2019年11月22日金曜日

【時習26回3−7の会 0784】~「11月17日:『時習26会ゴルフ・コンペ』開催報告」「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』~〔第03回/第11句~20句〕」「11月13日:豊橋市美術博物館『当館collection名品展/9 Stories』展→愛知県芸術劇場コンサートホール/『ズービン・メータ指揮BPO演奏会』を巡って・聴いて」「11月09日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第2回】東京都美術館『コート―ルド美術館』展→国立西洋美術館『ハプスブルク』展を巡って」「俳人『四T』~三橋鷹女」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0784】号をお届けします。
 今日は、前《会報》の冒頭でお伝えした様に、1117()に浜名湖CCにて開催された『時習26会ゴルフ・コンペ』の模様についてお伝えします。

【時習26会ゴルフコンペ開催報告】
  此の日は、浜名湖CCにて 0938 start 17人が集い、時習26会ゴルフコンペが開催された。
  天気は快晴、最高気温も20Cと、絶好のゴルフ日和となり、和気藹々のスッゴク楽しい一日を過ごすことが出来た。
  優勝は、小椋君【3-5
  前回優勝者で今回幹事の福井君【3-9】、幹事のお務めお疲れ様!
  次回は、来年419()を第1候補日、412()を第2候補日に今回と同じ此処浜名湖CCにて開催する予定である。
  来春も元気で再会出来ることを祈っている。
 
[01]スタート前 中course1holeにて全体写真

[02]小生・安井君【3-8】・堀君【3-9
                  
[03]表彰式にて~優勝の小椋君【3-5】に優勝カップを手交する幹事の福井君【3-9

[04]参加者全員にて記念写真1
                  
[05]同上2


■続いての話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第03回/第11句~20句〕」をご紹介する。
 
11 花の山(やま)(つね)(をり)くぶる枝(えだ)もなし  一井(1)
 
【意】花が満開に咲く山 / 此れを見ると、折り取って薪にすることが躊躇われることだ
【解説】季語:花の山=春 /
(1)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国 / 名古屋の蕉門 / 芭蕉は、貞亨04129日、『笈の小文』の旅の途中、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の門人羅と七吟半歌仙(熱田三歌仙)を巻いた
 
12 見あげしがふもとに成(なり)ぬ花の瀧(たき)  津島俊似(1)
 
【意】つい最近迄、見上げるように見ていた山の桜花だが、其れ等が散り開花が遅い山中に入っていくうちに、山麓の桜花が滝の様に散る光景を見ることになる
【解説】季語:花の滝=春 /
(1) 伊藤俊似(いとう しゅんじ)(生没年不詳):尾張津島の人/『あら野』に多数入句
 
13 兄弟(きゃうだい)のいろはあげゝ(=)り花のとき  鼠弾(1)
 
【意】手習いをしていた幼い兄弟が、漸く「いろは47文字」を卒業した / 折から桜花の季節 /「色(いろ)は匂(にほ)えど散()りぬるを‥」というくらい桜花の季節は短く、時の経つのは早いものだ
【解説】季語:花のとき=春 /
(1)鼠弾(そだん)(生年不詳):尾張名古屋浄土寺の僧侶/『あら野』・『あら野後集』・『其袋』などに入句
 
14 ちるはなは酒ぬす人よぬす人よ  舟泉(1)
 
【意】散る桜花を見ると寂しさが増し、つい盃を重ねて仕舞う / 落下は言うなれば酒盗人である
【解説】季語:散る花=春 /「ぬす人」を繰り返して、叫びたてている様(さま)にする / 此の表現は、「落下を楽しむ『心踊り』を示している
(1)永田舟泉(ながた しゅうせん(1654(承応03)(?)-1737.11.19(元文021027)(享年84)))三河挙母(ころも)(現豊田市挙母町)生まれ / 尾張国名古屋の人 / 通称は六兵衛 / 貞亨04年に蕉門入門 /『あら野』・『曠野後集』等に入句
 
15 冷汁(ひえじる)に散(ちり)てもよしや花の陰(かげ)  胡及(1)
 
【意】桜花の下での宴 / もう冷えて仕舞った汁に花弁が散り込んだ / 普段なら、お椀の中に異物が入れば困る話だが、花弁なら、此れも花見の楽しみ方の一つだと思えることだ
【解説】季語:花の陰=春 /
(1)胡及(こきゅう(生年不詳)):尾張国名古屋の人 /『あら野』等に入句
 
16 はつ花(はな)に誰()が傘(からかさ)ぞいまいまし  長虹(1)
 
【意】些(いささ)かの雨に誘われる様に、漸く待ちかねた桜花が咲いた / 見れば傘をさして花見をしている人がいる / なんと無風流者だろう!
【解説】季語:はつ花=春 /
(1) 長虹(ちょうこう(生年不詳)):尾張国名古屋城北(現・名古屋市東区杉村町西杉)、杉の薬師堂住職(現・解脱寺) / 芭蕉が『笈の小文』を終え、『更科紀行』に旅立つ間、名古屋に滞在した貞亨5720日、此処で歌仙興行 /「粟稗にとぼしくもあらず草の庵」等を詠んだ
 
17 柴舟(しばふね)の花咲(はなさき)にけり宵(よひ)の雨  津島卜枝(1)
 
【意】山柴を切って川下に運ぶ柴舟の中で、折られた枝の一本に桜花が咲いている / 恐らく里の暖かい春雨に濡れて花開いたものだろう
【解説】季語:花=春 /
(1)卜枝(ぼくし(生年不詳)):近江国の人 / 後年、尾張国津島の蓮花寺に寓居と伝わる / 貞門に入門後、蕉門に入門 / 俳号:遠方とも /『あら野』などに入句
 
18 (=)るときになりて逃(にげ)けり花の枝(えだ)  岐阜鴎歩(1)
 
【意】咲き始めた桜の下枝をさぁ折ろうというした時に、張った枝に逃げられて仕舞った
【解説】季語:花の枝=春 /
(1)鴎歩:詳細不詳
 
19 (つれ)だつや従弟(いとこ)はお(=)かし花の時  荷兮
 
【意】従兄弟と花見に行く道々話す話の弾むこと! 気心の知れている者との会話は実に楽しい
【解説】季語:=/
 
20 疱瘡(ほうさう)の跡(あと)まだ見ゆるはな見()(かな)  傘下(1)

【意】花見客の中で疱瘡の跡が残っている人がいる / 今日花見に初めて外出して来たのであろうか
【解説】季語:花見=春 /
(1)加藤傘下(かとう さんか)(生没年不詳):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
 
【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第04回/第21句~30句〕をご紹介する。お楽しみに!
 
■続いての話題は、1113日に、豊橋市美術博物館にて開催中の『同館collection名品展/9 ナイン・ストーリーズ』→愛知県芸術劇場コンサートホール/『ズービン・メータ指揮ベルリン・フィル演奏会』を聴いてについてお伝えする

 其の日は、1103()出勤の振替休日だったので、朝はゆっくり起きて、1900分に愛知県芸術劇場コンサートホールにて開演される、ズービン・メータ指揮BPOによるブルックナー作曲交響曲第8番を聴きに行く迄、以下の通り行動した。
 
08:00 腹筋2,000
09:00 2.5kgの 木刀の素振り60
10:30 入浴→ブランチ
14:20 拙宅発→自転車→
14:35 豊橋市美術博物館着
 
【豊橋市美術博物館『コレクション名品展/9 ナイン・ストーリーズ』 】
 
[06]豊橋市美術博物館入口横の本企画展看板前にて
                  
[07]同館内本企画展banner前にて

[08]鹿子木孟郎『裸体の写生』1906
                  
[09]岸田 劉生『自画像』1913

[10]岸田 劉生『林檎葡萄之図』1918
                  
[11]藤島武二『婦人像』1920

[12]島田卓二『二川風景』1926
                  
[13]岡田三郎助『麻の着物』1929

[14]佐分眞『厨房』1930
                  
[15]松林桂月『葡萄栗鼠』1936

[16]荻須高徳『ポントワーズ』1937
                  
[17]和田英作『古澤近く(知立東口)1947

[18]白井烟嵓『雲行雨施』1949
                  
[19]「中村正義『谿泉』1950年」の横にて

[20]星野眞吾『習作 I 1960
                  
[21]森清治郎『トスカナの城』1961

[22]中村正義『イト』1964
                  
[23]星野眞吾『人体による作品』1966

[24]星野眞吾『机』1978
                  
[25]高畑郁子『霊地残照』1981

[26]三岸節子『グァディスの 家』1988
                  
[27]三尾公三『シーレの部屋』1989

[28]平松礼二『路・波の国から』1992
                  

【小生comment
 御覧の様に、豊橋市美術博物館所蔵品の傑作選であるだけあって見応えがある。
 藤島武二や岡田三郎助、和田英作は、東京美術学校草創期からの重鎮で文化勲章受章者。流石に素晴らし展示作品だった。
 又、同じく文化勲章受賞者の荻須高徳や、大正期から昭和初期にかけて活躍した岸田劉生や佐分利眞の作品も魅力がある作品だ。
 昭和時代の中期~後期にかけて、地元豊橋を代表する日本画家の、星野慎吾、中村正義、高畑郁子の代表作も素晴らしいし、同時期に一宮市を代表する女流西洋画家として活躍した、小生大好きな三岸節子の作品も展示されていて魅力的である。

1550分 豊橋市美術博物館発→自転車→豊橋駅へ
1641分 豊橋発→新幹線こだま663号→

1709分 名古屋着→〔待合室にて豊橋市美術博物館展示作品をFacebookupする作業をした〕
1620分 愛知県芸術劇場コンサートホール着
 
【愛知県芸術劇場コンサートホール『ズービン・メータ指揮BPO / ブルックナー作曲 / 交響曲第8番』 】
 
[29]愛知県芸術劇場コンサートホール入口にて

[30]本演奏会案内monument
                  
[31]開演前の コンサート会場1

[32]同上2
                  
[33]同上3

[34]本演奏会leaflet
                  
[35]指揮者 ズービン・メータ

[36]旧行時代同期の 佐藤君と1
                  
[37]同上2


【小生comment
  カラヤン(1908-89)、ショルティ(1912-97)、バーンスタイン(1918-90)、の後を引き継ぐ、ロリン・マゼール(1930-2014)、クラウディオ・アバド(1933-2014)、小澤征爾 (1935- )と共に、現代指揮者の巨匠、ズービン・メータ(1936- )指揮によるブルックナーの交響曲第8番は、此れぞ最高の「ベルリン・フィルのオルガン的響き」で聴衆に感動を与えてくれた。
  ホント、素晴らしい、一生の記念に残るsoiréeだった。
  演奏時間は、第1楽章20分、第2楽章15分、第3楽章28分、第4楽章24分、total 87分間。
  因みに、同じ此処愛知県芸術劇場コンサートホールで演奏された、先週のティーレマン指揮VPOの総演奏時間は85分間だった。
 
【『ズービン・メータ指揮BPO演奏会』終了後、佐藤君と一献 】
 
[38]コンサート終了後、佐藤君と一献1
                  
[39]同上2


2214分 名古屋発→新幹線こだま684号→2240分豊橋着
2250分 帰宅〔了〕
 
【小生comment
 佐藤君とは、お互い大のClassic音楽ファン。しかも話のlevelもピッタリと合い、彼との此の分野での語らいはいつも意気投合して盛り上がる。
 次は来年215()の諏訪内晶子(1972.02.07- )、続いて223()のアンネ=ゾフィー・ムター(1963.06.29- )の、いずれも女流 violinist Recital を一緒に聴くことになった。
 諏訪内は、1990年史上最年少でTchaikovsky国際コンクール優勝者、ムターは、13歳でカラヤンに招かれ、BPOと共演、1980年ズービン・メータ指揮New York P.と共演し米国debutを果たし、此れ迄にGrammy賞を4回受賞している。二人共に使用楽器は名器Stradivariusで、諏訪内はDofphin(1714年製)、ムターはEmiliani(1703年製)Lord Dunn=Raven(1710年製)2丁。
 今般、ティーレマン指揮VPOとズービン・メータ指揮BPOの演奏会が Bruckner(1824-96)の交響曲第8番と同じ曲で、演奏会開催日も1107日と16日の6日間という短時日だったが、諏訪内とムターの場合も、今回とよく似ていて、両者共に(独語)Beethoven Zyklus(=(英語)Beethoven cycle)で、しかも演奏曲目が全3曲中2( Beethoven作曲の Violin Sonata No.5”Spring” No.9”Kreuzer”)が同じ曲目で、Recital日も215日と23日の8日間と、此方も短時日であることだ。
 日本とドイツを代表する一流の女流violinistに拠る名曲2曲の聴き比べを今からとても楽しみにしている。
 
■続いての話題は、「1109日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第2回】東京都美術館『コート―ルド美術館』展→国立西洋美術館『ハプスブルク』展を巡って・見て」をお届けする。
 
0928分 東京都美術館着
 
【東京メトロ銀座線上野駅から東京都美術館『コート―ルド美術館』展へ】

 本企画展について、《ごあいさつ》から引用してご紹介する。
 「英国が世界に誇る印象派・ポスト印象派の殿堂、コート―ルド美術館( The ourtaould Collection )から選りすぐりの名品をご紹介する「コートルド美術館 魅惑の印象派」を開催する。〔中略〕改修工事に拠る休館を機に約20年ぶりにフランス近代絵画の傑作が来日することになった。
 〔中略〕マネ最晩年の傑作《フォリー=ベルジェールのバー》、〔中略〕ルノワールの《桟敷席》、〔中略〕セザンヌの作品群からは〔中略〕《カード遊びをする人々》等の優品をご紹介する。
 コート―ルド美術館は、20世紀初頭にレーヨン産業で成功したサミュエル・コート―ルドのcollectionが中核となっている。〔中略〕印象派の作品に魅了された実業家は、自国の市民に其の魅力を紹介する為、1920年代を中心に精力的な収集を行った。1932年には、美術史を専門とした英国に於いての初めての研究・教育機関となるロンドン大学付属コート―ルド美術研究所を創設し、collectionの大半を寄贈した。此れが、コート―ルド美術館の始まりである。〔後略〕」
 
[40]JR上野駅公園口を出て程なくの処にあった「東京都美術館『コート―ルド美術館』展」の看板
                  
[41]上野公園に咲いていた見頃の四季桜

[42]上野公園内の「東京都美術館『コート―ルド美術館』展」の看板
                  
[43]東京都美術館前の本企画『コート―ルド美術館』展のポスターの前にて

[44]本企画展leaflet()
                  
[45]同上()

[46]東京都美術館内企画展corner入口近くの『コート―ルド美術館』展の看板前にて
                  
[47]エドゥアール・マネ(1832-83)『草上の昼食』1863年頃

[48]オノレ・ドーミエ(1808-79)『ドン・キホーテとサンチョ・パンサ』1870年頃
                  
[49]カミーユ・ピサロ(1830-1903)『ロードシップ・レーン駅、ダリッジ』1871

[50]ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)『桟敷席』1874
                  
[51]エドガー・ドガ(1834-1917)『舞台上の二人の踊り子』1874

[52]エドゥアール・マネ『フォリー・ベルジェールのバー』1882
                  
[53]ポール・セザンヌ(1839-1906)『ノルマンディーの農場、夏(アッタンヴィル)1882

[54]カミーユ・ピサロ『ラファイエット広場、ルーアン』1883
                  
[55]アンリ・ルソー(1844-1910)『税関』1890年頃

[56]ポール・セザンヌ(18-19)『トランプ遊びをする人々』1892-96年頃
                  

【小生comment
 此の絵は、確か全部で5枚描かれていて、此のコート―ルド美術館の他、フランス・パリのオルセー美術館のものも有名である。
 此の絵を世界的に有名にしたのは、「‥2011年に『カード遊びをする人々』の一枚がカタールの王族に売却されており、そのときについた25千万ドルから3億ドルと推測される価格から、かつて売却された芸術作品としては最も高価な1枚となった〔Wikipediaより引用〕‥」からで、1枚の絵の取引価格がなんと250億円~300億円もしたのには驚きだ。
 添付写真[57]の絵は、オルセー美術館にある「セザンヌ『トランプをする人々』」である。
 コート―ルド美術館の作品と若干違う処が面白い。

[57]ポール・セザンヌ(18-19)『トランプ遊びをする人々』1892-96年頃〔オルセー美術館蔵〕

[58]ポール・セザンヌ『パイプをくわえた男』1892-96年頃
                  
[59]同『キューピッドの石膏像のある静物』1894年頃

[60]同『アヌシー湖』1896
                  
[61]ピエール・ボナール(1867-1947)『青いバルコニー』1910

[62]アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)『裸婦』1916年頃
                  

【小生comment
 本企画展は、本当に優品ばかりの印象派・ポスト印象派の作品が目白押しで感動した。
 小生、絵画・音楽共に美しいものが好きなので、印象派・ポスト印象派の絵画作品は最も好きなものの一つだ。
 此の日訪れた8つの美術館の展覧会で、質量共に一番にrankされるといって過言ではないと思う。
 
1035分 東京都美術館発→徒歩→
1041分 国立西洋美術館着
 
【国立西洋美術館『ハプスブルク』展】
 
[63]国立西洋美術館前の本企画展看板前にて

[64]本企画展leaflet
                  
[65]コルネリス・デ・ヘーム(Cornelis de Heem(1631-95))Breakfast Still Life

[66]ベラスケスVelazques(1599-1660)Infanta Margarita Teresa(1651-73)
                  
[67]エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Vigee-Lebrun(1755-1842)Archduchess Maie Antoinette of Austria(1755-93), Queen of France

[68]Viktor StaufferEmperor Francis Joseph l(1830-1916)
                  
[69]Josef HoraczekEmpress Elisabeth(1831-98) in Light Blue Dress


 欧州を中心に君臨し続けたハプスブルク家は、ライン川上流域の豪族として頭角を現し、13世紀末にオーストリアに進出。同地を拠点に勢力を拡大し、広大な帝国を築き上げた。15世紀以降は、神聖ローマ帝国の皇帝位を代々世襲。ナポレオン戦争に拠る神聖ローマ帝国解体後は、後継のオーストリア帝国(1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国に改組)の皇帝となった。第一次世界大戦後に帝国が終焉を迎える迄、数世紀に亘り広い領土と多様な民族を統治した欧州随一の名門。〔以上、本企画展leaflet撚り引用〕
 本企画展leafletは、「歴史を彩った、(ハプスブルク)王家の8人の物語」と称して、神聖ローマ帝国皇帝:マクシミリアン1世、同:ルドルフ2世、スペイン国王:フェリペ4世、同国王女:マルガリータ・テレサ(添付写真[66])、神聖ローマ帝国女帝:マリア・テレジア、フランス王妃(=マリア・テレジア皇女):マリー・アントワネット(添付写真[67])、オーストリア帝国皇帝:フランツ・ヨーゼフ1(添付写真[68])、オーストリア帝国皇妃(=フランツ・ヨーゼフ皇帝妃) (添付写真[69]):エリザベトの8人の肖像画とcaption付きで紹介している。
 
【小生comment
 欧州で最高の家柄と称されるハプスブルク家「600年に亘る帝国collectionの歴史」の企画展で大変見応えあるものであった。
 
1116分 国立西洋美術館発→徒歩 5分→
1121分 上野の森美術館着
 
■さて今日最後の話題は、前々号&前号に続き「四T」の第4回目 三橋鷹女(みつはし たかじょ(1899.12.24-1972.04.07))についてご紹介させて頂く。

 三橋鷹女の略歴は以下の通り。

1899(明治32)年 千葉県成田町の三橋家に生まれる / 本名:たか子
1916(大正05)年 成田高女を卒業し上京 / 次兄 慶一郎の許に寄寓し、兄が師事する与謝野晶子(1878-1942)、若山牧水(1885-1928)に影響を受け作歌を開始
1922(大正11)年 歯科医師 東謙三(俳号:剣三)と結婚 / 夫の影響で俳句を始める / 此の頃より俳号:東鷹女を名乗る
1929(昭和04)年 原石鼎(1886-1951)の俳誌「鹿火屋」に夫と共に(以降、夫と入退会の行動を共にする)入会
1934(昭和09)年「鹿火屋」を退会し、小野蕪子(1888-1943)の俳誌「鶏頭陣」に入会
1936(昭和11)年「紺」の創刊に参加、女流俳句欄の選者を担当
1939(昭和14)年「鶏頭陣」を退会
1842(昭和17)年 実家の長兄死去に撚り三橋家を継ぐ
1953(昭和28)年 富沢赤黄男(かきお)の「薔薇」に参加
1958(昭和33)年「薔薇」の後継誌「俳句評論」〕に参加
1969(昭和44)年 同人誌「羊歯」を創刊するも、同年10号で「羊歯」を辞す
1972(昭和47) 0407日死去(享年72)
 句集に『向日葵』『魚の鰭』『白骨』『羊歯地獄』『橅(ぶな)』等がある
 
 鷹女の俳句は、読者の受け取り方や感じ方は様々でも、初期から晩年迄、一貫して言葉の上での句意がはっきりしており単刀直入。意味の説明を要しない処に特長がある。〔鑑賞 女性俳句/池田澄子(1936- )著『三橋鷹女~幻も亦この世のもの』〕
 以下に、三橋鷹女の代表作を、小生がimageした画像と共に3句ご紹介する。
 
 第1句目は‥
 
  笹子(ささご)鳴く この帯留(おびどめ)が気に入らぬ  三橋鷹女
 
      句集『魚の鰭』(昭和16年刊行)所収

[70]「笹子鳴くこの帯留が気に入らぬ」をimageした画像
                   
               
 奔放な詠いぶりと口語的発想とは此の作者の特長の一つである。〔中略〕「笹子鳴く」は笹鳴きのことで、山地の笹藪等で繁殖した鶯が冬になって餌を求め、人家近くの笹藪の間等に来て、チャッチャッとまだ整わぬ鳴き声で舌鼓を打つ様に鳴いていることを言うのであるが、本来は「小鳴(ささなき)」の意である。
 冬日のあたる障子越しに笹鳴きの声が聞こえている静かな午前。部屋の中では作者が外出の身仕度を終えようとしている。着物の柄や、模様や、色に相応しい帯を締め、さて帯留めをしてみたけれど、其の帯留めが気に入らない。帯留めのやゝ派手勝ちなのが、折からの「笹子鳴く」声のあどけなさに反撥すると思ったのであろうか。其の拘泥が爪先立った作者の姿を彷彿とさせる。
 「気に入らぬ」という端的率直な表現が此の作者の面目を示す。そう言えば此の作者には「初嵐して人の機嫌はとれませぬ」、「夏痩()せて嫌ひなものは嫌ひなり」等という句もある。
 此の時期の鷹女俳句には口語調の大胆な発想が目立ち、俳壇の主流を成していた写生主義に拘束されない自由さで女の情感を詠った句が多い。〔春秋社 新版 日本秀句 秋元不死男『昭和秀句Ⅱ』より〕
 
【小生comment
 此の句は、作者のイラつきを口語調で表現しているが、決して下品さを感じさせない。
 作者のイライラした極めて短い時間の心境を、庭先でのどかに鳴く鶯の笹鳴きとの非対称性でとても巧く表現している。
 
 第2句目は‥
 
  鞦韆(しゅうせん)は漕()ぐべし愛は奪ふべし  三橋鷹女
 
      句集『白骨』(昭和273月刊行)所収
 
[71]「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」をimageした画像

 「鞦韆」はブランコのことで、春の季語。
 愛は与えられるのを待つのではなく、自分の力で奪い取れ、ブランコを高く力強く漕ぐように、という意。
 近代的な女性の宣言の句である。〔『聞いて楽しむ俳句(厳選名句)』辻桃子&安部元気【編著】〕
 
【小生 comment
 三橋鷹女の代表句と言えば、先ず此の句は外せない。
 一度聴いたら、忘れることが出来ない程、鮮烈な名句である()
 最後にお伝えする第三句目は‥

  白露や 死んでゆく日も 帯締めて  三橋鷹女

       句集『白骨』(昭和273月刊行)所収
 
[72]「白露や死んでゆく日も帯締めて」をimageした画像
                  

【小生comment
 三橋鷹女が723か月余で逝った様子を、夫・剣三氏は祭壇の前で、「其の時ばかりは目も口もはっきりしましてね。こう言ったんです。“矩(のり)を踰()えず――ですね”と。私、耳が遠いのですが、確かに私の顔を見て、そう言いました」と何度も話してくれたと、折笠美秋(おりがさ びしゅう(1934-90))が書いている。〔前掲「鑑賞 女性俳句/池田澄子(1936- )著『三橋鷹女~幻も亦この世のもの』より〕
 此の鷹女が今際の際に口にした言葉からは、「俳句の世界で奔放な新しい女性像を詠んで来ましたけど、一連の私の作品は皆(みんな)節度を弁えていましたよ、ネ、あなた!」と、夫に確認を求めていたのか、それとも、「『矩を踰えず』であるべきだったのに、我が儘ばかりして来て仕舞ってごめんなさい」と伝えたかったのか‥
 此の句の様に、鷹女は「矩を踰えず」気品を持って白玉楼中の人となったのである、と小生は思いたい。
 
  では、また‥〔了〕

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