2017年1月29日日曜日

【時習26回3-7の会 0637】~「松尾芭蕉『野ざらし紀行』〔第7回〕(伊賀上野にて越年)」「01月18日:山種美術館『開館50周年記念特別展/日本画の教科書〔京都編〕‥栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ‥』展& 郷さくら美術館 東京『特別展/林潤一の世界‥樹花草々‥』展を見て」「樺沢紫苑『脳を最適化すれば能力は2倍になる』予告」

■皆さん、お元気でお過ごしのことと思います。今日も【時習26回3−7の会 0637】をお送りします。
 時節は、来週末0204日『立春』。
 前日の『節分』に食べる「恵方巻」の食べる方向は、今年は「北北西」。
 今日は、先ず、ほぼ1か月ぶりに松尾芭蕉の『野ざらし紀行』〔第7回〕をお伝えした後、先月18日に仕事で上京した折、帰途上で立ち寄った二つの美術館の企画展の模様をお伝えする。

■さて今日は、20161225日付【時習26回3-7の会 0632】以来、久しぶりに松尾芭蕉(1644-94)の第一作目となる紀行文『野ざらし紀行』の今回はその〔第7回〕をお送りする。
 前回は、〔第6回〕にて、今から332年前の1684(貞享元)年十月初旬~中旬(新暦1107日~25日頃)の芭蕉が「名護屋に入程風吟ス」についてお伝えした。
 今回(7)は、十二月廿五日(新暦16850129)に芭蕉は伊賀上野に帰り越年。
 早速御覧頂きたい。

1684(貞享元)年 ※
【済】八月中旬(十一~廿日(新暦168492029日頃))‥・江戸深川の草庵を門人千里(ちり(=苗村氏))を伴い、東海道を上方を目指して出立。
【済】八月二十日過ぎ(新暦0930日過ぎ)‥・小夜中山を越える
【済】八月晦日(新暦1008(猶、八月は小の月につき晦日は29) ‥・伊瀬外宮を参詣
【済】九月八日(新暦1016)‥・伊賀上野着、兄半左衛門宅に滞在 ‥・千里の故郷、大和国竹内村千里宅を訪問、吉野山に登る
【済】九月下旬(新暦1028日~1106)‥・今須・山中を経て大垣へ‥谷木因亭に泊す
【済】十月初旬~中旬(新暦1107日~25日頃)‥・伊勢の多度権現、桑名本統寺を経て熱田へ
【済】十月下旬(新暦1125日頃~1206)‥・名古屋へ赴く、その後再び熱田へ
【今回(7)】十二月廿五日(新暦16850129)‥・伊賀上野に帰り越年

1685(貞享02)年 ※
 二月(初旬から中旬廿日迄(新暦0305日~0324)) 伊賀より奈良へ、二月堂の行事を拝す
 因みに、東大寺二月堂の修ニ会(しゅにえ(=おみずとり))は二月一日~十四日(現在は、新暦030114日に行われる)
 二月下旬(廿一日~晦日(新暦0325日~0403)) 京都鳴滝の三井秋風の山荘に遊ぶ
 三月上旬(朔日~十日(新暦0404日~13) 伏見西岸寺に任口上人を訪ねる
 三月中旬(十一日~廿日(新暦0414日~23)) 水口の駅で服部土芳に逢い数日滞在、のち名古屋へ向かい熱田の桐葉亭へ
 四月四日(新暦0506) 鳴海の下郷知足を訪ねる
 四月五日(新暦0507) 熱田へ戻る
 四月九日(新暦0511) 再び鳴海へ赴く
 四月十日(新暦0512) 鳴海を発ち、江戸へ向かう
 四月下旬(廿一日~晦日(新暦0523日~0601)) 木曾・甲斐を経て江戸へ帰着

《原文》
 爰(ここ)に草鞋(わらぢ)をとき、かしこに杖を捨(すて)て、旅寝ながらに年の暮(くれ)ければ、

年暮ぬ笠きて草鞋はきながら

といひゝゝも、山家(やまが)(1)に年を越(こし)て、

()が聟(むこ)ぞ歯朶(しだ)(2)に餅負()ふ丑の年

《現代語訳》
 此処に草鞋を解き、彼方に杖を捨て、旅寝の儘に年が暮れて仕舞うと‥

【意】笠を着た儘、草鞋を穿いた儘の旅の出立(いでた)ちの恰好の儘で年が暮れて仕舞ったヨ
【季語】「年暮る」:冬
【解説】旅人として慌しく年が暮れた感慨を読んだと解したい

 と言いつつも、山里の家(=実家)にて年を越し‥

【意】誰の婿さんだろう?/牛の背にシダ(=羊歯)の葉を添えた鏡餅を背負わ(オワ₌おわ)せて、その「牛(=ウシ)」を「追っ(=オッ=おっ)」て行くのは‥/今は正に「丑(=ウシ)年」の正月に
【季語】「丑の年」:新年
【解説】俳論『三冊子』に「此()句ハ、冬の日の年の歳旦(₌元旦)也、此()古体に人の知らぬ悦び有り、と也」とある

 「古体」とは、「おふ」が「()追ふ」と「牛を追ふ」、「うし」が「牛」と「丑」の掛詞になっていることを指す

《語句》
(1)山家(やまが):故郷の伊賀上野を指す。竹人『全伝』に「尾張伊勢路を経て、末の冬廿五日又いがにあり」とある。
(2) 歯朶(しだ):羊歯/シダ植物の総称/餅に添える

【小生comment
 『野ざらし紀行』の次回〔第8回〕は、「二月(初旬から中旬廿日迄(新暦0305日~0324)) 伊賀より奈良へ、二月堂の行事を配す」なので、三月上旬にお送りする予定である。
 お楽しみに!

0118日は、勤務先の取引金融機関2行と、現在進めている三河湾での免許事業でお世話になる国と地方公共団体の外郭団体、そして勤務先の最大の取引先の日本法人東京事務所の4箇所に年始挨拶の為上京した。
 そして、3時過ぎに用事を済ませた小生、広尾にある山種美術館と中目黒にある郷さくら美術館東京の2つの美術館を訪ねた。

【山種美術館『日本画の教科書〔京都編〕‥栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ‥』展】
 本展は、山種美術館の開館50周年記念の特別展である。
 本展leafletに「今回は京都画壇、続く次回展では東京画壇と2回に分けてご紹介する。近代日本美術史を語る上で欠かせない名画ばかりを取り揃えた、正に『日本画の教科書』とも呼べる特別展を開催する」と謳っている。

[01]山種美術館美術館の最寄りの駅 JR山手線「恵比寿駅」

[02]山種美術館入口の本展案内看板
                  
[03]本展leaflet

[04]菊池芳文(1862-1918)『「花鳥十二ヶ月」《二月》』明治-大正前期
                  
[05]竹内栖鳳(1864-1942)『班猫』1924

[06]同『鴨雛』1937年頃
                  
[07]上村松園(1875-1949)『砧』1938

[08]同『牡丹雪』1944
                     
[09]村上華岳(1888-1939)『裸婦図』1920

[10]小野竹喬(1889-1979)『晨朝』1969
                  
[11]同『冬樹』1976

[12]山口華楊(1899-1984)『生』1973
                  
【小生comment
 ホント、素晴らしい傑作ばかりだった。
 次回の『日本画の教科書〔東京編〕』も是非見たくなった。
 3月に見るべく計画中である。
 これもお楽しみに!

【郷さくら美術館 東京『特別展/林潤一の世界‥樹花草々‥』展】
 当館は、2012年開館と新しい美術館である。
 Internetで本展「林潤一の世界」のsampleの絵が気に入ったので見て来た。
 以下に、主な展示作品をご覧に入れる。

[13]郷さくら美術館 東京 入口

[14]本展leaflet
                  
[15]林潤一『肥後椿』2000

[16]同『紫陽花』2000
                  
[17]同『冨士晴嵐』2005

[18]同『山高神代桜』2012
                  
[19]伊達 良『さくら川』2013

【小生comment
 いかがでしたか?
 なかなかいいでしょ!?
 今回初めて訪れたが、山種美術館がある日比谷線恵比寿駅の隣駅の中目黒役から徒歩3分の所にある。
 これから上京した折には、結構数多く訪問しそうな美術館になりそうだ。(^^;

■今日最後の話題は、樺沢紫苑著『脳を最適化すれば能力は2倍になる』の予告編である。
 本書は、7つの脳内物質について、その役割とそれ等のbalance良い活用により『能力を2倍にする』ことが出来ること説明したbusiness書。
 まだ取り寄せたばかりの本で読み出したばかりなので全容の感想をお伝えすることは出来ない。
 ただ直観だが、なかなかいい本と感じたので、次回から複数回に分けてご紹介して行きたい。
 今日は先ず、著者の樺沢氏が本書を上梓した趣旨を述べた序章から一部(P.16)を引用してご紹介する。
 「脳の仕組みに適った仕事術をして頂きたいと思う。
 脳が自然に dopamine を出すことを促せば、motivation が上がる。作業効率や学習効率、更には記憶力迄 up する。
 つまり、生活習慣や働き方を変えるだけで、あなたの能力が大幅に引き上げられ、仕事の効率も質も大きく改善される。
 こうした作用は dopamine に限らず「7つの脳内物質」をbalance 良く活用すれば、先ず stress を減らすことが出来る。
更に、脳の機能に match して、頑張り過ぎた身体を救い、鬱病になる危険性も激減する。
 これ等「7つの脳内物質」は、夫々違った役割と活用方法がある。
 本書では、この7つ「dopaminenoradrenalinadrenalineserotoninmelatoninacetylcholineendorphin」について解説する。
 この「7つの脳内物質」こそが、あなたの motivation や働き方を変え、あなたの人生迄変えてくれる物質である。(P.21)
 これ等を出来る限り balance 良く実践することに拠り、理想的な脳内物質の状態が実現する。
 結果として、あなたの「脳と身体は『健康』」となり、あなたの「潜在能力が100%、或いはそれ以上引き出される」のである。(P.30)

【小生comment
 本書は、医学に疎い小生にも非常に解り易く説明してくれている。
 次回は、先ず dopamine についてご紹介する。
 お楽しみに!

【後記】今日最後は、0118日に上京する日の朝、豊橋駅の concourse に展示されていた『鬼祭り~赤鬼像』をご紹介してお別れしたい。

[20]豊橋駅 concourse に置かれた『鬼祭り~赤鬼』
                  
 では、また‥。〔了〕

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2017年1月22日日曜日

【時習26回3-7の会 0636】~「01月14日:名古屋ボストン美術館『吉田博 木版画展覧‥抒情の風景( Nostalgic Utopia )‥』を見て」「01月14日:名都美術館『特別展/愛知県立芸術大学開校50周年記念~日本画専攻の半世紀‥歴代指導者/珠玉の作品でたどる‥』展を見て」「01月14日:『大学弓道部時代の一年先輩&同期&一年後輩との合同ミニ同窓会』実施報告」

■皆さん、お元気でお過ごしのことと思います。今日も【時習26回3−7の会 0636】をお送りします。
 時節は、先週01月20日(金)から二十四節気でいう『大寒』。
一年中で一番寒い時節ですネ。
 今日は、前《会報》をお届けした前日の01月14日(土)の事柄を3件お届けします。
 小生、最近仕事で high-tension の毎日を過ごしている。
 現在の勤務先は、昭和43年設立当時は第三セクターだった。
 東三河の社会インフラ整備と三河港港湾管理業という公的色彩の強い会社で、今年、久しぶりに二大projectが本格的にstartする。
 三河港の11.5ha埋立事業と、豊橋駅前大通二丁目法定再開発事業である。
 埋立事業が竣工すると11.5haの日本国土が増え、豊橋駅前大通の法定再開発事業が竣工すると集客施設として市立図書館がcore〔中核〕となる。
 詳細は、公表に出来る時点で改めて詳細をご報告させて頂くつもりなのでその時迄お楽しみに!
小生、お陰様で昨年来頓(とみ)に忙しい毎日を過ごしている。
 だから最近は、好きな読書も儘ならない。
 一方、溜まるstressを発散させる意味で、大好きな美術鑑賞とclassic音楽鑑賞は欠かせなく、積極的に見て聴いている。
 そんなこんなで、今日は掲題の2つの美術館巡りと大学弓道部時代の同窓会の模様についてご報告させて頂く。

■さて、今日最初の話題は、01月14日:名古屋ボストン美術館『吉田博 木版画展覧‥抒情の風景( Nostalgic Utopia )‥』を見て来たことについてである。
 先ずは、本展の主人公 吉田博 について少しご紹介する。
 吉田博(1876-1950年)は、明治後期・大正・昭和前半に活躍した日本の洋画家&版画家。

[01]名古屋ボストン美術館 入口の本企画展案内

[02]初の渡米直後にDetroitで撮影した吉田博のportrait 1899.10.23
                  
[03]1904年01月~の吉田博&ふじを兄妹時代‥二人は帰国後の1907年結婚

[04]名古屋ボストン美術館 に飾られた献花と本展案内
                  
 先ずは略歴から‥
 1876年 博は、旧久留米藩士 上田束秀之の次男として、久留米市に生まれる。
 1888年 福岡県立修猷館中学に入学。
 1891年 修猷館の図画教師で洋画家の吉田嘉三郎に画才を見込まれ、吉田家の養子となる。
 1903年 博は、後の博夫人となる 吉田嘉三郎の実娘 ふじを((藤遠)1887-1987)を伴い渡米、同地にて二人の展覧会を開催し人気を博す。
     その吉田兄妹がItalyのVeniceを訪れ描いた絵の展覧会の模様を、夏目漱石が著書『三四郎』に表したのが以下のphraseである。
     因みに、吉田博は、のち木版画の大家ともなり、川瀬巴水(はすい(1883-1957年)と共に、明治後期・大正・昭和前期の我国の木版画界で人気を二分した。
 猶、Apple 創業者の"Steve" Jobs(1955.02.24-2011.10.05)が、川瀬巴水の作品の大ファンで、日本迄木版画を買い付けに来ていたのは有名な話。
 一方、吉田博の海外著名人のファンしては、GHQ TOPの ダグラス・マッカーサー元帥や、心理学者 フロイト、英国チャールズ元皇太子妃 故ダイアナ妃らもファンだったそうである。
     以下に、夏目漱石『三四郎』にて 吉田博・ふじを兄妹が model となった、三四郎と美穪子が見た Venice の絵画鑑賞の場面を記す。

[05]吉田ふじを『ベニス』1906年

[06]川瀬巴水『馬込の月 東京二十景』1930年
                  
[07]本展leaflet

[08]晩年の吉田博
                  
[09]吉田博『冨士拾景~朝日』1926年

[10]同『瀬戸内海集~光る海』1926年
                  
[11]同『東京拾二題~亀井戸』1927年

[12]同『瀬戸内海集第二~倉』1930年
                  
[13]同『瀬戸内海集第二~鞆之港』1930年

[14]同『瀬戸内海集第二~阿武兎の朝』1930年
                  
[15]同『瀬戸内海集第二~潮待ち』1930年

[16]同『タジマハルの庭』1931年
                  
[17]同『瀬田之唐橋』1933年

[18]同『金閣』1933年
                  
[19]同『弘前城』1935年

[20]同『陽明門』1937年
                  
 ※ ※ ※ ※ ※

【三四郎/八】
 〔前略〕
 長い間外国を旅行して歩いた兄妹(きょうだい)の絵がたくさんある。
 双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。
「ベニスでしょう」
 これは三四郎にもわかった。
 なんだかベニスらしい。
 ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。
 三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。
 〔中略〕
 黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片きれとをながめていた。
 すると、
「兄(あに)さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。
 三四郎にはこの意味が通じなかった。
「兄さんとは……」
「この絵は兄さんのほうでしょう」
「だれの?」
 美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。
「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」
 三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。
 同じように外国の景色をかいたものが幾点となくかかっている。
「違うんですか」
「一人と思っていらしったの」
「ええ」と言って、ぼんやりしている。
 やがて二人が顔を見合わした。
 そうして一度に笑いだした。
 美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、
「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。
 三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。〔後略〕

 ※ ※ ※ ※ ※

【小生comment】
 上記添付写真[05]は、夏目漱石も見たであろう、そして『三四郎』に登場した妹の描いたベニスの絵だと思われる、吉田ふじを の『ベニス』1906年。
添付写真[06]が、吉田博のrival 川瀬巴水の木版画作品/川瀬巴水『馬込の月 東京二十景』1930年。
 猶、【時習26回3-7の会0536】~一宮市三岸節子記念美術館『吉田博・ふじを~世界を旅した夫婦画家~』展&「吉田ふじを著『朱葉の記』を読んで」他をご覧頂きたい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/260536020750-c1.html ←此処をclickしてご覧下さい
 吉田博の木版画の卓越した写実性のlevelの高さは驚嘆の一語である。
 皆さんはどう感じられましたか?
■続いては、今日最後の話題は、名古屋ボストン美術館に続いて、訪れた名都美術館『特別展/愛知県立芸術大学開校50周年記念~日本画専攻の半世紀‥歴代指導者/珠玉の作品でたどる‥』展についてである。
 本展は、本展 leaflet に次の様に記されていたので、その部分を引用してご紹介する。
 愛知県立芸術大学は昭和41年に創立され、平成28年、創立50周年を迎えた。
 片岡球子は61歳で美術学部の初代日本画教授となり、以後30年に亘り後進の指導を続け、熱心な指導は脈々と受け継がれ、次世代の有力な画家たちが輩出している。
 本展は、日本画専攻50年の歩みを、今日迄関わりのあった歴代の先生方18人の作品30余点に拠って振り返ろうとするもの。
 又、本展は名都美術館の開館30周年を記念する展覧会でもある。

[21]本展leaflet/右の絵は、片岡多摩子『面構 葛飾北斎・瀧澤馬琴』1979年

[22]片岡球子『松竹梅の富士』1983年
                  
[23]小山硬『天草(祈り)』1972年

[24]今井珠泉『翔』1992年
                  
[25]今野忠一『浅間山』1991年

[26]松村公嗣『金閣』2009年
                  
[27]岡田眞治『麗』2013年

[28]秦誠『終着』2013年
                  
【小生comment】
 愛知県芸術大学の日本画の先生の皆さんの作品をご覧になって如何でしたでしょうか?
 本当に素晴らしい作品ばかりですネ
 名画って本当に素晴らしい。
 溜まった stress がスーッと消えていくのが実感出来る。
 今月は、01月18日に仕事で上京した帰途、山種美術館『日本画の教科書(京都編)』&郷さくら美術館東京『林潤一』展を、そして昨日01月21日に私用で名古屋へ行ったついでに、美浜町の杉本美術館『まちと人々』展、メナード美術館『とっておきの名画と出会う~メナード美術館collection展Ⅲ期』、トヨタ鞍ヶ池記念館/鞍ヶ池アートサロン『わたしの写実”主義”~画家それぞれの見方・描き方~』展と見て来たので、今後、あと5つの美術館の企画展の模様について順次お伝えする予定である。
 お楽しみに!(^^

【後記】01月14日は、2つに美術館を見てから、名駅前(大名古屋ビルヂングの北裏側)にある居酒屋にて、大学弓道部時代のミニ同窓会を開催した。
 一年上の先輩3人、同期8人、一年後輩4人の、15人が集合した。
 毎年、冬は名古屋で、夏は豊橋で開催して、今回で7年程になる。
弓道部の同期の親友、2008年11月に故人となった石黒文夫君を偲び、東三河と遠州在住の弓道部の同期数名開始したのが本会の始まり。
小生が万年幹事で、毎年参加者が増えて今回の規模になった。
 17時半~20時迄の2時間半、旧交を温め、楽しいひとときを過ごすことが出来た。
 この日は、夕方から降雪の為、同窓会が終わり居酒屋を出た時には、名駅前のオフィス街も一面白銀の世界だった。

[29]大学弓道部ミニ同窓会 記念写真

[30]同窓会終了後の白銀の名駅前オフィス街
                  
 では、また‥。〔了〕

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