今日最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第二集『春の日』から〔第14回 / 春「のがれたる人の許へ行(ゆく)とて」5句)〕をお届けする。
春野吟(しゅんやぎん)
01(134) 足跡(あしあと)に櫻(さくら)を曲(まが)る庵(いほ)二(ふた)つ 杜國
【意】春の野を行く / 何となく人の足跡に沿って辿って行くと、見事な桜の木下を曲がった行く細道の先に草庵が二つあった。
【解説】季語:櫻=春 / 西行が「寂しさに耐へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里」(『山家集』)と詠んだ歌の様に庵が二つ並んでいる、という感慨をもって付けた
02(135)麓寺(ふもとでら)かくれぬものはさくらかな 李風(注1)
【意】山麓の寺 / 森に埋もれ霞に隠れた中に桜花の白さだけはくっきりと浮かび上がって見える
【解説】季語:さくら=春 /「かくれぬものは」と詠まれるものは、「梅の香」「鶯の声」/
一方、「桜」は遠望されると雲と間違えられたりするもの / 其れを打ち返して詠むのが俳諧の妙(注1)李風:生没年不詳 / 尾張国の人 / 春の日に2句入句
03(136)榎木(えのき)まで櫻(さくら)の遅(おそ)きながめかな 荷兮
【意】遅咲きの桜が咲いた / 其れを眺めていたら、傍にあった榎の花が目に入った / 桜花が無かったら、榎木の花には気付がつかなかっただろうヨ
【解説】季語:櫻=春 /
餞別
04(137) 藤(ふぢ)の花(はな)たゞうつぶいて別(わかれ)哉(かな) 越人
【意】藤の花が其の花房を垂れて咲いている / 其の「行く春」に別れを惜しむ私の心境の様に
【解説】季語:藤の花=晩春 /
05(138) 山畑(やまはた)の茶(ちゃ)つみぞかざす夕日(ゆふひ)かな 重五
【意】夏近き八十八夜の頃 / 西陽を受ける山の茶畑で 早乙女たちが茶摘をしている / 眩しい夕陽を遮(さえぎ)る為に彼女等は小手をかざしているヨ
【解説】季語:茶つみ=晩春 / 十七文字に、地形・季節・時刻・人物・動作を織り込んだ粋な句で、絵画的でもある
06(139) 蚊(か)ひとつに寝(ね)られぬ夜半(よは)ぞ春のくれ 同
【意】暮れていく行く春を惜しんで夜更かしして仕舞ったが / 今年早くも現れた蚊一匹 / 夏の盛りなら当然なこととはいえ、まだ春なので慣れないこととて、今夜は此の一匹の蚊に煩わされて眠れそうにないヨ
【解説】季語:蚊=三夏・春のくれ=春 /
【小生 comment 】
次回は、俳諧七部集『春の日』から〔第15回/夏~ 全6句&「武蔵坊をとぶらふ /全1句」&「逢坂の夜は笠みゆるほどに開て / 全1句」~〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題は、09月21日(土)に、以下の行程で「一宮市三岸節子記念美術館『常設展』」→「古川美術館『書だ!石川九揚』展」→「昼食『陣屋』」→「名と美術館『所蔵品展/好きなもの、好きなこと』展」→『大高城跡』と巡って来たことについてお伝えする。
03時10分 起床→腹筋2,000回
04時05分 2.5kg木刀素振り60分
05時05分 入浴→朝食
06時00分 拙宅発→一般道108㎞→
08時45分 一宮市三岸節子記念美術館着
[01]一宮市三岸節子記念美術館入口にて
[02]同美術館外観
[03]同美術館脇の道端のオレンジ色のコスモス
09時00分 三岸節子記念美術館『常設展』
【三岸節子記念美術館『常設展』】
[04]三岸節子『自画像』1925年
[05]同『花・果実』1932年
[06]同『盾を持った武士』1956年
[07]同『貝谷八重子氏肖像画』1957年
[08]同『飛ぶ鳥(火の山にて)』1962年
[09]同『花(黄色)』1971年
[10]同『小運河の家(1)』1972年
[11]同『雲と海の対話(夕焼)』1975年
[12]同『小さな町(アンダルシア)』1987年
[13]同『さいたさいたさくらがさいた』1998年
[14]若い頃の三岸節子(1905-1999)
[15]若い頃の森光子1(1920-2012)
[16]同上2
【小生comment】
三岸節子の絵は、元気いっぱいで、構図・色彩のdynamicさとbalanceの良さが優れていて、小生大好きである。
だから年に数回は此処の美術館を訪ねている。
若い頃の「三岸節子」と「森光子」何となく似ていると思いませんか?
09時30分 一宮市三岸節子記念美術館発→一般道31㎞/累計139km 1時間18分→
10時48分 古川美術館駐車場着
10時50分 同美術館入口着
【古川美術館『書だ!石川九楊』展】
[17]古川美術館入口にて
[18]本企画展leaflet
[19]石川九楊(1945- )
[20]石川九楊『徒然草No.17』1992年
11時25分 古川美術館発→一般道3km/累計142㎞ 19分→
【小生comment】
石川九楊と彼の作品は、今日初めて見た。
書と言っても、水墨画のミロやカンディンスキーの作風に似ていて、多分にシュールって感じだ!
11時44分 らあめん専門店「陣屋」着
【『陣屋』にて昼食】
[21]らあめん専門店『陣屋』入口にて
[22]小生の超定番「味噌チャーシュー麵」
【小生comment】
此処の「味噌チャーシュー麵」はホント美味い!
12時23分 らあめん専門店『陣屋』発→一般道 16㎞/累計158㎞ 51分→
13時14分 名都美術館着
【所蔵品展/『好きなもの、好きなこと』】
[23]名都美術館入口にて
[24]本企画展leaflet
[25]上村松園『藝妓之図』大正初期
[26]伊藤小坡『茶の湯』1933年頃
[27]徳岡神泉『茄子』制作展不詳
[28]同『芙蓉』制作年不詳
[29]伊東深水『夏の宵』1935年頃
[30]安田靫彦『桔梗』制作年不詳
[31]小倉遊亀『鉢と菫』1960年
[32]同『菖蒲』制作年不詳
[33]同『初夏の花』1962年
[34]小林古径『初冬』1935年頃
[35]片岡球子『冨士』1990年頃
[36]小山硬『ロシアンブルー』2001年
[37]同『海亀親子』2016年
14時04分 名都美術館発→一般道17㎞/累計176㎞ →
15時12分 大高城跡着
【大高城跡】
此の城は、戦国時代、天分・弘治年間(1532-58)の頃には、永野忠氏父子が居城。
始め今川氏、のち織田氏に付いた為、今川方の鳴海城主山口左馬之助に攻められ、今川義元の家臣鵜殿長照が入城。
1560(永禄03)年の桶狭間の戦の時、松平元康(のちの徳川家康)は兵糧の運び入れに成功して其の儘城を守った。
[38]大高城跡案内
[39]大高城跡への導入路
[40]大高城跡石碑にて
[41]大高城跡案内板
[42]同案内板にて1
[43]同上2
[44]大高城跡情景1
[45[同上2
[46]同上3
15時32分 大高城跡発→一般道71㎞ 1時間42分→
17時14分 帰宅〔了〕
■続いての話題は、翌09月22日に matinée を聴いたことについてである。
其の前夜、上記三岸節子記念美術館『常設展』をはじめとする沢山の話題を Facebook に up するのに時間がかかり、就寝が深夜1時過ぎだったので、今朝は09時起床とゆっくりだった。
09時15分 腹筋2,000回
10時15分 2.5kgの木刀素振り60分間
11時25分 入浴→ブランチ
13時15分 拙宅発→自転車→
13時50分 穂の国とよはし芸術劇場プラット アートスペース着
今日は、縁あって matinée『秋の日の午後/ドイツリートの調べによせて』を聴いた。
演奏曲目は以下の3曲
1. R. Schumann /『リーダークライス』Op.24/能勢健司(Br)独唱、鈴木佳代子(Pf)伴奏
2. Schubert(Liszt編曲) /『アヴェ・マリア』/鈴木佳代子(Pf)独奏
3. R. Schumann /『女の愛と生涯』Op.42/三輪陽子(S)独唱、鈴木佳代子(Pf)伴奏
4. encore /『ふるさと以下日本の名曲 medley』
シューマン(1810.06.08-1856.07.29)の生涯のうち、最愛の妻クララ(1819.09.13-1896.05.20)と結婚した1840年は、歌曲の年と呼ばれる / クララと結ばれた此の1840年一年間に彼が作曲した歌曲の大半が集中して産み出されたからだ。
此の時、シューマン30歳、クララ21歳。
クララとの結婚に反対したクララの父で彼の piano の師でもあるフリードリヒ・ヴィーク(1785-1873)との裁判に勝ち、相思相愛の二人が人生最大の夢を実現した年。
シューマンとクララ・ヴィークが結婚したのは裁判所から結婚許可が降りた丁度一月後の1840年09月12日だが、その数ヶ月前の03月〜7月の4ヶ月間に愛する女性と結ばれようとするシューマンだからこそ創り得た珠玉の 5曲!
1.『ミルテの花』Op25
2.『リーダークライス』Op.24
3.『リーダークライス』Op.39
4.『女の愛と生涯』Op.42
5.『詩人の恋』Op.48
‥という音楽史に残る此れ等 5曲のいずれも優れた歌曲集をシューマンは作曲した。
人間が才能を発揮するのに「ときめき」が如何に重要かを端的に表している。
其の日の matinée では、上記の5曲の中の2曲が演奏された。
小生、上記 5曲はCDやLPでは全部持っているが、唯一DVDで持っているのは『詩人の恋』Op.48 の一曲だけだ。
名曲と名演奏に感動した小生、帰宅してから、其のクリスティーネ・シェーファー(S)の『詩人の恋』のDVDを久しぶりに聴いてみた。
ホントッ! 名曲って素晴らしい! 今も此の様に名曲を聴くと「ときめき」を感じるから不思議だ!
[47]Facebook に up した『秋の日の午後/ドイツリートの調べによせて』の写真群
[48]クリスティーネ・シェーファー(S)の『詩人の恋』が収録されているDVD
■今日最後の話題である。此れ迄に俳句雑誌「ホトトギス」同人で同派を代表する俳人「四S(=しエス)」阿波野青畝・高野素十・水原秋櫻子・山口誓子の 4人を五十音順に、阿波野青畝、高野素十の作品についてご紹介して来た。だから今回は本来なら水原秋櫻子の番であるが、故あって先に山口誓子(やまぐち せいし(1901.11.03-1994.03.26))の作品を 3句ご紹介したい。
其の理由は、小生、山口誓子の次の俳句が大好きだからである。
つきぬけて天上の紺 曼珠沙華 山口誓子
此の句について、山口誓子著『自選自解 山口誓子句集』にて次の様に述べている。
「「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の句である。曼珠沙華は、彼岸花とも死人花(しにんばな)ともいう。死人に関係ある花だから、縁起のいい花ではない。人々は、その花を忌むべき花と考えていた。俳句の世界では、紅蘂(しべ)の花を美しとして、愛した。
戦後、曼珠沙華は米国等に輸出され、その紅蘂が米国人の気に入って、美しい花、愛すべき花とされた。日本の人々は、それを見てやっと、曼珠沙華に一目置くようになった。
「つきぬけて天上の紺」は、くっつけて詠む。つきぬけるような青天とは、昔からいう。それを私は「つきぬけて天上の紺」といったのだ。
そんな青天に、曼珠沙華は、紅い蘂を張って、すっくと立っている。」〔昭和16年作/『七曜』所収〕
[49]「つきぬけて天上の紺曼珠沙華」image 通りの scene 3枚と「2018年09月30日 拙宅に咲いた彼岸花(紅&白)」
此の句は、彼岸花が青空に向かって凛とした姿で立ち咲いている様が清々しくて気持ち良い、素晴らしい傑作だ。
2作目は、作成年次が「つきぬけて‥」の作品より 5年遡る‥
ピストルがプールの硬(かた)き面(も)にひびき 山口誓子
此の句は、彼岸花が青空に向かって凛とした姿で立ち咲いている様が清々しくて気持ち良い、素晴らしい傑作だ。
2作目は、作成年次が「つきぬけて‥」の作品より 5年遡る‥
ピストルがプールの硬(かた)き面(も)にひびき 山口誓子
此の句も、『自選自解 山口誓子句集』の作者自身の言葉をご紹介する。
「(前略)プールでの、競泳の句である。
「硬き面」は、硬き水面である。水面は、水の面(おも)であるから、「硬き面」を「かたきおも」と読みたいが、字数の関係で「かたきも」と読ましている。
競泳のスタートである。泳者はみな自分のラインを眼の前にして、ピストルの鳴るのをいまかいまかと待っている。
鳴った。その音は、たあんという短くて硬い音だった。その音が硬い音なのか、それともプールの平らな水面が、鉱物性の硬さを持っていて、それにひびいたから硬い音に聞こえてのか。
私は、「プールの硬き面にひびき」と詠(うた)った。プールの水面が鉱物性の硬さを持っていると感じたから。(NHKの「二十の扉」では水は鉱物に分類されていた。)」
〔昭和11年作/【炎昼】所収〕
[50]競泳のスタートscene
此の句は、極めて写実的で情景が頭に浮かび易い、平易な表現を使っている。
が、「たあん」というピストルの鋭い音が耳に響いて来る緊迫感が此の句に迫力を与えている。
小生、此の句も山口誓子の代表作として大好きな作品である。
最後 3作目は次の句である。
炎天(えんてん)の遠き帆(ほ)やわがこころの帆(ほ) 山口誓子
此れも同じく『自選自解 山口誓子句集』の解説をご紹介してみたい。
「いつも沖を見て暮らしている私のこころの裡(うち)には「こころの帆」があった。現実に見た帆が、積み重なって、こころに印象づけられた帆である。具象から来ているが、抽象の帆なのである。
炎天のその日も、私は浜に出て、沖を見た。白帆が遠いところに見えた。炎天にひかる「遠き帆」を見た瞬間、私のこころの裡にあった「こころの帆」がよみがえって来た。抽象が具象になったのだ。
「炎天の遠き帆」は、とりもなおさず、私の「こころの帆」である。
それを、私の「こころの帆」が、投射されて「炎天の遠き帆」になったといってもよい。
此と彼が一致したのだ。此でもなく、彼でもない。一体の「帆」である。
〔昭和20年作/『遠星』所収〕
「(前略)プールでの、競泳の句である。
「硬き面」は、硬き水面である。水面は、水の面(おも)であるから、「硬き面」を「かたきおも」と読みたいが、字数の関係で「かたきも」と読ましている。
競泳のスタートである。泳者はみな自分のラインを眼の前にして、ピストルの鳴るのをいまかいまかと待っている。
鳴った。その音は、たあんという短くて硬い音だった。その音が硬い音なのか、それともプールの平らな水面が、鉱物性の硬さを持っていて、それにひびいたから硬い音に聞こえてのか。
私は、「プールの硬き面にひびき」と詠(うた)った。プールの水面が鉱物性の硬さを持っていると感じたから。(NHKの「二十の扉」では水は鉱物に分類されていた。)」
〔昭和11年作/【炎昼】所収〕
[50]競泳のスタートscene
此の句は、極めて写実的で情景が頭に浮かび易い、平易な表現を使っている。
が、「たあん」というピストルの鋭い音が耳に響いて来る緊迫感が此の句に迫力を与えている。
小生、此の句も山口誓子の代表作として大好きな作品である。
最後 3作目は次の句である。
炎天(えんてん)の遠き帆(ほ)やわがこころの帆(ほ) 山口誓子
此れも同じく『自選自解 山口誓子句集』の解説をご紹介してみたい。
「いつも沖を見て暮らしている私のこころの裡(うち)には「こころの帆」があった。現実に見た帆が、積み重なって、こころに印象づけられた帆である。具象から来ているが、抽象の帆なのである。
炎天のその日も、私は浜に出て、沖を見た。白帆が遠いところに見えた。炎天にひかる「遠き帆」を見た瞬間、私のこころの裡にあった「こころの帆」がよみがえって来た。抽象が具象になったのだ。
「炎天の遠き帆」は、とりもなおさず、私の「こころの帆」である。
それを、私の「こころの帆」が、投射されて「炎天の遠き帆」になったといってもよい。
此と彼が一致したのだ。此でもなく、彼でもない。一体の「帆」である。
〔昭和20年作/『遠星』所収〕
[51]「炎天の遠き帆」image 写真
具象と抽象の「帆」が一体化した句。
此の作風は、「平明であり乍ら、余韻がる」ホトトギス派の作風を離れ、水原秋櫻子の馬酔木の代表的俳人となった山口誓子の作品と言っていい。
此の句は、読み返す程に良さが滲み出て来る傑作だ。
【後記】09月20日(金)、勤務先からの帰途、おカネのなかった大学時代に下宿していた時、よく飲んだジンライムが無性に飲みたくなって、拙宅の近くにある食品スーパーサンヨネに立ち寄って、サントリーのジン(998円)と、ポッカお酒にプラスライム(500円)を買って夕食の時飲んだ。
懐かしき ひもじき秋や! ジンと吾(われ) 悟空
以下の添付写真は、Facebook に up したもの。
[52]ジンライムを手にする小生
では、また‥〔了〕
*
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具象と抽象の「帆」が一体化した句。
此の作風は、「平明であり乍ら、余韻がる」ホトトギス派の作風を離れ、水原秋櫻子の馬酔木の代表的俳人となった山口誓子の作品と言っていい。
此の句は、読み返す程に良さが滲み出て来る傑作だ。
【後記】09月20日(金)、勤務先からの帰途、おカネのなかった大学時代に下宿していた時、よく飲んだジンライムが無性に飲みたくなって、拙宅の近くにある食品スーパーサンヨネに立ち寄って、サントリーのジン(998円)と、ポッカお酒にプラスライム(500円)を買って夕食の時飲んだ。
懐かしき ひもじき秋や! ジンと吾(われ) 悟空
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[52]ジンライムを手にする小生
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