2018年3月8日木曜日

【時習26回3-7の会 0695】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之四 春〔第5回〕』」「03月03日:『入江泰吉旧居』→『東大寺/転害門』→『正倉院』→『奈良県立美術館』→『興福寺/国宝館』→『奈良国立博物館』→『東大寺/二月堂《修二会》』を巡って」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0695】号をお届けします。
 今日最初の話題は、先日から再開した『猿蓑』〔巻之四〕『春』の〔第5回〕目をお届けする。
 今回は、巻之四『春』の、発句全118句のうち第51句~62句についてである。
 では、どうぞ‥
 
【 松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之四〕『春』〔第5回〕】

   猿蓑集 巻之四

 
  露沾公にて「餘寒」の當座〔‥つづき‥〕
 
51 かげろふや土もこなさぬあらおこし(注1)  百歳

【意】荒く耕した土の塊(かたまり)の間から陽炎が立ち昇っている/愈々農作業が始まる/春の到来だ

【解説】大塊の土の間より陽炎が立っている実景を詠む/その情景、即ち春行う農作業から春到来を告げている
(注1)あらおこし:荒起(おこ)し/水田の土を大雑把に掘り起こすこと
 
52 かげろふやほろほろ落る岸の砂  土芳
 
【意】川岸の土手の砂から陽炎が立ち上っている‥すると、その土手の砂がホロホロと川面に落ちていく/此れも春の一情景‥
【解説】川岸から立ち上る陽炎を見ていたら川面にホロホロと落ちていく‥その一瞬の出来事から春到来の機微を逃さず句に詠んだ土芳の観察眼は鋭い
 
53 いとゆふのいとあそぶ也(なり)虚木立(からきだて)  伊賀氷固
 
【意】陽炎が、空木建ての垂木の間からゆらゆらと立ち上っている/これも又春到来を表す一情景だ
【解説】「いとあそぶ也」は「糸遊ぶなり」と字面(じづら)の戯れを兼ね「いと能(よ)く遊び揺らぐ」と実景を詠んだもの
(注1)いとゆふ:「糸遊」/「陽炎」の別名とも‥
(注2)虚木立:空木建/柱を立て桁組だけした新築家屋の状態のこと
 
54 野馬(かげろふ)に子共(こども)あそばす狐(きつね)哉(かな)  凡兆
 
【意】陽炎の揺らぎ立つ野原の中で、子狐たちが母狐の周りで遊んでいる/あぁ、なんと長閑な春の情景であることだ
【解説】「野馬」を「かげろふ」「いとゆふ」のいずれで詠み下すか明言されていないが、此処では「かげろふ」とした
 
55 かげりふや柴胡(さいこ)の糸の薄曇(うすぐもり)  芭蕉
 
【意】薄霞がこめた野原に陽炎がゆらゆらと立っている/其処では翁草が白い綿毛をそよ風に揺られている/のどかな春の一情景だ‥
【解説】本作品は、元禄03年 芭蕉伊賀滞在中の作/柴胡は、日当たりの良い山地に自生する多年草/
 春に暗赤紫色の花が咲き、花のあとに出来る痩果という果実が白髪の頭に見えるので翁草とついた/
 芭蕉は、この白い綿毛を「柴胡の糸」と詠んだ/『芭蕉句選』では「柴胡の原」とする
(注1) 柴胡(さいこ):別名 翁草(おきなぐさ)/セリ科/根が漢方生薬/
 サポニンを含んだ根を乾燥させ解熱剤に用いられた/元禄の時代は諸国で栽培されていた
 
56 いとゆふに貌(かほ)引(ひ)きのばせ作(つく)リ獨活(うど)(注1)  伊賀配力
 
【意】「作り独活(うど)」をつくるには、陽炎の立つ此の春の日が最適だ
【解説】「貌(かほ)引(ひ)きのばせ」は「貌」は「顔を引き延ばせ」ではなく「香(かほり)を引き延ばせ」と書写する際誤記したという(「評釈/猿蓑」幸田露伴)
(注1)作り独活(うど):独活にコモなどをかぶせて保温して白い萌し(モヤシ)の様な芽を出させてから、土を盛り上げてかけて美味しい部分を長く作るという技術
 
57 狗脊(ぜんまい)の塵(ちり)にゑらるゝわらびかな  嵐雪
 
【意】ゼンマイの中にワラビが混じったら塵だとして選り分けられて仕舞うヨ
【解説】「蕨(わらび)を摘(つみ)取(とり)にぜんまいを除きて摘(つむ)なれば、その実意を句作りて蕨を摘(つむ)には、ぜんまいは塵にゑ(=擇(え))り出さるると云意にて云々」(猿蓑さがし)
 即ち、ぜんまいが蕨の中から塵として擇り出される意/
 此の句は、『嵯峨日記』四月廿二日の条に

「嵐雪が文に、
     狗脊(ぜんまい)の塵(ちり)にえらるゝ蕨哉
     出替(でがは)りや稚(をさな)ごゝろに物哀(ものあはれ)
 其外(そのほか)の文共(ふみども)、哀(あはれ)なる事(こと)、なつかしき事(こと)のみ多(おほ)し」

 と、「45 出替(でがは)りや幼(をさな)ごゝろに物(もの)あはれ」と共に掲載されている
 猶、幸田露伴も「此句はわらびの句なり」(「評釈/猿蓑」)と述べている
 
58 彼岸(ひがん)まへさむさも一夜(ひとよ)二夜(ふたよ)哉(かな)  路通
 
【意】春彼岸の前の頃にはすっかり春めいて来る/一晩、二晩経つ度に暖かくなることだヨ
【解説】此の句は文字通りの句と言っていい/「暑さ寒さも彼岸まで」の諺に倣う/
 俳諧では、「彼岸」と言えば「春の彼岸」をいう
 
59 みのむしや常(つね)のなりにて涅槃像(ねはんぞう)  野水
 
【意】釈迦の涅槃像の絵に登場する鳥獣蟲は皆嘆き悲しんでいるが、蓑虫だけは平然と木の枝にぶら下がっている/此れこそが涅槃の境地なのか‥
【解説】―
 
60 藏(くら)並(なら)ぶ裏(うら)は燕(つばめ)のかよひ道(みち)  凡兆
 
【意】整然と蔵の建ち並んでいる蔵通り/その裏通りは燕(ツバメ)が飛び交う道(=通り)となっている
【解説】―
 
61 立(たち)さは(=わ)ぐ今(いま)や紀(き)の雁(かり)伊勢(いせ)の雁(かり)  伊賀沢雉
 
【意】伊賀の大空を一斉に北へ向かう雁の群れが見える/今行く群れは紀州の雁、そして次の一群は伊勢の雁だ
【解説】帰雁の句で「春季」
 
62 春雨(はるさめ)や屋(や)ねの小草(おぐさ)に花(はな)咲(さき)ぬ  嵐虎(注1)
 
【意】しっとり柔らかく春雨が降っている/屋根の上には名も知らぬ小さな草が花を咲かせている
【解説】―
(注1)嵐虎:詳細不詳
 
【小生comment】
 猿蓑「巻之四/春」を詠んでいると、今から330年程昔の日本の「春」の様々な潤いを持った趣ある情景を詠んだ句に出会えるから楽しい。
 我々が住む現代も、温かな春はもうすぐ其処だ!
 
■続いての話題は、去る03月03日(土)に、車で奈良市へ行って来て、「入江泰吉旧居」→「東大寺/転害(てがい)門」→「正倉院」→「奈良県立美術館」→「興福寺/国宝館」→「奈良国立博物館」→「東大寺/二月堂《修二会》」を見て来たので、それ等の模様についてご報告する。
 今回の主目的は、東大寺二月堂のお水取り〔修二会〕を見ることだ。
 3月3日(土)は、以下の行程で巡って来た。
 
08:15 拙宅発→〔豊川IC→東名→新名神→京滋バイパス→京奈和自動車道 木津IC〕→
11:45 奈良登大路駐車場着→〔徒歩 200m〕→
11:50 そば処 喜多原 着
 
[01]そば処「喜多原」外観

 ご覧の通り「喜多原」は並んで待っている人がいる程の人気ある店だった

[02]昼食の「とろろ蕎麦」
                  
[03]そば処「喜多原」にて

 
12:24 同所発→〔徒歩 隣地〕→
12:25 入江泰吉旧居 着
 
[04]入江泰吉旧居 入口の格子戸前にて
                  
[05]品格ある 違棚(左) & 床間(右)

[06]床間の掛軸の書 蘇東坡『山色清浄身』は入江泰吉氏自身に拠る
                  
 
 谿聲便是広長舌
 山色豈非清浄身
 夜来八萬四千偈
 他日如何人挙似

 渓声(けいせい)便(すなわ)ち是れ広長舌(こうちょうぜつ)

 山色(さんしき) 豈(あ)に清浄(しょうじょう)身(み)にあらざらむや
 夜来(やらい)八万(はちまん)四千(しせん)の偈(げ)
 他日(たじつ)如何(いかん)が人(ひと)に挙似(こじ)せん
 
【意】広長舌とは三十ニの瑞相の一つ
 絶え間なく谷川が流れる音が聞こえて来る
 山の青々とした森羅万象の全てが清浄なる仏身であり説法である。
 昨夜からずっと如来の無限なる説法を拝聴している
 此の素晴らしい感動をいつどの様に伝えようか、筆舌し難いことだ
 
[07]入江泰吉氏の写真の横で

[08]名筆家で知られる入江泰吉氏の奥様の書
                  
[09]茶室の床間に飾られた 侘助

[10]杉本健吉画伯(右)と
                  
[11]入江泰吉氏の書斎

[12]廊下の天井
                  
入江泰吉旧居は、興福寺の塔頭を移築したものだという

[13]入江泰吉旧居内部の応接間 / 此の旧居は、公開開始後 3年経った処だそうだ

[14]薬師寺の白虎 拓本
                  
[15]入江泰吉旧居 母屋 から 中庭 を挟み 暗室 を望む

[16]入江泰吉氏の暗室1
                  
[17]同上2

 
※ 入江泰吉氏撮影の写真7枚

[18]興福寺 阿修羅像
                  
[19]寒牡丹 石光寺

[20]飛鳥 八釣の里
                  
[21]東大寺僧坊跡 晩秋

[22]喜光寺 落陽
                  
[23]斑鳩 西里柿の秋

[24]水に映る東塔〔薬師寺〕
                  
 
13:05 入江泰吉旧居発→〔徒歩 600m〕→
13:17 東大寺 転害門 着

[25]東大寺転害門前にて


[26]転害門脇に建てられていた 謡曲『大仏供養』と転害門 解説
                  
[27]転害門に掛けられていた標縄

[28]東大寺転害門(境内側)前にて
                  
 
13:40 同所発→〔徒歩 150m〕→
13:45 正倉院 着

[29]正倉院外観


[30]正倉院 説明看板
                  
[31]正倉院周辺での風景

 
13:50 同所発→〔徒歩 800m〕→
14:05 奈良県立美術館 着
 
[32]奈良県立美術館入口付近にて
                  
[33]本企画展『赤膚焼・奈良一刀彫・奈良漆器/悠久の美と技』leaflet

 
14:07 赤膚焼・奈良一刀彫・奈良漆器‥『悠久の美と技』展
15:00 奈良県立美術館 発→〔徒歩 300m〕→
15:05 興福寺 着
 
[34]興福寺五重塔前にて
                  
[35]阿修羅像

 
15:07 五重塔
15:15 国宝館
15:40 興福寺 発→〔徒歩 400m〕→
15:50 奈良国立博物館 着

[36]奈良国立博物館前にて

                  
[37]同館入口前にて

[38]東大寺・修二会 schedule表
                  
 
15:53 特別陳列 お水取り 展
17:20 同所発→〔徒歩 50m〕→
17:25 夕食

[39]夕食「季節の葛入り生パスタ」


 
17:40 東大寺 南大門 金剛力士像
 
[40]東大寺南大門・金剛力士像「阿形」前にて
                  
[41]同・同「吽形」

[42]東大寺・二月堂 参詣道入口
                  
[43]東大寺・二月堂/お松明開始(19時00分) 1時間前の情景

[44]同/10本あるお松明のうちの7 or 8番目(19時24~25分)の模様全17枚 17-01
                  
[45]同 17-02

[46]同 17-03
                  
[47]同 17-04

[48]同 17-05
                  
[49]同 17-06

[50]同 17-07
                  
[51]同 17-08

[52]同 17-09
                  
[53]同 17-10

[54]同 17-11
                  
[55]同 17-12

[56]同 17-13
                  
[57]同 17-14

[58]同 17-15
                  
[59]同 17-16

[60]同 17-17(完)
                  
 
20時00分 奈良登大路駐車場発→〔225㎞/木津IC→京奈和→京滋バイパス→新名神→東名→音羽蒲郡IC〕→
22時45分 帰宅

【小生comment】

 生まれて初めて東大寺・二月堂「修二会/お松明」を見ることが出来て嬉しかった。
 今年は03月12日に予定されている、松明が10本から11本に増える「籠松明」を、いつの日か是非とも見たくなった。

【後記】最近、盛唐の詩人杜甫の漢詩を読んでいる。

 その中から気に入った作品を一つご紹介したい。
 三国志の英雄、諸葛亮(孔明)について杜甫が詠んだ七言律詩「蜀相」だ。

     蜀相

 
 丞相祠堂何處尋
 錦官城外柏森森
 映堦碧草自春色
 隔葉黄鸝空好音
 三顧頻煩天下計
 兩朝開濟老臣心
 出師未捷身先死
 長使英雄涙滿襟

 丞相(じょうしょう)の 祠堂(しどう) 何處(いずれのところ)にか尋ねん

 錦官(きんかん)城外 柏(はく)森森(しんしん)
 堦(かい)に映ずるの碧草(へきそう) 自(おのず)から 春色(しゅんしょく)
 葉を隔(へだ)つるの黄鸝(こうり)空(むな)しく好音(こういん)
 三顧(さんこ)頻煩(ひんぱん)なり 天下の計(けい)
 兩朝(りょうちょう)開濟(かいさい)す 老臣の心
 出師(すいし) 未(いま)だ 捷(か)たざるに 身(み) 先(ま)づ 死し
 長(とこし)へに英雄をして 涙(なみだ) 襟(えり)に滿たしむ

【意】蜀の丞相(=諸葛亮孔明)を祀った祠(ほこら)は何処にあるかというと

 成都(錦官城)の郊外 柏が鬱蒼と茂っている辺りだ
 階(きざはし)に映える草の緑は春の色合いを醸し出している
 梢の間では、隠れて見えない鶯(=黄鸝)が美しい鳴き声で囀っている
 (諸葛亮は) 三顧の礼を尽くした蜀の劉備に対し孔明は「天下三分の計」を示し
 劉備と劉禅の二代に亘り老いても猶両君に仕えたのだ
 (彼は) 魏に対し北伐軍を起こしたものの戦いに勝つ前に病に倒れ果てた
 此の孔明の生き様は、後世の英雄達の涙を誘ったのである
 
【小生comment】
 この作品は、玄宗の次の皇帝粛宗の時代の上元元(860)年の春、杜甫49歳の作とされる。
 人間の真心の美しさを理解して、中国統一という劉備玄徳の目指す目的へ献身的に尽力した諸葛孔明を杜甫は心から敬愛していた。
 そんな杜甫に最近凄く共感する。

  ※ ※ ※ ※ ※

 今度の土日は又予定が入っているので、一寸早いが今日配信させて頂いた。
 03月11日(日)は、お城の会 日帰りbus旅行である。
 その模様は又次号の《会報》にてお伝えする予定である。お楽しみに!
 では、また‥〔了〕

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 【0627】号~【0694】号は【時習26回3-7の会PART2】 URL:http://si8864.blogspot.jp/ ←此処をclickしてご覧下さい
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2018年3月4日日曜日

【時習26回3-7の会 0694】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之四 春〔第4回〕』」「02月24日:『岩津天満宮』→『岩津城跡』→『松平東照宮』→『高月院』→『大給城跡』→『足助城跡』→『豊田市足助資料館』を巡って」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0694】号をお届けします。
 今日最初の話題は、先日から再開した『猿蓑』〔巻之四〕『春』の〔第4回〕目をお届けする。
 今回は、巻之四『春』の、発句全118句のうち第39句~50句についてである。

 では、どうぞ‥

【 松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之四〕『春』〔第4回〕】

   猿蓑集 巻之四

  田家に有(あり)て

39 麦飯(むぎめし)にやつるる恋か猫の妻  芭蕉

【意】いつも麦飯ばかり食わされている田家の痩せ猫も、此の頃恋にやつれて侘し気な姿であることヨ
【解説】君しのぶ草にやつるゝ故里はまつむしの音ぞかなしかりける/よみひとしらず/古今和歌集 秋上
 忍ぶ草にやつるゝ 松虫は古歌の詞の文の美しさにて、「麦飯にやつるゝ恋か」とは俳諧の素朴の実に近きをかしみ也〔幸田露伴/評釈 猿蓑〕
 田舎の雌の痩せ猫が恋をして更にやつれている、とhumorousに読んだ俳句

40 うらやましおもひ切(きる)時(とき)猫の恋  越人

【意】あれ程恋に執心だった猫等が、恋の季節が終わると騒ぎがなかったかの様に平然とした顔をしているヨ
 羨ましいことだ/自分にはあの様には出来ない
【解説】「思ひきる時うらやまし猫の声」が原案であることが、芭蕉の珍夕宛書簡で解る/
 芭蕉はこの越人の作品を次の様に述べ褒めている
  「越人猫之句、驚入候 / 初而彼が秀作承候 / 心ざし有ものは終に風雅の口に不レ出といふ事なしとぞ被レ存候 / 姿は聊ひがみたる所も候へ共、心は高遠にして無窮之境遊しめ、堅(=賢)愚之人共にをしえたるものなるべし/孔孟老荘之いましめ、且佛祖すら難レ忍所、常人は是をしらずして俳諧をいやしき事におもふべしと、口惜候」 (『去来抄』)

41 うき友(注1)にかまれてねこの空ながめ  去来

【意】思い慕う恋人に言い寄り、怒りを買って噛みつかれたのか、失恋した猫が(屋根の上で)空を眺めている

【解説】古今集 巻十四 恋歌四「大空(おほぞら)は恋しき人のかたみかはもの思ふごとに眺めらるらむ/酒井人真(さかゐのひとざね)/【意】大空は恋しい人の形見なのだろうか/そうでもないのになぜ、ものを思う毎に繁々と眺められるのだろう」を踏まえている
(注1)うき友:恋の相手

  露沾公(ろせんこう)にて「餘寒(よかん)(注1)」の當座(とうざ)(注2)

42 春風(はるかぜ)にぬぎもさだめぬ羽織(はおり)哉(かな)  亀翁

【意】春風が吹いたのでやっと羽織を脱いだのに、今日は余寒の為また着なくては‥

【解説】―
(注1)餘寒:立春後にやって来る寒波のこと
(注2)当座:句会での即席の詠題のこと/此処では、「余寒」という題が露沾によって即席で出された

43 野(の)の梅(うめ)のちりしほ(注1)寒(さむ)き二月(にがつ)哉(かな)  尚白

【意】野の梅が咲き春の到来を知ったが、処がその梅花の散り頃に寒さが戻って来た二月だ‥
【解説】―
(注1)ちりしほ:散り際

44 出(で)がはり(注1)や櫃(ひつ)にあまれるござのたけ  亀翁

【意】奉公人たちが身の回りの物を入れた櫃からゴザが飛び出している/
 (‥何処か滑稽でもあるし、侘しさも感じることだ‥)
【解説】―
(注1)出がはり(=出替):奉公人の人事異動のこと/年に2回(03月05日と09月10日)に行われた/
奉公人たちは身の回りに一切合財を櫃に詰めて持って異動していく

45 出替(でがはり)や幼(をさな)ごゝろに物(もの)あはれ  嵐雪

【意】出替りの日には、親しかった丁稚さん等が居なくなることを知っていた/幼心にもそれが淋しく感じられる出来事だったのだ
【解説】―

46 骨柴(ほねしば)のかられながらも木(き)の芽(め)かな  凡兆

【意】骨柴から芽が出ている/こんな処にも春を感じることだ
【解説】骨柴の芽吹きから、老いて盛んな様を詠んだか
(注1)骨柴:枝や葉を取り去った柴のこと

47 白魚(しらうを)や海苔(のり)は下部(しもべ)のかい合(あは)せ  其角

【意】白魚汁には、下男が気を利かせて買い置いてくれた浅草海苔が付けられている/
 何と幸せなことだろう
【解説】其角の家僕は、鵜沢長吉 / 後年、医者になり長庵先生と号した

48 人の手にとられて後(のち)や櫻海苔(さくらのり)(注1)  尾張杉峯(注2)

【意】桜海苔でも人に摘んで貰ってこそ賞賛されるのだ
【解説】―
(注1)桜海苔は紅色の海苔
(注2)杉峰については名古屋の人というだけで詳細は不詳

49 春雨(はるさめ)にたゝき出(だ)したりつくづくし  元志

【意】春雨が地面を叩いて、それに呼応した様に土筆(つくし)が芽を出した
【解説】―
(注1)元志:尾張の人/詳細不詳

50 陽炎(かげろふ)や取(とり)つきかぬる雪の上  荷兮

【意】春の雪が降った後、すっかり晴れ上がって陽炎が立ち始めた / その陽炎は雪に触れず揺らいでいる
【解説】―

【小生comment】
 猿蓑「巻之四/春」を詠んでいると、春に到る様々な情景が思い浮かぶ。
 我々が住む世界も、温かな春はもうすぐ其処だ!

■続いての話題は、去る02月24日(土)に、城跡3と神社2、寺院1の6つの史跡と1資料館を訪ねて来たのでご報告する。
 その日は、08時過ぎに拙宅を出て病院で採血をした後、「岩津天満宮」→「岩津城跡」→「松平東照宮」→「高月院」→「大給城跡」→「足助城跡」→「豊田市足助資料館」と巡って来た。

 添付写真[01][02]は、出発直前、拙宅の中庭に咲いていた紅白梅の花。
 梅花は確りと春の到来を教えてくれている。

  拙宅の紅白梅の二重奏 青天に映ゆる美しさかな  悟空

  東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ  菅原道真
 
[01]拙宅中庭に咲いた紅梅の花




[02]同じく白梅の花
                  
08時30分 光生会病院
09時20分 同所発→〔豊川IC→東名高速→東海環状→豊田東IC〕→


10時25分 岩津天満宮着

岩津天満宮の創建は1759(宝暦09)年。

[03]岩津天満宮の鳥居の前にて


[04]同宮の拝殿前にて
                  
[05]合格祈願&合格御礼の絵馬

[06]同宮拝殿前の梅木前にて
                  
10時45分 同所発→〔一般道〕→
10時55分 岩津城跡「看板」着→


[07]岩津城跡「看板」


 松平氏は、初代・親氏(ちかうじ)→第2代・泰親(やすちか)→第3代・信光(のぶみつ)続く。


 我等が母校時習15回生の先輩で作家の宮城谷昌光(本名:宮城谷誠一)氏が著書「古城の風景l~松平の城~」で次の様に述べている。
 信光が岩津に進出したことによって、この家は恢郭を得た。いや『三河物語』によると、松平豪をでて岩津へ移ったのは、松平家第2代の泰親である。〔中略〕
  『松平由緒書』を重視して、泰親を親氏の弟であるとしたい。泰親は兄が亡くなったあと、遺児(信光)の貢献となって家政に臨んだとおもわれる。〔後略〕

11時00分 同所発→〔一般道〕→
11時30分 松平郷 松平東照宮着→松平郷館→



[08]松平郷史跡観光案内図

                  
[09]松平東照宮 本殿前にて

[10]松平東照宮 説明看板
                  
[11]松平家初代・松平親氏から第9代・徳川家康迄の年譜

[12]松平一族略系図他
                  

11時45分 同所発→〔徒歩〕→
11時50分 高月院着


12時00分 松平氏墓所〔初代 親氏(中央) 二代 泰親(右)〕
 
[13]高月院前にて1

[14]同2
                  
[15]同本堂前にて

[16]高月院 説明看板
                  
[17]松平氏墓所

[18]同上 説明看板
                  
[19]高月院近くに咲いていた早春の花 蠟梅

[20]同上 椿
                  
[21]松平豪入口近くの案内看板


12時40分 大給(おぎゅう)城跡入口着
12時50分 大給城跡本丸跡着
13時00分 同所発→〔一般道〕→

 大給松平氏は、松平信光の子で松平第4代・親忠の次男乗元を祖とする松平氏の庶流で、十八松平の一家。
 大給松平氏で、毎時維新迄続いた藩としては、西尾藩(乗元系統)、府内藩(親清系統)、岩村藩(乗政系統)、奥殿藩(真次系統)の4家がある。



[22]大給城跡への参道途中にあった大給城跡を示した石碑横にて
                  

[23]大給城跡本丸にて「大給城址」石碑前にて

[24]同2
                  
[25]大給城址縄張図 看板

[26]松平乗元の墓
                  
[27]同上 案内看板


13時40分 足助城跡着


 足助城は、標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した、連郭式の山城。
 現在残された遺構は、15世紀以降に鈴木氏が築城した跡と考えられている。


 足助の鈴木氏は、15世紀後半の人と云われる忠親以下、重政→重直→信重→康重と5代続いた。
 足助城の年表に拠ると‥

1525(大永05)年 松平清康(家康の祖父)が2千余騎にて足助を攻め、以後、鈴木氏、松平の麾下に属す
1554(天文23)年 今川家の家臣・馬場幸家が来攻、鈴木氏は今川方に降りる


1564(永禄07)年 松平元康(家康)が3千騎を以て来攻、鈴木氏松平の麾下に属す
1571(元亀02)年 武田信玄が三河侵攻、足助城は武田方・下条伊豆守信氏が城代となる
1573(元亀04)年 武田信玄没(同年04月)後、家康の長男・松平信康が足助城を奪取し、旧主・鈴木氏を城主とする
1590(天正18)年 徳川家康の江戸移封に拠り、城主・鈴木氏関東へ赴き、足助城廃城となる

[28]足助城案内看板
                  

[29]足助城跡にて1

[30]同2
                  
[31]同3

[32]三河 足助城(真弓山城) 解説leaflet1
                  
[33]同2

[34]足助城跡本丸 高櫓 外観
                  
[35]同上 内部

[36]同上 より飯盛山 遠望
                  

14時20分 同所発→〔一般道〕→
14時25分 豊田市足助資料館着

 弓の名手としても知られる、足助氏第7代惣領・足助次郎重範は、1331(元弘元)年の元弘の乱の際、後醍醐天皇方に味方し、鎌倉幕府軍と奮戦。
 笠置山陥落後、幕府軍の捕縛され、1332(元弘02)年 京都六城河原にて処刑された。


 重範は、「雲に聳ゆる段戸山‥」で始まる「三河男児の歌」の第3番で歌われている。
 此の歌は、我等が母校時習館高校の文化祭のcamp fire で歌った。
 次の様な歌詞だった‥

「見よや足助の重範は
 建武の帝(みかど)の大勅(おおみこと)

 拝すや義旗(ぎき)を押立(おした)てて
 黒白(あやめ)を分(わ)かず奮闘し
 笠置の難に従いし
 誉(ほまれ)は山より猶(なお)高し」

[37]豊田市足助資料館 外観

[38]足助次郎重範((しげのり)1292-1332)像

                  
[39]足助次郎重範についての解説

[40]足助氏 系譜
                  

14時40分 同所発→〔豊田松平IC→東海環状→東名→音羽蒲郡IC〕→
16時00分 帰宅

【小生comment】
 三河の国は、今回ご紹介した様に、歴史史跡の宝庫である。

 此れからも、ドンドンと史跡巡りをして行きたいと思っている。

【後記】今日は、最近読了した、愛知県生まれの芥川賞受賞作家の平野啓一郎氏の人気作品「マチネの終わりに」の最後のphraseをご紹介してお別れする。
 久しぶりに読んだ恋愛小説だが、単行本で400頁近くのvolume感ある質の高い感動的な小説だった。

 では、どうぞ‥

 どこか遠くのパトカーのサイレンが、彼方の空に轟いて消えた。
 蒔野は、太陽の光の移ろいを感じて、少し足を早めた。先ほどから、彼は、リルケの《ドゥイノの悲歌》のあの《幸福の硬貨》の一節を、断片的に思い返していた。

  「‥‥天使よ! 私たちには、まだ知られていない広場が、どこかにあるのではないでしょうか? そこでは、この世界では遂に、愛という曲芸に成功することのなかった二人が、‥‥彼らは、きっともう失敗しないでしょう、‥‥再び静けさを取り戻した敷物の上に立って、今や微笑みを浮かべる、その恋人たち‥‥」
 
 深い緑色の水が覗く「あの池の辺り」に差し掛かると、蒔野は逸る気持ちと不安とで、ギターケースの持ち手を何度も握り直した。周囲を広く見渡しながら歩いた。池に沿ってゆったりと曲がった歩道を抜けたところで、視線の先の木陰に一つのベンチが見えた。
 彼はその場に足を止めた。午後の光が、時間潰しのように池の水面で戯れているのを眩しそうに眺めていた女性が一人、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
 蒔野は、彼女を見つめて微笑んだ。洋子も応じかけたが、今にも崩れそうになる表情を堪(こら)えるだけで精一杯だった。バッグを手に立ち上がると、改めて彼と向き合った。赤らんだ目で、洋子もようやく微笑んだ。二人が初めて出会い、交わしたあの夜の笑顔から、五年半の歳月が流れていた。——完
 
[41]平野啓一郎『マチネの終わりに』


【小生comment】
 こんな 恋が出来たら‥いいなァ‥
 では、また‥〔了〕
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