■皆さん、お変わりありませんか?
今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0826】号をお届けします。
今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第44回/巻之五~第421句~430句〕」をご紹介する。
421 このはたく跡(あと)は淋(さび)しき囲爐裏(いろり)哉(かな) 一髪(注1)
【意】囲炉裏に落ち葉を焚くと勢よく炎が燃え上がるが、それは一瞬のこと / 直ぐに燃え尽き、後には寒さと寂しさだけが残る‥
【意】返り咲きの花を眺めていると、ふと蓑虫が蓑から首を出しているのに気が付いた /「蓑虫よ、お前はいつから此の帰り花を見ていたのだ?」
【解説】季語:蓑虫=三秋、帰り花=初冬 /
(注1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 貞享04年11月『笈の小文』の旅の折、蕉門に入門 /『あら野』等に入句
426 麥(むぎ)まきて奇麗(きれい)に成(なり)し庵(いほり)哉(かな) 仝
【意】田中の庵 / 周囲の田畑に麦蒔きが終わり、畝の線が美しい田園風景となった
/ お陰で此の庵迄が清々しい
【解説】季語:麥まき(=麥蒔)=初冬 /
427 のどけしや麥(むぎ)まく比(ころ)の衣(ころも)がへ 一井(注1)
【意】晩秋九月一日には、帷子(かたびら)を袷(あわせ)に着替え、九日からは綿入(わたいれ)に着替えるのが例年だ
/ だが今年は、暖かく長閑(のどか)な小春日和が続き、麦蒔きの頃に漸く衣更えをした
【解説】季語:麦まく=初冬 /
(注1)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国名古屋の門人 / 芭蕉は、1688.01.11(貞亨04年12月9日)、『笈の小文』の旅の途中、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の門人等と七吟半歌仙【熱田三歌仙】を巻いた
428 縫(ぬひ)ものをたゝみてあたる火燵(こたつ)哉(かな) 落梧(注1)
【意】縫いかけの衣服をきちんと畳み、糸針の始末をして、炬燵(こたつ)にあたる / 確り者の女性の所作を気分よく見ている‥
【解説】季語:火燵(こたつ)=三冬 /
(注1)安川落梧(やすかわ らくご(1652(?)-1691(元禄04年05月(享年40歳))):1688(貞亨05)年以来の美濃国の門人 / 通称:助右衛門 / 呉服商を営む萬屋(よろずや)の主人 /『笈日記』等に入集 /『瓜畠集』を編集するも病魔に倒て未完 / 長良川近くの稲場山城山陰に別邸を持ち、芭蕉が『笈の小文』の旅の途次此処に立ち寄った / 芭蕉は、「奥の細道」に出立する直前の1689.05.12(元禄02年03月23日)に落梧宛に紙一束受贈の礼状を書き、此れが「奥の細道」出発日付確定の根拠となった
429 石臼(いしうす)の破(われ)てお(=を)かしやつは(注1)の花(はな) 胡及(注2)
[01]石蕗の花
【意】石蕗(ツワブキ)の花の咲いている様子や「石蕗」と書く字面(じづら)が「石臼を破る」imageと重なり面白い
【解説】季語:つは(石蕗)の花=初冬 /
(注1)つは:「石蕗(つわぶき)」のこと / キク科の照葉常緑多年草 / 観賞用に庭の置き石の根じめ等に植えられる / 初冬に長い花柄の先に黄色い小菊の様な花を咲かせる /
(注2)胡及(こきゅう(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 /『あら野』などに入句
430 青(あを)くともとくさ(注1)は冬の見物(みもの)哉(かな) 文鱗(注2)
[02]木賊(とくさ)
【意】木賊(とくさ)は、庭園の路傍や水辺にあしらってあるが、其の緑色が冬の庭に一見不似合に見える / だが、じっと眺めているとヒョロヒョロと立つ枯淡の姿が実は冬に似付かわしい風情なのだと感じられて来る
【解説】季語:冬=冬 /
(注1)とくさ:木賊(とくさ)は、常緑のシダ植物で中空の管状の茎を直立群生させる / スギナの一種 / 此れを乾燥させ板材などの磨き(=研(と)ぎ)に使うことからトクサの名前が付いたと云われる
(注2)鳥居文鱗(とりい ぶんりん(生没年不詳)):和泉国堺の人 / 虚無斎とも /『続の原句会』・『あら野』・『初懐紙評註』などに入句 / 文鱗は、天和03年、芭蕉が第二次芭蕉庵に入った頃に、出山の釈迦像を贈った / 芭蕉はこれを大事に手許に置き、大坂で死ぬ時には、此れを支考に与えると遺書に書き留める程であった
【小生 comment 】
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第45回/巻之五~第431句~440句〕をご紹介する。お楽しみに!
■さて続いての話題は、「松尾芭蕉『奥の細道』の第14回目である。
前《会報》【0562】を配信した七月九日(新暦08月23日)現在では、【越後路】の道中の「高田」の池田六左衛門宅に居て、【市振】に到着する3日前であった。
その為、前《会報》では一回お休みさせて頂いた。
前回の第13回では【越後路(えちごじ)】をお伝えした。
乃ち、六月二十五日(新暦08月10日)、【酒田】の淵庵不玉の許を発ち、加賀国・金沢を目指し北陸道を南進。
そして、二週間程かけて七月十二日(新暦08月26日) 越中国に程近い越後最西端の街 【市振】〔午後4時頃〕に到着した此処迄である。
08月23日(旧暦七月九日)は、越後国・高田の池田六左衛門宅に3泊した2泊目に相当する。
因みに、今日08月28日(旧暦七月十四日)は、越中国・高岡(=但し、宿記載なし)に泊しており、丁度【那古(=有磯海)】に符合する。
従って、今回の『奥の細道』第14回は、【市振(新暦08月26日)】から【那古(=有磯海(08月28日))】の三日間で起きたことをお伝えする。
参考迄に、旧暦七月八日(新暦08月22日)~旧暦七月十四日迄の「芭蕉宿泊地と天候」を曽良旅日記から拾ってみると以下の通りである。
七月八日(新暦08月22日):高田・池田六左衛門宅に3泊す、雨止む
同月九日( 〃 同月23日):同左、折々小雨す
同月十日( 〃 同月24日):折々小雨、夕方より晴れ
同月十一日(〃 同月25日):能生・玉屋五郎兵衛宅泊、快晴、暑甚だし、月晴
同月十二日(〃 同月26日):市振・宿記載なし、快晴
同月十三日(〃 同月27日):滑河・宿記載なし、雨降らんとして晴、暑気甚だし
同月十四日(〃 同月28日):高岡・宿記載なし、快晴、暑極めて甚だし
※ ※ ※ ※ ※
【市振(いちぶり)】
《原文》
今日(けふ)は親しらず・子しらず(注1)・犬もどり(注2)・駒返(こまがへ)し(注3)など云(いふ)北国(ほつこく)一の難所を越(こえ)て、つかれ侍れば、枕引(ひき)よせて寐(ね)たるに、一間(ひとま)隔(へだて)て(注4)面(おもて)の方(かた)に、若き女の声二人斗(=計(ばかり))ときこゆ。
今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第44回/巻之五~第421句~430句〕」をご紹介する。
421 このはたく跡(あと)は淋(さび)しき囲爐裏(いろり)哉(かな) 一髪(注1)
【意】囲炉裏に落ち葉を焚くと勢よく炎が燃え上がるが、それは一瞬のこと / 直ぐに燃え尽き、後には寒さと寂しさだけが残る‥
【解説】季語:このは(木の葉)=三冬 /
(注1)一髪(いっぱつ(生没年不詳)):美濃国の人
/『あら野』等に多数入句しているが、人物について詳細不明
422
枇杷(びは)の花(はな)人(ひと)のわするゝ木陰(こかげ)かな 同
【意】ビワは常緑喬木で、逞しい葉や初夏の候に生る実はよく知られている
/ しかし、晩秋から初冬にかけて咲く白く小さな花は、地味な為誰からも相手にされない
【解説】季語:枇杷の花=初冬
/
423
茶(ちゃ)の花(はな)はものゝつゐでに見たる哉(かな) 李晨(注1)
【意】茶葉は引用に重宝されるが、初冬に咲く白く小さな茶の花は、初冬に人知れず咲く
/ 何かの折にふとみると咲いているという目立たない存在感だ
【解説】季語:茶の花=初冬
/
(注1)李晨(りしん(生没年不詳)):美濃国の人
/ 同国岐阜蕉門の落梧等と親しい /『阿羅野』に2句入句
424
梨(なし)の花(はな)しぐれにぬれて猶(なほ)淋(さび)し 野水(注1)
【意】初夏に咲く梨の花は其の白さを讃える美しいものだが、いま帰り咲きの梨花が時雨に濡れている様子も又格別で、淋しさは趣深く感じられる
【解説】季語:梨の花=晩秋、しぐれ(時雨)=初冬 /
(注1)岡田野水(おかだ やすい((?)-1743.04.16(寛保03.03.22):埜水とも / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した(1684年)際の『冬の日』同人 / 其の頃、野水は27歳の男盛り / 又、彼は近江蕉門や向井去来等上方の門人との親交も厚かった
425
蓑虫(みのむし)のいつから見るや帰花(かへりばな) 昌碧(注1)
【意】返り咲きの花を眺めていると、ふと蓑虫が蓑から首を出しているのに気が付いた /「蓑虫よ、お前はいつから此の帰り花を見ていたのだ?」
【解説】季語:蓑虫=三秋、帰り花=初冬 /
(注1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 貞享04年11月『笈の小文』の旅の折、蕉門に入門 /『あら野』等に入句
【解説】季語:麥まき(=麥蒔)=初冬 /
【解説】季語:麦まく=初冬 /
(注1)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国名古屋の門人 / 芭蕉は、1688.01.11(貞亨04年12月9日)、『笈の小文』の旅の途中、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の門人等と七吟半歌仙【熱田三歌仙】を巻いた
【解説】季語:火燵(こたつ)=三冬 /
(注1)安川落梧(やすかわ らくご(1652(?)-1691(元禄04年05月(享年40歳))):1688(貞亨05)年以来の美濃国の門人 / 通称:助右衛門 / 呉服商を営む萬屋(よろずや)の主人 /『笈日記』等に入集 /『瓜畠集』を編集するも病魔に倒て未完 / 長良川近くの稲場山城山陰に別邸を持ち、芭蕉が『笈の小文』の旅の途次此処に立ち寄った / 芭蕉は、「奥の細道」に出立する直前の1689.05.12(元禄02年03月23日)に落梧宛に紙一束受贈の礼状を書き、此れが「奥の細道」出発日付確定の根拠となった
【解説】季語:つは(石蕗)の花=初冬 /
(注1)つは:「石蕗(つわぶき)」のこと / キク科の照葉常緑多年草 / 観賞用に庭の置き石の根じめ等に植えられる / 初冬に長い花柄の先に黄色い小菊の様な花を咲かせる /
(注2)胡及(こきゅう(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 /『あら野』などに入句
【解説】季語:冬=冬 /
(注1)とくさ:木賊(とくさ)は、常緑のシダ植物で中空の管状の茎を直立群生させる / スギナの一種 / 此れを乾燥させ板材などの磨き(=研(と)ぎ)に使うことからトクサの名前が付いたと云われる
(注2)鳥居文鱗(とりい ぶんりん(生没年不詳)):和泉国堺の人 / 虚無斎とも /『続の原句会』・『あら野』・『初懐紙評註』などに入句 / 文鱗は、天和03年、芭蕉が第二次芭蕉庵に入った頃に、出山の釈迦像を贈った / 芭蕉はこれを大事に手許に置き、大坂で死ぬ時には、此れを支考に与えると遺書に書き留める程であった
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第45回/巻之五~第431句~440句〕をご紹介する。お楽しみに!
■さて続いての話題は、「松尾芭蕉『奥の細道』の第14回目である。
前《会報》【0562】を配信した七月九日(新暦08月23日)現在では、【越後路】の道中の「高田」の池田六左衛門宅に居て、【市振】に到着する3日前であった。
その為、前《会報》では一回お休みさせて頂いた。
乃ち、六月二十五日(新暦08月10日)、【酒田】の淵庵不玉の許を発ち、加賀国・金沢を目指し北陸道を南進。
そして、二週間程かけて七月十二日(新暦08月26日) 越中国に程近い越後最西端の街 【市振】〔午後4時頃〕に到着した此処迄である。
08月23日(旧暦七月九日)は、越後国・高田の池田六左衛門宅に3泊した2泊目に相当する。
因みに、今日08月28日(旧暦七月十四日)は、越中国・高岡(=但し、宿記載なし)に泊しており、丁度【那古(=有磯海)】に符合する。
従って、今回の『奥の細道』第14回は、【市振(新暦08月26日)】から【那古(=有磯海(08月28日))】の三日間で起きたことをお伝えする。
参考迄に、旧暦七月八日(新暦08月22日)~旧暦七月十四日迄の「芭蕉宿泊地と天候」を曽良旅日記から拾ってみると以下の通りである。
七月八日(新暦08月22日):高田・池田六左衛門宅に3泊す、雨止む
同月九日( 〃 同月23日):同左、折々小雨す
同月十日( 〃 同月24日):折々小雨、夕方より晴れ
同月十一日(〃 同月25日):能生・玉屋五郎兵衛宅泊、快晴、暑甚だし、月晴
同月十二日(〃 同月26日):市振・宿記載なし、快晴
同月十三日(〃 同月27日):滑河・宿記載なし、雨降らんとして晴、暑気甚だし
同月十四日(〃 同月28日):高岡・宿記載なし、快晴、暑極めて甚だし
※ ※ ※ ※ ※
《原文》
今日(けふ)は親しらず・子しらず(注1)・犬もどり(注2)・駒返(こまがへ)し(注3)など云(いふ)北国(ほつこく)一の難所を越(こえ)て、つかれ侍れば、枕引(ひき)よせて寐(ね)たるに、一間(ひとま)隔(へだて)て(注4)面(おもて)の方(かた)に、若き女の声二人斗(=計(ばかり))ときこゆ。