今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第65回/巻之七~第631句~640句〕」をご紹介する。
631 物(もの)おもひ火燵(こたつ)を明(あけ)ていかならむ 舟泉(注1)
【意】恋をしているときというのは不可解な行動を取って仕舞うものだ
/ 私は、コタツ布団を持ち上げたのだが、火の具合を見ようという訳ではないのだ / ただ意味もなくして仕舞った / 此れも恋ゆえか‥
【解説】季語:火燵(こたつ)=三冬 /「物(もの)おもひ」が恋の詞
(注1)永田舟泉(ながた しゅうせん(1654(?)-1737.11.19(元文02年10月27日(享年84歳))):三河国挙母(現・豊田市挙母町)生まれの、尾張国名古屋の人 / 通称:六兵衛 / 貞亨04年に蕉門に入門 /『あら野』・『曠野後集』等に入句
632
うたゝねに(注1)火燵(こたつ)消(きえ)たる別(わか)れ哉(かな) 嵐簔(注2)
【意】小野小町の「うたたねに‥」の歌にあやかり、私は火燵でうたた寝をし、あの人に逢えた
/ しかし、火燵の火が消えた寒さで目が覚めて仕舞った / そういう夢で逢えたあの人との不本意な別れだった
【解説】季語:火燵=三冬
/「別れ」が恋の詞
(注1)小野小町の歌「うたたねに恋しき人をみてしより夢てふものをたのみそめてき」(『古今集』)を踏まえる
(注2)嵐簔(らんさ):尾張国の人 / 人物について詳細不詳
633
山畑(やまはた)にもの思(おも)はヾや(注1)蕪引(かぶらひき) 松芳(注2)
【意】蕪を収穫に山の畑に行かう男よ、お前は収穫作業を口実にして恋の想いをじっくり味わおうというのだな
【解説】季語:蕪引(かぶらひき)=初冬 /「もの思はゞや」が恋の詞 / 俳画の賛の様な趣がある
(注1)思(おも)はヾや:西行の「はるかなる岩のはざまにひとり居て人目思はでもの思はばや」(『山家集』)を踏まえる
(注2)松芳(しょうほう(生没年不詳)):尾張国の人
/『阿羅野』に入句
634
きぬぎぬを霰(あられ)見(み)よとて戻(もど)りけり 冬松(注1)
【意】一夜を共に過ごした女と別れ途中迄来たものの、女への名残り尽きない
/ 幸い霰が降ってきたので、男は其れを口実に女の許へと戻った
【解説】季語:霰=三冬
/「きぬぎぬ」が恋の詞
(注1)冬松(とうしょう(生没年不詳)):詳細不明
/『あら野』などに入句
635
おそろしやきぬぎぬの比(ころ)鉢(はち)鼓(たた)き 昌碧(注1)
【意】女と一夜を過ごして帰る途次、鉢叩きの声が聞こえて来た
/ 念仏は恋の思いを一挙に冷(さ)まさせる抹香臭(くさ)さを感じさせるものだ
【解説】季語:鉢(はち)鼓(たた)き=仲冬 /「きぬぎぬ」が恋の詞
(注1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人
/ 貞亨04年11月『笈の小文』の旅の折、蕉門に入門 /『あら野』などに入句
無常(むじゃう)
末期(まつご)に
636
散(ち)る花(はな)を阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と夕(ゆふべ)哉(かな) 守武(注1)
【意】夕暮れ時に花が散るのを見て「諸行無常」を悟り仏門に入った人もあるという
/ 思わず「南無阿弥陀仏」を唱えた
【解説】季語:散(ち)る花=晩春 /「夕(ゆふべ)哉」に「言うべ」が掛詞となっている
(注1)荒木田守武(あらきだ もりたけ(1473-1549.09.09(文明05年-天文18年08月08日(77歳))):室町後期の連歌師・俳諧師 / 伊勢山田伊勢神宮神官の荒木田氏の子として生まれた / 伊勢内宮の神職 / 山崎宗鑑と共に俳諧の連歌からの独立に大いに影響を与えた
/ 連歌の名手として歴史にその名を残したが、その作風は後に談林俳諧の祖として後世に強い影響を与えた /『新撰菟玖波集』に一句入集 / 著作に『守武千句』がある
無常迅速(むじゃうじんそく)(注1)
(注1)無常迅速:此の世の移り変わりが激しく、歳月が速やかに過ぎ去ること
637
咲(さき)つ散(ちり)つひまなきけしの畠(はたけ)哉(かな) 傘下(注1)
【意】芥子の花は、正に無情迅速
/ 芥子の畑では、此方で咲く花があるかと思うと、彼方でははらりと散っている / 暫く忙(せわ)しない日々が続く
【解説】季語:けし=初夏
/
(注1)加藤傘下(かとう さんか(生没年不詳)):尾張国名古屋の人
/ 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
末期に
638
南無(なむ)や空(くう)たヾ有明(ありあけ)の(注1)ほとゝぎす 堺 元順(注2)
【意】御仏(みほとけ)の教えにある様に「全て一切『空』」なのだ / そして「隨縁真如(注3)」の月を念ずる / 恰も古歌・徳大寺左大臣の「ほととぎす‥ただ有明の」にある様に眺めた先には有明の月があるばかりであった
(注1)たヾ有明(ありあけ)の:徳大寺実定(とくだいじ さねさだ)(1139-92)=後徳大寺左大臣(百人一首)の「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる〔【意】時鳥(ホトトギス)が鳴いた方を眺めやると、時鳥の姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった〕」の本歌取り
(注2)南元順(みなみ げんじゅん):泉州堺の人で談林俳諧時代に活躍したらしい
(注3)随縁真如(ずいえんしんにょ):仏語/絶対不変である「真如」が、縁に応じて種々の現れ方をすること
松坂(まつざか)の浮瓢(ふへう)といふ人(ひと)の身(み)まかりたるにいひやりける
639
橘(たちばな)のかほり(注1)顔(かほ)見(み)ぬばかり也(なり) 荷兮(注2)
【意】橘の花の香が閑に漂っている
/ 改めて、亡くなられた伊勢国松坂の浮瓢さんのことが懐かしく思い出される / 此処においでにならないのが信じられないくらいだ
【解説】季語:橘(たちばな)=晩秋 /
(注1)橘のかほり:「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする〔【意】五月を待って咲く花橘の香を嗅(か)ぐと、昔親しくしていた人の袖(に薫(た)いていたお香の)の香がする〕」(『伊勢物語/第60段「花橘」』『古今和歌集』)の本歌採り
(注2)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保元年08月25日(享年69歳))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市
/ 別号:橿木堂・加慶 / 1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋蕉門の重鎮
/ 後年、内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮のstanceは保守的で、芭蕉の唱導した俳諧革新、中でも「軽み」には迎合出来なかった
/ 離反前は、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂 /芭蕉が『更科紀行』出立に際しては、奴僕を提供する等、旅の安全も支援している
いもうと(注1)の追善(ついぜん)に
(注1)いもうと:向井去来の妹
/ 俳号:千子(ちね) / 本名:千代子 / 1688.06.12(貞享05年05月15日)没 / 辞世「もえやすく また消えやすき 蛍かな」〔いつを昔〕/ 享年未詳だが、兄の去来は此の年38歳
640
手(て)のうへにかなしく消(きゆ)る螢(ほたる)かな 京 去来(注1)
【意】己(おの)が身の無常を、儚い蛍火に託して行った妹よ / いま蛍を手にとれば、矢張り蛍火は儚く弱々しく掌上で消える
/ 私には、其の蛍を、我が妹の心其のものの様に見え、改めて妹を失った悲しみにおそわれるのである
(注1)向井去来:肥前国長崎に儒医向井玄升の次男として誕生 / 本名:向井平次郎 / 去来と芭蕉の出会いは、貞亨元年、上方旅行の途中に仲立ちする人
(京都生まれの江戸俳人和田蚊足<ぶんそく>)があって去来と其角がまず出会い、その其角の紹介で始まったとされている / 嵯峨野に別邸落柿舎を持ち、芭蕉は此処で『嵯峨日記』を執筆
/『猿蓑』同人
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第66回/巻之七~第641句~650句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いては、01月16日(土)に旧東海道「四日市宿」→「諏訪神社」→「大宮神明社」→「日永神社」→「日永一里塚跡」→「杖衝坂」→「血塚社」→「采女一里塚跡」→「石薬師宿」→「佐佐木信綱記念館」→「石薬師」→「石薬師一里塚阯」を巡り歩いて来た模様についてお伝えする
05時40分 起床→腹筋2,000回→
05時25分 2.5kg木刀素振り50分
06時15分 入浴→朝食→
06時55分 拙宅発→一般道→音羽蒲郡IC→ 東名 →鈴鹿IC〔料金2,300円〕→→1時間30分 120㎞→
08時25分 JR加佐登駅近隣駐車場着
08時27分 JR加佐登駅着
08時50分 同駅発→関西本線→
09時07分 JR四日市駅着
【JR加佐登駅→JR四日市駅】
[右上]同 駅 platform にて
[左下]同 駅に08時50分発の電車が入って来た
[中下]関西本線 車両の中‥ご覧の様にガラガラであった‥
[右下]JR四日市駅 platform にて
09時15分 四日市駅前発→徒歩→
09時31分 四日市宿陣屋〔四日市代官所〕跡〔=四日市市立中部西小学校〕着
【四日市宿陣屋→四日市宿資料館→四日市脇本陣帯や跡→清水本陣跡→黒川本陣跡】
[左下]四日市宿陣屋 解説板
[右上]同所にて1
[右中]同所にて2
[右下]同所の堅町解説石碑
【東海道四日市資料館・脇本陣帯や跡・清水本陣跡・黒川本陣跡】
[03][左上] 四日市脇本陣帯や跡・清水本陣跡・黒川本陣跡 map
[左下]東海道四日市資料館〔コロナ禍にて休館中〕前にて
[右上]脇本陣帯や跡
[右中]清水本陣跡
[右下]黒川本陣跡
現地に行ってみて初めて解ったことだが、四日市脇本陣帯や跡・清水本陣跡・黒川本陣跡は、いずれも石碑も解説板も何もないのだ
/ せめて解説板くらい掲示してくれると有り難いのだが‥
09時50分 すぐ江戸道石碑&南町解説石碑発→徒歩→
10時00分 諏訪神社着
【すぐ江戸道石碑&南町解説石碑→諏訪神社】
当神社は、四日市宿で最も古い歴史を持つ由緒ある氏神神社
[右上]諏訪神社 本殿前にて
[左下]同 境内の一画にあった歌川広重「東海道五十三次【四日市「三重川」】」にて
[中下]同 参拝のしおり(左)&御朱印(右)
[右下]同 本殿を back に
【諏訪神社→旧東海道・四日市宿街並〔中浜田町・赤堀〕】
[右上]諏訪神社入口横の石碑にて
[左下]四日市宿旧東海道街並〔中浜田町〕
[中下]同 同所にて
[右下]同 同所近隣にあった「東海道」の看板
【旧東海道・四日市宿街並〔赤堀・南赤堀町・赤堀南町・日永〕】
[右上]同 四日市宿街並〔赤堀〕
[左下]同 同〔南赤堀町〕
[中下]同 東海道の看板〔南赤堀町〕
[右下]同 四日市宿街並〔日永〕
【大宮神明社】
[右上]同 鳥居前にて
[左下]同 本殿前の鳥居前にて
[中下]同 二柱大神 拝殿前にて
[右下]同 本殿前にて
【旧東海道・四日市宿街並〔日永〕】
[右上]同 同上2
[左下]同 同上3
[中下]同 同上3にて
[右下]同 同上4
11時57分 日永神社着
12時06分 同所発→徒歩→
【日永神社】
[右上]同 同所にて
[左下]同 本殿前にて1
[中下]同 同上2
[右下]同 (旧)東海道総合案内
12時10分 東海道総合案内発→
12時14分 日永一里塚着
【日永一里塚】
[左下]同 同上2
[右上]同
[右中]同 解説板
[右下]同 同所→采女一里塚跡への Google 航空 map
13時48分 杖衝坂着
【杖衝坂(つえつきざか)】
[右上]同 &血塚社解説板
[左下]同 芭蕉「徒歩(かち)ならば杖つき坂を落馬かな」解説板
[中下]同 同上石碑
[右下]同 &血塚社解説板にて
13時55分 杖衝坂発→徒歩→
13時58分 血塚社着
14時04分 同所発→徒歩→
14時09分 采女一里塚跡着
14時14分 同所発→徒歩→
【地塚社】
[右上]同 境内1
[左下]同 同上2
[中下]同 境内の「日本武尊御血塚」石碑にて
[右下]同 鳥居前にて
【采女一里塚跡】
[右上]同 同上2
[左下]同 解説板
[中下]同 解説板の後ろの空に虹がかかった1
[右下]同 同上2
15時07分 石薬師宿 北口着
【石薬師宿】
[右上]同 石薬師宿案内看板
[左下]同 小澤本陣前にて1
[中下]同 同上2
[右下]同 同上3
15時22分 石薬師宿 小澤本陣発→徒歩→
15時23分 石薬師文庫・佐佐木信綱記念館着
15時45分 佐佐木信綱記念館発→徒歩→
【佐佐木信綱記念館】
小生、佐佐木信綱の短歌が好きだ
なかでも、薬師寺の東塔を詠んだ此の歌が大好きだ!‥
ゆく秋の大和の国の薬師寺の
塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱
人生、一度しかないから、コロナ禍には気をつけて、いま正に日本の歴史と文化を満喫している
此の日訪れた時は、佐佐木信綱
(1872.07.08-1963.12.02)記念館の来館者は小生ただ一人
マスクして、アルコール消毒して、検温も36.0度Cで入館OK!
佐佐木信綱記念館に入館した際、「小生、佐佐木信綱さんの短歌が大好きで、なかでも、ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲‥の歌が大好きなんですヨ!
いま、旧東海道五十三次を歩いていて、今日は、四日市から此処迄歩いて来ました」とお話したら、受付の 女性が吃驚していた
すると共に急に親しげに佐佐木信綱関連の話をしてくれた
だからかどうか分からないが、佐佐木信綱関連の書籍・図録集の件では、書籍と絵葉書を購入した際、図録も全5冊あるうちの3冊が欲しい旨伝えたら、「全5冊を無料ですからどうぞ!」と下さったのには驚きと共に感謝の気持ちで一杯となった
添付写真をご覧になればお分かり頂けると思うが、立派な図録集だった
[右上]同 佐佐木信綱・幸綱父子石碑
[左下]同 佐佐木信綱生家1
[中下]同 同上2
[右下]同 同上3
[右上]同 生家5
[左下]同 記念館前にて
[中下]同 生家前にて
[右下]同 同所にて手に入れた佐佐木信綱関連書籍・図録集
此れ等の佐佐木信綱関連書籍・図録集で暫く時間がつぶれるので楽しみだ
15時54分 石薬師寺着
16時03分 同所発→徒歩→
【石薬師】
[右上]同 境内にて
[左下]同 本堂前にて1
[中下]同 高富山 石薬師寺由来
[右下]同 本堂前にて2
16時08分 石薬師一里塚着
16時15分 同所発→徒歩→
【石薬師一里塚】
[右上]同 同所にて2
[左下]同 庄野宿・石薬師宿案内看板
[中下]同 JR加佐登駅前にて
[右下]今日の踏破距離22.3km 歩数29,103歩
今日は、歩いているうちに何回か雨に打たれた
でも、旧東海道の旅は実に楽しい!
今日も先々週・先週の24㎞には及ばなかったが、芭蕉が、東海道一急峻な坂を馬で登ったら落馬した此の坂を「『徒歩(かち)ならば杖つき坂を落馬かな』と詠んだんだァ!」と知ってチョット驚き感動した「杖衝坂(つえつきざか)』を除けば、平坦な道程の「JR四日市駅」→「四日市宿」→「石山寺宿」→「加佐登駅」の22kmだった
時間が遅くなったので、帰りも高速道路を利用した
16時57分 JR加佐登駅南口近隣駐車場発→一般道→→鈴鹿IC→伊勢湾岸自動車道→新東名→岡崎東IC→一般道→1時間32分 127㎞→
18時35分 帰宅〔走行距離計 247km〕(了)
【後記1】旧東海道「四日市宿」→「石薬師宿」を歩いた翌日の01月17日(日)は、一日中家にいて休息した
其処で、普段読んでいない學士會会報を紐解き、法相宗大本山薬師寺執事〔名大・文修士・平成7卒〕松久保伽秀氏が令和2年7月20日に學士會午餐会で講演した時の講演文「薬師寺国宝東塔大修理‥十年の軌跡」をゆっくり読んでみた
【平成の大修理】
2009年07月 東塔解体を開始
2014年07月 発掘調査
2014年09月 心柱移座式
2017年01月 心柱立柱式〔木部組立着手〕
2017年08月 初重完了〔組上期間 8ヵ月〕
2018年03月 二重完了〔組上期間 7ヵ月〕
2018年09月 三重完了〔組上期間 6ヵ月〕
2019年02月 新生舎利奉納・竣工
2020年04月 落慶法要〔延期→日程未定〕
2021年03月01日より一般公開
此の塔を見ると必ず佐佐木信綱
(1872.07.08-1963.12.02)の名歌が浮かぶ
ゆく秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なる一ひらの雲
[20]昨日佐佐木信綱記念館にて購入した衣斐賢譲著「佐佐木信綱の世界」
写真右下には、「日本人なら一度は口にし、耳にしたであろうこの歌〔【小生注】1908年(信綱36歳)作〕「ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の ‥」の歌碑は詠まれてから半世紀後〔【小生注】
1955年(信綱83歳)〕、薬師寺の東塔の足元に建てられた」とある
【後記2】01月20日(水)は、週一回の平日休日
其の週末は雨天がほぼ間違いなく予想される
そんな中、小生「JR加佐登駅」から旧東海道の「庄野宿」「中冨田一里塚跡」「和田一里塚跡」「野村一里塚跡」「関一里塚跡」「関宿」迄の16㎞を歩いて来る予定だ
冬の雨天でどの様になるかチョット心配ではある
が、新調した歩き易い walking shoes も昨日届いた
そして、今日は一日中家にいて、朝の09時00分から3時間、腹筋2,000回/90分と2.5gkの木刀素振り1,200回/90分と、有酸素運動と筋トレを兼ねた運動をいつもより入念にして準備万端整えた
小生其の際も、筋トレ・有酸素運動の時間も無駄にしない様にと、大好きな classic 音楽をDVDで全 8曲聴いた!(^^;;
曲目は以下の8曲
(1)(2)(3)(4)(5)(6)Mozart/弦楽四重奏曲(String Quartet)「Haydn set」全6曲( No.14「春」- No.15
- No.16 - No.17「狩り」- No.18 - No.19「不協和音」)
(7)Schubert/
String Quartet No.14「死と乙女」
(8)Ravel/ String Quartet
[左下]Mozart/ String Quartet “Haydn set”全6曲(上)&Schubert&Ravel/ String
Quartetts(下) 1
[中下]同上2
[右下]viola 奏者のヴェロニカ・ハーゲン
いずれも珠玉の名曲を、此れ又、現代の実力・人気共に一流のハーゲン弦楽四重奏団で聴いた
因みに小生、viola 奏者のヴェロニカ・ハーゲン(1963.05.05- )のファンでもある
今日は、健康に役立ち、且つ至福の数時間を過ごすことが出来て、明々後日の旧東海道 walking が今から凄く待ち遠しい
では、また‥〔了〕
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