■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
. 今日も【時習26回3−7の会 0870】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第88回/員外~第861句~870句〕」をご紹介する
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861 たヾ人(びと)となりて着物(きるもの)うちはを(=お)り 仝
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【意】(前句で)看経している男は、実は昔は高貴な身分だったが、訳あって今は世捨て人となり読経三昧の日々を送っている / 身なりも薄手の着物を羽織っただけの簡素にして‥
【解説】《名残表一》《雑》/
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862 夕(ゆふべ)せはしき酒(さけ)ついでやる 兮
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【意】夕方の多忙な時刻 / 量り売りの酒を買いに来て帰って行った人は、(前句の)元高貴な人物 / 酒を売った後で、酒屋の者が「あの人が高貴な方だったなんてネェ」などと噂している
【解説】《名残表二》《雑》/
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863 駒(こま)のやど昨日(きのふ)は信濃(しなの)けふは甲斐(かひ) 水
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【意】駒牽に向かう人馬で賑わう「逢坂関」の近くの宿場町の風景 / 昨日泊ったのは信濃国からの、今日は甲斐国からの駒が泊る
【解説】《名残表三》《秋》:駒のやど /「八月の駒牽(こまひき)」は宮中へ献上される馬を天皇以下が閲(けみ)する行事で、各国毎に其の日が分かれていた / 此処は、逢坂関に近い宿駅 / 京に向かう人馬で連日の賑わいを見せている場面
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864 秋(あき)のあらしに昔(むかし)浄瑠璃(じやうるり) 兮
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【意】悪天候で旅の宿に逗留している人々が古臭い浄瑠璃を語り唄って自分たちを慰めている /
信濃や甲斐の国々から遣って来る人達の芸は古風なのである
【解説】《名残表四》《秋》:秋のあらし /
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865 めでたくもよばれにけらし(注1)生身魄(いきみたま)(注2) 水
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【意】長生きして生身魂(いきみたま)に招待されるとは、真に目出度く有り難いことだ
【解説】《名残表五》《秋》:生身魄(いきみたま) /
(注1)よばれにけらし:「よぶ」は、饗応すること/「けらし」は、「けり」に同じ
(注2)生身魄(いきみたま):盂蘭盆の頃、高齢者を饗応する敬老宗教行事
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866 八日(やうか)の月(つき)(注1)のすきといる(注2)まで 兮
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【意】上弦の月も、綺麗さっぱりと没した / そんな遅い時刻迄饗応してくれた目出度い宴だった
【解説】《名残表六》《秋》:月 /
(注1)八日の月:「上弦」の月 / 日没時に南中し、真夜中に弦を上にして地平線に没することから「上弦」の月と付いた
(注2)すきといる:「すきと」は「すっきりと」の、「いる」は「入る」の意味 / 此処では、八日の月が山の端にすっかり入ることをいう
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867 山(やま)の端(は)に松(まつ)と樅(もみ)とのかすかなる 水
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【意】上弦の月が山の端に沈みつつある / 稜線に沿い、松の木・樅(もみ)ノ木のsilhouetteが幽玄な趣を醸し出している
【解説】《名残表七》《雑》/
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868 きつきたばこにくらくらとする 兮
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【意】慣れない煙草を吸ったら、其の強烈さに頭がくらくらとした
【解説】《名残表八》《雑》/ 前句の「かすかなる」を、「朦朧としてよく見えない」意にとり、「くらくらとする」に転じた
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869 暑(あつ)き日(ひ)や腹(はら)かけ(注1)ばかり引結(ひきむす)び 仝
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【意】此の猛暑日、腹かけだけと男が横になっている / 煙草きつさと暑さにやられた様である
【解説】《名残表九》《夏》:暑き日 /
(注1)腹かけ:素肌に着て、胸と腹だけを覆う下着 / 馬子・職人が法被の下に着る /「くらくらする」のは煙草だけではない
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870 太鼓(たいこ)たゝきに階子(はしご)のぼるか 水
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【意】腹かけ姿の勇ましい姿は、此れから梯子を上って祭の太鼓を叩く為の様だ /
【解説】《名残表十》《雑》/
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【小生 comment】
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第89 回 / 員外~第871句~880句〕をご紹介する
/ お楽しみに!
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■さて、今日続いての話題は、先週末の07月17日に、旧東海道五十三次一人旅 walking「JR由比駅→「東海道名主の館 小池邸」→「由比『小雪紺屋』」→「『由比本陣』→『静岡市東海道広重美術館』→『由比本陣記念館「御幸亭」』」→「由比の一里塚跡」→JR蒲原駅」を巡って来たことについてお伝えする
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04時00分 起床→腹筋2,000回
04時50分 2.5kg木刀素振り50分
05時40分 入浴→朝食→
06時14分 拙宅発→一般道 2時間12分 130km→
08時26分 JR興津駅前駐車場着
08時51分 同駅発→東海道本線〔運賃190円〕→
08時56分 JR由比駅着
09時15分 同駅発→徒歩8分 800m→
09時24分「東海道名主の館 小池邸」着
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【拙宅→JR興津駅】
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[01][左上]JR興津駅前駐車場にて〔後方は JR興津駅〕
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[右上]JR興津駅 platform にて
[左下]拙宅を06時14分発
[中下]JR興津駅前交差点
[右下]08時26分 JR興津駅前駐車場着〔130㎞/所要時間2時間12分〕
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿→同区寺尾〕風景】
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[02]Google 航空 map : JR由比駅→東海道名主の館「小池邸」への経路図
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[右上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿〕風景「旧東海道」1
[左下]07月17日静岡市の天気予報〔最高気温30℃〕
. 今日も暑くなるナァ!
[中下]同〔同市同区由比寺尾〕風景「旧東海道」1
[右下]同〔同市同区由比寺尾〕風景「同」2
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景】「東海道名主の館『小池邸』」
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[03][左上] 旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「旧東海道」3
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[右上]同〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「同」4
[左下]同〔同市同区同〕風景「東海道 名主の館『小池邸』」外観1(街道右手の建物)
[中下]同〔同市同区同〕風景「同」外観2
[右下]同〔同市同区由比〕風景「同」同所前にて
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[04][左上] 旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「東海道 名主の館『小池邸』」外観3
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[右上]同〔静岡市清水区由比〕風景「東海道 名主の館『小池邸』」庭園内の「水琴窟」
[左下]同〔同市同区同〕風景「同」庭園内の解説
[中下]同〔同市同区同〕風景「同」庭園にて1
[右下]同〔同市同区同〕風景「同」同上2
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[05][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「東海道 名主の館『小池邸』」館内の「歌川広重『東海道五十三次『由井』』
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[右上]同〔同市同区同〕風景「同」庭園1
[左下]同〔同市同区同〕風景「同」庭園にて2
[中下]同〔同市同区同〕風景「同」庭園2
[右下]同〔同市同区同〕風景「同」庭園内の「水琴窟」外観
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[06][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「東海道 名主の館『小池邸』」館内~「土間」
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[右上]同〔同市同区同〕風景「同」~「土間」から「上がり框(かまち)」へ
[左下]同〔同市同区同〕風景「同」~同所にて
[中下]同〔同市同区同〕風景「同」~定書1
[右下]同〔同市同区同〕風景「同」~同上2
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[07][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景~「土間」から居間を望む1
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[右上]同〔同市同区同〕風景~「土間」にて
[左下]同〔同市同区同〕風景~「土間」から居間を望む2
[中下]同〔同市同区同〕風景~「土間」の「上がり框」にて1
[右下]同〔同市同区同〕風景~「同」同上2
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[08][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「居間」1
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[右上]同〔同市同区同〕風景「同」同上2
[左下]同〔同市同区同〕風景「同」廊下から「居間」を望む
[中下]同〔同市同区同〕風景「床の間の『神代杉』」1
[右下]同〔同市同区同〕風景「居間」3
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[09][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「床の間の『神代杉』」前にて1
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[右上]同〔同市同区同〕風景「同」2
[左下]同〔同市同区同〕風景「同」解説板
[中下]同〔同市同区同〕風景「旧東海道」5
[右下]同〔同市同区同〕風景「同」6
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10時14分「東海道 名主の館『小池邸』」発
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[10][左上]Google 航空 map :「東海道名主の館『小池邸』」→「東海道廣重美術館」への経路map
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[右上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景 路傍の花「朝顔」
[左下]同〔同市同区同〕風景 同「ニチニチソウ」
[中下]同〔同市同区同〕風景 同「ゼラニウム」
[右下]同〔同市同区同〕風景「旧東海道」7
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景】
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[11][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「旧東海道」8
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[右上]同〔同市同区同〕風景「同」9
[左下]同〔同市同区同〕風景「同」10
[中下]同〔同市同区同〕風景「同」11
. 此の電柱にも『日本一の桜えびのまち
由比』があった
. 此の時点で、「今日の昼食は「桜えび」でいこう!」と心に決めた
[右下]同〔同市同区同〕風景 路傍の花「マツバボタン」
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[12][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景12
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[右上]同〔同市同区同〕風景「旧東海道」同所にて1
[左下]同〔同市同区由比〕風景「同」13
[中下]同〔同市同区由比〕風景「同」同所にて2
[右下]同〔同市同区由比〕風景「同」14
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾→今宿〕風景】
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[13][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比寺尾〕風景「旧東海道」から右手(東側)に駿河湾遠望
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[右上]同〔同市同区同〕風景「旧東海道」15
[左下]同〔同市同区同〕風景「同」16
[中下]同〔同市同区由比今宿〕風景「同」2
[右下]同〔同市同区同〕風景 路傍の花「向日葵」1
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿〕風景】
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[14][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿〕風景「旧東海道」3
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[右上]同〔同市同区同〕風景「JR由比駅」前にて1
[左下]同〔同市同区同〕風景「同」「観光案内図」
[中下]同〔同市同区同〕風景「同」「同」同所にて
[右下]同〔同市同区同〕風景「同」路傍の花「向日葵」2
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12時04分「桜えび・しらす」直売所「(有)望仙(商店)」着
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[15][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿〕風景「旧東海道」4と「東海道本線」(右)
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[右上]同〔同市同区由比〕風景「旧東海道」沿いにあった「桜えび・しらす」直売所
. 昼食は出来そうな感じではなかったので他の店を当たることにした
[左下]同〔同市同区由比〕風景「旧東海道」の「由比漁港」道標
[中下]同〔同市同区由比〕風景「東海道広重美術館」迄1.2kmの案内標識
[右下]同〔同市同区由比〕風景「桜えび・しらす」直売所「(有)望仙商店」外観1
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[16][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿〕風景「桜えび・しらす」直売所「(有)望仙商店」外観2
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[右上]同〔同市同区由比〕風景「(有)望仙商店」店前の縁台に腰掛けて購入した「桜えび・かき揚げ&えびめん」の receipt を見る
[左下]同〔同市同区由比〕風景「(有)望仙商店」の販売品の看板1
[中下]同〔同市同区由比〕風景「同」同上2「えびめん」
[右下]同〔同市同区由比〕風景「同」店前の縁台にて1
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[17][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿〕風景「(有)望仙商店」店前縁台にて「桜えび・かき揚げ」を手にして
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[右上]同〔同市同区由比〕風景「同」同所にて「えびめん(左)」「桜えび・かき揚げ」
[左下]同〔同市同区由比〕風景「同」同所にて「えびめん」を「いただきま~す!」
[中下]同〔同市同区由比〕風景「同」同所にて「桜えび・かき揚げ」を「いただきま~す!」
[右下]同〔同市同区由比〕風景「同」同所にて「同」拡大図
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿→由比町屋原→由比〕風景】
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[18][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比今宿〕風景「(有)望仙商店」入口にて店主と two-shot
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[右上]同〔同市同区同〕風景「(有)望仙商店」の
leaflet
[左下]同〔同市同区由比町屋原〕風景「旧東海道」
[中下]同〔同市同区同〕風景「同」同所にて
[右下]同〔同市同区由比〕風景「由比川橋」欄干
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13時02分「由比本陣」着
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比→本陣公園〕風景】
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[19][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比〕風景「由比川橋」から「由比川」上流方面遠望
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[右上]同〔同市同区同〕風景「由比川橋」欄干にて
[左下]同〔同市同区同〕風景「旧東海道」
[中下]同〔同市同区由比:本陣公園〕風景「由比本陣」外観
[右下]同〔同市同区由比:同〕風景「小雪紺屋」外観1
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[20][左上]〔同市同区由比:本陣公園〕風景「小雪紺屋」外観2
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[右上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比:本陣公園〕風景「小雪紺屋」解説板
. 此処が、将軍家光を驚かせた「由比小雪」の実家で、「染物屋」だったとは知らなかった!
[左下]同〔同市同区由比:同〕風景「小雪紺屋」前にて「由比本陣」を back に
[中下]同〔同市同区由比:同〕風景「由比本陣」内に掲示されていた「由比本陣」解説板
[右下]同〔同市同区由比:同〕風景「由比本陣」全体案内図
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[21][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比:本陣公園〕風景「同」「本陣井戸」解説碑
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[右上]同〔同市同区由比:同〕風景「本陣井戸」
[左下]同〔同市同区由比:同〕風景「東海道 広重美術館」前にて
[中下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」同所にあった「同美術館&由比本陣記念館『御幸亭』」案内看板
[右下]同〔同市同区由比〕風景「同」企画展『浮世絵で見る江戸のくらし』展 leaflet と ticket
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[22][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比:本陣公園〕風景「同」館内企画展 corner 入口にて「広重/東海道五十三次『由井』」を back に
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. 広重の『由井』は先週見た「由比宿『薩埵峠』からの富士山遠望」である
[右上]同〔同市同区由比:同〕風景「同」にて購入した「広重と歩こう/東海道五十三次」(右)と、先(6)月05日に「丸子宿」の「丁子屋」で購入した「広重/東海道五十三次の絵葉書全55枚」(左上)~「由比宿:由比・薩埵峠『由井』(左中)」・「興津宿:興津・興津川『奥津』(左下)」
[左下]同〔同市同区由比:同〕風景「由比本陣記念館『御幸亭』」解説板
[中下]同〔同市同区由比:同〕風景「御幸亭」玄関
[右下]同〔同市同区由比:同〕風景「御幸亭」池泉回遊式庭園
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[23][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比:本陣公園〕風景「御幸亭」館内1
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[右上]同〔同市同区由比:同〕風景「同」同上2
[左下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」同上3
[中下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」館内から中庭を望む
[右下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」館内~茶室「結仁齋」入口
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[24][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比:本陣公園〕風景「御幸亭」館内~茶室「結仁齋」
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[右上]同〔同市同区由比:同〕風景「同」同~同「同」同所にて1
[左下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」同~同「同」同所にて2
[中下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」館内4
[右下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」館内4~同所にて1
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[25][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比:本陣公園〕風景「御幸亭」館内4~同所にて2
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[右上]同〔同市同区由比:同〕風景「同」庭園1〔中央の大樹は「檜」〕
[左下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」同上2
[中下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」同上3
[右下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」同上4
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[26][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比:本陣公園〕風景「御幸亭」中庭5
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[右上]同〔同市同区由比:同〕風景「同」~中庭の「さざれ石」
[左下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」館内5
[中下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」館内6
[右下]同〔同市同区由比:同〕風景「同」館内6~同所にて
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14時05分「由比本陣」発
14時28分「由比の一里塚跡」着
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比:本陣公園→「由比の一里塚跡」〕風景】
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[27][左上]Google 航空 map「由比本陣」→「由比の一里塚」への経路図
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[右上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比〕風景「旧東海道」1
[左下]同〔同市同区同〕風景「由比宿東桝型跡」解説板
[中下]同〔同市同区同〕風景「旧東海道」2
[右下]Google 航空map:「由比の一里塚跡」
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区「由比の一里塚跡」〕風景】
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[28][左上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区由比〕風景「由比の一里塚跡」1
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[右上]同〔同市同区由比〕風景「同」直ぐ横にあった「道祖神」
[左下]同〔同市同区由比〕風景「同」同所にて1
[中下]同〔同市同区由比〕風景「同」同上2
[右下]同〔同市同区由比〕風景「同」同上3
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14時35分「由比の一里塚跡」発
14時56分 JR蒲原駅着
15時08分 JR蒲原駅発→東海道本線→
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【旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区「由比の一里塚跡」→JR蒲原駅〕風景】
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[29][左上]Google 航空 map:「由比の一里塚跡」→「JR蒲原駅」への経路図
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[右上]広重「蒲原宿:夜之雪『蒲原』」
. 此の広重の「『蒲原』夜之雪」は、55枚ある彼の作品の中でも人気の高い作品でご存知の皆さんも多い傑作
. 然し小生、最も雪が降らない此の地「蒲原」の「夜の雪」は違和感を禁じ得ない
[左下]JR蒲原駅前にて
[右下]JR蒲原駅 platform にて
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15時17分 JR興津駅着
15時28分 JR興津駅前駐車場発→一般道 2時間31分 132km→
18時05分 帰宅
.
【旧東海道五十三次街並〔JR蒲原駅→JR興津駅〕風景】
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[30][左上]JR蒲原駅→東海道本線〔運賃200円〕→JR興津駅
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[右上]旧東海道五十三次街並〔静岡市清水区興津中町〕風景 JR興津駅前にて
[左下]一日の踏破距離 9.2km / 歩行歩数 12,047歩
[右下]一日の走行距離計 262km / 復路走行時間:2時間31分
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18時05分 帰宅〔了〕
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【小生 comment】
. 今日は、歩行距離こそ10kmに満たなかったが、日中暑かった為、当初「蒲原一里塚」迄歩き、JR新蒲原駅にやや戻る
walking を目論んでいたが、健康を考え無理せず此の距離にした
. 次回は、「蒲原宿」→「吉原宿」を目指す
. お楽しみに!(了)
.
■続いてお届けするのは、古川美術館『山本眞輔/彫刻60年の軌跡』展を見て来た、其の模様についてである
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【古川美術館『山本眞輔/彫刻60年の軌跡』展】
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. 本展について、図録に掲載されていた古川美術館学芸員
小柳津綾子著「山本眞輔 彫刻60年の軌跡」から引用してご紹介する
.
. 彫刻は美しくなければならない
. 人生は楽しくなければならない
. 私の信条である
. 「美」は「愛」と同じ様に、その存在は誰でも知っている
. あることは確実だけれど目には見えない
. 此の「目」には見えないものを目に見える「かたち」に置き換えることが彫刻家の仕事である
. 街角で出会う山本眞輔の女性彫像は美しい
. 日本彫刻界を代表する山本の彫刻は、駅や公園、百貨店等200を超える public space に設置されている
. 名古屋の街中でも、名古屋駅、市政資料館、地下鉄入口、愛知県立図書館、大学、公園等、慣れ親しんだ場所でよく出逢う
. そして、その清らかな女性像は人生を謳歌する様に輝き、自然と共鳴し合い希望ややすらぎを人々の心に届けている〔後略〕〔山本眞輔〕
.
《略歴》
1939(昭和14)年 01月08日 愛知県幡豆郡一色町(現西尾市一色町)に生まれる
1954(昭和29)年 (15歳) 愛知県立西尾高校普通科入学
1957(昭和32)年 (18歳) 同校卒業、愛知学芸大学美術科入学〔‥担当教官から「彫刻家」の素質を認められ、同大学中退〕
1958(昭和33)年 (19歳) 東京教育大学(現筑波大学)教育学部芸術学科彫塑専攻入学
1962(昭和37)年 (23歳) 同大学教育学専攻科(筑波大学大学院)彫塑専攻進学
1963(昭和38)年 (24歳) 同専攻科終了
/ 名古屋市立保育短期大学奉職(1968年助教授/76年教授~95年迄)
1966(昭和41)年 (27歳) 日本彫塑会(現日本彫刻会)会員推挙
1968(昭和43)年 (29歳) 近藤澄江と結婚
/ 伊政府給費留学生としてローマ美術学校彫刻科に留学(1969年迄)
1972(昭和47)年 (33歳) 改組第4回日展にて「生きがい」特選受賞
1980(昭和55)年 (41歳) 同第12回日展にて「ひたむき」特選受賞
1984(昭和59)年 (45歳) 文部省派遣在外研究員として伊留学(1985年迄)
1985(昭和60)年 (46歳) 日彫展審査員(以後8回選任) / 日展審査員(以後8回選任)
1986(昭和61)年 (47歳) 日展会員就任
1996(平成08)年 (57歳) 日展評議員就任
/ 名古屋市立大学芸術工学部教授就任
1999(平成11)年 (60歳) 第31回日展にて「森からの声」(添付写真[04][左下])が内閣総理大臣賞受賞
2002(平成14)年 (63歳) 名古屋市立大学芸術工学部大学院芸術工学研究科教授就任
2004(平成16)年 (65歳) 同大学名誉教授就任
/ 第35回日展出品作「生生流転」が第60日本藝術院賞受賞 /
日展理事・日本彫刻会理事就任
2008(平成20)年 (69歳) 日本藝術院会員就任
2014(平成26)年 (75歳) 日本彫刻会理事長就任
.
[31][左上]古川美術館入口
.
[右上]本展leaflet/写真の彫像は、山本眞輔『心の旅―まほろばへの道―』2010年
[左下]山本眞輔『森からの声』1999年
[右下]同『祈り 細川ガラシャ夫人像』2013
.
[32][上]同『心の旅―アジャンタI―』2005年
.
[左下]同『旅立ちの勢至丸さま』2008年
[右下]同『心の旅―祈りの道―』2006年
.
[33][左]同『心の旅―ポルトの丘―』
.
[右上]同『タオルミーナ』2006年
[右下]同『心の旅―メテオラの祈り―』2009年
.
【小生comment】
. 「彫刻は美しくなければならない。人生は楽しくなければならない。私の信条である」という山本氏の信条は、小生、全く同感である
. 山本氏の清楚な女性の彫像を眺めていると個々の底から癒される
. そして、嘗て佐川美術館で見た佐藤忠良の女性像が頭に浮かんだ
. ご覧になってどの様な感想を持たれましたか?
.
. 続いて訪れたのは、松坂屋美術館
. 其処で企画展『近現代
日本絵画』展を見た
. 本展は、松坂屋美術館独自の企画展で、開催の趣旨の『ごあいさつ』から引用してご紹介する
.
【松坂屋美術館『近現代 日本絵画』展】
.
. 当館では「近現代
日本絵画展 ~明治から受け継がれてきたもの、未来へ受け継いでいくもの~」を開催する
. 日本の近代の美術は、西欧からの美術を積極的に受け入れ乍ら、一方では、今迄の日本独自の美術を守りつつ更に新たな地平を拓こうとする二つの潮流が交差し乍ら独自の発展を遂げて来た
. それが今日迄日常的に使われている「洋画」「日本画」という二つのgenreの成り立ちにも深く関係している
. 本展は、日本画からは、橋本雅邦、上村松園、片岡球子、東山魁夷、加山又造、平山郁夫らを、洋画は、岡田三郎助、梅原龍三郎、安井曾太郎、小磯良平、森本草介など、近現代美術史を華麗に彩った作家たちと、今日の俊英作家に拠る秀作60余点に拠り、日本美術の近現代そして未来を展望する〔後略〕
.
[34][左]本展 leaflet
.
.
【日本画】
.
[34][右上]堅山南風(1887-1980)『桃と冬瓜』制作年不詳
[右下]小倉遊亀(1895-2000)『牡丹』1971年
.
[35][左上]平山郁夫(1930-2009)『唐招提寺の夜』制作年不詳
.
【洋画】
[35][右上]浅井忠(1856-1907)『農夫帰路』1887年
[左下]梅原龍三郎(1888-1986)『軽井沢秋景』1974年
[右下]岸田 劉生 (1891-1929)『椿花図』1922年
.
[36][左上]林武(1896-1975)『薔薇』制作年不詳
.
[右上]小磯良平(1903-1988)『踊り子』1937年
[左下]森本草介(1937-2015)『布を纏う裸婦』1991年
[右下]山本大貴(1982- )『離岸の唄』2015年
.
【小生comment】
. 本展は、日本の洋画・日本画の泰斗に拠る選りすぐりの傑作選なので、ご紹介したいものばかりであった
. 絵画や美しいモノが好きな方には必見の企画展である〔了〕
.
■今日最後は、2019年11月6日(水)【時習26回3−7の会 0782】~「11月02日:松坂屋美術館『松村公嗣』展→名古屋市美術館『カラヴァッジョ』展→愛知県芸術劇場コンサートホール『辻井伸行(PF)&ケント・ナガノ指揮ハンブルクP.O.演奏会』を巡って見て聴いて」「俳人『四T』【の第3回目】~星野立子」についてお届けする
.
. 最初の話題は、2019年 11月02日(土)「松坂屋美術館『松村公嗣』展→名古屋市美術館『カラヴァッジョ』展→愛知県芸術劇場コンサートホール『辻井伸行(PF)&ケント・ナガノ指揮ハンブルクP.O.演奏会』を巡って見て聴いて」来たことについてである
. 其の日は若干いつもよりゆっくりと起床した
.
06時30分 起床→腹筋2000回
07時30分 2.5kg木刀素振り60分
08時45分 入浴→朝食
10時45分 拙宅発→一般道 自転車→
11時15分 豊橋駅発→名鉄→
12時25分 松坂屋美術館着
12時30分 松坂屋美術館『松村公嗣』展
.
【松坂屋美術館『松村公嗣』展】
.
[37][左上]松坂屋美術館入口にて1
[左下]松村公嗣『漁婦』1972年
[中下]同『大地(インド)』1979年
[右下]同『グラナダ(スペイン・グラナダ)』1981年
.
[38][左上]松坂屋美術館入口にて2
[左下]同『桂林山水(中国・桂林)』2007年
[中下]同『なごり雪』2005年
[右下]同『熊野古道』2009年
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[39][左上]松村公嗣『晨朝』2011年
[左下]同『早春』2017年02月
[中下]同『木曽川驟雨』2017年07月
[右下]同『伏見稲荷(京都)』2017年12月
.
【小生 comment 】
. ご紹介した絵画をご覧になって如何でしたか?
. 松村公嗣氏は卓越した技量で見る者を魅了してくれる
. 松村氏に accident がなければ、田渕俊夫氏が理事長を務めている日本美術院の次期理事長か、その次の理事長になるのではないか、と小生予言する
.
13時35分 松坂屋発→徒歩20分→
13時55分 名古屋市美術館着
.
【名古屋市美術館『カラヴァッジョ』展】
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[40][左上]名古屋市美術館『カラヴァッジョ』展看板前にて1
[左下]本企画展leaflet
[中下]カラヴァッジョ『リュート弾き』1596-97年
[右下]同『花瓶の花、果物及び野菜』1605-06年
.
[41][左上]名古屋市美術館『カラヴァッジョ』展看板前にて3
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[右上]カラヴァッジョ『法悦のマグダラのマリア』1606年
[左下]同『洗礼者聖ヨハネ』1609-10年
[中下]同『ゴリアテの首を持つダヴィデ』1609-10年頃
[右下]作者不詳『ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの肖像』1617年
.
【小生 comment 】
. 天才画家
カラヴァッジョ は、イタリア・ルネッサンスからバロック絵画への橋渡しをした、絵画史上忘れてはならない泰斗である
. カラヴァッジョの作品のうち、『法悦のマグダラのマリア』・『洗礼者聖ヨハネ』・『ゴリアテの首を持つダヴィデ』の3点は本当に素晴らしい傑作中の傑作だと思う
.
【名古屋市美術館『常設展』】
.
[42][左]アメディオ・モディリアーニ『おさげ髪の少女』1918年頃
.
[右]キース・ヴァン・ドンゲン『コルセットの女』1908年
.
【小生 comment 】
. 名古屋市美術館『常設展』corner は、いつ訪れても素晴らしい傑作に会えるのがとてもいい
. 今日も、モディリアーニ『おさげ髪の少女』とドンゲン『コルセットの女』に再会出来て嬉しかった
.
15時50分 名古屋市美術館発→徒歩30分→
16時10分 愛知県芸術劇場コンサートホール着
.
【辻井伸行(Pf)&ケント・ナガノ指揮ハンブルクP.O.演奏会】
.
[43][左上]愛知県芸術劇場コンサートホール入口にて1
[左下]演奏曲目変更案内
[中下]本演奏会 program
[中下]ホワイエにて
.
. 今日の演奏曲目は以下の通り
.
[1] Beethoven(1770-1827) / 劇音楽『エグモント(Egmont)』序曲 Op.84
[2] Liszt(1811-1886) / Piano
Concerto No.1 in E-Flat Major Op.124 [Encore]Liszt / ラ・カンパネラ
[3] Mahler(1860-1911) /
Symphony No.5 in E-Sharp minor [Encore]Brahms / ハンガリー舞曲第5番
.
21時25分 帰宅〔了〕
.
【小生 comment 】
. 今日の演奏会は、選曲も演奏も頗る良かった
. 重厚な曲想の Beethoven の『エグモント』で始まり、2曲目の辻井伸行君の完璧で dramatic な Liszt の『Piano
Concerto No.1』は涙が出る程の名演奏だった
. そして、最後が Mahler の『交響曲第5番』
. 此の演奏が素晴らしく、終演直後の聴衆から贈られた「万雷の拍手」に応えて、Encore 曲の Brahmsの『ハンガリー舞曲第5番』で今日の Concert は締め括られた
. 5日後の11月07日は、同じ愛知県芸術劇場コンサートホールにて、ティーレマン指揮ウィーンP.O.の演奏で、大曲 Bruckner / Symphony No.8 を聴く予定である
. 今からとても楽しみにしている
. 其の模様については、又後日!〔了〕
.
■さて今日締め括りの話題は、前号に続き「四T」の第2回目
星野立子 についてご紹介させて頂く
.
[44][左上]星野立子
.
. 星野立子の略歴は以下の通り‥
1903(明治36)年 11月15日 高濱虚子(1874.02.22-1959.04.08)の次女として、東京府麹町区富士見町生まれる
. 7歳の時、鎌倉へ転居
1924(大正13)年 東京女子大学高等学部卒業
1925(大正14)年 作家で『文学界』主宰 星野天知の息子、鎌倉彫職人の星野吉人と結婚
. 『ホトトギス』発行所および文化学院に就職
1926(大正15)年 03月 虚子の薦めにより作句開始
1930(昭和05)年 06月 虚子の勧めで、初の女性主宰誌『玉藻』を創刊
1932(昭和07)年『ホトトギス』同人
1959(昭和34)年 04月 虚子死去後、朝日俳壇選者を継承
1970(昭和45)年10月 脳血栓の為倒れ、翌昭和46年03月まで入院
. 以後、1971年より立子の妹の高木晴子が1983年07月迄『玉藻』の代選を担当
1975(昭和50)年 勲四等宝冠章受章
1984(昭和59)年 03月03日 直腸癌の為死去
/ 鎌倉の寿福寺に葬られる
. 同所に自筆句碑「雛飾りつゝふと命惜しきかな」がある
. 星野立子と彼女の作品について、「観賞
女性俳句の世界 / 第2巻 個性派の登場」(角川学芸出版刊)の 星野立子 の項目で 俳人 奥坂まや(1950-)は次の様に紹介している
.
. 〔前略〕日本の詩人とは、第一に芭蕉である
. 〔中略〕「古池や蛙飛び込む水の音」の句の宇宙には、全く「内面」が存在しない。自然の実が圧倒的に聳え立つ、この絶対の「外部」は、西欧の文学にとっては衝撃なのだ
. そして、正岡子規から高濱虚子が受け継ぎ、守ろうとして来たのは、正に此の瑞々しい「外部」に他ならなかった
. 〔中略〕虚子はただ、俳諧が有していた「外部」を保持し、其の輝きを守ることに専念しただけなのだ
. 〔中略〕水原秋櫻子との対立も、何よりも此の点に起因すると言って良い
. 其の虚子が、俳句作品の「外部」の輝きの点で、一番高く評価していた俳人の一人が、星野立子である
. 立子の〔中略〕長兄
高浜年尾(1900-79)(注1)、弟 池内友次郎(1906-91) (注2)、妹 高木晴子(はるこ)(1915-2000)(注3)、同
上野章子(1919-1999)(注4)、皆著名な俳句作者となったが、句作を「私の方から勧めたのは、星野立子一人である」(『晴子句集』序文)と虚子が記している様に、虚子の理想とする俳句に相応しい資質を、元々豊かに持っていたに違いない
(注1)高浜年尾:1959年 朝日俳壇&愛媛俳壇選者 / 同年高濱虚子より『ホトトギス』主宰を継承
/ 1979年 年尾の死により彼の次女の稲畑汀子(1931- )が2013年10月迄主宰を引き継いだ後、彼女の息子の稲畑廣太郎が『ホトトギス』主催を引き継ぎ現在に至っている
(注2) 池内友次郎:1927年 10月
パリ音楽院に入学 / 1936年レジオン-ドヌール勲章受章 / 1937年 帰国後は日本大学芸術科で教鞭を取り、1949年迄同科主任 /
1947年 東京芸術大学作曲科教授に就任 / 後に音楽学部長 / 1958年
相愛女子大学音楽学部作曲科主任 / 1974年 東京芸術大学退官、名誉教授 / 1977年 勲三等旭日中綬章を受章 / 1986年 文化功労者
(注3)林晴子:虚子の五女 / 1947年 『ホトトギス』巻頭 / 1971年 病の主宰立子に代わり『玉藻』雑詠選を担当 / 1984年『晴居(はるきょ)』創刊
(注4)上野章子:1942年『ホトトギス』同人の上野泰と結婚 / 戦後は夫婦で結社「春潮」を立ち上げる
/ 1973年 泰死去により主宰
.
. 以下、「鑑賞
女性俳句の世界 / 第2巻 個性派の登場/星野立子」(前掲刊)から4句ご紹介したい
.
. 第1句目は‥
.
. まゝごとの飯(めし)もおさいも土筆(つくし)かな 星野立子
.
. 大正15年作『立子句集』(昭和12年11月 玉藻社)所収
.
[44][左下]「まゝごとの飯もおさいも土筆かな」を imageする画像
.
. 23歳の春に、虚子の勧めで作った初めての俳句
. 虚子の炯眼は鋭く、処女作にも拘らず、立子独自の世界が匂立っている
. 立子の実際に目にしたのは、小さな男の子が独りで、玄関の敷居に箱の蓋を置き俎板として遊んでいた景であり、「ありのまゝを叙してみた」と自註に記しているが、〔中略〕此の句では、ままごとの材料が土筆だけだったことを選び取り、〔中略〕其の際の世界の掴み取り様が、際立って立子的なのだ
. ご飯の方は土筆の頭の粒々を利用し、おかずの方は茎を切っているのであろう
. 土筆の香りが芬々と立ち込め、柔らかな緑色をした粒々の円みと茎の直線、子供の白い、ふっくらとした手指が close up される
. 其れを通じて、「春」という季節の生命感が躍動して来る
. 立子は、季節の自然の「いのちの源」とも言うべき根源的なものを摘み取ることに長(た)けているのだ〔後略〕
.
【小生 comment 】
. 子供が土筆を食材にまま事に興じているほのぼのとした情景が目に浮かぶ
. 此の句は、星野立子の代表作として知られる名句である
.
. 第2句目は‥
.
. 囀(さえずり)をこぼさじと抱(だ)く大樹(たいじゅ)かな 星野立子
.
. 昭和14年作『続立子句集 第一』(昭和22年03月 青柿堂)所収
.
[44][中下]「囀をこぼさじと抱く大樹かな」を imageする画像
.
. 〔前略〕大木の中に沢山の小鳥が居て、盛んに囀っている
. こんもりと茂り合う葉が小鳥の姿を隠し、囀も、大樹が形作る不可視の球体の裡(うち)に抱きとられて響いているかに感じられる
. 囀は、鳥の単なる鳴き声ではない
. 命を殖やす為に相手を求める恋の叫びなのだ
. 其の叫びを地母神(じ(=ち)ぼしん)の様に懐に抱え込む大樹は、太古の神話に登場する世界樹を思わせる
. 実景の背後に拡がる始原の宇宙
. 立子の、自然を受け止める巫女の様な感受性が、世界の深淵迄届いた名句である
.
【小生 comment 】
. 小生、此の句と初めて出会った時に、一回で脳髄の奥迄確り染み込む様に記憶されたことを鮮明に覚えている
. 爾来、小鳥たちが囀る「大樹」を見る度に、自然と此の句の上五&中七の「囀をこぼさじと抱く」が直ぐ口をついて出て来る程気に入っている
. 実に素晴らしい名句だと思う
.
. 第3句&第4句は‥
.
. 雛飾(ひなかざ)りつゝふと命惜(お)しきかな 星野立子
.
. 昭和27年作『春雷』(昭和44年04月 東京美術)所収
.
[44][右下]「雛飾りつゝふと命惜しきかな」を imageする画像
. 立子が数えで五十歳になった年の句である
. 人間の方は一年一年、下り坂を感ぜずにはいられない年齢なのに、毎年、箱から取り出される雛は、時間が止まっているかの様に、容色、少しも衰えない
. 〔中略〕
. 生きとし生けるもののうち、人間だけが、命を惜しむ
. いずれは死んでいくことを知っているのも、人間だけだ
. そういう意味では、人間が最も「あわれ」な存在なのかもしれない〔後略〕
.
. 露の世の間(ま)に合(あ)はざりしことばかり 星野立子
.
.
昭和40年作『句日記ll』(昭和49年02月 東京美術)所収
.
. 昭和45年、立子は脳血栓に倒れた
. 〔中略〕昭和49年上梓の『句日記ll』が最後の句集となる〔中略〕
. まるで辞世の句を思わせる様な掲句を見ても、立子は晩年に至る迄、虚子の唱えた花鳥諷詠の只中で作品を作り続けたことが分かる
. 「露」も、最も「もののあわれ」を感じさせる季語の一つである
. 其の重い季語を、自らの思いの全てを挙げて、受け入れ、諾(うべな)っている
. 〔中略〕正に死へ向かってゆく地獄の裏付け共々、滔々たる季の循環の中で、肯定してゆく姿勢なのである
. 此の句の「露」は、人の世のあわれを抱きとめて、躍動し、輝いている
.
【小生comment】
. 「露の世」と言うと、小林一茶が愛娘さとを亡くした時に詠んだ「露の世は露の世ながらさりながら」を思い出す
. 星野立子の作品は、4句共に女性らしい優しさに、一本芯が通って実に素晴らしい
.
. では、また‥〔了〕
*
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