■皆さん、今日も【時習26回3−7の会 0901号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『ひさご』&〔第13回 / 73~78句〕」をご紹介する
.
. 城下(注1)
.
(注1)城下:膳所藩、膳所城下 / 1602(慶長七)年、大津城を廃止して膳所ヶ崎に築城、琵琶湖に映る天守閣の美観は有名 / 因みに、膳所藩は、三河国多米の領収であった戸田一西(とだ かずあき(1543-1604))が立藩 / 関ヶ原の戦い後の慶長六(1601)年、徳川家康は大津城に代わる城として、相模川河口付近の膳所崎に天下普請で膳所城を築城し、武蔵国高麗郡鯨井5千石の領主であった譜代の戸田一西に3万石を与えて入部させた / 此れが膳所藩の立藩である
/ 一西は藩政安定化のために漁民を保護し、しじみを特産品とした / 慶長九(1604年)に一西が死去すると、子の戸田氏鉄〔=大垣藩初代藩主〕が跡を継いだが、元和二(1616)年に大坂の陣における武功を賞されて摂津尼崎藩5万石へ移封された / 寛永十二(1635)年07月28日、美濃国大垣10万石へ移封され、爾来、戸田氏は明治維新迄大垣藩主
/ 芭蕉が江戸と膳所を往来した当時は、本多康慶六万石の城下町 / 琵琶湖を東にして南北に長く、北から西ノ庄・木ノ下・膳所・中ノ庄・別保の五村 / 湖岸に沿って東海道が縦貫し、北は大津口、南は勢多(瀬田)口 / 街道の両側は町屋、山側の町屋の背後に侍屋敷と寺があった
.
. 野徑
.
073 鐵砲(てつぱう)(注1)の遠音(とほと)に曇(くも)る卯月(うづき)哉(かな)
.
【意】膳所(現・大津市膳所)の城下町 / 此処では、城の鉄砲の訓練が、火薬の性能チェックも含めて毎年四月朔日に行われたという / 其の遠くに鳴る鉄砲の音が春の花曇の卯月の空に響いている
/ 四月朔日は衣更え、人々は鉄砲の音で衣更えに気がついたのである
【解説】《発句》《夏》:卯月
/
(注1)鉄砲:別保村の足軽長屋の南に南北65間の鉄砲矢場があった / 秘註俳諧七部集に「都(スベ)テ城下ニ火術ノ稽古ハ四月朔日ヨリ七月晦日ニ限ルナリ」と言い、「鉄砲の音や気のつく更衣 甫松」(小弓俳諧集)、「盆をかぎりに稽古鉄砲 怒誰」(三千化)等の例句もある
.
074 砂(すな)の小麥(こむぎ)の痩(やせ)てぱらぱら 里東
.
【意】鉄砲の訓練場である鉄砲場は湖の浜辺に近いところの砂地の痩せ地
/ だから、四月だというのに付近の畑の麦はぱらぱらとしか生えていない
【解説】《脇》《夏》:小麥 / 鉄砲矢場付近の実景であろう
/ 発句・脇共に感覚的な叙景句で、映りも良い
.
075 西風(にしかぜ)(注1)にますほの小貝(こがひ)(注2)拾(ひろ)はせて 泥土
.
【意】西風が吹くと貝は東の岸に寄せられて来る / 其の中には「ますほの小貝」混じっている
/ ますほの小貝は、越前国敦賀の種の浜の貝 / だから当然、琵琶湖にある訳ではない / 先年芭蕉が訪れた処からの連想か /「ますほの小貝拾はんと種の浜に舟を走らす」〔奥の細道〕
【解説】《第三》《雑》/
(注1)西風:二月に吹く大西風を貝寄せと言い、大阪四天王寺では二十二日の聖霊会に供える造花の材料の貝を浜で採集する
/ 此処は「雑」なので二月に限定しない
(注2)ますほの小貝:西行が「汐染むるますほの小貝拾ふとて色の浜とはいふにやあるらん」と詠んだ虹色の小さな二枚貝のこと
/「小麥」に「小貝」は差合〔=連歌・俳諧で、同字語や同義語等が規定以上に近くに出るのを禁じるきまり〕
.
076 なまぬる一つ餬(もら)ひかねたり 乙州
.
【意】浜の漁民は一心不乱に貝を獲っている / 風流人の自分は「ますほの小貝」という生きていく術とは無関係ない貝等を拾っている
/ 人々が働いている中で「お茶をくれ」とも言えなくなり、喉が渇いたが我慢している自分‥
【解説】《初折表四》《雑》/ 元禄三(1690)年九月十二日付、曾良宛芭蕉書簡に「其内(ひさと集中)戸伊麻の旅寝有申候間、泪を御落し被成まじく‥」とあるは、此の付句か /「奥の細道」旅中の曾良日記に「戸伊麻、宿不借」とあり、其の前日「矢本新田ト云町ニテ咽乾、家毎に湯乞共不与‥」とある
(注1)餬(もら)ひ:書言字考「餬口:クチヲモラフ」
.
077 碁(ご)いさかひ二人(ふたり)しらける(注1)有明(ありあけ)に 怒誰
.
【意】有明の時刻まで、夜を徹して碁を打って来たが、激しい戦いで二人は気不味い雰囲気に
/ 其の為、此の家の主人である囲碁の相手に「白湯(さゆ)一杯くれ」と所望しかねるという逆付
/ 前句の「一つ」に「二人」と拍子をとった
【解説】《初折表五》《秋》:有明〔月の定座(《初折表五》)〕/
(注1)しらける:「興覚め」の意に「有明」の「白ける」を言いかけた
.
078 秋(あき)の夜番(やばん)の物(もの)もう(注1)の聲(こゑ) 珍碩
.
【意】秋の夜長、町内を見回る夜警の番人が門口から「もうし」と不審の声をかける意
【解説】《初折表六》《秋》:秋 / 深夜の灯と口論の声を咎(とが)めだてする夜番を出した向付
(注1)物もう:夜警の者の「たのもう」とたずねる声をかけてくること
.
【小生 comment 】
. 次回は、『ひさご』第14回 / 第79句~84句をお届けする
. どうぞ、お楽しみに!
.
■続いての話題である
. 此の(02月16日(水))日は、平日週一回の公休日
. 02月11日(金)・12(土)・13(日)三連休に、「愛知県美術館『コレクション展』」「愛知県芸術劇場コンサートホール:佐渡裕指揮ウィンドアンサンブル演奏会」「近江国湖西『和邇~小野の里』巡り」「佐川美術館『佐藤忠良』『平山郁夫』『楽吉右衛門』常設展」「三井住友海上しらかわホール『諏訪内晶子:J. S. Bach無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ Violin
Recital』」と三日連続で見て来たこともあって、少々疲れが溜まったかな
. とは言え、家にじっとしているのは勿体ないと、今日も以下の通り行動した
.
05時30分 起床→腹筋2,00回
06時30分 2.5kg木刀素振り60分
07時30分 入浴→朝食→仕度
08時30分 拙宅発→一般道20分 6㎞→
08時50分 弥生病院着〔脳外科〕
09時10分 抜糸
09時30分 弥生病院発→一般道1時間35分 62㎞→
11時05分 刈谷市美術館駐車場着
11時07分 刈谷市美術館『花咲く絵画』展
.
【刈谷市美術館『花咲く絵画』展】
.
[01][左上]刈谷市美術館 同前にて
[右上]同 館内にて
[左下]斎藤悟朗(1947- )『華の刻』1999年
[中下]同『同』同前にて
[右下]同 本展 leaflet
.
[02][左上]和田英作(1873-1959)『薔薇』1925年
[右上]同『静物(玉葱と夾竹桃)』1948年
[左下]上原欽二(1915-2001)『ひまわり』1960年
[右下]平松礼二(1941-)『ジベルニー/モネの池・風音』1998年
.
[03][上]後藤純男(1930-20016)『薄墨桜』1987年
[左下]鬼頭鍋三郎(1899-1982)『花の前のN嬢』1941年
[右下]大島哲以(1926-99)『薔薇刑』1984年
.
11時35分 刈谷市美術館発→一般道26km/88km
12時25分 名都美術館駐車場着
12時27分 名都美術館『所蔵品/ビューティフル・フラワー』展
.
【名都美術館『所蔵品/ビューティフル・フラワー』展】
.
[04][左]名都美術館入口にて
[右上]本展 leaflet
[右下]伊藤嘉晃(1939- )『薄墨の桜』
.
[05][福田平八郎(1892-1974)『矢車草』1935~45年
[左下]伊東深水(1898-1972)『立秋』1960年頃
[右下]入江波光(1887-1948)『白梅(梅花小禽図)』制作年不詳
.
[06][上]安田靫彦(1884-1978)『つばき』(部分)
[左下]徳岡神泉(1896-1972)『芙蓉』制作年不詳
[右下]加山又造(1927-2004『牡丹』(部分)1979年
.
[07][左]牧進(1936- )『夕顔』制作年不詳
[右上]小倉遊亀(1895-2000)『菖蒲』1970年頃
[右下]奥村土牛(1889-1990)『グラジオラス』制作年不詳
.
13時06分 名都美術館発→一般道37分
13km/101km→
13時43分 らあめん専門店「陣屋」近隣駐車場着
.
【らあめん専門店「陣屋」】
.
[08][左上]オズモール入口にて
[右上]らあめん専門店「陣屋」入口にて
[左下]カウンター奥に掲示してある「藤井聡太六段(当時)』揮毫&四段になる直前の藤井聡太くんとらあめん専門店「陣屋」店主夫妻
[中下]小生の超定番『味噌チャーシュー麺』
[右下]『味噌チャーシュー麺』を食する小生
.
13時45分 らあめん専門店「陣屋」〔昼食〕
14時08分 らあめん専門店「陣屋」近隣駐車場発→一般道83㎞/184㎞→
16時09分 理髪店着
16時35分 理髪店発→一般道10分 2㎞/走行距離系186㎞
16時45分 帰宅〔着〕
.
【小生 comment】
. 今日も、其れなりに充実した一日だった〔了〕
.
■今日は、此の話題で締め括る
. 昨日(02/19)・今日(02/20)と雨天の予報だったことと、コロナウィルス感染症のパンデミックが収まっていないので、昨(02月19)日は、美術館巡り3館を実施した
.
【大垣城・大垣市守屋多々志美術館・岐阜県美術館・一宮市三岸節子記念美術館 digest】
.
[09][左上]大垣城天守閣から「伊吹山」遠望
[右上]大垣市守屋多々志美術館『武士(もののふ)』展看板前にて
[左下]岐阜県美術館『日本洋画/美の系譜』展看板前にて
[中下]一宮市三岸節子記念美術館館内『三岸好太郎・節子』展看板前にて
[右下]らあめん専門店「陣屋」入口前にて
.
[10][左上]大垣城天守閣から「伊吹山」遠望〔拡大〕
[右上]大垣市守屋多々志美術館 本企画展 leaflet
[左下]岐阜県美術館 本企画展 leaflet
[中下]一宮市三岸節子記念美術館 本企画展 leaflet〔表〕
[右下]同 同〔裏〕
.
. 今日は、以下の通り行動した‥
.
04時00分 起床→腹筋2,000回
05時00分 2.5kg木刀素振り45分
05時45分 仕度
06時16分 拙宅発→一般道2時間37分 135㎞→
08時53分 大垣市守屋多々志美術館 近隣コイン駐車場着
09時00分 大垣城公園着
.
【大垣城】
.
[11][左上]戸田氏鐵(うじかね)&大垣城を back に1
[右上]同上2
[左下]大垣城天守閣 同城を back に
[中下]同 天守閣入口にて
[右下]大垣城御朱印&大垣藩と戸田氏解説
.
[12][左]大垣城天守閣 最上階にて伊吹山方面を back に
[右上]大垣城天守閣 同所より伊吹山」遠望1 〔前掲〕
[右中]同 同上2〔拡大〕〔前掲〕
[右下]同 大垣城の歴史
.
09時21分 大垣市守屋多々志美術館着
.
【大垣市守屋多々志美術館『武士(もののふ)』展】
.
[13][上]同 本企画展 leaflet 〔前掲〕
[左下]大垣市守屋多々志美術館 同館入口「本企画展看板」前にて〔前掲〕
[右下]守屋多々志『星と武者』
.
[14][上]守屋多々志『願わくば〔西行法師〕』
[左下]同『ある日の武蔵』
[右下]同『赤穂の灯〔浅野内匠頭の妻〕』
.
09時45分 大垣市守屋多々志美術館 近隣駐車場発→一般道30分 15㎞/150㎞→
10時15分 岐阜県美術館駐車場着
.
【岐阜県美術館『日本洋画/美の系譜』展】
.
[15][左上]岐阜県美術館 駐車場近隣にて
[右上]同 同館入口『日本洋画/美の系譜』展看板前にて〔前掲〕
[左下]同 本企画展 leaflet 〔前掲〕
[右下]山本芳翠『若い娘の肖像』1880年頃〔岐阜県美術館〕
.
[16][左上]原田直次郎『花』1896年〔岐阜県美術館寄託〕
[右上]青木繫『海』1904年〔岐阜県美術館寄託〕
[左下]黒田清輝『菊』1912年〔ポーラ美術館〕
[右下]和田英作『薔薇』1926年
.
[17][左上]小出楢重『静物』1924年〔ポーラ美術館〕
[右上]岡田三郎助『背中半裸の婦人像』1914年〔個人蔵〕
[左下]浅井忠『早春』1887年〔個人蔵〕
[右下]木村荘八『パンの会』1928年〔岐阜県美術館寄託〕
.
[18][左上]藤島武二『日の出』1930-32年頃〔ポーラ美術館〕
[右上]安井曾太郎『薔薇』1954年〔ポーラ美術館〕
[左下]熊谷守一『百日草』1961年〔岐阜県美術館〕
[右下]靉光『花園』1940年〔登録美術品/公開館 岐阜県美術館〕
.
[19][左上]山口薫『画室の森』1949年〔岐阜県美術館〕
[右上]瑛九『海』1950年〔岐阜県美術館〕
[左下][左上]ムンク『マドンナ』1895-1912年〔岐阜県美術館〕
. [左下][右上]パスキン『マリエッタの肖像』1928-29年〔岐阜県美術館〕
. [左下][左下]スーチン『吊るされた七面鳥』1925年〔岐阜県美術館〕
. [左下][右下]ヴラマンク『ブレゾル〔嵐の風景/冬の街〕』1937年〔岐阜県美術館〕
[右下][左上]モロー『聖セバスティアヌスと天使』1876年〔岐阜県美術館〕
. [右下][右上]ルドン『薔薇色の岩』1880年〔岐阜県美術館〕
. [右下][左下]ミロ『人と月』1950年〔岐阜県美術館〕
. [右下][右下]ピカソ『ランプの下の生物』1962年〔岐阜県美術館〕
.
11時09分 岐阜県美術館 駐車場発→一般道 41分 15㎞/165㎞→
11時50分 一宮市三岸節子記念美術館駐車場着
.
【一宮市三岸節子記念美術館『三岸好太郎・節子』展】
.
[20][左上]一宮市三岸節子記念美術館 同館入口前『本企画展』看板前にて
[右上]同 同館内『本企画展』看板前にて〔前掲〕
[左下]同『本企画展』leaflet〔表〕〔前掲〕
[右下]同『同』同〔裏〕〔前掲〕
.
[21][左上]三岸節子(左)1923年
女子美術学校卒業の頃&三岸好太郎(右)1923年 上京直後の好太郎
[右上]三岸好太郎『大塚仲町風景』1922年〔北海道立三岸好太郎美術館〕
[左下]同『赤い肩かけの婦人像』1924年〔北海道立三岸好太郎美術館〕
[右下]1925年 節子、春陽会第3回入線の自画像と共に(左)&三岸節子『自画像』1925年(右)〔一宮市三岸節子記念美術館〕
.
[22][左上]三岸好太郎『上海風景』1926年〔北海道立三岸好太郎美術館〕
[右上]同『黄服少女』1930年〔北海道立三岸好太郎美術館〕
. 此のモデルは、好太郎の愛人で女性作曲家・吉田隆子
[左下]同『花』1929年〔高輪画廊〕
[右下]同『白百合』1932年〔北海道立三岸好太郎美術館寄託(個人蔵)〕
.
[23][左上]三岸節子『室内』1936年〔東海テレビ放送株式会社〕
[右上]三岸好太郎『三人家族』1930年頃〔北海道立三岸好太郎美術館〕(左)&1932年11月 札幌から帰京後、鷺宮の自宅にて(右)
. 写真(右)左から節子、長女・陽子、次女・杏子、長男・黄太郎、好太郎
[左下]三岸好太郎『裸婦』1933年〔個人蔵〕
[右下]同『婦人像』1932年〔北海道立三岸好太郎美術館〕
.
[24][左上]三岸好太郎『花ト蝶』1932年〔北海道立三岸好太郎美術館〕
[右上]同『大通公園』1932年〔北海道立三岸好太郎美術館〕
[左下]同『composition』1933年頃〔北海道立三岸好太郎美術館〕
[右下]同『海と射光』1934年〔福岡市美術館〕
.
[25][左上]三岸好太郎『雲の上を飛ぶ蝶』1934年〔東京国立近代美術館〕
[右上]三岸節子『室内』1941年〔横須賀美術館〕
[左下]同『静物〔金魚〕』1950年〔東京国立近代美術館〕
[中下]同『シャトー・カルカッソン』1954年〔愛知県美術館〕
[右下]同『巴里の古い街』1954年〔法人蔵〕
.
[26][左上]三岸節子『エジプトの鷹』1967年〔東京国立近代美術館〕
[右上]同『摩周湖』1965年〔北海道立近代美術館〕
[左下]同『大運河の家』1973年〔個人蔵〕
[右下]同『小運河の家』1973年〔神奈川県立近代美術館〕
.
[27][左上]三岸節子『セーヌにて』1980年〔高輪画廊〕
[右上]同『エッフェル塔』1985年〔女子美術大学美術館〕
[左下]同『花咲くブルゴーニュ』1977年〔名古屋市美術館〕
[右下]同『テアトルの廃墟』1989年〔高輪画廊〕
.
12時24分 一宮市三岸節子記念美術館駐車場発→一般道1時間05分 28㎞/193㎞→
13時29分 らあめん専門店「陣屋」近隣駐車場着
.
【らあめん専門店「陣屋」〔昼食〕】
.
[28][左]オズモール入口 monument 前にて
[右上]らあめん専門店「陣屋」入口前にて〔前掲〕
[左下]小生の超定番「味噌チャーシュー麵」
[右下]「味噌チャーシュー麵」を食する小生
.
14時15分 らあめん専門店「陣屋」近隣駐車場発→一般道 2時間05分 85km/278km
16時20分 帰宅〔了〕
.
【小生 comment】
. 今日の岐阜県美術館『日本洋画/美の系譜』展は、日本近代洋画史を改めて勉強させて貰った有意義な企画展であった
. 作品は、ポーラ美術館と岐阜県美術館が所蔵する選りすぐりの名画ばかりであり、其れ等を確り堪能出来て良かった
. 又、一宮市三岸節子記念美術館『三岸好太郎・節子』展では、実際、北海道へ三岸好太郎の作品を見に行くことはまずないので、今回、一宮市で北海道立三岸好太郎美術館所蔵の三岸好太郎の作品を纏めて観ることが出来たことは幸いであった
. そう言う意味からも、大変貴重な企画展だった
. 又、三岸節子の作品も、一宮市三岸節子記念美術館以外の美術館や個人蔵の作品を初めて見ることが出来たことも貴重な体験になった
. ホント、名画っていいですネェ!〔了〕
.
. では、また‥(了)
*
. ブログへは【0626】号迄のback numberはURL
: http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog
←此処をclickして下さい
*
0 件のコメント:
コメントを投稿