◼️今《会報》の【時習26回生】関連の記事は、2007/04/30 に訪れた大津市の「膳所城跡公園」と「義仲寺」の模様関連です‥もう、17年近く昔の 話になって仕舞いました(長嘆息)
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2005/05/01【時習26回3-7の会 0086】~〔中略〕「『賢人会』歴史探訪:大津」〔抜粋〕
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■さて、昨日(2007年)4月30日は、《会報》前号でお知らせしたように「賢人会」歴史探訪の一環として、今回は「大津市の古刹巡り」をして来ましたので、早速、そのsnap-shotをご紹介させて頂きます。日帰りで、「石山寺」→「瀬田の唐橋」→「幻住庵」→「膳所城址公園」→「義仲寺」→「三橋(みつはし)節子美術館」→「三井寺(園城寺)」と廻って来ました。一日コース(course)でしたが、昨日は天候にも恵まれ、内容も大変充実した小旅行でした。以下、順を追ってご報告致します。
. 今日(2007/05/01当時)は、以上の中から「瀬田の唐橋」→「膳所城址公園」→「義仲寺」についてお伝えする
▼「瀬田の唐橋」です
[01]瀬田の唐橋にて1
[02]同上2
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▼「膳所城址」は、公園として整備されており、家族連れで賑わう憩いの場になっていた
[03]膳所城跡公園 同公園石碑にて、今泉(谷山)君【3-3】と
[04]同 同公園内石碑にて
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▼膳所城址の次は、「義仲寺」です
ここには芭蕉の墓と、彼が敬愛した木曽義仲、そして義仲の妻、巴御前の墓が三つ並んでいた
. ちょっと吃驚は、巴御前は、義仲亡きあとも生き続け、90歳の天寿を全うしていたことだ
. いろいろ苦労したとは思いうが、大変気丈夫な女性だったのだろう
. 写真は「義仲寺」の入口で中嶋君【3-2】とのsnap-shot
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[05]義仲寺 境内にて1
. 芭蕉辞世の句「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」石碑前にて
[06]同 同上2
[07]同 同寺院入口にて、中嶋君と
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◼️昨日(2025/03/28)は、旧中山道、と言っても旧東海道と同じ「大津宿→草津宿」を、寄り道したので、3万歩余り、23.6km歩いた
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04:00 起床→腹筋2,000回
04:50 2.5kg木刀の素振り40分
05:20 入浴→支度
06:00 拙宅発→
06:40 JR豊橋駅発→東海道新幹線こだま→
07:55 HR京都駅着
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【JR豊橋駅→JR京都駅】
[01][左上]JR豊橋駅 platform にて
[右上]此の日の豊橋市と大津市の天候
[左下]此の日の「豊橋→京都」の新幹線自由席特急券
[右下]JR東海道新幹線 京都駅 platform にて
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【JR京都駅→ JR大津駅】
[02][左上]JR琵琶湖線京都駅 platform にて
[右上]JR大津駅 platform にて
[左下]JR大津駅前にて
[右下]JR大津駅前→旧東海道大津宿本陣跡への経路図
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08:40 旧大津宿本陣跡着
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【旧東海道大津宿本陣跡→京町一丁目】
[03][左上]旧東海道大津宿本陣跡1
[右上]同上2 同所にて
[左下]同上3 Google 航空 map:膳所→義仲寺への経路図
[右下]同上4 同所直ぐ北にある「京町一丁目」交差点
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【京町一丁目 旧東海道の 街並】1
[04][左上]京町一丁目 旧東海道の 街並1
[右上]同上2
[左下]同上3
[右下]同上4
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09:23 義仲寺着
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【京町一丁目 旧東海道の 街並2(完)→義仲寺1】
[05][左上] 京町一丁目 旧東海道の 街並5
[右上]滋賀県庁
[左下]滋賀県庁→義仲寺へ至る路傍風景
[右下]義仲寺 入口1
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【義仲寺】2
[06][左上]義仲寺 入口2 同所にて1
[右上]同 同上3 同所にて2
[左下]同 境内の植栽「ボケ」の花
[右下]同 境内の「義仲寺 略誌」
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【義仲寺】3
[07][左上]義仲寺 杉風(さんぷう)筆「芭蕉翁像」
[右上]同 丈草(注)書簡
(注【小生注】)丈草:内藤丈草(1662-1704)/蕉門十哲の一人
[左下]同 芭蕉翁の椿の杖1
[右下]同 同上2 解説板
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【義仲寺】4
[08][左上]義仲寺 境内風景1
[右上]同 同上2 同所にて
[左下]同 同上3 朝日堂
[右下]同 同上4 木曽義仲公の墓
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【義仲寺】5
[09][左上]義仲寺 芭蕉翁の墓1
[右上]同 同上2 同前にて
[左下]同 芭蕉「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」石碑
[右下]同 菅沼曲翠の墓〔昭和48年建立〕1
【菅沼曲水(曲翠)(すがぬま きょくすい(1659-1717/08/26)】
. 近江国膳所(現・滋賀県大津市)出身の武士、俳人
. 本名:菅沼定常
. 徳川家康に従った菅沼定盈(1542-1604)の曾孫に当たる
. 近江国膳所藩(康俊系の本多家)では中老(準家老職)の重職
. 近江蕉門の重鎮
. 芭蕉を経済的にもサポートした
. 江戸在府中に芭蕉の門人となる
. 芭蕉が初対面での印象を「ただ者に非ず」と感じたとされ、後年の著書「幻住庵記」に「勇士曲水」との記述を残している
. 清廉な人柄であった様である
. 「奥の細道」の旅を終え、元禄3(1690)年、近江国膳所を初めて訪れた芭蕉は、避暑地の住処として、曲翠が彼の伯父・菅沼定知の別荘を手直しし提供したのが「幻住庵」
. 芭蕉は幻住庵に4~7月迄滞在、「幻住庵記」を著す
. 曲翠は、享保2(1717)年、不正を働く家老・曽我権太夫を槍で刺殺、自らもその際に切腹
. 墓所は義仲寺にある
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【義仲寺】6
[10][左上]義仲寺 菅沼曲翠の墓〔昭和48年建立〕2 同所にて
[右上]同 俳句神籤「2番」を引く
[左下]同 神籤「2番」1:「吉」(左)&御朱印(松尾芭蕉)(右)を手に
[右下]同 神籤「2番」2
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10:00 義仲寺発
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【義仲寺7(完)→膳所城跡公園へ】
[11][左上]義仲寺 短冊「唐崎の松は花より朧にて 芭蕉」と拝観券を手に
[右上]同「義仲寺案内」
[左下]同「義仲寺境内」解説板
[右下]義仲寺→膳所城跡公園への経路図
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10:32 膳所城跡公園着
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【膳所城跡公園】1
[12][左]路傍の花「赤いボケ」の花
[右上]京阪電車「石山寺」駅ゆき
[右中]膳所城跡公園 門1
[右下]同 門2同前にて
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【膳所城跡公園】2
[13][左上]膳所城跡公園 門の横にある「城下町 膳所案内地図」
[右上]膳所城址石碑1
[左下]同 同上2 同前にて
[右下]Google 航空 map:膳所城跡公園→菅沼曲翠邸跡への経路図1
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10:48 膳所城跡公園発
11:05 菅沼曲翠邸跡着
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【膳所城跡公園3(完)→菅沼曲翠邸跡1】
[14][左上]膳所城跡公園 公園内の石碑横にて1
[右上]同 同上2‥2007/04/30撮影〔再掲(部分)〕
. 今から16年11ヶ月前[右上]と今日[左上]の写真を並べてみたが、どのくらい老けたかなぁ
[左下]同 同上3
[右下]Google 航空 map:膳所城跡公園→菅沼曲翠邸跡への経路図2
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11:08 菅沼曲翠邸跡発
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【菅沼曲翠邸跡→瀬田の唐橋1】
[15][左上]菅沼曲翠邸跡 同所にて
[右上]Google 航空 map:菅沼曲翠邸跡→瀬田の唐橋への経路図
[左下]旧東海道1 同所にて
[右下]同上2
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12:01 瀬田の唐橋着
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【瀬田の唐橋2(完)→建部大社1】
[16][左上]「旧東海道&瀬田の唐橋」道標
[右上]瀬田の唐橋にて1
[左下]同上2
[右下]建部神社への道すがらの地蔵尊
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12:28 近江一宮 建部大社一の鳥居着
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【建部大社】2
[17][左上]Google 航空 map:建部大社
[右上]建部大社 一の鳥居前にて
[左下]同 案内図
[右下]同 建部大社の由緒
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【建部大社】3
[18][左上]建部大社 一の鳥居
[右上]同 境内風景1
[左下]同 手水舎
[右下]同 神門1
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【建部大社】4
[19][左上]建部大社 神門前にて
[右上]同 神門越しに拝殿を望む
[左下]同 拝殿前の「三本杉」
[右下]同 拝殿1
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【建部大社】5
[20][左上]建部大社 拝殿から本殿を望む1
[右上]同 本殿1
[左下]同 同上2 同前にて
[右下]同 本殿左手の狛犬1
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【建部大社】6
[21][左]建部大社 本殿左手の狛犬2
[右上]同 本殿右手の狛犬1
[右中]同 同上2
[右下]同 拝殿2
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【建部大社】7
[22][左]建部大社 拝殿右手前の狛犬
[右上]同 拝殿3
[右中]同 八柱神社(右(東))
[右下]同 本殿3
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【建部大社】8
[23][左上]建部大社 本殿3
[右上]同 八柱神社(左(西))
[左下]同 拝殿4
[右下]同 拝殿左手前の狛犬
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13:17 建部大社発
14:56 旧草津宿着
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【建部大社9(了)→旧草津宿へ】
[24][左上]建部大社 御朱印(左)&目出鯛神籤〔末吉〕
[右上]同 二の鳥居
[左下]路傍の桜
[右下]旧草津宿風景1
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【旧草津宿】
[25][左上]旧草津宿風景2
[右上]同上3
[左下]草津歴史街道(東海道)解説板
[右下]旧草津宿高札
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【JR草津駅→JR豊橋駅】
[26][左上]JR琵琶湖線草津駅 platform にて
[右上]JR琵琶湖線京都駅 platform にて
[左下]東海道新幹線京都駅 platform にて
[右下]豊橋駅concourseにて
[コメント欄]此の日の歩行距離23.6km / 歩行歩数 30,797歩
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【後記】今日は20km超を歩いたので、流石にちと疲れたかな‥(了)
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【春休みで帰省してくれた孫たち】
. 2025/03/25から03/31迄、横浜の長女のところの孫たち2人が帰省
[27][左][右上]孫たちと
[右下]孫たちに買って来た果物と干し芋
. 2025/03/28から、長男の所の孫たち2人が加わり、4人になり、近くのうどん屋に夕食を食べに行った
. 同夜、長男が一番下の孫(3歳)を連れて合流し、孫は5人と賑やかになった
[28][左上][右上][左下][中下][右下]孫たち4人と
. 日付は、03月25日に戻るが、拙宅中庭の杏花が満開になった
. 杏花は、桜や梅や花桃、李とも趣が少し違った魅力的な春の花で、小生、大好きである
[29]拙宅中庭に咲いた杏花1-4
[30]同上5-8
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◼️今日(2025/03/29)、長男と彼のところの孫たち3人、長女のところの 孫たち2人と一緒に、田原市にある「いちこガーデンたはら🍓」に苺狩りに行って来た
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【孫たちと苺狩り in 田原市】
[01][上]長男と孫たち
[左下]孫1
[中下]温室内の苺1
[右下]孫2
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【孫たちと苺狩り in 田原市】
[02][左]長女の孫と
[右上]温室内風景1
[右中]温室内の苺2
[右下]同上3
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【後記1】今朝(2024/03/29)、拙宅中庭を見たら、李花が満開だった
李花と言うと、花桃と一緒に初唐の詩人劉希夷が詠んだ名詩「代悲白頭翁(白頭を悲代悲しむの翁に代る)」が思い浮かぶ
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. 代悲白頭翁 劉希夷
. 洛陽城東桃李花 飛來飛去落誰家
. 洛陽女兒惜願色 行逢落花長嘆息
. 今年花落顔色改 明年花開復誰在
. 已見松柏摧爲薪 更聞桑田變成海
. 古人無復洛城東 今人還對落花風
. 【年年歳歳花相似 歳歳年年人不同】
. 寄言全盛紅顔子 應憐半死白頭翁
. 此翁白頭眞可憐【伊昔紅顔美少年】
. 公子王孫芳樹下 清歌妙舞落花前
. 光祿池臺開錦繡 將軍樓閣畫神仙
. 一朝臥病無相識 三春行樂在誰邊
. 宛轉蛾眉能幾時 須臾鶴髪亂如絲
. 但看古來歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲
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. 『白頭を悲代悲しむの翁に代る』
. 洛陽城東 桃李の花 / 飛び来たり飛び去って誰が家にか落つる
. 洛陽の女児 顔色を惜しみ / 行(ゆくゆ)く落花に逢いて長(ちょう)嘆息す
. 今年(こんねん)花落ちて顔色改まる / 明年花開いて復(ま)た誰(たれ)か在(あ)る
. 已(すで)に見る 松柏(しょうはく)の摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為(な)るを / 更に聞く 桑田(そうでん)の変じて海と成るを
. 古人復(ま)た洛城の東に無く / 今人(こんじん)還(かえ)って対す落花の風
. 【年年歳歳(ねんねんさいさい) 花相(はなあ)い似たり / 歳歳年年(さいさいねんねん) 人同じからず】
. 言(げん)を寄す 全盛の紅顔子(こうがんし) / 応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁
. 此の翁 白頭 真に憐れむ可(べ)し /【伊(こ)れ昔 紅顔の美少年】
. 公子王孫 芳樹(ほうじゅ)の下(もと) / 清歌(せいか)妙舞(みょうぶ)す 落花の前
. 光祿(こうろく)の池台(ちだい) 錦繡(きんしゅう)を開き / 将軍の楼閣 神仙を画(えが)く
. 一朝(いっちょう) 病に臥(ふ)して 相(あ)い識(し)る無し / 三春(さんしゅん)の行楽 誰が辺(へん)にか在(あ)る
. 宛転(えんてん)たる蛾眉(がび) 能(よ)く幾時(いくとき)ぞ / 須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ)乱れて糸の如し
. 但(た)だ看(み)る 古来 歌舞(かぶ)の地 / 惟(た)だ 黄昏(こうこん) 鳥雀(ちょうじゃく)の悲しむ有るのみ
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【意】
. 洛陽の街の東に咲く桃とスモモの花が風に誘われてあちらこちらに散っている
. 洛陽の娘達はその美しい容貌を愛(いつく)しみ、道すがら、移ろう春に散る花を見て長いため息を洩らす
. 今年花が散り春が過ぎれば人の容貌も衰えてゆく / だから明くる年再び花開く時、誰が変わらずそれを見ることが出来ようか‥
. 我々は既に見て来ている、常緑の松や柏の木がやがて薪にされて仕舞うことを / 又こうも聞く、桑畑が海にさえ変わって仕舞うということを
. 昔此の洛陽の東で此の花を眺めた人は既に(この世に)いない / 今の世の人々がこうして風に舞う落花を眺めているのだ
. 【年々歳々、花は同じ様に咲き乍ら、歳々年々、それを見る人々は変わるのだ】
. 青春真っ只中にある若人達よ、思いやってくれまいか、この半死の白髪頭の老人のことを
. 此の痛ましい白髪の老人も【若い時代は紅顔の美少年だった】のだよ
. 公子や王孫達と香しい樹々の下で遊び、舞い落ちる花の前で清らかに歌い舞ったのだった
. 前漢の九卿王根(おうこん)邸にあった池の台(うてな)の様に錦を張り巡らせた宴に臨んだり、後漢の大将軍 梁冀(りょうき)の様に神仙を描いた豪勢な邸宅にも参上したのだよ
. しかし一たび病に臥すと知る人が誰もいなくなって仕舞った / あの華やかで楽しかった日々は何処へ行って仕舞ったのか
. なだらかで美しい(=宛転たる)眉‥その美しさもいつ迄持つだろうか / 忽ち(=須臾にして)鶴の白い羽の様白髪となり糸の様に乱れる時がやって来るのだ。
. 御覧なさい、昔華やかに歌い舞った辺りは、今はただ黄昏の光の中、小鳥たちが哀しく囀っているのみである‥(了)
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【拙宅の花桃と李花】
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[03]花桃と李(スモモ)花
[04]拙宅中庭に咲いている李花
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【小生comment】
. 高校の漢文の授業みたいになって仕舞ったけど、品格ある作品なので全文ご紹介させて頂いた
. 暗誦するには少々長い詩文だが、其の長さを感じさせない流麗さがあり、解り易く覚え易い名詩だと思う
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【後記2】拙宅中庭では、花海棠が咲き出した
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【拙宅中庭の花海棠】1
[05][左上][右上][左下][右下]花海棠1-4
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【拙宅中庭の海棠花と椿花】
[06][左上][右上]花海棠5-6
[左下]椿花1
[右下]同上2
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【拙宅中庭の椿花&豌豆の花】
[07][左上]椿花3
[右上]同上4
[左下]同上5
[右下]豌豆の花
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. 海棠と言うと、中唐の女流詩人薛濤(せっとう(768-831))の此の詩が思い浮かぶ
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. 海棠渓
. 春教風景駐仙霞
. 水面魚身総帯花
. 人世不思霊卉異
. 競将紅纈染軽沙
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. 春は風景をして仙霞を駐(とど)めしめ
. 水面の魚身総て花を帯ぶ
. 人世(じんせい)思わず霊卉(れいき)の異(い)を
. 競って紅纈を将(も)って軽沙を染む
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. 春の神様は、風と光に、谷いっぱいの花がすみを送り届けさせたもうた
. 清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう
. 世間では、この海棠の霊妙なわざに気がつきもせず
. 競って赤いしぼりを河原の砂の上に干している(了)