■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
. 今日も【時習26回3−7の会 0871】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第89回/員外~第871句~878句〕」をご紹介する
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871 ころころと寐(ね)たる木賃(きちん)(注1)の艸枕(くさまくら) 兮
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【意】ごろごろと丸太棒を転がした様に横になって寝るしかない、粗末な安宿が今晩の仮の宿である
/ 前句は、横になった人物の視線の先に見えた情景
【解説】《名残表十一》《雑》
(注1)木賃:木賃宿 / 薪代金だけを支払い泊る安宿
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872 氣(き)だてのよきと聟(むこ)にほしがる 水
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【意】安宿で偶然隣に枕を並べた男は、話してみれば気性の良い人物で、こんな男なら娘の婿に欲しいものだと思う様になった
【解説】《名残表十一》《雑》/《恋》:聟(むこ)
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873 忍(しの)ぶともしらぬ顔(かほ)にて一二年(いちにねん) 仝
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【意】父親は、此の男の気性の良さを見込んで娘婿にと望んだのだが、後に聴いた処に拠ると、当人同士は一年も二年も前から人目を忍ぶ間柄だった
/ よくもまぁ素知らぬ顔で隠し通したものだ / 一件目出度く落着
【解説】《名残裏一》《雑》
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874 庇(ひさし)(注1)をつけて住居(すまゐ)かはりぬ 兮
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【意】いよいよ婿取りとなり、家を改築して庇を増設したら、住まいもかなり変化した
【解説】《名残裏二》《雑》
(注1)庇(ひさし):もと寝殿造の母屋の四面にある細長い一間
/ 母屋の外側に付け足した部屋
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875 三方(さんぼう)(注1)の數(かず)むつかしと火(ひ)にくぶる(注2) 仝
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【解説】《名残裏三》《雑》/ 家の増築に撚り家相が変わったと気にする人物とする
(注1)三方(さんぼう・さんぽう):檜の白木で作った方形の折敷(おしき) / 三方に穴の明いた台地が付く / 神饌((しんせん):神に供える飲食物)を載せたり儀式用の台とする
(注2)くぶる:焼(くべ)る /
燃(も)やす
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876 供奉(ぐぶ)(注1)の艸鞋(わらぢ)を谷(たに)へはきこみ 水
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【解説】《名残四》《雑》/ 前句を、貴人の神社参詣とする
(注1)供奉(ぐぶ):お供の人々
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877 段々(だんだん)や小塩(をしほ)大原(おほはら)嵯峨(さが)の花(はな) 仝
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【解説】《名残裏五》《春》:花 /
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878 人(ひと)おひに行(ゆく)はるの川岸(かはぎし) 筆
【解説】《挙句》《春》:はる /
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【小生 comment】
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第90 回 / 員外~第879句~890句〕をご紹介する
/ お楽しみに!
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■さて、続いての話題である
. 去る07月23日(金)は、週一回の平日公休日
. 「JR蒲原駅」→「蒲原宿」〔「西木戸・茄子屋の辻」「大正時代の洋館『五十嵐歯科医院』」「西(平岡)本陣跡」「旅籠『和泉屋』」「日軽発電所放水路」「東木戸・常夜燈」〕→「蒲原一里塚跡」→「岩淵一里塚跡」→「小休(こやすみ)本陣 常盤家(ときわけ)住宅主屋(おもや)」→「富士川橋」→「富士川渡船場跡」→「水神社」→「JR蒲原駅」の16.5kmを21,591歩で歩いた
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01時00分 起床→腹筋2,000回
01時45分 2.5kg木刀素振り45分
02時30分 入浴→朝食
03時12分 拙宅発→1時間43分(+コンビニにてトイレ休憩7分) 130㎞→
05時02分 JR興津駅前駐車場着
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【JR蒲原駅→「蒲原宿」→JR富士駅】
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[01][左上]03時12分 拙宅発
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[右上]05時02分 JR興津駅前駐車場着
[左下]JR興津駅前駐車場にて〔駐車場料金700円/日〕
[右下]同所にて:JR興津駅を back に
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05時18分 JR興津駅発→東海道本線〔運賃
200円〕→
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【JR興津駅→JR蒲原駅へ】
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[02][左上]JR興津駅改札口
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[右上]同駅 platform にて1
[左下]同 同所にて2
[右下]JR興津駅→JR蒲原駅時刻表
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05時27分 JR蒲原駅着
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【JR興津駅 →JR蒲原駅】
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[03][左上]05時18分興津発 沼津駅ゆき東海道本線電車
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[右上]JR蒲原駅 platform にて
[左下]同駅前にて
[右下]Google 航空 map:「JR蒲原駅」→「蒲原一里塚跡」への経路図
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06時07分 清水区蒲原中 着
06時08分 同区蒲原小金 着
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【旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原中→蒲原小金〕風景】
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[04][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原中〕風景 旧東海道
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[右上]同〔同市同区蒲原小金〕風景 旧東海道
[左下]同〔同市同区同〕風景 路傍の花「アンゲロニア(上)」「トレニア カタリーナ ブルーリバー(下)」
[中下]同〔同市同区町〕風景 同「ハイビスカス(左)」「桔梗(右上)」「センジュギク(右下)」
[右下]同〔同市同区町〕風景 同「百日紅(サルスベリ)」
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06時28分「蒲原宿:西木戸・茄子屋の辻」着
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【旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景】1
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[05][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景「蒲原宿:西木戸・茄子屋の辻」
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[右上]同〔同市同区町〕風景「同:同」解説板
[左下]同〔同市同区町〕風景 同所「蒲原宿」案内板
[中下]同〔同市同区町〕風景 同所にて
[右下]同〔同市同区町〕風景 同所「蒲原宿」道標にて
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06時49分「美しい格子戸の家」着
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[06][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景 旧家1
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[右上]同〔同市同区町〕風景 同上2
[左下]同〔同市同区町〕風景 旧東海道1
[中下]同〔同市同区町〕風景「美しい格子戸の家」解説板[右下]同〔同市同区町〕風景「同」
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06時55分 大正時代の洋館「旧五十嵐歯科医院」着
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[07][左上]Google 航空 map:旧東海道「蒲原宿:西木戸・茄子屋の辻」→「西(平岡)本陣」へ
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[右上]旧東海道街並〔同市同区蒲原〕風景 旧東海道2
[左下]同〔同市同区町〕風景 同上3
[中下]同〔同市同区町〕風景 同上4「祝日を祝う国旗掲揚」1
[右下]同〔同市同区町〕風景 大正時代の洋館「旧五十嵐歯科医院」
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[08][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区町〕風景 大正時代の洋館「旧五十嵐歯科医院」解説板
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[右上]同〔同市同区町〕風景 同「同」同所前にて
[左下]同〔同市同区町〕風景 旧東海道「御殿道跡」
. はじめ武田氏を攻めて帰る織田信長を慰労するために徳川家康が建てた小規模なものだった
. 二代将軍秀忠、三代将軍家光が東海道を往来する度に拡張・整備され、規模も大きくなったという
[中下]同〔同市同区町〕風景 同「同」同所にて
[右下]同〔同市同区町〕風景 路傍の花「ペチュニア(Petunia)」
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07時08分「蒲原宿:西(平岡)本陣跡」着
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[09][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景 旧東海道「道標」1
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[右上]同〔同市同区町〕風景 旧東海道5
[左下]同〔同市同区町〕風景「蒲原宿:西(平岡)本陣跡」解説板
[中下]同〔同市同区町〕風景「同」外観1
[右下]同〔同市同区町〕風景「同」同所前にて1
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[10][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景「蒲原宿:西(平岡)本陣跡」前にて2
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[右上]同〔同市同区町〕風景「同」同上3
[左下]同〔同市同区町〕風景 旅籠「和泉屋(鈴木家)」外観1
[中下]同〔同市同区町〕風景 同「同」同上2(左)&「西(平岡)本陣跡」(右)
[右下]同〔同市同区町〕風景 旅籠「和泉屋(鈴木家)」同所前にて
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07時26分 なまこ壁と「塗り家造り」の家(佐藤家)
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[11][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景 旅籠「和泉屋(鈴木家)」解説板
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[右上]同〔同市同区町〕風景 旧東海道6
[左下]同〔同市同区町〕風景 同上7
[中下]同〔同市同区町〕風景 なまこ壁と「塗り家造り」の家(佐藤家) 解説板
[右下]同〔同市同区町〕風景 同「同」同所前にて
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07時28分 なまこ壁と「塗り家造り」の家 発→
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[12][左]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景「道標」
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[右上]同〔同市同区町〕風景 旧東海道8
[右下]同〔同市同区町〕風景 同上9 同所にて
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07時39分「蒲原宿の名所、旧跡」案内板 着
07時41分「日経発電所・放水路」着
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[13][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景「蒲原宿の名所、旧跡」案内板1
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[右上]同〔同市同区町〕風景「同」同上2
[左下]同〔同市同区町〕風景「日経発電所・放水路」
[中下]同〔同市同区町〕風景「同」同所にて
[右下]同〔同市同区町〕風景「蒲原宿」案内板
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07時50分「蒲原宿:東木戸・常夜燈」着
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[14][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景「蒲原宿:東木戸・常夜燈」
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[右上]同〔同市同区町〕風景「同」&「蒲原宿・道標(右)」
[左下]同〔同市同区町〕風景「同」同所にて
[右下]同〔同市同区町〕風景「同」解説板
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08時04分「蒲原一里塚跡」着
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[15][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景「蒲原一里塚跡」にて1
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[右上]同〔同市同区町〕風景「同」同上2
[左下]同〔同市同区町〕風景「同」同上3
[右下]同〔同市同区町〕風景「同」解説板
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[16][左上]Google 航空 map:「蒲原一里塚跡」→「岩淵一里塚跡」への経路図
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[右上]旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原〕風景 路傍の花「センジュギク」
[左下]同〔同市同区町〕風景 旧東海道10
[中下]同〔同市同区町〕風景 路傍の花「月見草」
[右下]同〔同市同〕風景 同「八重木槿」
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08時44分 富士市中之郷を通過
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【旧東海道街並〔静岡市清水区蒲原→富士市中之郷〕風景→中之郷】
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[17][左上]Google 航空map:「蒲原一里塚跡」→「富士市中之郷」への経路図
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[右上]同〔富士市中之郷〕風景 旧東海道1
[左下]同〔同市同〕風景 路傍の花「サフィニア・赤(左手前)」「サフィニア・桃色(右奥)」
[右下]同〔同市同〕風景 同「百日草(左手前の黄色い花)」「Pentas lanceolata(右奥の深紅の花)」
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【旧東海道街並〔富士市中之郷〕風景】
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[18][左上]旧東海道街並〔富士市中之郷〕風景 路傍の花「ブッソウゲ(ハイビスカス)」
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[右上]同〔同市同〕風景 同「シュッコンバーベナ」
[左下]同〔同市同〕風景 旧東海道2
[中下]Google 航空 map:「富士市中之郷」→「岩淵一里塚跡」への経路図
[右下]同〔同市同〕風景 旧東海道3
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09時50分「岩淵一里塚跡」着
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【旧東海道街並〔富士市中之郷→同市岩淵「岩淵一里塚跡」〕風景】
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[19][左上]旧東海道街並〔富士市中之郷〕風景 旧東海道4
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[右上]同〔同市同〕風景 路傍の花「朝顔」
[左下]同〔同市岩淵〕風景 旧東海道1
[中下]同〔同市同〕風景「岩淵一里塚跡」に到着
[右下]同〔同市同〕風景「岩淵一里塚跡」1
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【旧東海道街並〔富士市岩淵「岩淵一里塚跡」〕風景】
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[20][左上]旧東海道街並〔富士市岩淵〕風景「岩淵一里塚跡」解説板
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[右上]同〔同市同〕風景「同」同所の「道標」にて
[左下]同〔同市同〕風景「同」同所石碑にて
[中下]同〔同市同〕風景「同」同所「道標」
[右下]Google 航空 map:「岩淵一里塚跡」
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09時58分「岩淵一里塚跡」発
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[21][左上]Google 航空map:「岩淵一里塚跡」→「本市場一里塚跡」への経路図
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[右上]旧東海道街並〔富士市岩淵〕風景「岩淵一里塚跡」を振り返って
[左下]同〔同市同〕風景 路傍の花「ヒナギク」
[中下]同〔同市同〕風景 同「芙蓉・紅葉葵」
[右下]同〔同市同〕風景 同「アメリカハマグルマ」
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[22][左上]旧東海道街並〔富士市岩淵〕風景 旧東海道2
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[右上]同〔同市同〕風景 路傍の花「糸瓜(ヘチマ)」の花
[左下]Google 航空 map:「小休本陣 常盤家住宅主屋」→「富士川橋」への経路図
[中下]同〔同市同〕風景 歴史街道「間(の)宿
岩淵」案内板
[右下]Google 航空 map:「小休本陣 常盤家住宅主屋」
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10時32分 小休本陣 常盤家住宅主屋 着
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[23][左上]旧東海道街並〔富士市岩淵〕風景「小休本陣 常盤家住宅主屋」外観1
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[右上]同〔同市同〕風景「同」門前にて
[左下]同〔同市同〕風景「同」正面玄関
[中下]同〔同市同〕風景「同」邸内主屋外観
[右下]同〔同市同〕風景「同」解説板
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[24][左上]旧東海道街並〔富士市岩淵〕風景「小休本陣 常盤家住宅主屋」leaflet(表)
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[右上]同〔同市同〕風景「同」同上(裏)
[左下]同〔同市同〕風景「同」館内1
[中下]同〔同市同〕風景「同」台所
[右下]同〔同市同〕風景「同」土間1
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[25][左上]旧東海道街並〔富士市岩淵〕風景「小休本陣 常盤家住宅主屋」土間2
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[右上]同〔同市同〕風景「同」土間3
[左下]同〔同市同〕風景「同」居間1
[中下]同〔同市同〕風景「同」居間2
[右下]同〔同市同〕風景「同」居間3
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[26][左上]旧東海道街並〔富士市岩淵〕風景「小休本陣 常盤家住宅主屋」居間4
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[右上]同〔同市同〕風景 主屋外観
[左下]同〔同市同〕風景 主屋縁側
[中下]同〔同市同〕風景 常盤家の「イヌマキ」
[右下]同〔同市同〕風景 同「同」解説板
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11時00分「小休本陣 常盤家住宅主屋」発
11時09分 富士川橋(西)着
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【旧東海道街並〔富士市岩淵→富士川橋〕風景】
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[27][左上]旧東海道街並〔富士市岩淵〕風景 旧東海道
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[右上]同〔同市同〕風景 路傍の花「ノウゼンカズラ」
[左下]同〔同市同〕風景 富士川橋西交差点
[中下]同〔同市同〕風景「富士川橋」欄干
[右下]同〔同市同〕風景「同」同所にて
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11時45分「水神社・富士川渡船場跡」着
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【旧東海道街並〔富士川橋→水神社〕風景】
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[28][左上]旧東海道街並〔富士川橋〕風景 富士川橋欄干から富士川を望む1
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[右上]同〔同〕風景 同上2
[左下]同〔同〕風景 同上3
[中下]同〔水神社〕風景「水神社」鳥居〔=富士川東岸〕
[右下]同〔同〕風景「富士川渡船場跡」にて
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【旧東海道街並〔水神社→富士市松岡〕風景】
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[29][左上]旧東海道街並〔水神社〕風景「水神社案内図」前にて
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[右上]同〔同〕風景「富士川渡船場跡」石碑の顕彰文
[左下]同〔同〕風景「水神社・社殿」前にて
[中下]同〔富士市松岡〕風景 水神社傍の富士川東岸より富士川を back に1
[右下]同〔同市同〕風景 同上2
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12時10分 水神社発
12時42分 富士市松岡「道標・常夜燈」着
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【旧東海道街並〔富士市松岡〕風景】
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[30][左上]旧東海道街並〔富士市松岡〕風景 水神社傍の富士川東岸より富士川を back に3
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[右上]同〔同市同〕風景「水神の森と富士川渡船場」解説
[左下]Google 航空 map:富士市松岡「道標・常夜燈」周辺の旧東海道
[中下]同〔富士市松岡〕風景「道標・常夜燈」1
[右下]同〔同市同〕風景「同」同上2
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[31][左上]旧東海道街並〔富士市松岡〕風景「道標・常夜燈」同所にて1
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[右上]同〔同市同〕風景「同」同上2
[左下]Google 航空map:「道標・常夜燈」→「JR富士駅」方面への旧東海道
[中下]旧東海道街並〔富士市柚木〕風景「JR富士駅」北の旧東海道交差点
[右下]同〔同市本町〕風景「JR富士駅」へ至る本町商店街
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13時56分 JR富士駅着
14時14分 JR富士駅発→東海道本線〔運賃330円〕→
14時33分 JR興津駅着
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【旧東海道街並〔JR富士駅→JR興津駅〕風景】
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[32][左上]旧東海道街並〔JR富士駅〕風景「JR富士駅」駅前にて
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[右上]同〔同市同区町〕風景「同」platform にて
[左下]「JR富士駅」→「JR興津駅」時刻表
[中下]「JR興津駅」改札口にて
[右下]17時33分 帰宅
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17時33分 帰宅〔復路走行時間計2時間28分
走行距離130㎞/往復260㎞〕
.
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. 歩行距離計16.5km 21,591歩
. Walking 開始時間が早朝05時過ぎで、終了が14時00分前で終わったことは、此の酷暑の中では大正解だった
. 次回は、「JR富士駅」→「吉原宿」→「原宿」を目指したい〔了〕
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■続いては、2019年11月22日(金)【時習26回3−7の会 0784】~「11月09日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第2回】東京都美術館『コート―ルド美術館』展→国立西洋美術館『ハプスブルク』展を巡って」、そして「俳人『四T』~三橋鷹女」をお届けする
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. 先ず最初は、去る07月07日付《会報》【0868】に up した「2019年 11月09日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第1回】『柴又帝釈天』→『浅草寺』を巡って」の続編【第2回】「東京都美術館『コート―ルド美術館』展→国立西洋美術館『ハプスブルク』展を巡って・見て」をお届けする
.
09時28分 東京都美術館着
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【東京メトロ銀座線上野駅から東京都美術館『コート―ルド美術館』展へ】
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. 本企画展について、《ごあいさつ》から引用してご紹介する
. 「英国が世界に誇る印象派・ポスト印象派の殿堂、コート―ルド美術館( The ourtaould Collection )から選りすぐりの名品をご紹介する「コート―ルド美術館 魅惑の印象派」を開催する。〔中略〕改修工事に拠る休館を機に約20年ぶりにフランス近代絵画の傑作が来日することになった
. 〔中略〕マネ最晩年の傑作《フォリー=ベルジェールのバー》、〔中略〕ルノワールの《桟敷席》、〔中略〕セザンヌの作品群からは〔中略〕《カード遊びをする人々》等の優品をご紹介する
. コート―ルド美術館は、20世紀初頭にレーヨン産業で成功したサミュエル・コート―ルドのcollectionが中核となっている
. 〔中略〕印象派の作品に魅了された実業家は、自国の市民に其の魅力を紹介する為、1920年代を中心に精力的な収集を行った
1932年には、美術史を専門とした英国に於いての初めての研究・教育機関となるロンドン大学付属コート―ルド美術研究所を創設し、collectionの大半を寄贈した
. 此れが、コート―ルド美術館の始まりである〔後略〕」
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[33][左上]JR上野駅公園口を出て程なくの処にあった「東京都美術館『コート―ルド美術館』展」の看板
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[右上]上野公園に咲いていた見頃の四季桜
[左下]上野公園内の「東京都美術館『コート―ルド美術館』展」の看板
[右下]東京都美術館前の本企画『コート―ルド美術館』展のポスターの前にて
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【東京都美術館『コート―ルド美術館』展】
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[34][左上]本企画展leaflet(表)
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[右上]同上(裏)
[左下]東京都美術館内企画展corner入口近くの『コート―ルド美術館』展の看板前にて
[右下]エドゥアール・マネ(1832-83)『草上の昼食』1863年頃
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[35][左上]オノレ・ドーミエ(1808-79)『ドン・キホーテとサンチョ・パンサ』1870年頃
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[右上]カミーユ・ピサロ(1830-1903)『ロードシップ・レーン駅、ダリッジ』1871年
[左下]ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)『桟敷席』1874年
[右下]エドガー・ドガ(1834-1917)『舞台上の二人の踊り子』1874年
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[36][左上]エドゥアール・マネ『フォリー・ベルジェールのバー』1882年
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[右上]ポール・セザンヌ(1839-1906)『ノルマンディーの農場、夏(アッタンヴィル)』1882年
[左下]カミーユ・ピサロ『ラファイエット広場、ルーアン』1883年
[右下]アンリ・ルソー(1844-1910)『税関』1890年頃
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[37][左上]ポール・セザンヌ(18-19)『トランプ遊びをする人々』1892-96年頃
.
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【小生comment】
. 此の絵は、確か全部で5枚描かれていて、此のコート―ルド美術館の他、フランス・パリのオルセー美術館のものも有名である
. 此の絵を世界的に有名にしたのは、「‥2011年に『カード遊びをする人々』の一枚がカタールの王族に売却されており、そのときについた2億5千万ドルから3億ドルと推測される価格から、かつて売却された芸術作品としては最も高価な1枚となった〔Wikipediaより引用〕‥」からで、1枚の絵の取引価格がなんと250億円~300億円もしたのには驚きだ
. 添付写真[57]の絵は、オルセー美術館にある「セザンヌ『トランプをする人々』」である
. コート―ルド美術館の作品と若干違う処が面白い
.
[37][右上]ポール・セザンヌ(18-19)『トランプ遊びをする人々』1892-96年頃〔オルセー美術館蔵〕
[左下]ポール・セザンヌ『パイプをくわえた男』1892-96年頃
[右下]同『キューピッドの石膏像のある静物』1894年頃
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[38][右上]ポール・セザンヌ『アヌシー湖』1896年
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[右下]ピエール・ボナール(1867-1947)『青いバルコニー』1910年
[左]アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)『裸婦』1916年頃
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【小生comment】
. 本企画展は、本当に優品ばかりの印象派・ポスト印象派の作品が目白押しで感動した
. 小生、絵画・音楽共に美しいものが好きなので、印象派・ポスト印象派の絵画作品は最も好きなものの一つだ
. 此の日訪れた8つの美術館の展覧会で、質量共に一番にrankされるといって過言ではないと思う
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10時35分 東京都美術館発→徒歩→
10時41分 国立西洋美術館着
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【国立西洋美術館『ハプスブルク』展】
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[39][左上]国立西洋美術館前の本企画展看板前にて[右上]本企画展leaflet
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[左下]コルネリス・デ・ヘーム(Cornelis de Heem(1631-95))『Breakfast Still Life』
[中下]ベラスケスVelazques(1599-1660)『Infanta Margarita Teresa(1651-73)』
[右下]エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Vigee-Lebrun(1755-1842)『Archduchess Maie Antoinette of Austria(1755-93), Queen of France』
.
[40][左]Viktor Stauffer『Emperor Francis Joseph
l(1830-1916)』
.
[右]Josef Horaczek『Empress Elisabeth(1831-98)
in Light Blue Dress』
.
. 欧州を中心に君臨し続けたハプスブルク家は、ライン川上流域の豪族として頭角を現し、13世紀末にオーストリアに進出
. 同地を拠点に勢力を拡大し、広大な帝国を築き上げた
. 15世紀以降は、神聖ローマ帝国の皇帝位を代々世襲
. ナポレオン戦争に拠る神聖ローマ帝国解体後は、後継のオーストリア帝国(1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国に改組)の皇帝となった
. 第一次世界大戦後に帝国が終焉を迎える迄、数世紀に亘り広い領土と多様な民族を統治した欧州随一の名門〔以上、本企画展leaflet撚り引用〕
. 本企画展leafletは、「歴史を彩った、(ハプスブルク)王家の8人の物語」と称して、神聖ローマ帝国皇帝:マクシミリアン1世、同:ルドルフ2世、スペイン国王:フェリペ4世、同国王女:マルガリータ・テレサ(添付写真[07][中下])、神聖ローマ帝国女帝:マリア・テレジア、フランス王妃(=マリア・テレジア皇女):マリー・アントワネット(添付写真[07][右下])、オーストリア帝国皇帝:フランツ・ヨーゼフ1世(添付写真[08][左])、オーストリア帝国皇妃(=フランツ・ヨーゼフ皇帝妃) (添付写真[08][右]):エリザベトの8人の肖像画とcaption付きで紹介している
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【小生comment】
. 欧州で最高の家柄と称されるハプスブルク家「600年に亘る帝国collectionの歴史」の企画展で大変見応えあるものであった
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11時16分 国立西洋美術館発→徒歩 5分→
11時21分 上野の森美術館着
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. さて今日最後の話題は、前々号&前号に続き「四T」の第4回目〔最終回〕【三橋鷹女(みつはし たかじょ(1899.12.24-1972.04.07)) 】についてご紹介させて頂く
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【三橋鷹女】
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[41][左上] 三橋鷹女
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. 三橋鷹女の略歴は以下の通り
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1899(明治32)年 千葉県成田町の三橋家に生まれる / 本名:たか子
1916(大正05)年 成田高女を卒業し上京 / 次兄 慶一郎の許に寄寓し、兄が師事する与謝野晶子(1878-1942)、若山牧水(1885-1928)に影響を受け作歌を開始
1922(大正11)年 歯科医師 東謙三(俳号:剣三)と結婚
/ 夫の影響で俳句を始める / 此の頃より俳号:東鷹女を名乗る
1929(昭和04)年 原石鼎(1886-1951)の俳誌「鹿火屋」に夫と共に(以降、夫と入退会の行動を共にする)入会
1934(昭和09)年「鹿火屋」を退会し、小野蕪子(1888-1943)の俳誌「鶏頭陣」に入会
1936(昭和11)年「紺」の創刊に参加、女流俳句欄の選者を担当
1939(昭和14)年「鶏頭陣」を退会
1842(昭和17)年 実家の長兄死去に撚り三橋家を継ぐ
1953(昭和28)年 富沢赤黄男(かきお)の「薔薇」に参加
1958(昭和33)年「薔薇」の後継誌「俳句評論」〕に参加
1969(昭和44)年 同人誌「羊歯」を創刊するも、同年10号で「羊歯」を辞す
1972(昭和47)年 04月07日死去(享年72歳)
. 句集に『向日葵』『魚の鰭』『白骨』『羊歯地獄』『橅(ぶな)』等がある
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. 鷹女の俳句は、読者の受け取り方や感じ方は様々でも、初期から晩年迄、一貫して言葉の上での句意がはっきりしており単刀直入。意味の説明を要しない処に特長がある〔鑑賞
女性俳句/池田澄子(1936- )著『三橋鷹女~幻も亦この世のもの』〕
. 以下に、三橋鷹女の代表作を、小生がimageした画像と共に3句ご紹介する
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第1句目は‥
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笹子(ささご)鳴く この帯留(おびどめ)が気に入らぬ 三橋鷹女
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. 句集『魚の鰭』(昭和16年刊行)所収
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[41][右上]「笹子鳴くこの帯留が気に入らぬ」をimageした画像
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. 奔放な詠いぶりと口語的発想とは此の作者の特長の一つである
. 〔中略〕「笹子鳴く」は”笹鳴き”のことで、山地の笹藪等で繁殖した鶯が冬になって餌を求め、人家近くの笹藪の間等に来て、チャッチャッとまだ整わぬ鳴き声で舌鼓を打つ様に鳴いていることを言うのであるが、本来は「小鳴(ささなき)」の意である
. 冬日のあたる障子越しに笹鳴きの声が聞こえている静かな午前。部屋の中では作者が外出の身仕度を終えようとしている
. 着物の柄や、模様や、色に相応しい帯を締め、さて帯留めをしてみたけれど、其の帯留めが気に入らない
. 帯留めのやゝ派手勝ちなのが、折からの「笹子鳴く」声のあどけなさに反撥すると思ったのであろうか
. 其の拘泥が爪先立った作者の姿を彷彿とさせる。
. 「気に入らぬ」という端的率直な表現が此の作者の面目を示す
. そう言えば此の作者には「初嵐して人の機嫌はとれませぬ」、「夏痩(や)せて嫌ひなものは嫌ひなり」等という句もある
. 此の時期の鷹女俳句には口語調の大胆な発想が目立ち、俳壇の主流を成していた写生主義に拘束されない自由さで女の情感を詠った句が多い〔春秋社
新版 日本秀句 秋元不死男『昭和秀句Ⅱ』より〕
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【小生comment】
. 此の句は、作者のイラつきを口語調で表現しているが、決して下品さを感じさせない
. 作者のイライラした極めて短い時間の心境を、庭先でのどかに鳴く鶯の笹鳴きとの非対称性でとても巧く表現している
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. 第2句目は‥
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. 鞦韆(しゅうせん)は漕(こ)ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
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. 句集『白骨』(昭和27年3月刊行)所収
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[41][左下]「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」をimageした画像
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. 「鞦韆」はブランコのことで、春の季語。
. 愛は与えられるのを待つのではなく、自分の力で奪い取れ、ブランコを高く力強く漕ぐように、という意
. 近代的な女性の宣言の句である〔『聞いて楽しむ俳句(厳選名句)』辻桃子&安部元気【編著】〕
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【小生 comment 】
. 三橋鷹女の代表句と言えば、先ず此の句は外せない
. 一度聴いたら、忘れることが出来ない程、鮮烈な名句である(笑)
. 最後にお伝えする第三句目は‥
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. 白露や
死んでゆく日も 帯締めて 三橋鷹女
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. 句集『白骨』(昭和27年3月刊行)所収
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[41][右下]「白露や死んでゆく日も帯締めて」をimageした画像
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【小生comment】
. 三橋鷹女が72歳3か月余で逝った様子を、夫・剣三氏は祭壇の前で、「其の時ばかりは目も口もはっきりしましてね
. こう言ったんです
. “
矩(のり)を踰(こ)えず――ですね ”と
. 私、耳が遠いのですが、確かに私の顔を見て、そう言いました」と何度も話してくれたと、折笠美秋(おりがさ びしゅう(1934-90))が書いている〔前掲「鑑賞 女性俳句/池田澄子(1936- )著『三橋鷹女~幻も亦この世のもの』より〕
. 此の鷹女が今際の際に口にした言葉からは、「俳句の世界で奔放な新しい女性像を詠んで来ましたけど、一連の私の作品は皆(みんな)節度を弁えていましたよ、ネ、あなた!」と、夫に確認を求めていたのか、それとも、「『矩を踰えず』であるべきだったのに、我が儘ばかりして来て仕舞ってごめんなさい」と伝えたかったのか‥
. 此の句の様に、鷹女は「矩を踰えず」気品を持って白玉楼中の人となったのである、と小生は思いたい
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【後記】07月08日は、勤務先にて14時00分からコロナワクチン予防接種の2回目を受けた
. 接種後15分間は、座って待機〔←付箋の14:16は、待機終了時間〕
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[42][左]2回目のコロナワクチン予防接種を打った直後の小生
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[右]1回目と2回目のコロナワクチン予防接種を打った「新型コロナワクチン接種記録書」
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では、また‥〔了〕
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