2017年7月31日月曜日

【時習26回3−7の会 0663】~「松尾芭蕉『猿蓑』から〔巻之二〕『夏』〔第3回〕」「07月22日:浜松市秋野不矩美術館『画業の地平2 豊饒な水の恵み』展→名都美術館『響き合う美 近代日本画の精鋭たち【後期】』展→碧南市藤井達吉現代美術館『スケーエン:デンマークの芸術家村』展を見て」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0663】をお送りします。
 今日も最初にお届けするのは、前《会報》に引き続き松尾芭蕉の『猿蓑』についてである。
 今日は、『猿蓑』〔巻之二〕『夏』〔第3回〕目で、『夏』の巻は今回の65~94句で完了である。
 早速ご紹介したい。

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之二〕『夏』〔第3回(完)〕】

  猿蓑集 巻之二     夏

   病後
65空(そら)つり(注1)やかしらふらつく百合の花  大坂 何処
【意】私はいま病明けの所為で、恰も庭に咲いている百合(ゆり)の花の様にで頭がフラフラしている
【解説】―
(注1) 空つり:のぼせて眩暈(めまい)がすること

66すゞ風や我より先に百合の花  乙刕
【意】涼風が私に吹き付けて来た / この涼風は、この私より先に庭の百合の花を揺らして来た風だ
【解説】「百合(ゆり)」と「揺(ゆ)り」をかけている

  「焼蚊辞(注1)」を作りて
67子(こ)やなかん其子(そのこ)の母も蚊(か)の喰(くわ)ン  嵐蘭(らんらん)(注2)
【意】蚊に食われて子供が泣いている / その母親もきっと蚊に食われているに違いない
【解説】この句は、『萬葉集/巻三』山上憶良「憶良らは今は罷らむ子哭(な)くらむ 其の彼の母も吾を待つらむぞ/(【意】この山上憶良はお暇(いとま)しよう、(拙宅で我が)子が泣いているだろうし、その母(=妻)も私を待っているだろうから)」を俳諧にして詠んだもの
(注1) 焼蚊辞(かをやくのじ):松倉嵐蘭の俳文の名 / 森川許六((1656-1715)近江国彦根藩士)の俳文集『本朝文選(ほんちょうもんぜん)』巻一所収(宝永03(1706)年刊)で、その文末にこの句を添える
(注2) 嵐蘭:松倉嵐蘭(1647-93) 名:盛教、通称:甚兵衛/ 肥前国島原藩藩主松倉氏の氏族 / はじめ板倉氏に仕え、辞して江戸浅草に住み芭蕉門弟となる /「桃青門弟独銀二十歌仙(1680年刊)」に名を連ねる

  餞別
68立(たち)ざまや蚊屋(かや)もはづさぬ旅の宿  膳所 里東
【意】早朝、宿屋では蚊帳も外(はず)さずに慌(あわ)ただしく旅人を見送っている
【解説】慌ただしく旅人の早朝の旅立ちを見送る句

  うとく(注1)成(なる)人(ひと)につれて、参宮する從者にはなむけして
69みじか夜を吉次(きちじ)が冠者(かじゃ)(注2)に名残(なごり)哉(かな)  其角
【意】短い夏の夜を若者と別れを惜しんだ、恰も牛若丸(源義經)が金売吉次と逢った時に時のことの様だ
【解説】前書「うとく(=有徳)成(なる)人につれて」は「有徳と言われている人に付け人して」という意味 /「若者をこの有徳(=富裕)者につけて伊勢神宮を参詣させる」という設定
  『五元集』(注3)には「或人の従者参宮しけるにはなむけすとて」と前書して「夏の夜を吉次が冠者に恨哉」とある
(注1) うとく:有徳(うとく)=徳のある / 富裕
(注2) 吉次が冠者:吉次は奥州産の黄金を京で商いし、巨利を得て長者になった金売吉次 / 鞍馬で牛若丸に逢い連れて奥州平泉に下った
  「冠者」とは、元服した男子 / 若者
(注3)『五元集』:榎本其角(1661-1707)著の俳諧撰集(1747年刊) / 延宝・天和・貞享・元禄・宝永の五元に亘る発句集の意
 
70隙(ひま)明(あく)や蚤(のみ)の出(で)て行(いく)耳(みみ)の穴(あな)  丈艸
【意】耳の中に入った蚤(のみ)が、隙間(すきま)を明けてやったら出て行ってくれた
【季語】「蚤」:盛夏

71下闇(したやみ)や地虫(じむし)ながらの蝉(せみ)の聲(こゑ)  嵐雪
【意】鬱蒼と茂る木々の下の薄暗い中から蝉時雨が地中に浸み込む様に聞こえて来る / それは恰も地中の虫が地中深くで鳴いている様だ
【解説】何となく湿っぽい俳句 (笑)

72客(きゃく)ぶり(注1)や居處(ゐどころ)かゆる蝉の聲  膳所 探志
【意】蝉(せみ)は鳴いては木を変えて別の木で又鳴くことを繰り返す / お客が一軒/\訪れる家を変えていく様子が蝉のそれに似ていて面白い
【解説】―
(注1) 客ぶり:客らしい様子・態度

73頓(やが)て死ぬけしきは見えず蝉の聲  芭蕉
【意】地上に現れてからは短命の蝉だが、幻住庵でこの元気な蝉の鳴声を聞いていると、そんな儚さは伝わって来ない
【解説】元禄03(1690)年夏、幻住庵で秋之坊(注1)に示した句 / 北枝編『卯辰集』(元禄04(1691)年刊)には「無常迅速」と前書し、中七を「けしきも」とする
 草稿時の『幻住庵記(写本『芭蕉文考』所収の文末に「先(まづ)たのむ椎の木もあり夏木立」の句と並べて、『卯辰集』と同じ句形で掲載
 元禄03年幻住庵滞在中の吟とされる
 支考『東西夜話』(元禄15(1702)年刊)に拠れば、金沢の秋之坊が幻住庵を訪れ、一夜の夢を結び、その帰り際に芭蕉はこの一句を与えて麓迄見送ったという
(注1) 金沢蕉門の一人 /『奥の道』で芭蕉が金沢を訪れた折り、現地で入門 / 前田藩士、後に武士を捨て剃髪、秋之坊と称し、蓮昌寺境内に隠棲

74哀(あわれ)さや盲(めくら)麻(あさ)刈(か)る露(つゆ)のたま  伊賀 槐市
【意】盲人が朝露に濡れた麻を刈っている / 無常感と哀切さを感じる
【解説】露は朝日に消えるので「無常」感を表す /「盲人」は「人間一般」を指すと考えることも出来る / 見えない儘生きている哀れな生き物という意で /「露」は秋の季語だが、「巻之二『夏』」に入れた理由は不明

75渡(わた)り懸(かけ)て藻(も)の花のぞく流(ながれ)哉(かな)  凡兆
【意】清流に架かる橋を渡ろうとしてふと下を見ると、綺麗な川の水底に可憐な藻の花が見える / 美しい
【解説】―

76舟引(ふなひき)(注1)の妻の唱哥(しょうか)か合歓(ねむ)の花  千那
【意】川岸を船頭夫婦が舟を曳いて上って行く / 妻の船曳歌が岸辺に響き、その岸辺には淡紅色の美しい合歓(ねむ)の花が咲いている
【解説】―
(注1) 船引:川岸を綱で船を引いて上ることをいう

77白雨(ゆふだち)や鐘(かね)きゝはづす日(ひ)の夕(ゆふべ)  史邦
【意】夕刻の鐘を今日は聞き漏らして仕舞った / 何せ酷い夕立だったから
【解説】―

  素堂之蓮池(注1)邊
78白雨(ゆふだち)や蓮(はす)一枚の捨(すて)あたま  嵐蘭
【意】夕立が来たら(素堂だったら)蓮(はす)の葉を一枚坊主頭に被(かぶ)ればきっと雨よけ出来て事足りるよ
【解説】蓮(はす)をこよなく愛した山口素堂は、葛飾の蓮池に別邸を建て、蓮を見て過ごす毎日で作句に勤しんだという
(注1) 蓮池(はすいけ):山口素堂(注3) / 蓮池翁とも号した
(注2) 捨(すて)あたま:隠遁した人の頭
(注3) 山口素堂(そどう(1642-76)):本名 信章 / 通称 勘(官)兵衛、市右衛門 / 甲斐国出身 / 20歳頃江戸に出て林鵞峰(林羅山の三男(1618-80))に漢学を学ぶ
 延宝02(1674)年 京都にて北村季吟(注4)と会吟し和歌、茶道、書道等も修める
 延宝03(1675)年 松尾芭蕉と初めて江戸で一座する / 深川芭蕉庵に近い、上野不忍池や葛飾安宅に隠棲 / 芭蕉とは門弟ではなく友人として親交を重ねた
(注4) 北村季吟(1625-1705):江戸期初期の歌人・俳人 / 飛鳥井雅章に和歌・歌学を学び幕府歌学方を務める一方、松永貞徳(1571-1654)門下として俳諧を学ぶ

79日燒田(ひやけだ)や時々(ときどき)つらく鳴く蛙(かはづ)  乙刕(=乙州)
【意】旱魃で水が干上がった田圃 / 此処から時々蛙(かえる)の辛そうな鳴き声が聞こえて来る
【解説】―
(注1) 日焼田:旱魃(かんばつ)で水が干上がった田圃

80日の暑さ盥(たらひ)の底の蠛(うんか)(注1)かな  凡兆
【意】猛暑に晒(さら)されている盥(たらい)の底に浮塵子(ウンカ)が群がり(死んで)いる
【解説】―
(注1) 蠛(うんか):浮塵子(ウンカ) / 稲の害虫、体長5㎜程の蝉に似た格好をしている

81水無月(みなづき)も鼻つきあはす數奇屋(すきや)哉(かな)  同
【意】水無月という暑い最中(さなか)に男共が鼻付き合わせて座している
【解説】暑い水無月に句会の席で、男たちが真面目な顔をして鼻突き合わせる程近くに集い座っている様は、何処か滑稽である

82日の岡(をか)(注1)やこがれて(注2)暑き牛の舌(した)  正秀
【意】日の岡という所を牛が猛暑の暑い陽射しに照り付けられて歩いている / 嘸(さぞ)暑いことだろう、牛の舌の様子が暑さ程を物語っている
【解説】―
(注1) 日の岡:京都市山科区日ノ岡〔京都の東粟田口から大津に向かう街道の峠で、三方山に囲まれ、ただ東の一方が展(ひら)けて朝日を受けることが早いので、この名があると言い、又昔は急坂で牛車等の難儀する所という(伊東月草『猿蓑俳句鑑賞』〕
(注2) こがれて:「こがれる」は、暑い太陽の陽射しに照り付けられる様をいう

83たゞ暑し籬(まがき)によれば髪(かみ)の落(おち)(注1)  木節
【意】只々暑い / 暑さを避ける為、日陰のある籬(=垣根)に寄って歩いていくと、その籬に絡み付いている髪の毛が顔に触れる
【解説】品が良くない俳句
(注1) 髪の落(おち):落ち髪、抜け毛

84じねんご(注1)の藪(やぶ)ふく風ぞあつかりし  野童
【意】じねんごが成った竹藪は、吹き通る風も暑苦しいことだ
【解説】―
(注1) じねんご:自然秔 / 竹の実のこと / 竹は何年か(60年と言われる)に一回花が咲き、実が成り枯れると言われる / 竹の実は救荒食とされた

85夕(ゆふ)がほによばれてつらき暑さ哉(かな)  羽紅
【意】夕顔の干瓢づくりに精を出したが、酷暑の季節であり、その作業は暑くて辛いことだ
【解説】夕顔の実は、夏の土用の初めに採り、断割して干し干瓢をつくるが、雨天の日を避けてつくるので結構大変な作業で暑さが堪(こた)える / この大変暑く作業が辛い様を「夕がほによばれてつらき」と詠んだ / 幸田露伴著『評釈 猿蓑』で露伴は「特に夕顔にと置ける初五、誰によばるゝにもあらず、夕顔によばるゝとしたる、俳意十分にして、いと好きなり。暑さの句也」と評している

86青草(あおくさ)は湯入(ゆいり)ながめんあつさかな  江戸 巴山
【意】露天風呂の縁に茂っている青草は湯に入って眺めて風情が出るものである
【解説】作者巴山については詳細不詳

  千子(ちね)が身まかりけるをきゝて、みのゝ國より去来がもとへ、申しつかはし侍(はべり)ける
87無き人の小袖も今や土用干  芭蕉
【意】土用のこの時期は、衣類を出して虫干しをするのだが、千子の死んだこの夏は故人の小袖の整理をしていることだろう
【解説】貞亨05(1688)年夏 / 美濃から去来宛に送った書簡 / 千子(ちね)は去来の妹千代で芭蕉の門人 / 貞亨05年05月15日(1688.06.12)、婚家にて死去 / 辞世の句「もえやすくまた消えやすき蛍かな」/ 妹の死を悼んで去来は、「手の上に悲しく消ゆる蛍かな」と詠んでいる /「手の上に」は去来の細やかな愛情に溢れた、哀しい遣り取りである
 土用は、一年に4回あるが、ここでは立秋前の18日間を言う / この時期、衣類を出して虫干しをするが、千子の死んだこの夏は故人の小袖を処分していることだろう / 去来にとっては妹を亡くした哀しい土用干しとなったのである

 88水無月(みなづき)や朝(あさ)めしくはぬ夕すゞみ  嵐蘭
【意】酷暑の六月は寝苦しく夜確り眠れず、ついつい朝寝坊して仕舞い、勢い「朝飯抜き」になり、「夕涼み」するという結果に
【解説】―

89じだらく(注1)にねれば涼しき夕べかな  宗次
【意】だらしなく寝ころべば涼しい夕べとなるだろう
【解説】『去来抄』に「猿蓑撰の時( )一句の入集を願ひて数句吟じ来れど取るべきなし。一夕、先師の、いざくつろぎ給へ、我も臥しなん」と宣(のたま)ふに、( )も、御許し候へ、じだらくに居れば涼しく侍ると申す。先師曰、是、發句なりと。今の句に作りて、入集せよと宣ひけり」とある
 作句の様子が確り伝わってくるが、作者宗次については不明
(注1) じだらく:自堕落 / だらしない様(さま)

90すゞしさや朝草(あさくさ)門ン(もん)に荷(にな)ひ込(こむ)  凡兆
【意】馬に与える為の飼草として、朝露に濡れた草を朝早くから門内に担ぎ込む百姓家が見える / その勤勉さと涼しさが清々しい
【解説】農耕馬を飼う百姓家は、毎朝飼草を、夕方に夕草を馬に与える / 此処に出て来る百姓家は、その朝草を早朝に刈り取って来て自宅の門内に入れた、作者はその様子を詠んだ

91唇(くちびる)に墨(すみ)つく兒(ちご)(注1)のすゞみかかな  千那
【意】寺子屋で手習い(=習字)を終えた子供が唇に筆を舐めた墨の跡が付いている儘、寺の縁側で涼んでいる
【解説】清々しく爽やかな一句
(注1) 兒(ちご):少年・子供

92月鉾(つきぼこ)(注1)や兒(ちご)(注2)の額(ひたひ)の薄粧(うすけはひ)  曾良
【意】山車の上の兒の額の薄化粧は何と色っぽいことか
【解説】―
(注1) 月鉾:京都・祇園会(六月十七日)の山車(だし)の名 / 山鉾に付いている三日月の飾りのこと
 鉾には、長刀鉾、函谷鉾、鶏鉾、月鉾、放下鉾、船鉾がある
(注2) 兒:鉾の上には優麗な10歳前後の男児が美しく粧(よそお)い、金冠を戴き、鞨鼓(かっこ)を打つ

93夕ぐれや屼(はげ)並びたる雲のみね  去来
【意】夕暮れの今見える(入道)雲は、禿頭を連ねた様な雲の峰だ
【解説】―

  はじめて洛に入て
94雲のみね今のは比叡(ひえ)に似(に)た物(もの)か  大坂 之道
【意】千変万化し乍ら浮かぶ雲の峰よ、今浮かんでいる雲は比叡山の形に似ているだろうか
【解説】―

【小生comment】
 芭蕉俳諧の集大成とも言える『猿蓑』の〔巻之二『夏』〕を3回 series でお届けしたが、如何でしたか?
 なかなか味のある俳句が多く、結構新しい発見をした。
 次号でからは、〔巻之三『秋』〕を、これも3回 series でご紹介するつもりである。お楽しみに!

■さて次の話題は、昨日07月22日(土) 毎月一回、昔住んでいた名古屋市東区徳川にある歯科医院に歯の検診に行って来るついでに、[1]浜松市秋野不矩美術館『画業の地平2 豊饒な水の恵み』展→[2]名都美術館『響き合う美 近代日本画の精鋭たち【後期】』展→[3]碧南市藤井達吉現代美術館『スケーエン:デンマークの芸術家村』展と、3つの美術館を巡って来た。
 以下にその時の模様を順次お伝えする。
 その日の行程は以下の通り。

08時10分 拙宅発→〔一般道 国道362号線他/48㎞ 75分〕→
09時25分 浜松市秋野不矩美術館駐車場着
09時30分 秋野不矩美術館着
10時00分 同所発→〔浜松浜北IC→新東名→東名→名古屋瀬戸道路→長久手IC/104㎞ 65分〕→

【浜松市秋野不矩美術館『画業の地平2 豊饒な水の恵み』展】
 本展は、当館所蔵の秋野不矩作品を『画業の地平』という題にて、
 04月01日~04月23日:第1回「遥かなる世界へ」
 07月01日~08月06日:第2回「豊穣な水野恵」
 08月08日~09月10日:第3回「陽光と灼熱の大地」
 12月02日~01月14日:第4回「古き日を想う」
 という4回seriesで紹介する企画展の第2弾。
 以下に展示作品の幾つかをご紹介する。

[01]浜松市秋野不矩美術館駐車場脇の本展案内看板

[02]同美術館外観
                  
[03]秋野不矩『アフガニスタン風景』1972年

[04]同『行者シヴァ』1978年
                  
[05]同『海のコッテージ』1984年

[06]同『回廊の壁画』1986年
                  
[07]同『土の家(A)』1987年

[08]同『土の家(C)』1987年
                  
[09]同『朝の祈り』1988年

[10]同『沼』1991年
                  
 【小生comment】
 本企画展seriesのうち、4月に開催された第1回は、旅行等他の行事が重なり小生は残念乍ら見られなかった。
 秋野不矩は、日本画京都画壇の泰斗として、インドやアフガニスタン、カンボジア等海外の風景を描く、面白い立ち位置で活躍した画家である。
 見る度に、彼女の作品の良さが解って来る様な気がする。

11時05分 名都美術館着
11時35分 同所発→〔一般道 北区大曽根2丁目/13㎞ 35分〕→

【名都美術館『響き合う美 近代日本画の精鋭たち【後期】』展】
 その日2つ目に訪れた名都美術館は、開館30周年記念の特別企画展を以下の通り3回seriesで開催中
 特別企画展Ⅰ 響き合う美・近代日本画の精鋭たち【前期】06月16日~07月09日 【後期】07月11日~08月06日
 特別企画展Ⅱ 見て、感じる!・美人画の粋(いき)と雅(みやび) 08月22日~10月09日
 特別企画展Ⅲ 小山 硬展・画業60周年の軌跡をたどる 10月20日~12月10日
 当美術館は、大学弓道部の一年先輩の小塩さんが美術館の責任者を務められている。
 其処で今回は小塩さんとの two shot を撮影して頂いた。

[11]名都美術館受付にて小塩先輩と

[12]小林古径『木実』制作年不詳
                  
[13]徳岡神泉『芙蓉』制作年不詳

[14]小倉遊亀『鉢と菫』1960年
                  
[15]同『初夏の花』1962年

[16]前田青邨『蔓梅擬(ツルウメモドキ)』1973年頃
                  
[17]田淵俊夫『インド想 霧』1992年

[18]片岡球子『富士』1990年頃
                  
【小生comment】
 ご紹介した作品は、いずれも近代日本画の巨匠たちの傑作で、いずれの作品も大好きである。
 なかでも小生、小倉遊亀の作品が大好きである。
 当館の日本画は、美しい作品が多く、訪れる度に感動と共に癒しを感じる。

12時10分 ラーメン 陣屋着〔昼食/味噌チャーシュー麺〕→
13時00分 同所発〔一般道/0.9km 3分〕
13時10分 車内にてwaiting
14時00分 歯科医院にて歯の検診
14時35分 同所発〔名古屋高速→知多半島道路→半田IC→一般道/45km 50分〕
15時25分 碧南市藤井達吉美術館着

【碧南市藤井達吉現代美術館『スケーエン:デンマークの芸術家村』展】
 その日最後に訪れた美術館の本企画展は、開催期間(06月06日~07月22日)中の初めの頃に、時習26回生の同期 岩瀬敏君が Facebook で紹介してくれたものである。
 本展は、日本・Denmark外交関係樹立150周年記念の企画展。
 本企画展について、本展leafletから引用して以下にご紹介する。

 潮風が舞う荒野、白い砂浜、何処までも広がる空と海。
 バルト海と北海に挟まれたユトランド半島の最北端に位置するスケ―エン(Skagen)は、19世紀のDenmarkの人々にとって、自国の中の異郷だった。
 しかし、1870年代から、首都Copenhagenで活躍していた若い画家達数人が此処を訪れ、その広漠とした自然の光景に惹きつけられる。
 Skagenの独特の風土は次第に芸術家達の間で関心を呼び、鉄道の駅も港さえなかった小さな漁村は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、北欧の国から画家や詩人、作曲家等が集まる国際的な芸術家村として知られる様になった。
 Skagenを制作の拠点とした画家達は、Franceに発祥して欧州絵画の新しい潮流となっていた自然主義の考え方に立ち、漁師達の労働、海辺の風景、素朴な村人達の生活、芸術家達とその家族の日常を題材とした作品を描いた。〔後略〕
 本展で主に紹介されている画家、アンナ&ミカエル・アンカー夫妻や、マリー&ペーダー・クロヤ―夫妻が活躍したのは、丁度Franceで印象派・ポスト印象派が全盛だった時代と重なる。
 以下に彼等の作品を幾つかご紹介する。

[19]藤井達吉現代美術館外観1

[20]同上2
                  
[21]同美術館受付横の本展看板&藤井達吉像の横にて

[22]本展leaflet
                  
[23]ペーダー・セヴェリン・クロヤ―(Peder Severin Kreyer(1851-1909))『スケーエンの南海岸の画家たち』1882年

[24]アンナ・アンカー(Anna Ancher(1859-1935))『明かりのついたランプの前の若い娘』1887年
                  
[25]Peder Severin Kreyer『マリー・クロヤ―の肖像』1889年

[26]同『ばら』1893年
                  
[27]Marie Kreyer『縫い物をする少女のいる室内』制作年不詳

[28]Peder Severin Kreyer『浜辺の白いボート、明るい夏の夕べ』
            
[29]Michael Ancher(1849-1927)『海辺の散歩』1896年

16時10分 同館発
17時45分 拙宅着

【小生comment】
 Denmarkの近代美術を代表するSkagen派の絵画は、作風としてはFranceの自然主義と同根と言っていいが、同時代のFrance印象派・ポスト印象派とは矢張り違った魅力を感じる。
 皆さんは、どう感じましたか?

【後記】今日もお別れは【時習26回3-7の会/クラス会】について、念の為に「開催要領」をこの《会報》にてもお示しする。
 現状、参加表明者は、是迄の処、小生を含め3人の儘である。
 一方、欠席表明者も5人と変わらない。

  ※ 時習26回3-7の会/クラス会 開催要領 ※
1. 開催日時:2017年08月12日(土) 18時00分~20時30分
2. 開催会場:King’s Kitchen
  http://www.kingskitchen.jp/
 住所:豊橋市駅前大通り1丁目61
 ℡ 0532-53-1147
3. 会費 : 5,000円〔@3,000円+Free Drink@2,000円〕(税・サ込)

 ※ ※ ※ ※ ※

 では、また‥〔了〕
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2017年7月23日日曜日

【時習26回3−7の会 0662】〜「松尾芭蕉『猿蓑』から〔巻之二〕『夏』〔第2回〕」「072月8日:愛知県芸術劇場大hall『イングリッシュ・ナショナル・バレエ「コッペリア」』を見て聴いて」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0662】をお送りします。
 先ず最初にお届けするのは、前《会報》に引き続き松尾芭蕉の『猿蓑』についてである。
 早速ご紹介したい。

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之二〕『夏』〔第2回〕】

 猿蓑集 巻之二     夏

五月三日、わたまし(注1)せる家にて
33屋(や)ね葺(ふき)と並(ならん)でふける菖蒲(しょうぶ)哉(かな)  其角
【意】前詞の「わたまし」というのは「転居」のこと。【前書】にある通り、此処に登場する人物は、端午の節句の前の三日に引越しをした / 処が、新居の屋根がまだ噴き終えてなかったのである / 引越後2日経った五月五日には「端午の節句」となったので、此の節句の行事である菖蒲葺きを、屋根葺きと一緒に行った
【季語】菖蒲ふく:夏
【解説】「五月三日、わたまし(注1)せる家にて」の【前書】がある / 此の句に登場する人物は、意識的に「物語風」に語られている
(注1) わたまし(移徙・渡座):御移転・御転居 / 当初、貴人が移転することの尊敬語 / 後に敬意を失い、単に「転居・移転」を意味する言葉となった

34粽(ちまき)結(ゆ)ふかた手にはさむ額髪(ひたひがみ)(注1)  芭蕉
【意】粽を一所懸命作っている女性には、前髪のずれてくるのが気になるので耳の後ろに髪を差し挟んでいる‥そんな様(さま)は女性らしくて美しく感じられることだ
【解説】元禄04年夏、芭蕉が「『猿蓑』に「物語」の句が少ないというのでこの句を入れた」と『去来抄』にある /『源氏物語』に登場する女房が粽(ちまき)をテキパキと作っている甲斐甲斐しい女性像を想像して詠んだものとされる
(注1)額髪(ひたひがみ):前髪で二つに分けて左右の頬(ほお)の辺りに垂らし、肩の辺りで切り揃えたもの〔源氏物語「総角(あげまき)」〕

35隈篠(くまざさ)の廣葉(ひろば)うるはし餅粽(もちちまき)  江戸 岩翁
【意】粽(ちまき)を包むクマザサの大きな葉は緑色で美しく香りもいい
【解説】―

36さびしさに客人(まらうど)やとふまつり哉(かな)  尚白
【意】誰も来てくれない祭りの日 / 寂しいので他家の客に来て貰い一緒に一杯やっている
【解説】―

  五月六日大坂うち死の遠忌を弔ひて
37大坂や見ぬよの夏の五十年(ごじゅうねん)  伊賀 蝉吟
【意】大阪夏の陣で亡くなられた祖父の50回忌法要が営まれたが、見たこともない人なのだ祖父は‥
【解説】「五十年」は五十年忌 / 蝉吟の祖父 藤堂良勝は大坂夏の陣で徳川方の武将として参陣したが、慶長20(1615)年05月06日に戦死した / 蝉吟は祖父を知らない / だから、「見ぬ世の人」

奥刕(=奥州)高館(たかだち)(注1)にて
38夏草や兵(つはもの)共(ども)がゆめの跡  芭蕉
【意】夏草が茂る義経ゆかりの高館の跡に立っていると、義経主従が儚く討死したその頃のことを想像して思い浮かべて仕舞う
【解説】元禄02年05月13日(1689年06月29日) 平泉での作 / 義経主従は藤原泰衡の軍勢に責められ全員討死した / その古戦場の跡に立ち回顧して詠んだ句
(注1)高館:義経の館

39這(はひ)出(いで)よかひ屋(注1)が下の蟾(ひき)の聲(こゑ)  同
【意】此処、清風亭は紅花摘みや養蚕がいま正に多忙な時期だ / 其処にのんびり訪れた自分には、「蟇蛙(ヒキガエル)よ出ておいで、お前が丁度よい話し相手だ」よ
【解説】元禄02年05月17~27日迄出羽国尾去沢の鈴木清風亭に泊した、その時の作
(注1) かひ屋:養蚕室 / 芭蕉は「かひや」を「飼屋」と捉えて詠んでいる

  此境はひわたるほどゝいへるもこゝの事にや
40かたつぶり角ふりわけよ須广明石  同
【意】蝸牛(カタツムリ)の二本の角よ、須磨と明石は「這ひわたる」程の近距離だから、お前の角で片方は須磨、もう片方は明石を指し示してみてくれよ
【解説】『笈の小文』には収録されていないが、その紀行中に詠んだ句 / 須磨と明石はいずれも風光明媚の地、「その両方の景勝地を確り振り分けて見せてくれ」と戯れて詠んだ句

41五月雨(さみだれ)に家ふり捨(すて)てなめくじり  凡兆
【意】ナメクジが五月雨の雨の中を元気に這っている / 蝸牛(カタツムリ)が殻(=家)を振り払い捨てて自由になったナメクジが‥
【解説】―

42ひね麥(むぎ)(注1)の味なき空や五月雨(さつきあめ)  木節
【意】新麦の収穫時期である五月雨の季節‥、この五月雨が降る日にひね麦(=古麦)を食べると流石に不味い味だ
【解説】―
(注1) ひね麦:古麦のこと

43馬士(うまかた)の謂(いひ)次第(しだい)なりさつき雨  史邦
【意】五月雨(=梅雨)の季節の雨の日に旅に出る際、馬を頼むと、運賃などは馬方(うまかた)の言いなりになって仕舞うことだ
【解説】―

奥刕(=奥州)名取の郡に入(いり)て、中将実方の塚はいづくにやと尋(たずね)侍れば、道より一里半ばかり左リの方、笠嶋といふ處に有(ある)とをしゆ(=ふ)。

  ふりつゞきたる五月雨いとわりなく打(うち)過(すぎ)るに
44笠嶋やいづこ五月(さつき)のぬかり道  芭蕉
【意】藤中将実方の塚は何方だろうかと見やるだけで通り過ぎて仕舞うのは甚だ残念だが、このぬかり道ではやむを得まい
【解説】元禄02年05月04日(1689年06月20日) / 此の日のことを、曾良が旅日記で次の様に記している
 四日 雨少止。辰の尅、白石ヲ立。折々日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。(以下略)
 午前0 8時頃、白石出発 / 小雨もこの頃には止み、薄日も射し始めた / 岩沼で竹駒神社参詣 (以下略した処を現代訳して記す)
 その別当 真言宗寶窟山竹駒寺の後に武隈の松がある。竹垣で囲ってある。その辺りを見物。
 笠島は少し遠いというので見ずに通過。名取川を渡り、仙台の南となる長町・若林川を渡り、夕方仙台に到着。
 この夜は、仙台・国分町大崎庄左衛門宅に宿泊。
猶、『奥の細道』では、「笠嶋【は】いづこさ月(さつき)のぬかり道」と掲載されている

 大和紀伊のさかひはてなし坂(注1)にて、往来の順礼をとゞめて奉加すゝめけ れば、料足(注2)つゞくり(注3)つゝみたる紙のはしに書つけ侍る
45つゞくり(注2)もはてなし坂や五月雨(さつきあめ)  去来
【意】幾ら道普請をしても、この五月雨では文字通り「はてなし(=果てしない)坂」だ
【解説】元禄03(1690)年夏、叔母 田上尼と共に熊野巡礼に出た折の吟と伝わる
(注1) はてなし坂:大和吉野郡南十津川村果無山に通じる坂道 / 熊野神社本宮への道 /「果てしがない」意味にも言いかけた
(注2) 料足:銭
(注3) つゞくり:道普請(=道路工事)

46髪剃(かみそり)や一夜(いちや)に金情(さび)(注1)て五月雨(さつきあめ)  凡兆
【意】五月雨(=梅雨)の季節は、五月雨が降れば、剃刀は一夜で錆びて仕舞う
【解説】―
(注1) 金情(さび)て:「金精て」の誤字

47日の道(注1)や葵傾くさ月あめ  芭蕉
【意】五月雨が降っている / そんな雨降りの中、太陽は出ていないが、葵の花が太陽の方向を向いて咲いている
【解説】正確には、此処でいう「葵」が「向日葵(ヒマワリ)」か「蜀葵(タチアオイ)」か不明だが、江戸時代の元禄期では恐らく「蜀葵」を指しているものをみられる
(注1) 日の道:太陽の通る道=黄道

48縫物(ぬひもの)や着(き)もせでよごす五月雨(さつきあめ)  羽紅
【意】何もかも黴(かび)て仕舞(しま)う五月雨の季節 / 仕舞って置いた着物が黴て汚れて仕舞った
【解説】―

七十余の老醫みまかりけるに、弟子共こぞりてなくまゝ、予にいたみの句乞ひける。
  その老醫(注1)いまそかり(注2)し時も、さらに見しれる人にあらざりければ、哀にもおもひよらずして、「古来まれなる年にこそ」といへど、とかくゆるさゞりければ
49六尺(ろくしゃく)(注3)も力(ちから)おとしや五月(さつき)あめ  其角
【意】やゝ不謹慎な話だが、老医が亡くなり、彼専属の駕籠かき(=「六尺」)はさぞかし肩を落としているだろうなぁ、五月雨が駕籠かきたちの心情を代弁している様だ
【解説】70余歳で亡くなった老医を存命中も存じ上げなかったので、老医への手向けの句を依頼されたことを断り切れなかったの詠んだ、とある
  此処でいう「六尺」は、此の医者を生前乗せていた駕篭かきのこと /「【七】十」余と「【六】尺」と「【五】月雨」と数字を並べた語呂合せが面白い
(注1) 老医:『五元集』に「村田忠庵が事也」と注記する
(注2) いまそかり(=在(いま)すがり):「あり」「居る」の尊敬語
(注3) 六尺:老医お抱えの駕籠かき

50百姓(ひゃくしゃう)も麥(むぎ)に取(とり)つく(注1)茶摘(ちゃつみ) (注2)哥(うた)  去来
【意】夏の農作業である「茶摘み」の歌が聞こえて来る中、百姓たちの麦刈りも始まった
【解説】「茶摘」の次は農民たちに拠る「麦刈り」だ / 農作業にも季節の着実な移ろいがあることだ、と作者は詠んでいる
(注1) 麥に取つく:麦刈りに取り掛かる
(注2) 茶摘:夏の季語

51しがらき(注1)や茶山(ちゃやま)しり行(ゆく) (注2)夫婦(ふうふ)づれ  正秀
【意】此処信楽の地は、信楽茶で知られる‥その茶摘みに出掛ける夫婦ずれを見かけた
【解説】―
(注1) しがらき:滋賀県甲賀郡信楽町 / 此処は焼き物「信楽焼」の名産地
(注2) 茶山(ちゃやま)しり行(ゆく):少し隔たった所に茶摘みに出かけるの意

52つかみ合(あふ)子共(こども)のたけや麥畠(むぎばたけ)  膳所 游力
【意】子供達が麦畑でけんかをしている / 子供らの背丈と丁度同じ位の為、争っている子供らの頭が見え隠れする
【解説】この句は、『嵯峨日記』に所収の作

  孫を愛して
53麥藁(むぎわら)の家してやらん雨蛙(あまがえる)  智月
【意】雨蛙(アマガエル)に麦わらの家を作ってやろう
【解説】アマガエルと孫とを同じ目線で見ることで孫への愛情を表現している

54麥(むぎ)出來(でき)て鰹(かつを)迄喰(く)ふ山家(やまが)哉(かな)  江戸 花紅
【意】よほど麦の出来栄(ば)えが良かったので、この山里の農家では、高価な鰹を食べている
【解説】作者花紅(かこう)は江戸の人だが詳細不詳 / 当時も初鰹が高価だった為、こういう表現になった / 山家:山中や山里にある(農)家

  しら川の関こえて
55風流のはじめや奥の田植うた  芭蕉
【意】みちのくに入って耳にする田植歌は、俳諧風流の神髄だ
【解説】元禄02年04月22日(1689年06月09日) 芭蕉は矢吹から福島県須賀川市へ / 相良等躬宅へ
 此処で早速、「風流の初めや奥の田植歌」に始まる芭蕉・曾良・等躬の三吟歌仙

出羽の最上を過(すぎ)て
56眉掃(まゆはき)を面影(おもかげ)にして紅粉(べに)の花  芭蕉
【意】尾花沢の名産である紅の花を見ていると、女性が化粧につかう眉掃きを想像させる艶(あで)やかさを感じる
【解説】尾花沢は紅花の特産地 / 紅の顔料は都に出て京紅となって女性の心を楽しませてくれる / この家の主人鈴木清風はその紅花の流通を生業としていた

法隆寺開帳 南無佛の太子を拝す
57御袴(おはかま)のはづれなつかし紅粉(べに)の花  千那
【意】太子は袴をはかれているが、その裾(すそ)が微(かす)かに紅が赤く残っている / その紅色は紅花の赤か‥
【解説】法隆寺の「南無佛太子像」をその御開帳で見て詠んだ句

58田(た)の畝(うね)の豆(まめ)つたひ行(ゆく)螢(ほたる)かな  伊賀 万乎
【意】蛍が、田の(‥畦道に植えてある大豆の枝豆を食べたくて‥)畦伝いに飛んでいる
【解説】「畝」は「畦」の誤記か / 農家では、当時からよく田の畦道に大豆を植えていた / この句は芸術的にも深みがない駄作か‥

膳所曲水之樓にて
59螢火(ほたるび)や吹とばされて鳰(にほ)のやみ  去来
【意】蛍が飛び交っていた湖の湖面に風が出てきた。すると蛍は一斉に何処かに消えて漆黒の闇の湖となった
【解説】「鳰」は、此処では「鳰の湖」=「琵琶湖」を指す

  勢田の螢見二句
60闇(やみ)の夜(よ)や子共(こども)泣(なき)出(だ)す螢(ほたる)ぶね  凡兆
【意】蛍見物の蛍舟では、大人たちは酒を入って上機嫌だが、闇夜の怖い子供たちはただ泣き出すばかり / 賑やかなことだ
【解説】次の芭蕉の作品と共に元禄03(1690)年の作 / 瀬田川の蛍見物の蛍舟での模様

61ほたる見や船頭酔ておぼつかな  芭蕉
【意】瀬田川に映る蛍の光の美しさはたとえようもないが、船頭が酔って船が揺れるのはなんとも覚束ない
【解説】蛍見舟の賑やかさと楽しさが弾(はず)んで伝わってくる句

  三熊野(注1)へ詣ける時
62螢火(ほたるび)やこゝおそろしき八鬼尾谷(やきおだに) (注2)  長崎 田上尼(注3)
【意】八鬼尾谷に蛍が飛び交うのを見ると、これは鬼火かと思れて身の毛もよだつ
【解説】「八鬼尾谷」は熊野神社に至る「無終山(はてなしやま)」にある谷
(注1) 三熊野:本宮・新宮・那智の熊野三社をいう
(注2) 八鬼尾谷(やきおだに):錦江『七部通旨』に「八鬼山は紀州おわし(尾鷲)より三木へ超ゆる峠にて、登り五十丁、下り三十八丁、峠に日輪寺といふ寺あり、麓に入うみあり甚嶮路なるよし」とある
(注3) 田上尼(たがみのあま):長崎郊外田上の別業に住む / 去来の弟 利文(俳号:牡年)の養母で去来の叔母に当たる / 享保04(1719)年没(享年75歳) /『続有磯海』に、「熊野に設ける比八鬼尾谷といふ処にふりこまれて」と前書した「逗留のまどに落るや栗の花」という去来の句が見える

63あながちに鵜(う)とせりあはぬかもめ哉(かな)  尚白
【意】鴎(カモメ)は、魚を獲るが、自分より欲深な鵜とは競り合わない様だ
【解説】あながち(=強ち):強引である様 / 此の句は、何処か意味深長な句 / 尚白には角逐問題があったか‥

64草むらや百合(ゆり)は中々はなの貌(かほ)  半残
【意】草叢に百合(ユリ)の花が咲いているが、凛としていて中々のものである

【小生comment】
 芭蕉俳諧の集大成とも言える『猿蓑』の〔巻之二『夏』〕の〔第2回〕目の、今回は第33~64句迄をご紹介したが、如何でしたか?
 芭蕉の作品は、『奥の細道』や『嵯峨日記』に出て来る作品を含めいずれも傑作だが、彼や蕉門十哲以外の作品には、秀作と言えない句も幾つかあった。
 皆さんは、ご覧になってどう感じられましたか?
 次号では、〔巻之二『夏』〕の〔第3(最終)回〕をご紹介するので、お楽しみに!

■さて次の話題は、昨日07月20日 After 5 に訪れた愛知県芸術劇場大 hallにて開演された、「イングリッシュ・ナショナル・バレエ『コッペリア」」についてである。
 本作品の作曲者 クレマン・フィリベール・レオ・ドリーブ(1836-91)は、バレエ音楽や歌劇で知られるFrance ロマン派の作曲家で、「France ballet音楽の父」と呼ばれる。
 彼の作風は、迫力・壮大とは無縁の、優美で繊細な舞台音楽が真骨頂。
 だから、見ていて、「聴衆の多くが知っている甘美な名曲に酔い乍ら、美しいballetを見て楽しいひとときを過ごす」至福のひとときを心ゆくまで堪能出来た。

[01]愛知県芸術劇場大hall入口の『コッペリア』の案内看板の前にて

[02]本演奏会のキャスト一覧
                  
[03]『コッペリア』programより1

[04] 同上2
                  
 【後記】【時習26回3-7の会/クラス会】について、念の為に「開催要領」をこの《会報》にてもお示しする。
 現状、参加表明者は、小生を含め3人。
 一方、欠席表明者も5人と少なく、最終的には、6人前後位(←予約人数は8人)を予想している。
 だから、参加者に話題が散漫にならず、美味しい食事と共に楽しいひとときを過ごせることをお約束出来ます。

  ※ 時習26回3-7の会/クラス会 開催要領 ※

1. 開催日時:2017年08月12日(土) 18時00分~20時30分
2. 開催会場:King’s Kitchen
  http://www.kingskitchen.jp/
 住所:豊橋市駅前大通り1丁目61
 ℡ 0532-53-1147
3. 会費 : 5,000円〔@3,000円+Free Drink@2,000円〕(税・サ込)

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 では、また‥〔了〕
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