■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0846】号をお届けします。
今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第64回/巻之七~第621句~630句〕」をご紹介する。
621
蚊屋(かや)出(いで)て寐(ね)がほまたみる別(わかれ)かな 長虹(注1)
【意】共に一夜床を過ごしての明け方
/ 帰ろうとそっと蚊帳の外に出た / 蚊帳越しに女の寝顔を振り見ると、別種の愛(いと)おしさを感じた
【解説】季語:蚊屋(蚊帳)=三夏 /「寐(ね)がほ」が恋の詞(ことば)
(注1)長虹(ちょうこう(生没年不詳)):尾張国名古屋城北(名古屋市東区杉村町西杉)、杉の薬師堂住職(現・解脱寺) / 芭蕉が『笈の小文』を終え、『更科紀行』に旅立つ迄の間、名古屋に滞在していた1688.08.15(貞亨05年07月20日)、此処にて歌仙興行 /「粟稗にとぼしくもあらず草の庵」等を詠んだ
622
むし干(ぼし)(注1)の目(め)に立(たつ)枕(まくら)ふたつかな 文瀾(注2)
【意】白昼の陽光の下に、枕が2つ並べて干してある / 何ということはない筈だが、何か気になる‥
【解説】季語:むし干=晩夏
/「枕」が恋の詞
(注1)むし干(むしぼし):夏の土用の頃、衣服や諸道具に風を通し、日に干すこと / 虫払い
(注2)文瀾(ぶんらん(生没年不詳)):尾張国の人
/『あら野』に2句入句
623
虫干(むしぼし)に小袖(こそで)着(き)て見(み)る女(をんな)かな 冬文(注1)
【意】普段はめったに袖を通すことのない晴着の小袖
/ 虫干しの折に久しぶりに目にして、そっと着てみる /昔の逢瀬のことを思い出したか‥「女心」
【解説】季語:虫干=晩夏
/「女」が恋の詞
(注1)山本冬文(やまもと とうぶん(生没年不詳)):一説に荷兮の弟と伝えられるが不確か
/ 尾張国名古屋の人 /『あら野』等に入句
624
さゝげめし(注1)妹(いも)が垣(かき)ね(注2)は荒(あれ)にけり 心棘(注3)
【意】新収のササゲを賞味する
/ しかし我家の垣根も荒れて寂しくなったね
【解説】季語:さゝげめし=初秋
/「妹(いも)」が恋の詞
(注1)ささげめし:大角豆(ささげ)を入れて炊いた飯 /「ささげ(マメ科の一年草
/ 南アジア原産 / 種子や若いさやを食用にするため栽培する / 茎はつる性で、卵形の三小葉からなる複葉を互生 / 夏、葉腋に淡紅褐色の蝶形花をつける。豆果は線状円柱形で、特に莢の長い品種を十六豆という
/「ささぎ」とも /
(注2)妹(いも)が垣(かき)ね:「昔(むかし)見し妹(いも)が垣根(かきね)は荒(あれ)れにけり つばなまじりのすみれ(=董)のみして」(『堀河百首』)が本歌
(注3)心棘(しんきょく):江戸の人 / 人物について詳細不詳
六宮粉黛無顔色(りくきゅうのふんたいがんしょくなし)(注1)
(注1)六宮粉黛無顔色:白居易「長恨歌」の一句
/ 楊貴妃の美貌には、唐・長安の六宮三千人の宮女達が如何に化粧しても及ばなかった
625
宵闇(よひやみ)の稲妻(いなづま)消(け)すや月(つき)の顔(かほ) 長虹
【意】宵闇の夜空を光らせていた稲妻もやがて月が中天に来る頃にはもはや光は失せて仕舞う
【解説】季語:稲妻=三秋、月=三秋
/「顔」が恋の詞
626
一(ひと)めぐり人(ひと)待(まち)かぬるをどり(注1)かな 尚白(注1)
【意】輪をなして盆踊りを踊っている踊り手の中に心惹かれる人がいた
/ 一周して再び眼前に戻って来る迄の何とじれったいこと!
【解説】季語:をどり=初秋
/「人待かぬる」が恋の詞
(注1)をどり:盂蘭盆会の踊り
(注2)江佐尚白(えさ しょうはく(?-1722.08.30(享保07年07月19日))):江左氏 / 千那の親友で1682(貞亨02)年以来の膳所蕉門の一人 / 医者 / 句集に『忘梅』『弧松』・『夏衣』等 / 後年、『忘梅』出版を巡り師弟間が事実上崩壊する(其の間の事情は、千那宛書簡4(1688.11.17(元禄04年09月28日))に詳しい / 芭蕉の尚白に対する憎悪は許六宛書簡(1693.06.07(元禄06年05月04日))に窺える
さびしき折(をり)に
627
つまなしと家主(やぬし)やくれし女郎花(をみなへし)(注1)
【意】秋の日の寂しい一日
/ 家主が女郎花の花をくれた / 妻がいなくて淋しいだろうというのである / 此れは、白氏文集に『戯レニ新栽ノ薔薇ニ題ス』の詩があり、「少府妻無クシテ春寂寞タリ
/ 花開ケバ爾(ナンヂ)ヲモツテ夫人ニ当テン」を踏まえたか‥
【解説】季語:女郎花(をみなへし)=初秋 /「つま」が恋の詞
(注1)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保元年08月25日(享年69歳)))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市
/ 別号:橿木堂・加慶 / 1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋蕉門の重鎮
/ 後年、内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮のstanceは保守的で、芭蕉の唱導した俳諧革新、中でも「軽み」には迎合出来なかった
/ 離反前は、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂 /芭蕉が『更科紀行』出立に際しては、奴僕を提供する等、旅の安全も支援している
628
しりながら薄(すすき)に明(あく)るつまど(注1)かな 小春(注2)
【意】妻戸に擦れる物音は庭先の薄の葉
/ とは解っているのだが、其れでももしやあの人が訪ねて来たかと、外を確かめるのである /「叩(たた)くとて宿(やど)の妻戸(つまど)をあけたれば人もこずゑのくゐななりけり」(『拾遺集』)を本歌としたか‥
【解説】季語:薄(すすき)=三秋 /「つまど」に「夫(つま)」を掛けて恋の詞とする
(注1)つまど(妻戸):開き戸
(注2)亀田小春(かめだ しょうしゅん(?-1740.03.01(元文05年02月04日)):加賀国金沢の蕉門 / 薬種商人・宮竹屋亀田伊右衛門 /『奥の細道』の旅で金沢を通過した際、芭蕉に入門
/ 芭蕉自筆書簡が現存
629
妻(つま)の名(な)のあらばけし給(たま)へ神送(かみおく)り(注1) 越人(注2)
【意】出雲へ出向かれる神様よ、今回の縁結びの中に自分の妻になる人の名があったら、自分には不用な(=結婚するつもりはない)ので名簿から消して下さい
【解説】季語:神送り=初冬
/「妻」が恋の詞
(注1)神送(かみおく)り:十月一日に諸国の神々が出雲へ向けて旅立つのを送る / 諸神は集合して男女の縁結びを議するという
(注2)越智越人(1656-1739(?)):北越の人 / 越智十蔵 / 別号:負山子、槿花翁など /『春の日』の連衆の一人、尾張蕉門の重鎮
/『更科紀行』に同行、其の儘江戸まで同道 / 一月後の作品『芭蕉庵十三夜』にも登場/『鵲尾冠』・『猫の耳』等 / 芭蕉は、越人に対して実に好感を持っていた /『笈の小文』で伊良子岬に隠れている杜国を訪ねた時にも越人が同行している
630
松(まつ)の中(なか)時雨ゝ(しぐるる)旅(たび)のよめり(注1)哉(かな) 俊似(注2)
【意】松林の中で旅仕度をした嫁入り行列の一行が、折からの時雨を遣り過ごそうと難儀をしている
/ 華やかな嫁入りであるだけに、一層、時雨の哀れが感じられる
【解説】季語:時雨(しぐれ)=初冬 /「よめり」が恋の詞
(注1)よめり:「嫁入り」/
此処では其の一行のこと
(注2)伊藤俊似(いとう しゅんじ(生没年不詳)):尾張国津島の人
/『あら野』に多数入句
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第65回/巻之七~第631句~640句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いては、01月09日(土)に「法性山海蔵寺〔宝暦治水『薩摩義士墓所』〕」→「桑名市博物館」→旧東海道「桑名七里渡跡」→「冨田一里塚」→「三ツ谷一里塚」→「四日市宿」を巡り歩いて来たので、其の模様についてお伝えする
01時45分 起床→腹筋2,000回→
02時45分 2.5kg木刀素振りを5分程やっていたら身体の調子が何か宜しくないので再び就寝
05時30分 再度、2.5kg木刀素振り50分
06時20分 入浴→朝食→
07時14分 拙宅発→一般道→音羽蒲郡IC→ 東名 →三重川越IC〔料金1,830円〕→国道23号線→1時間30分 97㎞→
08時44分 JR四日市駅近隣駐車場着
08時51分 JR四日市駅着
此処で、駅員から関西本線が原因不明だが不通であることを知らされ、急遽、駐車場へ戻り近鉄四日市駅へ向かった
09時04分 JR四日市駅近隣駐車場発→一般道900m/98㎞→
09時10分 JR四日市駅南口近隣駐車場着
【JR四日市駅→近鉄四日市駅→近鉄桑名駅→JR桑名駅】
[右上]同上2
[左下]近鉄四日市駅前にて
[中下]桑名駅・近鉄のplatformにて
[右下]桑名駅・JR駅前にて
09時50分 桑名駅・JR駅前発→徒歩→
10時06分 薩摩義士墓所着
【宝暦(1751-64)治水 薩摩義士墓所にて】
[03][左上] 桑名駅→桑名七里の渡跡への Google 航空 map
[右上]宝暦治水・薩摩義士墓所「法性山 海蔵寺」
[左下]同所前にて
[中下]薩摩義士墓所解説板
[右下]同上2
此の幕命で木曽三川の治水工事を命じられた薩摩藩が、予算を大幅に超過しつつも立派に任務全うしたが、無駄な財政負担を犯して仕舞ったと護岸工事の責任者たち24名が責任を取って切腹して果てたと言う話は、小学校高学年の道徳の時間か、中学校の歴史の時間だったかは忘れたが教えて貰い、日本人の実行力と責任感の立派さに胸が熱くなったことを今でも確り覚えている
[右上]同「薩摩義士墓所」入口にて
[左下]同「同」入口横の解説と24義士の墓の配置図
[中下]同 本堂前にて
[右下]海蔵寺近くにあった市内史跡案内看板
10時20分 海蔵寺発→徒歩→
10時31分 桑名市博物館着
【桑名市博物館】
[右上]同所にあった旧東海道・道標にて
[左下]同上「右 京いせ道」「左 江戸道」
[中下]桑名博物館入口にて
[右下]館内・撮影OKの「桑名の千羽鶴」corner
[06][左上] 博物館内・撮影OK「桑名の千羽鶴」corner「解説」
[左下]同上「展示作品:千羽鶴1」
[右上]同上「同:同上2」
[右中]同上「脇指 銘 桑名住国吉(くわなじゅうくによし)
国吉 伊勢国 幕末期の刀工国吉の作とされる
[右下]桑名博物館 postcards「短刀 銘 村正」〔桑名宗社蔵〕
[07][左上] 歌川広重『保永堂版 東海道五拾三次之内 桑名七里渡口』〔桑名市博物館蔵〕
[右上]同『隷書 東海道四十三 桑名』〔同上〕
[左下]横山大観『不二霊峰』〔同上〕
[中下]中村左洲『秋の渓流』1933年〔個人蔵〕
[右下]同『月の松嶋』1930年〔個人蔵〕
[右上]『千羽鶴折形』より《妹背山》〔桑名市博物館蔵〕
[左下]歌川国芳『そのまヽ 地口 猫飼好五十三疋』1848年頃〔個人蔵〕
[中下]伊藤小坡『十三詣』〔木下美術館蔵〕
[右下]同『麗春』〔ギャラリー鉄斎堂蔵〕
【2009年10月に開催された『伊藤小坡』展図録より】
[右上]同『ふたば』1918年〔三重県立美術館蔵〕
[左下]同『はじらい』1917年〔三重県立美術館蔵〕
[中下]同『神詣』1939年〔猿田彦神社 伊藤小坡美術館蔵〕
[右下]同『初雪』〔個人蔵〕
10時55分 桑名市博物館発→徒歩→
11時30分 桑名 七里の渡跡着
【桑名 七里の渡跡】
[右上]桑名 七里の渡跡
[左下]同 同所 石碑にて
[中下]同 同所 東海道標識にて1
[右下]同 同所 同上2
11時45分 桑名七里渡跡発→
11時55分 桑名城壁着
【桑名七里渡跡→桑名城壁】
[11][左上]桑名 七里渡跡→冨田への Google 航空 map
[左下]旧東海道の街並
[右上]桑名城壁畔
[右中]同上 解説板
[右下]同所にて
【桑名城壁と東海道五十三次桑名宿解説】
[右上]同 案内看板1
[左下]同 同上2
[中下]同 同所にて
[右下]旧東海道町並
12時05分 桑名城壁発→徒歩→
12時47分 矢田立場着
13時14分 伊勢両宮常夜燈着
【旧東海道・矢田立場→伊勢両宮常夜燈】
[右上]同所にて
[左下]旧東海道町並
[中下]伊勢両宮常夜燈にて
[右下]同所 解説板
13時36分 縄生一里塚着
【縄生(なお)一里塚】
[14][左上]縄生一里塚跡 周辺 Google 航空
map〔‥川は員弁(いなべ)川‥〕
[右上]縄生一里塚跡 同所にて1
[左下]同 同上2
[中下]同 旧東海道町並と一里塚跡石碑1
[右下]同 同上2
13時46分 旧東海道・朝日町着
【旧東海道・朝日町】
[右上]同〔朝日町〕
[左下]同〔同上にて〕
[中下]同〔同上 案内看板前にて1〕
[右下]同〔同上2〕
[右上]同 同上2
[左下]同 街路樹「榎」解説板
[中下]同 街路所「榎」
[右下]同 町並〔朝日町・小向(おぶけ)〕
【旧東海道・朝日町→富田一里塚へ】
[右上]同〔同・柿2〕
[左下]同〔同・柿3〕
[中下]同〔四日市・松寺〕
[右下]同〔四日市・蒔田〕
15時12分 富田一里塚着
【富田一里塚】
[右上]同 同所にて1
[左下]同 同時2
[中下]同 解説板
[右下]富田一里塚→三ツ谷一里塚への Google 航空map
【旧東海道・富田の街並】
弥次喜多道中で有名な「其の手は【桑名の焼き蛤】」で有名な「焼き蛤」は、実は【冨田】と【小向(おぶけ)】の名物だったのだそうだ
知らなかった!
[右上]旧東海道町並〔四日市・富田〕
[左下]同〔同・同〕道標
[中下]同〔同・同〕東海道の案内看板
[右下]「旧東海道総合案内」板
[左下]同〔四日市・南富田1〕
[右上]同〔同・同 同所にて〕
[右中]同〔同・同 同上2〕
[右下]同〔同・同 同上3〕
【旧東海道・富田「新設用水道碑」】
[21][左上]旧東海道 新設用水道碑と力石1〔四日市・茂福〕
[左下]同 力石の由来
[中下]同 新設用水道の由来
[右下]同 新設用水道碑と力石2〔同・同〕
16時39分 三ツ谷一里塚着
【三ツ谷一里塚】
[右上]同 同所にて1
[左下]同 同上2
[中下]同 同上3
[右下]踏破距離24.7km・歩数
32,258歩
昨日も先週に続いて24㎞超歩いた
時間が遅くなったので、昨日は帰りも高速道路を利用した
17時57分 近鉄四日市駅南口近隣駐車場発→一般道→国道23号線→三重川越IC→伊勢湾岸自動車道→新東名→岡崎東IC 〔料金1,790円〕 →一般道→1時間30分 106㎞→
19時19分 帰宅〔走行距離計 204km〕(了)
■今日最後の話題は、01月15日(金)に『越智越人墓所』→『樫本大進(Vn)&キリル・ゲルンシュタイン(Pf)デュオ・リサイタル』他を巡り視聴して来たことについてである。
其の日は、週一回の平日公休
午前中は、いつもよりゆっくり起きて、毎日の筋トレ〔腹筋2,000回&2.5kgの木刀の素振り1,000回60分〕をやり、午後から名古屋へ
緊急事態宣言下の外出は、不用不急ならば控えるが、今日の樫本大進(Vn)&キリル・ゲルンシュタイン(Pf)デュオ・リサイタルは、滅多にない貴重且つ有用なリサイタルなので、マスク、消毒、検温、三密回避を徹底して決行した
愛知県芸術劇場コンサートホールは、2020/02/23
アンネ=ゾフィ・ムター : リサイタル〔愛知県芸術劇場コンサートホール〕以来だから、実に11ヵ月ぶりだ
不思議な縁を感じたのは、アンネ=ゾフィ・ムター : リサイタルの演奏曲目の最後は、今日の樫本大進(Vn)&キリル・ゲルンシュタイン(Pf)デュオ・リサイタルと同じベートーベンのクロイツェル・ソナタであったことだ / 何処かで何かが繋がっている‥みたいな‥
[23][左上]樫本大進(Vn)&キリル・ゲルンシュタイン(Pf)デュオ・リサイタル leaflet1
[左下]小生の指定席〔1階1列22番〕から見た演台
[中下]2020/02/23 アンネ=ゾフィ・ムターリサイタルにて1〔愛知県芸術劇場コンサートホール〕
[右下]同上2
[右上]ガラガラの新幹線の車内
[左下]此れもガラガラの新幹線名古屋駅 platform にて
[中下]駅前の高層ビル群
[右下]駅前に咲いたシクラメンの花
[25][左上]納屋橋欄干にて
三密を避けて栄の愛知県芸術劇場コンサートホール迄歩くことにした
[右上]納屋橋にて1
旧行本店のある錦三丁目から、ホント1ブロック南に長円寺はある
此の寺には、蕉門十哲の一人、越智越人の墓がある
訪れた時は、墓を見ることは出来なかった代わりに記念碑を見た
[左下]長円寺〔蕉門十哲の一人、越智越人墓所〕の解説板
[中下]同 越智越人の記念碑
[右下]同 同所にて
[26][左上]立て直し中の旧行本店〔現、名古屋本部〕ビル1
[右上]同上2
[左下]同上3
[中下]同上4
[右下]建設の概要
当センターの4Fが愛知県芸術劇場コンサートホール
[右上]同上2
[左下]同上3
[中下]同上4
[右下]愛知県芸術文化センター前にて向きを変えるとテレビ塔が背景に見える
[28][左上]愛知県芸術劇場コンサートホール前にて social distance を確保して開場を待つ
[右上]コンサートホール入口入った所にて
[右中]椅子もなく売店も無くしたホワイエにて
[右下]座れなくした椅子をbackに/ホワイエにて
[29][左上] 新型コロナウィルス感染症対策・ご来場のお客様へのお願い leaflet
[右上]Program
[左下]コンサートホールの状況
[中下]帰りの新幹線名古屋駅 platform にて
[右下]帰りの新幹線こだま号の車内
本リサイタルの演奏曲目は、選曲が素晴らしく、演奏もベルリン・フィル(BPO)のコン・マス、樫本大進の感動的な名演でプロコフィエフ、フランク、武満徹、ベートーベンの4曲全てホント素晴らしかった‼️
帰りの新幹線の車内も行き同様ガラガラだった
22時45分 帰宅〔了〕
では、また‥〔了〕
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