今日は先ず、【01月15日(月)~16日(火)】の話。
その日は、定時より少し早めに会社を出て、名鉄電車で名古屋へ。
そして、名古屋駅近くの名鉄バスセンターで高岡・氷見ゆき高速バスに乗った。
予定では22:30 に高岡駅に着き、ビジネスホテルに泊まり、明日 11:00 の勤務先会社役員の御母堂の葬儀に会社を代表して参列する為だ。
[01]名鉄バスセンター「高岡・氷見」ゆき乗車口にて

[02]加越能バスに乗って

20:33、ひるがの高原SA にてトイレ休憩でのSAの雪景色。
流石に雪国、雪が確り積もっている。現代では、高速バスはヘッチャラだ。

[04]同2

[05]同3

[06]同4

[07]同5

その日は、目的地の高岡駅前には、定刻より25分遅れの 22:55に到着した。
バスを降りた場所が、宿泊場所のホテル・ルートイン高岡駅前の目の前だった。早速、check in して、高岡駅構内の一角にあるコンビニに行って買い出しをして来た。
写真は、高岡駅構内とその周辺の 23時過ぎ現在の模様だ。
雪は降っていなかったが、二、三日前に降った雪が確り積もっていて、雪国であることを実感した。
此のホテルは、個室の風呂以外に大浴場が深夜 2時迄と朝 5時〜 9時迄入れるのがいい。
[08]到着した時の Hotel Route Inn 外観1

[09]高岡駅前1

[10]同2

[11]JR高岡駅構内1

[12]同2

[13]部屋の中で beer で一人乾杯〔←スマホ Timer で撮影〕

以下は、高岡市二日目【01月16日(火)】の話。
09時10分過ぎに Hotel を check
out して、高岡駅を北口から南口へ抜け、bus terminal から 小牧堰堤ゆきに乗り、bus亭 伊勢領 にて下車。11:00〜11:50の告別式のあと、式場から徒歩で、城端線 戸出(といで) 駅迄10分余り歩き、終点の 高岡 駅へ。
戸出(といで)駅は、典型的な寂れた駅で、ふと昭和時代の「『男はつらいよ』フーテンの寅」の映画を観ている様な錯覚に陥った
[14]高岡駅北口から南口へ向かう構内から線路を眺める

[15]高岡駅南口bus terminal

[16]式場がある 加越能バス停「伊勢領」

[17]式場からJR城端線戸出駅へ向かう道の一情景

[18]JR戸出駅 外観

[19]戸出の観光案内

[20]戸出構内の風景1

[21]同2

[22]戸出構内にあったラッセル車(Russell Car)

[23]戸出駅に到着した電車

[24]電車の中で

高岡駅南口から bus に乗り、2駅目の「瑞龍寺口」で下車し 曹洞宗 高岡山 瑞龍寺 を訪れた。
瑞龍寺の山門・仏殿・法堂(はっとう)は何れも国宝〔←山門は今回は修理中〕。此の寺は、加賀藩第2代藩主 前田利長(1562-1614) の菩提を弔う為に、第3代藩主 前田利常(1594-1658) が建立。
前田利常の母 寿福院(1570-1631)は、前田利家(1539-99)の正室・まつ(芳春院)の侍女として前田家に入った。
そして、文禄・慶長の役の際、名護屋陣中の利家の身の回りの世話を務めてその美貌を見初められ側室となり、利常を生んだ。
異母兄の利長には世継なく、弟の利常が利長の養子となり加賀藩120万石を継いだ。
前田利常は、自分の出自から藩主になれたことは兄利長のお陰と感謝し続けていた。
前田利常は、江戸時代初期の名君の一人と評価されている。
此れは、利常が大藩加賀藩主になれたことを常に感謝して名君たるべく終生心掛けていたからだと思う。
[25]瑞龍寺leaflet

[26]仏殿前にて

[27]法堂(方丈)前にて

[28]法堂内部入口にて

[29]法堂外観

[30]法堂内部の情景

[31]法堂内部廊下にて1

[32]同2

[33]法堂から総門方向に向かって左手の大茶堂から大庫裏に続く回廊

[34]法堂から仏殿方面を望む

瑞龍寺を見た後は、15:30 高岡駅発の加越能高速バスの発車時間迄まだ少しあったので、TAXI で高岡市美術館で開催中の『高岡市 藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリー』展を見て来た。
定刻より5分遅れの
15:35 高岡駅(北口)を出発。19時25分 終点の名古屋駅前到着。
20時55分 帰宅。
[35]館内2階に「高岡市 藤子・F・不二雄
ふるさとギャラリー」がある高岡市美術館外観

[36]同ギャラリー入口のどこでもドアの前にて

[37]ドラえもんと一緒に

[38]「高岡市 藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリー」入口relief前にて

[39]同ギャラリーのleaflet

[40]高岡市駅のbus centerにある「ドラえもんポスト」に横で

■続いての話題は【01月17日(水)】の話。
その日は、朝から勤務先の複数ある主力銀行のうちの2行に年始挨拶の為に上京。最初の写真は、2行共がある傍(千代田区大手町)にある objet 近くで撮影。
年始挨拶が終わった後の時間を利用して見て来た、「山種美術館」「中村屋サロン美術館」「東京ステーションギャラリー」の3つの美術館の企画展を見て来たので順次ご紹介する。
[41]大手町の取引銀行至近にある Objet の前にて

14:35【山種美術館『横山大観〜東京画壇の精鋭〜』展】
[42]同美術科入口の本企画展と次回企画展の案内看板

[43]山種美術館前にて
[44]本企画展leaflet

[45]横山大観『燕山の巻(部分)』1910年

[46]同『木兎』1926年

[47]同『叭哥鳥(はっかちょう)』1927年

[48]同『富士山』1933年

[49]同『霊峰不二』1937年

[50]同『春朝』1939年

[51]同『心神』1952年

[52]奥村土牛『山中湖富士』1976年

15:50【中村屋サロン美術館『コレクション展示
中村屋サロン』展】
[53]中村屋サロン美術館が入居する新宿中村屋ビル地下鉄入口付近にて

[54]同美術館入口にて

[55]本企画展leaflet

[56]柳敬助(1881-1923)『花』1912年

[57]高村光太郎 (1883-1956)『自画像』1913年

[58]中村彝(1887-1924)『花と果実』1917年頃

[59]鶴田吾郎(1890-1969)『盲目のエロシェンコ』1920年

16:57【東京ステーションギャラリー『鉄道絵画発→ピカソ行/コレクションのドア、ひらきます』展】
[60]東京ステーションギャラリー入口にて

[61]本企画展leaflet

[62]長谷川利行(1891-1940)『赤い汽罐車庫』1928年

[63]中村岳陵(1890-1969)『驀進』1943年

[64]横尾忠則 (1936- )『健全な感情』2002年

[65]斎藤吾朗(1947- )『軽井沢駅物語』[上]1993年

[66]木村壮八(1893-1958)『明治一代女』1935年以降

[67]木村荘八 (しょうはち
1893-1958)『坂の中腹』1918年

[68]椿貞雄(1896-1957)『鵠沼(くげぬま)風景』1922年

[69]山口薫(1907-68)『夕暮の林の母子』1951年

[70]パブロ・ピカソ(西:Pablo Picasso
1881.10.25-1973.04.08)『座る若い男』1899年

[71]パブロ・ピカソ『黄色い背景の女』1937年

(注)山口薫とパブロ・ピカソ以外の展示作品[01]〜[07]は館内撮影OKで小生が撮影
尚、[08][09][10]は撮影禁止の為、図録から接写した
18:33 東京発→豊橋へ
豊橋駅に着いたら、concourse に毎年 2月11日 安久美神戸神明社(豊橋市八町通3-17)にて開催される愛知県無形文化財の『鬼祭り』の赤鬼が展示されていた
[72]鬼祭りの赤鬼

[73]電飾『とよはしキラキラ イルミネーション』1

[74]同2

[75]同3

[76]同4

[77]同5

[78]同6

[79]同7

【前書】市電に乗ろうと
pedestrian deck に出たら、とっても綺麗な電飾『とよはしキラキラ イルミネーション』が雨の中で輝きを放っていた。
寒の内の 駅に輝く 電飾の Objet(オブジェ)の粋(すい)を 醸すや煙雨 悟空
■今日最後の話題は【01月18日(木)】の話。
今日は、地元新聞社主催の地元選出の衆議院議員3氏の報告会に参加。今枝議員(1984年2生)は、小生の長男と名古屋市東区の小学校で classmate。
席次も今泉、今枝と隣だったと以前愚息が言っていた。
愚息と同庚だから現在 33歳。
根本議員(1965年2月生)は、時習36回生。僕らより10歳若い52歳。
関議員(1978年8月生)は現在39歳。
2005年からNHK豊橋支局記者をしていたと言う。
皆んな若い、と言うか、僕らが年をとったんだナァ。
[80]開演前の講演会場にて1

[81]同2〔時習28回 佐藤さんと〕

では、また‥〔了〕
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