■皆さん、お変わりありませんか?
今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0770】号をお届けします。
■今日最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第二集『春の日』から〔第8回/85句〜96句〕をお届けする。
今宵は更(ふけ)たりとてやみぬ、同十九日荷兮室(しつ)にて
【意】今宵は時刻も遅くなったので中断して、19日に荷兮の部屋にて連句を続行した
85
咲けわけの菊(注1)にはお(=を)しき白露(しらつゆ)ぞ 越人
【意】咲き分けの菊の花びらに降りた秋の朝露
/ 様々な人の手が加えられ作られた咲き分け菊の美しさも純乎(じゅんこ)たる白露の美しさには敵わない
【解説】初裏七
/ 季語:菊・白露=秋 / 前句の、様々な人の手により曲げを付けた松の枝ぶりなど人工的なものを踏まえて咲き分けの菊を付けた
(注1)咲きわけの菊:一本の菊から二種類の色の花が咲くように工夫した菊
86
秋の和名(わみやう)にかゝる順(したがふ(=ごう))(注1) 旦藁
【意】源順が「和名類聚集」の「秋の部」の校訂に一心不乱になっている
【解説】初裏八
/ 季語:秋=秋 / 前句の「咲き分けの美しい菊」に触発されて付けた
(注1)順:源順(みなもとのしたがふ(=平安初期の歌人・博物学者・漢学者))
/「倭名類聚㮤抄」の編者 / 但し、分類に「秋の部」はない /
87
初雁(はつかり)の声(こゑ)にみづから火を打(うち)ぬ 冬文
【意】秋の夕暮れことで、空を飛んでゆく初雁の声を聴きつけてはっと我に返り四囲が薄暗くなったことに気付き、火打石を打ち灯火を灯した
【解説】初裏九 / 季語:初雁=秋 /
【解説】初裏九 / 季語:初雁=秋 /
88
別(わかれ)の月になみだあらはせ 荷兮
【意】帰って行く男がせめて別れを悲しみ涙の一つも溢してくれたら(‥と女が願っている)
【解説】初裏十
/ 季語:月=秋 / 恋=別・なみだ / 前句を、一夜の交わりの跡、夜明けに男が出て行く別れの場面の打火と見て付けた /
89
跡(あと)ぞ花(はな)四(し)の宮よりは唐輪(からわ)(注1)にて 旦藁
【意】花にも譬えられる美しい女と別れ都を跡にして、四宮辺り迄来るすっかり田舎である
/ 唐輪姿の田舎女の立ち働く姿が目に入った /
【解説】初裏十一
/ 季語:花=春 / 恋=唐輪 /(注1)唐輪:中国トライの
hair style / 室町時代初期に流行したという
90
春ゆく道の笠もむつかし 野水
【意】行く春の街道は汗ばむ季節だ
/ 笠の下も何かと鬱陶しい / 髪形も簡略な唐輪でないと暑くてやりきれない /
【解説】初裏十二 / 季語:春ゆく=春 / 前句を旅ゆく女が自らの hair style を簡略な唐輪に結い変えた、とみて付けた
【解説】初裏十二 / 季語:春ゆく=春 / 前句を旅ゆく女が自らの hair style を簡略な唐輪に結い変えた、とみて付けた
91
永(なが)き日や今朝(けさ)を昨日(きのふ)に忘(わす)るらん 荷兮
【意】日永(ひなが)の春
の一日を悠然と旅する人 /
今朝起こったことを昨日のことと間違えでもしそうな恬淡(てんたん(=あっさりして執着しない))な人だ /
【解説】名残表一 / 季語:永き日=春 / 前句を、笠など煩(わずら)わしいと脱いで仕舞った人と見て詠んだ
【解説】名残表一 / 季語:永き日=春 / 前句を、笠など煩(わずら)わしいと脱いで仕舞った人と見て詠んだ
92
簀(す)の子(こ)茸(たけ)生(お)ふる五月雨(さみだれ)の中(うち) 越人
【意】濡縁に茸(=キノコ)が生えて来た/
いつ止むとも知れぬ鬱陶しい五月雨 /
【解説】名残表二 / 季語:五月雨=夏 / 前句の「永い日」を五月雨にうんざりした長い一日に転じた /
【解説】名残表二 / 季語:五月雨=夏 / 前句の「永い日」を五月雨にうんざりした長い一日に転じた /
敢えて字余りとして佶屈(きっくつ(=文章が難しく意味のとりにくいこと))な処を気分に結びつけようとする
93
紹鷗(ぜうおう(=じょうおう))(注1)が瓢(ふくべ)はありて米はなく 野水
【意】有名な茶人
武野紹鷗作の瓢と言われる名物を日常に使用する人物ではあるが、台所に今日食する米もないという無欲な隠者が住んでいる
【解説】名残表三
/ 雑 /
(注1)紹鷗:武野紹鷗
(1502-55)/ 戦国時代の豪商(武具商or皮革商)、茶人 / 千利休(1522-91)の師と言われる堺の町衆の一人
/
94
連歌(れんが)のもとにあたるいそがし 冬文
【意】此の人、連歌会の会元の当番になり、準備に追われている /【解説】名残表四 / 雑 / 前句を、会席の飾りの花生は紹鷗の瓢という確かにいいものを持っているが、気付けば食事に出す粥に煮る米がない、と解して、日常茶飯事に疎い人とした
95 瀧壺(たきつぼ)に柴(しば)押(お)しまげて音(おと)とめん 越人
【意】連歌の会に音が邪魔になるというので、近くの滝壺に柴を押し入れて消音を試みる
/ 其れ程の風流な人だ
【解説】名残表五 / 雑 /「滝壺」に柴を入れて音を消そうというのは、頓阿(12789-1372)「井蛙(せいあ)抄」(1360-64成立)の藤原為教(1227-79(=京極家の祖))の故事を其の儘採用したもの /
【解説】名残表五 / 雑 /「滝壺」に柴を入れて音を消そうというのは、頓阿(12789-1372)「井蛙(せいあ)抄」(1360-64成立)の藤原為教(1227-79(=京極家の祖))の故事を其の儘採用したもの /
前句の連歌亭主の心の内を想像し、趣向を具体的に思い浮かべたもの
96
岩苔(いはごけ)(注1)とりの籠(かご)にさげられ 旦藁
【意】岩苔採取の為に岩苔採りが絶壁の滝の壁を竹籠に入って上から吊るされている
【解説】名残表六
/ 雑 / 風流人から一転して生活の為に岩苔を採取することを生業(なりわい)にする人を詠んだ /
(注1)岩苔:深谷・水辺の岩に生える /
薬用又は盆栽用 /
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『春の日』から〔第9回〕第97~108句をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題は、08月04日(日)に名古屋市金山駅南口にあるANAクラウンプラザ・ホテルグランコート名古屋にて開催された「開業20周年記念
ホテルグランコート名古屋OB会」に参加して模様について簡単にご報告する。
小生は、旧行時代2000(平成12)年7月初~2002(平成14)念6月末の丁度2年間、ホテルグランコート名古屋に業務出向した。
小生の出向当時の社員証と name plate 、社章badge
の記録写真があったので、添付写真[03]をご覧下さい。
[01]ANAクラウンプラザ・ホテルグランコート名古屋が入居する金山南ビル入口に掲げられている同ホテルの
banner(左)
[02]金山南ビル入口前のANAクラウンプラザ・ホテルグランコート名古屋案内看板横にて
[03]小生の出向当時の社員証と
name plate 、社章badge の記録写真
[04]ホテルグランコート名古屋lobbyに掲示されていた「開業20周年記念 ホテルグランコート名古屋OB会」案内
[05]同上OB会の
snap shots 32枚を2枚の写真に纏めた2-1
[06]同上2-2(完)
【小生comment】
今から丁度19~17年前の昔日のことだが、あっという間に其の時に
time slip した。
以下にご紹介する方々は、添付写真[05][06]に
up されているが、一人ずつの紹介は割愛するが、小生にとってはとても懐かしい人たちばかりだった。
小生と入れ替わりに出向元に戻って行った清田氏(写真[05]最上段右から2つ目の写真中央)は現在、ANAクラウンプラザ・ホテルグループCOOだ。
小生と入れ替わりに出向元に戻って行った清田氏(写真[05]最上段右から2つ目の写真中央)は現在、ANAクラウンプラザ・ホテルグループCOOだ。
又、小生の4代後任の現・管理部長は水野君(写真[05]最上段右から2つ目の写真右端)は料飲部宴会課の manager (当時)だったし、管理部総務課担当(当時)の伊藤君(写真[05]上から3段目右側の2コマ写真の左側)が現・管理部部長、マーケティング部販売課副支配人(当時)の島原君(写真[05]上から2段目右端の写真左側)が現・副総支配人に、宿泊部宿泊課chief(当時)の高木君(写真[06]上から2段目左端の写真右側)が現・宿泊部長に、洋食スターゲイト・シェフ(当時)の早川君(写真[06]最上段右から2つ目の写真右側)が現・洋食調理長への夫々栄達していたのは喜ばしいことだった。
更に又、管理部を任された小生と同じ立場で、全日空ホテルズ本部から業務出向していた宿泊部兼マーケティング部長(当時)の平野氏(写真[05]上から2段目右から2つ目の写真左側)、料飲部長(当時)の鈴木氏(写真[05]最上段左から2つ目の写真左側)、洋食調理長(当時)の四條氏(写真[05]上から2段目左側2コマ写真白髪の男性)と17年ぶりに再会出来たことは大変嬉しかった。
■続いての話題は、08月11日(日)に杉本美術館『杉本健吉が見ていた時代~明治・大正・昭和・平成~』『恋の水神社』を見て巡って来たことについてお伝えする。
其の日(08月11日)の半日は以下の通りの行動だった。
04時30分 起床 → 腹筋2,000回 / 2.5kg木刀素振り60分 06時40分 入浴・朝食 07時40分 拙宅発→一般道〔国道1号線→国道23号線バイパス→西尾東IC→衣浦トンネル→〕70㎞ 120分→ 09時40分 杉本美術館着 [07]杉本美術館
[08]同入口前にて1
[09]同上2
[10]杉本美術館内受付前の本企画展看板前にて
[11]本企画展leaflet
1905(明治38)年 名古屋市矢場町に生まれた杉本健吉は、津島→名古屋→大垣→笹島と転校を重ね、津島第一尋常小学校、愛知県立工業学校図案科卒業 1925(大正14)年 京都で岸田劉生門下となり、翌年『花』で春陽会初入選 1928(昭和03)年 津島町公会堂にて初個展を開催 1949(昭和24)年 東大寺観音院住職 上司海雲師の知遇を得て以来「奈良の杉本」と評される 1950(昭和25)年 吉川英治作『新平家物語』の挿絵を担当し高い評価を得た 2004(平成16)年 02月10日逝去〔享年98歳〕 [12]杉本健吉『津島天王川』1916年
[13]同『下新田』〔津島〕制昨年不詳
[14]同『津島天王祭』1961年
[15]同『尾張富士』1938年
[16]同『明治村入鹿池畔品川灯台と‥』1965年
[17]同『テレビ塔から東方を望む』1987年
10時02分 杉本美術館発→一般道3.3km 8分→ 10時10分 恋の水神社着 [18]恋の水神社参道前の鳥居にて
[19]恋の水神社由来記
[20]同神社の本殿
小生、名画・名曲・名詩という『美しい』モノが好きだ。 此れ等『美しい』モノはいつも「ときめき」をくれる。 此れからもずっと此の「ときめき」を忘れずにいたい。 何故なら此の「ときめき」は小生にとって「 Positive な意欲」と「若さの源泉」だからだ。 勿論、気分だけは『恋』も「ときめき」をくれるので大切にして行きたい‥ 10時14分 恋の水神社発→一般道 70㎞ 110分→ 12時04分 帰宅 走行距離計 143.8km〔了〕 【後記】 今日は、18:30 から豊橋駅至近のコンフォートホテル1F あら萬 にて「四人会にて松井君を囲む会」を開催した。 松井S記君【3-3】は、大阪大学法学部名誉教授で、現在、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学法科大学院教授、憲法学の権威だ。 松井君の略歴は、ウィキペディアで以下の様に紹介されている ↓↓↓ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/松井茂記 会の開始早々、中嶋君が松井君に、愛知トリエンナーレの表現の自由の問題を質問したので話題は一挙に憲法21条の話でワイガヤになった。 【憲法第二十一条】 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する 検閲は、これをしてはならない 通信の秘密は、これを侵してはならない 楽しいひとときは、20:40 の一次会の制限時間一杯迄続いた。 [21]みんなで乾杯!1
[22]同上2
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