2017年6月18日日曜日

【時習26回3−7の会 0657】〜「松尾芭蕉『幻住庵記』〔第3回〕【さすがに春の名残も遠からず‥魂、呉楚東南に走り、身は瀟湘洞庭に立つ】」「06月11日:名古屋ボストン美術館『パリジェンヌ展』を見て」「06月11日:愛知県芸術劇場concert hall /R. Wagner作曲:楽劇『ワルキューレ』を見て」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0657】をお送りします。
 先ず最初にお届けするのは、前々号に開始した『幻住庵記』の今日はその〔第3回〕をお届けする。
 ご参考に、今回も従前からの繰り返しになるが、『野ざらし紀行』〜『嵯峨日記』に至る迄の経緯を以下に記す。
 松尾芭蕉は、貞享02(1685)年四月下旬に『野ざらし紀行』を終え、江戸に帰着した時から元禄04(1691)年四月十八日『嵯峨日記』を執筆した落柿舎へ。
  『野ざらし紀行』から『嵯峨日記』迄の6年間の歳月は、芭蕉の人生に於いても最も脂が乗った時代だった。
 この間6年の芭蕉は、『笈の小文』『更科紀行』『奥の細道』『幻住庵記』等の名作を生みだしている。
  『幻住庵記』は、『嵯峨日記』からこれも丁度一年前の元禄三(1690)年四月六日から七月二十三日迄、膳所本多藩士 菅沼定常(曲水、のち曲翠)から借り受けた山荘での模様を記したもの。
 猶、『幻住庵記』の最後は、有名な句「先づたのむ椎の木もあり夏木立」で締め括り、「元禄三仲秋日」と記してあることから、八月下旬に脱稿したことを示している。
 以下に、『野ざらし紀行』を終え『嵯峨日記』の落柿舎へ行く迄の一連の芭蕉の動きを時系列的にごく簡単にご紹介すると‥

貞享02(1685)年 12月 (42歳)『野ざらし紀行』刊
貞享03(1686)年 01月 (43歳) 芭蕉庵にて 蛙の句二十番句合『蛙合』を興行
             「古池や蛙飛びこむ水の音」
貞享04(1687)年 01月 (44歳) 幕府「生類憐みの令」発布
         08月25日 芭蕉、曾良・宗波を伴い『鹿島詣』成る
         10月25日 芭蕉、『笈の小文』の旅に出発
         11月12日 杜国・越人を伴い伊良子崎に遊ぶ
             「鷹一つ見付(つけ)てうれしいらご崎」
         12月下旬  伊賀上野に到着し越年
貞享05(1688)年 04月08日 (45歳) 奈良・唐招提寺にて鑑真和上像を拝す
             「若葉して御めの雫(しづく)ぬぐはヾや」
         04月20日 須磨・明石を廻って須磨に泊す
             明石夜泊「蛸壺やはかなき夢を夏の月」
             ‥『笈の小文』は此処で終わる
         08月11日 芭蕉、越人を伴い美濃国を発ち、「更科の名月」を見に赴く
         08月15日 姨捨山(をばすてやま)「俤(おもかげ)や姨(をば)ひとりなく月の友」
         08月16日 善光寺に参拝
         08月下旬 江戸帰着
         09月30日 元禄に改元
元禄02(1689)年 03月27日 (46歳) 芭蕉、曾良を伴い『奥の細道』の旅に出発
            千住「行春や鳥啼魚の目は泪」
        05月13日 平泉「夏草や兵どもが夢の跡」
        05月27日 立石寺「閑さや岩にしみ入蝉の声」
        06月03日 最上川「五月雨をあつめて早し最上川」
        06月16日 象潟「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」
        07月12日 市振「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」
        07月25日 小松・太田(ただ)神社「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」
        09月06日 大垣・芭蕉、伊勢神宮遷宮式参拝の為 如行宅を出発し『奥の細道』終わ
            「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行く秋ぞ」
        09月13日 伊勢神宮内宮参拝
09月22日 伊賀上野へ帰郷
        11月22日 服部土方の蓑虫庵にて伊賀門人九人吟五十韻俳諧
        秋〜冬:この頃【不易流行】を説く
        12月末 京都から膳所義仲寺へ / 同寺にて越年
元禄03(1690)年 (47歳) 01月03日 膳所から伊賀上野へ帰郷
        03月中旬迄 伊賀上野に滞在
        04月01日 石山寺 参詣
       【 ☆ 04月06日 愛弟子の杜国死去(03月20日)の訃報を近江国・国分山「幻住庵」にて受け取る ☆☆ 】
      【 ★★★ この頃より『幻住庵の記』執筆開始 ★★★ 】
      【 ☆ 06月上旬「幻住庵」から京都へ『猿蓑』を企画し18日迄滞在 / 06月19日「幻住庵」へ帰着 ☆ 】
      【 ☆ 07月23日 大津へ移転 / その後、09月下旬迄 膳所「義仲寺」に滞在 ☆ 】
      【 ☆ 08月15日 膳所 義仲寺にて近江門人と「月見の会」を催す ☆ 】
      【 ★★★ 〔 08月下旬『幻住庵の記』脱稿 〕★★★ 】
        09月27日 一泊二日でへ、そして伊賀上野へ発つ / 11月上旬 伊賀上野から京都へ
        12月23日 京都から大津へ、そして「義仲寺」にて越年
元禄04(1691)年 (48歳) 01月06日 大津より伊賀上野へ〔伊賀上野に3か月滞在〕
        3月下旬 伊賀上野から奈良へ〔曾良に再会?〕
        03月末 奈良から大津へ移動
        04月18日〜05月04日迄 京都西嵯峨の「落柿舎」で過ごし『嵯峨日記』執筆開始

【幻住庵記】

《原文》

 さすがに(注1)春の名残も遠からず、躑躅(つつじ)咲き残り、山藤松にかかりて、時鳥(ほととぎす)しば/\過ぐるほど、宿かし鳥(注2)のたよりさへある(注3)を、木啄(きつつき)のつゝくとも厭(いと)はじなんど、そゞろに興じて、魂(たましひ)、呉楚東南(注4)に走り、身は瀟湘(注5)洞庭(注6)に立つ。
 山は未申(ひつじさる)(注7)にそばだち、人家よきほどに隔たり、南薫(なんくん)(注8)峰(みね)よりおろし、北風(ほくふう)海(うみ)を浸(ひた)して涼し。
 日枝(=比叡(ひえ))の山、比良(ひら)の高根より、辛崎(からさき)の松(注9)は霞こめて、城(注11)あり、橋(注12)あり、釣たるゝ船あり。
 笠取(注10)に通ふ木樵(きこり)の声、麓(ふもと)の小田(おだ)に早苗(さなへ)とる歌、蛍飛びかふ夕闇の空に水鶏のたゝく音(注13)、美景物として足らずといふことなし。
 中にも三上山は士峰(しほう)の俤(おもかげ)に通ひて(注14)、武蔵野の古き住みかも思ひ出(い)でられ、田上山(たなかみやま)(注15)に古人(いにしへびと)をかぞふ。

 《現代語訳》
 矢張り、春の名残りは遠くはなく、ツツジが咲き残り、山藤が松に掛かって、ホトトギスが屡々飛び過ぎていくうちに、カケスの声迄聞こえて来るので、庵を啄木鳥に突(つつ)かれるのも気にしない等と、何となくいい気分で、魂は「呉と楚が東南に坼(さ)け‥」と杜甫の(『登岳陽樓(岳陽樓に登る)』という詩にある洞庭湖に走り、身は(北宋の宋迪が描いた)瀟湘(八景で有名庵)洞庭湖の畔(ほとり)に立っている。
 山は南西の方角に聳え立ち、人家は丁度良い位に隔たっていて、南風が峰から吹きおろし、北風が琵琶湖を浸して涼しい。
 比叡山・比良の高根から、辛崎の松は霞に包まれ、城あり、橋あり、釣り糸を垂れている船がある。
 笠取山に通う木こりの声、麓(ふもと)の田に早苗を摘み取る歌(=「田植え歌」)、蛍が飛び交う夕闇の空にクイナの鳴き声、実に美しい景色として不足(した処)が無い。
 中でも三上山は(近江富士と言われ)富士山の俤があり、武蔵野の古き住みかも思い出され、田上山に古人の墓を訪ね巡る。

《語句》
(注1) さすがに:そうはいうものの / 矢張り
(注2) 宿かし鳥:カラス科の鳥「カケス」の別名
(注3) たよりさへある:鳴き声まで聞こえて来る
(注4) 呉・楚東南:杜甫「登岳陽楼」の「呉楚東南に坼(さ)け」による / 洞庭湖と琵琶湖とを重ね合わせている(本作品は、768年 杜甫57歳の作)
   登岳陽樓  岳陽樓に登る 杜甫(712-770)
  昔聞洞庭水  昔聞く洞庭の水
  今上岳陽樓  今上る岳陽楼
  呉楚東南裂  呉楚 東南に裂(さ)け
  乾坤日夜浮  乾坤(けんこん) 日夜(にちや)浮ぶ
  親朋無一字  親朋(しんぽう) 一字無く
  老病有孤舟  老病 孤舟有り
  戎馬關山北  戎馬 関山(かんざん)の北
  憑軒涕泗流  軒(けん)に憑(よ)りて涕泗(ていし)流る

【意】昔より(風光明美な所として)その名を聞いていた洞庭湖
 今、私はこうして湖畔の岳陽楼に佇んでいる
 呉楚の地は、湖の東と南に引き裂かれた様に広がっている
 広大な湖面は、天地間の万物(=乾坤)が、日夜夫々の姿を映し出している
 今私には、親しい人々からの便りも全くなく
 年老いた病身には、一艘の子舟があるだけだ
 関山を隔てる北方の地域では、戦乱が続いている
 こうして欄干に寄り掛かっていると、様々な感慨から涙が止め処もなく流れるのである

【語句/解説】岳陽楼:現在の中国湖南省岳陽県の、県城の西にある楼閣/洞庭湖東岸の名勝
 洞庭水:洞庭湖/長江中流域にある中国第2位の広さを持つ湖
 呉楚東南裂:呉(長江東南一帯)と楚(洞庭湖南一帯)の地域が、この洞庭湖に拠り東と南にひき裂さかれて
 乾坤:陰と陽、天と地、日と月等、此処では天地間の万物をいう
 親朋:親戚と友人達
 無一字:一字の便りもない、手紙が全く来ない
 戎馬:軍馬/「戎」は軍事を指す/戦乱状態にあることを表している
 関山:関所のある山々
 軒:楼閣の周りの手摺(勾欄)、欄干
 涕泗:「涙」は眼から出る「なみだ」、「泗」は鼻から出る「鼻みず」

(注5) 瀟湘:中国湖南省 / 瀟水と湘水が洞庭湖に注ぐ辺りの地方
(注6) 洞庭湖:洞庭湖 / 中国湖南省北東部の湖 / 風光明媚な湖として古来から有名
(注7) 未申:南西の方角
(注8) 南薫:南風
(注9) 辛崎の松:辛崎の一つ松 / 近江八景の一つ /「辛崎の松は花より朧にて」(芭蕉)
(注10) 笠取:宇治北東の笠取山 / 琵琶湖と宇治川の中間あたり / 芭蕉は『方丈記』を念頭に表現している
(注11) 城:膳所本多藩の居城
(注12) 橋:瀬田の唐橋 / 此処も近江八景の一つ
(注13) 水鶏のたたく音:「水鶏」はクイナ科の鳩より一回り小さい水鳥 / その鳴き声が戸を叩く音に似ている
(注14) 三上山は士峰の俤に通ひて:三上山は通称「近江富士」と言われる
(注15) 田上山:大津市南部、瀬田川東岸の田上から大石にかけて繋がる山々の総称

【小生comment】
 芭蕉がこの琵琶湖湖畔の風景をかなり気に入っていることが確り伝わって来る文章である。
 近江八景を、その元となる瀟湘八景を重ね合わせて、琵琶湖と洞庭湖の風光明媚さを称賛している。

■さて次の話題は、06月11日(日) 名古屋へ行き、名古屋ボストン美術館『ボストン美術館所蔵/パリジェンヌ(Parisienne)展‥時代を映す女性たち‥』を見て来たのでご紹介したい。
 主催者は、本展について《ごあいさつ》で次の様に説明している。
 Parisという魅力ある都市に生きる女性、Parisienne。
 Salonの主催者、子育てに励む母親、流行を生み出すFashionista(ファッショニスタ)、画家のMuse(ミューズ)、そして自ら道を切り開き才能を開花させた画家や女優――彼女たちは時代の変化と共に、様々な表情を見せて来た。
 その生き方や装い、「Parisienne」というstyleは、今猶私たちを惹き付けてやまない。
 本展では、ボストン美術館所蔵の作品約120点を通して、18世紀~20世紀のParisを体現する女性たちの姿に迫る。〔後略〕

[01]名古屋ボストン美術館入口の本展案内看板

[02]同美術館内でのsnap shot
                  
[03]本展leaflet(表)

[04]同上(裏)
                  
[05]フランソワ・ユベール・ドルーエ(1727-75)『トルコ風の衣装を着たマルグリット・カトリーヌ・エノー嬢/後のモンムラ侯爵夫人』1762年

[06]ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)『チャールズ・E.・インチズ夫人(ルイーズ・ポメロイ)』1887年12月
                  
 その生涯の多くを海外で過ごした画家のサージェントは、米国本土でCharles E. Inches夫人である Louise Pomeroyを描いた

 サージェントは、米国人modelに、Parisienneが持つ官能的で関心のなさそうな「名状しがたいもの(je ne sais quoi)」を与えている

[07]ウィリアム・モリス・ハント(1824-79)『マルグリット』1870年

 画題の『マルグリット』とは、フランス語でヒナギクのことで、modelの彼女の手の中にある帽子を飾っている花である

[08]ベルト・モリゾ(1841-1895)『器の中の白い花』1885年
                  
 印象派の女性3人というと、ベルト・モリゾ、メアリー・スティーヴンソン・カサット、マリー・ブラックモン

[09]メアリー・スティーヴンソン・カサット(1844-1926)『縞模様のソファで読書するダフィー夫人』1876年

 カサットは1879年 印象派の展覧会に始めた参加した

[10]エドガー・ドガ(1834-1917)『美術館にて』1879-90年頃
                  
 本作品のmodelの女性2人は、画家のカサットと彼女の姉だと見做されている
                  
[11]ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)『アルジェリアの娘』1881年

[12]エドゥアール・マネ(1832-83)『街の歌い手』1862年頃
                  
[13]ジュール・シェレ(1836-1932)『モンターニュ・リュス』1889-90年頃

【小生comment】
 本展展示作品の中では、ルノワール『アルジェリアの娘』も可愛いが、カサット『縞模様のソファで読書するダフィー夫人』(1876年)が気品があって一番小生は好きだ。

■さて次の話題は、06月11日:愛知県芸術劇場concert hall /R. Wagner作曲:楽劇『ワルキューレ』を見て来たことについてご報告する。
 除夜と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指輪」から楽劇『ワルキューレ(Die Walkure)』全三幕11場を視聴した。
 2回の休憩時間を含め5時間という超大作を、concert形式で演奏された。
  『ワルキューレ』の中身については、その詳細は又の機会にということで、今回はごく簡単に筋書きだけをお伝えする。
  『ワルキューレ』は、第3幕冒頭の「ワルキューレの騎行」の場面を除くと殆どが2人の対話か3人に拠る会話で過ぎていくので歌劇としては意外と地味だ。
 あらすじはごく簡単にに言うと以下の通りである。

第1幕:「フンディングの家に迷い込んだジークムントとジークリンデの対話」
      「フンディングが帰宅した後のフンディング、ジークフリート、ジークリンデ3人の会話」
第2幕:「ジークムントとジークリンデの逃避行」
      「ヴォータンを責める妻フリッカ」
      「ヴォータンとブリュンヒルデ」
      「ジークムントとジークリンデの逃避行の帰結=ジークリンデの錯乱」
      「ブリュンヒルデに拠るジークムントへの死の告知」
      「ブリュンヒルデの父ヴォータンへの裏切り」
      「ヴォータンの力でフンディングがジークムントを斃し、そのフンディングをヴォータンがに斃す」
第3幕:「ワルキューレの騎行」
      「ブリュンヒルデがジークリンデにジークムントとの子『ジークフリート』を宿していることを告知」
      「ブリュンヒルデがヴォータンに拠って炎の中に閉じ込められ深い眠りつく」

[14]愛知県芸術劇場concert hall入口の本演奏会案内看板の横にて
                  
[15]指揮:三澤洋史(左上)/演出構成:佐藤美晴(右上)./ジークムント:片寄純也(左下)/ジークリンデ:清水華澄(右下)

[16]フンディング:長谷川 顯(左上)/ヴォータン:青山 貴(右上)/ブリュンヒルデ:(左下)/フリッカ:相可佐代子(右下)
                  
 【小生comment】
 楽劇『ワルキューレ』は、第3幕冒頭の「ワルキューレの騎行」の場面が一番有名。
 具体的には、ブリュンヒルデを除く8人のワルキューレ達が英雄達の屍を馬に乗せて「ホヨトホー」と叫び声を上げ乍ら集まって来る場面だ。
 本演奏会は、concert形式なので、舞台正面のpipe organの処でワルキューレ達が歌った。

【後記】06月11日(日)のWagner作曲楽劇『ワルキューレ』演奏会は、15時00分に開演され、20時00分少し前に終演となった。
 それから名駅のセントラルタワーズ13階のレストラン街へ向かった。
 なだ万茶寮を会場として、【時習26回 1-4の会】ミニミニクラス会を開催した。
 このミニミニクラス会も中嶋君の肝入りだが、会場の選定は彼から小生に任された。
 其の日小生は、3つのeventをこなした。
 第一に、クラス会の集合前に一人で名古屋ボストン美術館『パリジェンヌ』展を観て、
 第二に、中嶋君の招待で、ワグナー/楽劇『ワルキューレ』を観て、
 第三の仕上げが、【時習26回 1-4の会】ミニミニクラス会だった

  短夜に親しき友とワルキューレ!  悟空

[17]中嶋君と林さんと

[18]なだ万茶寮~先付
                  
[19]同上~お造り

[20]同上~メイン:銀鮭柚庵焼、稚鮎唐揚げ他
                  
  では、また‥〔了〕
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2017年6月10日土曜日

【時習26回3−7の会 0656】〜「松尾芭蕉『幻住庵記』〔第2回〕【五十年やや近き身は‥今年湖水の波にただよふ】」「06月02日:中部ガス名豊ギャラリー・移転オープン記念展『日本水彩画会/豊橋支部三人展』を見て」「築山節『脳が冴える15の習慣~記憶・集中・思考力を高める』を読んで」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0656】をお送りします。
 先ず前号から始まった『幻住庵記』の今日は〔第2回〕をお届けする。
 ご参考に、再度の繰り返しになるが、『野ざらし紀行』〜『嵯峨日記』に至る迄の経緯を以下に記す。
 松尾芭蕉は、貞享02(1685)年四月下旬に『野ざらし紀行』を終え、江戸に帰着した時から元禄04(1691)年四月十八日『嵯峨日記』を執筆した落柿舎へ。
  『野ざらし紀行』から『嵯峨日記』迄は、季節は同じだが6年の歳月が流れた。
 この間6年の芭蕉は、『笈の小文』『更科紀行』『奥の細道』『幻住庵記』等の傑作を生みだしている。
『幻住庵記』は、『嵯峨日記』からこれも丁度1年前の元禄三(1690)年四月六日から七月二十三日迄、膳所本多藩士 菅沼定常(曲水、のち曲翠)から借り受けた山荘での模様を記したもの。
 猶、『幻住庵記』の最後は、有名な句「先づたのむ椎の木もあり夏木立」で締め括り、「元禄三仲秋日」と記してあることから、八月下旬に脱稿したことを示している。
 以下に、『野ざらし紀行』を終え『嵯峨日記』の落柿舎へ行く迄の一連の芭蕉の動きを時系列的にごく簡単にご紹介すると‥
貞享02(1685)年 12月 (42歳)『野ざらし紀行』刊
貞享03(1686)年 01月 (43歳) 芭蕉庵にて 蛙の句二十番句合『蛙合』を興行/「古池や蛙飛びこむ水の音」
貞享04(1687)年 01月 (44歳) 幕府「生類憐みの令」発布
        08月25日 芭蕉、曾良・宗波を伴い『鹿島詣』成る
        10月25日 芭蕉、『笈の小文』の旅に出発
11月12日 杜国・越人を伴い伊良子崎に遊ぶ「鷹一つ見付(つけ)てうれしいらご崎」
        12月下旬 伊賀上野に到着し越年
貞享05(1688)年 04月08日 (45歳) 奈良・唐招提寺にて鑑真和上像を拝す「若葉して御めの雫(しづく)ぬぐはヾや」
        04月20日 須磨・明石を廻って須磨に泊す/ 明石夜泊「蛸壺やはかなき夢を夏の月」‥『笈の小文』は此処で終わる
        08月11日 芭蕉、越人を伴い美濃国を発ち、「更科の名月」を見に赴く
        08月15日 姨捨山(をばすてやま)「俤(おもかげ)や姨(をば)ひとりなく月の友」
        08月16日 善光寺に参拝 / 08月下旬 江戸帰着 / 09月30日 元禄に改元
元禄02(1689)年 03月27日 (46歳) 芭蕉、曾良を伴い『奥の細道』の旅に出発 / 千住「行春や鳥啼魚の目は泪」
        05月13日 平泉「夏草や兵どもが夢の跡」/ 05月27日 立石寺「閑さや岩にしみ入蝉の声」
        06月03日 最上川「五月雨をあつめて早し最上川」/ 06月16日 象潟「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」
        07月12日 市振「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」
        07月25日 小松・太田(ただ)神社「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」
        09月06日 大垣・芭蕉、伊勢神宮遷宮式参拝の為 如行宅を出発し『奥の細道』終わる /「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行く秋ぞ」
        09月13日 伊勢神宮内宮参拝 / 09月22日 伊賀上野へ帰郷
        11月22日 服部土方の蓑虫庵にて伊賀門人九人吟五十韻俳諧
        秋〜冬:この頃【不易流行】を説く / 12月末 京都から膳所義仲寺へ / 同寺にて越年
元禄03(1690)年 (47歳) 01月03日 膳所から伊賀上野へ帰郷 / 03月中旬迄 伊賀上野に滞在
        04月01日 石山寺 参詣
【 ☆ 04月06日 愛弟子の杜国死去(03月20日)の訃報を近江国・国分山「幻住庵」にて受け取る ☆☆ 】
【 ★★★ この頃より『幻住庵の記』執筆開始 ★★★ 】
     【 ☆ 06月上旬「幻住庵」から京都へ『猿蓑』を企画し18日迄滞在 / 06月19日「幻住庵」へ帰着 ☆ 】
【 ☆ 07月23日 大津へ移転 / その後、09月下旬迄 膳所「義仲寺」に滞在 ☆ 】
【 ☆ 08月15日 膳所 義仲寺にて近江門人と「月見の会」を催す ☆ 】
【 ★★★ 〔 08月下旬『幻住庵の記』脱稿 〕★★★ 】
        09月27日 一泊二日でへ、そして伊賀上野へ発つ / 11月上旬 伊賀上野から京都へ
        12月23日 京都から大津へ、そして「義仲寺」にて越年
元禄04(1691)年 (48歳) 01月06日 大津より伊賀上野へ〔伊賀上野に3か月滞在〕/3月下旬 伊賀上野から奈良へ〔曾良に再会?〕
        03月末 奈良から大津へ移動 / 04月18日〜05月04日迄 京都西嵯峨の「落柿舎」で過ごし『嵯峨日記』執筆開始

【幻住庵記】
《原文》
 予また市中を去ること十年(ととせ)ばかりにして(注1)、五十年(いそぢ)やや近き身は、蓑虫の蓑を失ひ、蝸牛(かたつぶり)家を離れて、奥羽象潟(きさがた)の暑き日に面(おもて)をこがし(注2)、高砂子(たかすなご) (注3)歩み苦しき北海の荒磯にきびすを破りて(注4)、今年湖水の波にただよふ。
 鳰の浮巣の流れ(注5)とどまるべき葦の一本(ひともと)のかげたのもしく、軒端ふきあらため、垣根ゆひそへなどして、卯月の初めいとかりそめに入りし山の、やがて出でじと(注6)さへ思ひそみぬ。

《現代語訳》
 私は又、江戸市中を引き払い深川の草庵に移ってから10年ほど経った頃、50歳近い齢になり、蓑虫が蓑を失い、カタツムリが家を離れる心境で、奥羽の象潟では暑い日に顔が日焼けし、深い砂地で歩行困難な北海の荒磯に踵(かかと)を破り、今年は琵琶湖の波に漂っている。
 カイツブリが浮巣を作るのに一本の葦の陰が頼もしく思われるが如く、(‥私にとってこの幻住庵は‥)軒端を葺き直し、垣根を結び添えたりして、卯月(四月)初旬、軽い気持ちで入山(=入庵)したのであるが、その儘山から降りたくないとさえ思い始め出した。

《語句》
(注1) 市中を去ること十年ばかりにして:芭蕉(29歳)は寛文12(1672)年春、故郷伊賀上野から江戸に下った
   そして、それからほぼ10年目の延宝8(1680)年初冬、芭蕉(37歳)は江戸市中(=日本橋本舟町の名主卜尺方、小田原町の杉風方などの説がある)を引き払い深川・芭蕉庵に隠棲した
   更に、深川に隠棲後ほぼ10年後の元禄03(1690)年四月、芭蕉(47歳)は膳所の幻住庵に入庵した
   前年の元禄02(1689)年秋、奥の細道からの旅を終えた芭蕉は、大垣→伊勢→伊賀上野を経て、一時京都に滞在後、12月末に膳所の義仲寺の草庵にて越年、元禄03年正月03日に膳所から伊賀上野へ03月中旬迄滞在
   04月01日 石山寺参詣後、04月06日『幻住庵』に入庵する
(注2) 奥羽象潟の暑き日に顔をこがし:元禄02年06月16日『奥の細道』の旅で「象潟」を訪れた時のこと言っている
(注3) 高砂子:深い砂地
(注4) 北海の荒磯にきびすを破りて:北陸道の荒磯では踵(かかと)が破れて仕舞い / これも『奥の細道』の旅での出来事
(注5) 鳰の浮巣の流れ:琵琶湖は「鳰の海」とよばれていた / 「鳰」はカイツブリ
(注6) やがて出でじ:二度と(山を)出ない / 西行「吉野山やがて(注A)出でじと思ふ身を花散りなばと人(注B)や待つらん」(桜を愛でようと吉野山に入りその儘山から出るまい覚悟している我が身を、家族・友人たちは(西行は)花が散れば戻って来るだろうと思っている)による
    (注A) やがて:その儘 / (注B) 人:一般の人々ではなく、家族や知人等、特別な関係にある人をいう

【小生comment】
 芭蕉が「行く春を近江の人とおしみける」(『猿蓑』)と著名な句を詠んだのも、『幻住庵記』が書かれた元禄03年か、落柿舎へ行き『嵯峨日記』を執筆した翌元禄04年春のいずれかの年である。
 この句については、近江の石・俳人・蕉門の江佐尚白(えさ しょうはく(1650-1722))が、「行く春を」を「行く歳を」に、「近江の人と」を「丹波の人と」にしてもよいのではないか、と議論した話が『去来抄』に載っている。
 矢張りこの句は「近江の人」でなければ当時の「琵琶湖の『春』色」という風流・風雅を解することは出来なかったであろう、というのが通説だが、それも頷ける。

■さて次の話題は、昨日私にとってこの幻住庵は06月02日に中部ガスま名豊ギャラリーにて06月11日迄開催中の中部ガス名豊ギャラリー・移転オープン記念展『日本水彩画会/豊橋支部三人展』を見て来たのでその模様をお伝えする。
 本展の展覧会場である名豊ギャラリーは、今月からこれ迄の名豊ビルディング6階から小生が現在勤務している会社がある開発ビル9階に移った。
 同ギャラリーの移転後最初の企画展が本展である。
 日本水彩画会/豊橋支部三人展の三人とは、芳山家治、小出敏行、大竹良夫の3氏である。
 その中の 大竹良夫君は、我等が『時習26回生』【3-10】の同期生だ。
 以下に名豊ギャラリー・移転オープン記念展『日本水彩画会/豊橋支部三人展』を紹介している東愛知新聞のURLを記すので参照願いたい。
 http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/1101 ←此処をclickして下さい

[01]本展案内post card 絵は、芳山家治氏(第105回 日本水彩展)

[02]ギャラリー入口で紹介されていた大竹良夫君【3-10】の近影と彼のprofile
                  
[03]本展展示作品全26点一覧

[04]名豊ギャラリーでの小出(左)・芳山(中)・大竹(右)の各氏
                  
【小生comment】
 三人展の作品は、大作が多く、見応えがあった。
 大竹君の作品は、9点出展されていた。
 彼の作品を同期の仲間としてこれから注目して行きたい。

■今日最後の話題は、築山節『脳が冴える15の習慣~記憶・集中・思考力を高める』を最近読んだのでご紹介したい。
『脳が冴える15の習慣』とは具体的に以下の通りである。

[05]築山節『脳が冴える15の習慣~記憶・集中・思考力を高める』

【はじめに】良い習慣が脳を生まれ変わらせる P.03
【習慣01】生活の原点をつくる P.17 /脳を活性化させる朝の過ごし方 / 足手口をよくうごかそう
【習慣02】集中力を高める P.33 /生活のどこかに「試験を受けている状態」を持とう
【習慣03】睡眠の意義 P.47 /夜は情報を蓄える時間 / 睡眠中の「整理力」を利用しよう
【習慣04】脳の持続力を高めるP.59 /家事こそ「脳トレ」/ 雑用を積極的にこなそう
【習慣05】問題解決能力を高める P.73 /自分を動かす「ルール」と「行動予定表」をつくろう
【習慣06】思考の整理 P.85 /忙しいときほど「机の片づけ」を優先させよう
【習慣07】注意力を高める P.97 /意識して目をよく動かそう / 耳から情報を取ろう
【習慣08】記憶力を高める P.111/「報告書」「まとめ」「ブログ」を積極的に書こう
【習慣09】話す力を高める P.123/メモや写真などを手がかりにして、長い話を組み立てよう
【習慣10】表現を豊かにする P.135/「たとえ話」を混ぜながら、相手の身になって話そう
【習慣11】脳を健康に保つ食事 P.145/脳のためにも、適度な運動と「腹八分目」を心がけよう
【習慣12】脳の健康診断 P.153/定期的に画像検査を受け、脳の状態をチェックしよう
【習慣13】脳の自己管理 P.161/「失敗ノート」を書こう / 自分の批判者を大切にしよう
【習慣14】創造力を高める P.169/ひらめきは「余計なこと」の中にある /活動をマルチにしよう
【習慣15】意欲を高める P.129/人を好意的に評価しよう / 時にはダメな自分を見せよう
【番外】高次脳機能ドックの検査 P.195‥★最低限の脳機能を衰えさせていないか確認しよう

 本書は、15項目、全て納得出来る内容だった。例えば‥

【習慣04】脳の持続力を高める‥
・「若い頃の苦労は買ってでもしろ → 人の遣りたがらない雑用を自ら買って出て、コツコツとこなしていた人は、前頭葉が鍛えられ、意志的・主体的に行動する力の高い人に成り易い」
・「面倒くささ」に耐える力 → 「ロールスロイスを日本で一番売っていた営業マンの話 ‥ ★☆★ 彼は若い頃に奥さんに先立たれ、男手一つで2人のお子さんを育てざるを得なくなった / 仕事を出来るだけ早く終えて家に帰ると、食事をつくり、子供をお風呂に入れてから寝る / 洗濯やお弁当の用意もしなければならない / やがて子供達が成長してお父さんを助ける様になっていくが、仕事以外の雑用の為に使わなければならなかった時間は他の人より遥かに長かった筈 / それでいて、競争の厳しい業界でTopであり続けた / 凄いと思われるかもしれないが、脳の性質から考えると「必然的」と言える処がある / 遣らざるを得ないから毎日遣っていた家事が、いつの間にか膨大な基礎trainingの蓄積になり、「前頭葉の体力」が他の人とは違っていた / 同時に、仕事をする時間が限られて来るので(前頭葉の)基本回転数も上がり易く、専門的な知識や経験も蓄積されていくので、体力の上にtechnicも身についていく / 非常にbalance良く脳が鍛えられていたのである ‥ ★☆★
 実際、仕事が出来る人は、若い頃に苦労をしていたり、日常的に面倒な雑用を多くこなさざるを得ない場面を多く経験しているのではないだろうか
 ★「毎日自分を小さく律する」ことが、大きな困難にも負けない「耐性」を育てるP.64-65
 ☆脳を鍛えるときには、司令塔である「前頭葉」を鍛えることを意識するとよい
 ☆「前頭葉を鍛える」ときには、technic以前に「体力を鍛える」ことが大事
 ☆家事や雑用を積極的にこなすことは、「前頭葉の体力を高める」訓練委なる P.71

【後記】Facebookで、時習26回生【3-4】の岩瀬君が、一昨日の晩の「十四夜月」と昨晩の「Strawberry Moon」の写真を upした。
 それに小生がcommentしたので、その内容を以下にご紹介してお別れする。

2017年06月08日付
【前書】今晩の月を「小望月(こもちづき)」とか「十四日月(じゅうよっかづき)」とも言うが、『待宵の月(まつよいのつき)』が趣があってボクは一番好きだ!

短夜(みぢかよ)に 君【待(つ)宵の月】見事  悟空

[06]「十四夜月」(岩瀬敏君撮影)
                  
2017年06月09日付
【前書】貴兄の此の写真をジッと見ていたら、シュールレアリスム(surrealisme)の2人の画家の絵を合成したみたいダナァと彼等の作品を思い出した

[07]「Strawberry Moon」(岩瀬敏君撮影)

マグリット! デ・キリコ! の如(ごと) 夏の月  悟空

[08]岩瀬君の写真からinspirationを得て思い出したマグリット(上2品)とデ・キリコ(下2品)
                  
 では、また‥〔了〕
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