宅〔了〕
■続いての話題は、12月01日に大垣市『住吉燈台』→『大垣城』→大垣市守屋多々志美術館『特別展【芭蕉】』→岐阜市歴史博物館分館:加藤栄三・東一記念美術館『栄三・東一の愛した生きものたち』展→一宮市三岸節子記念美術館『常設展&三岸黄太郎』展→『陣屋』→桑山美術館『茶の湯にみる伝統工芸』展を巡って来たことについてお伝えする。
行程は以下の通り
03時30分 起床→腹筋2000回
04時30分 2.5kg木刀素振り60分05時30分 入浴→朝食→
06時05分 拙宅発→自動車 一般道134km 2時間20分→
08時16分 大垣市 史跡【住吉燈台】着
【史跡
住吉燈台&船町港跡】
[30]史跡【住吉燈台】にて1
[31]同上2
[32]史跡【船町港跡】にて
[33]同上の風景‥左手には【住吉燈台】
史跡『住吉燈台』と『船町港跡』を訪れる度に歴史の浪漫を感じる。
08時23分 同所発
一般道500m 5分→
09時28分 大垣城着
【大垣城】1
[34]大垣城をbackに
[35]大垣城&大垣藩初代藩主戸田氏鉄像前にて
[36]戸田氏鉄像の前にて
[37]戸田氏鉄像
[38]大垣城天守閣前にて1
[39]同上2
[40]「大垣城(【巨鹿(きょろく)城・糜(び)城】)」解説
[41]「大垣城の天守・本丸の変遷」解説
[42]戸田氏鉄像脚許に記された「建詞」
大垣城は名城である。
此の戸田氏鉄像の勇姿を見ていると不思議と元気が出て来る。
08時50分 大垣城発→一般道200m 1分→
08時58分 大垣市守屋多々志記念美術館着
【守屋多々志記念美術館『芭蕉』展】1
[43]守屋多々志記念美術館前にて
[44]同館内 本企画展leafletの張られた壁の前にて1
[45]同上2
[46]本企画展leaflet
[47]守屋多々志『大垣城』
[48]守屋多々志『赤穂の灯(浅野内匠頭の妻)』
[49]同『萩の宿(奥の細道より)』
[50]同『更科』
[51]同『加賀の千代女』
[52]同『思い出の五色酒』
【小生comment】
小生、此の美術館の常連になったみたいだ。入館手続きを済ませたら、其の受付嬢が「いつも(ご利用)ありがとうございます。(小生の)写真をお撮りしましょうか?」と言って撮影してくれたのが、添付写真[44][45]だ。
09時21分 大垣市守屋多々志美術館発→一般道22㎞ 37分→
10時00分 岐阜公園堤外駐車場着
【岐阜公園】
[53]岐阜公園入口「若き信長像」前にて1
[54]同上2
[55]岐阜公園の紅葉風景の中で1
[56]同上2
岐阜公園の紅葉も絶景(添付写真[55][56])だ。
【岐阜市歴史博物館分館・加藤栄三・東一記念美術館『栄三・東一が愛した生きものたち』】
[57]加藤栄三・東一記念美術館入口にて1
[58]同上2
[59]本企画展leaflet
[60]加藤栄三『宵』
本企画展では、販売されていたpostcardで展示されているものは1枚もなかったのでご紹介出来ないのが残念である。
加藤栄三・東一兄弟は、岐阜県を代表する日本画家の泰斗で、二人共に好きな画家である。
10時40分 岐阜公園堤外駐車場発→一般道17km 40分→
11時20分 一宮市三岸節子記念美術館着
【一宮市三岸節子記念美術館入口&三岸節子常設展】
[61]一宮市三岸節子記念美術館入口〔『三岸黄太郎』展看板前〕にて
[62]同上〔三岸節子像の傍ら〕にて
[63]同館内 本企画展看板前にて
[64]三岸節子『自画像』1925年
[65]同『月夜の縞馬』1936年
[66]三岸節子『花と魚』1952年
[67]同『細い運河』1974年
[68]同『アルカディアの赤い屋根』1989年
[69]同『花』1989年
[70]同『イル・サンルイの秋』1987年
三岸節子の作品は、いつ見ても新しい感動と癒しを感じさせてくれる。
小生、三岸節子の作品が大好きだ。
【三岸節子記念美術館『没後10年 三岸黄太郎 ―描く詩人―』展】
[71]三岸黄太郎『日の出前』1980年頃
[72]同『祭りの日』1982年
[73]同『雷が落ちた』1986年
[74]同『あらし』1986年
[75]三岸黄太郎『カーニュ風景』1990年頃
[76]同『丘の上の家』1994年
[77]同『夜明』2005年
[78]同『河にそふ街』2009年
三岸黄太郎は、三岸節子の長男。
画風は、母親の三岸節子の絵を更に抽象化したものと云える。
小生、黄太郎氏の作品を纏めて見たのは、今回が初めてであるが、なかなかいい作品群だった。
12時14分 一宮市三岸節子記念美術館発→一般道26km 57分→
13時11分 らあめん専門店『陣屋』着
【らあめん専門店『陣屋』】
[79]陣屋入口にて
[80]小生の超定番『味噌チャーシュー麺』
【小生comment】
ホント、陣屋の味噌チャーシュー麺は最高にうまい!
13時33分 らあめん専門店『陣屋』発→一般道7km 22分→
13時55分 桑山美術館着
【桑山美術館『茶の湯のみる伝統工芸~桃山・江戸から昭和へ~』展】
[81]桑山美術館入口前にて
[82]同館内入口にて
[83]本企画展leaflet
【小生comment】
小生、茶器も最近興味が湧いて来た。
小生、現在使っているお酒のお猪口、九谷焼と史の志野焼の2種類。段々と、陶磁器の良さというものが感じられる様になって来たかな‥
14時23分 桑山美術館発→一般道80km 1時間54分→
16時17分 帰宅〔了〕
【後記】
三田佳子が当該CD113枚を収録するのに2年半、瀬戸内寂聴が『源氏物語』を現代語訳に要した期間が5年間という長大な物語であり、聴く方もかなりの忍耐力を要したが、聴了した時、相応の満足感を覚えた。
2【朝倉川の薄原】
上下水道局では、豊橋刑務支所の見学と同所に於ける福祉的支援の研修会が開催された。
因みに、大正12年3月に名古屋刑務所豊橋出張所として開所した豊橋刑務支所は、平成29年4月から収容対象が女子受刑者に変更され今日に至る。
穂が重く垂れ下がったススキを見ていたら、此の名句が浮かんだ。
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1【読了、いや聴了した『源氏物語・54帖全巻』】
自動車の移動時間を使って、紫式部著・瀬戸内寂聴現代語訳『源氏物語第1帖(桐壺)~第54帖(夢浮橋)』を、約半年かけて今日漸く聴き終えた。
第1帖~第54帖:CD 113枚
+ CD瀬戸内寂聴講演「源氏物語と女性たちの出家」+ CD瀬戸内寂聴と源氏物語
全54帖のナレーター 三田佳子との対談=CD全115枚
【小生comment】
三田佳子のナレーションが素晴らしい『源氏物語』のCDだった。三田佳子が当該CD113枚を収録するのに2年半、瀬戸内寂聴が『源氏物語』を現代語訳に要した期間が5年間という長大な物語であり、聴く方もかなりの忍耐力を要したが、聴了した時、相応の満足感を覚えた。
[84]CD『源氏物語・54帖全巻』から
[85]同上2
[86]同上3
今日は、仕事で豊橋市上下水道局へ行って来た。
朝倉川のススキが晩秋の風情を残していた。上下水道局では、豊橋刑務支所の見学と同所に於ける福祉的支援の研修会が開催された。
因みに、大正12年3月に名古屋刑務所豊橋出張所として開所した豊橋刑務支所は、平成29年4月から収容対象が女子受刑者に変更され今日に至る。
穂が重く垂れ下がったススキを見ていたら、此の名句が浮かんだ。
をりとりて はらりとおもき すすきかな 飯田蛇笏(1885-1962)
【前書】稲刈終はりし田、北遥彼方に本宮山見ゆ
薄原(すすきはら) 遥かに谺(こだま)す 本宮山(ほんぐうさん) 悟空〔了〕
[87]朝倉川畔の薄原にて
[88]朝倉川畔の薄原1
[89]同上2
[90]同上3
[91]同上4
[92]同上5
[93]同上6
[94]同上7
[95]同上8
[96]同上9
[97]同上10
[98]同上11
[99]本宮山遠望
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