2019年9月3日火曜日

【時習26回3−7の会 0773】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『春の日』から〔第11回〕」「08月31日:『大垣市・奥の細道むすびの地記念館』→『大垣市・守屋多々志美術館/Cool!守屋Blue 展』→『大垣城』他を巡って見て」「09月01日:『穂の国・多米の初秋風景』」

■皆さん、お変わりありませんか?  今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0773】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第二集『春の日』から〔第11回 / 春(発句 全14句のうち前半 7)〕をお届けする。

   春

01(115) 昌陸(しやうりく)(1)の松とは尽(つき)ぬ御代(みよ)の春  利重

【意】正月十一日、柳営の連歌始めに、例年発句を務める里村家の当主・昌陸は、徳川(=松平)家に因む祝言として必ず「松」の一字を詠むそうだ / 此の徳川の御代が永久に続かんと祈って /
【解説】季語:御代の春=春 / 新年111日に、室町・江戸幕府が行なった新年の連歌会に「柳営の連歌始め」があった / 其の会の発句を里村家の当主が例年務める習わしになっていた /
(1)昌陸:里村昌陸(1639-1707) / 室町時代~江戸時代の連歌師の当主を里村家が務めたが、昌陸は、昌程(1612-88)の嫡男で、彼の長男が昌億(1660-1728)3人はいずれも里村家の当主 /
 
02(116) 元日(ぐわんじつ)の木()の間()の競馬(けいば)(あし)ゆるし  重五

【意】元日の穏やかな陽ざしの下を、松並木の中をのんびりと馬で行く馬人々がいる / 其の馬の脚の運びの緩やかさが、木の間に見えつ隠れつして、一層強調される /
【解説】季語:元日 =新年/

03(117) 初春(はつはる)の遠里(とほざと)(うし)のなき日()(かな)  昌圭

 【意】新春の野辺を見晴るかすと、都から遠い此の村里では、牛の姿が見られない / 年の暮に年木(1)や飾り物等の正月商品を積み、遠く都へ売りに行った村人と牛がまだ帰って来ない / 辺境の地は、新年の訪れも遅い様だ
【解説】季語:初春=春
(1)年木(=歳木)(としぎ):新年の燃料として、暮れのうちに用意して置いた薪(たきぎ)「季語:新年」
 
04(118) けさの春(はる)(うみ)はほどあり麥(むぎ)の原(はら)  雨桐(1)
 
【意】新春、海の方を見ると、先日迄は其の生長に気付かなかった麦の青さが鮮やかだ / その為、麦畑は野原が広くなった様に見え、海迄の距離が遠くなったみたいだ
【解説】季語:けさの春=春
(1)雨桐:名古屋の人 / 生没年他詳細不明
 
05(119) (かど)は松(まつ)芍薬園(しやくやくゑん)の雪(ゆき)さむし  舟泉
 
【意】門には松を飾り、新年を祝っているが、余寒厳しく芍薬(シャクヤク)を植えた拙宅の庭にまだ残雪がある / 春はまだ先だ
【解説】季語:門松=新年
 
06(120) (こひ)の音(おと)(みづ)ほの闇(ぐら)く梅(うめ)(しろ)し  羽笠
 
【意】池の水面で鯉が飛び跳ねた音がした / 眼を其方に向けるが、既に辺りは暮れて波紋も見えない / ほの暗い池端に白く梅花が咲いているのが見える
【解説】季語:梅=春

07(121) 舟々(ふねふね)の小松(こまつ)に雪の残(のこり)けり  旦藁

【意】水辺に停泊している舟には、正月飾りの小さな松飾りをつけ清められている / 年末に飾りを済ませてから降った雪が、一段と清めた名残の様に其の舟と松飾りに積っている
【解説】季語:小松(=松飾り)=新年
 
【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『春の日』から〔第12回/ 春(発句 全14句のうち後半 7)〕をご紹介する。お楽しみに!
 
■続いての話題は、0831()に大垣と名古屋へ行って来た話をお伝えする。
 其の日は、月一度の歯科健診が名古屋市東区にある旧行時代の1993年から26年間お世話になっているN歯科医院で1400分にあった。
 其処で、久しぶりに「大垣市/奥の細道 むすびの地記念館」「大垣市守屋多々志美術館『Cool! 守屋 Blue』展」「大垣城」を巡って来た。
 
0320分 起床→腹筋2,000
0415 2.5kg木刀素振り60
0515分 入浴→朝食
0620分 拙宅発→一般道133 2時間34分→
0854分 大垣・住吉燈台着

[01]住吉燈台にて1

[02]同上2
                  
[03]船町港跡にて

[04]船町港
                  

0901分 大垣市奥の細道むすびの地記念館着
 
[05]大垣市奥の細道むすびの地記念館入口前にて

[06]同記念館内「奥の細道~『平泉』」の前にて
                  
[07]同「同~『日光』」の前にて

[08]同「同~『有磯海・金澤』『山中』『敦賀』の前にて」
                  
[09]同「同~『市振』の前にて」

[10]同「旅に生きた芭蕉~紀行行程表図」前にて
                  
[11]同「同上」

[12]同「同~企画展『鉄道敷設の大家で橋梁学の工学博士・那波光雄』展入口の看板」
                  
[13]無何有荘・大醒榭(たいせいしゃ)

[14]同上・案内看板
                  
[15]同上 前にて

[16]「鉄道敷設の大家で橋梁学の工学博士・那波光雄」と松尾芭蕉「奥の細道~北陸路の雲に臨む・そして大垣へ~」図録
                  

0950分 大垣市奥の細道むすびの地記念館発→一般道 1.1km 3/累計135㎞→
0958分 大垣市守屋多々志美術館着
 
[17]大垣市守屋多々志美術館前にて

[18]本企画展leaflet
                  
[19]守屋多々志『夏日(かじつ)1935年頃

[20]同『涼風』1935
                  
[21]同『星と武者』1968

[22]同『牡丹燈記』1971
                  
[23]同『水艷(さんずいに艷)(すいえん)1973

[24]同『人魚の愛』1992
                  
[25]同『智恵子と光太郎』1993


1025分 守屋多々志美術館発→般道100m 3分→
1028分 大垣城着

[26]大垣城天守閣前にて1
                  
[27]同上2

[28]大垣城解説板
                  
[29]本丸・天守の変遷他の解説板

[30]藩祖 戸田一西(かずあき)(1542-1604)
                                    
 現・豊橋市多米町の領主であった戸田一西は、1601(慶長06)年 家康から近江国膳所城築城を命じられ、膳所藩3万石初代藩主となり、1604(慶長09)年其の地に没した。

[31]美濃国大垣藩初代藩主 戸田氏鐵(うじかね)(1576-1655)

 氏鐵は、近江国膳所藩3万石第2代藩主→摂津国尼崎藩5万石第3代藩主→1635(寛永12)年 美濃国大垣藩10万石初代藩主。
 1637(寛永14)年 島原の乱では総大将松平信綱(1596-1662)麾下の副将として、筑後国柳川藩主立花宗重茂(1567-1643)・肥前国熊本藩主細川忠利(1586-1641)・肥前国佐賀藩主鍋島勝茂(1580-1657)等と鎮定に尽力した。
 
[32]同第4代藩主 戸田氏定(1657-1733)
                  
 母方の従兄弟に播州赤穂藩主浅野長矩(1667-1701)がいる。
 1701(元禄14)07月 氏定は、赤穂藩家老の大石内蔵助等を大垣に招き浅野家再興について協議した。

[33]同第11代藩主 戸田氏共(うじたか)(1854-1936)

[34]戸田極子
                  
 美濃国大垣藩最後の藩主 / 正室は明治元勲岩倉具視の三女で、陸奥宗光の正室亮子と並び鹿鳴館の華と称された極子(きわこ)
 1887年 極子は、夫が駐オーストリア=ハンガリー帝国全権公使としてウィーンに赴任した際、同地の大音楽家のヨハネス・ブラームスの面前で和琴を奏したことで知られる。

[35]大垣城天守閣から西方の伊吹山を望む1

[36]同上2
                  
[37]戸田氏鐵像の前にて1

[38]同上2
                  
[39]戸田氏鐵像


1045分 大垣城発→一般道43 1時間53/累計178㎞→
1238分 名古屋市北区大曽根「らあめん 陣屋」着
 
[40]オズモール入口にて
                  
[41]らあめん陣屋入口にて

[42]小生の超定番「味噌チャーシュー麵」
                  

1330分 らあめん陣屋発→一般道2km 5/累計180㎞→
1335 N歯科医院着
1426 N歯科医院発→一般道15 49/累計195㎞→
1515分 大高緑地着
 
[43]大高緑地の案内地図

 
1536分 大高緑地発→一般道510 12/累計200205㎞→
1548分 大高城跡公園着
 
[44]大高城跡公園入口の案内看板
                  

 館内看板の通り歩いて行ったら行き止まりだった。
 18時から所用が自宅であるので、今日は此処迄で断念して帰途に就いた。
 
1610分 大高城跡公園発→一般道67 1時間27/累計272
1727分 帰宅〔了〕
 
【後記】0901()の話をお届けして今日はお別れする。其の日は、脂肪を燃焼させるべく‥
 
0650  起床
0700  腹筋2,000
0800  2.5kg木刀素振り75分+休憩計15
1000  拙宅発→一般道を東へ 徒歩4.2kmの山麓 多米東町三丁目迄 往復(8.4km) 2時間walking & jogging した
 
[45]折り返し地点手前の多米東3丁目の風景

[46]折り返し地点1
                  
[47]同上2

[48]折り返し地点から歩いて来た道を戻る前に撮影‥暫く此の一直線の道を歩く‥
                  
[49]道端に咲いていた秋の七草の一つ『萩』の花


 秋の七草の語呂合わせ短歌!

  萩・桔梗 / 葛・女郎花 / 藤袴 // 尾花(=)・撫子 / 秋の七草!

[50]多米の田圃の真ん中にある東陽中学校
                  
[51]道端に咲いていた『野菊』の花?

[52]穂の国(=豊橋)の穀倉地帯 多米町 の稲1
                  
[53]同上2


  実るほど 頭(かうべ)を垂れる 稲穂かな
 
 此の歌と多米の田圃の稲を見て拙句を一句‥
 多米は、其の名の通り、美田でお米が多く穫れる穂の国(=豊橋)の穀倉地帯!
 
  残暑さへ 実りの糧に! 多米の里  悟空
 
[54]同上3
                  
[55]同上4


 多米町の田圃に群がる雀の集団。
 
[56]群がる雀の集団1
                  
[57]同上2


 空に黒い点!ゴミの様に見えるのが飛んでいる雀。
 収穫間近の多米町の稲! 今年も豊作の様だ。
 こんなみっともない格好で2時間歩いた。()(^^;;!!
 
[58]今日の walking 姿の小生
                  
[59]道端に咲いていた『マツバギク』の花?

[60]拙宅の程近くにある県立豊丘高等学校の正門
                  

 此の高校は、亡父にとっては定年退職する迄の19年間と退職後の数年、社会科を教えていた思い出深い学校だ。
 前職時代、取引金融機関の支店長(=当時)が「今泉先生から倫社の時間に哲学者カントの話を聞き、其の感想を書いて提出したら、先生から丁寧なコメントを頂き、今でもこうして持っているんですヨ」と見せて頂いた時は一寸目頭が熱くなった。
 
1215  帰宅〔了〕
 
【追補】先月、前職時代の取引先の方とお会いする機会があった。その方も豊丘高校で亡父に教わったということで、卒業アルバムから転写した亡父の高校勤務時代の写真を下さった。

 1970(昭和45)年頃の写真だから、其の時、亡父は45-46歳。

[61]昭和4546年の豊丘高等学校時代の父


 では、また‥〔了〕


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