今日から、令和元年が start だ。
昨日、Facebook に平成上皇陛下への感謝の想いを込めて以下の一文を載せた。
そそっかしい小生、実際は一昨日29日に30日だと勘違いして up して仕舞ったが‥(冷汗)
ご笑覧されたい。
「今日は、平成31年04月30日。平成最後の日である。
長年に亘り戦没者の慰霊・被災地へのお見舞い等を、溢れんばかりの慈悲の心を以て、国民の我々が驚く程真剣に誠実に対応されて来られた今上天皇・皇后両陛下。
日本国憲法第6条・第7条で定めれられている「内閣総理大臣(第6条1項)、最高裁判所長官(第6条2項)の任命、憲法改正・法律・政令・条約の公布(第7条1号),国会の召集(第7条2号)、衆議院の解散(第7条3号)、国会議員の総選挙施行の公示(第7条4号)、国務大臣及び官吏の任免・全権委任状・大使及び公使の信任状の認証(第7条5号)、大赦・特赦・減刑・刑の執行の免除及び復権の認証(第7条第6号)、栄典の授与(第7条7号)、批准書・外交文書の認証(第7条8号)、外国の大使・公使の接授(第7条9号)、大喪の礼などの儀式を行う(第7条10号)」という実に数多くの国事行為を、陛下在任中に遭遇しなかった憲法改正の公布を含むごく僅かを除き、全て職務として全うされた陛下。
日本国の象徴であり日本国民統合の象徴という最高位の天皇陛下の権威で以て此れ迄に為されて来た日本国の国事行為の数々が燦然と輝きを放つ。
今上天皇陛下におかせられましては、30年間に亘り「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という大任を果たせられて来られたことに対して衷心より敬意を表し感謝申し上げます。
そして、明日から始まる「令和」の時代が幸多かれと祈ります。」
さて、今日も【時習26回3-7の会 0754】号をお届けします。
先ず最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第一集『冬の日』から〔第10回~97句~108句〕をお届けする。
97 雪の狂呉(きやうご)の國(くに)の笠(かさ)めづらしき 荷兮
【意】雪が降る日に、友人が「笠ハ重シ呉天ノ雪」(詩人 玉屑)等と吟じ乍ら訪ねて来てくれた、共に楽しもうと /
家伝の刀を売り払ってでもこの風流人を持て成さなくてはなるまいヨ
【解説】名残表七/季語:雪=冬 /
98 襟(えり)に高雄(たかを)が片袖(かたそで)をとく はせを
【意】此の雪の中を、唐人笠を被った異様な風体で行く人物 / あの人物が今有名な遊興人だ /
彼が襟巻にしている布は吉原の花魁(=名妓)紺屋高尾の片袖を解いた(千切った)ものだそうな、なんとマァ!
【解説】名残表八 / 雑 /恋=高尾 /
99 あだ人と樽を棺に呑ほさん 重五
【意】名妓高尾の様な人と呑めるなら本望だ / 今宵は一樽飲み干す程に飲むぞ!
【解説】名残表九 / 雑 /恋=あだ人 /「あだ人」は恋しい人のこと /
100 芥子(けし)のひとへに名をこぼす禪(ぜん) 杜國
【意】如何にも「酔生夢死(すいせいむし(=何を為すこともなく、いたずらに一章を終わることあ))」の人生 /
一重の芥子の花弁の脆(もろ)く散るが如くではある / が、其の様な一枚悟りこそは、禅者には「眉唾」ものなのだ
【解説】名残表十 / 季語:芥子=夏 /
101 三ケ月の東は暗く鐘の聲(こゑ) 芭蕉
【意】西空に三日月がかかり、東の空は薄暗い / 其の時、入相(いりあい)の鐘が聞えて来た /
【解説】名残表十一 / 季語:三ケ月=秋 / 暫く続いた複雑な人事の句を、再び芭蕉が軽く繋いだ /「暗く」の一語で前句に微かに応じている
102 秋湖(しうこ)かすかに琴(こと)かへす者 野水
【意】秋の日暮れ時、湖上の夕闇の中に舟を泛(うか)べて琴を弾く者がいる / 入相の晩鐘に応じたか、調子を変え低く微かに聞こえて来る /
【解説】名残表十二 / 季語:秋湖=秋 / 前句を「西望新牙月 東聴古寺鐘」の様な漢詩調と見て、「秋湖舟影過 転調弾琴工」と応じた
103 烹(に)る事(こと)をゆるしてはぜを放(ななち)ける 杜國
【意】ハゼ釣りを楽しんだが、釣ったハゼを湖に帰してやる / 前句の風流隠士のもう一つの趣味としてハゼ釣りを出した /
【解説】名残裏一 / 季語:はぜ=秋 /
104 聲(こゑ)よき念佛(ねぶつ)藪(やぶ)をへだつる 荷兮
【意】藪を隔てた向こうから、念仏称名の声が聞こえて来る / 美しく澄み切った声に菩提心を誘われる /
前句の風流隠士が殺生を思い止まった理由を付けた /「藪」で次の句の「庵」を暗示させる
【解説】名残裏二 / 雑 /
105 かげうすき行燈(あんどん)けしに起(おき)侘(わび)て 野水
【意】明け方の寝覚め / 行燈の光も白んで来る外面に効果を弱めている / もう行燈を消せば良いのだが夜具の中から動き出しかねている /
【解説】名残裏三 / 雑 / 前句の隣庵の念仏を床の中で聴くのである / 称名の美しさにうっとりして、身体を動かすのが惜しい /
106 おもひかねつも(注1)夜(よ)るの帯(注2)引(おびひく) 重五
【意】行燈の火を消そうかと思いつつそっと隣に寝ている人の帯に手をかけて仕舞った
【解説】名残裏四 / 雑 / なまなましい状況を歌語で包み朧化した表現
(注1)おもひかねつも:歌語 / 思いに堪えかねることだ
(注2)夜るの帯:歌語「夜の衣」に倣って言った言葉
107 こがれ飛(とぶ)たましゐ(=ひ)花のかげに入(いる) 荷兮
【意】相手に想い焦がれる我が魂は、遂に其の憧れの恋人の身近な花辺り迄飛んで行く
【解説】名残裏五 / 季語:花=春 /「花」の定座であり、しかも恋の意を付けなければならない難しい所
108 その望(もち)の日(ひ)(注1)を我(われ)もおなじく はせを
【意】かの西行は、其の宿願通りに「花咲く春の、釈迦入滅の日」に近く往生を遂げたが、私もそうありたいものだ
【解説】挙句 / 季語:その望の日=春
(注1)その望(もち)の日:西行歌「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」拠り、二月十五日を指す
【小生comment】
次回は『冬の日』の〔第11回〕109句~120句をお届けする。お楽しみに!
■続いての話題は、04月13~14日に時習26回生の同期の中嶋君【3-2】&谷山君【3-3】等と一泊二日で『なれ鮨~東宝茶屋』→『新宮城跡』→『熊野速玉大社』→『熊野那智大社』→『青岸渡寺』→『熊野本宮大社』→『山水館 川湯みどりや(泊)』→『玉置神社』→『赤木城址』→『丸山千枚田』を巡って来た模様についてお伝えする。
其の日は、04時40分 起床、腹筋2000回、木刀素振り45分、入浴、食事
【旅行初日】
06時00分 中島宅発→一般道11.3km 24分→
06時50分 今泉(谷山)宅発→一般道272km(累計294.5km) 4時間20分(トイレ休憩10分✕2回を含む) ETC料金3,620円(∴@905円)→
11時10分【新宮市役所駐車場〕】車場(無料)着=〔新宮(丹鶴)城跡〕→徒歩7分→
[01]新宮市役所入口にて
11時22分 昼食処【東宝茶屋(新宮市横町2-2-12 ℡ 0735-22-2843)】着〔∴昼食は各自負担〕
[02]なれ鮨「東宝茶屋」入口にて1
[03]同上2
[04]なれ鮨「東宝茶屋」店内にて
[05]同上にて先ずは乾杯!
[06]なれ鮨を前に中嶋君と
[07]なれ鮨 鯖(左)と秋刀魚(右)
[08]なれ鮨 アマゴ(左)と鮎(右)
[09]「東宝茶屋」店主と
全て@1,300円だが、上品な感じの cheese 味で全く臭くない / 素晴らしく美味だった!
12時00分 同所発→徒歩10分→
12時15分【新宮城跡】着
【新宮城の歴史】
新宮城(=丹鶴城)は、関ヶ原合戦の後、浅野長政(1547-1611)の嫡男で和歌山城主となった浅野幸長(よしなが(1576-1613))の家老・浅野忠吉(=浅野長政の従兄弟(1546-1621))が新宮領を与えられた
1606(慶長06)年 新宮城の築城を開始
1615(元和元)年 一国一城令で一旦廃城となる
1618(元和04)年 再建を許され築城を再開
1619(元和05)年 徳川家康の十男・頼宣(1612-71)が紀州に入国、同時に頼宣の付家老の水野重仲(1570-1621)が新宮に入った
1633(寛永10)年 新宮城が完成、以後、明治維新迄、紀州藩新宮領支配の中枢として機能した
[10]丹鶴城公園遠望(新宮城跡の石垣を後方に谷山君&中嶋君と)
[11]丹鶴城公園案内看板
[12]新宮城跡入口にて谷山君&中嶋君と
[13]新宮城跡風景
[14]新宮城跡にて1
[15]新宮城跡にて谷山君&中嶋君と
[16]新宮城跡にて1
[17]同上2
[18]新宮城跡から熊野川を望む1
[19]同上2
[20]櫻花咲く新宮城跡遠望
12時50分 同所発→徒歩13分→
13時03分【熊野速玉大社(℡ 0735-22-2533)】着
[21]熊野速玉大社 神門前にて
[22]同 拝殿前にて
[23]同 同上 谷山君・中嶋君・青木さんと
[24]同 八咫烏(やたがらす)神社前にて
[25]同 御朱印
[26]同 直霊守(なおひまもり)
13時30分 同所発→徒歩発15分→
13時45分 新宮市役所駐車場発→一般道→22.3km(累計317.8km) 45分→
14時35分【熊野那智大社(℡ 0735-55-0321)】&「西国巡礼第1番札所」【青岸渡寺(℡0735-55-0401)』】着
[27]那智山参道
[28]熊野那智大社 本殿前にて、青木さん・中嶋君・谷山君と
[29]同 御朱印
[30]青岸渡寺前にて1
[31]同上2
[32]青岸渡寺にて
[33]同 御朱印
[34]青岸渡寺より「三重塔と那智の滝」をbackに1 / 谷山君&中嶋君と
[35]同上2
[36]青岸渡寺より「三重塔と那智の滝」遠望
[37]同上「西国第一番御詠歌 / 補陀洛や岸うつ浪は三熊野の那智の御山に響く滝つせ」
15時30分 同所発→一般道54㎞(累計371.8km) 1時間14分→
15時55分【熊野本宮大社(℡ 0735-42-0009)】着
[38]熊野本宮大社 拝殿前にて谷山君&中嶋君と
[39]同 拝殿前にて
[40]同 左から「西御前(結宮・第一殿) 祭神:夫須美大神&中御前(結宮・第二殿) 祭神:速玉大神&証誠殿(本宮・第三殿)
祭神:家津美御子大神(素戔嗚尊)」の前にて
[41]同 証誠殿(本宮・第三殿)
祭神:家津美御子大神(素戔嗚尊)の前にて‥右端の社が「東御前(若宮・第四殿) 祭神:天照大神」‥
[42]同 由緒書
[43]同 幟
[44]同 御朱印
17時10分 同所発→一般道4.3km(累計 376.1km) 6分→
17時30分 山水館 川湯みどりや着(℡ 0735-42-1011)【宿泊】1泊2食付(夕食はViking)@13,890円〔←更に、お造り・前菜・小鍋を付けると+@390円=14,280円になる〕
夕食のお造り・前菜・小鍋を追加する旨、初日の昼頃迄に℡して追加した
[45]川湯みどりや室内で休憩
[46]夕食での乾杯!
[47]サラダと川魚
[48]夕食の具
[49]ご飯と味噌汁
[50]Coffeeと Flutes
【旅行二日目】
05時05分 起床→腹筋40分
05時50分 朝風呂〔1回目/通算2回目〕
〔出発前に昼食用に握り飯を手配しておく(「玉置神社→赤木城跡→丸山千枚田」間に食事処があるか不明の為)〕
07時00分 朝食
[51]朝食でも乾杯!
[52]朝食一式
07時55分 朝風呂〔2回目/通算3回目〕
湯質が〔ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉〕良く、いい温泉だった
[53]厳選かけ流しの案内
[54]温泉の分析書
[55]屋内男湯
[56]屋外露天風呂
[57]屋外露天風呂にて
[58]川湯みどりや売店で購入した土産4品
[59]川湯みどりや玄関にて 青木さん・谷山君・中嶋君と
09時00分 山水館 川湯みどりや発→一般道 33km(累計409.1㎞) 1時間19分→
10時05分 玉置(たまき)神社 駐車場着
[60]玉置神社駐車場脇にあった案内図にて中嶋君&谷山君と
[61]玉置神社へ向かう途中の参道にて谷山君&中嶋君と
[62]玉置神社前の「三柱稲荷大明神」赤鳥居まえにて中嶋君&谷山君と
[63]玉置神社奥にある夫婦杉にて谷山君&中嶋君と
[64]夫婦杉の大木
[65]樹齢3,000年と記されていた神代杉の前にて
[66]玉置神社拝殿前鳥居にて中嶋君&谷山君と
10時30分【玉置(たまき)神社 本殿】着
【重文】襖絵観覧料@500円
司馬遼太郎
(1923.08.07-1996.02.12)が著書『街道をゆく』でも紹介している狩野派の襖絵を、玉置神社の神官の方が丁寧に説明してくれた。撮影禁止で図録等もない為、皆さんにご紹介出来ないのが残念である。
[67]玉置神社【重文】拝観入口1
[68]同上2
[69]玉置神社の御守
[70]玉置神社 御朱印
12時32分【赤木城跡】着
[71]赤木城址 入口の案内看板前にて
[72]同 手前の(伝)鍛冶屋敷跡にて中嶋君&谷山君と
[73]同 城址内にて谷山君&中嶋君と
[74]同 城址内にて1
[75]同 同上2
[76]同 同上3 谷山君&中嶋君と
13時15分 同所発→一般道4.1km(累計471.6km) 8分→
今日は雨天の予想だったので訪問を半ば諦めていたが、城巡りの会として、昨日の新宮城跡に続き 2つ目の城跡を見ることが出来て嬉しかった。
13時30分【丸山千枚田】着
[77]丸山千枚田を back に谷山君&中嶋君と1
[78]同上2
[79]丸山千枚田1
[80]同上2
[81]同上3
[82]同上4
[83]同上5
13時50分 同所発→一般道270㎞(累計741.6km) 5時間00分(トイレ休憩@10分✕2回&40分の夕食時間を含む) ETC料金3,620円(∴@905円)→
19時00分 今泉(谷山)宅発→9.6km(累計751.2km)→
19時20分 今泉宅発→一般道1.7km(累計752.9km)→
19時25分 青木宅発→一般道11.3km(累計764.2km) 25分→
19時50分 中嶋宅着〔了〕∴764.2km÷11㎞/L≒70L✕@150円=10,500円÷4人=@2,625円‥(1)ガソリン代
@3,620円✕2÷4人=@1,810円‥(2)高速道路料金
@500円‥(3)拝観料
@15,480円‥(4)宿泊代
【小生comment】
久しぶりに復活した4人の城巡り会「県人会旅行」は、熊野三山と『西国観音巡礼 第一番札所 青岸渡寺』を巡る旅。
此れから『西国巡礼の旅』を続けていく予定である。
中嶋君が、4人一緒の「朱印帳」を用意してくれていた。
中嶋君、ありがとう!
では、また‥〔了〕
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