■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0860】号をお届けします。
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第78回/員外~第761句~770句〕」をご紹介する。
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761 露(つゆ)しぐれ歩鵜(かちう)(注1)に出(いづ)る暮(くれ)かけて 兮
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【意】秋の夕暮れ、川では鵜舟を使わずに浅瀬を歩いて行う鵜飼(=鮎漁)が始まる / 夕暮れの露に濡れ乍ら川縁(べり)を歩いていく鵜匠
【解説】《名残表九》《秋》:露しぐれ / 前句の酒桶を洗う川辺を、上流へ向かうのだろう
(注1)歩鵜(かちう):舟を使わないでする鵜飼
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762 うれしとしのぶ不破(ふは)の萬作(まんさく)(注1) 人
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【意】前句の鵜匠は、変装した高貴な人物で、其れを萬作が嬉しく待ち受ける場面
【解説】《名残表十》《雑》《恋》:しのぶ・不破の萬作 /
(注1)不破の萬作:関白秀次の小姓で、秀次の男色の相手と云われる / 尾張国の人 / 1594(文禄三)年 秀次の自刃の時に殉死 / 萬作と名古屋山三郎をモデルとする不破物は、浄瑠璃の人気演目
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763 かしこまる諫(いさめ)に涙(なみだ)こぼすらし 水
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【意】畏れ乍らと、萬作が諌言申し上げると、真心が通じて主君は涙を溢(こぼ)して悔悟の様子だ / 萬作は其れが又嬉しく主君への忍びの恋心を一層深める
【解説】《名残表十一》《雑》《恋》:涙 /
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764 火箸(ひばし)のはねて手(て)のあつき也(なり) 兮
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【意】恰も火箸が跳ねて、手に火傷をした様な心持ちなのだろう / 火傷は恋の火遊びの結果という見方も‥
【解説】《名残表十二》《雑》/
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765 かくすもの見(み)せよと人(ひと)の立(たち)かゝり 人
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【意】此方が慌てて隠そうとするものを、火鉢の向こう側に居た人間が、立ち上がり奪い取ろうとする
// 火遊びには秘密がつきもの / 其れを周囲の者は野次馬根性で見たがって集まって来る、といつ解釈も出来る
【解説】《名残裏一》《雑》 /
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766 水(みづ)せきとめて池(いけ)のかへどり(注1) 水
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【意】池に流入する水を止めて替取りをしている / 干し上がった池の中で、〔‥前句の意味を踏まえ‥〕魚を獲っている人々うちの一人が、何か貴重な物を拾った様子で懐に隠したので、皆が一斉に集まって来たのである
【解説】《名残裏二》《雑》 /
(注1)かへどり:替取 / 水を干して魚を獲ること / かいどり
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767 花(はな)ざかり都(みやこ)もいまだ定(さだま)らず 兮
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【意】今年は、春の訪れが遅く、寒暖定まらぬ有様で、桜の盛りもまだいつだとも分からない /
【解説】《名残裏三》《春》:花ざかり / 前句を、農耕に取り掛かる迄の春先の頃と定め、暇ある間に池の替取をしている、とした
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768 捨(すて)て春(はる)ふる奉加帳(ほうがちゃう)(注1)なり 人
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【意】都の花盛りが定まらぬ気づかわしさに、人々の心も定まらない / 折角の勧進に奉加に記帳する人もいない
【解説】《名残裏四》《春》:春ふる /
(注1)奉加帳:寺院に寄付する財物の目録や氏名を記入する帳面 / 寺院に寄付を奉納させることを勧進という
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769 墨(すみ)ぞめは正月(しゃうぐわつ)ごとにわすれつゝ 水
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【意】いつの日にかは法体隠居して墨染の衣を纏い、自ら堂塔建立の勧化(かんげ(=仏の教えを勧めること))と願っているのだが、毎年、正月(=春)を迎える度に、其の目出度さに流されて出家の素願を遂げぬ儘、歳月が経って仕舞った
【解説】《名残裏五》《春》:正月 / 前句の「春ふる」を幾年も過ぎたと長い時間に会して転じた
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770 大根(だいこ(ん))(注1)きざみて干(ほす)にいそがし 兮
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【意】(‥前句の「正月」を踏まえ‥)正月を前に切干大根を作る作業に追われて、今年も遁世の宿願を果たさず終わって仕舞った
【解説】《挙句》《雑》: / 冬に、大根を紐状に切り、日に晒して乾物にした大根を「切干大根」という
(注1)大根:干大根・干蕪等は非季の詞(毛吹草) / 切干大根は、尾張国の名物(同) /
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【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第79回 / 員外~第771句~780句〕をご紹介する。お楽しみに!
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■今日続いての話題は、04月18日(日)に、旧東海道五十三次「JR磐田駅」→「遠江国分寺阯」→「遠江国府宮・府八幡宮」→「阿多古山一里塚跡(南塚)」→「許禰神社」→「木原一里塚(跡)」→「袋井宿」→「久津部一里塚跡」→「JR愛野駅」を巡って来たことについてである
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. 其の(04月18)日は、旧東海道五十三次「JR磐田駅」→「遠江国分寺阯」→「遠江国府宮・府八幡宮」→「阿多古山一里塚跡(南塚)」→「許禰(こね)神社」→「木原一里塚跡」→「袋井宿」→「久津部一里塚跡」→「JR愛野駅」→「JR袋井駅」を巡って来た
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04時00分 起床→腹筋2,000回
04時50分 2.5kg木刀素振り60分
05時50分 入浴→朝食
07時18分 拙宅発→一般道 60分 60km→
08時18分 JR袋井駅近隣駐車場着
08時42分 JR袋井駅→東海道本線〔料金200円〕→
08時50分 JR磐田駅着→
08時57分 同所発→徒歩→
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【JR袋井駅→ JR磐田駅】
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[01][左上]JR袋井駅 駅前にて1
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[右上]同 同上2
[左下]同 改札口
[中下]同 platform にて
[右下]Google 航空 map JR磐田駅→旧東海道五十三次「阿多古山一里塚跡」
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【JR磐田駅→遠江国分寺跡】
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[02][左上]JR磐田駅にある遠江国分寺七重塔模型
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[右上]同所にある遠江国分寺跡への案内看板
[左下]JR磐田駅前にて
[中下]遠江国分寺跡への案内看板
[右下]遠江国分寺阯記念碑にて
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09時12分 遠江国分寺阯着
09時33分 府八幡宮着
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【遠江国分寺跡→府八幡宮】
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[03][左上]遠江国分寺跡解説板横にて
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[右上]遠江国分寺跡 同所にて
[左下]同 同所風景
[中下]遠江国府宮 府八幡宮 案内看板
[右下]府八幡宮 楼門前にて1
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【府八幡宮】
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[04][左上]府八幡宮 楼門前にて2
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[右上]同 中門・拝殿
[左下]同 拝殿前にて
[中下]同 御守(左上)・御朱印(左下)・府八幡宮leaflet
[右下]同 築地塀
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09時52分 府八幡宮発→
09時33分 阿多古山一里塚跡着
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【府八幡宮→阿多古山一里塚跡(南塚)】
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[05][左上]府八幡宮 築地塀に
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[右上]見付宿 看板前にて
[左下]同 歌川広重 東海道五十三次「見付」
[中下]同 見付の文化財 案内看板
[右下]阿多古山一里塚跡 同所にて1
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【阿多古山一里塚跡(南塚)】
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[06][左上]阿多古山一里塚跡 同所にて2
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[右上]同 同所にて2
[左下]同 同所にて3
[中下]愛宕神社 本殿にて1
[右下]同 同上2
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10時48分 見付宿「東木戸」着
11時05分 旧東海道「行人坂」着
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【見付宿「東木戸」・旧東海道「行人坂」・道標「是より東 大久保・従是西 見付宿」】
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[07][左上]見付宿「東木戸」風 monument 解説板
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[右上]同「同」同所にて
[左下]旧東海道街並〔西貝塚〕風景「行人坂」
[中下]同〔同〕同所にて
[右下]同〔磐田市岩井〕道標「是より東 大久保・従是西 見付宿」にて
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【旧東海道街並〔磐田市岩井・西貝塚〕風景】
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[08][左上]旧東海道街並〔磐田市岩井〕風景
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[右上]同〔同〕同所にて
[左下]同〔同〕「鍋島公陣屋」「大久保坂」にて
[中下]同〔磐田市西貝塚〕同所にて
[右下]同〔磐田市岩井〕風景2
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【旧東海道街並〔磐田市三ケ野〕風景】
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[09][左上]旧東海道街並〔磐田市三ケ野〕同所にて1
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[右上]同〔同〕風景1
[左下]同〔同〕同所にて2
[中下]同〔同〕風景2
[右下]同〔同〕風景3
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12時16分 史跡「木原」解説板着
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【旧東海道街並〔磐田市三ケ野・木原〕風景】
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[10][左上]旧東海道街並〔磐田市三ケ野〕同所にて3
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[右上]同〔同〕風景4「太田川」欄干
[左下]同〔袋井市木原〕風景1
[中下]同〔同〕史跡「木原」解説版
[右下]同〔同〕同所にて
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12時20分 許禰神社着
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【旧東海道街並〔磐田市木原・許禰神社〕風景】1
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[11][左上]旧東海道街並〔磐田市木原「許禰神社」〕史跡「木原畷」解説板
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[右上]同〔同〕鳥居・社殿をbackに参道にて
[左下]同〔同〕境内脇にある「徳川家康公腰掛石」にて
[中下]同〔同〕同「同」
[右下]同〔同〕鳥居・社殿を back に
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【旧東海道街並〔磐田市木原・許禰神社〕風景】2(完)
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[12][左上]旧東海道街並〔磐田市木原「許禰神社」〕社殿を back に
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[右上]同〔同〕社殿前にて
[左下]同〔同〕社殿に掲示されていた許禰神社「由緒沿革」
[中下]同〔同〕社殿奥の本殿を望む
[右下]同〔同〕境内の楠の大木
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【旧東海道街並〔磐田市木原・許禰神社・木原一里塚〕風景】
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[13][左上]旧東海道街並〔磐田市木原「許禰神社」〕許禰神社由緒解説
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[右上]同〔同〕同所にて
[左下]同〔磐田市木原「木原一里塚」〕同所にて1
[中下]同〔同〕解説碑
[右下]同〔同〕同所にて2
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【旧東海道街並〔磐田市木原「木原一里塚跡」〕&「袋井宿」〔袋井市川井〕風景】
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[14][左上]旧東海道街並〔磐田市木原「木原一里塚跡」〕同所にて
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[右上]Google 航空map 旧東海道「木原一里塚跡」→同「久津部一里塚跡」への経路
[左下]旧東海道街並〔「袋井宿」:袋井市川井/道標「木原松橋」〕風景
[中下]同〔袋井市川井〕風景「宇刈川」に係る袋井橋欄干
[右下]同〔同〕同所にて
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【旧東海道街並〔袋井市国本・広岡〕風景】1
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[15][左上]旧東海道街並〔袋井市国本〕風景1:道標「袋井市・東新屋(ひがしあらや)」にて
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[右上]同〔袋井市広岡〕風景1 旧東海道沿いある「広重/【隷書】東海道五十三次「袋井」」看板
[左下]同〔同〕同看板 同所にて
[中下]同〔同〕旧東海道 同所にて1
[右下]同〔同〕同 同所にて2
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【旧東海道街並〔袋井市国本・広岡〕風景】2(完)
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[16][左上]旧東海道街並〔袋井市国本〕風景2 旧東海道同所にて
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[右上]同〔袋井市広岡〕風景2 同 同所にて1
[左下]同〔同〕同3 同所にて2
[中下]同〔同〕同4 同所にて3
[右下]同〔袋井市国本〕風景3 旧東海道沿いある「広重&豊国/【双筆】東海道五十三次「袋井」」看板
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【旧東海道街並〔袋井市国本〕風景】1
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[17][左上]旧東海道街並〔袋井市国本〕風景4 旧東海道同所にて2
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[右上]同〔同〕同5 同所にて3
[左下]同〔同〕同6 同所にて4
[中下]同〔同〕同 風景7
[右下]同〔同〕同 風景8
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【旧東海道街並〔袋井市国本〕風景】2(完)
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[18][左上]旧東海道街並〔袋井市国本〕風景9 旧東海道同所にて5
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[右上]同〔同〕風景10 同所にて6
[左下]同〔同〕風景11 同所にて7
[中下]同〔同〕風景12 路傍の菖蒲(あやめ)
[右下]同〔同〕風景13 同所にて8
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【旧東海道街並〔袋井市広岡・袋井東小学校「旧東海道久津部一里塚跡」〕風景】1
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[19][左上] 旧東海道街並〔袋井市広岡〕風景5 袋井東小学校にある同「久津部一里塚跡」にて1
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[右上]同〔同〕風景6 同所にて2
[左下]同〔同〕風景7「久津部一里塚」解説板にて
[中下]同〔同〕風景8「久津部一里塚」解説板
[右下]同〔同〕風景9「久津部一里塚跡碑」解説板
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【旧東海道街並〔袋井市広岡・袋井東小学校「旧東海道久津部一里塚跡」〕風景】2(完)
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[20][左上]旧東海道街並〔袋井市広岡〕風景10 袋井東小学校にある「久津部一里塚跡」にて3
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[右上]Google 航空 map「久津部一里塚跡」→「JR愛野駅」への経路
[左下]旧東海道街並〔袋井市広岡〕風景11 旧東海道松並木
[中下]同〔同〕風景12 同所にて
[右下]同〔同〕風景13 旧東海道松並木
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16時55分 JR愛野駅着
17時10分 同駅発→東海道本線→
17時22分 JR袋井駅着〔料金190円〕
17時30分 同駅北口発→徒歩→
17時47分 同駅近隣駐車場発→一般道→70分
60km→
18時57分 帰宅〔走行距離計120km/
walking 踏破距離21km 27,511歩〕
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【JR愛野駅→JR袋井駅】
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[21][左上]JR愛野駅 同駅前にて
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[右上]同 platform にて
[左下]JR袋井駅南口「旧静岡鉄道 駿遠線始発駅あと」標識横にて
[中下]同 南口駅前にて
[右下]今日一日の walking 踏破距離
21km/歩数27,511歩
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. 今日は、天気は良かったが、春特有の強風に煽られ、自撮りのスマホカメラが3回程1m下の地面に落ちたりしたで、故障が心配だったが、大丈夫で一安心した
. 次回は、JR愛野駅→旧東海道「久津部一里塚跡」東方500m地点(日本紙工業(株)袋井工場南T字路)→「掛川宿」他を巡って来たい〔了〕
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■続いては、04月13日(火)に、名古屋市美術館「ランス美術館コレクション/風景画のはじまり・コローから印象派へ」→「松坂屋美術館「第76回 春の院展」→らあめん専門店「陣屋」→ 桑山美術館「墨色の語らい展」を巡って来た模様についてお伝えする
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. 此の日は、週一回の平日公休日
. 3つの美術館と月に一回の歯科健診にマイカーで行って来たので、其の模様についてお伝えする
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04時30分 起床→腹筋2,000回
05時20分 2.5kg木刀素振り50分
06時10分 入浴→朝食→
07時10分 拙宅発→一般道2時間37分 80km →
09時45分 白川公園周辺駐車場着
09時53分 名古屋市美術館着
10時38分 白川公園周辺駐車場発→一般道10分 1㎞/81㎞→
10時55分 エンゼルパーク駐車場着
11時00分 松坂屋美術館着
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【名古屋市美術館「ランス美術館コレクション/風景画のはじまり・コローから印象派へ」】
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[22][左上]名古屋市美術館 同館前にて1
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[右上]同 同上2
[左下]同 同館内企画展入口にて
[右下]同 本企画展 leaflet
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[23][左上]アシル=エトナ・ミシャロン(1796-1822)「水車小屋のある風景」1814-16年
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[右上]ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875)「春、柳の樹々」制作年不詳
[左下]同「岸辺の小舟に乗る漁師」1860-65年
[右下]同「湖畔の木々の下のふたりの姉妹」1865-70年
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. 矢張りコローは素晴らしい画家である!
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[24][左上]ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875)「柳の近く、小舟で漁をする人々」1870-73年
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[右上]同「ワニヨンヴィルの森の小道」1871年
[左下]ウジェーヌ・ブーダン(1824-98)「水飲み場の牛の群れ」1880-95年
[右下]スタニスラス・レピーヌ(1835-92)「マルヌ川の眺め」1878-82年頃
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, 展示作品数は多くはなかったが、印象派の代表的画家達、ルノワール、ピサロ、モネ、シスレーの作品も展示されていた
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[25][左上]ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)「風景」1890年頃
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[右上]カミーユ・ピサロ(1830-1903)「ルーヴル美術館」1902年
[左下]クロード・モネ(1840-1926)「べリールの岩礁」1886年
[右下]アルフレッド・シスレー(1839-99)「カーディフの停泊地」1897年
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【松坂屋美術館「第76回 春の院展」】
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[26][左上]松坂屋美術館「第76回 春の院展」入口にて1
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[右上]同「同」同上2
[左下]同「同」本展leaflet/絵は【同人】清水由朗「葡萄」2021年
[中下]【同人】田渕俊夫「夕月」2021年
[右下]【同人】那波多目功一「宵に咲く」2021年4月13日
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[27][左上]【同人】西田俊英「聖花」2021年
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[右上]【同人】高橋天山「吉祥天女」2021年
[左下]【同人】吉村誠司「白秋」2021年
[右下]【同人】倉島重友「春の郷」2021年
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[28][左上]【同人】小田野尚之「昼さがり」2021年
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[右上]【同人】高島圭史「きいろいひと」2021年
[左下]〔無鑑査〕【春季展賞〔郁夫賞〕】吉村佳洋「序奏」2021年
[右下]〔無鑑査〕【春季展賞】永吉秀司「彼岸の雫」2021年
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11時50分 エンゼルパーク駐車場発→一般道 15分 6km/87km→
12時05分 らあめん専門店「陣屋」近隣駐車場着
12時45分 同所発→一般道 20分 7㎞/94㎞→
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【らあめん専門店「陣屋」】
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[29][左]らあめん専門店「陣屋」入口にて
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[右上] オズモール入口 モニュメントの下で
[右中]同「同」薬味勢揃い
[右下]同「同」小生の超定番「味噌チャーシュー麵」〔但し、今回は大盛りにしてみた〕
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13時05分 桑山美術館駐車場着
13時53分 同所発→一般道7.2km/101km
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【桑山美術館「墨色の語らい展」】1
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[30][左]桑山美術館 同所入口門にて1
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[右上]同 同上2
[右中]同 同所一口門から同館入口への小径にて
[右下]本企画展leaflet
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【桑山美術館「茶室」前にて】
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[31][左上]桑山美術館「茶室」同所前にて1
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[右上]同「同」同上2
[左下]同 邸内庭の桑山誠清一像横にて
[中下]同「茶室」縁側にて1
[右下]同「同」同上2
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【桑山美術館「墨色の語らい展」】2
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. 以下にご紹介した本企画展展示作品は、postcards 等から接写したものだが、いずれも気品ある傑作ばかりだ
. 当美術館創設者の桑山清一氏の審美眼の確かさに舌を巻く
. 美術館中庭に建てられた茶室を一緒にご紹介するが、洗練された茶室と気品ある水墨画が小気味良く観る者(小生)の琴線に触れた
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[32][左上]横山大観(1868-1958)「杜鵑(ホトトギス)」1948年頃
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[右上]竹内栖鳳(1864-1942)「水墨山水」1934年
[左下]川合玉堂(1873-1957)「松山懸瀑図」1928年頃
[右下]下村観山(1873-1930)「蜆子」1921年頃
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[33][左上]入江波光(1887-1948)「若竹と子雀」1945年頃
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[右上]橋本関雪(1883-1945)「月下狸之図」1935年頃
[左下]前田青邨(1885-1977)「春暖」制作年不詳
[右下]川端龍子(1885-1966)「牡丹華」1937年
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13時53分 桑山美術館発→一般道20分
7km
14時13分 N歯科医院駐車場着
14時20分 歯科健診
15時02分 同所発→一般道2時間01分 85㎞/186㎞→
17時01分 帰宅〔走行距離計186km〕
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■続いては、「ムリーリョの絵画/平野敦之著『できる男の老けない習慣』・三好達治著「詩を読む人のために」から「堀口大学( 1892-1981 )」・茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」・「時習26回3-7の会 クラス会 2016/08/20 の想い出」と昔の【時習26回3-7の会】に up した記事からお伝えする
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[34][左上] バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ(Bartolomé Esteban
Perez Murillo(1617.12.31-82.04.03) 『自画像』
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[右上]同『聖母子』
[左下]同『無原罪の御宿り』
[右下]平野敦之著『できる男の老けない習慣』
.
. 今日は、小生が昔(‥2016年10月14日に‥) up した、平野敦之著『できる男の老けない習慣』(写真[右下][26])をご紹介する
. http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/26-06221001-1c9.html ←此処を click すると其の時の blog をご覧頂ける
.
. 併せて同じ blog に up した、2016年10月01日に見た【岡崎市美術博物館『ブリューゲルとバロックの巨匠』】の展示作品の中から2枚の[22]バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo(1617.12.31-82.04.03) 『自画像』(写真[左上])と[23]同『聖母子』(写真[右上])をご紹介する
. ムリーリョは、バロック期のスペインを代表する画家の
一人
. 彼の代表作と言えば、文句なく[24]『無原罪の御宿り』1660-65〔プラド美術館〕(写真[左下])だ!
.
. ※
※ ※ ※ ※
.
【男性ホルモンが少ない人はがんや生活習慣病になり易い!】〔P.53-55〕
.
. 本当に「できる男」は、身体が丈夫です
. 体型はslimで、健康診断をしても、脂質異常症や高血圧、糖尿病に引っかかる人は少なく、概して健康体を維持しています
. その理由は、自己管理が出来ていたり、確り運動していることなども関係がありますが、男性ホルモンの影響も実に大きいのです
. 先ず、男性ホルモンが減ると、血管をしなやかに保つ為に欠かせない一酸化窒素( NO )(注)が出にくくなります
. これが脳卒中や心臓病、高血圧といった心臓血管系の病気や、EDと深い関わりや〔中略〕腎臓の機能低下にも繋がります
.
(注)一酸化窒素( NO ) : 一酸化窒素を出す簡単な運動は、腹筋台に足をかけた〔
前屈程度の負荷を殆どかけない 〕腹筋を50〜100回でOK !
. 此の腹筋をすると、脹脛(ふくらはぎ)がジワジワッ!として来て血流が活発になった〔= 一酸化窒素( NO )が生成された〕ことが実感出来る
.
【寝たきりになる人と元気な人は、DHEA(デヒドロエピアンドロステロン)に大きな差があった】〔P.68-70〕
.
. つまりDHEAは、脂質異常症、高血圧、糖尿病といった生活習慣病の発症を抑制すると考えられるのです
. その上、免疫機能を上げるので、結果的にがんになりにくくなります
. このほか、骨粗しょう症の予防や、allergy反応の抑制、腎臓機能の保全、認知症発症の予防や記憶力の改善、抗stress、抑うつ効果等もあると言われています〔中略〕
. 100歳以上で寝たきりになっていない方のDHEAは、一般の人に比べて高いことが判明しているのです
.
【筋トレで、男性ホルモンを活性化するにはコツがある】〔P.135-37〕
.
〔前略〕男性が男性ホルモン値と若さを維持する為には、有酸素運動と筋トレを半分位ずつ行うのが最も効果的ということが、最近の研究で明らかになっています〔中略〕
. 此処で、男性ホルモンの為に、拠り効果的な筋トレのコツ3つをあげます
.
【一番目のコツ】全身の筋肉をbalanceよく付ける為に、日頃使わない筋肉を鍛える→・腹筋・背筋等、上半身の筋肉を意識的に鍛える〔理由:下半身は日常使っている為〕
【ニ番目のコツ】遣り過ぎないこと〔理由:筋肉が壊れる(=筋肉痛がある)と男性ホルモンが低下する為〕
【三番目のコツ】筋肉の原料となる蛋白質を確りと摂取する〔補足:蛋白質の代謝に関わるvitamin補給も意識して、肉・魚・卵・納豆等発酵した大豆製品+たっぷりの野菜〕
【更に余力があれば】walking、jogging、swimming を組み合わせる〔理由:これ等は有酸素運動であると共に、全身様々な筋肉を使い筋肉増加に役立つ為〕
.
【小生comment】
. この本に書いてある「testosterone」と「DHEA」を水準以上確保すべく、「筋トレ(=腹筋2,000回)≒60分間」と「有酸素運動(=2.5kgの木刀素振り60分間)」の計2時間を愚直に毎日実施している‥
. そうして、元気に明るく、世の中に何か役立つことをし乍ら、長寿を全うしたいと考えている
.
. 続いては、昔読んだ三好達治著「詩を読む人のために」から「堀口大学( 1892-1981 ) 」をご紹介します
. まぁ、coffee break の感じで読んで下さい
.
【三好達治著「詩を読む人のために」から「堀口大学(
1892-1981 )」】
.
[35]堀口大學『夕ぐれの時はよい時』の image
.
. 小生、堀口大学については、従前より名前くらいしか知りませんでしたが、三好達治が紹介する『夕ぐれの時はよい時』を読み、彼の作品が大変好きになりました
. 『夕ぐれの時はよい時』は、彼がまだ二十代の若き頃に作った作品で、平易で読み易く、頭にスーッと入っていく感じがとてもいい・・
. かつ気品もあり大変素晴らしい詩であると思います
. 三好達治の解説も成程と感心しました
. 同氏は、堀口大学のもう一つの作品『彼等』も紹介していますが、これは6行と大変短い詩でありながら「これ程含蓄があるのか・・?!」というくらい深い解釈をしています
. 小生には、とてもこんな解釈はできません
. が、「こういうものが『詩』なのだ」と教えてくれただけでも収穫でした
. 『夕ぐれの時はよい時』と『彼等』の解説を一緒に読むと堀口大学の詩の素晴らしさがよく解かると思い、少々長めの文章となりますが、ご紹介させて頂きます
.
. 因みに「詩を読む人のために」の解説者杉本秀太郎(敬称略)(1931年生)もその「解説」で次のように述べ、賞賛しています
.
. (前略)『夕ぐれの時はよい時』は萩原朔太郎とは全く違った詩的経歴をもち、れっきとした西洋的教養を身につけた堀口大学を論じて、両極端を押さえる恰好の一対をこの二篇は形成しております
(中略)
. 堀口さんが(中略)大正八年に出した詩集『月光とピエロ』所収の二篇を例に、堀口大学の詩の特色、魅力を、三好達治はあざやかに、したしみをこめて、そしていくぶんの羨望を包み隠さずに語っております
. 私は『詩を読む人のために』一冊のなかで、特にこの一文を好むものです
.
【小生 comment 】
. 1919(大正08)年の作なんですね
. でも、少しも色褪せていない、いい作品です
. では、さっそく、三好達治の解説『夕ぐれの時はよい時』をご紹介しましょう
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
. (前略)詩集『月とピエロ』(大正八年)の中の一篇
. 私どもも高等学校の生徒じぶんに甚だ愛誦(あいしょう)したものです
. 今日また久しぶりに一読して、やはり新鮮で歯ぎれのいい、仕立おろしの洋服のようにさっぱりとした、後味のたのしい感銘を受けました。(中略)
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
. 夕ぐれの時はよい時
.
. 夕ぐれの時はよい時。
. かぎりなくやさしいひと時。
.
. それは季節にかかはらぬ、
. 冬になれば煖炉のかたはら、
. 夏になれば大樹の木かげ、
. それはいつも神秘に満ち、
. それはいつも人の心を誘ふ、
. それは人の心が、
. ときに、しばしば、
. 静寂を愛することを、
. 知つてゐるものの様に、
. 小声にささやき、小声にかたる‥‥
.
. 夕ぐれの時はよい時。
. かぎりなくやさしいひと時。
.
. 若さににほふ人々の為(た)ためには、
. それは愛撫に満ちたひと時、
. それはやさしさに溢れたひと時、
. それは希望でいつぱいなひと時、
. また青春の夢とほく
. 失ひはてた人々の為めには、
. それはやさしい思ひ出のひと時、
. それは過ぎ去つた夢の酩酊、
. それは今日の心には痛いけれど
. しかも全く忘れかねた
. その上(かみ)の日のなつかしい移り香。
.
. 夕ぐれの時はよい時。
. かぎりなくやさしいひと時。
.
. 夕ぐれのこの憂鬱は何所から来るのだらうか?
. だれもそれを知らぬ!
. (おお! だれが何を知つてゐるものか?)
. それは夜とともに密度を増し、
. 人をより強き夢幻へみちびく‥‥
.
. 夕ぐれの時はよい時。
. かぎりなくやさしいひと時。
.
. 夕ぐれ時、
. 自然は人に安息をすすめる様だ。
. 風は落ち、
. ものの響は絶え、
. 人は花の呼吸をきき得(う)るやうな気がする、
. 今まで風にゆられてゐた草の葉も
. たちまちに静まりかへり、
. 小鳥は翼の間に頭(こうべ)をうづめる‥‥
.
. 夕ぐれの時はよい時。
. かぎりなくやさしいひと時。
.
. ※
※ ※ ※ ※
.
. ごらんの如き作品です. まず用語の平易にしてこだわりのない、まったく口語調にちかい暢達(ちょうたつ : (注)のびのびとしていること)な使いぶりが眼につきます
. 私たちの日用語を自由にとりいれ駆使していて、かえってそのためにさっぱりとした瀟洒な気品を見せています
. 俗ではありません
. 俗に入って俗を出でる、そこの呼吸がこの詩人の得意の擅場(せんじょう : (注)その人だけが思う儘に活躍できるところ / ひとり舞台 / 独擅場)で、一種危うきに遊ぶという意識も、勿論詩人の意識の一部分に働いていることが察せられます(中略)
. 印象的とか象徴的とかという、漠然とした、綜合的な効果の醸し出し方ではなく、反対に解析的に、分解的に、一作品の効果を、部分において逐次に明確にしながら進行してゆく、そういうやり方で、この『夕ぐれの時はよい時』は進んでゆきます
. このやり方は日本の現代詩としては、当時としては勿論、今日においてもなお充分眼新しく、注目に価する特殊な手法かと思われます
.
. 夕ぐれの時はよい時、
. かぎりなくやさしいひと時。
.
. この二行は、まず冒頭に現れて、この詩中に五度くりかえされる畳句ですが、この単純な二行の中にも、既に解析的な手法が顔を見せています
. 「夕ぐれの時はよい時」とまず大づかみな概念的なことをいっておいて、その「よい時」を、さらに「かぎりなくやさしいひと時」と限定的に、絞りにしぼって、追っかけるようにたしかめています
. 「よい時」のよさを「やさしい」と畳みかけて限定した上に、それがほんの短い「ひと時」にすぎない時間だと、こまかく追及してゆくやりかた、それを心理的とも、解析的とも、いま私は呼んでいるのであります(中略)
. 「夕ぐれの時はよい時」の畳句がくりかえされて、(中略)ともすれば単調に傾きそうな危険が感じられないでもありません
. 勿論作者はそれを敏感に感じています
. そこで次の発想は、ぐんと局面をかえています
.
. 夕ぐれのこの憂鬱は何所から来るのであらうか?
. だれもそれを知らぬ!
.
. 言葉の調子もすっかり変って、前の一段の
.
. しかも全く忘れかねた
. その上の日のなつかしい移り香。
.
. というようなのとは、格段に調子を変えています
. ほとんど唐突の感があります
. (中略)このような唐突な不意打ちは、近代詩歌の一つの新らしい魅力といっていいでしょう
. 言葉の調子がそうであるのみならず、ここでは思想も不意打ちです
.
. だれもそれを知らぬ!
.
(おお! だれが何を知つてゐるものか?)
.
. と作者は何の前置もなしに、突然なことをいいだします
. 読者は眼を見はらずにはいられません
. そうして作者の胸中に鬱積していたものを、ここではじめて、じかに直接に手渡されたような感をうけます
. この詩の頂点は、まずこの辺のところにあります
. 私ならそう解釈します(中略)
.
. 夕ぐれ時、
. 自然は人に安息をすすめる様だ。
. 風は落ち、
. ものの響は絶え、
.
. と自然な調子で終息にむかい、さらに
.
. 人は花の呼吸をきき得るやうな気がする、
. 今まで風にゆられてゐた草の葉も
. たちまちに静まりかへり、
. 小鳥は翼の間に頭をうづめる・・・・
.
. とつづいて、この最後のところにきて特に気転の利いた洒落た一行、――
丁度ここまでつづいてきたこの詩のここで終息するのにあたかもふさわしい表象(イマジュ)の鮮やかな句を以て結んでいる
. そうして畳句がそれにもう一度すべてをひっくるめた印象に念を押すように順応してこの詩は終るのであります
. 読後の印象ははじめにもいったように極めて鮮明で、瀟洒としていて、軽々として、どこにも晦渋(かいじゅう : (注)言語・文章などが難しくて意味の解かりにくいこと)陳腐のあとがありません(中略)
. 安心をして読めます
. これがこの詩の本物である証拠であって、ここらの消息もちょっと説明には困難なので、読者で自得して納得されるより外はありますまい
.
【小生 comment 】
. ホント、名詩っていいですネェ!〔了〕
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
. 続いてお届けするのは詩人
茨木のり子の作品である
. 一年前の2020年04月14日(火)、勤め先帰りに食品スンパー・サンヨネに beer を買いに立ち寄った時の想ひ出の一コマ‥
. サンヨネの駐車場に入ろうとした時、異変に気づいた
. いつも満車に近い駐車場が半分くらいしか埋まっていないのだ
. コロナウィルス禍で愛知県が緊急事態宣言を出した影響に拠るものに違いない
. 其の時、現代女流詩人茨木のり子(1926-2006)の名詩「わたしが一番きれいだったとき」が浮かんだ
. 茨木のり子が詠んだ第二次世界大戦直後の詩の時代と今が不思議と重なり合う感じがしたからだ!
.
. ※
※ ※ ※ ※
.
. わたしが一番きれいだったとき
.
. 茨木のり子
.
. わたしが一番きれいだったとき
. 街々はがらがら崩れていって
. とんでもないところから
. 青空なんかが見えたりした
.
. わたしが一番きれいだったとき
. まわりの人達が沢山死んだ
. 工場で
海で 名もない島で
. わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
.
. わたしが一番きれいだったとき
. だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
. 男たちは挙手の礼しか知らなくて
. きれいな眼差だけを残して皆発っていった
.
. わたしが一番きれいだったとき
. わたしの頭はからっぽで
. わたしの心はかたくなで
. 手足ばかりが栗色に光った
.
. わたしが一番きれいだったとき
. わたしの国は戦争で負けた
. そんな馬鹿なことってあるものか
. ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
.
. わたしが一番きれいだったとき
. ラジオからはジャズが溢れた
. 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
. わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
.
. わたしが一番きれいだったとき
. わたしはとてもふしあわせ
. わたしはとてもとんちんかん
. わたしはめっぽうさびしかった
.
. だから決めた
できれば長生きすることに
. 年とってから凄く美しい絵を描いた
. フランスのルオー爺さんのように
.
ね
.
. ※
※ ※ ※ ※
.
[36]茨木のり子
.
【小生 comment 】
.
. 名詩は、矢張り素晴らしい!
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
. 続いては、安保徹『50歳からの病気にならない生き方革命』についてである
.
【 50歳からの病気にならない生き方革命』
】
.
[37][左]安保徹著『50歳からの病気にならない生き方革命』
.
[右]安保徹
.
. 今日は、安保徹『50歳からの病気にならない生き方革命』をご紹介してみたい
. 此れは、2007年09月25日に小生の blog【時習26回3-7の会 0125】に up したものだ
. 今からもう、14年近く前の記事だが、今でも確り通用する記事だ
. 一寸長文でだが、とても良いことが書いてあるので抜粋してご紹介致する
.
【五十歳以上の人は最初の破綻を切り抜けている】
.
. 無理を重ねた人たちは五十歳までたどり着けない
. 若さの力だけでは限界がある
. 五十歳をすぎたらこれまでの生活を振り返る
. (前略)誰でも五十代を迎えたら、過去を振り返って、生活を改め、薬などに頼らない我が身を守る意識をもたないと危険です
.
【五十歳からこそ『筋肉づくり』が大切に】
.
. 管理職になったら頑張りもほどほどに
. (前略)生活習慣病とは運動・食事だけでなく、働き方も含めなければ全てとは言えないのです(以下略)
. 便利な生活でラクしている人も要注意
. (前略)いまの生活はほとんどが電化製品に囲まれていますので、身体の活動量は極めて少なくなっています
. そのため、怠けている訳ではないのに、筋肉を使う動作が極力抑えられているので、運動不足になる生活が普通になっています
. その結果、皮肉にも、便利さゆえに、ラクしすぎて病気になる時代なのです
.
. 筋肉がつけば骨も関節も丈夫になる
. (前略)関節が悪い人は大抵筋肉も衰えています
. 多分一番多いのは変形性膝関節症でしょう
. 若い頃の運動不足は肥満を気にする程度で済むでしょうが、中年以降の運動不足は、身体を支える器官に障害を起こす原因になります
. 恐らく運動不足というよりも体重が重いと面倒くさいので歩かないのでしょう
. そのため、たまに歩くと、弱々しい筋肉と関節に負担がかかって、変形性膝関節症になるのです
. そうすると、ますます痛くて動けなくなります
. そうやって悪循環に入っていきます
.
. 今はさほど動かなくても生活できるようになっていますが、そういう生活に甘んじないで、意識して運動するようにしないと、身体の機能が衰えて、様々な障害が出てきます
. 筋肉と骨が弱ってくると、まずちゃんとした姿勢が保てなくなって、いろいろな歪みが出てくるのです
. その歪みが顔までくると、歯の噛み合わせが上手くいかなくなります
. 最後は噛む力までなくなってしまいます
.
. 寝たきりになると「死」に向かう
. (前略)ことに高齢者は、筋肉を使わなくなると、「あっ、もう人生の幕引きだ」と身体、つまり自律神経がそう察知するので、身体を動かさなくなった時点であの世に向かって歩みを進めていきます
.
. しかし、ウォーキングや体操などの筋肉を使う努力を、八十になっても、九十になってもしていれば、まだ人生の幕引きは先だと思って、身体も動き続ける訳です
.
. 高齢者の寝たきりで注意しなければならないのが骨折です
. とうとう亡くなってしまいましたが、三浦敬三さん(【筆者注】プロスキーヤー三浦雄一郎の実父)は、九十歳を超えてもヒマラヤスキーに挑戦したりして、老人らしくない老人でしたが、流石に骨折して寝たきりになると持ちこたえられませんでした
. (中略)鍛えているとはいえ、百一歳の高齢でしたから、寝たきりになるとすぐに衰えたのだと思います(以下略)
.
. 意識して身体を動かさないと危険
.
. (前略)五十代、六十代になって身体を動かさなかったら、あっという間に機能が低下して、本当に動けなくなります
. 意識してこまめに身体を動かさないと危険です
.
. 定年退職する六十歳から六十五歳頃を境目に、努めて身体を動かす努力をしないと、健康は保てません
. もう働くだけ働いたから少しラクさせて貰おうと思ったら、一気に老け込んでしまいます
. そうは考えずに、趣味でも何でもいいから見つけて、相変わらずこまめに動いている人は、六十五歳や七十五歳でも溌溂としています(中略)
.
. 高齢者にとって心配の種になっている骨粗鬆症と認知症は、身体と頭を使わない病気です
. 薬で治すのは無理でしょう(以下略)
.
【筋肉からの発熱が活力を生む】
.
. 筋肉からの発熱エネルギーが活力の素(もと)
.
. 元気なお年寄りは活動が活発です
. 元気だから動き回っているのではありません
. 身体を動かしているから元気なのです
.
. 身体を動かして筋肉を使うと、代謝を高めて発熱します
. 活動も発熱を促しますが、大量の筋肉を身につけているだけで発熱します
. この発熱のエネルギーが活力の素なのです。(以下略)
.
. 筋肉を使った活動には睡眠が大切
.
. 活動するためには睡眠が大切です
. (中略)私たちは進化で得た筋肉を使ってやると、快い疲労が訪れ、本当の休憩に繋がって、夜ぐっすりと眠る世界に入っていきます
. (中略)普段から運動している人は徐脈(脈がゆっくりになっている)です
. 真の安らぎの体調はこうして生まれるのです
.
. そのためには早寝早起きの習慣が大事です(以下略)
.
【著者紹介】
. 阿保徹氏は、昭和22年生まれ。東北大学医学部卒
. 現新潟大学大学院医歯学研究科教授(国際感染医学・免疫学・医動物学分野)
. 世界的な免疫学者
.
【筆者comment】
. 我々の様に五十歳を超えたら、仕事はなるべく無理をせず、『身体は積極的に動かして体力を維持していく』こと、これが健康で若々しく長生きしていく秘訣だろうか‥‥
. 此のスタンスは、六十路半ばを迎えた現在でも同じかな!
. 毎日少しでもいいから、コツコツ実践して行きたいですね(了)
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
【丸山薫(1898-1974)】〔第1回〕
.
. 続いては「詩人『丸山薫』」を2回 series の第1回目を紹介したい
. 此れも、小生の
blog【時習26回3-7の会 0125】からの抜粋である
. 2007年9月19日の地元新聞に「豊橋市は、同市ゆかりの詩人・丸山薫を顕彰する第14回「丸山薫賞」を発表(東愛知新聞)」とあった
. 「丸山賞は没後20周年を期して94年に制定。今年14回目になる(東日新聞)」と紹介されていた
.
[38][左上]丸山薫(1899-1974)1
.
[右上]同上2
[左下]四季派の著書【創刊号】「四季」
[中下]丸山氏の文学碑「『美しい想念』より」
[右下]丸山薫の盟友「三高→東大」の学友三好達治(1900-64)(昭和05年撮影)
.
. 丸山薫氏(以下敬称略)(1899年06月08日-1974年10月21日)は、大分県大分市の生まれだが、12歳の時、母方の祖父の地であった豊橋市に移る
. 身内は旅館業を営んでいたという
. 小生の母校豊橋市立八町小学校卒業後、同じく高校の母校である、旧制愛知四中(時習館高校の前身)を卒業し、東京高等商船学校(現東京海洋大学海洋工学部)に入学するも、罹病し中退
. その後、第三高等学校、東京帝国大学国文科へと進んだ
. 三高時代に、桑原武夫、三好達治、梶井基次郎らと親交を持ち、詩を書き始める
.
. 若い時代、船員を目指しただけあって、彼の作品は、船や海、異国を題材とした作品が多い
. 昭和07(1932)年第一詩集『帆・ランプ・鴎(かもめ)』を出版し、フランス印象派風の心象詩人として詩壇に登場
. 昭和09(1934)年には堀辰雄、三好達治と三人の共同編集により詩誌「四季」を創刊
. 伝統的な詩情に、新しく純粋な知的叙情の世界を確立しようとした
. 昭和20年東京大空襲で家を失い、一時山形県の岩根沢に疎開
. 昭和23年以降は豊橋市に帰住
. 愛知大学で教鞭をとり、中日詩人会の会長などを務めた
. 昭和49(1974)年没
.
. 詩人鮎川信夫は著書「近代詩から現代詩へ(思潮社)」で丸山薫について以下の様に評している
. ―
「丸山には、海洋をモチーフにした作品が多い
. 処女詩集『帆・ランプ・鴎』の「帆が歌った」、「ランプが歌った」、そして「鴎が歌った」の‥‥『私の姿は私自身にすら見えない / ましてランプや ランプに反射してゐる帆に見えようか / だが私からランプや帆ははっきり見える / 凍えて遠く 私は闇を廻るばかりだ』‥‥といった暗鬱なイメージは、はたされなかった海上生活への憧れが、内面的に沈潜して生まれてきたものであろう
. メタフィジック(【筆者注】形而上学的)な郷愁と冷たい抒情を感じさせるこれらの詩句は、読む者の心に不思議な陰翳(いんえい)を投げかけずにはおかない
. そのイメージは奥行きが深く暗示に富み、根源的な生命への思いにわれわれを誘い込む
. 丸山は四季派の中にあって、最も個性的で豊かな想像力をもっている詩人である」―
.
. 丸山薫の作品をもう一つあげる
. 高橋順子編著「日本の現代詩101(新書館)」にて紹介された作品『河口』である
. 「セルバン」1932年5月号に初出
. 第一詩集『帆・ランプ・鴎』(1932年)所収
.
. ※ ※ ※ ※ ※
.
. 河口
.
. 船が錨をおろす。
. 船乗(ふなのり)の心も錨をおろす。
.
. 鴎が淡水(まみづ)から、
. 軋(きし)る帆索(ほつな)に挨拶する。
. 魚がビルジの孔(あな)に寄つてくる。
.
. 船長は潮風に染まつた服を着換へて上陸する。
. 夜がきても街から歸(かえ)らなくなる。
. もう船腹に牡蠣殻(かきがら)がいくつふえたらう?
.
. 夕暮が濃くなるたびに
. 息子の水夫がひとりで舳(へさき)に
. 青いランプを灯す。
.
【解説】船が航海の途中で河口にある港に停泊する
. 簡潔な表現の中に、果たせなかった夢への郷愁が宿っている
. 「ビルジ」はビルジ・ポンプの略で、船底の汚水を汲みだすポンプのこと
. 船長は街の酒場で今夜も飲んだくれているらしい(集中の「錨」という詩には、「船長の胸も赤いラム酒の満潮になった」という素敵な一行がある)
. 息子の水夫は未成年かもしれない
. 夜の街には繰り出さず、けなげに舳の「青いランプ」をともすのだ
. メルヘンのような味もある
. かくて恙(つつが)なく海の一日は暮れていく
.
【筆者comment】
. 丸山薫氏は、晩年、豊橋市多米町蝉川、砂渡井赤岩口辺りに住まわれていた
. そしてまた、氏は我々が高校を卒業した年の1974年に亡くなられている
. だから、我々時習26回生3年7組で勉強していた時分迄はご存命で、隣りの愛大で教鞭を取られていらしたかもしれない
. そう思うと、何か不思議と郷愁を感じる
. また小生はまだ見ていないが、丸山氏の文学碑「『美しい想念』より」が高師緑地にある〔了〕
.
【丸山薫(1898-1974)】〔第2回〕(完)
.
. 次は「詩人『丸山薫』」を2回seriesの第2回目を紹介して締め括る
. 前号に続き今日は【時習26回3-7の会 0126】から我等が時習館高校の大先輩にあたる丸山薫の詩の作品について2つご紹介したい
. まず最初の作品は「未来へ」
. この作品は、定かではないが、昔学生時代国語の試験問題に出ていた様に記憶している
. 此の詩を読むと、ゲーテの詩をシューベルトが著名な歌曲にした「魔王」と image が重なる
.
[39][左]ゲーテ「魔王」の image
.
[右上]雪ぞりを引くトナカイ
[右中]疾走するトナカイ
[右下]獲物を狙う狼
.
. ※
※ ※ ※ ※
.
. 未来へ
.
. 父が語った
. ごらん この絵の中を
. ソリが疾(はや)く走っているのを
. 狼の群が追いかけているのを
. 馭者(ぎょしゃ)は必死でトナカイに鞭をあて
. 旅人はふりむいて荷物のかげから
. 休みなく銃でねらっているのを
. いま 銃口から紅く火がひらめいたのを
.
. 息子が語った
. 一匹が仕止められて倒れたね
. ああ また一匹おどりかかったが
. それも血に染まってもんどり打った
. 夜だね はてしない曠野が雪に埋もれている
. だが旅人は追いつかれないだろうか
. ソリはどこまで走ってゆくのだろうか
.
. 父が語った
. こうして夜が明けるまで
. 昨日の悔いの一つ一つを撃ち殺して
. 時間のように明日へ走るのさ
. やがて太陽がのぼる路のゆくてに
. 未来の街はかがやいて現れる
. ごらん 丘の空がもう白みかけている
.
. (第六詩集『涙した神』(昭和16年刊(43歳)))
.
【解説】虚無と孤独の生活を経た作者の胸中には、幼年時代の美しい空想や童話に対する郷愁の様なものが尾をひき時として作品に表れる
. 後から絶えず襲いかかってくる不幸や悔恨に追いつかれない様に、目的地に向かって人生を疾走し続けるという悲壮な生活心理をイメージ化したもの
. この詩は、父親が絵本を開いて、子供に絵話を物語って聞かせる様な形で始めながら、その実、自分自身の、子供には理解出来ない、より深い人生的意味を自分自身に言って聞かせているところに真意がある(「第三連」参照)
.
. ※
※ ※ ※ ※
.
. 続いて、2つ目は「美しい想念」
. この詩の石碑が、高師緑地にある(←小生はまだ見ていない)
.
. 美しい想念
.
. 夜空に星が煌(きら)めくように
. 昼間の空にも星があると
. そうおもう想念ほど
. 奇異に美しいものはない
.
. 私は山に住んで なぜか度度(たびたび)
. そのかんがえに囚われる
. そして 山ふかく行って
. 沼の面を凝(じっ)と瞶(み)つめる
.
. すると じっさいに
. 森閑と太陽の沈んだ水底から
. 無数の星がきらきら輝き出すのが
. 瞳に見えてくるのだ
. (第七詩集『北国』(昭和21年刊(48歳)))
.
【解説】作者は昭和20年、戦災を蒙って山形県の山岳地帯(岩根沢)の村落に疎開
. 小学校の教師をしたりして3年を過ごした
. その時代の作品
. 実に見える現象の背後には、目に見えない本質が隠されている
. 普段我々の肉眼に見られるものは現象に過ぎないが、心が純粋になり、凝集する時、心眼はその本質を直感することが出来る
. 目に見えるただの昼間の青空は現象であり、無数の星をちりばめた昼の青空は本質である
. 山奥に住み、沼の面をじっと見つめていると、昼ながら「無数の星が輝きだす(=本質直感の霊感を得る)」のである
.
. ※
※ ※ ※ ※
.
【丸山薫の年譜】
. 明治32(1899) 年6月8日、大分県荷揚町に生まれる
/ 父重俊(45歳)、母タケ(30歳)の四男
. 明治39(1906)年 (3歳) /
朝鮮京城へ移住 / 京城小学校入学
. 明治40(1907)年 (8歳) 東京牛込中之町へ移住
/ 牛込小学校に転校
. 明治41(1908)年 (9歳) 島根県知事として赴任する父に従い松江市に移住
/ 4月松江市立内中原小学校に転校
. 明治44(1911)年 (12歳) 東京西大久保へ移る
/ 高千穂小学校に転校し一学期のみ在学
/ この時父重俊の死に会い、豊橋市内の母方の屋敷内に家を新築して移住 / 豊橋市立八町小学校に転校 / 此の祖父は西南戦争の体験者で、漢学の素養も深く豊富な話題の持主
/ 薫は祖父の話を聞くのが好きで、薫の詩作を特徴づける童話的要素は、こうした機会のうちに育まれたと考えられる
. 大正元(1912)年 (13歳) 3月豊橋市立八町小学校卒業
/ 4月 愛知県立第四中学校(現 時習館高校)入学
. 大正06(1917)年 (18歳) 母の反対を押し切り東京高等商船学校に入学
/「海」は一つの詩的源泉となる
. 大正07(1918)年 (19歳) 商船学校を病気(脚気)退学
. 大正10(1921)年 (22歳) 3月
第三高等学校(京都)文化丙類入学 / 翌年入学の三好達治、上級生の梶井基次郎とのち親密な交友関係に
. 大正13(1924)年 (25歳) 此の頃から作品を書き始める
/「丸山君は欣賞すべき早成の才がある」と三好達治が認める
. 大正14(1925)年 (26歳) 4月
東京帝国大学国文科入学
. 昭和3(1928)年(29歳) 高井三四子と結婚。 大学を中退。 妻の収入で生計を支え、詩作に励む。
. 昭和07(1932)年 (33歳) 12月
処女詩集『帆・ランプ・鷗』第一書房より刊行
. 昭和09(1934)年 (35歳) 10月
堀辰雄、三好達治と三人で、詩誌「四季」創刊 / 次々と詩を発表して活躍 / 此の頃、百田宗治の紹介で萩原朔太郎を知る / また近くに住む中原中也とも交友 / 津村信夫、立原道造、神保光太郎らとも親交を持つ
. 昭和20(1945)年 (46歳) 5月
戦災を受け、山形県西山村岩根沢に疎開 / 岩根沢小学校で教鞭をとる / 9月 母タケ没す
. 昭和23(1948)年 (49歳) 3月
詩集『仙境』刊行 / 5月 愛知大学文学部講師に就任 / 6月『花の芯』刊行
/ 8月 豊橋市東雲町へ移る
. 昭和31(1956)年 (57歳) 9月
豊橋市多米町蝉川へ転居
. 昭和34(1959)年 (60歳) 4月
愛知大学文学部教授就任
. 昭和49(1974)年 (75歳) 10月21日04時55分蝉川の自宅で永眠
/ 脳血栓症 / 葬儀は翌々日23日13時より豊橋市花園町の真宗大谷派豊橋別院で営まれ、桑原武夫、田中冬二(代読)、久曽神昇(愛知大学長)、岩瀬正雄が弔辞を読んだ〔了〕
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【筆者comment】丸山薫氏は、小生の母校八町小学校と時習館高等学校のOBでもあるのだナァ
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. 魔王 ゲーテ
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. こんな夜遅く 風が吹きすさぶ中
. 父と子が馬をとばして駆けていく。
. 父は子をしっかりと抱きしめている
. 危なくないように 寒くないように。
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. 「坊や どうして不安そうに顔を隠すのだ」
. 「父さん 魔王が見えないの
. 冠をかぶって長い裾を引きずる魔王が?」
. 「坊や あれは霧がたなびいているのだよ」
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. 「かわいい坊や おいで 一緒に行こう
. 一緒に楽しい遊びをしようよ。
. 浜辺には色とりどりの花がいっぱい咲いているし
. うちの母さんは金色の着物をいっぱい持っているよ」
.
. 「父さん 父さん 聞こえないの
. 魔王がひっそりぼくに約束する声が?」
. 「落ち着きなさい 坊や
. あれは枯葉が風に鳴っているのだよ」
. 「お利口な坊や 一緒に行かないかい?
. うちの娘たちにかわいがってもらえるよ。
. 夜はうちの娘たちに一緒に踊ってもらえるし
. 抱っこや踊りや歌で寝かしつけてもらえるよ」
.
. 「父さん 父さん あそこに見えないの
. 暗がりの中にいる魔王の娘たちが?」
. 「坊や 坊や 見えるとも
. あれは古い柳の木が灰色に光っているのだよ」
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. 「いとしい坊や かわいさにぞくぞくする
. きみが嫌と言うなら 力ずくで連れて行くぞ」
. 「父さん 父さん 魔王に摑まれたよ!
. 魔王がぼくに乱暴する!」
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. 父は恐ろしくなり馬を駆り立てる
. うめく子を両腕に抱えて
. やっとのことで屋敷に着くと
. 父の腕の中で 子はもう死んでいた。〔了〕
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. 今日最後は、5年前のクラス会の時の記念の全体写真をお示しして締め括ることとする
. もう、5年経つのだなぁッ!て懐かしくも、刹那く感じる【時習26回3-7の会】クラス会です
. 今年も開催難しいかな?
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[40]【時習26回3-7の会 クラス会
2016/08/20 の想い出】
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. では、また‥〔了〕
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