■皆さんお変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3−7の会 0839】号をお届けします。
今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第57回/巻之七~第551句~560句〕」をご紹介する。
551 武蔵野(むさしの)やいく所(ところ)にも見る時雨(しぐれ) 舟泉(注1)
【意】流石に広大な武蔵野よ / 見晴るかすあちこちで時雨の暗雲が通り過ぎていくのが解る
552 湖(みづうめ)を屋(や)ねから見せん村(むら)しぐれ 尚白(注1)
【意】一度我家の屋根に登って頂き琵琶湖をご覧に入れたいものです / 湖面を渡る時雨の様子をご覧頂けますから‥
553 から崎(さき)やとまりあはせて初(はつ)しぐれ 伊豫 随友(注1)
【意】近江八景の「唐崎の夜雨」で有名な唐崎で一夜を過ごした/ 折りしも此の冬初めての時雨が通り過ぎた / なんと幸運だろう
(注1)随友(ずいゆう(生没年不詳)):伊予国愛媛の人 /『あら野』・『続猿蓑』に入句
554 むさしのとおもへど冬(ふゆ)の日(ひ)あし哉(かな) 洗悪(注1)
【意】武蔵野は広く、急がないと冬の日は暮れて仕舞う / だから急いでいるのだが、矢張り広大な武蔵野のこと、直ぐに暮れて仕舞うヨ
555 めづらしと生海鼠(なまこ)を燒(やく)や小(を)の(注1)ゝ奥(おく) 俊似(注2)
【意】山奥でナマコなど村人は見たことも珍しいものだから何でも焼いて食べろとばかりに、此処では海鼠を焼いて食べる
(注1)小の:京都の北、大原付近にある小野 / 炭竈を歌に詠む
(注2)伊藤俊似(いとうしゅんじ(生没年不詳)):尾張国津島の人 /『あら野』に多数入句
556 冬ざれ(注1)の獨轆轤(ひとりろくろ)やをのゝおく 津島一笑(注2)
【意】冬の訪れと共に小野の里は炭焼きの営みに入る / 其の小野の里より更に奥まった「小野の奥」に一人でろくろを廻している人がいる / 其の様は冬の淋しさを一層際立たせる
【解説】季語:冬ざれ=三冬 /「小野の奥」は前句の小野より更に山中に入ったところなのであろう
(注1)冬ざれ:冬になり草木が枯れると共に海、山など見渡す限りの景色が荒れ 果てた感じをいう
(注2)若山一笑(わかやま いっしょう(生没年不詳)):尾張国津島の人 / 貞門の俳人として寛文時代から活躍 /『あら野』に入句
557 雪(ゆき)の富士(ふじ)藁屋(わらや)一(ひと)つにかくれけり 湍水(注1)
【意】真っ白に雪を頂いた富士 / 小さな藁屋根の小屋の影に見えなくなった
【解説】季語:雪=晩冬 /「藁屋根の富士山の山の形の相似」「大きな富士と小さな小屋の対照」の面白さ
(注1)湍水(たんすい(生没年不詳)):尾張国の人 /『あら野』等に入句
558 よし野(の)山(やま)も唯(ただ)大雪(おほゆき)の夕(ゆふべ)哉(かな) 野水(注1)
【意】桜名所の吉野山に雪が降った / 此の大雪で吉野山は一面真っ白だ / 桜花なら微妙な gradation を奏でるが、流石に雪ばかりは白一色で短調だ
559 星崎(ほしざき)(注1)のやみを見(み)よとや啼(なく)千鳥(ちどり) 芭蕉
【意】星崎と言うから、星の光の降る様な海辺かと期待して来たが、生憎今宵は星一つない闇夜で、其の闇を通して、千鳥の声が聞こえるばかりだ / だが、闇夜なればこそ集中して千鳥の声に聞き入ることが出来た
【解説】季語:千鳥=三冬 /【前書】鳴海にとまりて「星崎の闇を見よとや啼千鳥」/
560 夜(よ)るの日(ひ)や不破(ふは)(注1)の小家(こいへ)の煤(すす)はらひ 如行(注2)
【意】不破の関という由緒正しい文学的な土地で、貧しげな小家が年の暮の夜に煤払いをしている / つまり「歌枕」の地であってもなくても何処にでもある年末の光景なのだ
(注1)不破:不破の関 / 古来浪漫的な歌によく詠まれた有数の歌枕
次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第58回/巻之七~第561句~570句〕をご紹介する。お楽しみに!
■続いては、11月14日(土)~15日(日)の両日、大和国一人旅を先日の琵琶湖一周同様、マイカーで行った
今回廻ったのは、初日が「浄瑠璃寺」「岩船寺」「円成寺」「東大寺二月堂への小径と二月堂」「白毫寺」、二日目が「東大寺南大門」「唐招提寺」「秋篠寺」「松伯美術館」だ
絶景の紅葉や、素晴らしい史跡建造物等を沢山撮影したので、此れからジックリと一つひとつご紹介したい
06時40分 拙宅発→一般道→東名・音羽蒲郡IC→新名神・信楽IC→一般道→2時間55分 193㎞→
09時35分 浄瑠璃寺駐車場着〔駐車場料金@500円・拝観料@400円・御朱印代@300円〕
浄瑠璃寺の山門に着くと、いつも思い出すのが水原秋櫻子の名句だ‥
[04][左上]瑠璃寺 三重塔前から【国宝】阿弥陀堂を望む3
[05][左上]瑠璃寺 三重塔前から【国宝】阿弥陀堂を望む8
[中下]同 御朱印「阿弥陀堂(九体仏)(左)」「三重塔(瑠璃光)(右)」
行く秋の当尾岩船浄瑠璃寺 九体阿弥陀の慈悲数多(あまた)充つ 悟空
10時40分 岩船寺〔駐車場料金無料・拝観料@500円・御朱印代@300円〕
[右上]同 山門を入った所から【重文】十三重石塔(左)・【重文】三重塔1
[22][左上]東大寺 鏡池・中門・大仏殿を back に2
[右上]洋品店&茶店・お酒「でなり」同所にて飲んだ beer 3銘柄
[右下]同 同上脇にあった「真言律宗 高円山 白毫寺」拝観受付看板
白毫寺は、2011年12月04日に、時習26回生同期の中嶋君【3-2】・今泉(谷山)君【3-3】等と訪れて以来、9年ぶりになる
拝観時間は17時00分迄、此の日の奈良市の日没時間は16時52分、日没時点で、深紅に燃える夕空になるだろうか、と気が揉めた
[27][左上]白毫寺 境内から深紅の夕焼けの染まる奈良市街遠望5
[右下]GOTO travel coupon 券で購入した「奈良焼・夫婦茶碗」
[右下]同 直ぐ北にある東大寺南大門至近の「華厳宗大本山 東大寺」石碑
[32][左上]観鹿荘前の東大寺南大門への参道にて‥鹿と奥の楼門は「南大門」
08時21分 東大寺中門南側から西進→徒歩25分1.5km→
文芸評論家で日本藝術院会員だった亀井勝一郎(1907-66)が随筆『大和古寺風物詩』で「伽藍の交響楽」と言った「唐招提寺」を見たくなった
そして、早稲田文学の重鎮で歌人會津八一の名歌と、松尾芭蕉が笈の小文で詠んだ名句を唐招提寺にて詠み返してみたかった‥
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ 會津八一
[右下]同 「【国宝】金堂(左)」「【国宝】鼓楼(右)」を back に
[34][左上]唐招提寺「【重文】礼堂(左)「【国宝】宝蔵(中奥)」「【国宝】経蔵(右)」を back に
[左下]同「【国宝】講堂(中奥)」「【国宝】鼓楼(右)」を back に
【詞書】東室東側の築地塀辺りの紅葉は絶景だったが、更に、築地塀脇に咲いていた石蕗の黄色い花が可憐で秋の彩りに正に華を添えていた‥
おほてらのついぢのかたえにさくすかた にほひほのかやつはのはなかな 悟空
[35][左上]唐招提寺【重文】東室(ひがしむろ)東側の築地塀
若葉して 御目(おんめ)の雫(しづく)拭(ぬぐは)ばや 芭蕉
09時45分 唐招提寺南側coin park発→一般道20分 4㎞→
作家 堀辰雄(1904-53)が、随筆『大和路』の中で「東洋のミューズ」と呼んだ「技芸天像」を見たのは今回が2回目である
12時10分 松伯美術館発→一般道→山田川IC→田辺西本線有料道路→草津JCT→新名神→湾岸→東名→豊田JCT→新東名→岡崎東IC→音羽蒲郡IC→一般道→
15時44分 帰宅〔初日219㎞+2日目238㎞=二日間走行距離計457㎞〕(了)
【後記1】小生奈良市内の東大寺二月堂から百毫寺へ向かう途次立ち寄った洋品店&茶店・居酒屋「でなり」でのこと‥
小生、店名「でなり」が変わった名前なので語源を尋ねたら、アラスカの最高峰デナリ山(Denali)山(標高6,190.4m(英語名:McKinley))から採用したという
珍しい名前と言えば、女性主人の苗字も石徹白(いとしろ)も初めて聞いた名前だ
瓶麦酒の銘柄が、アサヒやキリンでなく、サッポロ黒ラベル、入れてくれたコップが青色の江戸切子!
時間に余裕があったので、新薬師寺に寄ろうかとも考えたが、此処「でなり」での45分間が心地よい想い出のひとときとなった‥
[48]同[37]-[42]+岩船寺三重塔の前にて1+東門から桃源郷の様な参道の紅葉2+浄瑠璃寺【重文】【秘仏】吉祥天女像
そうしたら、小生の脳裏に virtual real の世界が浮かび、拙歌が一首浮かんだ‥
【詞書】季節は初冬だが、大和路はまだ晩秋の名残りを其処此処に残していた‥
大和路に過ぎゆく秋を振り返り
君との縁(えにし)いま噛み締めぬ 悟空
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