先ず最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第一集『冬の日』から〔第13回/133句~144句〕をお届けする。
133 賎(しづ)の家(や)に賢(けん)なる女(をんな)見(み)てかへる 重五
【意】殿様がお忍びの途中、偶然貧家の女性を見かけた / 蘭の花の様に其の立ち居振舞いの立派な賢女だ / 殿様は満足して帰城された
【解説】名残表七 / 雑 / 蘭(らん)は、女性の才色の秀でたことの象徴
134 釣瓶(つるべ)に粟(あは)をあらふ日(ひ)のくれ 荷兮
【意】前句の賢女が、日暮れ時、釣瓶の水を汲み、粟(あわ)を洗って夕食の支度をしている / 彼女の所作の一つひとつが美しい
【解説】名残表八 / 雑 /
135 はやり来(き)て撫子(なでしこ)かざる正月(しやうぐわつ)に 杜國
【意】今年は何処からか夏に正月をすることが流行(はや)っていて、飾りに撫子の花を挿している /
【解説】名残表九 / 季語:撫子=夏 / 天変地異・疫病等が流行した年は、縁起直しに「夏の季節に正月行事をする」ことが民間から起こったという /
前句を、其の準備の為の所作として付けた
136 つゞみ手向(たむく)る弁慶(べんけい)の宮(みや) 野水
【意】弁慶の宮の前では、奉納の為に鼓の音が鳴り響いている /
前句の「流行(はや)り正月」が催される様な年には、弁慶の様な強力(ごうりき)無双なの御霊の力に頼るしかあるまい
【解説】名残表十 / 雑 /
137 寅(とら)の日(ひ)の旦(あした)を鍛冶(かぢ)の急(とく)起(おき)て 芭蕉
【意】「弁慶の宮の縁日」は寅の日で、武神 毘沙門天の縁日でもある / 其れ故、刀工たる者、特に早朝より起き出して仕事に励むのだ
【解説】名残表十一 / 雑 / 前句の鼓の音に拠り、刀工は今日が「寅の日、弁慶の宮の縁日」であることを知るのであろう
138 雲(くも)かうばしき南京(なんきやう)の地(ち) 羽笠
【意】此処はその刀鍛治の集まる南都奈良の都 / 此処では鑪(たたら)の煙がさかんに立ち昇るのだ / 何処かゆかしい趣を感じさせる
【解説】名残表十二 / 雑 / 前句の鍛冶から刀工に所縁ある奈良を引き出した /「たゝらの雲のまだ赤き空」(猿蓑)の雲が未明から立ち昇る
139 いがき(注1)して誰(たれ)ともしらぬ人の像(ざう) 荷兮
【意】(‥流石に古都奈良である、数多の歳月が経ち‥)斎垣の中に祀っている像が何なのかも分からなくなって仕舞っている
【解説】名残裏一 / 季語:= / 雑 /
(注1)いがき(斎垣):鳥居などについている、「井」の字形の垣
140 泥(どろ)にこゝろのきよき芹(せり)の根(ね) 重五
【意】芹の根は、泥の中にあるのに泥に染まることなく香ばしい /
【解説】名残裏二 / 季語:芹の根=春 / 前句の「祀られた正体不明の像の尊さ」を和光同塵(=己の才能を隠し世俗の中で慎ましく暮らすこと)の意を込め「泥中の香芹」に象徴させている
141 粥す(かゆ)ゝるあかつき花(はな)にかしこまり やすい
【意】早朝粗末な粥を食するだけで、あとは終日黙然として花を見て暮らすのみ /
【解説】名残裏三 / 季語:花=春 /「かつすすぐ澤の小芹の根を白み清げにものを思はずもがな」(山家集)から、山中隠棲の西行を想い浮かべた /
又「飯ニハ青泥坊底ノ芹ヲ煮る」(杜甫)から、前句の「芹」に対して此処で「粥」を引き出した
142 狩衣(かりぎぬ)の下(した)に鎧(よろ)ふ春風(はるかぜ) 芭蕉
【意】吹き抜ける春風に狩衣(かりぎぬ)がめくれると、下に着込んだ鎧が見える
【解説】名残裏四 / 季語:春風=春 / 前句の「粥」から「連歌の席」を連想し、出陣の朝の戦勝祈願の連歌の場面を描いた
143 北(きた)のかたなくなく簾(すだれ)おしやりて 羽笠
【意】出陣して行った最愛の夫を見送った / 前句を、北の方は涙にくれながら簾(みす)を押しのけて其の夫の後ろ姿として見た付け句
【解説】名残裏五 / 雑 / 恋=北のかた /
144 ねられぬ夢(ゆめ)を責(せむ)るむら雨(さめ) 杜國
【意】いなくなった夫のことを夢の中ででも見て思い出して寝ようとするが、村雨の音が耳について眠られない
【解説】挙句 / 雑 / 恋=ねられぬ夢 /
【小生comment】
次回は『冬の日』の〔第14回〕145句~156句をお届けする。お楽しみに!
■続いての話題は、05月11日(土)に『浜松城』→浜松市美術館『没後70周年/上村松園展』→浜松市秋野不矩美術館『堂本印象展』→『二股城跡』→『らあめん 陣屋』→名都美術館『山元春挙【後期】展』を巡って来た模様についてお伝えする。
其の日は、月一回の名古屋市東区徳川一丁目にある歯科医院に歯科健診に行く日。
ついでに、浜松市美術館・浜松市秋野不矩美術館・名都美術館を巡って来た。
05時15分 起床→腹筋2,000回
06時15分 2.5kgの木刀素振り60分
07時20分 入浴→朝食
08時20分 拙宅発→一般道39km 60分→
09時20分 浜松市役所駐車場着
[01]浜松市役所駐車場の花壇の花々1
[02]同上2
[03]同上3
【浜松城】
[04]浜松城天守閣を back に1
[05]浜松城公園案内図
[06]浜松城天守閣への参道
[07]浜松城天守閣を back に2
【没後70周年 上村松園 展】
[08]浜松市美術館入口にて
[09]浜松市美術館内「没後70周年 上村松園 (1875.04.23-1949.08.27)展」看板前にて
[10]本企画展 leaflet(表)/絵は上村松園『母子【重文】』1934年 東京国立近代美術館蔵
[11]同上(裏)
[12]上村松園『花』1910年 姫路市立美術館蔵
[13]同『舞仕度』1914年 京都国立近代美術館蔵
[14]同『良夜吹く笛図』1914年頃 木原文庫蔵
[15]同『花嫁』1935年 奈良ホテル蔵
[16]同『初雪』1937年頃 個人蔵
[17]同『櫻がり』1940-43年 株式会社ヤマタネ蔵
[18]同『静』1944年 東京国立近代美術館蔵
[19]同『新蛍』1944年 東京国立近代美術館蔵
【松園賞受賞の作家たち】
[20]小倉遊亀 (1895.03.01-2000.07.23)『O夫人坐像』1953年 東京国立近代美術館蔵
[21]同『山吹』1966-67年
[22]堀文子 (1918.07.02-2019.02.05 )『春』1969年
10時38分 浜松市秋野不矩(1908.07.25-2001.10.11)美術館『堂本印象 (1891.12.25-1975.09.05)展』
[23]秋野不矩美術館駐車場入口の本企画展看板前にて
[24]同美術館前にて1
[25]同上2
[26]同美術館内 本企画展看板前にて
[27]堂本印象『深草』1919年
[28]同『實(みのり)』1930年
[29]同『雪』1930年
[30]同『兎 春野に遊ぶ』1938年
[31]同『女人出定』1938年
[32]同『中山七里』1945年
[33]同『椅子による二人』1949年
[34]同『生活』1955年
[35]同『聖歌』1969年
[36]同『交響』1969年
11時17分 二俣城跡着
[37]二俣城址入口看板にて
[38]二俣城跡 本丸入口にて
[39]同 本丸にて
[40]同 天守台前にて1
[41]同
同上2
[42]同
解説板
13時12分 らあめん 陣屋着〔昼食〕
【らあめん 陣屋着】
[43]らあめん 陣屋前にて
[44]小生の超定番 味噌チャーシュー麺
13時45分 らあめん 陣屋発→一般道0.5km 3分→
14時50分 N歯科医院発→一般道13km/195km 43分→
15時33分 名都美術館着
【名都美術館 山元春挙【後記】展】
[45]名都美術館入口にて1
[46]同上2
[47]本企画展 leaflet
[48]山元春挙『西王母之図』1895年頃
[49]同『雪松図〔左隻〕』1907-1912年
[50]同『雪松図〔右隻〕』1907-1912年
[51]同『武陵桃源図』1926年
[52]同『富士二題《秋晴》』1929年
[53]同『富士二題《雨模様》』1929年
[54]同『高嶽爽気図』1930年
17時45分 帰宅 走行距離計273km〔了〕
【後記】5月13日、開発ビル(豊橋駅前大通2丁目) 9Fの名豊ギャラリーの前を通ったら、豊城中学の同期で Facebook のお友だちの富ちゃんの紹介で、同じくFacebook のお友だちになった内藤勲さんの『内藤勲の楽しい似顔絵展』が今月 05月19(日)〜06月02(日)迄開催されることを知った。 内藤さんには、丁度一年前の5月20日に小生の似顔絵を描いて頂いた思い出がある〔←2018.05.20付 小生の Facebook 参照〕
内藤さんの déformer した似顔絵は、被写体の身体的特徴をとても巧く捉えていて sense が良い作品ばかりだ。
時間ある方は是非一度 名豊ギャラリー に足を運んでみて下さい!
[55]名豊ギャラリー入口前にて1
[56]同上2
[57]『内藤勲の楽しい似顔絵展』案内葉書(表)
[58]同上〜内藤勲氏 略歴〜(裏)
[59]『内藤勲の楽しい似顔絵展』leaflet
[60]2018.05.20付小生 Facebook 〜内藤勲氏から氏作成の小生の似顔絵を手交するした時の写真〜
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