2017年3月17日金曜日

【時習26回3-7の会 0644】~「03月15日:寺島実郎 講演会『日本経済の展望と世界の動向』& 名古屋市美術館『アドルフ・ヴェルフリ』展 & 愛知県芸術劇場concert hall『成田達輝(Vn.) Solo/ペトル・アルトリヒテル指揮/プラハ交響楽団演奏会』を見聴きして」「佐治晴夫著『宇宙が教える人生の方程式』& 樺沢紫苑『脳を最適化すれば能力は2倍になる ~ 7. エンドルフィン仕事術‥「脳内麻薬」を味方につける究極の仕事術』」「03月16日:時習26回生ミニミニ同期会開催報告』」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0644】お送りします。
 今日最初にお届けするのは、一昨日の03月15日(水) 名古屋市のホテルグランコート名古屋にて開催された寺島実郎後援会『日本経済の展望と世界の動向』が開催された。
 寺島氏は、このthemeで講演する際は、毎回 最新のdataを纏めた〔資料集〕を基に説明してくれる。
 今回も、「寺島実郎の時代認識と提言/〔資料集〕2017年 春号」を聴講者全員に配布して色々と解説してくれた。
 その中から、興味深かったことを4点以下にご紹介する。

 1. 米国トランプ大統領は、「保護主義」を前面に出しているが、これは金融以外の分野での話。
 
  金融の分野は「規制緩和」を打ち出している。
  因みに、トランプ政権の財務長官 スティーブン・ムニューチン氏は元ゴールドマンサックス partner。
  国家経済会議(NEC)委員長 ゲーリー・コーン氏もゴールドマンサッククス 社長兼COO。
  従って、現在、金融以外分野での「保護主義」と金融分野での「規制緩和」が併存した格好で政権がstartしたが、この矛盾がいつ顕在化するか、が注目点。 
2. 歴史は繰り返される ‥ 米国トランプ大統領の登場が、1980年代のレーガン大統領の登場とオーバーラップする。
  トランプとレーガン、両大統領が登場した時代背景を比較すると大変興味深い。
  即ち、「ベトナム戦争からの米軍撤退→民主党 カーター大統領→共和党 レーガン大統領登場とその背後に英国サッチャー首相が存在」
  今回、「イラク戦争からの米軍撤退→民主党 オバマ大統領→共和党 トランプ大統領登場とその背後に英国メイ首相が存在」
   英国 メイ首相は優秀で強かな女性だ
3. 日本も中間層が没落している。
  日本の勤労者世帯可処分所得は1997年49.7万円/月をpeakに2011年 bottom の42.0万円/月迄下がった。
  その後2016年 アベノミクスで漸く42.9万円/月迄回復しているものの、1997年対比20年経って80万円/年 所得が減っている
  一人当たりGDPも、2015年現在、日本は3.2万ドルで、マカオ7.1万ドル、シンガポール5.3万ドル、香港4.2万ドルの後塵を拝している。

[01]寺島実郎の時代認識と提言〔資料集〕2017年 春号 表紙

【小生comment】
 経済指標を見ると、2017年は米国・EU・中国・ASEANのいずれも堅調推移が見込まれ、日本も景気は弱含みを残すものの回復基調にある。
 明るい一年であって欲しいものである。

■続いての話題は、寺島実郎後援会の後、向かったのが名古屋市美術館。現在開催中の『アドルフ・ヴェルフリ』展。
 以下に、本展leafletより一部引用して本企画展『アドルフ・ヴェルフリ』についてご紹介する。
 アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Woelfli(1864-1930))は、最も有名な アウトサイダー・アートOutsider art (注)の芸術家の一人。
 (注)Outsider art :西洋の芸術の伝統的な訓練を受けていない人が制作した作品のうち、art として扱われているもの。
 Outsider artは、仏語では アール・ブリュット( art brut (=生の芸術))と言う。
 ジャン・フォートリエ( Jean Fautrier (1898.05.16-1964.07.21)等と共にアンフォルメル(仏語:Art informel (非定型の芸術))の中心画家 デュビュッフェ( Jean Dubuffet (1901-85))が提唱した言葉。
 Woelfli は、outsider art の画家として世界的に高い評価を受けている。
 彼は、SwissのBern近郊の貧しい家に生まれ、1895年(31歳)にヴァルダウ精神病院に入院し、没する1930年(66歳)迄の後半生をこの病院で過ごした。
 病院内で Woelfli は「揺りかごから墓場まで」と題する壮大な自叙伝を制作。
 これは、欧州からAsia、南北Americaの科学的探究に始まり、神々との結婚と聖アドルフ王国の設立、空想上の惑星への旅行へと拡大する Woelfli 独自の世界観を45巻25千頁に亘り表したもの。
 本展は、Woelfli の主要作品の殆どを収蔵する Bern の Adolf Woelfli 財団の全面的な協力に拠り Woelfli の画業を回顧する日本初の大規模個展。
 Surrealism の画家達の注目を集め、多くの芸術家に影響を与えて来た Woelfli 作品の神髄をご覧頂ける絶好の機会である。

[02]名古屋市美術館入口の本展看板
                  
[03]本企画展会場入口内部に掲示された本展看板〔写真撮影OK〕

[04]本展leaflet
                  
[05]ヴェルフリ『デンマークの島 グリーンランドの南=端』1910年〔『揺りかごから墓場まで』第4冊187-188頁〕

[06]ヴェルフリ『バント〔帯〕=ヴァント〔壁〕の中の聖ヴァンダナ=大聖堂』1910年〔『揺りかごから墓場まで』第4冊205-206頁〕
                  
[07]ヴェルフリ『ネゲルハル〔黒人の響き〕』1911年〔『揺りかごから墓場まで』第4冊397-398頁〕

[08]ヴェルフリ『氷湖の=ハル〔響き〕. 巨大=都市』1911年〔『揺りかごから墓場まで』第4冊425-426頁〕
                  
[09]服部正著『アウトサイダー・アート』現代美術が忘れた「芸術」

 兵庫県率美術館学芸員の服部正氏は、著書『アウトサイダーアート』の中で、Woelfli について次の様に紹介している。
 Woelfli の作品の大部分は、outsider artの為の美術館ではなく、クレー(Klee)の代表作を所蔵していることで有名なSwissの Bern 美術館bに収蔵され、専用の展示space も与えられている。
 Woelfli の作品を最初に紹介したのは、彼が収容されていたヴァルダウ精神病院に勤務する精神科医ヴァルター・モルゲンターラー(Walter Morgenthaler(1882-1965))だ。
 Morgenthalerは、1908-10年は助手として、1913-19年迄は医長としてヴァルダウ精神病院に勤務し、Woelfli の作品を評価して Woelfli を芸術家として紹介していった。〔後略〕〔P.197-198〕

【小生comment】
 確かに Woelfli の作品は、一つひとつ丁寧に書かれており、彼なりの秩序だった世界観を構築しており、精緻な絵に驚かされる。

■続いては、同じく03月15日 愛知県芸術劇場concert hall にて開催された『成田達輝(Vn.) Solo/ペトル・アルトリヒテル指揮/プラハ交響楽団演奏会』を聴いて来たのでその模様についてお伝えする。
 プラハ交響楽団は、1934年創設以来、ヴァーツラフ・スメターチェク(=1942年より30年に亘り首席指揮者)に拠って一流の楽団に育て上げられて行った。
 今回指揮棒を振るペトル・アルトリヒテル(1951-(チェコの南東部モラヴィア(Moravia)生まれ))は、1990-92年、首席指揮者を担当。
 Violinist 成田達輝(なりた たつき(1992.03.05- ))は、2010年 Paris国立高等音楽院入学/2012年05月 同校在学中にエリザベート王妃国際音楽コンクール第2位。
 使用violin:1711年製 Stradivarius “Tartini” / 1728年製 ガルネリ・デル・ジェス

[10]本演奏会leaflet
                  
[11]本演奏会 演奏曲目一覧

[12]encore曲2曲の掲示板
                  
【小生comment】

 Tchaikovsky 作曲 Violin Concerto In D Major Op.35 は見事な演奏だった。
 演奏後のencore曲は、Paganini 作曲 24のカプリース第1番 ホ長調も抜群の技量で聴衆を魅了した。
 後半のペトル・アルトリヒテルとプラハ交響楽団の演奏に拠る、Smetana 作曲 連作交響詩「わが祖国」から第1番~第3番の3曲。
「第1曲:高い城(ヴィシェフラド)」「第2曲:モルダウ(ヴァルタヴァ(Vltava))」「第3曲:シャールカ」
 作曲家は、チェコ(=当時はオーストリア帝国領)の国民楽派の先駆者とされるSmetana(1824-84)。
 彼等と同じ国の作曲家の作品ということもあり、とても上手な演奏だった。
 因みに、シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、またチェコの伝説に登場する自分を失恋させた男への復讐する女の名。
 Orchestraのencore曲は、ドヴォルザーク作曲 スラブ舞曲 第15番 ハ長調 Op.72-7。
 20分間の休憩を挟んで、19時00分~20時50分迄の至福のひとときを過ごすことが出来た。

■続いての話題は、最近読んだ「佐治晴夫著『宇宙が教える人生の方程式』についてである。
 本書の作者 佐治晴夫(1935- )氏は、理論物理学者で理学博士。
 丘のまち・美瑛・美宙(MISORA)天文台台長。
 東京大学物性研究所、玉川大学教授、県立宮城大学教授を経て2004-13年迄 鈴鹿短期大学学長。
 量子論に基づく宇宙創生理論に関わる「ゆらぎ」研究の第一人者。
 本書から興味深いessayのいくつかを抜粋して以下にご紹介する。

 第一章/私たちは「星のかけら」でできている
 恋の80%はH2O〔P.12〕
 ※ 私たちは時間の経過と共に、成長し、老いていく
  しかし、年を重ねるということは、身体や頭の動きが衰えるという面だけでなく、多くのの経験を重ねることでもあり、直観力はより鋭くなっていく
   総合的に考えれば、人間の一生には全盛期も衰退期もない
   室町時代の能の大成者、世阿弥が言っている「時分(じぶん)の花」、つまり、夫々の年代に夫々の良さがあるということだろう
   芭蕉の名句「草いろいろ おのおの花の 手柄から」を思い出す / 全ての花は、その時期を最善のものとして咲き誇っているのである
   私たちの人生も、「今さら」を「今から」に置き換えると「人生が変わる」
 落ち葉に学ぶ相対性理論〔P.16〕〔中略〕
 星の奥にも星がある / 人の力も無限の広がり〔P.21〕
 原子も人生も、ゆらぎ乍ら保たれている〔P.26〕
 ※ 原子の世界はいつも「ゆらぎ」乍ら保たれている / 人生も同じ / 考えることは「ゆらぐ」こと / 迷うことは生きること / 自然も生き物も「ゆらぐ」ことに拠って進化して来た
 核より怖い小天体の落下〔P.30〕
 ※ 全世界では今、昼夜を分かたず、地球への接近天体を監視している / 国内では岡山県にある美星space guard center である
  2036年04月13日には、もし衝突すれば広島型原爆数千個分のenergyで、日本列島の太平洋側を高さ100mの津波が覆い尽くすだろうと予想される小惑星アポフィスが接近する
  今の処、それに先立つ2029年に地表面から高度3万km(地球と月の間の距離の凡そ12分の1)迄近づき、其処で地球の引力の影響で軌道がずれ、衝突は免れるだろうとの予想である
  ★ 皆で協力し合い、人類存亡の最大の危機を乗り切ろう!★
 第二章/人・自然・宇宙、全ては関わり合い相互依存である
 宇宙の中にいる、「見えない」もう一人の私〔P.36〕
 「88」という不思議な数〔P.40〕
 ※ 楽器の王者piano の鍵盤の数は88鍵 / 現在、世界で制定されている 星座の数も88 / お寺の八十八カ所巡り / 88歳を祝う米寿
 πはなんでも知っている〔P.45〕〔中略〕
 第三章/宇宙から生まれ、宇宙に帰る
  〔中略〕戦いは、脳の進化が齎す負の産物〔P.97〕〔中略〕
 死は「自分で自分の顔を見られない」に似ている〔P.112〕
 現代の宇宙論から言えば、全ては光から生まれ、生命の素は星の輝きの中で合成され、その星が超新星爆発という形で終焉を迎えることに拠って、地球や私たちが誕生した
  私たちは、今、その大いなる宇宙絵巻の中の1頁を生きている
  ウィーン郊外、聖マルクス墓地の一角で見かけた碑文を思い出す
  「現世での辛い別れのひとときは来世での平和な永遠の再会への入口である」
 ★ 死と生はワンセット / 死者との別れは、宇宙時間での再会の入口 ★
 3×2 と 2×3 で違う、原因と結果〔P.117〕〔中略〕
 第四章/真昼の星を見る
 〔中略〕因数分解の発想に学ぶ生き方のコツ〔P.166〕
 ※ 二人の人の意見が合わない場合、共通点が何処にあるのかを探す努力をして、一挙に解決に向かうことがある
  つまり、違った立場、流儀の間に共通項を見つける作業は、数学で言う「因数分解」そのものの発想である
  因数分解の面白さは、元々の式に、余分な項目に加減減算することで全体の式は変えずに、綺麗に分解する処にある
  二人の人が、自らの心の安泰を達成する為に、譲り合う、或いは、自分と相手の立場を入れ替えるということが、真数分解の technic に相当する
  数学の解法の中にも、生き方の教訓がある
  「ない」のではなく、「見えない」だけ〔P.171〕
  ※ 最近の研究成果から言えば、宇宙の凡そ96%は見えないものから出来ている / ダークマター、ダークエネルギーと呼ばれるものだ
 これ等見えないものの存在は、見えない風が頬に当たる感触や木の葉が揺れる光景から推測される様に、見えるものの振る舞いが見えないものの存在を教えてくれるからだ
 全ては、互いに関わり合っているということである
 ※ 頬の感触で 見えない風が見える様に、見えるものが見えないものを見せてくれる ★

[13]佐治晴夫著『宇宙が教える人生の方程式』

【小生comment】
 宇宙の原理・事象が我々の人生の生き方を教えてくれる。
 なかなか面白い本である。

■さて、今日最後の話題は、是迄6回続けて《会報》にてご紹介して来た、樺沢紫苑著『脳を最適化すれば能力は2倍になる』の7回seriesの今日はその第7回〔最終回〕《7. エンドルフィン仕事術‥「脳内麻薬」を味方につける究極の仕事術》である。

 以下、本文から5つ引用してご紹介する。

【「極限状況」で power を得る./格闘技選手が、痛みを顔に出さない本当の理由】
 興奮状態で「adrenaline」が分泌されることは既に述べた通り、adrenaline にも鎮痛作用はあるが、骨折等の激痛を抑える程ではない。
 Endorphin は、強力な鎮痛作用を持つ「脳内物資」で、大きな stress がかかった時に分泌され、「モルヒネ」の6.5倍もの鎮痛作用を持つ。
 Stress に反応して脳下垂体より分泌した endorphin は、大脳皮質・視床・脊髄等に分布する「オピオイド受容体( Opioid Receptor )」に結合し、鎮痛作用の他、胃腸運動の減少、縮瞳、多幸感、徐脈、神経伝達物質の抑制作用等の機能を担う。猶、endorphin には「α」「β」「γ」の3種類ある。〔P.288-291〕
 Runners High は、running の苦しい状況が、endorphin 効果に拠り、その苦しさが軽減され、やがて多幸感に包まれる状態を言う。〔P.293〕

【「静かな癒し物質」としての endorphin 】

 「心と身体が relax した状態で、脳のα波が出易くなる」→「α派が出ると、endorphin が分泌される」
 Endorphin は、「過度の stress 状態には、それを緩和させる為に分泌する」一方、「心穏やかな relax した状態でも分泌する」、全く正反対の状況で分泌されるも、目的は同じ。
 Endorphin は、幸せ感を与えてくれ、「脳を休め」、「注意・集中力」「記憶力」「創造性」等、多くの脳機能を高めてくれる。
 瞑想や座禅をすると、綺麗なα波が出る。心は平静で静まり返った状態乍ら、集中力や注意力は高まり意識が研ぎ澄まされ、時に素晴らしい idea が生まれたりする。
 これが endorphin に拠る癒し効果と脳の活性化効果が得られた状態、と言える。〔P.297-298〕
 具体的にはα波は、以下の様な場面で出る。

 ・Classic音楽を聴いているとき
 ・好きな音楽を聴いているとき
 ・川のせせらぎを耳にするとき
 ・海や紅葉といった綺麗な風景を見たとき
 ・大好きな美味しい物を食べたとき
 ・風が心地よいとき
 ・キンモクセイ等の aroma のいい香りを嗅いだとき
 ・目を閉じ安静にし、relax しているとき
 ・一つのことに集中しているとき
 ・心の状態が平静なとき
 ・瞑想、ヨガ、座禅をしているとき
 要するに、「癒しの時間」を持つことで、α波が出易くなり、更には endorphin が分泌する訳である。

【「快」刺激で dopamine と endorphin をdouble 分泌!/物理的に「気持ちいい」と思うことも大切 】
 Dopamine と endorphin が一緒に出ると、dopamine 単独の10~20倍の快感・幸福感が得られると言う。〔P.301-302〕

【 Endorphin で「究極の集中力」を手に入れる / Businessmanの理想の《フロー》状態が実現する!】
 凄まじい集中力が発揮されていて、その状態が楽しく深く没入している状態であり乍ら、頭脳は極めて明晰で、その状況や活動を自分で control 出来る状態を《フロー》状態と言う。
 換言すると、Runner’s High に似た快楽的状態=《フロー( flow )》な状態=「流れる様な気持ち良さ」を言う。
 著者の樺沢氏は、この後、「日常的な仕事の場面でフロー( flow )を生む為の準備過程」を8つに纏めた。

  1. 長期目標と短期目標を設定
  2. 今日やるべきことを「To Do list」に落とし込む
  3. To Do list への落とし込みは、可能な限り詳しく
  4. To Do list の各項目に制限時間、又は終了時間の目安を書き込む
  5. 終了したら To Do list を斜線で消して、進捗状況を把握
  6. Challenge精神 を大切にする
  7. 適度な難易度の課題を設定
  8. 仕事に必要な skill を日頃から磨く
 ※ 1~7は、《ドーパミン仕事術》と殆ど同じ / 違うのは、集中力を落とさない為に「次に何をやろう?」と考えずに仕事が出来る様に「To Do list」に次にやるべき仕事を書き込んでおく〔P.311-316〕
【「ありがとう」という気持ちが、あなたを高みに引き上げる /「感謝」は最高の成功法則 / 失敗にまで感謝できれば、更に成功へと加速する 】
 「感謝の心」を持てる人が成功するのか? / それは、「人に感謝すると endorphin が分泌される」から。
 「人に感謝するとき」も、「人から感謝されるとき」も、人間は幸福感を抱く。
 まずは、感謝の気持ちを確りと持ち、笑顔で「喜んで承ります」と言ってみる。
 感謝の気持ちが本物なら、脳内で dopamine やendorphin が出る。
 失敗した時は、失敗に感謝する。「失敗から学べて良かった」と考えられる人は、成功へと大きく加速する。Endorphinを出せるからである。
 Endorphin は synapse の可塑性を高め、synapse の可塑性が高まると信号の通りが良くなり、結果として学習・記憶の効率がupする。
 大きな失敗をした場合、落ち込んでいる暇はない。「失敗は成功の基」と感謝することで、あなたの次の成功確率を大きく高められる。
 この「失敗は成功の基」と positive に考えられる人が最終的に成功する。
 Positive 思考は「Endorphin思考」と言い換えても良い。〔P.317-323〕〔了〕

【小生comment】
 Positive 思考で、「感謝」の気持ちを以て物事に取り組むことの大切さを改めて学んだ。
 本書は、「dopamine」をはじめとする7つの脳内物質について解り易く科学的に説明してくれたので大変勉強になった。

《7. エンドルフィン( endorphin )仕事術/まとめ》
1. 脳内麻薬・endorphin が分泌されると、至福感・恍惚感が出る
2.「α波」が出る様な癒しの時、relaxした時に endorphin は分泌する
3. Endorphin が分泌されると、集中力・想像力・記憶力が高まる
4. Endorphin は究極の癒し物質 / 精神的 stress を解消し、身体を修復し、免疫力を高める
5. Endorphin を出す簡単な方法としては「運動」「激辛料理・油っぽいもの・Chocolate を食べる」「熱い風呂に入る」「鍼治療」等がある
6. 目標は細分化し、行動は ToDo 化しよう / やるべきことを明確化することが flow の状態をつくる
7. 人に感謝する / 人から感謝されると endorphin が分泌される
8. 仕事を頼まれた時は「喜んで」遣る癖をつける / 嫌々遣れば noradrenalin が出て、喜んで遣れば endorphin や dopamine が出る
9. 失敗に感謝しよう / そうすると失敗が経験として蓄積され、次の motivation が湧いてくる

【後記】03月16日、18時半から中嶋Y行君【3-2】の誕生祝を、林K子さん【3-7】と宮下K一君【3-4】と共に祝った。
 豊橋市内の和風フランス料理店にてミニミニ同期会を兼ねて開催した。
 楽しい3時間があっという間に過ぎた。

[14]時習26回生ミニミニ同期会20170316 at King's Kitchen
                  
 では、また‥。〔了〕
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2017年3月10日金曜日

【時習26回3-7の会 0643】~「松尾芭蕉『野ざらし紀行』〔第8回〕【奈良】」「02月28日:豊橋市美術博物館『ハインリヒ・ハイデルスベルガー』展」「03月04日:加藤栄三・東一記念美術館『開館25周年~感謝をこめて~所蔵作品』展 & 三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館『広重・英泉/木曽街道六十九次の旅』展」「嶌信彦著『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』」「樺沢紫苑『脳を最適化すれば能力は2倍になる ~ 6. アセチルコリン仕事術‥「認知機能」と「ひらめき」を高める方法』」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0643】お送りします。
 今日最初にお届けするのは、松尾芭蕉『野ざらし紀行』〔第8回〕【奈良】についてである。
『野ざらし紀行』は、01月29日付【時習26回3-7 0637】にて、松尾芭蕉『野ざらし紀行』〔第7回〕(伊賀上野にて越年)をお届けして以来になる。
 芭蕉は、貞享02(1685)年二月初旬から廿日(新暦03月05日~24日)迄、奈良の東大寺二月堂にて「修二会」を拝した。
 早速御覧頂きたい。

※ 1684(貞享元)年 ※
【済】八月中旬(十一~廿日(新暦1684年9月20~29日頃))‥・江戸深川の草庵を門人千里(ちり(=苗村氏))を伴い、東海道を上方を目指して出立。
【済】八月二十日過ぎ(新暦09月30日過ぎ)‥・小夜中山を越える
【済】八月晦日(新暦10月08日(猶、八月は小の月につき晦日は29日) ‥・伊瀬外宮を参詣
【済】九月八日(新暦10月16日)‥・伊賀上野着、兄半左衛門宅に滞在 ‥・千里の故郷、大和国竹内村千里宅を訪問、吉野山に登る
【済】九月下旬(新暦10月28日~11月06日)‥・今須・山中を経て大垣へ‥谷木因亭に泊す
【済】十月初旬~中旬(新暦11月07日~25日頃)‥・伊勢の多度権現、桑名本統寺を経て熱田へ
【済】十月下旬(新暦11月25日頃~12月06日)‥・名古屋へ赴く、その後再び熱田へ
【済】十二月廿五日(新暦1685年01月29日)‥・伊賀上野に帰り越年

※ 1685(貞享02)年 ※
【今回〔第8回〕】二月(初旬から中旬廿日迄(新暦03月05日~03月24日)) 伊賀より奈良へ、二月堂の行事を拝す
 因みに、東大寺二月堂の修ニ会(しゅにえ(=お水取り))は二月一日~十四日(現在は、新暦03月01~14日に行われる)
 二月下旬(廿一日~晦日(新暦03月25日~04月03日)) 京都鳴滝の三井秋風の山荘に遊ぶ
 三月上旬(朔日~十日(新暦04月04日~13日) 伏見西岸寺に任口上人を訪ねる
 三月中旬(十一日~廿日(新暦04月14日~23日)) 水口の駅で服部土芳に逢い数日滞在、のち名古屋へ向かい熱田の桐葉亭へ
 四月四日(新暦05月06日) 鳴海の下郷知足を訪ねる
 四月五日(新暦05月07日) 熱田へ戻る
 四月九日(新暦05月11日) 再び鳴海へ赴く
 四月十日(新暦05月12日) 鳴海を発ち、江戸へ向かう
 四月下旬(廿一日~晦日(新暦05月23日~06月01日)) 木曾・甲斐を経て江戸へ帰着

《原文》
 奈良に出る道のほど

  春なれや名もなき山の薄霞

 二月堂に籠りて

  水とりや氷の僧の沓(くつ)の音

《現代語訳》
 奈良に出る道の途中にて

【意】もう春なのか‥ / 奈良へ向かう大和路を歩いていと、名もない山に薄霞がかかって実に趣ある風景に見えることだ
【季語】春
【解説】天理本等に「朝霞」とあるのは初案
 「名もなき山」とは前書きから、「ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも」(萬葉集/柿本人麻呂)等と詠まれている「天の香具山」を念頭に置いている

 二月堂に籠って、

【意】奈良・東大寺では修二会が執り行われ、いま当に「お水取り」の儀式が行われている / 厳寒の深夜、堂内を巡る修行僧達の沓の音が確りと聞こえて来る / 森厳な空気に包まれて‥
【季語】水とり:冬
【解説】芭蕉の時代、「水取り」は季語として定着していなかった
 「水取り」は二月一日から十四日迄行われる「修二会」のこと / 七日と十二日の深更、二月堂下の若狭井戸で香水を汲み取る行事
 「氷(こほり)の僧」とは、二月厳寒期に堂に籠った僧侶の姿を象徴的に捉えたもの / 一説には、芭蕉が修行で籠る僧である「籠り(こもり)の僧」を「氷の僧」と聞き間違えたとも‥

《語句》
(注1) 二月堂:奈良東大寺の二月堂 / 旧暦2月1日から14日間「お水取り(修ニ会)」が行われるのでこの名がある
   平重衡に拠る焼き討ち(1180年)、三好・松永の戦(1567年)の2度の戦火には焼け残ったが、寛文07(1667)年、お水取りの最中に焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物
   本尊は、2体の十一面観音像の絶対秘仏である「大観音(おおかんのん)」「小観音(こがんのん)」/ 2005年12月、建物が【国宝】に指定

【小生comment】
 此処の段落は、僅か4行だが、なかなか趣があっていい。
 当地豊橋では、2月11日の「鬼祭り」が終わると、春が遣って来る。
 関西では、東大寺・二月堂の「お水取り(修二会)」が終わると春が到来すると言われている。

■続いての話題は、02月28日(火)の昼休みを使って、現在、豊橋市美術博物館にて開催中の『豊橋・ヴォルフスブルク交流展/FACE THE WORLD in TOYOHASHI/Toyohashi・Wolfsburg Partnerausstellung/ハインリヒ・ハイデルスベルガー』展を見て来たので、その模様について簡単にご紹介する。
 本展は、豊橋市とPartner City 提携を行うヴォルフスブルク市との交流事業。
 2016年06月~10月 Wolfsburg市立美術館にて展覧会 FACE THE WORLD-FERNOST GANZ NAH を開催し、豊橋市所蔵の浮世絵と東松照明の写真を紹介。
 今般、Wolfsburg市を拠点に国際的に活動したハインリヒ・ハイデルスベルガー(Heinrich Heidersberger(1906-2006))の日本初の写真展を開催。
《略歴》
 1906年 ドイツのインゴルシュタットに生まれる
 1928-31年 パリに出て、画家 フェルナン・レジェ(Fernand Leger(1881-1955))の教室にて絵画を学ぶ
 1936年 ベルリンで報道写真家として働く
 1946年 ドイツのブラウンシュヴァイクにスタジオを開く
 1953年 自らが考案した「リズモグラム」を開始
 2003年 Wolfsburg市より名誉市民の称号を授与される
 2006年 Wolfsburg市にて死去(享年100歳)

[01]豊橋市美術博物館 校内の本展banner

[02]本展leaflet
                  
【小生comment】
 Heidersbergerが考案した「リズモグラム」という複数の光線が描く抽象写真画は、斬新で印象深かった。
 Wolfgburg市と言えば、Volks Wagen A. G. 本社がある街。
 Volks Wagen Group Japan の本社が当地豊橋市にある関係で、Wolfsburg市と豊橋との関係は深い。
 Heidersbergerが撮影した写真の中には、VWの車や会社の建物等が何枚か紹介展示されていた。

■続いては、03月04日、愚息の Partnerの実家のある一宮市へ行く機会があり、ついでに岐阜市の岐阜公園内にある、加藤栄三・東一記念美術館にて現在開催中の『開館25周年~感謝をこめて~所蔵作品』展と、名古屋市東区にある、三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館『広重・(渓斎)英泉/木曽街道六十九次の旅』展を見て来たので、その模様についてご紹介する。

【加藤栄三・東一記念美術館『開館25周年~感謝をこめて~所蔵作品』展】
 本展は、副題にある様に、当館会館25周年記念の当館所蔵品展である。
 岐阜出身の著名な日本画家である加藤栄三・東一兄弟の傑作の数々が展示されていた。
 今日は、その中から是迄にご紹介していない絵を3点お示しする。

[03]当館入口にて

[04]加藤栄三『松魚』
                   
[05]加藤栄三『子獅子』1970年

[06]加藤東一『春の息吹』
                  
【三菱東京UFJ銀行 貨幣資料館『広重・(渓斎)英泉/木曽街道六十九次の旅』展】
 現在、当館にて開催中の『広重・(渓斎)英泉/木曽街道六十九次の旅』展は、以前から是非一度見たかった展覧会である。
 「保栄堂版 東海道」と並び、広重の風景版画の代表的series。
 江戸「日本橋」から、「大宮」「高崎」「軽井沢」「諏訪」から木曽路を経て「岐阜」へ、そして「関ケ原」から「大津」へと向かう中山道(木曽街道)の各宿場に取材している。
 69ある宿場に、始点の日本橋と、二版ある中津川の別版を加えた、全71図からなる揃物の展示である。
 作者は、広重と渓斎英泉(けいさい えいせん)とが分担している。
 その事情は複雑だが、「東海道五十三次」を大当たりさせた版元・保栄堂が、渓斎英泉を登用して、天保06(1835)年から刊行し始めた処が頓挫。
 版元が錦樹堂(きんじゅどう)に移った後、広重を登用して再度刊行し完結したと考えられている。全71図のうち、24図が英泉作、47図が広重作。
 当該版画の全てをご覧になりたい方は、以下のURLをclickしてご覧下さい。
 〔以上、本展leafletから引用〕
 
 https://matome.naver.jp/odai/2134571376561747401 〔中山道広重美術館〕
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1306225?tocOpened=1 〔国立国会図書館 digital collection〕

[07]当館入口にて

[08]天正沢瀉(おもだか)大判
                  
[09]和同開珎

[10]皇朝十二銭
                  
[11]本展leaflet

【小生comment】
 天正沢瀉(おもだか)大判は、現存するのは当館のを含めて3枚のみ。
 当館の凄いのは、この「天正沢瀉大判」「和同開珎」「皇朝十二銭」(←添付写真[08][09][10])のいずれもが本物であるということだ。
 広重・渓泉の『木曽街道六十九次』を見て思ったのは、木版画で是程精緻に美しく描く、広重・渓泉の腕の確かさだ。
 江戸末期の浮世絵・版画が、印象派の画家のモネやポスト印象派のゴッホに強い影響を与えているが、広重等日本人の版画家のlevelの高さを思えば至極尤もだ。
※ 貨幣資料室の方は撮影可である〔為念〕

■続いての話題は、最近読んだ、嶌信彦(しま のぶひこ)著『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』について、大変感動的なので本文を序章から一部引用してご紹介する。
 
※ 序章 シルクロードの “日本人伝説”
 1966年04月26日午前05時23分点中央アジア・ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国(=当時はソ連領)の首都タシケント市が、直下型の大地震に襲われた。〔P.11〕〔中略〕
 当時のタシケント市の人口は約200万人弱。民家は日干し煉瓦造りの家屋だっただけに被害は甚大だった。
 後の国連の調査に拠ると約240の政府系建物、700の商店・restaurant 、約180の教育施設、250の工場、約8万の家が崩壊し、約10万人の人々が戸外に放り出された。
 タシケントの街はほぼ全壊したといっても過言でない程だった。
 しかし、〔中略〕何とあのアリシェル・ナボイ劇場は何処一つ崩れることなく、すっくと何事もなかったかの様に悠然と佇んでいた。
タシケントのナボイ劇場は、ビザンチン風三階建て(地下1階)、1400席を持つ壮麗な建物で、旧ソ連時代ではモスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)、キエフのオペラハウスと並び称される四大劇場の一つとされていた。
 ソ連にある約80の劇場の中で最高のボリショイ劇場の称号を持つ7つのうちの1つだった。〔P.14〕〔中略〕
 その「ナボイ劇場」は第二次世界大戦後に満州から連れて来られた日本人捕虜が中心になって建てたものだ。〔中略〕
 捕虜なのに一生懸命に働く日本人から、〔中略〕「将来笑いものになる様な劇場をつくったら日本人の恥だ」という使命感の様な話を聞いたと、一緒に働いていたウズベク人は言った。〔P.15〕
 第二次世界大戦直後の1945年秋から約二年間に亘って捕虜としてそのナボイ劇場の建設に携わったのは、永田行夫(ながた ゆきお)(大尉)隊長以下457人の旧陸軍航空部隊の工兵達が主だった。〔中略〕
 ウズベキスタンで世界でも一流の壮麗なオペラハウスが日本兵に拠って建設された事実は、殆ど知られていない。
 これは、中央アジアでナボイ劇場建設に当たったシルクロードに伝わる実話の日本人伝説である。〔P.16〕

[12]嶌 信彦『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』
                  
[13]永田行夫大尉

[14]ナボイ劇場 外観
                  
[15]ナボイ劇場に掲げられているプレート

 ウズベク共和国にとって、日本は敵国でなかったとして日本兵捕虜を日本国民に直して、彼等がナボイ劇場建設に貢献したことを顕彰している

【小生comment】
 小生、この本を読んで最も感銘を受けたのは、永田行夫という隊長のリーダー・シップの素晴らしさだった。
 永田隊長は、部下の兵士達457人全員を無事に故国に本へ帰還させる為に、組織の長としてどの様に行動(=組織を牽引・収容所との折衝)すれば良いのかを常に考え行動していた。
 組織のトップたる者は、部下達が納得して、組織の目的遂行の為、ベクトルを合わせて行動してくれる様、仕向けなければならない。
 そうするには、上に立つ者は、自らを厳しく律しなければならない。部下達は、上司の一挙手一投足を確りと見ているからだ。
 その部下達から「あの上司を見習わなければ‥」と言わしめる人間的な魅力(=温かさ)と実行力を示さねばならない。
 その永田大尉は、当時24歳という若さだったから驚嘆だ。

■さて、今日最後の話題は、前々々回《会報》から5回続けてご紹介して来た、樺沢紫苑著『脳を最適化すれば能力は2倍になる』の7回seriesの今日はその第6回《6. アセチルコリン仕事術‥「認知機能」と「ひらめき」を高める方法》である。
 今日は、本項目から4つご紹介しよう。
【「取り敢えず」の気持ちが「やる気」を生み出す/「やる気」が出ないなら、取り敢えず始めよう!】
 脳のほぼ真ん中に左右対称に存在するリンゴの種程の小さな部位「側坐核」は「刺激が来た時だけ活動」を始める。
 頑張って無理してでも始めると、そのことが側坐核への刺激となる。
 側坐核が自己興奮して来て、「acetylcholine」が分泌され、どんどん「気分が乗って」来る。
 これが、「やる気が出ないから、取り敢えず始める」が正しい証左。〔P.252-253〕

【30分の昼寝でも、脳は元気を取り戻す】
 日本人を対象にした研究でも、「30分以内の昼寝の習慣がある人は、昼寝の習慣のない人に比べ、Alzheimer 病の発症率が5分の1になる」という結果がある。
 逆に、昼寝が60分を超えると、Alzheimer 病の発症率は2.6倍に高まる。昼寝時間が長くなると、夜に熟睡出来ず、睡眠の rhythm に悪影響を及ぼす為である。〔jP.256-257〕

【idea 力を高める「θ波」を出そう!】
 シータ〔θ〕波は、睡眠に入る時のウトウトした状態、深い瞑想や微睡(まどろみ)の状態で発生する脳波である。
 このθ波は、acetylcholine と深く関わっている。
 「Acetylcholine 分泌」→「海馬がθ波の発生を活発化」→「シナプス( synapse )繋がり易くなる」→「記憶力・発想力 up!」
 このθ波を出す方法には、「昼寝」「好奇心を刺激」「外出する」「座った儘手足を動かす」等がある。
 常に「好奇心を持って新たなことに挑戦」していると、いつ迄も脳が若々しい状態になり「物忘れ」等を起こし難いことはよく言われる。
 好奇心が掻き立てられ、acetylcholine の分泌が促進されるからである。〔P.257-258〕

【睡眠時間に「閃き」を与えられる生活習慣/天才達の様な凄い「閃き」を得る方法】
 「閃き」は、「単なる脳内での情報連結」である。材料は、既に頭の中にある。ゼロの状態から突然生み出されるのではない。
 素晴らしい発想をする為には、沢山の情報を input して置く必要がある。
 沢山の本を読む。多くの情報を得る。色々な経験をする。数々の試行錯誤をする。それ等に拠って「閃き」が得られるのである。
 又「閃いた」瞬間に、書き留めることも重要。何故なら、この「閃き」は、脳内の神経の発火なので瞬時に消失して仕舞うからである。〔P.272-73〕

【小生comment】
 本項目の締め括りで著者樺沢氏は、「閃き」を後押しする生活習慣のいくつかを紹介してくれている。
 1. Acetylcholine を高めたければ、まず禁煙せよ!‥タバコの nicotine が acetylcholine の生成を抑制して仕舞う〔P.275-276〕
 2.「45~60分の有酸素運動」を週2回、出来れば週4回程度行うと良い‥「有酸素運動」→「脳内の『コリン作動性神経( acetylcholine を伝達物質として使用する神経)』が働き、大脳皮質や海馬で acetylcholine の放出量が増加し、血流が増加」→「大脳皮質の毛細血管が拡張し、閉塞した脳血管の血流の低下が軽減、神経細胞が虚血に拠る死滅から保護される」〔P.279-281〕
 3. Acetylcholine の原料である レシチン( lecithin )が豊富な食材、「卵黄」「大豆」「穀類(とくに玄米)」「レバー」「ナッツ」を日頃から摂取することに拠り「閃き」を生む〔P.281-282〕
 小生、自慢の様で恐縮だが、上記1.2.3. は既に毎日実践中である。(^^;;

《6. アセチルコリン( acetylcholine )仕事術/まとめ》
1.脳内物質・acetylcholine は認知機能と閃きに深く関わっている
2.「やる気」が出ないなら、「まず始める」こと /「作業興奮」に拠って「やる気」湧いてくる
3.26分間の昼寝で脳の効率は34%も改善する
4.「運動」は「脳を活性化する」最も簡単な方法
5.シータ(θ)波を出すと閃きが生まれ易くなる / θ波を出す為には、「外に出る」「昼寝をする」「座った儘手足を動かす」「好奇心を刺激する」
6. アイディア( idea )を出したければ「創造性の4B ( Bar(でほろ酔い気分の時), Bathroom(でrelaxしている時), Bus(に乗っている時), Bed(で寝ている時) )」を意識する
7. 脳には時間毎に適性がある / 午前中は「論理」作業に向き、午後や夜は「創造性」作業に向く
8. 凄い閃きを得る為には、その元となる情報を十分に input しておくこと / そして、閃きは直ぐにメモすること
9. 喫煙を続けると acetylcholine が生成され難くなる
10. Acetylcholine の原料である レシチン( lecithin )を、卵黄や大豆から補給しよう

【後記】03月04日は、帰りの道すがら、トヨタ鞍ヶ池記念館に立ち寄り、鞍ヶ池アートサロンと豊田喜一郎邸を見て来た。
 以下は、その時の写真である。

[16]トヨタ鞍ヶ池記念館敷地内にある豊田喜一郎邸の前にて
                  
[17]トヨタ・オリジン

 この「トヨタ・オリジン」は、トヨタ自動車の国内生産累計1億台達成を記念して創られた限定生産車で2000年11月に発売された。
 初代クラウンをmotifとしたclassicalな外観designに、特徴的な観音開きドアを備えている。
 トヨタが長年に亘って培い伝承して来た「匠の技」と最新自動車技術を融合して入念に創り込まれた内外装は豪華且つ高品質で、販売価格700万円はセルシオよりも高価でした。
 〔以上、展示車「トヨタ・オリジン」脇のcaptionより〕

【前書】加藤栄三・東一兄弟の日本画の名作、安藤広重・渓斎英泉の精緻な版画技術、捕虜としての抑留先で堅牢なオペラハウスを造り上げる、こうした日本人の「匠の技」を実感した今の心境を詠む

  春に思ふ 大和心の 勤勉さ  悟空

 では、また‥。〔了〕
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2017年3月4日土曜日

【時習26回3-7の会 0642】~「02月26日:三河城郭史談会『松浦武四郎記念館→松ヶ島城跡→松坂(松阪)城→本居宣長旧宅(鈴屋)→御城番屋敷→樹敬寺→来迎寺 他』を見て」「樺沢紫苑『脳を最適化すれば能力は2倍になる ~ 5. メラトニン仕事術‥「睡眠物質」で、完全にリフレッシュ』について」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0642】お送りします。
 今日は、去る02月26日(日)に三河城郭史談会(お城の会)日帰りbus tour『松浦武四郎記念館→松ヶ島城跡→【 松坂(松阪)城 】→【 本居宣長旧宅(鈴屋) 】→御城番屋敷→樹敬寺→来迎寺』を見て来たのでその模様からお伝えする。
 この日は快晴で春風も強くなく暖かで絶好の観光日和であった。

  春風や 伊勢路は観光日和かな 悟空

 07時00分 豊橋公園 発 →〔東名高速道路 豊川IC → 伊勢湾岸自動車道 → 東名阪道 → 伊勢自動車道 久居IC〕→

 10時00分 松浦武四郎 記念館 着

 松浦武四郎(1818-88)は、伊勢国一志郡須川村(現 松阪市小野江町)出身で、27歳から蝦夷地へ旅立つ。
 弘化02(1845)年(28歳) 第1回蝦夷地探査‥東西蝦夷地を巡る
 弘化03(1846)年(29歳) 第2回蝦夷地探査‥樺太に至る
 嘉永02(1849)年(32歳) 第3回蝦夷地探査‥千島に至る
 嘉永06(1853)年(36歳) 吉田松陰(1830-59)(23歳)と知り合う/『三航蝦夷日誌』を徳川斉昭に献上
 安政01(1854)年(37歳) 蝦夷・樺太・千島の地図を作製し幕府に献上
 安政03(1856)年(39歳) 第4回蝦夷地探査‥西海岸の新道予定地を調査し乍ら宗谷に至り樺太へ渡る
 安政04(1857)年(40歳) 第5回蝦夷地探査‥石狩を丹念に歩く
 安政05(1858)年(41歳) 第6回蝦夷地探査‥蝦夷地ほぼ全域を探査
 明治02(1869)年(52歳) 明治政府より蝦夷地開拓御用掛を命ぜられる/その後、開拓大主典に任ぜられる/従五位に叙せられる
 明治03(1870)年(53歳) 感触・位階を辞す
 明治21(1888)年(71歳) 東京神田五軒町の自宅で死去

[01]松浦武四郎記念館図録

[02]記念館内に置かれていた松浦武四郎像
                  
【小生comment】
 小生、松浦武四郎という人物は、今回初めて知った。
 当館の担当者は、「松浦武四郎は北海道では有名人だ」と言っていた。
 小生、蝦夷地・千島・樺太の探査と言うと、幕臣の近藤重蔵(1771-1829)と間宮林蔵(1780-1844)が先ず頭に浮かぶ。
 寛政10(1798)年 近藤重蔵が配下の最上徳内(1754-1836)と共に千島列島の択捉島へ赴き「大日本恵登呂府」の標柱を立て日本の領有を宣言。
 文化05(1808)年 翌年の文化06年06月、間宮林蔵が宗谷に帰着する迄の間、樺太を探査し、樺太が島であることを確認した。
 松浦武四郎は、その間宮林蔵より38歳若く、第1回目の蝦夷地探査をした弘化02(1845)年は、間宮が樺太を島であることを発見した文化06(1809)年から36年後に当たる。
 こういう先人達の活躍で、蝦夷地(北海道)と南樺太と千島列島が日本の国土となっていった訳である。
 小生、この極東地域の帰属問題について、大国のロシア・清国と我国日本が、政治的にどの様に絡んで行ったかについて一度勉強してみたいと思っている。

 11時00分 松ヶ島城址 着

【松ヶ島城址】
 次に訪れたのは、『松ヶ島城址』である。
 この城址については、「三河城郭史談会(お城の会)」」会長 高橋楠城先生が記された今回の解説書から一部引用してご紹介する。

  1. 所在地:松阪市松ヶ島町字城の腰
  2. 別 称:天守山、細首城
  3. 創築年:天正08(1580)年
  4. 創築者:織田信雄(のぶかつ(1558-1630))
  5. 形 式:平城
  『伊勢国司記略』に拠れば、永禄10(1567)年頃 北畠具教(とものり)が織田信長の伊勢侵攻に備えて細首に城を築き、家臣の日置大膳亮(だいぜんのすけ)に守らせた。
 そして、同12年の織田勢来攻に際して、大膳亮は細首城を焼き、大河内城(松阪市大河内町城山)に籠城した。 
 其の後、織田と北畠の和議成立に拠って北畠の家督を継いだ信長の次男信雄は、居城を新たに度会郡玉城町田丸の地に田丸城を築いた。
 しかし、天正08(1580)年 田丸城を焼失したのを機に、細首城を大改修して天守を備えた城郭を平地に築き、城を松ヶ島と改称した。
 本能寺の変で信長が倒れると、信雄は尾張清洲城に移り、松ヶ島城は家臣の津田玄番允(げんばのじょう)に預けた。
 同12年 信雄と秀吉が対立するに至った為、玄番允は誅殺されて滝川三郎兵衛が籠城したが、秀吉勢の猛攻に拠って落城し、蒲生氏郷が入城して南伊勢当地の要とした。
 しかし、同16年に氏郷が松阪城を築き其処に移ったことに拠り、幾度かの転変を遂げた城も、ついには廃城となった。〔後略〕

[03]松ヶ島城址 石碑前にて小生(右)

[04]松ヶ島城址にて、中嶋君【3-2】(中)・岩手君【3-4】(右)と
                  
【小生comment】
 今回の旅では、時習26回生では、中嶋Y行君【3-2】と岩手K君【3-4】が参加した。
 岩手君とは、このお城の会で 2015.07.26開催の「琵琶湖湖西‥朽木氏の史跡探訪の旅」で同道して以来の再会だった。
 2015.08.02付【時習26回3-7の会 0559】~「07月26日:『琵琶湖湖西‥朽木氏の史跡探訪の旅』に参加して」ご参照
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/260559263781107.html ←ここをclickして下さい

 12時40分 松坂城 着

【松坂(松阪)城&本居宣長旧宅】
 今回の「お城の会」の訪問目的の主眼は『松坂(松阪)城』である。

  1. 所在地:松阪市殿町
  2. 別 称:四五百森(よいほのもり)城
  3. 創築年:天正16(1588)年
  4. 創築者:蒲生氏郷(1556-1595)
  5. 形 式:平山城
  6. 遺 構:天守台、石垣、井戸、御城番屋敷
  7. 規 模:835m×570m
 南北朝時代、此の地には南朝方の有力拠点が築かれ、南北両勢力の激戦が屡々展開された。
 その後、15~16世紀後半は、伊勢国司北畠氏の統治下にあった。
 永禄12(1569)年 北畠氏の地位を織田氏が奪い、、更に本能寺の変後の天正12(1584)年には織田信雄が秀吉に拠り伊勢から追われ、松ヶ島城には蒲生氏郷が12万石の大名として近江国日野より入った。
 氏郷は、入城後間もなく、元亀(げんき)元(1570)年に潮田長助が城砦を構えたという四五百森に着目して築城を始め、天正16(1588)年には「松坂城」と命名したこの新城に移った。
 氏郷は、城下の発展と整備に尽力。
 先ず、「町中掟」を定め、その第一条に「当町之儀、為十楽之上ハ諸座諸役可為免除」として「楽市楽座」制を敷き商業の振興策を執った。〔中略〕
 しかし、城主としては僅か2年と短く、同18年には小田原北条氏征討の軍功に拠り42万石の太守として奥州会津へと移封していった。
 氏郷の後には同19年 服部一忠(?-1595)が3万5千石で入封したが、文禄4(1595)年 関白秀次事件に連座し改易の後自害。
 同年古田重勝(1560-1606)が3万7千石で入封、関ケ原の戦では東軍方として松坂城に籠城して西軍方の鍋島勝茂と対峙し守り抜き、戦後、5万5千石に加増。
 元和05(1619)年 古田氏は、大坂夏の陣後、石見国浜田藩へ移封となり、松坂は、同年08月 徳川頼宣が紀伊藩55万石藩主となると共に同藩の治下に入り、紀伊藩政に拠る治世は明治維新を迎える迄続く。

【小生comment】
 松坂(松阪)城は、平成20年10月26日に、中嶋Y行君【3-2】・谷山K君【3-3】等と訪れて以来、小生は2回目の訪問である。
 当城内に移築された、「本居宣長旧宅(鈴屋(すずのや))」や、城下の「御城番屋敷」も同様である。

 2008年10月26日付【時習26回3-7の会 0208】2008年10月26日:『津城跡・松坂(松阪)城跡』巡り&『本居宣長記念館&松阪牛』を堪能!
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/26-020810222525.html ← 此処をclick して下さい

[05]松坂(松阪)城入口にて『三河城郭史談会』参加者全員の記念写真

[06]天守台の石垣
                  
[07]天守台にて本丸を望む

[08]二の丸跡から「御城番屋敷」遠望
                  
[09]「御城番屋敷」の通路

[10]本居宣長旧宅内の「鈴屋(すずのや)」
    
                  
 14時55分 樹敬寺【本居宣長の墓】着

[11]本居宣長の墓

【小生comment】
 日帰りbus tour は、上記のほか、来迎寺、旧長谷川邸(国指定【重文】:木綿商長谷川治郎兵衛 本宅)、本居宣長邸跡 を巡った。
 本居宣長については、前回訪問の時の blog 2008.10.26付【時習26回3-7の会 0208】に詳しいので今回は割愛する。

■さて、今日最後の話題は、前々々回《会報》から4回続けてご紹介して来た、樺沢紫苑著『脳を最適化すれば能力は2倍になる』の7回seriesの今日はその第5回《5. メラトニン仕事術‥「睡眠物質」で、完全にリフレッシュ》である。
 今回は、本項目から3つご紹介しよう。

【「寝つき」の良さは、脳内物質が決めていた!/ 睡眠と覚醒を調整する「眠りを誘うホルモン」】
 人間は睡眠を促す為、主に2つのsystemを持っている。
 その1つが melatonin で、1958年に発見された。
 脳の神経のみならず、脈拍、体温、血圧を低下させることで、睡眠と覚醒の rhythm を上手に調整し、自然な眠りを誘う作用がある。
 全身の臓器を「休息 mode」に切り替えることから「睡眠物質」「眠りを誘うホルモン」とも呼ばれる。
 因みにもう1つは「GABA」という脳内物質。〔P.226-227〕

【「快適な眠り」を与えてくれる7つの習慣 / melatonin を出す方法6:日中の serotonin の活性化】
 Serotonin は必須アミノ酸の tryptophan から作られ、その serotonin から melatonin が作られる。
 Melatoninの原料が serotonin なのである。
 Serotonin は朝、目が覚めて、心と身体が活動を開始すると共に分泌が高まり、特に午前中に分泌される。
 そして、日没と共に暗くなると、serotonin から melatonin が生成される様になる。
 言わば serotonin は「昼の活動物質」で、melatonin は「夜の睡眠物質」。
 両者が昼と夜とで、入れ替わる様に機能しているのである。〔P.237〕
 「うつ病」は serotonin の分泌が悪くなり、serotonin が枯渇する状態である。
 この為「うつ病」では、serotonin を原料とする melatonin の分泌も悪くなり、睡眠障害が起きる訳で、それが酷くなると「不眠」となる。
 「うつ病」と「不眠」は、melatonin を通じて密接に結びついている。〔P.238〕

【Melatoninの思いがけない refresh 効果 /「不老長寿の妙薬」としての顔】
 活性酸素が除去されることは、動脈硬化の予防にも繋がり、心筋梗塞や脳卒中の予防となる。
 その抗酸化作用が強い物質として「vitamin E」が知られている。
 Melatoninには、「vitamin E」の2倍もの抗酸化作用がある。
 Melatonin が夜間に確りと分泌されれば、身体を錆から守ることが出来る。
 即ち、病気のriskを減らし、老化防止に役立つ。
 又、melatonin には「腫瘍増殖抑制作用」「DNA修復作用」等、多彩な抗腫瘍効果が認められている。
 解りやすく言えば、melatonin は体内の重要な「回復物質」なのである。〔P.243〕

【小生comment】
 本項目で著者樺沢氏は、睡眠時間とその質についても解説してくれている。
 睡眠時間7~8時間の人が最も長寿で、それ以下でも、それ以上でも短くなる。
 又、睡眠は単純に時間ではなく、睡眠の質「ぐっすり感」が大切だという。
 尤もな話である。

《5. メラトニン仕事術/まとめ》
1.快眠物質・メラトニン(melatonin)が分泌されると、眠気を生じる
2.睡眠物質 melatonin は、熟睡、疲労回復の為に不可欠な脳内物質である
3.不眠は心や身体の病気の前兆かもしれない
4.Melatonin を出す方法は以下の7つ
「1.部屋を真っ暗にして寝る 」
「2.入眠前に薄暗い部屋で relax する 」
「3.入眠前に蛍光灯の光を浴びない 」
「4.深夜のコンビニで立ち読みしない 」
「5.入眠前にgame、スマホ、パソコンをしない 」
「6.日中の serotonin の活性化 」
「7.朝、太陽を浴びる 」
5.一日7~8時間はぐっすり眠ることを目標にしよう

【小生comment】
 早寝早起きが長寿の秘訣だが、早寝するには、まず「早起き」から始めることだと樺沢氏は助言してくれている。
 夜型の人でも、無理にでも早起きを繰り返していると、自然に夜早く眠れる様になる、という訳だ。
 そして快眠に拠り、錆び難い身体にして健康長寿を全うしたいものである。

【後記】昨夜(03月02日(木)) 時習26回生の face book 不老荘に、中野K彦君【3-6】から加藤(神野)T子さんの訃報のお知らせがあった。
 この訃報に接し、驚いたと共に、classmate が亡くなった深い悲しみを感じた。
 小生、神野朋子さんとは、八町小→豊城中と同窓で、時習26回【2-8】の classmate だった。
 高2の秋の「文化祭」に於ける我々【2-8】の演(だ)し物は「8ミリ映画:『ある愛の詩』『ゲバゲバ90分』『ミュンヘン五輪・ダイジェスト』他」の映写会だった。
 その「文化祭」の正に前夜、鈴木T昌君【3-8】を中心に仲間十数人と神野さん宅に泊めて貰い、徹夜で文化祭にて上映する8ミリ映写会のアフレコ等最終校正を徹夜で完成させた。
 その時のアフレコの録音tape を作成していた時の episode を一つ覚えている。
 それは『ミュンヘン五輪・ダイジェスト』を解説放映するBGMの行進曲の音源が用意されてなく、「さあ、どうしよう?」ということになった。
 その時、神野さんに音源はないか尋ねたら、彼女が「応接室に classicのLP record なら置いてある」と教えてくれた。
 其処で、数多くのLP record 群の中から、小生、Tchaikovsky の交響曲第6倍「悲愴」を見つけた。
 この悲愴交響曲の第三楽章「Allegro molto vivace」は12/8拍子の scherzo と 4/4拍子の【行進曲】から成っているいるのでこの楽章を使おうと、皆に提案して了解して貰った。
 この episode も45年近く前の 今となっては昔日の懐かしい思い出一コマである。

【前書】学生時代の友の死は悲しい
 春弥生になっても風はまだ冷たく亡き友との別れの寂しさが身に染みる

 厳春や 竹馬の友は逝く 涙  悟空 〔合掌〕

 では、また‥。〔了〕
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