今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第11回〕第91句~100句〕」をご紹介する。
91ゆきの日や川筋(かはすぢ)ばかりほそぼそと 鷺汀(注1)
【意】一面銀世界の雪原を見渡すと、僅かに変化を付けるものとして、小川だけが細々と畝って見えるだけだ
【解説】季語:ゆきの日= 冬 /
(注1)鷺汀(ろてい(生没年不詳)):尾張国鳴海の人 /『あら野』などに入句
92 初雪(はつゆき)やおしにぎる手の寄麗(きれい)(注1)也(なり) 傘下(注2)
【意】清浄無垢な初雪をつい押して握り締めてみた / 其の握った手迄が清潔になった様な気がする
【解説】季語:初雪=冬 /
(注1)寄麗(きれい):清楚・清潔・清浄なこと / 現代の「美しい」ではない
(注2)加藤傘下(かとう さんか(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 通称:治助 /『あら野』、『曠野後集』等に入句
93 雪(ゆき)の江(え)の大舟(おほぶね)よりは小舟(こぶね)かな 芳川(注1)
【意】雪景色の入江 / 大船・小舟が停泊している / 此の場合、大船よりもすっかり白雪を冠った小舟の方が絵になり、情緒があり相応しく見える
【解説】季語:雪=冬 /
(注1)芳川(ほうせん(生没年不詳)):詳細不明
94 雪の朝(あさ)から鮭(ざけ)(注1)わくる聲(こゑ)高し 冬文(注2)
【意】雪の降った翌朝、漁のなかった魚屋では、乾鮭を売る呼び声だけが喧(かまびす)しい
【解説】季語:雪・から鮭(乾鮭)=冬 /
(注1)から鮭:鮭の腸(はらわた)を除去して、塩を用いず乾燥させた(冬季の)保存食
(注2)(山本)冬文((やまもと) とうぶん(生没年不詳)):一説に荷兮の弟と伝わるも定かではない / 尾張国名古屋の人 /『あら野』などに入句
95 雪の暮(くれ)猶(なほ)さやけし(注1)や鷹(たか)の声(こゑ)(注2) 桂夕(注3)
【意】雪の夕暮 / 猶、鷹狩は続いている / 夕闇の静けさの中から鷹狩の鈴の音が一段と鮮明に聞こえて来る
【解説】季語:雪・鷹=冬 /
(注1)さやけし:明るくて清々しい
(注2)鷹の声:鷹狩の鷹の足に付けた鈴の音のこと
(注3)桂夕(けいせき(生没年不詳)):詳細不詳
96 ちらちらや淡雪(あはゆき)かゝる酒強飯(さかこはいひ) 荷兮(注1)
【意】酒蔵の酒の仕込み作業中 / 酒米を炊い(=蒸し)て強飯(こわい)の状態とし、此れを筵(むしろ)に広げて冷やしているのだ / 濛々(もうもう)たる湯気の上に初冬の雪が降って来た
【解説】季語:淡雪=三春 /
(注1)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保01.08.25(享年69歳))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋蕉門の重鎮 / 後年、内紛に撚り蕉門を離脱 / 芭蕉が唱導した俳諧革新(「軽み」等)に賛同せず、元禄06年11月(1693.12)の『曠野後集』の序文に幽斎・宗因など貞門俳諧を賞賛している / 蕉門離脱前には、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂に携わった
97 はつ雪や先(まづ)草履(ざうり)にて隣(となり)まで 路通(注1)
【意】心弾む初雪 / 先ずは一寸隣家迄、大丈夫、草履の儘でいいから行ってみよう
【解説】季語:はつゆき=冬 /
(注1)八十村路通(やそむら ろつう(1649(?)-1738(元文03)(享年90歳))):八十村氏 / 露通とも / 近江国大津出身 / 三井寺はじめ出生地に諸説あり / 放浪行脚の乞食僧侶で詩人 / 後に還俗 / 1685(貞亨02)年春 蕉門に入門 / 1688(貞亨05)年頃より深川芭蕉庵近くに居住した様だ / 1689(元禄02)年 路通は『奥の細道』に、当初芭蕉の同行者とされていたが曾良に変更された(←変更理由不明‥)が、彼は敦賀で芭蕉を出迎え大垣迄同道 / 其の後、1690.02.11(元禄03.01.03)迄、京・大坂で芭蕉と生活を共にしている
98 はかられじ雪の見所(みどころ)有(あ)り所(どころ) 野水(注1)
【意】花見や月見なら名所も見当つくが、雪の名所や見所というものは見当がつかない
【解説】季語:雪=冬 /「はかられじ」を、「騙られし」「測られし」と解する説もある
(注1) 岡田野水(おかだ やすい(1658(?)-1743.04.16(寛保03.03.22))):別号:埜水 / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 1684(貞享元)年 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した際の『冬の日』同人 / 近江蕉門や向井去来等、上方の蕉門との親交も深かったとされる
99 舟(ふね)かけていくかふれども海の雪 芳川
【意】連日の降雪で舟が港に停泊して降り止むのを待っている / 其の舟は降り積もった雪で船体を白くしていくのだが、海の方はと言えば雪が降っても少しも変わりがない
【解説】季語:雪=冬 /「ふれども」は、「経れども」と「降れども」の掛詞
曠野集 巻之ニ
歳旦
100 二日(ふつか)にもぬかりはせじな花の春 芭蕉
【意】(久々の故郷伊賀上野で迎える年越しだ) / 折角の新春(=正月)を、其れに相応しく迎えることが出来なかった様だ / 明二日こそは、準備万端、手抜かりなく遣ってみたいものだ
【解説】季語:花の春=春 / 1688.02.02(貞亨05年元旦)の句 / 此の句の、「二日にも」には「二日と言えども」・「二日も又」の2つの解釈がある / 服部土芳の『三冊子』は、「この手爾葉(=には)「二日には」といふを、「にも」とはしたるなり /「には」といひては余り平目に当りて、聞きなくいやしとなり」として、後者を支持している
【小生 comment】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第12回/第101句~110句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いての話題は、一昨日の01月24日 18時30分から、時習26回生の同期の、中嶋【3-2】、宮下【3-4】、林【3-7】と小生の4人の定例の集いを、今回は『2020年 新年会』として挙行した。会場は、豊橋駅前至近の居酒屋『宴湊』である。
【四人会 新年会】
此の会は、ここ数年は年に数回、此の4人を中心に開催している。
同期生が集まると、矢張り同期生の訃報、健康の話が中心になる。
昨年は、年初の正月元旦に【3-7】クラス担任の鈴木鉄三先生、6月に【3-4】クラス担任の藤掛先生、時習26回生同期では、9月に平井邦生君【3-7】、10月に中野和彦君【3-6】、が鬼籍に入られた。(合掌)
[01]新年会開催前に『宴湊』の前にて
[02]四人で乾杯
[03]四人で確り食べてご満悦!
[04]四人で記念撮影1
[05]同上2
[06]3人と別れて電飾された豊橋駅前の Pedestrian deck にて
【小生comment】
次回は、3月に中嶋君の誕生祝を中心に再会を約して散会した。
■続いての話題である。昨(01月25)日は、月例の名古屋東区にあるN歯科医院へ歯科検診に行ったついでに、美術館を4つ見て来たので其の模様についてご報告する。
以下の行程にて巡って来た。
04時30分 起床→腹筋2000回→
05時30分 2.5kg木刀素振り60分→
06時35分 入浴→朝食
07時40分 拙宅発→一般道96km 2時間43分→10:23メナード美術館駐車場着
10時25分 メナード美術館入館
【メナード美術館『所蔵企画展/額縁のむこうの音楽』展】
[07]メナード美術館前にて
[08]同上2
[09]本企画展leaflet
[10]Eugene
Henri Paul Gauguin(1848-1903)『椅子の上』1880年
[11]Maurice
de Vlaminck (1876-1958)『花瓶の花』1905-06年頃
[12]Egon
Schiele(1890-1918)『緑の袖(そで)の子供(Anton
Peschka,Jr.)』1916年
[13]金山康喜(やすき)(1926-1959)『壜のある風景』1950年頃
[14]島田鮎子(1934- )『サティの曲が流れる部屋』189年
今回の展覧会は、額縁を絵画の中の作品と我々を繋ぐ窓枠に見立て、画中に流れる音楽に想いを巡らせるもの〔中略〕。本 Collection初公開となる Paul Gauguin『椅子の上』に描かれた mandolin をはじめ〔中略〕美術と音楽を重ねてご覧頂き〔中略〕美術と音楽の垣根を越え、広く芸術を楽しむきっかけとなれば幸いです。〔以上、本企画展leafletより引用〕
10時57分 メナード美術館発→ 一般道16km/累計112km 48分 →
11時45分 古川美術館駐車場着
11時47分 古川美術館入館
【『生誕130年記念展「古川為三郎collection:一 富士・二 刀・三 美人」』展】
[15]古川美術館入口にて
[16]古川美術館内にて
[17]本企画展leaflet
[18]上村松篁(1902-2001)『野月(のづき)』制作年不詳
[19]小倉遊亀(1895-2000)『花菖蒲』制作年不詳
[20]東山魁夷(1908-1999)『若葉の渓』1986年
[21]上村松園(1874-1949)『初秋』1943年
[22]伊藤小坡(1877-1968)『春寒』制作年不詳
[23]伊東深水(1897-1972)『春雪』制作年不詳
[24]梶原緋佐子(1896-1988)『清香』制作年不詳
【小生comment】
本企画展は、当美術館創設者の古川為三郎(1890.01.18-1993.05.19)氏が蒐集した富士山と美人画に焦点を当てた日本画と刀剣の展覧会である。
為三郎氏の蒐集は、刀剣に始まり、横山大観をはじめとする富士山、上村松園・鏑木清方・伊藤小坡・伊東深水の美人画等の日本画の数々を中心に洋画迄幅広い分野に及んだ。
今回展示された、上村松園・伊藤小坡・伊東深水・梶原緋佐子の美人画は、添付写真[22]~[25]をご覧頂ければ納得して頂けると思うが、いずれも気品があって素晴らしい作品である。
12時10分 古川美術館駐車場発→一般道 4km/累計116km 15分 →
12時25分 らあめん専門店『陣屋』着〔昼食〕
【らあめん専門店『陣屋』〔昼食〕】
[25]らあめん専門店『陣屋』前にて
[26]小生の超定番「味噌チャーシュー麵」
[27]らあめん専門店『陣屋』前の monument 脇にて
13時00分 同所発→一般道 1.5km/累計117.5km 5分→
13時10分 N歯科医院着
14時00分 N歯科医院にて歯の健診
14時27分 同所発→一般道15.5km/累計133km 40分→
15時02分 名都美術館駐車場着
15時04分 名都美術館入館
【名都美術館『故郷から羽ばたく画家(川合玉堂・伊藤小坡・前田青邨)たち』展】
本企画展は「今猶多くのファンを魅了する、川合玉堂(愛知県出身)・伊藤小坡(三重県出身)・前田青邨(岐阜県出身)を中心に、平川敏夫(愛知県豊川市(旧小坂井町)出身)等、東海三県出身の画家8名の作品をご紹介する〔以上、本展leafletより引用〕」展覧会である。
[28]名都美術館入口にて
[29]本企画展leaflet/絵は、伊藤小坡(1877-1968)『春のよそほひ』1930年
[30]伊藤小坡『青楓』1933年頃
[31]同『尚武』1935年頃
[32]川合玉堂(1873-1957)『鮎釣』制作年不詳
[33]前田青邨(1885-1977)『駒勇む』制作年不詳
[34]平川敏夫(1924-2006)『涛風雪韻』1991年
【小生comment】
本企画展は、川合玉堂・伊藤小坡・前田青邨という流石に巨匠の作品だけあって、珠玉の傑作ばかりで見応えある実に素晴らしい展覧会だった。
15時27分 名都美術館駐車場発→一般道→猿投Green Road 27km(有料道路料金 420円)/累計 160km 36分→
16時03分 トヨタ鞍ヶ池記念館〔鞍ヶ池アートサロン〕着
【鞍ヶ池アートサロン『女流日本画家たちとその周辺~美の系譜』展】
[35]トヨタ鞍ヶ池記念館前にて
[36]鞍ヶ池アートサロン入口近くの本企画展看板横にて
[37]同サロン入口にて1
[38]同上2
【展示作品一覧】
01上村淳之(1933-)『春宵』1987年
02★[39]上村松園(1875-1949)『つれづれ』1940年★03上村松篁(1902-2001)『鸚哥(いんこ)』1965年
04同『燦(さん)』1989年
05加藤栄三(1906-1972)『千鳥』1956年
06秋野不矩(1908-2001)『渡河(とが)』2001年
07山本丘人(1900-1986)『或る港』1960年
08上村淳之『爽秋』1990年
09同『緑蔭』1990年
10同『雪中遊禽』1990年
11★[40]片岡球子(1905-2008)『めで多き富士』1997年★
12同『富士』1985年
13田渕俊夫(1941-)『いび川』1974年14小山硬(1934-)『春雪不二』1983年
15安田靫彦(1884-1978)『豊公像』1956年
16★[41]小倉遊亀(1895-2000)『牡丹』1971年★
17同『紅梅古九谷』1983年
18小林古径(1883-1957)『菖蒲』1948年19堀文子(1918-2019)『楽園に遊ぶ』1994年
20同『空に棲む鳥(くうにすむとり)』2004年
21鳥山玲(1956)『爛漫』1995年
22那波多目功一(1933-)『秋桜』2001年
【小生comment】
本企画展は今回で3回目の訪問であるが、此処10年来の当salon企画展の最高傑作展と言っても過言でない程珠玉の作品揃いであった。矢張りいい作品は何度見てもいいものだ。
本企画展は、明日で終了するので見納めに訪れた。
当サロンは入館料無料であるから、トヨタ自動車の厚意にいつも感謝している。
上村松園・小倉遊亀・片岡球子・秋野不矩の文化勲章受章者4人と、昨年2月に逝去された人気・実力共に前述4人に匹敵する堀文子(1918.07.02-2019.02.05)の、5人の女流日本画家の泰斗たちの作品展は素晴らかった。
本企画展は、此れ等5人の女流日本画家の家族や師匠、勤務先の藝術大学の同僚等、彼女等と縁の深い巨匠達の作品も展示され、実に感動ものであった。
ご紹介出来る絵は、同サロンにてアンケートを書くと貰える小倉遊亀と片岡球子の2枚の Postcardsと、本企画展 leaflet の絵である上村松園の3枚だけなのが大変残念である。
せめて展示作品全22点の作品名と作家をお伝えしようと思い up した。ご高覧されたい。
16時24分 トヨタ鞍ヶ池記念館発→ 一般道55km/累計215km 1時間40分→
18時04 分 帰宅〔了〕
【後記】
【其の1】去る01月17日に元駐日ドラゴンズの二塁手で、同チーム監督を2回務めた高木守道氏が急性心不全の為78歳で逝去された。
小生、高木守道選手に昔お会いした時撮影した two shot写真を持っているのでご紹介する。
其れは、今から四半世紀前、旧行秘書室時代の出来事である。
秘書室時代は、小生あまり役に立たなかった所為か、1992(平成04)年11月〜1995(平成07)年05月迄の 2年5ヶ月という短い期間の勤務だった。
其の時代に、仕事で中日ドラゴンズの激励会に出席した際に高木守道監督(当時)と記念撮影したものである。
秘書室着任前は、融資部企画 group 所属の旧大蔵省検査部検査対策特別team、日銀考査対策特別 team のmembers の一人〔所謂「MOF検&日銀考査P/T」〕として通算2年間貸出資産管理対策に没頭していた。
融資部も秘書室も同じ本部の専門組織である訳だが、業務内容が全く違う。
小生は、融資部企画 group「MOF検&日銀考査P/T」の前に融資部事業調査室で5年間産業調査と個別企業財務分析に携わっていたので通算7年間融資部門の貸出審査・企業財務分析・業界動向調査のプロとして勤務していたので融資業務にはかなり自信を持っていたが、役員の身の周りの世話をする秘書室への転勤は正に青天の霹靂だった。
平生の生活に無頓着な小生も、流石に culture shock に陥り、着任後半年で体重が72kg → 62kgへと10Kg痩せた!
秘書室マニュアルの第1条「虎の威を借る狐になるな」は、今も本部組織人の心構えの箴言として小生の身体に染み付いている。(笑)
[42]故・高木守道氏訃報記事(2020年01月17日付)
[43]東海銀行秘書室時代:秘書室での小生(上)&中日ドラゴンズ激励会での高木守道監督(当時)とのTwo shot
【其の2】01月23日 Facebook のお友達が up した雨に濡れた水仙の花の写真を見て以下のcommentを付したのでご紹介する。
【前書】情緒ある水仙(Narcissus)の写真に魅せられて拙句を一句‥〔写真の絵は、Renaissance 期から Baroque 期への橋渡しをしたイタリア人天才画家カラヴァッジョ(1571-1610)が描いた『ナルキッソス』1597年頃の作〕
Narcissus(ナルシサス) 雨に打たれて 恥ぢらふや 悟空
[44]カラヴァッジョ(1571-1610)『ナルキッソス』1597年頃
上記の絵のナルキッソスと此の水仙の image が重なった!
[45]Facebook のお友達が up した水仙の花〔部分〕
では、また‥〔了〕
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