[01][上][下]左から小生、内藤勲君、大竹良夫君
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◼️此の日(2026/01/11)は、大竹良夫君の Facebook で知った『(内藤勲・大竹良夫)二人展』を見て来た
. 内藤勲君とも同庚で、小生の亡父が豊丘高校で社会科を教えていた時の教え子だ
. 二人の絵画は、内藤君が似顔絵で、大竹君が Super Realism の水彩画で、因みに大竹君は日本水彩画会豊橋支部長も務めている
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【渚ギャラリー『内藤勲・大竹良夫)二人展』】1
[01][上]内藤勲(中)・大竹良夫(右)両氏と
[左下]渚ギャラリー前の『二人展』看板1
[中下]大竹良夫君の Facebook 『二人展』案内
[右下]渚ギャラリー前の『二人展』看板2 同前にて
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【渚ギャラリー『内藤勲・大竹良夫)二人展』】2(完)
[02][左]内藤勲(中)・大竹良夫(右)両氏と
[右上]似顔絵は、内藤勲君筆の渚ギャラリー内の2006年 豊橋市制100周年記念映画『早咲きの花』(浅丘ルリ子主演)監督の菅原浩志氏(1955/07/04-2025/11/12)の遺影1
[右下]同上2
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◼️今日(2026/01/12)は、風邪気味でもあり、無理せず自室の整理を始めたが‥皆んな気に入っていてなかなか捨てられない‥
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【自室整理で迷っているDVDの再整理】
[01][左上]此れ等オペラDVDは愛蔵品だから手を付けられず
[右上]上段「NHKドラマ(藤沢周平)『蝉しぐれ』」「(高峰秀子主演)『女が階段を上る時』」「吉永小百合 私のベスト20『キューポラのある街』他」「男はつらいよ」全49巻(8巻入×6巻+1巻)、「山田洋次監督名作映画『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』他」25巻(8巻入×3巻+1巻)、「戦場のピアニスト・風と共に去りぬ他」以下略 [左下]中段左から「カール・ベーム指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団・VPO日本公演(1075/77/80)・カラヤン指揮BPO日本公演(1957)」「バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団/ブルックナー 交響曲第4-5-6-7-8-9番」「バレンボイム/ Beethoven Piano Sonata 全集」他 [右下]上段左から「NHK『漢詩紀行』」「石川忠久『漢詩紀行』」「唐詩」「新漢詩紀行」他、下段左から「文明の起源」「映像の昭和」「昭和と戦争」「森浩一が語る日本の古代」「寂聴古寺逍遥」「世界の国立公園」「司馬遼太郎『街道をゆく』全12巻」「奥の細道を歩こう」他
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◼️今日(2026/01/14)は、「懐かしの『ウィーンの想い出』」と、ヘルマン・プライ(1929/07/11-1998/07/22)の歌で、ウィーンの作曲家・文筆家ルドルフ・ジーツィンスキー (Rudolf Sieczyński (1879-1952))の名曲『ウィーン、わが夢の街』( Wien、du Stadt meiner Träume )をお届けする
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【「懐かしの『ウィーンの想い出』」と、ヘルマン・プライの歌、ウィーンの作曲家・文筆家ルドルフ・ジーツィンスキー 『ウィーン、わが夢の街』( Wien、du Stadt meiner Träume )】
[01][左上]
[右上]
[左下]
[右下]
. 2023/04/10 憧れの都 ウィーンにて
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シェーンベルク篇 J. Strauss. / 南国のバラ
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[コメント欄]ヘルマン・プライの歌、ウィーンの作曲家・文筆家ルドルフ・ジーツィンスキー 『ウィーン、わが夢の街』( Wien、du Stadt meiner Träume ) https://www.youtube.com/watch?v=gNJ-xMSA574 .
「ウィーン、わが夢の街」
Wien、du Stadt meiner Träume
喜びも悲しみも みんなこのまちに
夜でも昼でも 心のなぐさめ
誰にでも愛される わたしのふるさと
わたしの心は いつもこのまちに
遥かきこえてくる楽しい歌声
ウィーン ウィーン
お前は心のふるさとよ
古びたまちかど かわいい娘たち
ウィーン ウィーン
お前はわたしの夢のまち
幸せあふれる夢のまちウィーン
喜びは果てもなく 酒と女と歌
ほのぼのと朝日が 空を染めるまで
静かにふたりで愛を語るとき
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いつの日かこの世に別れるその日
晴れわたる大空に この身は漂い
遥かに見おろすシュテファン寺院の
尖塔に永遠の別れを告げよう
遥かきこえてくる楽しい歌声
ウィーン ウィーン
お前は心のふるさとよ
古びたまちかど かわいい娘たち
ウィーン ウィーン
お前はわたしの夢のまち
幸せあふれる夢のまちウィーン
ワルツの調べに心ははずむ
遥かきこえてくる楽しい歌声
ウィーン ウィーン
お前は心のふるさとよ
古びたまちかど かわいい娘たち
ウィーン ウィーン
お前はわたしの夢のまち
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. 懐かしのウィーンの街‥小生、死ぬ迄にもう一度訪れたい『憧れの街』だ‥(了)
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◼️今日(2026/01/15)は、2022/12/03に撮影した鶏足寺・石道寺周辺の紅葉🍁の絶景をお届けする
. 此の時は、新型コロナウィルスの pandemic で自動車乗入れ禁止だったため、JR木ノ本駅から徒歩で訪れて正解だった
. 観光客が殆どいなかったため、参道に散り積もった紅葉🍁が踏み付けられた形跡もなく、実に美しかった
. こんな美しい情景は、もう二度とお目にかかれないだろう、正に絶景だ‼️
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【鶏足寺・石道寺周辺の紅葉🍁の絶景】
[01][左上]
[右上]
[左下]
[右下]
. 鶏足寺・石道寺周辺の紅葉🍁の絶景
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[コメント欄]鶏足寺・石道寺周辺での小生
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◼️今日(2026/01/16)は、週一回の平日公休日
. 午前中、豊橋市資源化センターに粗大ゴミを廃棄処分に行った後帰宅したら、ウィーンのピアニスト、「ルドルフ・ブッフビンダーのBeethoven Piano Recital 」が4月9(木)-11(土)-12(日)の三日間、名古屋市の「しらかわホール」にて開演されることを知り、最終日4月9(木)12(日)15:00からのリサイタルチケットを早速予約した
. 彼の演奏は、Beethoven Piano Sonatas 全集を持っていて何回も聴いているが、なかなかいい!
. 三日間のリサイタルを全部聴いてみようかな、とも思ったが、木土日とほぼ三日間連続豊橋から名古屋市へ此の演奏会のためだけに出かけるのはちとシンドイし、金銭的に3公演セット価格@27,000円は、割安になっているにしても年金生活者には高価できついので断念した
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【ルドルフ・ブッフビンダーのBeethoven Piano Recital 申込み】
[01][左上]小生の愛蔵 DVD 「ルドルフ・ブッフビンダーのBeethoven Piano Sonatas 集」
[右上]ルドルフ・ブッフビンダーのBeethoven Piano Recital 申込み案内 leaflet
[左下]ルドルフ・ブッフビンダーのBeethoven Piano Recital 申込内容
[右下]今回のBeethoven Piano Recital と同じ曲目のDVD
. ◼️今日(2026/01/17)は、白洲正子著『かくれ里』〜「湖北 菅浦」の《淳仁天皇伝説と菅浦》と、小生が其の本に触発され、幾度か訪れた菅浦風景をお届けする
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【白洲正子著『かくれ里』&菅浦風景】
[01][左上][左上]白洲正子著『かくれ里』/ [右上]湖北「菅浦」風景1 / [左下]同上2(上) & 同上3(下) / [右下]須賀神社参道([コメント欄2]赤矢印)(画面右下の石板に「土足を禁止します」とあり、スリッパに履き替えて参詣した)([コメント欄1]橙矢印)
[右上][左上]〜[中中]菅浦の北の奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖・竹生島遠望([コメント欄1]橙矢印) /[中右][下中]菅浦西方から菅浦集落遠望([コメント欄2]空色矢印) /[左下]菅浦集落湖畔にて /[右下]賤ヶ岳山頂にて、余呉湖を back に
[左下][左上]〜[中上]賤ヶ岳山頂から琵琶湖・竹生島遠望 /[中左]〜[左下]奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖遠望 /[下中][下右]菅浦の北の奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖・竹生島遠望
[右下][左上]〜[右上]菅浦の北の奥琵琶湖パークウェイから琵琶湖・竹生島遠望 /[中左]菅浦西方から菅浦集落遠望 /[中中]須賀神社参道から菅浦集落&琵琶湖を振り返って /[中右]須賀神社本殿 /[下左][下中]菅浦西方から菅浦集落遠望 /[下右]菅浦集落近郊から琵琶湖に浮かぶ竹生島
[コメント欄1]Google 航空 map:菅浦集落と湖北1
[コメント欄2]同:同上2(拡大図)
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【白洲正子著『かくれ里』「湖北 菅浦』から抜粋】
. 菅浦は、(菅浦から北北西に位置する)大浦と(同じく北北東に位置する)塩津の中間にある港で、岬の突端を葛籠尾(つづらお)崎という。(中略)竹生島は目と鼻の間で、街道からは遠く外れる為、湖北の中でも全く人の行かない秘境である。つい最近まで、外部の人とも付合わない極端に排他的な部落でもあった。
. それには理由があった。菅浦の住人は、淳仁天皇(大炊(おおい)王(=淡路廃帝))(第47代天皇(733-765.11.10(在位:758-764))に仕えたと信じており、その誇りと警戒心が、他人を寄せ付けなかったのである。(中略)
. 祖神として祀られる人々には、必ず哀れな伝説が付き纏う。淳仁帝も、その例を漏れず、不幸な生涯を送った天皇である。天平勝宝八(756)年、聖武天皇の崩御と共に、平城京に不穏な空気が流れ始めた。(中略)
. (光明皇后を後ろ盾に持つ恵美押勝の強い推挙により)大炊王が立つ。天武天皇の孫で、時に25歳。これが後の淳仁天皇である。(中略)
. 新しく造った近江の保良(ほら)の宮(=旧大津京近く「石山」辺りと推定)で、(淳仁)天皇が(孝謙)上皇と道鏡の間柄を厳しく詰問されたのは有名な話である。(中略)
. (恵美)押勝の乱が起ったのは、それから間もなくのことである。
. (中略)押勝(=藤原仲麻呂)が近江の高島で壊滅する(=藤原仲麻呂の乱(764.10.14-21)と同時に、(淳仁)天皇も淡路に流され「淡路の廃帝」と称されることになる。後日譚は、太平記に載っており、菅浦の伝説も、恐らくこれが元になったと思われる。
. それによると、天皇は(中略)淡路の高島に幽居されたが、「其翌年幽憤の余り、密に謀略を以て配所を抜出で、(中略)逃れ給ひしが、(中略)捉え帰り(中略)明くる日院中にて薨去す、実は是を弑(しい)せしなり」とある。
. 一方菅浦の言伝えでは、その淡路は淡海の誤りで、高島も、湖北の高島であるという。菅浦には「須賀神社」という社があるが、明治までは保良神社と称し、大山咋命(おおやまくいのみこと)と大山祇命(おおやまづみのみこと)が祭神であった。が、本当の祭神は淳仁天皇で、社の建っている所がその御陵ということになっている。保良神社と言ったのも、そこが(‥淳仁天皇が造営した)保良の宮跡だからで、また葛籠尾崎の名称も、帝の遺体を奪って、高島から葛籠(つづら)に入れて運んだことから名付けた、と伝えている。
. あまりに唐突な話で、急には信ずることができないが、いくばくかの真実は含まれていたにちがいない。(後略)(了)
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