■皆さん、今日も【時習26回3−7の会 0906】号をお届けする
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『ひさご』&〔第18回 / 103~108句〕」をご紹介する
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103 看經(かんきん)(1)の嗽(せき)(注2)にまぎるゝ咳氣聲(がいきごゑ) 里東
【意】住職は風邪を引いたのか、風邪声の読経の声が咳混じりに聞こえて来る
【解説】《名残裏一》《雑》/ 前句を「寺の情景」と見て付けた
(注1)看経(かんきん):読経(ど(っ)きょう)のこと
(注2)嗽(せき):書言字考「咳逆(セキ)、嗽(シハブキ)、咳病(シハブキヤミ)」
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104 四十(しじふ)は老(おい)のうつくしき際(きは) 珍碩
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【意】初老と呼ばれる四十歳は老いの始まりで、人生の最も美しい時節だという意
【解説】《名残裏二》《雑》/ 源氏物語の光源氏が北山の庵で垣間見た尼(紫の上の祖母)の俤を付けた
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105 髪(かみ)くせに枕(まくら)の跡(あと)を寐(ね)直(なほ)して 乙州
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【意】寝ていて髪に寝癖がつかない様に右枕・左枕と寝返り乍ら枕を使う其の人の身だしなみの様(さま)をつけた
【解説】《名残裏三》《雑》/ 前句を、女性と見て、其の人の身だしなみの様(さま)を付けた
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106 醉(ゑひ)を細(ほそ)めにあけて吹(ふか)るゝ 野徑
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【意】窓の障子を細めに開けて酔いにほてる頬を夜風に吹かれている様(さま)
【解説】《名残裏四》《雑》/ 前句をほろ酔いのうたた寝と見た其の人の付(つけ)
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107 杉村(すぎむら)(注1)の花(注2)は若葉に雨氣(あまけ)づき 怒誰
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【意】むら立つ杉木立の中の余花が季節遅れにほの白く咲いている / 今にも雨が降り出しそうなうつうつとした気配である、の意 / 酔い覚ましの風に雨気を感じつつ眺めた風景
【解説】《名残裏五》《夏》:若葉の花 / 花の定座
(注1)杉村(すぎむら):通行の当て字
(注2)花:春に遅れて若葉の中に咲き残る桜花を「若葉の花」という / 匂の花が他季になるのは珍しい
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108 田(た)の片隅(かたすみ)に苗(なゑ)のとりさし(注1) 泥土
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【意】苗代の片隅に取り残した苗が青々と伸びている
【解説】《挙句》《夏》:苗とり / 前句に時節を合わせた山田の景
(注1)苗のとりさし:苗代の周辺の苗は肥料もよく利いて色も濃く、伸び過ぎて不揃いなので、取り残して田へ鋤き込む
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. 野徑 六 / 里東 六 / 泥土 六 / 乙州 六 / 怒誰 六 / 珍碩 五 / 筆 一
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【小生 comment 】
. 次回は、『ひさご』第19回 / 第109句~114句をお届けする
. どうぞ、お楽しみに!
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■続いての話題である
. 此の日(2022/04/08)は、週一回の平日公休日
. 旧東海道五十(七)三次を踏破した小生、此れからは、琵琶湖を徒歩で2周しようと考えた
. 何故2回かというと、回る目的を「【1回目】:周回200㎞を踏破すること」、「【2回目】:琵琶湖周辺の歴史文化に想いを馳せて史跡巡りすること」にしたからだ
. そして、琵琶湖の春の風物詩と言えば、「海津大崎の桜」が素晴らしいと聞いているが、SNSで調べたら今が正に其の満開の時期だというので、是非見たくなったのだ
. アクセスについては、琵琶湖は周遊出来る鉄道網が充実しているのがいい
. 湖東は、拠点となる米原駅をとってみても、東海道新幹線、東海道本線、北陸本線、琵琶湖線があり、湖西には、湖西線がある
. で、カネはないが時間は確りある小生、豊鉄の「【往復】競輪場前⇔駅前:豊鉄東田本線〔路面電車〕@180円×2」と、「【往路】JR豊橋→東海道本線新快速→JR大垣→東海道本線普通→JR米原→琵琶湖線新快速→JR近江塩津→湖西線新快速→JRマキノ:@3,410円」「【復路】JR永原→湖西線新快速→JR近江塩津→琵琶湖線新快速→JR米原→東海道本線新快速→JR豊橋:@3,410円」で、朝05時35分拙宅発→20時10分に帰宅した
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03時20分 腹筋2,000回
04時10分 2.5kg木刀の素振り60分
05時10分 入浴→仕度→朝食
05時35分 拙宅発→徒歩→
05時56分 競輪場前→豊鉄
06時35分 JR豊橋発→東海道本線新快速→
08時06分 JR大垣着
08時09分 JR大垣発→東海道本線普通→
08時44分 JR米原着
09時00分 JR米原発→琵琶湖線新快速→
09時33分 JR近江塩津着
09時40分 JR近江塩津発→湖西線新快速→
09時50分 JRマキノ着
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【拙宅→ JR東海道本線米原駅】
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[01][左上]豊鉄競輪場前→JR湖西線マキノ駅への時刻表
[右上]豊鉄競輪場前に入線する駅前ゆき路面電車
[左下]JR東海道本線豊橋駅 platform にて
[中下]JR東海道本線大垣駅 platform
[右下]JR東海道本線米原駅 platform にて
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【JR米原駅→JRマキノ駅】
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[02][左上]JR琵琶湖線米原駅 platform にて
[右上]JR琵琶湖線&JR湖西線近江塩津駅 platform にて1
[左下]同上2
[中下]JR湖西線マキノ駅 platform にて
[右下]JRマキノ駅前にて
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10時33分 マキノサニービーチ地内浜オートキャンプ場前着
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【JRマキノ駅→琵琶湖々畔】
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[03][左上]JRマキノ駅前にある「海津の街」案内
[右上]JRマキノ駅から琵琶湖へ到る道にて1
[左下]同上2〔JRマキノ駅を振り返って〕
[中下]同上3〔高島市マキノ町高木浜にて〕
[右下]同上4 琵琶湖々畔〔マキノサニービーチ地内浜オートキャンプ場前〕にて1
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【琵琶湖々畔〔マキノサニービーチ地内浜オートキャンプ場〕風景】
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[04][左上]琵琶湖々畔〔マキノサニービーチ地内浜オートキャンプ場前〕にて2
[右上]同上〔同〕同上にて3
[左下]Google 航空 map:JRマキノ駅→海津大崎→JR永原迄〔12㎞〕の経路図
[中下]マキノサニービーチ地内浜オートキャンプ場同所から琵琶湖の竹生島を back に
. 竹生島を見ていたら、昔詠んだ拙歌が浮かんだ
.
. 竹生島寄せ来る波に誘はれて 想ひ起こすは君の御(み)姿 悟空
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[右下]同 同所から竹生島遠望
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【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町西浜〕風景】1
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[05][左上]琵琶湖々畔 マキノ町西浜 同所にて
[右上]同 同 湖畔風景
[左下]同 同 街並風景を back に
[中下]同 同 湖畔風景『西浜の石積み』同所にて1
[右下]同 同 同『同』同上2
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町西浜〕風景】2(完)
.
[06][左上]琵琶湖々畔 マキノ町西浜 街並を back に
[右上]同 同 風景1
[左下]同 同「近江湖(うみ)の辺(べ)の道」道標
[中下]同 同「高島市 海津・西浜・知内の水辺景観」案内
[右下]同 同 風景2
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】1
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[07][左上]琵琶湖々畔〔マキノ町海津〕風景「旧海津港跡」解説板
[右上]同〔同〕同「同」琵琶湖の鳰(カイツブリ)
[左下]同〔同〕同「同」桟橋跡と鳰(カイツブリ)
[中下]同〔同〕同「同」同所より湖畔の家並み遠望
[右下]同〔同〕同「同」同所より「海津大崎の桜並木」遠望と湖上を遊泳する鳰(カイツブリ)
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【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】2
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[08][左上]酒造「吉田酒造(有)」の入口
[右上]吉田酒造の地酒「竹生嶋」300ml 695円
[左下]吉田酒造前にて
[中下]柿渋染屋のご主人と
[右下]土産に購入した柿渋染の鳥打帽〔3,000円〕
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【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】3
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[09][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:海津の街並 同所を back に
[右上]同〔同〕同:同
[左下]同〔同〕同:琵琶湖を back に1
[中下]同〔同〕同:同上2
[右下]同〔同〕同:同上3
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】4
.
[10][左上] 琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:琵琶湖 同所を back に
[右上]同〔同〕同:同
[左下]同〔同〕同:琵琶湖湖畔の家並
[中下]同〔同〕同:海津の街並 同所にて
[右下]同〔同〕同:同「左:敦賀/右:西浅井町」標識
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】5
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[11][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:琵琶湖々畔 JRマキノ駅方面を振り返る
[右上]同〔同〕同:同 海津大崎の桜並木遠望
[左下]同〔同〕同:「海津大崎の桜並木」入口 案内看板
[中下]同〔同〕同:「近江『湖(うみ)の辺(べ)』の道」道標
[右下]同〔同〕同:「海津大崎の桜並木」1
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】6
.
[12][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎の桜並木1」同所にて1
[右上]同〔同〕同:「同上2」
[左下]同〔同〕同:「同」同所にて2
[中下]同〔同〕同:「同」「海津大崎の桜」解説板 同所にて2
[右下]同〔同〕同:「同」「同」
. 海津大崎の桜は、昭和11年、大崎トンネルの開通と湖岸道路の開通を記念して、海津役場が染井吉野1,000本を購入して植えられた〔解説文から引用〕
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】7
.
[13][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎の桜並木」から「JRマキノ駅方面」遠望1
[右上]同〔同〕同:「同」から「同」同上2
[左下]同〔同〕同:「同」同所にて3
[中下]同〔同〕同:「義経隠れ岩」
[右下]同〔同〕同:「同」解説板
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】8
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[14][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎の桜並木」から琵琶湖々畔の南方面遠望
[右上]同〔同〕同:「同」から琵琶湖々畔をJRマキノ駅方面遠望4
[左下]同〔同〕同:「同」から同上5
[中下]同〔同〕同:「同」から同上6
[右下]同〔同〕同:「同」から琵琶湖々畔をJRマキノ駅方面を back に
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】9
.
[15][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎」の道路標識
[右上]同〔同〕同:「同」から琵琶湖を望む
[左下]同〔同〕同:「同」から琵琶湖々畔を望む
[中下]Google 航空 map:「海津大崎」から竹生島〔宝厳寺〕方面を望む
[右下]同〔同〕同:「同」から琵琶湖上の竹生島遠望
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】10
.
[16][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎」湖岸から湖上に浮かぶ竹生島 同島を back に1
[右上]同〔同〕同:「同」同 同上2
[左下]同〔同〕同:「同」同 同上3
[中下]同〔同〕同:「同」同1
[右下]同〔同〕同:「同」同上2
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】11
.
[17][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎」湖岸から湖上に浮かぶ竹生島3
[右上]同〔同〕同:「同」同上4
[左下]同〔同〕同:「同」同上5
[中下]Google 航空 map:JR湖西線マキノ駅→同線永原駅への経路図
[右下]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎」湖岸から湖上に浮かぶ竹生島6
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】12
.
[18][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎」湖岸から湖上に浮かぶ竹生島7
[右上]同〔同〕同:「同」同上8
[左下]同〔同〕同:「同」同 同島を back に4
[中下]同〔同〕同:「同」同上9
[右下]同〔同〕同:「同」同 同島を back に5
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景】13
.
[19][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎」湖岸から湖上に浮かぶ竹生島9
[右上]同〔同〕同:「同」同 同島を back に6(完)
[左下]同〔同〕同:「同」同 同上10
[中下]同〔同〕同:「同」同 同上11
[右下]同〔同〕同:「同」同 同上12
.
【琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景14(完)→〔長浜市西浅井町大浦〕風景1】
.
[20][左上]琵琶湖々畔〔高島市マキノ町海津〕風景:「海津大崎」湖岸から湖上に浮かぶ竹生島13
[右上]同〔同〕同:「同」同 同上14
[左下]同〔同〕同:「同」同 同上15(完)
[中下]Google 航空 map:高島市マキノ町海津→長浜市西浅井町大浦への琵琶湖々畔からJR湖西線永原駅への経路図
[右下]琵琶湖々畔〔長浜市西浅井町大浦〕から竹生島遠望
.
【琵琶湖々畔〔長浜市西浅井町大浦〕風景】2
.
[21][左上]琵琶湖々畔〔長浜市西浅井町大浦〕風景 桜並木
[右上]同〔同〕同 大浦川1
[左下]同〔同〕同 同上2
[中下]同〔同〕同 大浦川畔の空を回遊していた鳶
. 此の春の時節、鳶というと飯田龍太の名句が浮かぶ
.
. 春の鳶 寄りわかれては 高みつつ 飯田隆太
. 〔 昭和28年刊『百戸の谿』所収〕
.
[右下]西浅井(にしあざい)町大浦 風景 大浦川畔にて1
.
【琵琶湖々畔〔長浜市西浅井町大浦〕風景3(完)→JR近江塩津駅】
.
[22][左上]Google 航空 map:琵琶湖からJR湖西線永原駅への経路図
[右上]西浅井(にしあざい)町大浦 風景 大浦川畔にて2
[左下]同 同 大浦川河畔
[中下]JR湖西線永原駅前にて
[右下]JR湖西線永原駅 platform にて
.
【JR琵琶湖線近江塩津駅→拙宅へ】
.
[23][左上]JR湖西線&琵琶湖線近江塩津駅 platform にて
[右上]JR琵琶湖線米原駅 platform にて
[左下]JR東海道本線米原駅 platform にて
[中下]JR湖西線永原駅→豊鉄東田本線競輪場前への時刻表
[右下]此の日の歩行距離 19.2km / 歩行歩数 25,082歩
.
【小生 comment 】
. 昨日もとても充実した一日を過ごすことが出来た
. 昨日(2022/04/08)の「湖北【海津大崎の桜】を愛でる一人旅」も既に追憶の懐かしい想い出の一コマになって仕舞った
. すると virtual な世界へ‥‥‥‥そして「初恋のひと」の面影が浮かび、フッと拙歌二首が浮かんだ
. 昔、初恋のひとを思って作った歌と共に三首ご紹介する
.
. ひさかたの光輝く春の日に 湖畔を歩む 君を想ひて 悟空
.
. マキノより海津大崎櫻路に 無限に拡がる君への想ひ 悟空
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. 漣や淡海に佇む君を想ひ つくる歌こそ吾が青春碑 悟空〔了〕
.
■続いての話題である
. 2022年04月10日、Facebook のお友だちで【時習26回 1-4】の旧友の岩瀬君が Facebook に up したチューリップと白い「侘助」の花が素晴らしかったので、写真を送って貰い、早速 PC の 背景画面にした
. 其のついでに、一昨日(2022/04/08)に訪れた「琵琶湖『海津大崎の桜』と『竹生島』の写真も背景画面にしてみた
. オマケのコメント欄には、もう今から30年近く前、旧行秘書室時代、中日ドラゴンズの高木守道監督との two shot 写真をご覧に入れる〔←此れも、今は昔の物語!〕
.
[24][左上]岩瀬君撮影の 綺麗なチューリップ
[右上]同じく 白い「侘助」
[左下]海津大崎の桜並木にて
[中下]琵琶湖々畔から竹生島を望む
[右下]琵琶湖々畔高島市マキノ町から琵琶湖と海津大崎の桜並木を back に
.
■続いては、もう今から30年も昔のことだから時効になっているので、小生の秘話をご紹介させて頂く
. 小生、秘書室時代の2年半の間に、中日ドラゴンズの激励会に 2回参加させて頂き、優勝こそ出来なかったものの高木守道氏が監督を務められた4年間の中の2年連続2位だった元気な時に楽しいひとときを旧行秘書室の女性秘書たちと一緒に過ごさせて貰った
. 前にもご紹介したが、今日は其の時の snap shots をご紹介する
.
年度 監督 順位 試合 勝利 敗北 引分 勝率 差 打率 本塁打 防御率
1993 高木守道 2 132 73 57 2 562 7.0 .256 158 3.12
1994 高木守道 2 130 69 61 0 531 1.0 .258 108 3.45
.
【秘書室時代〔1992/11-1995/05〕】
. 小生、1991年02月に旧大蔵省検査部検査〔=MOF検〕P/Tの発令を受け、融資部企画グループに係替えになり、名古屋本部への異動を命じられて約1年間、月月火水木金金の、しかも深夜2-3時の日も週に何日かある日々が続いた
. 所謂TVドラマ【半沢直樹】のP/Tの半沢次長の下で貸出関係種類等の入った段ボールを持って走り回っていた部下が小生の仕事!
. 使命が貸出資産査定の営業店指導と、不良債権額の極小化だったこともあり、其の時代の写真が殆どない
. それは、MOF検P/Tに続き日銀考査P/Tの発令も受け、10ヶ月程自己査定担当をした時も同様で、写真が全くと言っていい程残されていない
. そして、1992年11月、日銀考査が終わり貰った辞令が「秘書室勤務を命ず」だった
. 秘書室ヘ行って最初に読んだ(正式名称は失念したが‥)「秘書室手続」の第一条は今でも忘れていない「第一条 秘書室員は、虎の威を借る狐になるな」であった(笑)
. 1986/04東京本部→1992/11名古屋本部の通算6年07ヶ月に、更に1995/05迄の2年半が加わり、足掛け9年1ヶ月の本部生活が続いた
. 小生、自分なりに気は使うのだが、ピンと来ない、気が利かない秘書室員だったので、2年半でお払い箱となったが、加藤、伊藤、西垣の3人の会長、頭取、副頭取時代に、彼等3人以下の役員や、中央・地元政財界の御歴々を銀行役員と繋ぐ役回りは、ホントしんどかった
. 着任して半年で、融資部のデスクワークの運動不足と stress で71kgあった体重が、61kg迄に10kg痩せた
. とは言え、役得もあった
. 其れが、以前にも此の Facebook で紹介させて頂いた、中日ドラゴンズ激励会で、高木監督(1941.01.17-2020.07.17)、落合博満(1953.12.09- )、川俣米利、仁村薫、立浪和義、中村武志、等各選手に会えたことだ(笑)
.
[25][左上]【01】[上]1993/03/24 中日ドラゴンズの左から、川俣米利(1960- )、立浪和義(1969- )【現中日ドラゴンズ監督】、仁村薫(1959- )選手と
. 中日ドラゴンズの立浪和義現監督も1993年当時は、24歳になるかならない若かりし時で、小生もまだ37歳だった!
[左下]高木守道監督と
[中下]中日ドラゴンズ激励会にて
[右下]本部(名古屋)の秘書室にて
.
[右上]【02】高木守道監督と〔【01】[左下]写真に同じ〕
[左下]【03】川俣米利、中村武志(1967- )両選手らと
[右下]【04】高木守道監督と〔一昨日 up した写真に同じ〕
.
■続いての話題である
. 今日も、今は少し昔の物語から、2016/09/04【時習26回3−7の会 0616】〜〔前略〕「牧野雅彦『精読アレント《全体主義の起源》』を読んで」〔後略〕をご紹介したい
.
. 今日〔中略〕は、最近読んだ、牧野雅彦著『精読 アレント/全体主義の起源』についてである
. 先ず以下に、本書の index を記す
. 本書の概要を解り易くする為に、「◆→・」以下に本文の一部を引用し補足した
序 章/アレント(Arendt, Hannah(1906-75))『全体主義の起源』‥〔P.015〕
.
第一章/『全体主義の起源』以前の Arendt‥〔P.025〕
.
第二章/ユダヤ人(Jew)と国民国家 ―『全体主義の起源』第一部「反ユダヤ主義」‥〔P.041〕
. 第一節/反ユダヤ主義と全体主義‥国民国家を超えて‥〔P.042〕
. 第二節/国民国家体制の展開とユダヤ人(Jew)‥〔P.044〕
. 第三節/反ユダヤ主義の形成‥〔P.050〕
. 〔1 最初の反ユダヤ主義(東欧とプロイセン(Preussen))/2 反ユダヤ主義政党/3 AustriaとFranceの反ユダヤ主義/4「安定の黄金時代」〕
. 第四節/ユダヤ人(Jew)と社会‥〔P.059〕
. 〔1 同化と「例外ユダヤ人(Jew)」/2 例外ユダヤ人(Jew)としてのディズレイリ(Disraeli, Benjamin(1804-81))
. 3一九世紀末Parisの社交界とユダヤ人(Jew) 〕
. 第五節/ドレフュス(Dreyfus(1859-1935))事件 反ユダヤ主義の予行演習 ‥〔P.069〕
. 〔1 政治的事件としてのDreyfus事件/2 第三共和政の政治と社会/3 軍隊とCatholic協会/
. 4 モッブの登場とクレマンソー(Clemenceau)/5 ユダヤ人とDreyfus擁護派/6 Dreyfus事件の結果〕
.
第三章/帝国主義と国民国家体制の崩壊 ―『全体主義の起源』第二部「帝国主義」‥〔P.083〕
. 第一節/国民国家解体の原動力としての帝国主義‥〔P.084〕
. 〔1 国民国家と帝国/2 権力の為の権力/3 モッブ(mob)と資本の同盟〕
. 第ニ節/人種思想の起源‥〔P.096〕
. 〔1 ブ―ランヴィリエ(1658-1722) ― 支配民族としてのゲルマン人/2 ドイツの於ける人種思想/3 ゴビノ― ― 支配eliteとしての「人種」
. 4 英国に於ける人種思想と人間の権利〕
. 第三節/「Africa争奪戦」と人種主義の形成‥〔P.108〕
. 〔1 「人種」との遭遇/2 モッブ(mob)と支配装置としての「人種主義」/3 英国帝国支配の特質〕
. 第四節/大陸帝国主義と種族的nationalism‥〔P.128〕
. 〔1 種族的nationalism/2 大陸帝国主義における官僚制/3 政党の解体〕
. 第五節/国民国家体制の崩壊と「人間の権利」‥〔P.148〕
. 〔1 民族少数者問題と「無国籍者」/2 「人間の権利」と「人間の条件」〕
.
第四章/全体主義の成立 ―『全体主義の起源』第三部「全体主義」‥〔P.163〕
. 第一節/階級社会の解体‥〔P.164〕
. 〔1「mass」という現象/2 mob とeliteの一時的問題〕
. 第ニ節/‥〔P.174〕
. 〔1 全体主義propaganda/
. 2 全体主義の組織構造
. ◆→・全体主義の指導者に必要なのは、大衆的 propaganda に於ける Demagog としての能力でも官僚的組織術でもなく、多層的な運動の中心にあって構成員間の陰謀や逃走を操る才能である〔P.184〕〕
. 第三節/体制としての全体主義‥〔P.187〕
. 〔1 全体主義と国家権力/
. ◆→・「廃止しないが無視する」
. 憲法に対するこうした態度は、全体主義運動がナチ党や(Russia)共産党の綱領に対してとった態度と軌を一にするものであるが、そのことは、全体主義がその本質に於いて「運動体」であったことを示している
. 彼等は、運動そのものを規制する様な規範を忌避すると同時に、公式の国家とその機構もあくまでも運動の為の手段として利用する
. そうした態度が典型的に現れるのが、国家機構の所謂(‥表面上の政府と真の政府という様な‥)「二重化(duplication)」である〔P.189-90〕
. ◆→・全体主義運動の構造は、正常な世界との重層的な緩衝装置を通じて、運動の目標と外部世界との関係を調整する処にその本質があった
. 従って運動そのものが権力を掌握して公然化し、自ら公的体制になった時、却って正常な外部世界との距離を維持する秘密の部分が必要になると(ハンナ・)アレントはいうのである〔P.190〕〕
. 2 秘密警察/3 テロルの帰結としての強制収容所〕
.
第五章/ideologyとテロル‥〔P.211〕
. 第一節/初版結語‥〔P.212〕
. 第ニ節/「ideologyとテロル」‥〔P.215〕
. ◆→・例えばモンテスキューの体制類型論では、君主制、共和制という法に基づく統治と、法に拠らない専制とが対置され、君主制に於いては名誉、共和制に於いては徳、専制に於いては恐怖がそれを支えていた
. これに対して全体主義を支える行動原理はもはや専制の様な恐怖ではない
. ◆→・全体主義の下では恐怖は以前の如何なる時代よりも広まるだろう
. だが恐怖に拠って導かれる行動が人々の恐れる危険を避けるのにもはや役立たない時には、恐怖はその実際的な効用を失っているのである〔P.215〕
. ◆→・全体主義が破壊するものは政治的な活動領域に於ける自由に留まらない
. 全体主義は人々を「孤立(isolation)」させるだけでなく、「孤独(loneliness)」にする
. ◆→・全体主義的支配は人間が持つ最も根本的で最も絶望的な経験の一つである孤独の上に、つまり自分がこの世界に全く属していないという経験の上に成り立っているのである〔P.219〕
.
第六章/戦後世界と全体主義‥〔P.221〕
. 第一節/Stalin死後のRussia‥〔P.222〕
. ◆→・Stalinの死は〔中略〕ソ連と衛星国に危機を引き起こした
. その結果〔中略〕一つのことは確かである。
. 即ち全体主義的独裁の最も深刻な欠点の一つはこの問題の解決方法を見出すことが出来ないということである〔P.223〕
. 第ニ節/全体主義的帝国主義の問題‥〔P.230〕
. 結 語/『全体主義の起源』以降のアレント‥〔P.237〕
.
[26]牧野雅彦『精読 アレント/全体主義の起源』
.
【小生comment】
. 本書は、我々と同庚の現・広島大学教授 牧野雅彦氏(1955.11.27- )の著作
. 題目の通り、ハンナ・アーレント畢竟の代表作である『全体主義の起源』三部作〔第一部「反ユダヤ主義」・第二部「帝国主義」・第三部「全体主義」〕を精読して、読者に解り易く1冊の本として、アーレントの訳文を引用し乍ら解説してくれている
. 本書を読んだので、是迄読み始めて中断していた『全体主義の起源』第三部「全体主義」に近々 challenge するつもりだ
. 因みに『全体主義の起源』第一部「反ユダヤ主義」・第二部「帝国主義」の2冊は、《会報》2015.09.13付【0565】及び 2015.09.18付【0566】にて紹介済である
. 以下のURLを参照頂きたい
. 第一部「反ユダヤ主義」
:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/260565160830090.html
.
. 第二部「帝国主義」
:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/260566170905col.html
.〔了〕
.
■続いての話題である
. 此等については、小生も昔、見て読んだので、近日中にご紹介するヨ!
.
2015/08/14 【時習26回3-7の会 0561】~〔前略〕「今夏【2637の会】クラス会について《第10(事「DVD『ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)』を見て」
.
. 今日最後の話題は、最近みた映画のDVD『ハンナ・アーレント』についてである
. ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、1906年10月14日 ハノーファーに生まれた
. 社会民主主義者のユダヤ人家庭に育つ
. 14歳の時に読んでいたカントとヤスパースをきっかけに、哲学を学ぶことを決意
. マールブルク(Marburg)大学でハイデガーに哲学を師事するが、一時期は既婚者のハイデガーと不倫関係にあった
. その後、フライブルグ(Freiburg)大学でフッサールに、ハイデルベルク(Heidelberg)大学でヤスパースに夫々哲学を師事
. 博士論文は、ヤスパースの指導に拠る「アウグスティヌスの愛の概念」(1928年)
1929年 ギュンター・シュテルンと結婚
1933年 ゲシュタポに短期間拘束された後、Parisに亡命
ユダヤ人青少年のPalestina移住を支援する組織「ユース・アーリヤー(Youth Aliyah)」の資金調達活動に携わる
1937年 マルクス主義者ハインリッヒ・ブリュッヒャーと出会い、シュテルンと離婚後、1940年ブリュッヒャーと再婚
. 同年 Franceのギュルス(グール)強制収容所に連行されるが脱出
1941年 母マルタと夫を連れ米国へ亡命、その後、ユダヤ系ドイツ語新聞「アウフバウ(Aufbau)」にcolumnを執筆し乍ら生計を立てる
1944年 欧州ユダヤ文化復興機関で働き始める(‥のち、専任秘書)
1951年 米国国籍を取得、同年に英語に拠る「全体主義の起源」を出版、プリンストン(Princeton)大学、ハーヴァード(Harvard)大学の客員教授を経て‥
1959年 プリンストン大学初の女性専任教授に就任
1961年 カール・アドルフ・アイヒマン裁判を傍聴する為イスラエルに渡航
1963年 アイヒマン裁判のreportをザ・ニューヨーカー誌に連載し、全米で激しい論争を巻き起こす
. 同年「イェルサレムのアイヒマン‥悪の陳腐さについての報告」を単行本として出版
. 同書はホロコースト(=holocaust)研究の最重要文献の一つとなった
1963年 シカゴ(Chicago)大学教授に就任
1968年 New School for Social Research 教授に就任
1975年12月04日 心臓麻痺に拠りNew Yorkにて死去(享年69歳)
.
[27][左]映画DVD『ハンナ・アーレント』
[右]若き日のアーレント
.
. 2015/08/23【時習26回3-7の会 0562】~〔前略〕「ハンナ・アーレント著『イェルサレムのアイヒマン‥悪の陳腐さについての報告』を読んで」
.
■今日最後の話題は、前号で予告した通り、最近見た映画のDVD『ハンナ・アーレント』の主人公であるハンナ・アーレント(1906.10.14-75.12.04)の著書『イェルサレムのアイヒマン‥悪の陳腐さについての報告』についてである
. このお盆休みの一週間の空いた時間を使って一冊を読了した
. 久し振りに重苦しくなる力作を読ませて貰ったというのが正直な感想である
. 本書を半分位を読みかけた時の感想は大凡以下の通りであった
. 「法治国家」とは何ぞや?‥という疑問と官僚組織に於ける「責任の所在」の不確かさ〔←「国家行為」という概念と「上からの命令に拠る」行為という概念〕が巨悪の事象を具現化するという恐ろしさ
. これが「イェルサレムのアイヒマン」を読んでいる途中での小生の率直な感想である
. アーレントはこの本の「エピローグ」の中で、イスラエルは裁判権を持っているのか、アルゼンチンの国家主権を無視してアイヒマンを連行したのは正しかったのか、裁判そのものに正当性はあったのかなどの疑問を投げ掛けたことをはじめ、アイヒマンは決して狂人的な極悪人ではなく、Nazis政権下の官僚機構の平凡な小心者の中間管理職〔=小役人〕に過ぎなかったが故にユダヤ人の移送担当として、大量殺戮に〔積極的とは言わない迄も少なくとも、消極的でなく〕荷担したという巨悪をある意味淡々と執行したのだと述べている
. まだ本書を半分しか読めていないのでハッキリした結論めいたこと迄は言えないが、アイヒマンの様な小役人が執り行った「惡の凡庸さ」は、現代社会でも日々十分起こり得る恐ろしさを感じる
. ニュルンベルクに国際軍事裁判所を設ける為制定された憲章で3種類の裁判権を認めた
. ハンナ・アーレントは、その一つである処の国際法上に於ける「平和に対する罪」に明確な定義がないことを指摘し、ソ連によるカティンの森事件〔←=ソ連に拠る15千人のポーランド将校の殺害〕や、米国による広島・長崎への原爆投下が裁かれないことを批判している
. 所詮、戦勝国が敗戦国を裁く「勝利者が絶対的正義」という国際法上の歴史的な定めは言う迄もないことではある
. が、先述した憲章の残り二つの犯罪「戦争犯罪」と「人道に対する罪」のうちの後者 については、広島・長崎への原爆投下した米国に責任があるとアーレントが明言していることは溜飲が下がる思いがする
. そして、読了した後の感想が以下の通りである。
. 本書が、上梓され始めた(‥最初は「ザ・ニューヨーカー」に連載された始めた‥)時から、ユダヤ人から強いブーイングが起こったのである。
. 何となれば、ユダヤ人の有力者達がユダヤ人評議会をしてナチSSに協力して、少数の(資産家である)ユダヤ人をナチス・ドイツの占領区域外への脱出を認めさせる代わりに、その他の数多くのユダヤ人を「最終的解決=殺戮」に効率良く移送することに荷担したと、アーレントが述べたからである
. これについては、本書の訳者である大久保和郎(1923-75)氏も以下の様に述べている。
. ライトリンガーの『最終的解決』にも例えば「ユダヤ人評議会」の役割はかなりはっきりと述べられている〔中略〕
. (色々な関連書籍を読んだ)私(=大久保)にはどうしても、アーレントが述べている「ユダヤ人の協力」の個々の事実は信じられるものの様に思える
. 問題は恐らく、ユダヤ人のこの協力がなかったとすれば如何にも混乱や悲惨はあっただろうが、600万のユダヤ人の惨死などという事態には至らなかっただろうという、アーレントの条件法的推断にあるのだろう
. この客観的可能性について判断を下す資格は私にはない
. ただこの批判の論点に関連して私としては二つのことを付け加えて置きたい
. 一つは、「ユダヤ人の協力」の事実を挙げることでアーレントは決してアイヒマンの罪責を緩和していないということである
. 彼女は彼女の理由からこの犯罪者に極刑を要求するのだ
. その理由とは‥「『人道に対する罪』は昔からあるが、『(或る人種、或る民族、或る人間集団の存在を全体として否定すること、その存在を否定する権利が自分にあると思い上がること‥という)人類に対する罪』という全く新しい範疇の罪悪をアイヒマンは犯しているのであり、この様な犯罪者と「倶(とも)に天を戴くことは出来ない」と彼女は断定している〔中略〕
. 次に指摘して置きたいのは「彼女がユダヤ人だ」ということである〔中略〕
. 只管真実へ向かう彼女の冷徹で執拗な情熱、党派性もなく妥協もない知性の情熱であると私には思われる、と訳者は述べている
【小生comment】
. 彼女は一般大衆たるユダヤ人ではなかった。
. 彼女の大著『全体主義の起源』の第1部「反ユダヤ主義」に於いて、何故、欧州で「反ユダヤ主義」が醸成されていったのかを検証しているが、彼女は、その「反ユダヤ主義」の延長線上に「ナチに拠るユダヤ人の最終的解決〔=殺戮〕」あることを、冷徹に述べている
. ドイツの実存哲学の創始者で、彼女の師でもあるカール・ヤスパース(1883-1969)が彼女についてこう述べている
「自分は哲学者ではないと彼女(=アーレント)は言明している
. 哲学者であることはもうとっくの昔に諦めていると言うのです
. それでは一体何なのか?
. 専門は全然ない
. 何かに彼女を組み入れることは不可能だ!
. どんな団体にも、どんなクラブにも所属していない
. 完全に彼女自身であり、何事も自分の責任で行う
. そしてこの全面的な独立性は多くの著述家にはとても不気味なものに見える様に私(=Karl Jaspers)には見える
. 彼女は本来彼等の仲間ではない
. 実際彼女は、何かを思い着く、そしていつも何か新しいことを思い着かねば生きていけない、そういうtypeの人間ではない
. 欲しい儘に漂う知性とは又違った種類のあの独立性に拠って彼女は生きている
. 私の推測では、幾人かの著述家に見られる彼女への秘められた反感はそれに由来するのです〔中略〕
. この独立性には根無草の空しさもない〔中略〕
. 彼女がそれに拠って生きる根本のものは、真理への意志、真の意味に於ける人間的存在、幼年時代に迄見られる限りない誠実、そして又、逮捕(1933年)と旅券なしの国外移住の時に味わった極度の孤独の経験です〔後略〕」
. 〔‥バーゼル放送局より1965年02月24日放送の対談から‥〕
. アーレントの師 ヤスパースの言葉から、彼女の人柄が目に浮かんで来る
. そして、今度は、数日前に手に入れた、アーレント著『全体主義の起源』第1部「反ユダヤ主義」を読むこととする
.
[28][左上]本書執筆当時のハンナ・アーレント
[右上]ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』
[左下]Karl Adolf Otto Eichmann SS中佐(1906.03.19-1962.05.31)
[右下]イスラエルに逮捕された後の Eichmann
【後記】暫く、ハンナ・アーレントの作品に嵌って仕舞いそう
. その感想は、随時これからご報告していく予定です。
. 乞うご期待!^-^/
. では、また‥(了)
.
■続いての話題である
. 今日は、週一回の平日公休日
. 琵琶湖一周の walking 一人旅の第2回目
. 今回は、菅浦に一泊して「JR永原駅→菅浦→JR近江塩津駅」の約40kmを歩いて来る
.
【拙宅→豊鉄東田本線 競輪場前へ】
.
03:時15分 起床→腹筋2,000回→
04時05分 木刀の素振り50分→
05時00分 入浴→朝食→仕度→
05時35分 拙宅発→徒歩→
.
[29][左]拙宅玄関前にて
[右中] 拙宅近くの路傍の花水木の花1
[右下] 同上2
.
05時56分 競輪場前→豊鉄東田本線→
06時35分 JR豊橋駅→
.
【豊鉄東田本線競輪場前→JR豊橋駅】
.
[30][左上]豊鉄東田本線競輪場前に入線する路面電車
[右上]駅前に咲いていた花
[左下]東海道本線 JR豊橋駅 platform にて
[右下]JR豊橋駅へ入線する 新快速「大垣」行き電車
.
【JR豊橋駅→米原へ】
.
[31][左上]Google 航空 map:JR永原駅→菅浦→JR近江塩津駅への経路図
[右上]JR東海道本線「大垣」駅 platform
[左下]JR東海道本線「大垣」へ入線した「米原」行き普通電車
[右下]「大垣」駅→「米原」駅の途中駅「関ヶ原」駅 platform
.
【JR米原駅→ JR近江塩津駅ヘ】
.
[32][左上]JR東海道本線 米原駅 platform にて
[右上]JR琵琶湖線 米原駅 platform にて1
[左下]同 同上2
[中下]JR木之本駅
[右下]JR余呉駅
.
【JR近江塩津駅→JR永原駅】
.
[33][左上]JR近江塩津駅 platform にて1
[右上]同上2
[左下]JR近江塩津駅からJR永原駅へ向かう湖西線電車車窓から奥琵琶湖遠望
[中下]JR永原駅 platform にて
[右下]JR永原駅前にて
.
10時28分 北淡海・丸子船の館着
.
【JR永原駅→菅浦「佐吉」へ】
.
[34][左上]Google 航空 map:JR永原駅→菅浦「佐吉」への経路図
[右上]路傍の樹花「モクレン」
[左下]長浜市西浅井町大浦の街並
[中下]路傍の花チ「ューリップ」
[右下]北淡海・丸子船の館入口
.
【北淡海・丸子船の館】
.
[35][左上]北淡海・丸子船の館 館内にある丸子船前方横にて1
[右上]同 同上2
[左下]同 同館 leaflet〔表〕
[中下]同 同上〔裏〕
[右下]同 館内にある丸子船〔後ろ〕
.
[36][左上]北淡海・丸子船の館 館内にある丸子船後方横にて
[右上]同 大浦故郷資料館
[左下]同 外観
[中下]西浅井町大浦→同町菅浦へ向かう
[右下]赤崎丸子船 Parking〔西浅井町菅浦〕の丸子船 monument
.
【赤崎丸子船 Parking〔西浅井町菅浦〕→菅浦へ】
.
[37][左上]赤崎丸子船 Parking〔西浅井町菅浦〕琵琶湖畔にて1
[右上]同上2
[左下]赤崎丸子船 Parking から徒歩数分後の琵琶湖畔の景観
[中下]赤崎丸子船 Parking から7-8分後、琵琶湖を back に
[右下]赤崎丸子船 Parking から徒歩12-13分後の琵琶湖畔の景観
.
【赤崎丸子船 Parking〔西浅井町菅浦〕→菅浦へ】2
.
[38][左上]Google 航空 map:赤崎丸子船 Parking から徒歩二十数分後時点での現在位置から「菅浦『佐吉』」への経路図
[右上]赤崎丸子船 Parking から徒歩二十数分後の琵琶湖畔の景観
[左下]同 同所にて
[中下]同 更に1分後〔11時59分時点〕の琵琶湖畔の景観
[右下]同 更に1分後〔正午時点〕の街道の景観
.
[39][左上]12時07分時点での琵琶湖畔の景観を back に1
[右上]12時09分時点での 同上2
[左下]12時17分時点での 琵琶湖畔の景観
[中下]12時28分時点での 同上
[右下]12時45分時点での 同上
.
[40][左上]12時50分時点での琵琶湖畔の景観 桜花
[右上]Google 航空 map:12時52分時点での立ち位置から菅浦「佐吉」への経路図
[左下]12時52分時点での琵琶湖畔の景観「竹生島」1
[中下] 12時54分時点での 同上「湖上の鳰〔カイツブリ〕」
[右下] 13時02分時点での 同上「竹生島」2
.
【菅浦の湖岸集落と竹生島〔13:02〜13:10時点〕】
.
[41][左上]竹生島を back に
[左下]八重桜越しに竹生島遠望
[右上]菅浦の湖岸集落 遠望1
[右中]同 同上2
[右下]竹生島遠望
.
【菅浦の湖岸集落と竹生島〔13:11〜13:14時点〕】
.
[42][左上]八重桜と竹生島を back に
[右上]竹生島遠望1
[左下]菅浦の湖岸集落 遠望
[中下]菅浦の湖岸集落と竹生島 遠望
[右下]Google 航空 map:菅浦の湖岸集落入口から割烹「佐吉」への経路図
.
13時24分 割烹旅館「佐吉」着
.
【菅浦の湖岸集落と割烹旅館「佐吉」〔13:14〜13:38時点〕】
.
[43][左上]菅浦の湖岸集落への入口
[右上]同所から湖岸集落遠望
[左下]同所にて湖岸集落を back に
[中下]割烹旅館「佐吉」入口
[右下]割烹旅館「佐吉」2F「梅の間」
. ビールを頼んだら冷奴をサービスしてくれた
. 女将の此のおもてなしの気遣いが心にくい
.
【割烹旅館「佐吉」〔13:24〜14:28時点〕】
.
[44][左上] 割烹旅館「佐吉」2F「梅の間」:先ずはビールで乾杯!
[右上]同「同」「同」:襖には綺麗な満開の枝垂れ桜
[左下]奥琵琶湖 歴史の里 菅浦 leaflet(表)
[中下]同 同 同 同(裏)
[右下]割烹旅館「佐吉」入口にて
.
【菅浦の湖岸集落を散策】
.
[45][左上]割烹旅館「佐吉」を出発して「佐吉」の看板を back に
[右上]菅浦港の空を飛び回る鳶の群れ1
. こんなに沢山の鳶の群れを見たのは何年ぶりだろう?
. 日本の里の原風景だ
.
. 先日「此の春の時節、鳶というと飯田龍太の名句が浮かぶ」と紹介させて頂いた、其の場面其の物を今日「菅浦」で眼前に見た
. 日本🇯🇵って素晴らしい!
. 半世紀前に戻った様に錯覚した
.
. 春の鳶 寄りわかれては 高みつつ 飯田隆太
. 〔 昭和28年刊『百戸の谿』所収〕
.
[左下]同上2
[中下]菅浦港の風景1
[右下]同上2
.
[46][左上]菅浦の湖岸集落にて1
[右上]同上2
[左下]同上3
[中下]菅浦の湖岸集落風景
[右下]菅浦の湖岸集落にて4
.
[47][左上]菅浦の湖岸集落にて5
[右上]同上6
[左下]同上7
[中下]同上8
[右下]同上9
.
[48][左上]菅浦の湖岸集落の湖畔風景
[右上]菅浦の湖岸集落遠景
[左下]同 同所にて
[中下]菅浦の湖岸集落にて10
[右下]菅浦の湖岸集落風景
.
[49][左上]菅浦の湖岸集落を back に1
[右上]同上2
[左下]菅浦の湖岸集落 東の四足門にて
[中下]同 琵琶湖畔にて
[右下]同 家並
.
[50][左上]菅浦の湖岸集落 馬酔木の花の前にて
[右上]同 雨に濡れた鈴蘭の花
[左下]同 須賀神社 鳥居前にて1
[中下]同 同 同上2
[右下]同 西の四足門にて
.
[51][左上]菅浦の湖岸集落 西の四足門・神輿堂解説板にて
[右上]同 民家前の花「ライラック」
[左下]同 琵琶湖畔にて竹生島を back に1
[中下]同 同上2
[右下]同 同上3
.
[52][左上]菅浦の湖岸集落 琵琶湖畔にて竹生島を back に4
[右上]同 同上5
[左下]同 同上6
[中下]同 琵琶湖畔にて竹生島遠望1
[右下]同 同上2
.
【割烹旅館「佐吉」にて夕食】
.
[53][左上]先ずは地酒「佐吉」で乾杯!
[右上]前菜と琵琶鱒の刺身
[左下]「琵琶鱒」の刺身
. 小生、琵琶鱒を初めて食したが、魚肉は柔らかく、赤く〔= 赤いのはアスタキサンチンの色だ=〕美しい色をして、美味で栄養価も高く、大好きになった
. SNSで調べたら、いいことが書かれていた
. 以下に引用する
.
. 抗酸化作用と言えば、ビタミンEが有名ですが、アスタキサンチンはビタミンEの100倍も抗酸化作用が強いといわれます。 また、血液をさらさらにして、血管の若返りに役立つドコサヘキサエン酸(DHA)、エイコサペンタエン酸(EPA)という2つの脂肪酸も豊富です。 こうした栄養素を効果的に取り込むには、やはり生で食べること
. コメント欄に琵琶鱒の画像を添付した
.
[中下]モロコ(左)と鰻の蒲焼(右)
[右下]鰻の卵綴じ
.
【割烹旅館「佐吉」にて夕食→就寝】
.
[54][左上]割烹旅館「佐吉」の食堂
[右上]天麩羅
[左下]ご飯・味噌汁、漬物・デザート
[中下]寝室の一人寝の布団
[右下]初日の歩行距離 17.9km / 歩行歩数 23,434歩〔初日:The End!〕
.
. ※ ※ ※
.
. 二日目の2022年04月17日は、朝05時40分に宿を出た
. 朝食の 代わりに弁当を用意してくれた
. 宿を出て10分くらい経ち、須賀神社前に着き写真を撮り終えた時、「おはようございます」と宿の女将が自転車で現れた
. 曰く「地酒をお忘れですよ」とわざわざ小生を追いかけて届けて下さったのだ
. 恐縮の極みであるが「割烹旅館「佐吉」は又訪れよう」と心に誓った
.
【割烹旅館「佐吉」→菅浦の街並】
.
[55][左上]出発前に割烹旅館「佐吉」外観 同所を撮影
[右上]同 同所前にて
[左下]須賀神社前
[中下]須賀神社前の湖岸から菅浦湖岸集落遠望
[右下]同所にて菅浦湖岸集落を back に
.
【菅浦湖岸集落風景】
.
[56][左上]菅浦湖岸集落風景 ヤマブキの花
. ヤマブキ色が眩しいくらい美しかった!
[右上]同 同所にて
[左下]同 菅浦湖岸集落入口にて
左手のつづら尾展望台への道をJR近江塩津駅迄 26.1km 歩く
[中下]菅浦湖岸から竹生島遠望
[右下]葛籠尾崎大浦線の道路標識
.
【琵琶湖上に浮かぶ竹生島と菅浦湖岸集落風景】
.
[57][左上]琵琶湖上に浮かぶ竹生島1
[右上]同上2
[左下]菅浦入口から葛籠尾崎展望台に向かう道から菅浦湖岸集落遠望1
[中下]同上2
[右下]菅浦入口から葛籠尾崎展望台に向かう道から竹生島遠望1
.
【菅浦入口から程近い奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖上に浮かぶ竹生島遠望】
.
[58][左上]菅浦入口から葛籠尾崎展望台に向かう道から竹生島遠望2
[右上]同上3
[左下]同上4
[中下]同上5
[右下]同上6
.
[59][左上]Google 航空 map:菅浦入口→つづら尾崎展望台への経路図
[右上]菅浦入口から葛籠尾崎展望台に向かう奥琵琶湖パークウェイから竹生島遠望7
[左下]同上8
[中下]同上9
[右下]同上10
.
【菅浦入口から葛籠尾崎展望台に向かう奥琵琶湖パークウェイから竹生島遠望】
.
[60][左上]菅浦入口から葛籠尾崎展望台に向かう奥琵琶湖パークウェイから竹生島遠望11
[右上]同上12
[左下]同上13
[中下]同上14
[右下]同上15
.
07時41分 奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖上に架かった美しい虹
08時00分 つづら尾崎展望台着
.
【菅浦入口から葛籠尾崎展望台に向かう奥琵琶湖パークウェイから竹生島遠望2→奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望他1】
.
[61][左上]菅浦入口から葛籠尾崎展望台に向かう奥琵琶湖パークウェイから菅浦湖岸集落遠望
[右上]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖上に架かった美しい虹1
[左下]同上2
[中下]割烹旅館「佐吉」で作って貰った弁当をつづら尾崎展望台にて食す
[右下]つづら尾崎展望台を出発して間もなく〔08:19〕奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望1
.
【奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望他】
.
[62][左上]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望2
[右上]08:21時点での長浜市と08:23時点での豊橋市の気温と天候
[左下]Google 航空 map:つづら尾崎展望台→JR近江塩津駅への経路図
[中下]ピンクの桜の花弁で道路の両脇が美しく染まった奥琵琶湖パークウェイ1
[右下]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望3
.
[63][左上]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望4
[右上]同上5
[左下]ピンクの桜の花弁で道路の両脇が美しく染まった奥琵琶湖パークウェイ2
[中下]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望他6
[右下]同上7
.
[64][左上]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望8
[右上]ピンクの桜の花弁で道路の両脇が美しく染まった奥琵琶湖パークウェイ3
[左下]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望9
[中下]奥琵琶湖パークウェイの路傍の桜花
[右下]Google 航空 map:菅浦入口→つづら尾崎展望台→JR近江塩津駅への経路図
.
[65][左上]ピンクの桜の花弁で道路の両脇が美しく染まった奥琵琶湖パークウェイ4
[右上]同上5
[左下]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望10
[中下]同上11
[右下]同上12
.
[66][左上]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望13
[右上]名勝 月出峠案内図
[左下]Google 航空 map:「名勝 月出峠案内図」地点
[中下]JR近江塩津駅→競輪場前への時刻表
[右下] 奥琵琶湖パークウェイ:路傍の樹花「山法師」
.
【JR近江塩津駅】
.
[67][左上]JR近江塩津駅手前の湖西線高架橋
[右上]Google 航空 map: JR近江塩津駅手前の湖西線高架橋→JR近江塩津駅への経路図
[左下]JR近江塩津駅前にて1
[中下]同上2
[右下]JR湖西線近江塩津駅 platform にて
.
【JR米原駅→拙宅へ】
.
[68][左上]JR琵琶湖線米原駅 platform にて
[右上]JR東海道本線米原駅 platform にて
[左下]JR大垣駅→競輪場前への時刻表
. JR東海道本線米原駅→JR大垣駅への電車が遅れ、大垣駅の発車時刻が25分程遅くなった
[中下]JR東海道本線豊橋駅 platform にて
[右下]2日目の歩行距離 26.1km / 同歩行歩数 34,060歩
.
【小生 comment】
. 2日で 44km、57,494歩を歩き、充実した一泊二日の列車と walking の一人旅だった
. 2日目は、夕食時に、割烹旅館「佐吉」のご主人と話す機会があり、曰く「遊歩道は歩きにくいので、より奥琵琶湖パークウェイを歩いた方が良い」と教えてくれたのでそうしたが、正解だった様だ
. 何となれば、月出峠展望台近くで奥琵琶湖パークウェイと遊歩道が交差していたが、其処から眺めた遊歩道は、まるで獣道の様で異様に感じられたからだ
. そう言えば、前日、北淡海・丸子船の館の女性が、「遊歩道は時々熊が出るので気をつけてください、鈴を持って行った方がいいですヨ」と教えてくれたことを思い出した〔了〕
.
■続いての話題である
.
【最新の今泉美術館(^^;)の油彩画 3点】
.
[69][左上]伊藤美夏『実る頃』2001年(F3号)
[右上]同上横にて
. 此の作品は、色合いが今世界中が注目しているウクライナの国旗🇺🇦と同じで気に入っている
. 「負けるな! ウクライナ!」
《ウクライナの国旗》
[左下]阿部真樹子『野のはな』(F3号)
[中下]朝隈敏彦『清水寺』(SM)
[右下]同上横にて
. 日本画家の木版画に見えるが油彩画である
.
. 今日は、今は少し昔の 物語から、 2016/09/08 【時習26回3−7の会 0617】〜〔前略〕「矢野久美子『ハンナ・アーレント―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 ―』を読んで」をご紹介する
.
■今日の話題は、前《会報》にて予告し、この4日間で300頁余りを読に終えた、「ハンナ・アーレント著/大久保和郎・大島かおり訳『全体主義の起源3/全体主義』についてご紹したかったのであるが、本書の中身が高度で濃すぎた為、読解能力に乏しい小生はこの一週間では読破出来なかったのである
. 其処で、急遽、中公新書の「矢野久美子『ハンナ・アーレント ―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 ―』を読み、その概略についてご紹介させて戴くことに変更した
. ご容赦賜りたい
. 以下に、著者紹介、続いて本書indexを記す
. 猶、index では本書の概要を解り易くする為に、「◆→・」以下に本文の一部を引用し補足した
.
. 著者 矢野久美子(1964- )氏:東京外国語大学大学院博士後期課程修了/「ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所」で博士(学術)
. フェリス女学院大学国際交流学部教授
.
第1章/哲学と詩への目覚め 1906-33年
. Ⅰ 子供時代 ‥〔P.004〕
. 父の死と祖父の支え/ケーニヒスベルクのユダヤ人/反ユダヤ主義的風潮のなかで/
. 母の教えとその姿勢/哲学を学ぶことを決意/母の再婚と親友たち
. Ⅱ マールブルク(Marburg)とハイデルベルク(Heidelberg)での学生生活 ‥〔P.022〕
. ハイデガー(Heideggerの)とその弟子たち/
. 秘められた恋〔P.26〕
. ◆→・1925年 Arendt は18歳。Heideggerは彼女より17歳年上で妻と二人の息子がいた。〔中略〕
. Marburg(大学)の魔術師、Charisma的教師であったHeideggerの求愛を受け入れた〔中略〕
. (人口23千人の)小さな街Marburgでの二人の関係はHeideggerの妻エルフリーデの耳に入った〔中略〕
. Heideggerは『存在と時間』の執筆に集中していく
. 1926年01月、Arendtは次学期からMarburgを去ることをHeideggerに伝えた
. Marburg大学で学んだのは3学期間、即ち1年半だった/
. ヤスパース(Jaspers)のもとへ〔P.29〕
. ◆→・1926年夏学期から、Arendt は Heidelberg大学に転学する
. 1929年「Augustinusにおける愛の概念」というthemeで博士論文を発表する迄の彼女の指導を引き受けたのは Karl Jaspers だった
. 彼は、当時 Heideggerの盟友で、精神病理学専門の医学博士で、Heidelberg大学の哲学科に心理学という分野から参入、哲学に転じた
. 博士論文「アウグスティヌス(Augustinusu(354-430))における愛の概念」
. ※ 2015年09月06日付【時習26回3-7の会0564】
. ※ http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/260564150829-ci.html /
. ブルーメンフェルト(Kurt Blumenfeld(1884-1963))との出会い
. Ⅲ Nazi前夜 ‥〔P.36〕
. ギュンター・シュテルンとの結婚/Academismの枠に収まらない問題意識/
. ラーエル・ファルンハーゲンという女性/忍び寄るNaziの影
第2章/亡命の時代 1933-41年
. Ⅰ Paris ‥〔P.047〕
. 旅券なしの出国/ユダヤ人としての仕事/Parisの亡命者たち/ブリュッヒャー/
. ベンヤミン(Walter Bendix S. Benjamin(1892-1940))「ブレヒト(Brecht(18989-1956))の詩への註釈」/亡命者と友情
. Ⅱ 収容所体験とベンヤミンとの別れ ‥〔P.065〕
. 第二次世界大戦勃発/ギュルス収容所/ベンヤミンとの最後の日々/文書の壁
第3章/New Yorkのユダヤ人難民 1941-51年 ‥〔P.075〕
. Ⅰ 難民として ‥〔P.076〕
. 米国到着/生きる為の英語習得/家族夫々の苦労/論争的essayistの誕生/
. 『アウフバウ』への寄稿
. Ⅱ 人類に対する犯罪 ‥〔P.088〕
. 「アウシュヴィッツ(Auschwitz)』の衝撃/人間に拠る人間の無用化/
. パーリア(pariah(=賤民))としてのユダヤ人/ドイツの敗戦/友人たちの消息/
. 雑誌『ヴァンドルング』の創刊
. Ⅲ『全体主義の起源』‥〔P.103〕
. 成り立ちと構造/反ユダヤ主義/帝国主義/全体主義〔P.112〕
. ◆→・全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。〔中略〕
. 全ての行為は無意味になる
. 強制収容所に送られた人間は、家族・友人と引き離され、市民権を奪われた
. 自分が行ったことと見に起こることの間には何の関連性もない〔中略〕
. 行為は一切無意味になる
. Arendt はこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ
. 法的人格が破壊された後には、道徳的人格が虐殺される
. Gas室や粛清は忘却のsystem に組み込まれ、死や記憶が無名で無意味なものとなる〔中略〕
. 更には、肉体的かつ精神的あ極限状態に於いて、夫々の人間の特異性が破壊される
. 個々の人間の性格や自発性が破壊され、人間は交換可能な塊になる、とArendt は書いた
. 自発性は予測不可能な人間の能力として「全体支配の『最大の障碍』」となる
. 独裁や専制と違って、全体的支配は全てが可能であると自負し、
. 人間の本性を変え人間そのものへの全体支配を遂行した
. 「不可能なことが可能にされた時、それは罰することも赦すことも出来ない絶対の悪となった」
. のである〔P.113〕
. Arendt は全体主義下で遂行された「人類に対する犯罪」を人間の『複数性』に対する犯罪である
. と看做した〔中略〕
. Arendt は Nazism や Stalinism の終焉後も生き残り得る. .
. 「全体主義的な解決法」(複数の抹消)に対して警告を発し続けたのであった〔P.115〕
第4章/1950年代の日々 ‥〔P.117〕
. Ⅰ Europa再訪 ‥〔P.118〕
. 知識人夫々の選択/帰郷/ハイデカーとの再会/
. シュテルンベルガーとの応酬/「IdeologieとTerror」
. Ⅱ 米国での友人たち ‥〔P.130〕
. New Yorkの仲間/沖仲仕の哲学者ホッファー/「砂漠の中のoasis」
. Ⅲ『人間の条件』‥〔P.141〕
. 成立の背景/労働・仕事・活動/公的なものと社会的なもの
第5章/世界への義務 ‥〔P.153〕
. Ⅰ 米国社会 ‥〔P.154〕
. 世界疎外/リトルロック事件(Little Rock Nine/1957年/Arkansas州)/「教育の危機」
. Ⅱ レッシングをとおして ‥〔P.164〕
. 『現代政治思想の疑わしい伝統在庫品』/高まるドイツでの評価/
. レッシング賞受賞/ユダヤ人であること/政治の現代形を認識すること
. Ⅲ アイヒマン(Eichmann)論争 ‥〔P.180〕
. アイヒマン裁判/『JerusalemのEichmann(Karl Adolf(1906-62))』
. ※ 2015年08月23日付【時習26回3-7の会0562】
. ※ http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/26-056208152637.html /
. 友人たちのと絶縁
第6章/思考と政治 ‥〔P.191〕
. Ⅰ「論争」以後 ‥〔P.192〕
. 避難の嵐のなかで/彼女を支持した人びと/ヤスパースに拠る励まし/
. さらなる理解の為に/「独裁制のもとでの個人の責任」/ラジオ・テレビへの出演
. Ⅱ 暗い時代 ‥〔P.205〕
. ケネディ(Kennedy(John F.(1917-63)))とロンカッリの死/真理と政治/死者との交わり
. Ⅲ「はじまり」を残して ‥〔P.217〕
. 精神の生活/満足を与える生き方/思考と活動
.
[70]矢野久美子『ハンナ・アーレント ―「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 ―』
.
【小生comment】
. 本書は、20世紀を代表する政治哲学者 Hannah Arendt の生涯とその主要著作について、非常に簡潔に解り易く説明してくれている
. 著者 矢野氏が あとがき で次の様に述べている
. 「2012年には、ドイツのマルガレ―テ・フォン・トロック監督に拠る映画『ハンナ・アーレント』が公開され、2013年には日本でも大きな注目を集めた
. Arendt の著書は殆ど日本語に翻訳されているが、難解なtextが広範な読者を得ているとは言い難い
. 映画公開迄 Arendt の名を知る人はそれ程多くなかっただろう
. 処が、Eichmann 論争と思考する女性に焦点を絞ったこの映画は、多くの人々の共感を得たのである
. この映画の力に率直に感銘すると共に、研究者の端くれとして、自分は Arendt の言葉と人々との橋渡しが出来ているのだろうか、と責任を感じる」
. 小生も、この映画を見て、Arendt の著作に興味を持ち、初めて読み出した一人である
. Arendtが、Franceから脱出し、当時中立国だったPortugalの首都Lisbonから米国へ脱出する処など、場所こそ違え、映画『カサブランカ』を彷彿とさせる
. 収容所から偽の証明書で脱出し、visaを取得して無事米国へ脱出出来る処など、彼女の実力と運の強さを実感させられる。
. 『全体主義の起源』をはじめとする名著の数々は米国時代に書かれたものが多い
. これも彼女に定められた運命が齎した所産であると言っていい
. 最後に本書の「まえがき」で矢野氏が Arendt の略歴について紹介しているので、一部を引用してお伝えする
. 著者 Hannah Arendt は20世紀を代表する政治哲学者
. 彼女は1906年ドイツの中流のユダヤ人家庭に生まれ、1975年New Yorkで渉外を終えた
. 少女時代から文学や哲学に親しみ、大学では哲学を専攻
. 師は、一時期恋愛関係にもなったMargin Heidegger(1889-1976)、続いて彼女の博士論文を教授したKarl Theodor Jaspers(1883-1969)の二人
. 1933年Nazi 支配下のドイツからParisへと亡命し、其処でユダヤ人の青少年やドイツ占領地域からの避難民の救出に携わった
. 第二次世界大戦勃発後には数ヶ月間Franceの収容所に送られたが脱出し、米国へ渡る
. 以後、時事問題や政治的・哲学的問題につちえ書き続けた
. 1951年『全体主義の起源』、1958年『人間の条件』、1963年『革命について』・『Jerusalemのアイヒマン』等が代表作
. 彼女の文章は、明晰な頭脳に裏打ちされた論理展開が極めて高度な為、決して平明ではないが、凄く勉強になる
. 次回《会報》で『パーリアとしてのユダヤ人』、次いで『全体主義の起源/第三部 全体主義』、『人間の条件』の順でご紹介したいと思っている(了)
.
■続いても、今は少し昔の 物語から、2015/09/06【時習26回3-7の会0564】~〔前略〕「ハンナ・アーレント著『アウグスティヌスの愛の概念』を読んで」についてである
.
■其れは、ハンナ・アーレント著『アウグスティヌスの愛の概念』についてである
.
. 本文は単行本sizeで「はじめに」「第一章/「欲求としての愛」「第二章/「創造者」と「被造者」」「第三章/「社会生活」」から成る
. 第一章は、1節「欲求」の基本構造/ 2節「愛」と「欲望」/ 3節「秩序づけられた愛」
. 第二章は、1節「被造者」の起源としての創造者/ 2節「愛」と「欲望」/ 3節「隣人愛」/第二章の付論
. 第三章は、細節なし
. 多分、キリスト教の「隣人愛」かなんかについての論文だろう、と読み出した
. が、キリスト教について相応の基礎知識がないと極めて解り難い
. 其処で、本書の訳者千葉眞氏の「訳者解説」の力を借りた
. 氏が言及している本書が書かれたアーレントの動機・背景が大変興味深い
. 以下、小生なりに出来るだけ解り易く記してみたい
.
[71]ハンナ・アーレント著『アウグスティヌスの愛の概念』
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
【1 本書の概要】
. 「第一章」の主題は、プラトン(427B.C.-347B.C.)の「愛(エロース)」の教説やアリストテレス(384B.C.-322B.C.)の「欲望(オレクシス)」の概念に起源を有し、アウグスティヌス(354-430)の幸福論的人間論にも根強い影響を与えた「欲求としての愛(アモール)」である
. アーレントの指摘に拠れば、愛の問題は、此処では「善きもの」への絶えざる「欲求」の連鎖、並びに一旦所有したものを喪失することへの不断の恐れという形で表れる〔中略〕(P.230)
. 又アーレントは、絶対的未来(=永遠)に於いて「生」がそれ自身、追求されるべき「善きもの」になり、全ての恐れが取り除かれて、「至福の生」に固有の「安らぎ」が与えられる〔中略〕
. 「その場合、「善きもの」とは、真なる「生」として、乃ち「存在」と同一である「生」として、つまり、永続性を持つ「生」として、永遠の内に投影される(P.20-21)」(P.231)
. 此処から二つの「愛」が導き出される。一つは、その追求を絶えず欺く、誤った対象に向けられる「愛」である
. それは消えゆくものとしての現世に固執する誤った「愛(アモール)」としての「欲望(クビディタス)」であり、いま一つは、神と永遠を追求する正しい「愛(アモール)」としての「愛(カリタス)」である(P.24)
. アウグスティヌスは、〔中略〕本来の自己の喪失の中に生きざるを得ない現世に執着する「生」に対して、「自己探求」〔中略〕を対峙させた
. この「自己探求」の過程で、人間は「自己発見」が「神発見」と同一であることを理解する様になる〔中略〕(P.232)
. 「人間は、絶対的未来から到来して、世界の外に自らを位置づけ、そして世界を秩序づける
. 人間は、世界の中に生きる者として、「秩序づけられた愛(ディレクティオ)」を有する。要するに人間は、恰も世界に存在しないかの如くに、世界に秩序を与える者の如くに、世界を愛するのである(P.54)」(P.233)
. 「第二章」は、「創造者」と「被造者」の関係の中で愛の問題を考察し直そうとする試みである(P.234)〔中略〕
. 「第三章」の「社会生活」の議論は、結局の処二つのテーゼ(These)の並置で終わっていると見ることもできよう
. 第一のTheseは、Adamを共通の始祖として持つ人類の共同性は、共通の運命である「出生によって」歴史的にのみ基礎づけられるというものである
. 人々は運命共同体に帰属する存在者として、生と死、愛と危険を共有し、実際的な相互の遣り取りを通じて、相互に愛すること、相互に助け合うことを学ぶのである
. 第二のTheseは、しかしそれにも拘らず、この相互愛に於いてすら、人々の間には距離と間接性とが依然として残るのだと主張する
. 〔中略〕各人は、決定的な場面ではいつも全き単独性のうちに自らの「生」の態度を厳粛に決めていかねばならない
. その意味で「隣人愛」にはある種の距離感と間接性が最後迄ついて回り、其処には「隣人愛」の無世界的(=超越的)な次元が示唆されている
. 乃ち、人間とは誰しも、「世界への愛」に生き乍らも、世界の中に存在するが、全面的に世界に帰属することはない存在者ということになろう(P.240)
.
【2 本書の主題】
. 若きアーレントの博士論文は、形式的には「アウグスティヌスの愛の概念」に関する多面的な考察と評価を目的としている
. しかし、我々は、本書が、彼女の後の政治哲学の展開に於いてどの様な役割を果たし、どの様な位置づけを有するかを問いたいと思う(P.240)〔中略〕
. 自己にとっての隣人の有意性及び自己の世界との関連性を探ろうとする本書は、社会に於ける共同生活、世界への適切な参与を可能にする自己と隣人の存在論的論拠を探求する試みである
. 本書に於いて繰り返し立ち戻ることになる「私が私自身にとって問題となった(Quaestio mihi factus sum)」というアウグスティヌスの一節こそ、こうした彼女の実存主義的な哲学的求道の合言葉となっている
. この問題的存在としての自己の吟味と探求は、古代世界と中世世界との境目の多難な時代に生きたアウグスティヌスと20世紀最大の政治的苦境に立ち会った政治哲学者アーレントとをきり結ぶ一本の赤い糸である(P.241)
.
【小生comment】
. 読むのに無茶苦茶難しい本であった。(^^;;
. 「訳者解説」では、上記に続き【3 世界への愛‥世界への弁証法的姿勢】【4 英語版の出版(1996年)とその意義】もあったが、volumeが嵩むので割愛する
. 訳者千葉氏が、【2 本書の主題】の中で、アーレントが何故博士論文の Theme としてアウグスティヌスを取り上げたのかについて、二つの理由を上げている
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
. 第一は、ユダヤ人としての identity の在り方を、隣人若しくは世界との関連でどの様に構成していくべきかという問題
. 彼女の共同性の存在論の探求の背後には、故郷喪失のユダヤ人としての原体験が伏在していると見るべき
. アーレントは、一面、ユダヤ人の出自から来る無世界と世界疎外の危機の中で、共同性の存在論を探求することに拠って、世界への基本的姿勢並びに世界に於ける自己と隣人との共同性の在り方を模索したと推察出来よう
. 第二は、Marburg大学でのM. ハイデガーとの出逢いである〔中略〕
. アーレントは、Marburg時代にM. ハイデガーを学問上の師としただけでなく、彼と恋仲の関係にもあったことが、明らかにされている
. 一つの憶測でしかないが、アーレントがアウグスティヌスを媒介にして、隣人の有意性、「欲求としての愛(アモール)」、愛と孤独、欲求と不安、無世界性と「世界への愛」といった問題に関心を寄せたのは、彼女自身がこれ等の問題を、ハイデガーとの恋愛関係を通じて、実存的に感得し経験していたからではなかっただろうか
. アーレントは1924年の晩秋にMarburg大学に入学したが、直ぐにハイデガー哲学の「情熱的思考」に魅了されて仕舞った。それは彼女が18歳の時であった
. ハイデガーとの秘密裏の恋愛関係は、1924年末から翌年の25年に至る迄が peak であったとされる
. ハイデガーは、1928年の早い時期に、自分の地位や名声を傷つけかねないこの risk を伴った逢引に終止符を打とうと決意した
. これに対してアーレントは、別離の要求を超然として受け容れようとしつつも、揺れ続け、絶望の淵から、「もしも貴方への愛を失うなら、私は権利を失うでしょう」と、愛の継続を求める懇願の手紙を書いている
. アーレントは、1925年にはFreiburgでE.フッサールに、そして後にはHeidelbergでK.ヤスパースに就いている
. そしてアーレントはギュンター・シュテルンと1929年に結婚している
. いずれにせよ、18~19歳という多感な年代に、アーレントはハイデガーとの熱烈な恋愛関係の中に、束の間の幸運感と高揚感、魅惑と興奮を覚え乍らも、幸福な実りを期待し得ない恋愛、成就し得ない愛を経験した
. これは、彼女にとって一種の「疎外」の体験でもあった。
. アーレントは、Marburgでの一年の学びの過程で、人目を忍ぶ逢瀬に纏わる体験を幾つかの詩や「影」という題名の作品に書き留めている〔中略〕
. 異なった視点からみれば、アーレントはこうしたハイデガーとの恋愛関係を、アウグスティヌスの言語世界の用語を使用することに拠って、「欲求(appetitus)」としての「愛(amor)」、「欲望(cupiditas)」として把握し、「欲望」の一時性と自己中心性、無際限性と空虚性、又それにも拘らず現世に生きる人間にとってのその切実さと魅惑について、内省的に確認しようとしているかの如くである
.
. 「所有し保持したいという「欲求」から、失うことへの恐れが生じる。所有した瞬間、欲求は恐れへと転換する。欲求が「善きもの」の」を渇望すればする程、恐れは益々「悪しきもの」を恐るのである。‥「欲望」は「私の外に」あるものを追求するが故に、その「権能」の及ぶ範囲にはない。‥人間が自分の支配下にないもの、つまり、「自らの意志に反して失う可能性のある」ものを追求する場合、「生」はそれに従属することになり、その結果、「自立性」が奪われることになる」(P.15/P.26-27)
.
. これは恰も「アウグスティヌスの愛の概念」を梃子として、それを一種の哲学的物語として語ることに拠って、砂漠の体験、悲しみの体験を耐えられる経験へと作り変え様とする試みではなかっただろうか
. 過度の主観的解釈は断じて避けねばならないが、この様な解釈に引き寄せられる何者かが此処にある様に思われてならない〔後略〕
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
. 上記※印で挟まれた処が、「訳者解説」からの引用である
. 訳者が上記で述べた comment は含蓄あるものとして共感出来る
. 「愛」には、「愛(=アモール(amor))=「自己愛」と「愛(=カリタス(caritas))」=「隣人愛」がある
. しかも通常は「ある=存在」だけでなく、同時に所有しているのが一般的である
. 処が、人間厄介なのは、「欲求としての愛(Amor qua appetitus)」に転化した「愛(=アモール(amor))と「愛(=カリタス(caritas))」とが ambivalent(アンビヴァレント(=相反する感情を同時に持つ))になることが少なくないのである
. アーレントの様な超弩級の秀才を彼女に持つ男は、ハイデガーの様にこちらも知の巨人でないと務まらない‥なんだろうナ‥〔了〕
.
【後記】長い《会報》も此の話題で最後である
.
【孫娘と Piano 発表会】
.
. 数日前(2022/04/17(日))の話になるが、長男の長女(小学4年生)の Piano 発表会が江南市民文化会館ホールであり、聴きに行って来た長男一家も元気で何よりだった〔写真はいずれも江南市民文化会館にて撮影〕
.
[72][上]長男一家
[左下]演奏会の看板横にて孫娘
[中下]Piano 演奏中の孫娘〔長男の長女〕
[右下]孫娘と
.
. では、また‥(了)
*
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