今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第45回/巻之五~第431句~440句〕」をご紹介する。
【解説】季語:(枯)荵=三冬 /古(いにしえ)を忍(しの)ぶ忍草(シノブグサ)と釣瓶の新しさの対比の妙
(注1)荵((しのぶ)=忍草):ノキシノブの別称
[01]ノキシノブ
(注2)卜枝(ぼくし(生没年不詳)):近江国の人 / 後に尾張国津島の蓮花寺に寓居していた伝わる / 貞門に入門後、蕉門に / 俳号は遠方とも /『あら野』などに入句
432 冬枯(ふゆがれ)に風の休みもなき野(の)哉(かな) 洞雪(注1)
【意】寒風吹き荒(すさ)ぶ野原では、草木は次々と枯れ、枯野が果てしなく広がっていく
【解説】季語:冬枯=三冬 /
(注1)洞雪(どうせつ(生没年不詳)):人物にいては不明
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【意】領主の鷹狩が終了したので、農民が待ちかねた様に畑に出て蕪を引き抜いている /「鷹狩や畠も踏まぬ国の守/与謝蕪村」という句もある
438 あさ漬(づけ)の大根(だいこん)あらふ月夜(つきよ)哉(かな) 俊似(注1)
【解説】季語:あさ漬(=浅漬)=初冬、大根=三冬 /「底本」では「あろふ」/
仲冬
【意】大きな釣鐘が吊るされずに地面に置かれてある / 其処へ霰が降りかかるが、大きな鐘は小粒の霰など相手にせず音もしない / 置かれた釣鐘の圧倒的な重量感が伝わって来る
※ ※ ※ ※ ※
[02][左上]金澤・願念寺「塚も動け我泣聲は秋の風」芭蕉句碑
[右下]同・同「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」芭蕉句碑
あかゝ(=あか)と日は難面(つれなく)もあきの風
[03][左上]金澤・兼六園「あかゝと被は難面もあきの風」芭蕉句碑
[右上]同・同「同」芭蕉句碑前にて
[左下]同・同「徽珍灯篭」
[中下]同・「芭蕉の辻」石碑
[右下]金沢城「石川門」
2015年11月29日(日)社員旅行二日目での自由行動の際訪問した史跡群
《現代語訳》
卯の花山(注1)・俱利伽羅(くりから)が谷(注2)を越えて、金沢(注3)に到着したのは七月十五日(注4)であった。
金沢には大阪から行き来している何処(かしょ)(注5)という商人がいた。
そして、彼の常宿に同宿することとなった。
一笑(注6)というものは俳諧の道に熱心であるとの評判(注7)がいつとはなく次第に聞こえて来て(注8)、世間では知る人(注9)もあったのだが(注10)、去年の冬、若死に(注11)したということで、その兄(注12)が追善の句会を催した。
【意】塚(=墓)よ、我が深い哀悼の心に感じて動いてくれ
一笑の死を悼(いた)む私の慟哭は塚を吹き巡る秋風そのものだ
季語「秋の風」で秋
ある草庵(注13)に招かれて
【意】秋だ、涼しい風が吹いて来る
さて、このもぎたての瓜や茄子を各自で皮をむいてご馳走になろうか
季語「秋涼し」で秋七月
(‥金澤から小松へ向かう‥)道すがら吟じた句‥
【意】もう季節は秋になった筈なのに、まだ残暑厳しく、太陽は容赦なくあかあかと照らしている
しかし流石に吹いて来る風には秋の涼しさが感じられることだ
季語「あきの風」で秋
(注1)卯の花山:「歌枕」
蓑笠庵梨一『奥細道菅菰抄』に「卯の花山は、くりから山の続きにて、越中礪波郡、となみ山の東に見えたり
源氏が峰と云あり
木曾義仲の妾 巴(ともへ)、葵(あおひ)(俗に山吹女と云)二人が塚も、此の辺りに有/卯の花山は名所なり」とある
(注2)くりからが谷:木曾義仲が牛の角に松明(たいまつ)をつけた「火牛の計」で平家の大軍を敗走させた古戦場
同じく『奥細道菅菰抄』に「くりからが谷は、くりから山の谷を云
くりから山は、越中今石動(ゆするぎ)の駅と、加賀竹の橋の宿との境にありて、嶺に俱利迦羅不動の堂あり
故に山の名とす/今或は栗柄山共書く/平家と木曾義仲の合戦の地
〔中略〕木曾義仲、大夫房覚明をして、平家追討の願書を書しめ、奉納ありし神社にて、其願書、今に存す」とある
(注3)金沢:現・石川県金沢市 芭蕉が訪れた元禄02年は、加賀藩主第5代藩主前田加賀守綱紀(つなのり(1643-1724))102万5千石余の治世
加賀藩第3代藩主前田利常(1594-1658)→長男第4代光孝(1616-45)→長男第5代綱紀(1643-1724) 因みに、綱紀の母は、将軍家光養女(=水戸徳川頼房四女)
綱紀2歳の砌、父 光孝が31歳で亡くなり、幕命に拠り隠居していた利常が後見人となる
利常の斡旋で保科正之(1611-73)の娘摩須姫(松嶺院)と1658年07月結婚
同年11月利常没後は、岳父 保科正之の薫陶を受け成長
芭蕉が金澤を訪れた元禄02(1689)年 藩主綱紀は、将軍綱吉から「御三家に準ずる待遇(注)」を与えられた
荻生徂徠も綱紀の統治を高く評価している
曰く「加賀侯非人小屋(御小屋)を設けしを以て、加賀に乞食なし。真に仁政と云ふべし」
(注)江戸城『伺候席』で、御三家に注ぐ処遇を将軍綱吉拠り賜った
乃ち、最上位が将軍御三家の「大廊下・上之部屋」、これに次ぐ「大廊下・下之部屋」詰めを賜った
外様大名では、前田家が一家だけ許された
(注*)伺候席(しこうせき):江戸城に登城した大名や旗本が、将軍に拝謁する順番を待っていた控えの詰所
延宝04(1676)年、綱紀が「蓮池亭(れんちてい)」を造営、其の庭「蓮池庭(れんちてい)」が【兼六園】の起源
(注4)七月十五日:七月十五日(新暦08月29日)のこと
盂蘭盆会(うらぼんえ)の日/文脈上は、後段の「一笑」追善会の伏線を成す
(注5)何処(=何處(かしょ)):「大坂人/享保十六庚亥六月十一日卒/光明山念仏寺葬」とある
以上、遠藤曰人(わつじん)編『蕉門諸生全伝』(1818/1830成)に拠る
(注6)一笑:小杉氏/通称:茶屋新七/寛文以来貞門(注)俳人として活躍、後に蕉門
加賀俳壇の有力者だったが元禄元年11月(一節12月)06日没/享年36歳
「一笑」追善の句が『西の雲』に見え、『猿蓑』『卯辰集』にも発句が入集されている
(注)貞門(ていもん):松永貞徳(ていとく)(1571-1654)が唱えた俳風/談林・蕉門に対して「古風」
寛永(1624~44)年間初め~正保・慶安・承応・明暦・万治~寛文((61~73)年間迄が最盛期
延宝(73~81)以降は「談林」に押され衰微した
(注7)すける名:「好く」は、風流の道に趣味があるの意/「名」は、評判・うわさ
(注8)ほのゞ(=ほのぼの)聞(きこ)えて:うすうす、いつとはなく次第に
「聞ゆ」は、噂に上る、知れ渡る、評判になる
(注9)知(しる)人:知人、俳諧友達
(注10)侍りしに:「ありしに」を、芭蕉が拘って雅語的表現をとった
「に」は逆接の接続助詞
(注11)去年(こぞ)の冬、早世(さうせい):「去年の冬」は元禄元年の冬
「早世」は、早く世を去ること / 曽良旅日記「一笑、去十二月六日死去の由」『西の雲』水傍蓮子序文「元禄初辰霜月六日、かじけたる沙草の塚に身は先立(ち)て消えぬ」とある
(注12)其(その)兄:一笑の兄/俳号「ノ松(べつしょう)」
芭蕉を迎えて「一笑」の追善会(ついぜんえ)を催し、追善周集『西の雲』(元禄04年刊)を編集
(注13)ある草庵:金澤の俳人、斎藤一泉の末玄庵
【小生comment】
芭蕉が【金澤】で詠んだ「塚も動け我泣聲は秋の風」「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」「あかゝと日は難面もあきの風」を詠むと、【象潟】迄の『奥の細道』前半とガラリ雰囲気が変わっているのを感じる。
前半は【平泉】「夏草や兵どもが夢のあと」や【立石寺】「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の様に、「歌枕」「名所・旧跡」を対象物にして『歴史絵巻』をbaseに詠んだ歌が中心であった。
一方、北陸道を金澤に向かう後半は、芭蕉が生きている現在を詠んでいる。
蕉風の最終型「軽(かろ)み」への境地へ移っていった。
換言すれば「力みのない詠み方」「ごく自然に日常的な言葉使った詠み方」に大きく近づいた俳句になって来ている。
この『奥の細道』は【大垣】で、「長月六日になれば、伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて
‥ 蛤のふたみに別れ行く秋ぞ ‥」で終わる。
実際に、芭蕉がこの『奥の細道』の紀行を終えたのは【伊賀上野】である。
乃ち、【大垣】→【伊勢長島・長松山 大智院】→【桑名】→【久居・長禅寺】→【伊勢】と経由して【伊賀上野】である。
恐らく、『奥の細道』の構想を練ったのは、【大垣】に到着した八月二十一日~九月六日【伊勢長島】へ出立する日迄の様だ。
そして、実際の紀行を終えた【伊賀上野】で、【大垣】を『奥の細道』紀行の終点と決めた様だ。
『伊勢参宮』の《予告》を話の仕上げとする【大垣】を最終章にする方が座りが良いと、芭蕉は思ったに違いない。
実際、芭蕉は、【伊勢】に趣いたが、式年遷宮は内宮は間に合わず、外宮だけ見ることが出来ただけだった。
因みに、芭蕉は【伊賀上野】を発ち【奈良】を経由した12月に【京都】にて著名な『不易流行(注)』を説いている。
(注)不易流行:芭蕉が創った俳諧用語
「不易」は詩の基本である永遠性
「流行」はその時々の新風の体
共に「風雅」の誠から出るものであるから、根元に於いては一つである、という(広辞苑)
以下に、芭蕉が『奥の細道』紀行を終えてからの一年間について年譜を記す。
元禄02年末は、膳所「義仲寺」の草庵にて越年
元禄03年01月03日 義仲寺→伊賀上野へ
同 年03月 伊賀上野→義仲寺
同 年04月06日 義仲寺→「幻住庵(現・大津市国分)」に入る
同 年07月23日 幻住庵を引き払い大津へ
同 年08月 義仲寺の草庵にて「幻住庵」成る
同 年09月末 伊賀上野へ
同 年11月上旬 京都へ
同 年12月 京都→大津→義仲寺へ
元禄03年01月 新年を義仲寺にて迎える
〔以下略〕
■今日最後の話題は、08月22日(土)に、『名都美術館』→『古川美術館』→『陣屋』→『三菱UFJ銀行貨幣資料館』と巡って来たことについてである。
昨日08月22日(土)は、公私共に多忙でゆっくり Facebook の up も儘ならなかった 而して、今日此れから、昨日、名都美術館、古川美術館、三菱UFJ貨幣資料館の3館の企画展を見て来たことについてお伝えする
昨日は勿論、コロナウィルス対策として、三密を避け、マスク着用、手のalcohol消毒、検温、パルスオキシメーター検査等に怠りなく慎重に行動した〔為念〕
昨日は以下の通り行動した‥
04時30分 起床→腹筋2,000回→
05時30分 2.5kg木刀素振り60分→
06時40分 入浴→朝食→
08時10分 拙宅発→一般道 1時間55分 77㎞→
10時05分 名都美術館駐車場着
10時09分 名都美術館入館『所蔵品展/美人画・LOVE』
【名都美術館『所蔵品展/美人画・LOVE』展】
[右上]上村松園『わか葉』1940年
[左下]鏑木清方『雪』
[中下]伊藤小坡『青楓』
[右下]伊東深水『秋晴』
[05][左上]本企画展leaflet
[左下]鏑木清方『道成寺道行』1956年
[中下]伊藤小坡『薫香』
[右下]伊東深水『若水』
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【小生 comment 】
本企画展は、日本画の美人画でとくに人気の高い、上村松園・鏑木清方・伊藤小坡・伊東深水の4人の日本画の美人画家にspotを当てた心憎い企画だった
小生、此の4人の日本画の美人画が最も好きで、美人画については、名都美術館の学芸員さんと小生の嗜好がほぼ完璧に一致した様で嬉しかった
10時36分 名都美術館駐車場発→一般道 26分 9.4km/87㎞→
11時02分 古川美術館駐車場着
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【古川美術館『第35回記念/風景の会 絵画展』】
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[06][左上]古川美術館入口にて
[左下]同美術館館内にて
[右上]本企画展 leaflet
[右中]飯田史朗(1934- )『納屋橋風景』〔名古屋市納屋橋〕2020年
[右下]加藤茂外次(1954- )『故郷幻影』〔長久手市〕2020年
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[07][左上]斎藤悟朗(1947- )『豊川赤坂宿 大橋屋』〔豊川市赤坂町〕2020年
[左下]島橋宗文(1940- )『花紀行』〔豊田市川見(せんみ)町〕2020年
[右上]鈴木喜家(1948- )『茅葺門の春』〔大府市大倉公園〕2020年
[右中]長谷川仂(1940- )『街を流れる川』〔名古屋市(山王橋附近)〕2020年
[右下]松村公嗣(1948- )『早春』2020年
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【小生 comment 】
今回の「第35回記念/風景の会 絵画展」は levelの高いのは当然として、小生が好きな「美しい」作品が多くあってとても良かった
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11時30分 古川美術館駐車場発→一般道 11分 4km/91km→
11時41分 らあめん専門店『陣屋』駐車場着
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【らあめん専門店『陣屋』】
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[08][左上]らあめん専門店『陣屋』入口前にて
[右上]カウンターから四段・六段時代の藤井総太八段・棋聖・王位二冠の色紙等を望む1
[左下]同上2
[中下]小生の超定番「味噌チャーシュー麵」
[右下]『陣屋』前のオズモールにて
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【小生 comment 】
若干18歳の藤井総太八段・二冠の快挙は本当に素晴らしい
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12時40分 らあめん専門店『陣屋』駐車場発→1.5km/93km
12時47分 三菱UFJ銀行貨幣資料館近隣駐車場着
12時55分 同館入館
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【三菱UFJ銀行貨幣資料館『広重/名所江戸百景Ⅱ〔夏・秋〕』】
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[09][左上]三菱UFJ銀行貨幣資料館前にて
[左下]広重『81 金杉橋芝浦』
[中下]同『86 紀乃国坂赤坂溜池 遠景』
[右下]同『91 猿わか町 よるの景』
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【小生 comment 】
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広重の『名所江戸百景』seriesは、印象派の画家Gogh等に大きな影響を与えている傑作が多い
とても見応えのある企画展だった
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13時40分 三菱UFJ銀行貨幣資料館近隣駐車場発→一般道5分 0.5km/94km
13時45分 N歯科医院着
14時00分 定期健診受診
15時10分 N歯科医院発→一般道2時間12分 84㎞/178㎞→
17時22分 帰宅〔走行距離計 178km〕(了)
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【後記】今日のお別れは、「時習26回生卒業40周年記念懇親会・旅行 at 京都2014」に向けての、豊橋支部幹事会の第1回・第2回・第3回をお届けして締め括る
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[10][上][下] 2012年09月09日開催の第1回 豊橋支部幹事会 at Try Again
[11][上][下] 2013年01月26日開催の第2回 豊橋支部幹事会 at Try Again
[12][上][下] 2014年04月13日開催の第2回 豊橋支部幹事会 at Try Again
では、また‥〔了〕
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